Forbidden heresy - Episode 1

『Qeen of the Night』
 深夜午前3時。
 北海道、札幌のとある高級ホテル。
 街そのものが完全に寝静まった頃、彼女は動き出した。
 自室の扉を開け、廊下を迷う事無く歩いていく。
 廊下を歩き、階段を上り、彼女はその部屋の前に辿り着いた。
 502
 そうプレートが付いている。
「……」
 その扉の前に立つ少女は年の頃、10代後半ぐらいだろうか。黒い長髪がよく似合った、可愛いというよりは、美しいと言う言葉が似合っているような少女だ。だが、無表情な彼女は、10代特有の若さを感じさせない雰囲気を持っていた。おまけに、着ている服には色気の欠片もない。不思議と良く合っているのが奇跡的なぐらいだ。
 彼女は、懐から取り出したマスターキーで…ここに来る前に偽造されたものを手渡されたものである…カードロックを開け、静かに部屋に入る。
(ターゲットは、小杉 正太郎…28歳の若さでかの有名財団の社長補佐を勤める男…か。だが、部屋の前にガードマンの一人もおかない辺りは甘過ぎだな)
 そう思いながら今度は懐からナイフを取り出す。
(一緒に泊まっている家族は妻と4歳になる娘か…ターゲット以外をむやみに殺すのは意味がない。無視すべきか)
 そして、ベッドの前に立つ。一回で即死させれば、寝ている他の2人に気付かれる事はない。
(“力”を使う必要もない、簡単な仕事だったな)
 ナイフを振りかざす。あと一瞬で終わる。


「お姉ちゃん…誰?」
「………!」
 その作業は、唐突に発せられた声によって中断させられた。
 隣で寝ていたはずの4歳の少女が、何故だか眼を覚ましたのだ。
(見られた、か。私とした事が…。目撃者を残すわけにはいかない。不本意だが、家族全員に犠牲になってもらうしかない)
 そう自分の行動を決定させると、ナイフを少女に向ける。


 パン!パン!
 銃声と共に、子供達を庇おうとしていた男と女が倒れる。
(なんだ、これは……?)
 そこに、ナイフを持っている彼女も、今まさに彼女に殺されようとしている少女もいない。
 もう、少年と少女…それも、まだ幼すぎる…しか残されていなかった。
 その2人も男に銃口を向けられる。
「悪いなぁ、坊や、嬢ちゃん…死んでもらうよ」
(…?あの男、どこかで…)
 そう思うが、それよりも、銃口を向けられている少女に眼が移った。
「お、お兄ちゃん、怖いよ…」
「だ、大丈夫だよ…僕が守るから…」
 あの子と同じ年ぐらいの少女と、それより少し年上…小学校に入るか入らないかぐらいだろう…の少年。その少女を見て、彼女は驚いた。
(あれは…私…!?)
 まだ幼すぎて今の面影が全くないが、何故か彼女は一目でそれが分かった。
 男が引き金を引く。
(!!や、やめ…っ!!)
 そして、少年も少女も真っ赤な水吹雪を立たせて倒れた。
 男が去っていく。
 全てが終わった部屋の様子に、彼女は呆然としていた。
「また、私を殺すの?」
(!!)
 全身に傷を受けていたはずの少女が、彼女に問い掛ける。
「また、私を殺すの?」


 次の瞬間、彼女の意識は元の部屋に戻っていた。
 何が起ころうとしているのか分からず、きょとんとしている少女が目の前にいる。
「お姉ちゃん…どうしたの?お腹が痛いの?」
「う…あ…あ…」
 ナイフを握ってない方の手で顔を抑える。
 それでも、ナイフを少女に振りかざそうとする。
(また、私を殺すの?)
「!!」
 先程の少女の声が頭に響く。
「お姉ちゃん…?」
「くっ……!!」
 彼女は、結局何も出来ずに部屋を飛び出した。


 数日後、札幌市内のとあるライブハウス。
 中のステージでは、4人の男女が集まった大勢の人間の前で曲を披露していた。
 ドラムを叩く青年。ちゃんと整えられた黒髪に真面目そうな顔におまけに眼鏡までかけてて、あまりこの場に合っていないのかもしれないが、それでもそれを口に出す者はいない。
 中央でマイクを持っている少女。肩にかからない程度の長さの髪に、可愛らしい顔。一緒にいるだけで明るくなりそうな少女だ。
 ギターを弾く青年。銀色に染めた長髪に細い顔。軽薄そうな雰囲気を与えるが、彼もまた、一緒にいて楽しめそうなタイプだろう…トラブルを引き起こすタイプかもしれないが。
 そして、ベースを弾く青年。金色に染められた髪に整った顔。異様なのは、右腕に包帯が巻かれていることだが、やはりそれを気にする者はいない。
「みんな〜!今日はあたし達のライブに来てくれてありがとう!!」
 ボーカルの少女がそう叫び、更に曲を披露する。
 そして、集まった大勢の観客もさらに熱くなる。


「は〜、今回もなんとか終わったわね〜」
 控え室で、ボーカルの少女が安心したように息を吐く。
「そうだねぇ、玲ちゃん。ところで、今晩2人っきりで食事なんてどう?」
 ギターを弾いていた青年が少女にそう話しかける。
「お生憎様、あたしは自由な身分の響ちゃんとは違って、明日は学校に行かなきゃいけないの。行くなら1人で寂しく行けば?」
「ふっ、良い男には自然に女の子が寄ってくるものさ」
 玲とよばれた少女のつれない返事に、響ちゃんと呼ばれた青年は寂しそうに明後日の方向を見ながら溜息を吐いた。
「しっかし、今日もあたし、受付で『れい』って読まれたわよ?ちゃんと書類に『あきら』ってルビ振ったんだから勘違いしないでほしいわよね〜」
「…まぁ、仕方ないだろう、それは。勘違いしやすいのは事実だしな」
「勇人、いい?私がこの名前を父さんに付けられたおかげで、どんだけ苦労してるか、双子のあんたも知らないわけじゃないでしょ!っていうか、あんただって『はやと』って読まなきゃいけないのに、時々名前を『ゆうと』って読み間違えられるくせに!」
 黒髪の青年の言葉に、玲は苛立ったようにまくし立てた。
「そういうのが好きだからな、父さんは。それに、この名前が気に入らないってわけじゃないんだろう?」
「そりゃあ、そうだけど…」
 どうやら、この2人は双子の兄妹らしい。
「変わった名前でいうなら、俺も充分変だけどな」
 金髪のベースを弾いていた青年が、やはりやれやれと肩をすくめる。
「天夜なんて名前、なんでつけたのか知りたいぐらいだ」
「確かにな…それより、天夜、響志郎、ドラムとキーボードを車に詰め込むから手伝ってくれ」
「ああ」
「へいへい」
 勇人の言葉に、天夜と響志郎はそう答え、ドラム等を運び始めた。


