荒波の将軍

-足利尊氏-
丹波篠村
 高氏は京に入る前、近江にある鏡の宿という場所で帝の令旨を披露した。赤松円心から手に入れたという件は伏せた。あの三者会談は今のところ密約にしておいた方が都合がいいからである。
 令旨は細川和氏、上杉重能の両名が手に入れてきたということにした。細川は足利の支流であり、上杉は高氏や次郎の母清子の一族であることから、共に足利の重鎮だった。高氏の決意を最初に聞いたのは、次郎と彼らであろう。彼らに対しては、円心や道誉とのことも告げておいた。
「いよいよでございますか」
 待ちわびた様子で次郎が言った。意志を明らかにしない高氏にいつも振り回されていただけに、この決意を聞いた瞬間、次郎は普段の仏頂面を崩して笑みを浮かべた。
 和氏や重能も同様だった。足利に属する者たちは、北条の支配を打ち破る日を待ち望んでいたのである。
 高氏はまず彼ら三人に告げた後、他の一族の代表者たち、それに重臣たちを集めて決意を表明した。
「帝の令旨は我が手にあり。悪政を敷く北条を、既に天は見放した。我らが御旗を掲げるときは近いぞ」
 高氏の宣言に一同は湧き上がった。
 ……武士どもの勇猛なことよ。
 何かに耐えながら生きるより、生死を賭して敵に挑む方が性に合っているのだろう。高氏も武士であることに変わりはないが、彼らと同じような思いは抱かなかった。背負っているものが違うからだ、と自分では思っている。
 しかし、このときはいつ動くかを明言しなかった。決起というのは、慎重に準備を進め、時機を選んで動かねば成功しない。後先考えずに決起しても成功しないし、慎重になり過ぎて機を逃しては話にならない。
 時機は近い。しかし、その瞬間はまだ先だった。
 北条氏の支配は揺らいでいる。それでも、高氏の決起にはまだ問題点が一つ残っていた。
 名越高家の存在である。
 高氏と同規模の兵力を率いる高家は、北条が用意した高氏の目付役だった。これと戦えば相応の被害が出る。決起したとしても、出鼻をくじかれる形になってしまうのだ。
 ……さて、どうなるか。
 赤松円心は、高氏の道を切り開くと言った。その言葉をどこまで信用すればいいのか、正直判断しかねるところもある。
 しかし、高氏自身も後戻り出来ないところまで来ている。自棄になって動き出すよりは、円心を信じてみる方が良さそうだった。

 京に入ってから、高氏は名越高家と共に船上山に向かうよう指示を受けた。となれば、京から西に向かうことになる。となれば、鎌倉軍としては、播磨の赤松軍を最初に叩く必要がある。
 高氏と名越高家は共にこれに当たるべきだった。しかし高氏は密約があるため、動くことをためらった。また、名越高家はそんな高氏を相手にせず、自らの軍勢のみで赤松軍に挑んだ。
 名越高家は、さほど高氏の目付役という意識がなかった。敵と戦い首級を上げることを第一とする、典型的な武人だったのだろう。高氏の行動を不審と思わず、まっすぐに敵に向かっていった。
 名越軍にも勝算は十分あった。正規の鎌倉武士と悪党とでは、動員出来る兵力に差がある。赤松軍に逃げられることはあっても、それに負けることはない、と高家が見たとしても無理はない。これまでの悪党との戦いでも、鎌倉軍が完全に敗北したことはないのである。高家の目的は船上山に向かうことだから、赤松軍を無理に倒す必要もなかった。
 しかし、ここで思わぬ事態が生じた。赤松軍との戦いの中で、高家が討ち取られたのである。
 その報告を聞いたとき、高氏は思わず笑みを浮かべてしまった。
 ……赤松坊主め、やりおるわ。
 こんな形であの言葉を実現するとは、さすがに予想外だった。暗殺でもするつもりかと思っていたのである。
 報告を受けたとき、高氏たちは酒盛りをしていた。気を良くした高氏は、その場で舞を披露した。
 名越高家が戦死した今、この地域には足利軍と赤松軍たちぐらいしかいなかった。京にはすぐにでも向かうことが出来る。
 ……今が、機だ。
 耐えに耐えて、ようやく得た機会である。いくら慎重な高氏でも、これを逃すつもりはなかった。
 鎌倉という武家政権に反旗を翻す、ということへの後ろめたさはない。今の鎌倉は北条氏の私的組織の感が強い。そんな形だけの武家政権にしがみつくつもりはなかった。他の多くの武士たちも同じ気持ちであると、高氏は確信している。
「景気づけじゃ、今宵は飲めよ」
 周囲に向かってそう言いながら、高氏は何度も杯を重ねた。

