荒波の将軍

-足利尊氏-
蠢動
 後醍醐は大塔宮の力を削いだ今こそ好機、と見たらしい。天皇親政をより強化すべく積極的に政務を執るようになった。
 そんな後醍醐を苦々しく思っていたのは、公家衆たちであった。
 彼らにしてみれば、帝というものはそうではない、という思いであったろう。
 日本の帝の力はまことにか細い。
 歴史の輪郭が定まりつつあった飛鳥時代においても、実権は蘇我氏が握っており、中には崇峻天皇のように暗殺された帝も出た。天智・天武期になると天皇の力も高まったが、その後の政情不安定期、藤原氏の台頭などを経て、実権を少しずつ失っていった。
 余談だが、院政期においても天皇そのものはさほどの権力を持っていない。だからこそ上皇・法皇といった立場が創り出されたのであろう。
 後々の時代を通して見ても、後醍醐ほど主体的・能動的に動こうとした天皇はいない。それだけに、本来実権力を持って政務を執るはずの公家が、驚き戸惑い、そしてそれ以上の反発心を持つのも無理はない。
 ……帝はその辺りを分かっていらっしゃるのかどうか。
 一歩離れた位置で建武の新政を見てきた尊氏は、常々その点が不安だった。
 後醍醐は決して愚昧ではない。ないのだが、では名君かと言われると、それもまた違うような気がするのだ。
 大前提として、帝は絶対者である、という認識を持っている。
 そういう考え方は、例えば海の向こうの唐の国なら通用するだろうが、本朝はそういうわけにもいかない。周りがそう考えていることに、果たして絶対者を自負する者が気づくかどうか。
 ……あるいは、気づいていてなお強硬なさるやもしれぬが。
 周囲の思惑を気遣って物事を決めるようでは、それはもう絶対者ではなく、後醍醐が理想とする帝の姿ではなかった。そういう周囲の有象無象の思惑こそが、今の世の混乱を生み出している、と後醍醐は考えているかもしれない。
 しかし、性急な改革は実を結ばない。
 現に、後醍醐が頑張ったところで、世上は一向に安定しないのである。
 大塔宮逮捕と前後して、今度は紀伊でも反乱が起きた。楠木党や足利一門の斯波が動いて鎮圧には成功したが、人々の不安はますます募っていく。
 そんな、どこか落ち着かない雰囲気が漂ったまま、建武元年は過ぎていった。

 建武二年、五月。
 尊氏は相変わらず京にいた。朝廷にはほとんど顔を出さず、自分の名代として師直をやることが多くなった。
 公家と比べれば、無口な分炉端の石の方がまし、と放言する師直である。公家衆から強い反発を受けることは分かりきっていた。それを敢えてやった。
「ふむ、なかなかいい手を打ちなさる」
 そう言ったのは、尊氏の正面にあぐらをかき、盤面を睨み据える佐々木道誉だった。
「足利殿は誘いがお好きじゃの。わざと悪手を打つことで、相手を良いように誘導なさるわ。ほれ、わしもかかってしまった」
 道誉の一手は、尊氏に深く切り込んでくる強烈なものだった。しかし、何手か先まで見越して考えると、若干の隙が生じる手でもある。
 膠着状態に陥りそうになったため、尊氏はあえてそれを動かそうとしたのだ。
「悩むの。足利殿の狙いがどの辺りにあるのか、見えるようで見えてこぬ」
「狙いは勝つことよ。他にはなかろう、道誉殿」
「それは、何に対してかな」
 ぎらりと、道誉の眼が光った。
「大塔宮はやりやすい相手であったろう」
「……急に話が変わったな。何を言うのだ、道誉殿よ」
「何。足利殿が手の話よ」
 言いながら、道誉は素早く手を進めてくる。
「あれはあちらから足利殿に喧嘩を売ってきたようなもの。売られた喧嘩は買うのが武門の筋というものよ。だから迷わず戦うことが出来た。そして、残ったのは足利殿と帝の二大巨頭というわけじゃ」
「二大巨頭であれば、争わねばならぬ、という道理はない」
「それにしては、いろいろと企んでおるようだがな」
 尊氏の顔色が曇る。道誉に痛いところを突かれた。
「……わしの一門がどう思うておるかは知らぬがな、道誉殿。わしは、帝を敵にはしたくないのだ。あの御方は暗愚でも暴君でもない。周りが変われば、歴史に名を残す名君になるであろう」