 夜の建物の上を黒い長髪の少女が駆ける。
 角まで走れば、隣の建物に飛び移り…幸い、建物が密集している地域のため、間はそんなに空いてなかった…次の建物の上を走る。
 と、走り続けて彼女は、とうとう隣にもう建物がない所まで来てしまった事に気付く。
「…ちっ…」
 思わず舌打ちしてしまうが、仕方ない。
 ナイフを抜く。
「無様だな、ICE943…任務失敗の上、組織を脱走しようなんて考えさえしなければ、こんな事にならずに済んだのに」
 ICE943と呼ばれた彼女の前に、黒ずくめの男達が現れる。
「馬鹿な女だ…自分を育ててくれた組織を裏切ろう…なんて考えるとはな」
 その中央にいた男がそう言って冷笑する。
「育ててくれた…か。だが、私の家族を殺したのは…組織ではないのか?」
「ほぅ…何故そうだと思う?」
「わからない…だが、あの時、私を殺していたのは…3年前に殺された武器会社の社長…元は組織に所属してテロを起こしていた男だ。だとするならば、私は…」
「何をわけのわからない事を言っている…?どちらにしろ、裏切り者のお前には明日はない…死んでもらおう」
 そう言うと、男は手の平から炎を出す。
 …そう、何もない手の平から、炎を出したのだ。
「…炎、か」
「お前の“力”も見せてみろ…そうでないと張り合いがない」
「…」
 そう言われて、少女も眼を細めて意識を集中する。
 すると、彼女の持っていたナイフが氷で包まれていった。
「お前達は手を出すな…俺だけで充分だ」
「……」
 そして、戦いが始まった。


「じゃあな、天夜」
「ああ、ナンパは程々にしとけよ、響志郎」
「一言多いんだよ、お前は」
 そう言って、天夜と響志郎は逆方向に別れる。
 とぼとぼと自分の部屋があるアパートに歩く天夜。
 今回のライブの客の盛り上がり様を思い出していた。
 彼らがバンドを組んだのは1年ほど前だが、その頃に比べれば中々客が集まるようになっていた。
「やれやれ、ようやく一人前ってところなのかね」
 そんな事を呟き、煙草を咥えて指をパチンと鳴らす。ちなみに、彼はまだ未成年である。
 次の瞬間、何をどうやったのか、煙草に火がつけられていた
 そうこうしている内にアパートの前までやってくる。
「さて…と、さっさと寝るか」
 そう呟いて、アパートの中に入ろうとした瞬間、天夜は普通ならあり得ないであろうものを目撃した
「なっ…!?」
 ……アパートの屋上から、人が落下して来る。
 眼を疑ったが、そんな事を考えている場合ではない。
「ちっ!」
 急いで走り出し、ギリギリで落ちて来る彼女の真下までやってくる。
 そして両手で抱え込むように落ちてきた彼女を受け止め、そのまま勢いでゴロゴロとアパートの壁まで転がった。
「っ痛ぅ〜…飛び降りか?…全く、とんだシータだな」
 何とか、落ちてきた少女を受け止めた天夜は思わずそんな悪態を吐く。
 黒い長髪の、美しい少女だった。
「おい、大丈夫か?」
「う…ぅ…」
 天夜の呼びかけに、少女は苦しげに呻くだけで意識を取り戻そうとはしなかった。
「うん…?」
 そして、天夜は気付く。
 彼女の背中は服が焼け焦げ、彼女の皮膚まで火傷している事に。
 その傷は、今しがた付いたものだろうという事に。
「…飛び降りじゃない…?」
 思わず、上を見上げる。が、当然ここからでは人がいるかなど、分かるはずもない。
 しかし、背中がここまで火傷するなんて、ただ事ではない。
「まるで—————いや、まさかな」
 天夜はそう言うと彼女を抱えた。
「…面倒だが、とりあえず、手当てぐらいしてやるか…」
 溜息を吐きながら、そう呟いた。


