Foreigners night × Forbidden heresy

北海道旅行記 エピソード7
 夏とは言え、北海道の朝はどことなく涼しく感じられた。
 地元に住んでいる人々はそう感じないかもしれないが。

 札幌駅の駅前広場は、まだ朝も早く人の姿もあまりない。
 遥は手近なところに腰を下ろし、朝の爽やかな空気を満喫していた。

 ……今頃梢君どうしてるかなぁ。

 自分が半ば無理矢理の形で推し進めた結果なのだが、やはり梢が側にいないのは寂しいものがある。
 特に昨日、散々仲の良いカップルの姿を見せ付けられてしまったのだから。
 今日からは零次も加わるので、さらに見せ付けられることになりそうだ。

 と、正面からゆっくりと歩いてくる人影を見つけた。

「あ、おはよう楓ちゃん」
「……」
「む。駄目だよ、朝はちゃんとおはようって言わなきゃ」

 訝しげな表情の楓に対し、遥はあくまで自然体だった。

「……なぜ私を呼び出した?」

 昨夜、突然呼び出されたことについて疑念があるのだろう。
 楓の顔には、警戒心がはっきりと表れていた。

「言わなかったっけ? 話したいって」
「話とはなんだ? わざわざ二人でなければならないものか?」
「ん……そうだね。皆楽しい旅行しに来てるから、あんまりこういう話は出来ないよ」

 遥はそっと立ち上がり、楓の横を通り抜けて行った。
 ここで座ったまま話すつもりはない。
 どうせなら北大の方を散歩でもしながら話そうと、遥は思っていた。
 その後に続きながら、楓は鋭い視線を遥に向ける。

「それで、何の話なんだ?」
「ちょっと気になったんだ。楓ちゃんのこと、昨日会ってからずっとね」

 雲ひとつない爽やかな夏の朝。
 静かな町の何気ない道で、遥は笑みを消して告げる。

「楓ちゃんはさ——————私ととてもよく似てるからね」

 一瞬。

 ほんの一瞬だが。

 感情のなくなったような遥の表情を、楓は恐いと思った。

 それは未知なるものへの恐怖でもなければ、醜悪なものに対する恐怖とも違う。
 まるで自分自身の胸の内が、そのまま形となって現れたような——そんな恐さがあった。

「楓ちゃんは今、過去を取り戻して日常へと踏み出そうとしている。それは良いことだと思う。少なくとも、楓ちゃんはそれを望んでるんだからね。……でもそれは、言い換えればひどく不安定になる時期でもあるから。ちょっと心配になったんだ」
「な、なぜそんなことを知っている!?」
「それが私の力なんだよ。楓ちゃんが氷を使えるように、天夜君が炎を使えるように」

 くるりと身を翻し、遥は言った。

「私の力は"リンク・トゥ・ハート"。人と人を繋げ、形なきものを共有する。……それが私の力」

 言われて、楓ははっとしたように右手を見た。
 昨日遥と握手したときに感じた妙な共有感。
 不思議と他人ではないような気がしたのも、遥の力が働いたからだと気づいたのだろう。

「信じてもらえないかもしれないけど、楓ちゃんの心を読むつもりはなかった。でも今の楓ちゃんにとってとても重要な意味を持っていて、なおかつ私も似たような境遇だったからね……共有の力が自動的に発動しちゃったみたい」
「私と同じ……では、貴方は」

 おっとりしてそうな遥と、どこかナイフのような鋭さを感じさせる楓。
 二人の間に共通点など、一見どこにもなさそうに見える。
 だが、二人の少女が歩んできた道は————形は違えど、日常からかけ離れていたという点では同じだった。





「何もない日々。一方的に与えられるだけの日々。望みが叶えられることはなく、そもそも望みという概念すらなかった日々。……楓ちゃんも、そんな風に生きてきたんじゃないかなぁ」
「……」
「でも今は違う。天夜君と偶然再会して、そして……ようやく日常に触れることが出来た。自分を取り戻すことが出来たんだよね」

 けど、と遥は続ける。

「これからが大変だよ。非日常から日常へ移るのは簡単なことじゃないし、自分を取り戻したのなら尚更。過去の自分、非日常にいた頃の自分を今の自分が否定するなんてこともあるだろうしね」
「それは……」

 昨日天夜に言ったことを思い出す。

 ……私の手は血で汚れてるから。

 まだ組織に属していた頃は、そこまで不安になることはなかった。
 過去の自分の所業、それが気になってきたのは……やはり天夜を通じて、日常へと触れたからだろう。
 遥の言葉は、今の楓にとって重いものだった。

「今の楓ちゃんは、例えるなら静寂の泉に一匹の魚が棲み付いた様なもの。それまでになかった波が生じて、泉は次第に変わっていく。……そんな感じかな」
「知った風なことを言うんだな、貴方は」
「だって私もそうだったしね。何度も泣いたよ、なんで皆と違うんだろう、何が良くて何が悪いんだろうって」
「……あまり、そんな風には見えない」
「あんまり弱い部分は人に見せたくないからね。駄目なとこは隠せなくても、弱いとこは隠すようにしてた。ただでさえ、私は助けられた側ってことで引け目あったから。これ以上心配かけちゃいけないんだって思って、ずっと一人で色々抱え込んでたよ」