「ほう、それで?」
「邪魔なのは、その周りじゃ」
 自分たちの権力保持に躍起になる公家衆。家柄だけで飯を食い、世の中の役に立たぬ無為の名門衆。そうした者たちの存在が、後醍醐の政治改革を妨げている。
「……つまり足利殿は、公家衆を敵にすると?」
「見所のある公家もいる。だが、そうでない者が多い。公家衆に政治を任せるくらいなら、武家にやらせた方がまだ良いのではないか、と思う」
「そのための執事殿か。近頃、よく彼の風評を聞きますぞ」
「悪いであろう。それで良い」
 師直を使って公家衆を挑発させる。そのことで彼らは足利一門、そして足利に帰属している多くの武士団に敵対意識を持つに違いない。
 相手が動けば、こちらが動く口実も作ることができる。口実さえ得られれば、あとは実力の勝負。それなら公家に負けない自信はある。
「成程のう。帝を頂点とし、その下に足利殿率いる武家衆が集い政治を動かす。それが狙いであったか」
 公家衆が聞いたら仰天するだろうな、と道誉は笑った。
 この男も近頃流行りの婆娑羅者である。権威など屁でもないと思っているだけに、尊氏の構想を面白く感じたのかもしれない。
 しかし、道誉は笑いを引っ込めて、
「甘い考え方だ」
 ぴしりと、厳しい一手を打ち込んできた。
「今の帝、あれは公家衆を切り捨てる御方ではあるまい。足利殿の言う帝と武家の世などというものは、おそらく出来ぬ」
「そうかな。帝の御政道に不満をも公家は多い。そこを……」
「公家衆の不満に帝自身、気づいておられぬ。自分の政治がうまく運ばなかったのは大塔宮の横槍があったからだ、と信じている。公家衆は公家衆でいろいろおる。阿野廉子に取り入れば、新政の中でもそれなりの地位を得られるからな」
 道誉の口調が、少しずつ荒々しくなってくる。普段はどこか慇懃無礼で人を小馬鹿にしたようなところがあるが、熱くなるとこうなるのだ。
「不満はあっても、それを解消する道があれば大抵はその道を行く。結果、帝や阿野廉子に媚びへつらう者が増えて、ますます政治は乱れる――というのが現状ではないかの」
「……阿野廉子か」
 大塔宮を蹴落とすために手を結んだ相手だ。大塔宮が失脚した今となっては、むしろ邪魔な存在である。そもそも、後醍醐の親政において恩賞の不公平や不満が多く生じたのは廉子の横槍があったからだ。それを、彼女と尊氏はそのまま大塔宮のせいだと言いつくろったのである。
「執事殿を使って公家を挑発する。成程、それは面白い一手。しかし公家と帝の結びつきはな、お主が思っているよりもずっと強い。今の帝や公家衆たちだけの問題ではない。長い長い歴史というものがある」
「つまり?」
「帝がお主を敵視――とはいかぬまでも、危険視する見込みが強い。どうじゃ足利殿、帝から朝敵と呼ばれたら、お主はどうする」
「……わしは、既に決めてある。わしは武家の棟梁。公家衆のために働くことはせぬ。事が起これば、武家として動くわ」
「ごまかすなよ足利殿。武家と公家の話をしているのではない。お主と帝の話をしておるのだ」
 道誉が射抜くようにこちらを見据えてくる。
 尊氏はそれに、上手く答えられなかった。
 気まずい沈黙がしばし続いた後、道誉は破顔して、
「足利殿は、状況を作り出すのは上手いが、詰めが甘いのう」
 ふと盤面に目を戻すと、自分が罠を仕掛けたはずの状況が、ひっくり返っていた。
 詰みである。
「勝負も佳境というときに、他のことを考えるのはよした方がよいと思うぞ」
「……」
「やるなら徹底的にやるのだ。武家の棟梁として生きるつもりなら、それ以外の全てを切り捨てる覚悟を見せねばならぬ。邪魔をするなら公家も帝も押しのけてまかり通る――これぐらいの意気込みを見せてもらわぬと」
「忠告、ありがたく受け取っておく」
 尊氏は素直に頭を下げた。
「武家の棟梁が軽々しく頭を下げるのはいかがなものかな。まあ、そういうところが足利殿の良きところだとは思うが」
 道誉は派手な扇で口元を隠し、わざと悪そうな笑みを浮かべた。

 尊氏の投じた一石は、思わぬ効果をもたらした。
 朝廷の重鎮だった西園寺家による、後醍醐暗殺計画である。