 何の夢を見たかなんてわからない。
 だがしかし、とんでもない悪夢を見てる気がする。
「……ッ!!」
 少女は思わず、ベッドから跳ね起きる。
「…ここは?」
 そして、周りを見渡して気付く。
 少なくとも、ここが自分の知っている場所ではない、と。
 何故ここにいるのか、昨日の出来事を思い返そうとする。
 が、背中に炎を喰らい、建物から落ちてしまったところで途絶えていた。
 そこで、ドアを開けて天夜が入ってくる。
「よう、起きたかい?」
 あれから十数時間が経って、ようやく眼を覚ましたらしい少女に、天夜は多少馴れ馴れしく声をかける。
「お前は…痛ッ!」
 立ち上がろうとした少女は、激痛に再びベッドに倒れ込む。
「あまり無理しない方がいい。処置はしといたけど、火傷は結構酷かったからな…ああ、とりあえず服は俺のを勝手に着せたけど、いいよな?」
 そう言われてみれば、彼女の身体に比べて大きめの服を着せられている。
「お前は…何だ?」
 少女は思わず問い掛けた。
 少なくとも、組織の者ではないらしいが、だからと言って信用していいはずがない。
「俺か?通りすがりのお人好し…かな」
「はぁ?」
「もっと具体的に言えば、自分の家の眼の前で人が落下していて、ほっといたらどう転んでも警察沙汰間違いなし。そうなると騒がしくなるのも間違いないわけで、色々と面倒だから助けたお人好しってところかね」
「……それは、お人好しなのか?」
 どうも、組織とは無関係のようだが、あまりにお人好しとは言えない助けた理由に彼女は思わずそんな言葉を呟いた。
「さて、どうだか?ああ、名前はまだだったな。俺は緋河 天夜。あんたは?」
「私…?」
「ああ、名前だ。教えてくれてもいいだろ?」
「名前…」
 天夜にそう問い返された彼女は困惑した。
 名前。組織ではICE943と呼ばれていたが、世間ではそんなのを名前とは言わないことぐらい知っていた。
 …そういえば、数日前に受けた仕事では偽名を使うよう言われた。確か、その名前は…
「…楓。月花(つきばな) 楓だ」
「楓…ね。中々詩的だな。良い名前じゃないか」
「詩的…?」
 楓と名乗った少女は、その言葉を聞いてきょとんとした。
「ああ、響きが良い」
「…そう…なのか?」
 そんな言われ方をされたのは初めてなので、楓はますますぽかんとしてしまった。
 いや、そもそもこうして普通に会話するなんて、何年ぶりだろうか?
「ところで、さ」
「…なんだ?」
「あんた、一体何にやられたんだ?」
「……!!」
 天夜の言葉に、楓は思わず身構える。
「うちのアパートの屋上から降ってくるなんて、飛び降りかなんて思ったが、そういう様子じゃないようだし…屋上にも行ってみたが、誰もいなかったしな」
「……」
 楓は、答える事が出来ずに黙り込む。
 誰が自分が暗殺組織から追われている暗殺者で、追手にやられたんだと言って信用するだろう?
「喋りたくない、か。じゃあ、聞かなくていいか」
「…いいのか、それで…?」
「あまり人のプライバシーに足突っ込むのも好きじゃないんでね。他人の苦労は背負いたくないんだ」
 先ほどの助けた理由と言い、随分と自分勝手な男だ。
 そう思ったが、楓はあまり気にしない事にした。不思議と、嫌な感じはしない。
 と、そこへ、
「天ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんッ!!」
 ドアを勢いよく開いて、玲が入ってくる。
「あぁっ!やっぱり女を連れ込んでた!!」
 楓の姿を見て、玲は指を差して叫ぶ。
「…人に指を差すのは失礼だ…っつーか、まさか、久々のがそれなのか?」
「ふっ…そうよ、久々に“視えた”のが部屋の中で女と話してる天ちゃんだったのよ…で、誰よ、その女!!」
 “視えた”?何を言っているのだろうか?
 楓はそう思ったが、あえて訊ねたりはしなかった。
 というか、明らかに自分の立場が悪い気がする。
「う〜ん、説明し辛いんだけど、空から降ってきた」
「そんな都合の良い話があるかぁぁぁぁぁぁっ!!」
 まぁ、ごもっともなツッコミを入れる玲。
「まぁ、普通はないな」
「え〜と…」
「あんた、私の天ちゃんに何してんのよ!!」
「いつお前のになったんだ?」
「…5分前から!!」
 わけのわからない事をぬかす玲。
「…天夜、彼女は、お前の恋人か?」
「いや、ダチなのは間違いないが、断じて恋人ではない」
「嘘ぉっ!?」
 はっきり言い切る天夜に、悲鳴を上げる玲。
 結局、玲を納得させるのに1時間ほど時間を費やすハメになってしまった。


「…そういう事でしたか」
「お分かり頂けましたか」
 何故か敬語で正座して話してる天夜と玲。
 …何故、正座。
 楓はそう思ったがやはりツッコミを入れる事はしない。
「しっかし、それは大変ねぇ。…っていうか、年頃の男女が同じ部屋ってかなり危険よ?」
「言ってくれるな。響志郎に頼むよりは安全だ」
「……確かに」
 そういって頭を抱え込む玲。
 ふと、彼女は気付く。
「ところで…楓ちゃん…だっけ?なんであんたの服着てんの?」
「ああ、他に着せるもんがなかったから着せたんだ」
「…あんたが着せたの?」
「それがどうかしたか?」
「……この変態がッ!!」
「うわっ!?危ねぇ!?」
 唐突に玲がパンチを放ってきた。
 が、とっさに横に天夜が避けたため、不発に終わる。
「…いきなりなんだ?」
 冷や汗を流して、天夜は思わずツッコミを入れる。
「乙女の着替えを勝手にやる年頃の男がやるんじゃないわよ!」
「言ってくれるな。俺だって意識があったら自分でやらせてたさ」
「言い訳しない!」


 で、その後色々あった後、何とか納得して玲は去って行き、とりあえず夕食をという事で、天夜は適当に料理を作って居間のテーブルの上に置いた。
「……」
「何だ?味噌汁がそんなに珍しいのか?」
「あ、いや…では、頂こう」
「ああ」
 天夜の出した味噌汁を飲む楓。
「おい…しい」
「ありがとよ…で、これからどうするんだ?」
「これから…?」
「ああ。あんたも帰るところぐらいあるんだろ?」
 あぁ、そうだった。
 自分は、組織を裏切って逃亡している身だった。
 楓は、不意にその事を思い出す。
 自分が生きている事は既にバレているに違いない。
 ならば、いずれここにも追手が現れるはずだ。
 …彼を巻き込まないためにも、すぐにここを出て行くべきだが。
「……」
「あぁ、別に背中の火傷が治るぐらいの間なら、ここにいてもいいぜ」
「え…?」
「連絡取りたくなさそうな顔してるし、それぐらいなら構わないさ」
「あ…いや…」
 それだと、お前の身が危ない。
 そう思ったが、何故か彼女は反論出来なかった。


 こうして、奇妙な同居生活が始まった。


「お前はいつもは何をしているのだ?」
 まだ火傷が完治していない楓はベッドの上で上半身を起こした状態で天夜に訊ねた。
「俺か?親父と姉貴が五月蝿い家を飛び出して、昨日来た玲と他2人でバンド組んでる」
「バンド…何故、お前はそんな事をしてるのだ?」
「そうだな…今より高く、もっと速く羽ばたくため…かな」
 ふざけてるのか、本気なのかよく分からない言い方で天夜は答えた。
「…お前は…変だ」
 素直に感じた事を楓は口にする。
「自分でも、そう思う。まぁ、夢を追いかけるようなもんさ」
「夢?」
「そう、夢。あんただって、夢ぐらいあっただろ?」
「夢…」
 そして再び、楓の意識に幼い頃の記憶がフラッシュバックする。


 すぐ近くに木々がある公園。
 そこで、幼い頃の楓は1人の男の子とおままごとをしていた。
 男の子の顔は陰がかかったようによく分からない。
「大人になったら絶対に———ちゃんのお嫁さんになるんだからね!」
(…?誰だって?)
 そう思ったが、よく聞き取れなかった。


「どうした?急にぼけっとして」
「あ…いや、何でもない」
 天夜の言葉で意識が現実に戻った楓は、慌ててそう言った。
「まぁ、大変だけど、結構楽しいさ」
「楽しい……」
 楓は、任務で3桁を超える人間を殺してきたが、楽しいと感じた事は一度もなかった。
 そう言えば先程見た幼い自分は、とても幸せそうだった。
(お嫁さん…か。まぁ、私には一生関係のない話だな)
 そんな事を思う。
 と、そこで

