異法人の夜-Foreigners night-

-border breaks backstage-
Forbidden heresy/Religious pilgrimage Act.1.5『another border breaker』
 2003年、7月1日、某市郊外の閑静な公園の中。
 緋河 天夜は黄昏に染まる空の下、ベンチに座って夕陽を見上げていた。
 つい先日、とある騒動を解決するに至ってその力を使わざるを得なかった彼としては、すぐにでもこの街を離れるべきではあったが、元々行く当てもない旅である。
 今日一日くらい、次に行く場所を考えても問題ないだろうと気楽に考えていた。
「そうだな、次は九州にでも行ってみるか。明太子を食べてみたいし」
 丸一日中考えて、出した答えがそれである。
 そうと決めたら、既に確保してある今日の宿へと戻ろうと、公園の入り口へと向かう。
 そこで、彼は面倒事に巻き込まれた。


「緋河 天夜くんですね?」
 公園の入り口まで来た天夜は、唐突にそう呼び止められた。
 眼の前には、真っ黒な車。その扉の前に車に合わせるように黒いスーツを着た男がいた。
「…やれやれ、人がいい気分でいたってのに、もう勘付いたってのか?」
 思わずそう呟く。
 この数ヶ月間、緋河家からの追手を天夜は何人も相手にしてきた。
 そのお陰で1つの場所に長い間いる事が出来た試しがない。
 最も、天夜自身も1つの場所に留まるつもりはないが。
「ああ、失礼しました。私は日本政府治安維持部の空木 要介と申します」
「日本政府?」
 要介と名乗る男の言葉に、天夜は軽く驚きを覚える。
 緋河家は普通の人間から見て異端の力を持つ者達を狩る事で自らの身の安全を保障されてきた一族だ。
 日本政府との繋がりも当然、深いものがある。
「…まさか、とうとう国家権力の力を頼って俺を追いかけているのか?冗談じゃないな」
 この事態には天夜も溜息を吐く。
 それでは扱いが殆ど指名手配犯である。
 しかし、その言葉に要介は苦笑を浮かべた。
「違いますよ。私はあなたに仕事を依頼しに来たのです」
「仕事?」
「ええ。詳しくは車の中で話したいのですが。もちろん、あなたの実家にはこの事を伝えたりはしません」
「あんたが本当に日本政府の人間である証拠がない。実は親父の追手だったりした日には暴れるぞ」
「暝嵜くんは私の部下です。…これは理由になりませんか?」
 幼馴染の名を出された天夜は、再び溜息を吐き、
「…わかった。信じるよ。あの人の顔は立てとかないと申し訳ないしな」
 そう言って、開けられた車のドアの中に入った。

「で、仕事というのは?」
 車の後部座席に座って、天夜は隣に座った要介に話を切り出した。
 それとほぼ同時に、運転手が車を公園の前から発進させる。
「ええ、今からではギリギリ間に合うか、間に合わないかなのですが…ある男を捕まえる、
 或いは狩るのを手伝って欲しいのです」
「…悪いけど、断る。そういうのは親父に言ってくれ」
「もちろん、緋河 統時様にも同じ話は通してます。既に緋河家の方々もあなたの御父上と、各分家の当主が向かっているでしょう」
「じゃあなんで俺まで必要なんだ?俺が言うのもなんだが、結構化け物揃いだろ、うちは」
 緋河家は本家の他にも分家である紅雅・茜尾・朱討・赤覇・橙哉・丹海の6家があり、そのいずれもが相応の実力を持つ能力者を当主としている。
 ここ何年かは狩りを行っていないとは言え、彼らだけでもその辺の能力者を狩る事なら簡単にこなすだろう。
「他にも、飛鳥井様や奈良塚様、夜霧様、それに神裂様や御法様も既に向かっています。それに、こちらからも何人か、対応できる人間を送る手筈です」
 要介のその言葉に、天夜は一瞬言葉を失った。
「…ちょっと待て。そこら辺の連中の事は詳しくはないが、俺だってそいつらが魔術師の名門や退魔組織の連中だっていうのはわかる。おまけに狩り手まで雁首揃えさせて、あんたたちは一体何と戦うつもりだ?」
「それは———『世界の敵』です」
 真顔で答えられたその言葉に、天夜は悪寒を感じた。