「わしではなく、帝が狙われたと……!?」
 師直の報告を受けて、尊氏は身を乗り出しそうになった。
 西園寺家は元々鎌倉政権との橋渡し役だった。それゆえ、鎌倉政権が滅びた今の新政で冷遇されていたのである。尊氏もそのことを知っていて、師直にある程度接触するよう命じていたのだ。
 そうすれば、西園寺が足利に牙を剥く。それに応じる形で、足利も動くことが出来るであろう――という認識だった。
「あてが外れた」
 尊氏は苦い顔つきで黙り込んだ。
「西園寺家は、足利の背後に帝ありと考えておられたようですな」
 師直が顎髭を撫でながら言った。
「勘繰り過ぎだ、それは」
 とは言ったが、自分が西園寺の人間でも同じ疑惑を持ったかもしれない、と思う。
「殿は近頃、京が寂れてきたとは思いませぬか」
「何?」
「京にいても埒が明かない。そう考えて、地元に戻る者が増えておるのですよ」
 言われてみれば、新政開始後に比べて人は減った。それを尊氏は『落ち着いてきた』と思っていたのだが、よくよく考えてみればそんなはずはないのだ。
 だが、師直の言葉は新政のみを否定しているのではない。
 京には尊氏もいる。
 新政に訴えても問題が解決しないなら、尊氏を頼めば良い。一時期は、そうした理由で尊氏の元を訪れる人々も多かったのだ。
 そうした人々も減ってきている。
「……武家は、このわしをも頼りなき者と考えておるのか」
「殿は帝に遠慮をし過ぎる。殿を頼ったところで、帝に丸め込まれても終わりじゃ、という声が多くなってきております」
「太郎もそう思うか」
「思いますな」
 こういうときの師直は本当に遠慮がない。
 尊氏はそういう点を買っているのだが、人によってはそれが小癪に感じるらしい。
「殿は公家衆さえ押さえれば帝も変わると思うておるようじゃが、それは甘い。あの帝は強欲ぞ。人の意見も聞かぬ。硬骨漢として知られた万里小路藤房殿の件を忘れましたか」
 万里小路藤房とは、後醍醐の近親万里小路宣房の子だった。宣房は宗玄こと北畠親房、吉田定房と並び『後の三房』と称された名臣である。
 その子藤房も後醍醐に目をかけられ重用されていた。対鎌倉戦にあたり、楠木正成を起用するよう後醍醐に勧めたのも藤房だという。名門意識にこだわらず、優れた人物は使うべしという考えの持ち主で、尊氏や師直も一目置いていた人物だった。
 藤房は新政も重用されたが、後醍醐の周囲に阿野廉子経由で登用された者たちが増えてくると、そうした側近登用を控えて適材適所の政治を行うよう、度々諫言するようになった。
 後醍醐はそうした藤房の諫言を聞き入れなかった。物の分かる名臣の言葉より愛妾の言葉か、と藤房は失望し、そのまま逐電してしまったという。
「仮に公家を除き帝と武家が直接結びついたところで、殿や武家の言葉をあの帝が聞きますかな」
「……つまり?」
「これ以上は言えませぬ。言えば殿は怒る」
 それとは別に気になることがある、と師直は言った。
「帝暗殺の首謀者は西園寺公宗。しかし、単独で帝暗殺などを企てられる男ではない」
「裏に誰かいると?」
「これは未確認ですが、西園寺家には相模の四郎殿がおられたやもしれぬ、と」
「四郎殿……というと相模入道の弟御か」
 相模入道――北条高時の弟、相模四郎こと北条泰家は鎌倉政権滅亡後、逃亡を続けていた。鎌倉政権の総大将の実弟ということで、今も手配されていたはずだ。
「それで四郎殿は」
「逃げたようです」
「……まずいな。暗殺はそれだけでは下策。四郎殿であれば、その程度のことは分かっているはず。にも関わらずそれを決行しようとしたのであれば」
「当然、呼応して決起する者たちが何処かにいる、ということですな」
 呼応する以上、京からそう遠くはあるまい。せいぜい西は備中、東は信濃あたりか。
 そんな場所でもし大軍が決起したらどうなるか。現在、足利の軍勢は各地に散らばっている。
「太郎」
「はっ」
「いつでも動けるよう軍勢をよくまとめておけ。何かあれば即座に動く」
 尊氏の言葉をどう受け取ったのか、師直は一瞬惚けたような顔をした後、それからにやりと深い笑みを浮かべた。