長き時を経て

第2話
 後世、シグルド軍は精鋭揃いだとよく言われた。
 兵の数は少なく、されど敗北することはなく(撤退したことはあったが)、バーハラの悲劇までは負け知らずだったからであろう。
 そのような軍に所属していたことが、多少はフィンやオイフェに影響した。
 このキャリアこそが、彼らの人生の、ある種の出発点であったと言えるかもしれない。
 シグルド軍は、エバンス城まで進軍している。
 ユングヴィ城に引き続き、この城もシグルド軍は割合簡単に落とした。
 このエバンス城は、地理的に重要な役目を担っている。
 東にグランベル、南にヴェルダン、そして北に向かえばアグストリア。
 それら3つの国の国境に位置するのが、このエバンス城であった。
「まずはアグストリアに書状を送っておきましょう」
 進軍の手を一旦止めて、シグルド軍は駐留している。
 オイフェはまずなによりも真っ先にやるべきことをシグルドに進言していた。
「ここで書状を送り、アグストリアに敵意がないことを示しておかなければ、いらぬ誤解を招きます」
 国境の城エバンス。
 そこにグランベルの軍隊がやって来れば、当然隣接しているアグストリアは警戒する。
 それどころかこのことを理由に、グランベルへ侵略しようとしてくるかもしれない。
 アグストリアはグランベルと同じく、複数の諸侯の上に盟主が存在する国である。
 現在の盟主、つまり国王は賢王として知られるイムカ王だった。
 彼個人ならばそのような暴挙には出ないだろう。
 しかし諸侯の考えはまた別である。
 イムカ王には絶対的権限というものがなく、あくまで盟主的な立場にあった。
 彼の言うことを聞かない諸侯が、勝手に動き出す可能性は十分有り得るのだった。
「そこでノディオン家です」
 と、オイフェはエバンスにもっとも近いアグストリアの王国を示した。
 ノディオン家はアグストリアを興した聖戦士の1人、黒騎士ヘズルの子孫が治める王国である。
 グランベルへと侵攻するにはこのエバンスを抜けねばならない。
 そのエバンスへ向かうには、ノディオン城の眼前を通らなければならなかった。
「ノディオン王であるエルトシャン様はシグルド様やキュアン様のご友人。今回の事情を話せばきっと協力してくださるでしょう」
 つまり、ノディオン家を説得し、アグストリア側からの侵略に備えよ、とオイフェは言うのである。
 これにはシグルドも同意し、早速親友であるエルトシャンの元へ使者を送った。

 ところがどういうわけか、それから一刻もしないうちに、エバンス城にエルトシャン自身が現れたのである。
 時間的に、使者はまだノディオンに到着すらしていないはずである。
「久しぶりだな、シグルド、キュアン」
 席にはシグルドとキュアン、そして軍師としてオイフェが同席している。
 対するエルトシャンは護衛を1人つけているだけであった。
「エルトシャン、どうしてお前がここへ? いや、実は使いは出しておいたんだが……それにしては早すぎないか?」
「その質問には後ほど答えよう。それよりもシグルド、お前の口から直接聞きたい。グランベルはどういうつもりだ?」
 エルトシャンは美貌で知られた男である。
 柔らかな金髪、切れ長の双眸、整った顔立ちだった。
 その男が、シグルドを睨みすえている。
「ユングヴィ公女エーディンがヴェルダンに連れ去られた。先ほど陛下の使いとして来られたアルヴィス卿の話では、ヴェルダン側がエーディンを返さない場合は戦うより他なし、と仰せられたそうだ」
「ヴェルトマー公が、か」
 アルヴィスの名を口にしたとき、エルトシャンはなにかを考えるような素振りを見せた。
 もっとも一瞬のことなので、さほど強く印象には残らない。
 エルトシャンはもう一度確認するように言った。
「その言葉、確かだな」
「ああ、私の名に……いや、我々の友情に懸けて真実であることを誓おう」
「分かった、それならば俺も協力しよう。アグストリア方面のことは任せておけ」
