荒波の将軍

-足利尊氏-
白紙
 高氏の元には、いくつもの情報が流れ込んで来ていた。
 まず、鎌倉に残してきた家族や一族の者たちの消息である。妻である登子、嫡男である千寿王はそれぞれ無事だったという。千寿王は新田義貞と行動を共にし、鎌倉陥落に多少なりとも関わったという。他にも足利の一族や友好関係にあった人々も、その多くが鎌倉戦に参加したらしい。
 一方、無事でない者もいた。妾腹の子である竹若丸である。
 竹若丸は夜陰に乗じて鎌倉を脱出したものの、東海道を僧衣姿で抜けようとしたところで北条氏の者に斬られたという。
「そうか。死んだか」
 高氏はこの報告を聞いた後、しばらく政務を投げ出して引きこもってしまった。
 庶子ということもあって竹若丸にはあまり構ってやれなかったが、己の子であることに違いはない。たまに会ったときなどは、惜しげもなく愛情を注いだものだ。
「父上」
 必死になって馬にしがみつく竹若丸の姿を思い返し、高氏は一人涙を流した。

 また、興味深いのは伯耆にいる後醍醐の動向だった。
「関白殿を解任されるそうです」
 朝廷の様子をうかがってきた次郎――改め直義がそう報告した。
「それだけではなく、今の帝が皇位に就かれてからの人事を、全て白紙に戻すおつもりのようです」
「伯耆の帝は、今の帝に関することを全て否定なさるおつもりか」
 今の帝とは、後醍醐の反鎌倉計画が露見した際、その代わりとして皇位に就いた光厳天皇のことである。当然鎌倉の意向によるものだから、鎌倉が滅びた今、後醍醐はその在位に関する何もかもを帳消しにするつもりなのだろう。
「強引なやり方だと思わざるを得ません」
「しかし、そうしなければならぬのだろう。あの御方の目指すところは、天皇親政なのだ」
 仮に光厳天皇の在位を認めてしまえば、後醍醐は復権したところで上皇という扱いになってしまう。彼は、天皇こそが政務の頂点に立つべきであり、背後に上皇や関白といった実質的頂点がいることは認めない、とする考え方の持ち主だった。そのことは、大覚寺統の中継ぎとして皇位就任をしたにも関わらず、院政を廃止して天皇親政を推し進めたという後醍醐の経歴からも明らかである。
 後醍醐自身が天皇親政の世を作るには、天皇として朝廷に復帰しなければならない。上皇として実質的頂点に立つことも出来るが、それは後醍醐の政治的信念に反するものだった。かと言って、今の朝廷に後醍醐の理想を理解し、それを忠実に果たしてくれる後継者はいそうにもない。そう思ったからこそ、後醍醐は自らの手で天皇親政を成し遂げようとしている。
 もっとも、そのために在位そのものを否定される光厳天皇にとっては、たまったものではない。
「これで朝廷はまとまるのでしょうか、兄上」
「しばらくはまとまるであろう。伯耆の帝は鎌倉討伐の総大将。その実績に逆らう者など、そうはいまい」
 高氏としては、光厳に対する同情のような感情はあったが、後醍醐のやり方への反発心はなかった。皇統が一つにまとまるのであれば、その方が良いとも思っている。
「それより問題は大塔宮様だ。あれは、どうにかならんのか」
 高氏が溜息をつくと、直義も苦い顔つきになる。
「昨日の敵は今日の友、というわけにはいかないのでしょう。帝が帰京されるまで待つしかありますまい」
 大塔宮は、後醍醐の皇子の中でも鎌倉との戦いで特に活躍した。各地に檄を飛ばして反鎌倉の気運を高めつつ、ときには楠木正成らと連携し、ときには赤松円心らと謀り合って、鎌倉討伐に貢献した。新田義貞の活動も、大塔宮の後押しあってこそだったと噂されているくらいである。
 その大塔宮だが、現在は奈良の北西にある信貴山に立てこもっている。立てこもっていると言うと物騒な響きだが、そうとしか言いようがないのである。
 原因は、高氏の行動にあった。
 高氏は六波羅探題を滅ぼすために、関東や九州など、幅広い地域の武士たちに反鎌倉の挙兵をするよう呼びかけた。この点は大塔宮とも似ているが、高氏の呼びかけは相当の効果があったという点が異なる。二人の能力差ではない。立場や状況、時勢が、呼びかけに対する武士たちの反応の違いになった。
