荒波の将軍

-足利尊氏-
恩賞
 朝廷は、小さい。
 高氏が鎌倉戦の際に呼びかけた全国の武士たちが、日に日に上京してきている。その中には、鎌倉を攻め落とした新田義貞も含まれている。
 当然、挨拶に来た。
「執権(守時)殿は立派な最期であったそうな」
 義貞は高氏よりも、身体つきがたくましい。自身も野作業に励んでいたからだろう。肌も焼けていて、いかにも坂東武者といった趣がある。
 楠木正成も風貌は似ているが、義貞は終始表情が硬かった。
「悪いことをした」
 とは言わない。
 義貞から鎌倉を奪ったのは、足利氏全体の立場を考えてのことである。ここで尊氏個人が謝罪したところで意味はなく、相手もそれを望んでいるわけではない。
「今、京は各地の武士で包まれておる。帝もさぞ苦心なされておられるであろう」
「いかにも。ただ、勇猛果敢な御方ゆえ、己を貫き通すおつもりのようだ」
 直に後醍醐とやり取りをしたときのことを思い出す。高氏は帝というものを、どこか公家のようなものとして考えていた。しかし、あの帝は違った。武士のように粗暴でもなく、公家のように狡猾でもない。あの得体の知れぬ自信。
 ……あれが帝か。
 思い出すたびに、こうして感心していた。
 義貞が退室した後、高氏は師直を呼び出した。遠乗りに繰り出すためである。
「武士が増えるのは頼もしく思えますな」
 郊外に出た頃、師直がそんなことを言った。
「京は良いですな。女子も美しく、見栄えの良いものが多くある。しかし、あの空気だけは落ち着きませぬ」
「公家の空気か」
「そう言ってよいものかどうか。ともかく、武士たちで溢れ返って、ようやく落ち着いた心地が致します」
「わしも同じだ。心を空にして、ようやく生きていることが実感出来る」
 近頃、分からなくなることがある。それを高氏は口にした。
「太郎。京は公家のものか」
「武士には馴染み難き地でございましょう」
「この辺りは誰の土地かのう」
「はて。わざわざ確認はしておりませぬゆえ、分かりませぬ」
「分からなくとも良いか」
「殿は何を仰りたいのでしょう」
 高氏の言葉から何事かを察したのだろう。師直は怪訝そうに尋ね返してきた。
「この天地は誰のものか。そんな、つまらぬことを考えるようになった」
 高氏の悩みは、後醍醐から発している。あるいは大塔宮かもしれない。
 日本の天地は、飛鳥時代に律令制が確立されて以降、名目上天皇のものとなった。律令制とはそういうものである。
 しかし、日本の律令制は長続きしなかった。王が土地と人民を支配するというこの制度は、私有土地である荘園の存在を認めたことで淡いものとなった。ただし、死滅したわけではない。
 荘園制度に朝廷は不可欠だった。天皇の支配力と入れ替わるようにして、多くの荘園を有する公家たちが朝廷で力を持ち始めたからである。律令制は衰えたが、朝廷という組織の影響力は上がった。土地は、王のものから公家のものになった。
 しかし公家たちは京に滞在することが多く、所有土地の管理は彼らの下にいた農場主に任されていた。農場主は税を納める他、土地を奪おうとする者たちから命懸けでこれを守った。闘争の中で彼らは武装し、土地への愛着心を育んだ。やがて彼らは大きな連合体を作り、土地権利を巡って公家に対抗するようになった。武士のことである。
 ただ、武士の連合体——鎌倉幕府が出来ても、土地の所有者が公家から武士に移ったわけではない。武士の台頭は著しかったが、公家たちが所有する土地もまだ多くあった。
 そして今、鎌倉幕府が倒れた。
 後醍醐は、自分を絶対君主にしようとしている。その目指すところは、律令制の復活なのだろう。おそらく公家たちは、それに反発しつつも天皇に接近しようとするはずだ。武士は、その下につくころになるのだろうか。
「帝は、天地をすべて己がものにしたいらしい。大塔宮も、それを目指している。わしは、そのことが気に入らぬ」
 口にしてみて、初めて自分の正直な気持ちが分かった。大塔宮に対して抱いた苛立ちの正体はそこにある。私有が失われることが、高氏には腹立たしい。
 別に北条の後を継ごうとは思っていない。ただ、自分たちの土地を持つ権利ぐらいは認めて欲しかった。
 しかし、不思議と帝に対して苛立ちは感じなかった。武士への理解を示そうとしたからか、それとも相手が帝だからか。
「わしは、帝からの恩賞を待っている。考えてみれば馬鹿な話かもしれんな」
「帝が武士に土地を与えるのは、鎌倉との戦における総大将だったからに過ぎませぬ。武家の法と同じことでございましょう」
「此度はそうであろう。しかし、その総大将が帝であることが恐ろしいのだ」
 帝のことを言いつつも、心中思い描いていたのは大塔宮の顔だった。
 後醍醐の下につくことに抵抗はない。ただ、その統治に私有権がないのであれば、高氏だけではなく多くの人間が不満を持つであろう。
 大塔宮は、武士の私有権を否定しようとしている。完全に朝廷の下につくことを求めようとしている。だから、腹立たしい。
 自分自身にそう言い聞かせながら、高氏は馬に鞭を打った。