 ピンポーン、ピンポーン、ピンポンピンポンピンポーン

 チャイムが鳴る…うざったいぐらい連続で。
「うるさい!うちの新聞は西○本新聞だ!」
「そんなもんが北海道にあるかっ!」
 ドアを開けていきなりそう言った天夜に、ドアの前にいた響志郎が、ツッコミを入れる。
「なんだ、響志郎か。何しにきたんだ?」
「なんだとは失礼な。玲ちゃんがお前が可愛い子を連れ込んだって言いふらしてたから、見に来たんだよ」
「……覚えてろよ、玲…」
「で、どんな子なんだよ。早く見せろよ」
 そう言って、響志郎は部屋へ入り込んでくる。
「おぉっ、美人!」
「……何だ、お前は?」
 声をかけてきた響志郎に無愛想に訊ねる楓。
「うん、そのクールな態度もいいね〜、俺、撒村 響志郎。よろしく」
 そう言って、響志郎は馴れ馴れしく楓の肩に手をかける。
 楓は反射的に念のために懐に入れておいたナイフを抜き、響志郎の首に突き付ける。
「はいっ!?」
「気安く私に触るな!」
 そこまで言って、相手が(多分)一般人だという事を思い出して、ハッとナイフを元に戻す。
「あ…す、すまない」
「い、いや、こちらこそ申し訳ございません…な、なぁ、天夜…この子、怖いんだけど」
「俺と一緒にいる時はそんな事ないが?」
 引きつった顔で訊ねる響志郎に、そう答える天夜。
 そう言われれば、楓も天夜にはナイフを向けるなど、考えた事もなかった。
 何故だ?
「あ〜、え〜と…とりあえず、そのうちデートなんてどう?」
 それでも懲りずに口説く響志郎。その筋金入りのナンパ根性は感心すべきものなのかもしれない。
「……」
「すみません、冗談です」
 楓に睨まれて、土下座してしまう響志郎であった。


「フン…どこに逃げたかと思ったら、こんな近場にいたとはな…灯台下暗しというヤツか」
 双眼鏡でベッドで上半身を起こしている楓の様子を見て男はニヤリと笑う。
「待っていろ、ICE943…今度こそ、お前を焼き尽くしてやる」


 楓が天夜と同居するようになって、6日が経った。
 この日は、天夜はバンドの仲間達との打ち合わせのため、外出しており、部屋には楓一人だけであった。
 天夜は何故だか火傷の手当てに詳しいらしく、医者でもないくせに適切な処置を施したお陰で、楓も大分調子が良くなっていた。
 もうしばらくすれば、この部屋にいる理由もなくなるだろう。
 …だが、一体これから何処に行けばいいのだろうか。
 楓はベッドの側にある窓から夜空を見上げ、 楓はベッドの側にある窓から夜空を見上げて、そう不安に思う。
 自分の記憶を辿って…それからどうすればいいのだろうか。
 今までのほとんどの人生を暗殺者として生きてきた彼女は、他の生き方など想像も付かない。
 そもそも、この6日間自体、彼女にとって初めての平穏な時間だったのかもしれない。
 だからこそ、その平穏に戸惑いを感じていた。
(……?)
 ふと、部屋の中に異臭が漂っている事に気付く。
「ッ!!」
 反射的に口元を塞ぐ。
(これは……催眠ガスか?)
 楓は催眠ガス等の薬物に耐性があるため、殆ど効果はない。
 …おそらく、催眠ガスを撒いたのはこの後何か騒動が起きても、このアパートの住民に騒ぎを起こさせないため。
 その楓の考えを裏付けるように、唐突に玄関の扉が開いた。


「でさ〜、こんな感じで曲が出来上がったけど、どうよ?」
 響志郎の家に集まった…意外な事に、彼らのバンドのリーダーは響志郎である…天夜、勇人、玲の3人は曲作り担当の響志郎に楽譜を渡されて見せられていた。
「ふ〜ん…まぁ、とりあえず、一回やってみないといけないな」
 勇人が楽譜を見ながら、その曲をギターで弾いてる響志郎に言った。
「そーだな。天夜も歌詞の方、頼むぜ」
「ああ、分かって———」
「ちょっと、黙ってて」
 天夜の言葉を玲が遮る。彼女は瞳を閉じて何かに集中していた。
「……天ちゃん、楓ちゃん…だっけ?あの子、危ないわよ」
「何…どういう事だ?」
 眼を閉じたまま喋り出した玲に天夜は思わず問い掛ける。
「よく分からないけど、天ちゃんの家に変な人が上がりこんで…楓ちゃんをどうにかしようとしてる。楓ちゃんもナイフなんか持ってるけどね」
「…マジかよ。やれやれ……面倒事は御免なんだが…」
 玲の言葉に、天夜は忌々しそうに頭を掻く。
 しかし、そう言いつつも彼は自分がどうするべきか、既に決めていた。
「…旅は道連れ世は情けって言葉もあるしな」
 そう言って、天夜は座っていたソファから立ち上がる。
「義を見てせざるは勇無きなり…という言葉もある。俺も行こう」
 天夜の言葉に、勇人もそう言って立ち上がる。
「まぁ、この場合はどっちが義があるかなんてわからないけど…あんた達2人は、言い出したら聞かないもんね」
「…全くだな。悪いけど、俺は止めとくぜ。争いごとは得意じゃねぇからな」
 申し訳なさそうに、響志郎は言う。
「分かってるって。その代わり、ちょっと連絡頼む」
「連絡って…もしかして」
「そう、あの人ならこういう厄介事は得意だろ」
 天夜はそう言うと、伝えて欲しい事を話し始めた。


「見つけたぞ、ICE943」
「…くっ」
 薄暗い部屋の中で、楓は以前深手を負わせてくれた暗殺者の男と対峙していた。
 ベッドから起き上がったものの、まだ背中の火傷が痛む。
「ふっ、A級の暗殺者がS級の俺の勝てるとでも思ったか?」
 男は笑みを浮かべながらそう言う。
「…お前の暗殺は私のものとは違うだろう」
「確かに…な。俺は実戦の方が得意だし…だが、お前は真っ向勝負は出来るのかな?」
「見くびってもらっては困る」
 次の瞬間、楓は男の目の前まで近づき、氷に覆われたナイフで首元を突き付けていた。
「なるほど…だが!」
 さらに次の瞬間、男は赤い炎をまとった拳で楓のナイフを払うと、その顔に炎を浴びせようとする。
「ちっ…!」
「その綺麗な顔に、消せない傷を負わせてやろう!」

