荒波の将軍

-足利尊氏-
陸奥守
 政治とは人を見ることだ、と言っていたのは父だった。近頃、多くの人間と接することで、尊氏はその言葉を思い出すようになっていた。
 知っていた顔もあれば、知らなかった顔もある。特に顔を合わせるのは、知らない顔の方が多かった。
「それは当然であろう」
 道誉がもっともらしく頷いた。
 今、尊氏は道誉の招きを受けて京極の屋敷にやって来ていた。世間話がてら、近頃の情勢を語り合っていたところである。しかし、道誉はあまり興味がないのか、さほど乗ってこない。
「今の帝は分かりやすい御方よ。なるほど、足利殿らにも武蔵をくださるなど一見気前よさそうではある。だが京に近い丹波や若狭を側近でしっかり固めている」
「播磨も赤松円心には与えられなかったな。大塔宮からの信頼も厚く、此度の戦における働きは軽くない。わしはてっきり、彼かその一族に播磨が与えられると思ったのだが」
「赤松殿は出自が軽い」
「しかし、似たような境遇の名和殿は伯耆を与えられている」
「好き嫌いの問題だろう。名和殿は帝を直接支えただけに、結びつきが強い。赤松何某の働きなど、帝はさして気にかけてもおられまい」
 わざとらしく言って、道誉は腰を上げた。政治の話はこれで終わりということらしい。確かに、世間話と言って政治の動向ばかり語っていたのでは面白みがない。
「それより、ちょっとした趣向がある。足利殿を招くにあたって、わしが手を尽くして用意した」
「ほう、それはありがたい。しかし何を?」
 道誉はそこで含み笑いを浮かべ、がらりと障子を開けた。その先、庭先には、七、八名の男女が控えていた。楽器がちらほらと見える。
「田楽か?」
「いや、猿楽というものよ」
「猿楽。聞いたことはあるが」
「目にしたことはないか。ま、田楽に比べるとさほどに知られてはおらんからな」
 田楽は一般的に、高い身分の者たちの娯楽として浸透していた。鎌倉の北条高時も田楽にのめり込んでいた者の一人である。
 一方、猿楽は田楽ほど浸透していたわけではない。田楽も猿楽も民衆の間から生じた芸能であると推察されるが、平安時代に朝廷の庇護を受けた田楽と、切り離されたままだった猿楽とでは、扱いに差が出てくる。
 尊氏もまた、田楽は目にしたことがあっても、猿楽を目にしたことはなかった。
 道誉の合図で、頭を下げていた者たちが太鼓を叩き始めた。陽気な音だ。大きいものもあれば小さいものもある。様々な音が尊氏の耳に入り込んできた。
 それに合わせて舞が始まる。田楽の舞と比べて、動きがより激しい。見ている側にまで、踊り手の活力が流れ込んでくるようだった。
 しかし、どこかしらに違和感があった。
 それは、底抜けの明るさを感じさせるこの舞と、今の京都情勢との間にあるものなのだろう。
「政のことが頭から離れぬと見える」
 道誉が呆れた顔を向けてきた。彼は思考の切り替えが出来る性質らしく、こういうときは余計なことを一切考えず興に乗る。
 尊氏は違う。常にいくつものことを頭の中で考えてしまう。しかも、思い浮かぶのは灰色を感じさせる薄暗いものばかりだ。
「足利殿は矛盾を抱えておるようじゃ」
「矛盾?」
「左様」
 道誉はこちらを見ていない。一座の者たちに笑顔を向け、時折手を叩いたりしながら、尊氏と話している。
「帝に従順であろうとしつつも不満を抱き、その不満を別の誰かに向けようとしている。それは結果として悪くないかもしれんが、自覚はあるかな」
「ある」
 尊氏は苦い顔つきで答えた。道誉が言ったのは大塔宮のことだろう。
「なれば良し。この話はこれで終わりにいたそう。そら、ここからが盛り上がるところよ」
 道誉は夢中の顔つきで猿楽を楽しんでいた。自分もそんな風に出来ればいい、と尊氏はため息をついた。

 尊氏がその若者と出会ったのは、蝉の鳴き声がよく聞こえるようになった、陽射しの強い夏の日のことだった。道誉の屋敷に行ってから、三、四日ほど後のことである。
 足利の支流にあたる斯波氏が留まっている屋敷から戻ると、家臣が客人の来訪を伝えてきた。
 一人は法体で、それなりの風格を漂わせている公家風の男だという。おそらくは宗玄(北畠親房)であろう。そしてもう一人、まだ年若い青年が一緒だという。
 ……さては噂に聞く御子息かな。
 宗玄に才気あふれる子がいるという噂を、尊氏は以前から何度か耳にしていた。そしてその青年が、尊氏の武蔵守就任と同時期、陸奥守に任じられたことも聞いている。
 尊氏は緊張しながら客間へと向かった。そう多く顔を合わせたわけではないが、宗玄の人間性はなんとなく掴めている。単なる世間話をしに来るような男ではない。