 そうして集まった武士たちと共に六波羅探題を滅ぼすと、高氏は探題の下にいた武士たちに帰参を呼びかけ、これを吸収した。さらに、楠木正成が籠る千早城を包囲していた鎌倉の大軍にも、六波羅陥落を伝えて、帰参させてしまったのである。
 大塔宮からすれば、昨日まで戦っていた敵がそのまま高氏の配下についた形になる。さらに、そうした武士たちの論功行賞を高氏が勝手に行っているとなれば、北条が足利になっただけではないか、と思っても無理はない。
 もっとも、高氏にも言い分はある。六波羅探題の下にいた者たちにしろ、千早城包囲に参加していた者たちにしろ、放置しておくことは到底出来ない。彼らを無力化させるには、代表を立ててその下でまとめさせるしかないのである。そして、北条亡き今、武士の代表たりえるのは高氏くらいのものだった。
 仮に高氏がこうした措置を取らなかったら、千早城を包囲していた者たちを相手にもう一戦しなければならなかっただろう。六波羅探題の下にいた者たちに関しても、これを放置したり片っ端から斬ってしまえば、彼らの親族が黙ってはいない。
 元弘以来続いている騒乱の早期解決には、高氏の行った方法は有効だった。
「一応、信貴山に使者を送れ。武士たちの沙汰に関しては、臨時の措置と心得てもらいたい。帝が帰京された場合、改めて朝廷に沙汰をお願い致す所存であると」
「大塔宮様が聞き入れるとは思いませぬな」
「それでも出しておけ。しないよりはした方がいい。後で言い訳も出来る」
「分かりました」
 直義が下がった後、高氏は警護の者を連れて市中に繰り出すことにした。
 最近は屋敷に詰めてばかりいたから、少し外の空気を吸いたかった。それに、市中の様子を直接目にしたいという思いもある。

「以前とは比べ物になりませぬなあ」
 そうぼやいたのは師直だった。高氏の少し後を、馬に乗ってついてくる。
「先年訪れた際は、もっとこう、雅やかな雰囲気もありましたが」
「うむ。酷いものよ」
 これまで鎌倉と朝廷で二分されていた権力が、再び朝廷の手でまとまるのである。当然政治の中心は朝廷のある京になる。そのため、様々な人間が一気にこの都へと流れ込んできた。一番多いのは、旧鎌倉系の武士で、高氏が集めた者たちである。
 それだけの人間が流れ込んでくれば、混乱が生じるのは当然のことだった。
「殿がやったようなものではありませぬか。公卿どもだけでなく、貧乏町人まで家を追い出されていると聞きますぞ」
「政情が落ち着けば家主に返すであろう。あくまで借りているだけなのだからな」
「落ち着くには何年かかることか。それまで、追い出された家主たちはどこで暮らすのでしょうかな」
 皮肉まじりの師直の言葉に辟易して、高氏は少し馬を急がせた。
 分かってはいるが、放置しておけばもっと酷いことになっていただろう。高氏の集めた武士が一番迷惑をかけているのは事実だが、どのみちここに人が流れ込んでくるのは避けようがなかった。
「わしがいなければどうなっていたか、もっと考えよ太郎。そう責められてばかりでは嫌になるぞ」
「人の上に立つということは、人に責められるということでもある、ということではないですかな」
「ああ言えばこう言う奴め。まるで次郎になったようだぞ」
「某が御舎弟のようになったのではありませぬよ。殿の立場が変わられたのです」
「分かっている」
 わずらわしそうに高氏は頭を振った。
 しばらく進んだ先では、武士と思われる集団の対立が起きているようだった。敵意をむき出しにした男たちが言い争いをしている。鎧を着けている者もいれば、半脱ぎになった者もいる。
「あれは、どうしたのだ」
 高氏は道端でぼんやりとしている男に尋ねた。
「なんでも、先の戦いのことで揉めているようで。功を横取りされたとか、そうでないとか」
