荒波の将軍

-足利尊氏-
赤坂城
 ここで少し視点を高氏から外したい。
 笠置山で帝が挙兵した際、高氏は一応軍を率いて出向いてはいるが、目立った行動はしていない。それに、ここで登場してくる人物は、南北朝時代において高氏や後醍醐天皇たちと並ぶ知名度を誇っており、それだけ話に絡んでくることになる。
 なので、ここでその人物について触れておきたい。
 その名は 楠木正成(くすのきまさしげ) という。

 楠木正成は河内の悪党である。
 江戸時代、水戸史学が興ってからは天皇の忠臣として知られるようになり、まさに南北朝時代の大英雄といった扱いを受けた。
 後世での人気もさることながら、生前からも正成は相当の評価を受けていたようである。古典太平記での存在感は非常に強く、正成と敵対した足利氏寄りの史料『梅松論』でも悪いようには書かれていない。出自意識がまだ色濃く残っていた時代で、正成は一際異彩を放つ実力者であるように思える。
 現在は悪党としての見方も強まり、単純な忠臣像は崩れつつあるが、正成の人気は相変わらずのようである。
 そんな正成が、ここでようやく歴史の表舞台に飛び出してくる。
 時期としては、尊氏と近い。
 南北朝の動乱が、ここから本格的に始まったとも言えそうである。

 正成がどのような経緯で後醍醐天皇と接触したかは分からない。
 ただ、後醍醐が笠置山で挙兵したとき正成も応じて挙兵していることから、これ以前には連絡を取り合っていた可能性が高い。
 楠木正成という名は、まだこのときはさほど知られていなかった。京に近い河内の国で悪党として活動をしており、それが朝廷の耳に入り、そこから何らかの手段で接触したのだろう。
 ただし、正成は後醍醐とは別の場所で挙兵した。挙兵の地は生国河内にある赤坂である。
 なぜ別の場所で挙兵したのかは考えるまでもない。正成は悪党に過ぎなかったので、兵力という点では鎌倉にとても及ばなかった。後醍醐も兵力の点では同様であり、そうした弱小勢力が一つにまとまったところで一度に潰されるだけである。
 正成が狙ったのは、鎌倉の威信を落とすことだった。今の鎌倉は北条が武力で他を従えているようなものであり、内心不満を持つ武士たちは少なくない。属していても自分たちの利になることがないからである。そこに揺さぶりをかければ、自然と自壊するであろう。
 そのためには鎌倉を破るのが理想だったが、これは兵力の差が歴然であるため無視した。現実的ではない。
 そこで正成は、築城技術を活かして堅固な城を作り上げた。籠城作戦で挑むことにしたのである。

 以下、余談。
 当時の『城』というのは江戸期のものと比べると規模も小さく、館とでも称した方が良さそうなものだった。軍事拠点としての性格はあったが、そこに籠って敵を迎え撃とうと考えたのは、日本史上では楠木正成が最初の人ではないか。
 鎌倉武士たちにそうした思想はほとんどなく、あったとしても非常に薄かったように思える。彼らが得意とするのは城攻めなどではなく野戦での決着だった。
 また、鎌倉武士の有力者だった足利氏が将軍となった室町時代も、城の在り方はさほど変わっていない。城が防衛拠点として本格的なものになっていくのは戦国時代になってからであり、そうしたのは戦国大名と呼ばれる者たちである。戦国大名は各地の土豪が力をつけてなった者が多く、ある意味では悪党の後継者とも言える人々である。

 ともあれ、正成は赤坂城で挙兵した。
 彼が作り上げた赤坂城は山城で、二ヶ所に作られたことから上赤坂城と下赤坂城と呼ばれる。
 山城ということで攻める側にはやりにくかった。さらに地形の問題もあって、鎌倉は大軍であることの利点を失うはめになった。一度に攻城に参加出来る人数が限られてくるからである。
 ただし、この赤坂城はそう長くは持たなかった。少数で大軍に挑むに適した城であっても、さすがに兵力の差をひっくり返すことは出来なかったのである。
 また、正成にとっては良くない事態が起きていた。
 笠置山が落とされ、後醍醐天皇が隠岐に配流されたのである。