「『世界の敵』、だって?」
「緋河家の人間であるあなたなら、その男の事を多少は知っているでしょう。凶悪な能力犯罪者であり、その存在を知られているにも関わらず、今まで誰にも狩る事が出来なかった化け物を」
「…『蛇のザッハーク』?あの噂に名高い化け物と殺り合うつもりか?」
「ええ。しかし、彼だけでは『世界の敵』とまでは成り得ません。…少し長い話になりますが、いいですか?」
「どうぞ」
 そして要介は説明した。
 秋風市で起こったある少女が発端となって起こった1人の能力者と『異法隊』と呼ばれる者達の対立と共闘を。
 少女に対して人体実験を行っていた研究機関を。
 それら全てを利用して、全人類の無意識を支配し、世界を変革しようとする者を。
 そして、その目的を。
「……無茶苦茶だ。正気の沙汰じゃない」
 全ての説明を終えて、最初に天夜の口から出た言葉はそれであった。
「その通りです。だから、我々は如何なる手段を以てしても、彼らを止めねばなりません。たとえそれが———能力者とそうではない者の相互理解の道を閉ざすとしても、です」
「………」
 要介の言葉に、天夜は包帯が巻かれた右手を見ながら自らの過去を振り返る。
 かつて子供心に、何があっても守りたいと思ったもの。
 それは、天夜自身の能力のために失わざるを得なかった。
 もし、世界が変革され、能力者とそうじゃない者が普通に過ごせる世界だったならば———
「……未練、だな」
 失ったものはもう戻ってこない。
 12年前の幼少の頃にそれは既に承知している。
 だから、天夜は———
「……緋河くん、我々に協力して貰えますか?もちろん、相応の報酬は支払います」
 懇願するような要介がそう言うと、天夜は肩をすくめて、
「報酬なんてどうでもいいけど……さっきあんたが言ったように、親父たちにこの事を伝えないのなら、引き受けるよ」
 迷う事無く、そう答えた。
 その言葉に要介は顔を明るくさせる。
「ああ、それともう一つ……終わった後はすぐに逃げれるように、その秋風市とは違う所の空港から出る九州行きの航空券をくれ。それで充分だ」
「わかりました。すぐに手配しましょう」
「…これでいいんだろ、航平さん?」
 不敵な笑みを浮かべて、天夜はこの車の運転手……天夜の幼馴染である暝嵜 航平に問い掛けた。
「まぁ、事情が事情だから、受けなくても仕方ないとは思っていたけどな」
 航平は苦笑しながら答える。
「受けたからには、仕事はキッチリやるさ。家を飛び出した身とはいえ、俺も緋河の名を持つ人間だ」
「ああ、当てにさせて貰う」
 天夜の言葉に航平はニヤリと笑いながら頷くと、アクセルを強く踏み、車の速度を上げ始めた。


 正直な話をすれば、天夜とて能力者とそうでない者の溝を快く思っているわけではない。
 自分自身の過去以外にも、狩り手の一族としてその溝によって歪んだ者たちを何度も見てきた。
 その溝を埋める事が出来るのなら、そうなって欲しいと思う事もある。
 だが———それが、たった1人の人間の心を踏み躙らなければ出来ないというのなら、そんなものを緋河 天夜は認める事が出来ない。
 何故なら12年前のあの夏の日、彼は自らの右腕と、失った大切なものに誓ったから。
 “緋河 天夜”と言う人間が当然のようにしなければならない事、償わなければならない事をすると。
 自らが後悔しないように生きると。
 ———つまるところ、彼が今回の依頼を引き受けたのは、
「……たった1人の人間を犠牲にしなければならないやり方なんて、気に入らない」
 そんな、単純な——しかし、彼にとっては命を賭けるに値する理由であった。


 そして、夜。
 天夜と航平は秋風市に隣接する都市のとある一角に車を停めて、その時が来るのを待っていた。
 要介はこの地に集まった様々な組織と接触するために既に車から降りている。
「……!」
「天夜、空木さんから連絡だ。どうやら、事が起こったみたいだぞ」
「ああ、分かる。魔力の感知は俺は不得意なんだが……これだけのものを出されたらな」
「それじゃ、行くか」
「…航平さん、あんたは一応ただの人間だ。後は俺に任せて、あんたはここで——」
「冗談。お前1人で行かせて何かあったりした日には、誰かに祟られそうだ。そんなのはゴメンだな。それに———ただの人間にも、意地がある」
「…そう言うと思った」
「飛ばすぞ。しっかり捕まっていろよ!」