 その次の瞬間、ドアから飛んできた傘が男目掛けて飛んでくる。
 もっとも、男はそれに気付いてあっさり避けた挙句、窓ガラスに命中して割れてしまったが。
「…全く、人の家であまり暴れるなよ」
「天夜…!」
「よう、楓。元気そうだな」
 天夜は入り口から悠々と部屋の中に入ってきた。
「なんだ、お前は…」
「不法侵入者になんだって言われても困るんだけどな。あんたこそなんだよ?」
 男の苛立ったような言葉に、天夜は不敵に笑いながら、そう問い返した。
「知らない方が良い事もあると人に言われた事はないのか?…まぁ、お前はもう手遅れだが」
「ああ、そうかい。んじゃま、力づくで出て行ってもらおうかね」
「よせ、天夜!そいつは———」
 楓が止める前に男が一瞬で天夜の前まで移動する。そして、炎を纏った拳を腹に入れようとする。
 ところが。
「なっ、何…っ!?」
「どうした?拳が止められたのがそんなにおかしいかい?」
 天夜は、包帯の巻かれた右手でその拳を受け止める。
 だが、天夜の右手が男の炎で燃えている様子はない。
 …逆に、天夜の右手は蒼い炎を纏っていた。
「ふっ!」
 男が驚いている隙に天夜はそのまま右手の蒼い炎を相手の顔に向かって払い、怯ませる。
「ちぃっ!」
 思わず、眼を両腕で覆う男。
 天夜は、その間に楓の方まで移動する。
「天夜…お前…」
 驚いたように天夜を見る楓。
「き、貴様…」
 男は天夜の方を忌々しげに睨みながら、確認するように言った。
「貴様、能力者か!」
「御名答」
 男の言葉に、天夜はあっさりと答えた。
「それも、その炎の色は人工ではない…天然、もしくは突然変異か!はははっ!これはいい!脱走者を追いかけるついでに、研究者どもに土産になるようなものに出会えるとはな!」
「そうかい。でも、とりあえずお別れだぜ。俺の家を火事にされても困るしな」
 そう言うと、天夜は楓を掴んで、割れている窓を開き、ベランダへ飛び出す。
「しっかり掴まっていろ」
「えっ———?」
 天夜が何をしようとしているのか、楓が理解するよりも速く、天夜は彼女を掴んだままベランダから飛び降りる。
 3階から飛び降りた2人は、もちろん、地面に急降下していく。
 と、そこへ…
「勇人ッ!」
「……ッ!?」
 黒い色をした…街灯の明かりでそれが分かった…風が吹き、2人の落下速度が減速していく。
 そして、2人は、上手く地面に着地する事が出来た。
「さて、と。さっさと逃げないとな」
「…逃げ切れるわけないだろう。この周りには恐らく暗殺者だらけのはずだ」
「らしいな。来る時に隠れてるのを見つけた」
「ヤツらの狙いは私だ…お前は早く逃げろ」
「…俺だけ逃げてどうにかなるってものでもないと思うが。どうせ、標的に俺も入ったんだろうしな」
「そ、それは…」
 天夜の言葉に、楓は思わずうな垂れる。
 確かに、楓が逆の立場でもそうするだろう。
「それに、ここら辺は今は大丈夫だって…なぁ、勇人?」
「ああ、風で吹き飛ばして出てきたのはとりあえず片付た」
 天夜の声に、勇人が陰の方から現れてそう言う。
「彼は…?」
「風宮 勇人だ。よろしく」
 楓の言葉に、勇人は簡潔に自己紹介する。
「あまりここで騒ぐわけにはいかないからな…さっさと移動しよう」
 そこへ、黒ずくめの服を着た暗殺者達が現れる。
「もう来やがった…すぐに移動した方がいいな。勇人、足止め頼む」
「ああ」
 勇人はそう頷くと右手を暗殺者達の方に向けて意識を集中する。
 すると、勇人の腕から黒い風が吹き出て、暗殺者達を吹き飛ばしていく。
「……!」
「ほら、行くぞ、楓」
「あ、ああ…」


 天夜たちはそのまま公園の方まで走り続けた。
 もちろん、暗殺者達も追ってきている。
「そろそろ、来る時分だと思うが…」
 天夜は道路の方を見ながらそう呟く。
 そこへ、ワンボックスカーが公園の前に停まる。
「来たみたいだな…」
「ああ」
 勇人の言葉に、頷く天夜。
 3人は車に駆け寄る。
 そして、暗殺者達も逆方向から姿を現す。
「ったく、人をこき使いやがって…早くその娘を乗せろ、天夜」
 車を運転している男がそう呟く。
「恩に切るよ。こいつら何とかしたらすぐ追いかけるんで」
「連中、堅気の輩じゃないと思うが…」
「あんたなら、何とかしてしまうだろ?」
「…ったく、仕方ないな。ほら、早く乗れ」
 そう言って、後方の座席を指し示す。
「天夜…これはいったい?」
「昔の友達でさ。頼りになる人だから、一緒にいれば問題ないさ。俺もすぐに行く」
 戸惑った様子の楓に、天夜は安心させるように言う。
「…乗ったな?それじゃあ、行くぞ」
 男はそう言うと、楓が乗った事を確認して、車を発進させる。
 そして、後は天夜と勇人、追ってきた暗殺者達が残された。
「さて、と。あとはこっちを終わらせないとな。行こうぜ、勇人」
「ああ、天夜」