 市中に大勢の武士がひしめき合うようになった七月、後醍醐政権に変化が訪れた。
 これまでは物事の決定権を後醍醐のみが握っていたのだが、それを改めたのである。後醍醐一人では、鎌倉以降勢力を増した武士たちに対応しきれなかったのである。武士の所領問題は、各国の担当官に任されることになった。
 ただし、担当官の決定を覆す権力を持っていることを、後醍醐は主張し続けた。政権の最上に天皇がいる、ということは譲れないらしい。
「近頃は休む間もありませぬ」
 恩賞方に勤める正成は、覇気のない表情を浮かべていた。出会った頃から、少しずつ力がなくなっているように見える。
 今、二人は京の中を歩いている。高氏が内裏から出たところで、恩賞方から戻る正成を見つけたのである。
「千早城での籠城戦よりも辛い。あのときも武士というものの多さには辟易しましたが、恩賞方ではそれをより実感させられます」
 それはそうだろう。相手は全国各地にいる武士なのだ。
「武士は本当に多い。そのくせ、武士同士でいがみあってばかりいる。困ったものですな、彼らが一致団結すれば世は平和になると思うのですが」
「一致団結していれば、帝や楠木殿はどうなっていたかな」
「負けていたでしょうなあ」
 正成は素直に認めた。力はないが、曇りのない笑みを浮かべている。
「そういえば、大塔宮様とお話になられたとか」
「耳が早いですな」
「恩賞方でも、足利殿と大塔宮様のことは噂になることが多いのです。……それで、どのような印象を持ちましたか」
「あまり好きにはなれぬ御方ですな」
 普通に考えれば、正成は帝や大塔宮寄りの人間だ。彼に対しこのようなことを言うのは不用心なのだろう。しかし、正成を前にするとこちらも素直になってしまうらしい。
「某は嫌いではありませぬ」
 正成は、高氏を非難するわけでもなく、穏やかに言った。
「しかし、理想家であり過ぎるところが難点でしょう。また、若さゆえの危うさもある」
 直情型の人間だということは、高氏にも分かる。高氏への態度だけでなく、鎌倉相手に勇猛果敢な戦ぶりをしたことからも、大塔宮の気性は察することが出来る。親王であると同時に、武士のような人間でもある。そういうところは、父の後醍醐と似ていた。
「悪い人間でないことは分かります。ただ、武士である以上、あの御方と肩は並べられそうにもない」
「でしょうな」
 正成の声には、かすかに無念の色が見え隠れしていた。

 ようやくと言うべきか、八月五日、高氏に恩賞が与えられることになった。これまでの交渉が実を結んだのか、悪いものではない。
 高氏は元々足利氏の所領だった上総の守護職を引き続き認められた他、武蔵国の守護職と二十数ヵ所以上の地頭職を得た。それとは別に、直義にも十数ヵ所の地頭職が与えられた。
 また、それだけではなく、新たな名も与えられた。
「高氏の『高』は相模入道から拝領したものであるそうだな。……それでは聞こえが悪かろう」
 そう言って、後醍醐は自らの名を持ち出した。尊治の『尊』である。
「これをそなたに授けよう。今後は尊氏と名乗るが良い」
 後醍醐にそう言われて、尊氏は平伏した。胸の奥から、何か熱いものがこみ上げてくる。
 実益がないということは分かっている。それでも、帝から一字拝領されたことに、尊氏は心を打ち震わせていた。
 しかし、その感動も内裏を離れれば薄れてしまう。帝、もしくは内裏という場所には、人間を変えさせる何事かがあるのかもしれない。
「武蔵国を得られたことは大きいですな」
 館に戻った尊氏を出迎えた直義は、珍しく声を弾ませていた。気持ちは尊氏とて同じである。
 武蔵を手に入れたということは、正式に鎌倉の支配権を得たも同然だった。第二の北条と疑われる恐れはあったが、それでも鎌倉を得られたことは嬉しかった。武士にとっては、京と同じくらい特別な地なのである。
 だが、安心は出来ない。この武蔵守護は後醍醐によって与えられたものであって、状況次第では召し上げられる危険性もある。私有地であって私有地でない、そういう微妙さがどの土地にもあった。
「鎌倉にいる細川に伝令を出すのだ。よく統治せよと。それから、千寿王はそのまま鎌倉に待機させておく」
「こちらには呼ばれませぬのか?」
「顔は見たいが、千寿王にはわしの代理として鎌倉の統治者になってもらわねばならぬ。わしはここを離れられぬからな」
 中央の情勢は絶え間なく変化していく。鎌倉にいては、その流れを追い切れない。だから、尊氏はここに留まる必要があった。
「今は力を蓄えることだ。そうしなければ、いずれは負ける」
「負ける?」
「大塔宮様だ。あの御方とは、いずれどこかでぶつかるであろう。そのときに呑まれぬよう、我らは力を持っておく必要がある」