 古来から、夜という時間は人間にとっては危険な時間であった。
 たとえば、吸血鬼、狼男などと言った人外のモノたちは夜の世界こそ主な活動時間である。
 他にも魔法や魔術等もその力を発揮するのは夜だと信じられていた。
 実際の話ならば、中世ヨーロッパでは夜は家の中に篭っているのが当然とされている。
 これは夜に外に出ると、夜盗の餌食になってしまうからである。
 それとは異なるが、日本では昔から「夜に爪を切る」事はタブーとされていた。
 そのタブーを犯すと、「親の死に目に会えない」「早死にする」と言われている。
 これは昔は現代のように夜に使える照明は少なく、深爪しやすくなって危険だからである。
 しかし、現代では人間は夜でもずっと使える照明を手にし、夜出歩く事も特別な事ではなくなった。
 本来、昼の世界を自らのものとしていた人間は、今では夜すら支配している。

 だが、その日は——まさしく夜という危険を体現するモノが姿を現していた。

 思わず見惚れてしまうような月夜の下、その魔獣たちは何事もないように地面を歩いている人々を見ていた。
 彼らにとっては、人間など取るに足らない獲物。
 それぞれ形が違う獣たちは、同じ目的の為に人々に襲い掛かろうとしていた。
 彼らが立っているのはビルの屋上。獲物を喰らうのは一息で済む。
 しかし、いよいよ飛び掛ろうとしたその時、

「———ッ!?」

 その内の1匹が、唐突に蒼い炎に包まれて燃え出す。
 異変に気付いた魔獣たちが背後を振り向く。
 そこにいたのは包帯の解かれた右手に蒼い炎を纏わせた少年。
 ——それはさながら、地獄の門を守る番犬。
 背負うのは逃れる事の出来ぬ殺戮の気配、殺意と言う名の絶対的感情。
 理性のない魔獣たちすら恐怖を覚えさせる、死と言う名の確定事項。
「俺の専門はあくまで“人間”なんだが、まぁいい。教えてやるよ———狩られるのは、お前たちの方だ」
 緋河 天夜はそう宣言すると、獲物を狩るべく向かっていく。
 —————天は夜に満ちていた。


「…緋河家の次期当主は、歴代の方々の中でも群を抜いているとは聞いていましたが……本当だったようですね、緋河 天夜」
 あれから数分としない内に塵となった魔獣の成れの果てを見ながら、何時の間にか天夜の後ろに立っていた和服姿の女性は感嘆した様子でそう呟いた。
「別に、好きで群を抜いたわけじゃない。爺さんたちが勝手にわめいてるだけさ。大体、この手の連中は“俺たち”よりも“あんたたち”の方が専門だろう」
 くだらないと言わんばかりの様子で肩をすくめる。
「航平さんからあんたが指揮を執るって聞いたけど、これからどうする?はっきり言ってキリないぜ、こいつは」
 隣のビルの屋上から自分たちを見下ろしている新たに現れた魔獣の群れを見上げて、天夜は女性にそう尋ねる。
 ちなみに航平はこの地に送られた他の日本政府治安維持部の者たちと共に既に別の場所で魔獣と交戦している。
「既に増援を要請しています。間もなく到着する手筈ですから、あなたは現状のままでお願いします。…その方がよろしいのでしょう?」
「ああ、助かる。だが、『蛇』は———」
「『蛇』は既に彼と因縁がある方々が戦っています。ですから、あなたはこちらに専念を」
「…OK。それじゃ、第2ラウンドと行くか」
 魔獣の群れが隣のビルから飛び降りてくる。先程の敗退を省みてか、遥かに数が多い。
「やれやれ、今度は数で勝負と来たか……だが——」
 何匹もの魔獣が同時に女性を守るように立ち塞がっている——本人たちにそういう意識があるかは疑問だが——天夜に飛び掛る。
 しかし、
「一対多は、俺の得意とするところだ———!」
 次の瞬間、天夜の右手から放たれた巨大な蒼い炎で薙ぎ払われ、ことごとく焼き尽くされる。
 その様子に他の魔獣が一瞬怯む。
 無論、その隙を見逃す天夜ではない。
「焔の中で、狂い死ね———!!」
 突き出した右腕から渾身の炎を放ち、魔獣の群れをまとめて消滅させる。
「…あまり派手にやり過ぎないようにしてくださいね?」
「善処はする。結果は知らないけどな」
 その場から立ち去ろうとする女性に獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべ、天夜はそう答えた。