 元弘三年、四月二十九日。
 足利軍は丹波篠村に到着した。この辺りは足利の領地も多い。篠村もその一つで、八幡宮がある。八幡宮は源氏の氏神である八幡大菩薩が祀られた神社である。決起の前に、氏神を詣でておきたかった。
 八幡大菩薩を拝むとき、高氏の脳裏にはある男の存在が浮かび上がっていた。
 鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝である。
 彼は朝廷の支配に不満を抱いていた武士たちをまとめ、鎌倉という組織を作り上げた。それはまさしく武士のための組織だった。頼朝や多くの武士たちがいなければ、高氏も公家に使われるだけの存在だったかもしれない。高氏にとって鎌倉とは、その響きだけでも安心して全てを委ねられそうなものだった。
 それを打ち倒す。
 今の鎌倉は高氏や多くの武士が求めた鎌倉ではない。ゆえに、これを倒すことにためらいはなかった。
 ……頼朝公が今のわしを見たら、何と言うであろうか。
 考えてみたが、よく分からなかった。反対されそうな気もするし、喜んで賛同してくれそうな気もする。高氏にとって、頼朝は、そして彼の作り上げた鎌倉は、遠い過去のものだった。
 武者震いがした。生まれてきてからずっと、何かに頭を押さえつけられているような気がした。それがなくなった。そのことで、今まで感じたことのなかった感情が溢れ出そうになっている。
 八幡宮の前で、高氏は宣言した。
「今や我らを遮る者はない。この機を逃さず、我らは六波羅を攻める!」
 あらかじめ高氏に話を聞かされていた者たちは気合を入れ、知らされていなかった者たちは歓声を上げた。
 源氏の白旗が立てられた。このとき、高氏は完全に鎌倉から離れた。

 反乱というのは怒涛の勢いでやらなければ失敗する。基本的に起こす側が弱者だからだ。不意を突いて相手の体勢を崩さない限り、勝ち目はない。
 かと言って、焦って単独で動いたのでは足元が危うい。今も昔も、勢力というものは多くの支持者がいればいるほど強力になる。
 そこで高氏は、六波羅を目指しつつも、近隣で機を窺っているであろう者たちに決起を促した。足利だけでは鎌倉を倒せないと分かっていたのである。
 呼びかけには「朝廷の軍勢に参集せよ」という形を使った。高氏は単独で動くつもりはなかった。彼がこのときやったのは、独立ではなく、朝廷への寝返りなのである。
 赤松軍と合流した足利軍の元にに、各地から大小の武士たちが馳せ参じてきた。後醍醐天皇たちの呼びかけだけでは不安だった者たちも、足利軍の呼びかけなら、と動き始めたのである。
「波じゃ」
 大きな波がやって来た。それを作っているのは他でもない、高氏自身だった。
「この波に乗れば、六波羅とて恐れるに足らぬわ」
 六波羅探題は『中央の鎌倉』とも言える存在だった。北条一族の者が務めており、抱えている兵力も少なくない。足利軍だけだったのなら、勝機はさほどなかったであろう。
 しかし今の高氏は勢いに乗っていた。合流してきた全兵力を合わせれば、六波羅探題を落とすことも不可能ではない。
 軍議が開かれた。高氏が軍勢の指揮官である。その元に集った者の半ば以上は、先日まで敵対していた者たちだった。
 その中に、涼しげな顔をした坊主がいた。円心である。
「赤松、見事であった」
「いえ、討ち取ったのは某ではなく佐用範家という我が手の者にございます」
「そうか。ではあとでその者を呼んでくれ。礼を言いたい」
「はっ」
 高氏も円心も、先日とは態度が違う。朝廷方にとって高氏は新参者だが、その勢力は非常に大きい。参集した軍勢の指揮官として適任なのは、高氏しかいなかった。円心はその指揮下に入ったのだ。互いに立場が違う。立場が違えば態度も変わる。
 軍勢はまだまだ集結する気配があった。しかし高氏は、それを待たずに進発する。ぐずぐずしていては、六波羅の方も態勢を整えてしまうからだ。それではこちらの勢いが殺されてしまう。
 京近くの河内には、士気が衰えているとは言え大軍がいる。今は楠木正成がこれを引きつけているが、もし正成が敗れれば、その大軍が六波羅に合流するかもしれない。そうなれば高氏に勝ち目はなかった。

 足利軍と六波羅軍の激突は短期間で終わった。
 六波羅が滅びたのが五月七日だというから、高氏が丹波篠村で宣言してから一週間と少ししか経っていない。
 最初は兵力差もあって、六波羅が優勢だった。しかし、高氏たちは士気が違った。勢いに乗っているし、後がないから必死でもある。
 六波羅は北と南に分かれていたが、北方の探題北条仲時、南方の探題北条時益は共に懸命に戦った。それでも足利軍の猛攻には耐えきれず、一旦鎌倉に退くことにした。このとき、鎌倉に擁立されていた光厳天皇や上皇たちも行動を共にしていたという。
 しかし、彼らは鎌倉まで逃げることは出来なかった。多くの者は討ち死にし、ようやく近江まで来れたのが極少数。その少数も、近江の野伏に行く手を阻まれてしまった。この野伏たちは道誉の手の者だった。高氏との密約を果たすため、道誉が動いたのである。
「これまでか」
 北条仲時は事態に絶望し、自刃することを選んだ。このとき仲時に従って自刃した人の数、四三〇名にもなるというのだから凄まじい。
 仲時と行動を共にしていた天皇や上皇は後醍醐方の武士に捕らえられ、京に送り返された。
「怖いものよ」
 こうした一連の出来事を見て、高氏は心底そう思った。今の今まで強大であり続けた鎌倉の崩壊が、目に見える形で始まったのである。