 車の方は10分としない内に目的地に着いた。
「とりあえず、ここで降りてくれ。中に入る」
「あ、ああ…」
 楓は言われるままに車から降りる。
 そして、目の前の建物の表札を見る。
『暝嵜探偵事務所』
 暝嵜…
 楓はその名に覚えがあった。
 日本政府御用達の伝説的なエージェントが、同じ姓ではなかったか?
 確か…暝嵜…航平。
 …航平?
 その名を浮かべたとき、何故か楓は懐かしい感覚に襲われた。
「…どうした?さっさと中に入っ——」
 男は、そう言いかけて、楓の顔を見て驚いたように眼を見開く。
「お前……」
「私の顔がどうかしたのか?」
「…いや、なんでもない。それより、もうここも嗅ぎ付けられたようだな」
「…っ!」
 驚いて背後を振り向いた楓の前に下品な笑いを浮かべた男が現れる。
「へへっ、念のために市内を張っといたのが役に立つたぁな…ICE943…覚悟は出来てるよなぁ?」
 そう言って、隣にいる人間を見てから男は驚いたように言った。
「へぇ、こんなとこで有名人と会えるたぁ、俺もついてるねぇ、あんた、暝嵜 航平だろう?」
「…裏組織とかが来るなんて聞いてないんだが…」
 航平と呼ばれた青年は、うんざりしたようにそう言った。
「そう言うなよ…まとめて片付けてやるからさ…へへっ」
 笑みを浮かべたまま、男は手の平を氷で覆わせる。
「お前は、確かICE785か…アイツに比べれば、楽な相手だ」
 楓も同様に薄い氷の張ったナイフを構えてそう言う。
「へへっ、その態度が気にいらねぇんだよ!」
 ICE785と呼ばれた男はそう叫んで襲いかかる。
 が、次の瞬間、
「…ッ!?」
 パスッ、という音と共に、ICE785は眉間に穴をあけられてそのまま倒れ込み、動かなくなる。
「ふん…何処の殺し屋か知らんが、真正面から隙だらけで襲いかかるなんてのは、三流がやる事だ」
 銃口から煙を噴いている拳銃を手にした航平は、呆れたようにそう呟いた。
「しばらくすれば、天夜たちも来るだろ。コイツ片付けて、さっさと中に入るとしよう」
 航平は拳銃を懐に入れ、呆気に取られている楓に向かってそう言った。


 1時間後…
「それで、そっちはどうだったんだ?」
「とりあえず、目に付いたのは片っ端から吹っ飛ばして燃やしたけど」
 事務所の中で天夜は航平にそう言った。
「まぁ、ここもすぐにバレるだろうが…というか、あんな連中が来るとは聞いていないぞ、天夜?」
「俺だって、電話頼んだ時は知らなかったよ。…で、楓…そろそろ話してくれるよな?」
 天夜は静かに楓に訊ねた。
「……わかった。話そう」
 しばらく考えた後、楓は意を決したように語り始めた。
 自分が暗殺組織の暗殺者であった事、ある時、自分の記憶に疑問を抱いて脱走した事を。
「なるほどな…で、その暗殺者に敗れて屋上から落とされた所を、俺が助けたってわけか」
「そうだ……私の名前は月花 楓などではない。組織ではICE943と呼ばれていた」
 楓は…月花 楓と名乗っていた少女は俯いたままそう言った。
「…で、それを俺に言ってどうしろと?ICE943って呼んでほしいのか?」
「天夜……」
 天夜の言葉に、彼女は戸惑ったように、顔を上げる。
「正直、そんな呼び方は機械的で気に入らん。お前は月花 楓と名乗っている。俺にとってはそれだけで充分だ。いいな?」
「あ、ああ…」
 面倒臭そうな…それでいて否定を許さない天夜の強い口調に、楓は呆気を取られたように頷く。
「…ところで、、君やあいつらも俺達と同じような“力”を持っているのか」
 勇人の質問に、楓は頷く。
「ああ…“異端者”と呼ばれる大なり小なり、普通ではない力を持った超常の人間…組織は、被験者を人工的に同じような“力”を使えるようにしている。私は…」
 楓は手の平に氷を出してみせる。
「この通り、氷を出す事が出来る」
「そういう実験をやっている連中がいる事は聞いた事があるが、それはその組織の暗殺者全員か?」
 航平の言葉に、楓は首を横に振る。
「そんなに多くはない。むしろ、体質が合わずに失敗してしまった者の方が多かったらしい」
「まぁ、そうだろうな。そう簡単にそんなのばかりになったら面倒なことこの上ない」
 ふぅ、と天夜は溜息を吐きながら、肩をすくめる。
「天夜…お前たちの方は…」
「ん?ああ、“力”の事か?さっき見ただろうけど、俺は炎を操れて、コイツは風を操れる。あと、玲は時々予知できるな」
「そうか…」
 納得いったように楓は頷いた。
 そこへ、後ろ髪をポニーテールでまとめた女性がお茶を持って入ってくる。
「みんな疲れたでしょう?これをどうぞ」
「ああ、悪いな、絵菜瑠えなる」
 航平に絵菜瑠と呼ばれた女性は、4人にお茶を配って行く。
「とりあえず、今日は一旦休もう。とりあえず、俺が起きとくから」
「…そんな悠長な事して大丈夫なんですか?」
 あっさりとそんな事を言う航平に、勇人は思わず反論する。
「ああ。話を聞いた限り、連中はお前らのような能力者は無傷で捕られたいはずだから、この事務所ごと破壊…なんて真似はしないだろう。ならば、幾らでも対処は出来る」
「航平さんを信じようぜ、勇人。こーいうのはこの人の専門だろ」
「そうだな…なら、俺も起きときますよ。徹夜は得意だし」
「何言ってる?俺だって仕事柄、ずっと起きとくのは専門なんだよ」
「その分よく寝るけどね」
 横からさらっとツッコミを入れる絵菜瑠。
「…とにかく、だ。お前らはもう寝ろ。いいな」
「はいはい…んじゃ、お言葉に甘えて寝るか」
「そうだな…しかし、大変な事になったな」
「全くな。また面倒な目に遭いそうだ」
 天夜と勇人の会話に、楓はハッとする。
(そうだ…彼らを巻き込んだのは私だ。私がしくじらなければ、天夜たちはこんな目に合わずに済んだ…)