 それから何体の魔獣を狩ったか、数えるのも馬鹿らしくなってきた頃。
「ん……?」
 それまで戦っていた魔獣たちが唐突に、天夜など眼中にないかのように退き始める。
 背を向けて逃げる魔獣たちを容赦なく焼き払いながら、天夜は『蛇』のものと思われる魔力が急に放出され、それが巨大なモノになっているのを肌に感じた。
「ハ———とうとうそんなものを出さなきゃいけないほど追い詰められたか」
 大人しくやられればいいのに、往生際の悪い。
 そんな事を考える。
 しかし、天夜は半ば確信していた。『蛇』にもう逃げ道はないと。
 『蛇』と戦っている者たちの状況は天夜にはわからなかったが、彼をそこまで追い詰めた者たちならば、絶対に負けることなどないと。
「自分だけが“絶対”だなんて考えるから、思わぬところで足をつまづいてしまうのさ。…今宵が最後の夜だ。思う存分未練を残し———この世界に、別れを告げるがいい…ザッハーク」
 その本人のあずかり知らぬ所で、そんな呪詛を天夜は言い放った。

 …そして、決着の光が夜の闇を裂き、天へと昇った。


 ……それから十数時間後。
 某県のとある空港———
「悪いな、航平さん。空港まで送ってもらって」
 空港の前に停められた車の中で、天夜は運転している航平にそう礼を言う。
「別に構わんさ。親父さんとは会いたくなかったんだろう?」
「まぁ…ね。流石に逃げるとしても親父とうちの分家の当主全員だと分が悪すぎるしな。そこまでやるのかは知らないけど」
「俺がとやかく言う問題じゃないと思うが、親孝行はしといた方がいいぞ。ああいうのは、こっちの都合を考えずにいなくなるものだからな」
「ん……そう言う事はその内考えとく。今はまだ…な」
「そうだな。好き勝手出来るのも若い内とは良く言うし」
「あんたもまだ若いだろ」
「この年頃になるとお前くらいの年齢でも若く見えるもんだぜ?」
「…なるほど」
 よくわからないが、とりあえず納得する。
「しかし、『蛇』の後始末は一体どうするんだ?」
「さてね。それは今頃空木さんやお前の親父さんが話し合ってると思うが、まぁ裏で処分するか、絶対に脱出出来ない所に入れてしまうか、だな」
「厄介なもんだな」
「そうだな…ところで、お前は今回の件、どう思う?」
「え?」
「結果的に、一般人と能力者の溝を埋めれなかったわけだが、やっぱり後悔してるのか?」
「冗談」
 航平の問いに、天夜は馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに即答する。
「あんなやり方でしか分かり合えないのなら、それこそ溝を埋める事自体が不可能だよ」
「ふん、まぁ違いないな」
「この“世界”は、確かに厳しい所かもしれないが、まだ“俺たち”を受け入れてくれている。受け入れる意味合いは、色々だけどな」
「……もし、“世界”そのものが“お前たち”の排除に回ったら、お前はどうする?」
「決まってる」
 ニヤリと笑い、天夜は答える。
「俺は、俺が生きたいように生きる。それが許されないのなら……相手が“世界”だろうと、戦うだけだ」
 ……そうでなければ、この右腕に込められた彼女への誓いが、無意味なものになってしまう。
 言葉には出さず、天夜はそう思う。
「…お前らしいよ」
 天夜の内心を知ってか知らずか、その言葉に呆れたように航平は笑みを浮かべる。
「それじゃ、俺は行くよ。絵菜瑠さんによろしく」
「ああ、気を付けてな」


 こうして、緋河 天夜の秋風市での戦いは一応の終わりを迎えた。
 これからしばらくして、再び彼は秋風市を訪れ、さらに数年後にはこの地で起こる新たな戦いに巻き込まれる事になるのだが、それはまた別の話である。