 シグルドの真剣な様子を直に確かめ、エルトシャンは快諾した。
 そのことに安堵するシグルドを置いて、キュアンはエルトシャンに尋ねた。
「なぁ、エルトシャン。ところでなんでお前、こんなに素早く動けたんだ?」
「そのことか。こいつが教えてくれたんだ」
 と、エルトシャンは背後に控える護衛の男に視線を送った。
 いや、よく見るとそれは男と言うよりも少年のそれに近い。
 フィンやオイフェと同年代であろう。
 肩先まで髪を伸ばしている点はオイフェと同じだったが、前髪を垂らしている点が異なる。柔らかな双眸を中心とした、優しげな雰囲気の少年だった。
「俺の古くからの馴染みでな。ティールと言う」
「エルトシャン様の側でいろいろと学ばせてもらっております」
 と、ティールという少年は慇懃に頭を下げ、挨拶をした。
 フィンのような堂々とした印象はないが、相手を落ち着かせるような、そんな印象を彼は与えた。
「予めお前たちの動きを見ていたらしくてな。エバンス城にお前たちが入るとすぐに俺の元まで知らせてくれた。お前の出した使者とは、こちらへ向かう途中で出くわしたよ」
「ほう、それは」
 と、シグルドは感心した。
 この状況の中で一切無駄のない動きを、ティールという若者はした。
 そのことは確かに感心に値する。
「それでは、俺はこの辺で失礼する」
 と、エルトシャンは早々に席を立った。
 シグルドはもう少しゆっくりしていかないか、と勧めたが、エルトシャンは首を振った。
「国境の守りにつかねばならんからな、指揮官である俺がいなければクロスナイツも動けない」
「そうか……残念だな、3人でまたワインでも飲み交わしたいものだ」
「俺も近々その機会を設けられることを期待する。普段は遠方にいてなかなか会えないキュアンも来ていることだしな」
 そう言い残して、エルトシャンは去った。
 ティールも丁重に会釈してから退室していく。
 残されたシグルドたちは、ふぅ、と息をついた。
「これでアグストリア方面の心配はなくなったな。あとはヴェルダンへと送った使いがどうなるかだが……」

 しばらくして、ヴェルダン王国へと送った使者が帰ってきた。
 ただし首から下はない。
 使者そのものが、ヴェルダンからの返答として帰ってきたのである。
「くそ」
 と、シグルドは歯噛みする思いで机に拳を打ちつけた。
 オイフェはシグルドという人物をよく知っている。
 このときも、察したに違いない。
 シグルドはさほど争いを好む性質ではない。
 この一件も、穏便に済ますことが出来ればそれが一番だと考えていたのだ。
 ところがその期待は呆気なく破られた。
 シグルドとしては、面白かろうはずがない。
 ここまでされて、なおかつエーディンを返さないのであれば、もはや戦うしかない。
「オイフェ」
 絞るような声で、シグルドは傍らの軍師に告げた。
「皆に、出陣の準備を」
「……分かりました」
 答えるオイフェの声も、シグルドにつられて沈痛な雰囲気を帯びたものになった。

 出撃の準備を知らせるために、オイフェは城内を回った。
 回る途中で、様々な人に会った。
 例えばユングヴィ城の守備を任されていた、エーディンの側近でもある弓騎士ミデェール。彼はヴェルダン軍を相手に善戦した。その勇敢な戦いぶりは、並大抵の戦士にできることではない。
 が、相手が悪かった。
 相手はミデェール率いるバイゲリッター残存部隊の倍以上の数で、攻め寄せてきたのである。
 さらに不利なことがある。
 弓騎士たちは扱う武器の性質上、接近戦に持ち込まれると弱い。
 逆に相手は、接近戦には滅法強かった。
 戦闘開始直後はミデェールたちに有利な展開であったが、数人のヴェルダン兵が勢いよく城内になだれこむと、兵たちは無残にも殺されていった。
 その状況下にあってもなお、ミデェールはエーディンを守るために孤独な戦いを続けた。
 あまりに勇猛であったため、ヴェルダン軍でも手を焼いた。