 そんなことない? と遥が首を傾げて楓に尋ねた。
 それに対し、楓は答えられない。
 そこまで明確に意識したことはなくとも、なぜか否定するのが憚られた。

「でも私はどうにかなった。誰にその悩みを打ち明けた訳でもないけどね」
「では、一人で乗り越えたと?」
「そんな風に考えるほど傲慢じゃないつもりだよ。……悩みなんていちいち言わなくても、私の周りにはいつも皆がいたから。そのおかげだよ、私が乗り越えられたのは」

 月花楓に緋河天夜や暝嵜航平がいるように。

 ……きっと、この人にもいるんだろう。そういう人々が。

 昨日出会った人々を思い出す。
 まだほとんど話してない人もいたが、皆気さくな人たちだった。
 それでいて相手の内面に土足で踏み込むような真似もしない。
 野球のときも、ルールをよく知らなかった楓に対し、丁寧に教えてくれたりした。

 遥は穏やかな笑みを浮かべている。
 その笑みの内には、おそらく様々な人と積み重ねてきた時間があるに違いない。

「……いいものだな、そういうのは」
「そうだね。昔の私や今の楓ちゃんみたいな状況だと、一人でいることがとても恐くなる。そんなとき、支えてくれる誰かがいるのはとても幸せなことだよ」

 仮に、天夜や航平がいなくなったら。
 今の自分は、果たして一人で立つことが出来るだろうか。

 ……こんなことを悩むぐらいでは駄目かな。私は少し、弱くなったのかもしれない。

「でもそんな風に弱くなった自分を越えていけば、きっと良い未来があるよ」
「それは経験者としての言葉か?」
「まだまだ現在進行中。これからもっと幸せになりたいと思ってるよ」

 贅沢な人だと思った。
 そして、羨ましいとも思った。

「ま、そんな訳で。似たような者としては、楓ちゃんみたいな子はなんだか放っておけないのでした」
「だからわざわざ私と二人で話したい、などと言ったのか。……物好きだな」
「過ぎたお節介って言われることもあるけどね。実は昨日ずっと考えて、悩みながらようやく夜に声かけたんだ」

 そう言って、遥はポケットから一枚のメモを差し出した。
 そこには携帯の番号とメールアドレスが書かれている。

「これは?」
「困ったときの相談室、かな? 支えてくれる人っていうのは多いに越したことはないから。もし機会があればいつでも言ってね。先輩として何か出来るかもしれないから」

 頼りないかもしれないけど、と遥は苦笑した。
 そんな彼女に対し、楓は微かな笑みを口元に浮かべながら、

「——————貰っておいても損はないと判断する。これはありがたく頂いておこう」

 朝の空気が澄んでいるからか。
 二人の表情も、心なしか透き通ったものとなっていた。





 同時刻。
 新千歳空港に、一人の男がやって来た。
 全身を真っ黒な衣装に包んで、アタッシュケースを手にしている。
 目深にかぶった帽子にサングラスと、怪しさ満点のスタイルだった。

 さすがに上着や帽子は暑かったのでさっさと外す。
 飛行機を降りて通路を真っ直ぐに進んだ男は、一人の女性を見つけて足を止めた。

「……まさか出迎えがあるとは思っていなかったな、頬月女史」
「お疲れ様、制裁の剣天使。それとも黒き制裁の方がいいかしら?」
「名前で頼む。知人にまでそのような呼ばれ方をされてはたまらん。貴女とてそうだろう?」
「確かにね」

 頬月蘭は、少し意地悪そうな笑みを浮かべた。
 どうやら、からかいの意味を含めてわざと言ったらしい。

「それでどうだったの、向こうは」
「問題になったのは二流の吸血鬼だ。まぁ二流の吸血鬼など、既に充分以上の化け物なのだがな」
「でも貴方にかかれば問題なく倒せた、と。悪いわね、さすがにああいうのは私たちじゃ相手に出来ないから」
「構わん。適性というものがある。ああした事件は俺が最適だったと言うだけのことだ」

 通路を歩きながら、男は微かに笑った。

「懐かしい顔も見れたしな。まさか刃があんなところにいるとは思わなかった。……暝嵜は分かっていて俺を差し向けたようだな」
「さぁ? 私は特に何も聞いてないわよ?」
「それならそれで構わん。……さて、まずは斡旋者の暝嵜のところにでも顔を出そう」
「あれ、彼女のとこには顔出さないの?」
「事後処理を含めての仕事だ。暝嵜に報告もしないのは、職務怠慢と同じことだぞ」

 だが、と男————久坂零次は続けた。

「仕事が終われば存分に遊ぶ。————くく、これで実はかなり楽しみにしているのだ」