 早朝、午前5時。
 外はまだ寝静まっている。
 幸い、暗殺者の襲撃の様子はない。
「……」
 航平は、事務所の自分用のデスクに座って、一枚の写真を見ていた。
 幼い頃の自分と、両親、そして妹。
 写真は色褪せていたが、航平が彼らの事を忘れる事は、恐らく永遠にない。
 自分を遺して、家族は皆死んだ。殺されてしまった。
 …いや、あの瞬間、自分も家族と共に一度死んでしまったのだ。
 航平はそう思う。
 その後の彼の人生は、とても常人には理解出来ないような波乱万丈な事ばかりだった。
 叔父に育てられ、姓も変えて、エスカレーター式の名門学園に通ってたが、16の時にその学園も反政府のテロに遭い、最後には文字通り、学園は消滅。日本政府によって、経歴を抹消されて一緒に生き残った仲間たちと生活、別の高校に通っていたが、そこでもまた事件に巻き込まれたりして、政府の諜報部には頼りにされるわ、裏世界で有名人になってしまうわで大変な事になってしまった。
 4年前…18の時、家族を殺したあの男がのうのうと生きている事を知って、高校を退学して、その男も殺し、復讐も果たした。
 それからも、厄介事を抱え込みながら、今回もこうして厄介事を抱え込んでいる。
 しかし、たとえ血生臭くても、こうして危険の真っ只中にいれば、いつかは…
「…ま、たとえそうだとしても、もう覚えているわけないか」
 写真を机の中に入れて、そんな事を呟く。
「ぅ〜ん…おはよう、航平」
 背伸びをして起き上がった…ちなみに、皆、床かソファにごろ寝状態である…絵菜瑠はずっと起きっ放しの年下の恋人に声をかける。
「あぁ、おはよう、絵菜瑠」
「疲れているでしょう?コーヒー淹れるわよ」
「遠回しにずっと起きてろと言われてるような気もするが…まぁいい。頼む」
「うん、少し待ってね」
 そう言って、絵菜瑠は寝る前に水を入れておいたコーヒーメーカーを温めて、コーヒーを淹れる。
「ッ!?」
 何か、気配が動くのを感じて、航平は思わず銃を向ける。
 が、そこには誰もいなかった。
 ……少し前まで、そこで眠っていたはずの楓も。
「やられた!」
 思わず、そんな声を上げる。
「どうしたの、航平?」
「月花のヤツ、1人で出て行きやがった!」
「ええっ!?」


 楓は一瞬の隙をついて事務所を出て…ちなみに、靴は絵菜瑠のがちょうどサイズに合ったため、拝借した…チラリと振り向く。
「これ以上、迷惑はかけられない。…お前と一緒にいる事が出来て良かった、天夜」
 そう呟くと、楓は走り出す。
 追手を殺し、組織も自分1人で壊滅させる。
 無茶もいいところだが、それが彼女が天夜たちのために出来ると考えた、ただ1つの事だった。


「全く、何処に行ったんだ?」
 航平に起こされた天夜と勇人は楓を探すために走り回っていた。
 航平と絵菜瑠も、車で街中を回っている。
「…天夜、もしお前が彼女の立場なら、何処に行く?」
「連中とケリを漬けるとして、俺なら人目につかない所を選ぶ」
「そういう事だな。まぁ、よくよく考えれば、俺たちは狙われている身なんだが」
「ほっとけば連中からやってくるわけだ。一応、聞くだけ聞いてみようか」
 そう言うと、天夜と勇人は裏通りから狙っている暗殺者の方へ向かって行った。


「…来たか」
 楓は工事が休みで誰もいないビルの工事現場へやってきていた。
 そこに、暗殺者たちが現れる。
「1人でやってくるとは良い度胸だ」
「ここでお前たちを殺す…組織も潰してやる」
 例によって現れた炎を操る男と対峙して、楓は力強く答える。
「ふん…この人数に勝てる気か?」
「私を見くびってもらっては困る、と言ったはずだ」
 そう言うと、楓は何時の間にか彼女を取り囲み、襲ってくる暗殺者達にナイフ片手に応戦する。
「ぎゃあっ!!」
「ぐえぁっ!!」
 その襲い掛かった1人1人が、楓の持っているナイフによって、首を斬られたり、刺されたりして血を吹き上げながら、倒れていく。
 瞬く間に、彼女は敵の数を減らしていく。
 まさに、名人技と呼べる戦い振りだった。
 これだけの事をやってもまだ、彼女の心は平静そのものだった。
 この冷静さ、冷徹さこそが、彼女を暗殺者に仕立てるに当たり、組織が求めたものなのだから。
 返り血すら浴びず、倒した暗殺者達を楓は冷たく見下ろす。
「なるほどな、B級の暗殺者では束になっても敵わないか…だが」
 男も自分のナイフを握って楓の方へ突き出す。
「一週間前に負わせた火傷は、そう簡単に治るものだったかな…?」
「…」
 男の言った通りだった。まだ背中の火傷は完治していない。先程から戦う度に、激痛を感じていた。
 それでも、彼女はそれを顔には出さずに氷の張られたナイフを構える。
「知っているぞ…“力”がありながら、お前がそれを全面的には使用しない理由…」
 男はニヤニヤ笑いながら言った。
「お前は、“力”は安定しているが、その分小出しにしか使えない…“力”のみの勝負となっては分が悪い。この前の戦いもそうだった」
「…関係ない。お前を、殺すだけだ」
 図星ではあったが、顔には出さずに、楓はそう答えた。
「今回は、お前に合わせてやろう」
 そう言って、男も炎を纏わせたナイフを構える。

 次の瞬間、2人はナイフを手に、交差していた。

 ブシュゥ、という音を立て、肩から血が吹き出る。堪えきれず、膝をつき、倒れる。
「あ…く…」
 倒れたのは、楓の方だった。
「ははっ、大した一撃だったが、万全の状態でなければ、その程度だったな」
 男は勝ち誇ったようにそう言う。
「急所は避けたようだが、まぁいい。どうせ次で終わる」
「う…」
 傷口が焼けるように熱い…いや、焼けているのだろう。
 逃げる力などない。これで終わりか、と楓は思った。
(…所詮私はここまで、か。結局…私の事は何もわからなかった…)
 そして、眼を閉じる。
『私、大人になったら絶対に———ちゃんのお嫁さんになるんだからね!』
 子供の頃のそんな言葉が脳裏を掠める。
(…どうしてこうなった——?どうして私は、こんな……)
 そこまで考えて、不意に何かの感情が彼女の中で浮かび上がってきた。
「…に…ない」
「何?」
「死に…たくない…死にたくない…死にたくない…!」
 気がつけば、彼女はその言葉を口にしていた。
「死にたくない…まだ何もわかってないのに…!」
「そう言ってきた人間を殺すのが、俺たちの仕事だろう…じゃあな」
「—————天夜ッ!!」
 無意識に、彼の名を叫ぶ。