 こうした争いが頻発していることは直義から聞かされていたが、実際目にするのは初めてだった。男にも確認してみたが、こういうことは何度も目にしているらしい。
「太郎」
「はっ」
 師直は高氏の意を察したのか、言い争っている武士たちの間に入っていく。
「我は足利の執事、高太郎である。この言い争いは何事であるか」
 しかし、武士たちは足利の名を聞いても引っ込まなかった。
「足利? それがなんだ」
「お前などに用はない、引っ込んでいろ!」
 そう言われては、師直とて引き下がるわけにはいかない。ここで大人しく身を引けば、彼だけでなく足利の面目に関わる。
「貴様らこそ足利を知らんのか。今、京の武士たちを束ねているのは我が主、足利の当主前治部大輔であるぞ」
 師直は声が大きく、体格も良い。凄まれた武士たちは、ようやく相手が何者であるかの自覚が出来たらしい。
「話があるなら後々足利の陣まで参れ。そこでなら相手をしてやる」
 相手が気圧されたと見るや、師直はすかさず踵を返した。騒ぎ立てていた武士たちも、静かに退散していく。
「足利の名は、北条ほどには恐れられていないようだ」
 やり取りを見ていた高氏は苦笑した。
「当然でござろう。足利は朝廷方の一員として戦っただけ。武士の棟梁とは、まだまだ言えませぬ」
「しかし、それに一番近いのは我らだな」
「左様。ゆえに、これからが難しゅうございますぞ」
 師直の言葉に、高氏はため息を返した。先のことを考えると、気が重くなるばかりである。

 それから間もなく、高氏の元に吉報がもたらされた。
 細川の三兄弟が新田義貞と交渉を行い、鎌倉の地を掌握することに成功したというのである。
「そうか。よくやった。後で細川の兄弟には褒美をやらねばならぬな」
 決定打となったのは、千寿王の存在だったらしい。新田義貞が鎌倉を攻め落とすことが出来たのは、千寿王の名に応じて東国の武士が集まったからだ、と細川和氏、頼春、師氏は主張したらしい。
 義貞は当然これに反論したが、両者が交渉している間に、鎌倉攻めに参加した武士たちがこぞって足利の陣営に入ってしまったので、やむなく引き下がることにしたのだという。
 以下余談。
 細川氏は足利の庶流であり、その中では家格も低い方であった。しかしこの和氏、頼春らの代で活躍し、室町期に入ると幕府の重鎮となって大いに発展する。その後、紆余曲折を経ながらも戦国時代には細川幽斎、忠興ら著名人を出して近世大名となった。幕末を経てもその家名は残り、現代に至るまで続いている。
 ともあれ、これで足利は京と鎌倉の双方を掌握したことになる。無論、後醍醐が沙汰を下すまでの一時的なものではあるが、このことで足利氏の力は世に広く知れ渡っただろう。
「これで足利も、武士の棟梁にまた一歩近づいたことになりますな」
 直義は満足そうだった。北条ではなく足利こそが武士の代表であるべきだ、と前々から言っていたのだ。喜ぶのも無理はない。
 しかし、高氏にはまだ安心出来なかった。
「はたして、帝はどこまで武士の力を認めるおつもりなのか」
 天皇親政――つまり、天皇への権力集中こそが後醍醐の政治の信念である。そんな信念を持つ者が、武士の棟梁や幕府といった、鎌倉以来の武士の在り方を認めるであろうか。
 それに、鎌倉を掌握し損ねた新田義貞も、当然こちらに来るであろう。足利に対して義貞がどのような感情を抱いているかは、容易に想像がつく。対立は避けられまい。
 これからが難しい、という師直の言葉が蘇る。
「次郎、今のうちに朝廷へ顔を出しておけ。あちらの雰囲気に慣れることだ」
 今後は朝廷でどのように立ち回るかが重要になる。そう思って高氏は言ったのだが、
「私はしておりますぞ。兄上こそ、向こうの雰囲気に慣れてはいかがですか」
 直義は呆れた様子で言い返してきた。確かに、高氏はまだ朝廷の方にあまり顔を出していない。何か狙いがあるわけではない。単にわずらわしいのである。
「そちらはお前に任せる。わしは少し疲れた、休みたいのだ」
 高氏は、冗談めかしてそう言った。