 これらの出来事を高氏はどのように受け止めていたのか。
 歴史が本格的に動き出したこの時期、高氏はまだくすぶっていた感がある。
 とは言え、彼の心境を考えれば無理もなかった。父貞氏が、出陣の十五日前に亡くなった。鎌倉に要請されていた出兵の準備を行っていた最中のことである。ろくにその死を悼む暇もなかったであろう。
 父の死後間もないときに出陣を命じられたことで、高氏は鎌倉に強い不満を抱き、それが後の離反に繋がったとも言われている。それも原因の一つだが、それだけではないだろう、というのが定説だろう。
 ただ一つ気になることがある。このとき高氏は、梅松論によると笠置山攻めの一方の大将としての出陣を命じられていた。太平記では二十万もの軍勢を率いて出たとあり、さすがにこれは信用出来ないが、足利氏の規模を考えれば相当の大軍を率いての出陣であったことは間違いない。準備にも相当の時間がかかったであろうから、出陣要請自体は貞氏の死の前に出ていたのではないか。
「出来るなら辞退したかった」
 という思いはあった。出陣要請前もそうであったし、父の死後はよりその思いが強くなった。
 高氏は心のどこかで、北条が自分の代理を見つけてくれるものと思っていた。先代の死は足利氏にとって小さなことではない。しっかりと供養する期間を与えるべきであろう。笠置山などには、別の誰かを向かわせれば良い。
 そうした期待は、しかし叶うものではなかった。
 こうなると高氏の気分は極端に沈む。物事を悪く考えてしまいがちになるのである。
 そもそも、今回の戦は誰のためのものなのか。鎌倉政権を守るという名目は承久の乱と同じだが、その頃と今では『鎌倉』という組織自体が変わってしまっている。
 承久の頃の鎌倉は、北条を中心としてはいたが、武士同士の連合政権だった。しかし今は北条の独裁状態であり、そんなものを足利氏が守ったところで得にはならない。他の者も同様で、要するに損をしたくないから鎌倉に従っているだけなのである。
 しかも軍勢を率いることの負担は自分たちでどうにかしなければならない。それが当時の武士というものであった。それだけに、この戦そのものが高氏にとっては馬鹿らしい。
 ただ、後醍醐が捕えられて隠岐に流されたことは残念に思った。こうなってしまっては、もう後醍醐天皇も動くことは出来ないであろう。
 河内の楠木正成は予想以上に健闘していたが、それは高氏の感情を揺さぶるものではなかった。ただ、興味は持った。その正成も、赤坂の落城と共に行方不明になった。

「あっという間だったな」
 高氏はぼんやりと次郎に言った。既に鎌倉へ戻る道である。
 後醍醐天皇の笠置山での挙兵、楠木正成の赤坂城での挙兵、笠置山の陥落、赤坂城の陥落。
 終わってみれば当たり前の結末だった。軍事力で鎌倉に挑むこと自体、無謀だったと言える。
 出陣前に結城宗広が言っていた通り、高氏は何もしなかった。する必要がなかったからである。それに、する気力もなかった。
「呆けている場合でもありますまい。まだ河内が不穏な気配に包まれております」
「楠木何某か。その者は討ち死にしたと聞いたが」
「それは見せかけで、本当は生きているとの話も聞きました」
「帝は捕えられ、持明院統から新たな帝が出た。無駄な足掻きよ」
 京では新たに光厳天皇が即位していた。鎌倉が後醍醐の代わりに立てた持明院統の人である。さすがに鎌倉も、敵対心むき出しの後醍醐を放置する気にはなれなかったのだろう。自らの意向に応えてくれるであろう天皇が必要だった。
 なお、後醍醐はこのときから一貫して退位を拒否していた。そのため、既にこのとき天皇は二人いたということになる。ここから南北朝が始まったと見ることも出来るのだった。
「楠木がどれほど奮闘しようと、背後に帝がおらぬならただの反乱に過ぎぬであろうよ」
「そうでしょうか。いつもの兄上なら、別のことを仰られると思っていたのですが」
「と言うと?」
「帝、それに楠木。もう一つ、大きな力がありましょう」
「だから、それは何だ」
 妙に気持ちが苛立ち、高氏はつい声を荒げてしまった。
 しかし次郎は落ち着いている。
「少し気分を落ち着けてください、兄上。辛いのは私も同じです」
 その一言で、高氏の中にあった毒素のような熱が出ていった。
 父を失ったのは次郎も同じなのである。自他共に厳しい次郎だから常日頃と同じように振る舞っているが、内心は高氏と同じはずだった。
「すまぬ。わしは今、兄として恥ずべき振る舞いをした」
「そうした素直な心が兄上の美徳であると私は思っています。ただ、兵の前では毅然としてくだされ」
「分かった」
 頷いて、高氏は一つ見逃していたことを思い出した。
「お前が言っているのは、親王のことか」
 後醍醐天皇には子が沢山いるが、高氏が指しているのは 大塔宮(おおとうのみや) のことだった。
  護良親王(もりよししんのう) とも呼ばれるこの皇子は、今回の動乱が始まるまでは天台座主だった。天台座主は仏教の宗派の一つ、天台宗の重要な役職である。俗世とは無縁の世界にいたわけだが、この年、父である後醍醐天皇が笠置山で挙兵すると、還俗してこれに合流した。
 大塔宮は後醍醐が鎌倉に捕らえられたとき同行しておらず、いずこかに潜伏しているという。どのような人物か高氏は知らないが、討幕の気概を持った皇族を放置しておくのは、鎌倉にとって望ましいことではない。
 この時代は血統が重んじられていたから、皇族の敵対者というものは厄介だった。人心を得やすいのである。もっとも、それで実際に兵が集まってくれるわけではないのだが。
「まだ世は荒れましょう。此度は鎌倉が勝ちましたが、それがいつまで続くか、私には分かりませぬ」
「進退を誤るな、ということか」
 確かに、これで終わりとは思えない。
 すぐに来るような気がした。
 それこそ、この国全てを呑みこみかねない大きな波が。