 客間の近くまで来ると、少しずつ足音を小さくしていく。そうして厳かな雰囲気を作って部屋に入る。
 中にいたのは、案の定宗玄だった。
「おお、宗玄様でしたか。お待たせして申し訳ない」
「突然伺ったのはこちらの方。貴殿が詫びることはない」
「そう仰っていただけると助かります。して、此度はいかなる御用向きで」
 言いながら、尊氏は宗玄の後ろに控えている青年に視線を向けた。宗玄もそれを察したのか、すぐにその青年が、自分の子である北畠陸奥守顕家だ、と口にした。
「此度は、そなたと陸奥守を引き合わせておこうと思ってな」
「はあ」
 それは方便だ、と尊氏は思っていた。なるほど、陸奥守ともなれば、武蔵、上総の守護職を得た尊氏とは領地も近い。互いに顔を合わせておいた方が有益かもしれない。しかし、それは微々たるものだ。それにどのみち、顔ぐらいはどこかで合わせることになっていただろう。
「六波羅攻めにおける足利殿の武勇は聞き及んでおります」
 それまで涼やかな表情で沈黙していた顕家が、父の目配せに応じて凛とした声を上げた。
 ……なるほど、利発そうな若者だ。
 世辞であることに違いはないが、多くの公家が持つ嫌な感じがしない。大抵の公家は戦における武名にさしたる価値を見出しておらず、それを称えるにしても、どこか物語の人物を褒めているようなところがある。しかし顕家にはそういったことがない。
「陸奥守殿は帝に近侍しておられたとか。先の戦にも?」
「軽い小競り合いを体験したに過ぎませぬ。あとは大塔宮様や楠木などから多少の話を聞いただけ」
「いや、それでも……」
 どこか武士みたいだ、と言いかけて尊氏は口をつぐんだ。顕家は朝廷に仕える公家であって武士ではない。武士のようだと評しても、相手は不快に思う可能性がある。
 それに――大塔宮のことを思い出した。
 あのはち切れんばかりの情熱を持った宮とこの青年が、どこか重なって見えた気がした。それで、口が止まった。
「――わしと陸奥守は、義良親王を奉じて秋には陸奥に向かう」
 宗玄は、不意にそんなことを言い出した。
「陸奥、ですか?」
 一瞬尊氏にはその意味が分からなかった。だが、数秒もしないうちに背筋がぞくりと震えた。
「……親王を奉じて現地を統治されると?」
「そうだ。そうすることによって、帝の御威光も広く知れることになろう」
「しかしそれは――まるで鎌倉のようですな」
 鎌倉幕府も、創成期は別として、親王を頂点とする統治組織だった。相模守を任じられた北条氏が代々親王を奉じて武士を統括する。宗玄たちがこれから行うのは、それと同じことではないか。
「統治する者が違う。北条は朝廷を軽んじた賊徒。親王を蔑ろにし、形だけの象徴にしてしまいおった」
「我らにそのようなつもりはありませぬ。あくまで親王陛下に仕える者として、務めを果たすのみ」
「しかし、そのような構想をよくぞ帝が御承知なされましたな」
 宗玄の構想は現実的なものだとは思うが、天皇個人が権力の頂点に立つべきと考える後醍醐からすれば、あまり喜ばしいものではないだろう。陸奥に関する権限は息子の義良親王に任せることになるし、考え方によっては鎌倉政権に似た制度を認めることにもなる。
「さる御方の協力があったことで、どうにか聞き入れられた」
「さる御方……?」
 宗玄が協力を頼むとなれば、彼よりも帝に近い人物であろう。となれば、思いつくのは大塔宮あたりか。
「しかし、なぜそのようなことを私に?」
「特別な理由があってのことではない。ただ、今の天下を鎮めるにはこうした方法がもっとも良いと考える者が、宮中にもいるということだ」
「……」
 宗玄の構想とは何か、ということを考えるとき、尊氏の脳裏に浮かんだのは、今の大塔宮を取り巻く状況だった。
 大塔宮は後醍醐の天皇独裁制に難色を示しつつも、鎌倉政権のようなものが復活することを危険視している。しかし、大塔宮自身、紀伊などの武士を大量に抱え込んで現地を統括する立場にある。言うなれば、親王自身が権力を得た小さな幕府のようなものだ。
 つまり、大塔宮は鎌倉のような制度は認めているものの、それを統治する人間が北条氏のような者であってはならない、と考えているのだろう。ゆえに、信頼出来る北畠父子を"北条役"に据えた今度の計画に協力したのだろう。それどころか、この案が大塔宮の頭から出たものという可能性もある。
 大塔宮や宗玄が理想とする世とは、各地にこうした小幕府と言うべきものを作り、それを親王を通して朝廷の支配下に置く、というものなのだろう。
 ……わしにもそうせよ、と暗に勧めているのか?
 尊氏は宗玄の目を見た。しかしそこからは、何事も読み取ることが出来なかった。