Foreigners night × Forbidden heresy

北海道旅行記 エピソード00
 世界にはきっといくつもの可能性がある。
 彼らにとって何事も起きない世界もあれば、全てを失う世界もある。
 これは、無現に広がる可能性の一つ。
 誰も失われずに、彼らがその夏を迎えた世界の物語。
 百の世界があれば百回死ぬ男も生き延び、無限に繰り返される地獄が終焉した世界の物語。

 恐るべきものは去り、平穏を手にすることが出来た世界の————物語。





 二〇〇七年、夏。
 比較的涼しげな地域にある秋風市ですら、熱中症患者が大量発生していた。
 ようこそ異常気象、と言わんばかりの猛暑。

 そんな中、榊原家のメンバーを中心とする一行は秋風市から電車で移動し————空港へとやって来ていた。
 遥に美緒、亨。そして同行するのは涼子、藤田、雅、沙耶、詩巳。
 ここ数年行っている夏の旅行に比べると、今回のメンバーは少なめだった。
 大学も卒業間近になって、就職活動に勤しむ者が増えてきているのである。

「でも助かったわー」

 襟元を開けながら涼子がげんなりした様子で呟く。

「ここ最近の暑さったら本当、異常よ。ここらでこんなのなんだから、関東や関西なんかどうなるのかしら」
「うーん。凄いことになってそう……かな? 由梨ちゃんも死にそうだってメールで言ってたよ」

 姉妹は揃って空港のロビーに座っている。
 搭乗手続きは必要ない。
 なぜなら————。

「皆さん、おはようございます」

 と、穏やかな声が横からかけられた。
 涼子は声の主を見つけると片手を上げて、

「やっほー志乃。ありがとね、今回も誘ってもらっちゃって」
「いえ。皆さんと旅行するのは私にとっても楽しみ……すら通り越して、習慣になりつつありますから」

 少しくだけた様子で語るのは、笹川志乃。
 日本でも五指に入り、世界規模でも有数の財力を有する笹川財閥の孫娘である。
 かつて倉凪梢という男を巡って遥と色々あったが、今は新たな恋を成就させて幸せにやっている。

「皆さんお揃いのようですね」
「そっちは? あの二人の姿が見えないけど」
「五樹と睦美は……その、ちょっと」

 困った風に笑う志乃。
 どうやら五樹が寝ている隙に、睦美が彼の顔に落書きをしたらしい。
 志乃に指摘されて気づいた彼は激怒し、睦美を追い掛け回しているのだとか。

「いくつになっても変わらない弟妹で困っちゃいます」
「あはは。でも志乃ちゃん、見えないところで結構二人も成長してるかもしれないよ?」
「そうだといいんですけど」

 そこで志乃の後ろから、一人の執事が現れた。
 笹川家内における志乃たちの専属執事、小摩木源五郎だった。

「皆様、フライトの準備が整いました」

 それまで談笑を続けていたメンバーが一斉に小摩木を見る。
 それに合わせるように、志乃が手を叩いて笑顔を向ける。

「それでは皆さん、参りましょう。————北海道、札幌へ」





 志乃専用飛行機。
 そんなものを持っている辺り、笹川家は金持ちだなぁ……と思う。
 遥が世話になっていた榊原家も裕福ではあるが、笹川家は桁が違う。
 もっとも、榊原家は梢の方針によりあまり金を使わなかったというのもあるのだが。

「何度見てもすげぇなぁ」

 きょろきょろと周囲を見ながら詩巳が感心していた。
 汚れ一つ見つからない機内は確かに清潔感が漂っている。
 かと言って、新品の製品のような『清潔すぎる』といった感じも全くしない。

「執事たる者、この程度の清掃スキルは持ち合わせておらねば話になりませんからな」

 少し得意げに語る小摩木源五郎。
 彼には老いてますます壮んという言葉がよく似合う。
 相変わらず亨を自慢の拳で退治し続ける日々で、技のキレは日に日に増しているとか(亨談)。
 この飛行機の操縦を一人でこなすことも出来、普通の人間としては榊原幻に並ぶ化け物と言えよう。

「そうだ、皆どこを回るつもりなの?」

 涼子が周囲に問いかける。
 予定をあまり考えていなかったので、誰も声をあげる者はいなかった。

「結構色々回れそうだよねぇ」
「当方では車からヘリ、お望みとあらば潜水艦までご用意出来ますぞ」
「バス時刻とか気にしなくてもいいのは大きなメリットだね」

 雅は視線で隣に座る藤田に『どうする?』と尋ねた。
 藤田は腕を組んで黙考し、

「とりあえず札幌ラーメン共和国だ」
「沙耶はどうすんだい?」

 いきなりラーメンを選択した藤田を何気にスルーしつつ、沙耶に尋ねる。

「私はねー、ビール工場っ! これはもう外せないねっ」
「あんた、かなりの酒豪だからねぇ。……あんまりハメ外さないでよ?」
「分かってるって。にっしっし」

 少しも安心出来ない笑みだった。

「遥と涼子はどうすんだい? 姉妹で何か見て回る?」
「今日はそうする。駅付近、歩いていけるところを適当にぶらぶらしよっかな」
「明日は姉さんと私、別行動になると思いますけどね。零次さん来るし」

 ちなみに久坂零次は二日目からの合流となる。
 彼は今、様々な問題を解決する『請負人』として働いている。
 名声はまだないが実力は充分以上にあるため、有名になるのも時間の問題だろう。
 現在は『制裁の剣天使』などと呼ばれているらしい。
 今頃はヨーロッパで発生した吸血鬼事件の事後処理をしているはずだ。

「それと天夜君のお家にも行こうかな、って思ってるんだ」

 遥は懐かしそうに笑った。
 緋河天夜。
 この場にいる者たちは一通り面識のある少年。
 彼は確か、現在札幌在住のはずだった。

「あ、遥姉ちゃん! 俺も行く行く!」
「うん。詩巳ちゃんは天夜君のお友達だったもんね」
「おうっ。確かあいつ、今はバンド組んでるって言ってたしな。ちょっと聞いてやろうかと思ってな!」

 相変わらず詩巳は口調が荒っぽい。
 再会したとき、また以前のように口論になるんじゃないかな、と遥は心の中で苦笑した。
 今年で詩巳は十九歳なのだが、外見は相変わらず小学生————よくても中学生に見えた。

 と、そこで涼子が二人を見て、

「……ところで二人とも。緋河君に連絡はちゃんと入れておいた?」
「——————え?」

 遥はきょとんとした顔で、硬直した。
 それは、どこからどう見てもすっかり忘れていた人間の顔だった。