 結局王子ガンドルフとの激闘の末敗れてしまうのだが、それでも死なずに生き延びていた辺りは只者ではない。
 エスリンの治療によって体力も大分取り戻したため、今度の戦いには出撃することになったのである。
「ミデェール、大丈夫ですか」
「ああ、オイフェか。もう大丈夫だ、エスリン様のおかげでちゃんと動ける」
 言って、弓を手に取り構える仕草をする。
 当然矢は持っていない。
「それにエーディン様をなんとしてもお助けせねば、リング様に顔向けができない」
「でも、くれぐれも無茶はしないように……とシグルド様が仰せになっておられましたよ」
「そうか、シグルド様は優しい方だからな」
 ユングヴィ城内で倒れているミデェールを発見した際に、シグルドは進軍の手が緩むのも承知でミデェールをどうにか助けようとした。
 そのときのことを思い出して、ミデェールは言うのである。
 もしもシグルドがそうしなければ、ミデェールは助かってはいなかっただろう。
「そうですね。でも僕はシグルド様ほど優しくはありませんから、ミデェールに頼みたいことがあるんです」
「ん?」
 と、オイフェの言葉が意外だったのか、ミデェールは首をかしげた。
「ヴェルダンに現在3人の王子がいることはご存知ですね?」
「ああ、長男ガンドルフ、次男キンボイス、三男ジャムカ。エーディン様をさらったのが、長男のガンドルフだ」
「ええ。三男のジャムカ王子は知りませんが、ガンドルフは南西のマーファ、キンボイスは南のジェノア城の守備を任されているようなのです」
 持っていた地図を広げながら、オイフェはミデェールに説明した。
エバンスからは、距離的にはジェノア城の方が近い。まずこれを落とす。
ジェノアを放っておくと、マーファ城攻略の際に背後をつかれる可能性があるからだ。
しかし、ジェノアにそのまま進軍すると、今度はマーファ軍が横合いから攻め込んでくることになる。
 そこで、同時攻略を行う。
「つまり部隊を二手に分けて、片方がジェノア。片方がマーファを攻略する」
「ジェノア攻略部隊はジェノア制圧後にマーファ攻略部隊と合流。マーファ城を落としたら、一旦そこに部隊を集めて、そこから北西にあるヴェルダン本城へと向かいます」
 オイフェはその、マーファ攻略部隊の指揮をミデェールに頼みたいと言った。
 同行するのはアレク、ノイッシュ、レックス、アゼルであった。
「私がか」
 ミデェールは最初驚いていた。
 しかしオイフェはヴェルダン軍相手に、数少ない兵力で奮戦したミデェールの力を見込んでいた。
 さらに、もう1つ理由がある。
「マーファ城にはガンドルフ王子がいます。エーディン様もそちらにいらっしゃるかもしれません」
「そうか」
 ミデェールの望みは、なによりもまずエーディンの救出にある。
 自分の不甲斐なさを恥じ、出来ることならば自らの手で彼女を救い出し、名誉挽回を狙いたかった。
 それ以外にも、ミデェールのエーディンに対する想いが彼の行動原理となっているのだが、オイフェはさすがにそこまでは分からない。
 シグルドやキュアン、そしてエーディンに思いを寄せているアゼルは気づいているかもしれない。
 なにはともあれ、攻略の手筈は整いつつあった。

 エバンス城の裏手でフィンは1人、槍の稽古をしていた。
 先日が初めての出陣だった彼は、まだ戦場の興奮というものが収まっていない。
 もっとも彼の興奮とは、高揚感とかそういう類のものではない。
 恐怖であった。
 蛮族などと呼ばれてはいるものの、相手も自分と変わらない人間。
 そのことを、理屈ではなく実感として知り、フィンは恐怖した。
 無我夢中で駆け抜け、敵の1人を槍で突いた。
 敵はそれが致命傷となったのだろう、すぐに崩れ落ちた。
 しかし、崩れ落ちる間際に、敵は自分を死に追いやったフィンの顔を、般若のような形相で睨んできたのである。
 ――畜生。
 呪詛のようにして唱えながら、未開の地の戦士は死んだ。