 だが、ナイフはそんな事を気にせずに下ろされ———

「ぐぅ!?」
 唐突に蒼い炎に阻まれ、男はナイフを地面に落としてしまう。
「…よう、また会ったな、楓」
 そんな声が聞こえる。
 楓は思わず首を横へ振り向けた。
「天夜…どうして…ここに…?」
 楓は、駆け付けて来た天夜と勇人を見て、半ば呆然とそう呟いた。
「また貴様か…!よくもまぁ、こんな人殺しの手助けなどするものだ」
 男は、苛立ったようにそう天夜に言う。
「何故…ここに来た?危険なのに…」
 楓は絶え絶えな声で天夜に訊ねる。
「…さて、ね。面倒なんだが、お前が助けてほしそうにしていたからな」
 ——それに、幼い頃に大好きだったあの子に似ていたから——
 その言葉を飲み込み、不敵な笑みを浮かべて天夜は男の前に立ち塞がる。
「そういうわけだ。彼女を殺したいのなら、先にこの俺を殺しな」
 恐れるものなんて何もない。
 そう感じさせる佇まい。
 楓は、その姿に思わず見惚れた。
「勇人、楓を頼む」
「わかった」
 勇人は頷いて、楓に肩を貸す。
「“能力者”は出来るだけ、生かして捕まえたいのだがな…そんなに死にたいか…」
「いや、俺は死なないさ。死ぬのはあんたの方だ」
「フッ…つまらん冗談をほざくな!!」
 そう叫ぶと男は腕から吹き上げた炎を全力で振り払う。
 人ひとりぐらいならば、完全に入ってしまいそうなほど、巨大な炎だった。
「天夜ッ!?」
 楓は思わず悲鳴を上げる。
「ハハハハハハッ!!これが俺の全力だ!!燃え尽きながら、刃向かった事を後悔するがいい!!」
 高笑いしながら、男は天夜の死を確信する。
 だが。


 天夜を包んでいた赤い炎が、蒼く変色していく。
「なっ!?」
「…中々イイとこいってたが、相手が悪かったな」
 天夜は獲物を見つけた狼のような獰猛な笑みを浮かべていた。
 そして彼の右腕に巻かれていた包帯は、焼け落ちていた。
「前は小回りの効くように“力”を使っていたから、自分の方が“力”が強いって思ってたんだろうが…」
「ば…馬鹿な……」
 男は、その炎を見ながら、呆然とする。
「そ、そんなに大きな“力”では、小回りの効くような制御は出来ん!!何をした貴様!?」
「ああ、そうだな…。けど、うちの家系はこーいうのに詳しくてね」
 包帯がなくなって、炎を吹き続ける右腕を一回払ってから天夜は言葉を続けた。
「俺は右腕に特別製の包帯を巻いて、“力”を押さえつけてるんだよ…そうじゃないと、制御が難しくて、とても普通に使う事なんてできないからな」
 そう言って右手に意識を集中する。
 すると、先ほどの男が吹き上げた炎よりもさらに大きく、蒼い炎が吹き上がっていく。
 明らかに、自分より数段上の能力者だと言う事を理解した。
 だが……これほどの使い手が、こんなところにいるなんて———!
「き…貴様、貴様は、一体、何者だ……?」
「これから死ぬ人間に、名乗っても意味なんてないが…まぁいいか。天夜…緋河 天夜だ」
「緋河……緋河だとっ!?まさか貴様は!?」
 緋河という姓を聞き、天夜の正体に思い当たり、男は驚愕の悲鳴を上げる。
「理解したか?じゃあ、さっさと逝け」
「待っ————!!」
 命乞いを言い終える前に、天夜は男に巨大な蒼炎を振るう。
 次の瞬間には、男は断末魔も言えずに真っ蒼な炎に飲み込まれ、そして、後には何も残らなかった。
「やれやれ…」
 まだ自分の腕で燃えている炎を消して、天夜はふぅ、と息を吐いた。
「それじゃ、一旦事務所戻ろうぜ…っつーか、その前に病院かな」
 天夜は楓と勇人の方を振り返り、そう言った。
「あ…け…けど、このままだと、また狙われて…」
「ああ、その事なんだが、航平さんが政府の情報部に口利くから、楓が司法取引に応じてくれたら、なんとか出来るってさ。自由ぐらいは保障してくれるらしいぜ」
 あっさりと、天夜はそんな事を言う。
「だ…だが…私がいると、また迷惑がかかって…」
「お前一人いたところで迷惑になんてならないよ、なぁ、勇人?」
「そうだな。響志郎の迷惑のかけっぷりに比べれば、安いものかもしれないな」
 天夜の言葉に、苦笑しながら同意する勇人。
「それに、面倒事は慣れているしな」
「…私は…ここにいても、いいのか…?」
「それは自分で考えろよ。俺はあんたじゃないんだ。自分の事は、自分で決めろ」
 天夜の言葉に、楓はしばらく考え込み、
「…ここに…いたい」
 と、本心を答えた。
「なら、いいんじゃないか?」


「全く、無茶な事言ったのねぇ、航ちゃん?航ちゃんが出した条件、上も驚いてたわよ?」
「連中のアジトを教える代わりに、釈放…か?」
「もちろん。私だって、こっちに協力する事を条件で釈放されてるのに、彼女はそれもなしでしょ?」
「…だから、監視で俺が見る事になっているんだろう?まぁ、うちの探偵事務所で働かせる事になってるから、そんなに変わらないだろう」
「そりゃそうかもしれないけど…まさか、彼女をあなたの家に置くつもりじゃないでしょうね?それじゃ、ほとんど新婚夫婦の家に居候が入るようなもんじゃない」
「……お前、やけに具体的な表現するな…結局、月花には一般的な生活能力がないから、と天夜の部屋で同居って事になった」
「天くんの?変な事しなきゃいいけど……天くんに関しては心配ないか」
「まぁ、多分大丈夫とは思うがね。あいつの友人は親がいたり、ナンパ男だったり、とするから、妥当と言えば妥当だろう」
「ま、そうかも知れないけど」
「で、例の件は調べがついたか?」
「まだ。結構膨大な量があるから時間かかるわよ」
「そうか…わかったらすぐに教えろよ、頬月」
「言われるまでもないって。それじゃ、私も後始末の方で仕事あるから」
「ああ」


「ただいま、楓」
 天夜はドアを開けると、中にいる居候にそう言う。
「おかえり、天夜」
 楓も、帰ってきた天夜にそう言う。
「航平さんのとこの仕事、少しは慣れたのか?」
「ああ。まぁ、尾行は私の得意分野のひとつだからな」
「そりゃそうだ…夕飯、何がいい?」
「…とりあえず、味噌汁系統のものがいい」
「んじゃ、今日は豚汁にしようかね」
 そう言って、天夜は早速料理の準備をする。
「天夜…あの」
「なんだ?」
「……ありがとう」
 そう言って微笑む楓に、天夜は一瞬呆気を取られ、
「どういたしまして」
 と、笑みを浮かべて答えた。