 その戦士の恐ろしい形相が、なかなか消えてくれない。
 今も眼前に、その姿が見えそうな気さえした。
「駄目だな……」
 騎士として戦いにおいて人を殺めることは、善悪問わず受け入れねばならないことである。それはフィンにも分かっていた。が、理屈だけではどうにもならない。
「ふむ」
「どうしたフィン、考え事か」
 と、そこへキュアンがやって来た。
 側にエスリンもいる。
 どうやら2人はフィンを探していたらしい。
 シグルドから出撃の旨を伝えられ、姿の見えないフィンを探していたのだと言う。
「それは……申し訳ありませんでした、キュアン様、エスリン様」
「謝らなくてもいいのよ、それよりも大分難しい顔をしていたようだけれど」
「何を考えていたかは察しがつくな」
 エスリンが心配そうにフィンの顔を覗き込む。
 フィンは普段女性に慣れていないため、またエスリンの容姿も可憐なものだったために、少しばかり顔を赤らめてしまった。
 キュアンはそのことに気づいているのかいないのか、自信ありげに言った。
「おそらく先日の戦いのことだろう」
「な、なぜそれを!?」
「分かるさ、私もそうだったからな。お前ほど1人で考え詰めたりはしなかったが」
 それがフィンの悪い癖だと、キュアンは言う。
 そのことにはエスリンも同意した。
 常々1人で抱え込んでしまうのが、フィンの困ったところだとこの夫婦は前々から思っていた。
「フィン、ヴェルダン兵を相手に戦うのは怖かったか」
「いえ、そういうわけではありません」
 フィンはやや語調を強めて言った。
 ユグドラル大陸全体の騎士に適用することだが、敵を前にして恐れるということは恥と見られる場合が多い。
 敵との戦力差、質などを見極め、敵を恐れるのは一軍を指揮する将の役目であり、その手足となって忠実に働く騎士たちは勇猛果敢に戦うことを第一としている。
 それが騎士全体に通じる名誉の証なのだった。
 そのことを主君に疑われるのは、騎士としては辛い。
 キュアンはもちろんそのことを知っていたが、念のためにこのような質問をした。
 フィンの戦意がどの程度のものかを推し量るためである。
 現在気が萎えているという状態であれば、まだまだ技術も浅いフィンを出撃させるのは見合わせるべきだと考えていたのだった。
 が、その心配は必要のないものだったらしい。
「では、戦うことに疑問でも覚えたか?」
「いえ、それも違います。ただ、戦いというものを実感として知り、その感覚から抜け出せないのです」
「つまり、今のお前はまだ戦場にいるような心境なのか」
「はい」
 現に、自分が倒したヴェルダン兵の顔が浮かび上がってくる。
 戦場のど真ん中で、まだあの死体を前にしているような気はする。
「フィン、お前は記録上、先日初陣を経験したわけだな」
 そんなフィンを前に、キュアンは語り始めた。
 エスリンは横で静かに夫の言葉を聞いている。
 立場上フィンも邪魔するわけにはいかず、黙って聞くことにした。
「そして戦を実感として知った。お前は戦がどういうものかを心で理解した。ならば、次の戦は第二陣ではない。次の戦いこそが、心の初戦とでも言うべきものだ」
 先日の初陣などは、戦いの心構えを形成しただけに過ぎない。
 次こそが、真の初陣だと考えろ。
 ――ということを、キュアンは言っている。
 そう言われるとフィンの中から、ヴェルダン兵の顔は消えてしまった。
 その代わりに、次の戦いに対する緊張感が沸きあがってくる。
 キュアンは、フィンの扱い方をよく知っていた、とも言えるかもしれない。
 フィンは悩みがちな青年であったが、複数の悩みを同時に処理しきれるほど器用な人ではなかった。
 だから、現在思い悩んでいることの他に、なにか考えさせるべきことを持ち込んでやれば、自然とフィンの意識はそちらに傾く。
 そのことをキュアンはよく知っていた。
「さて、では出撃までまだしばらく時間がある。少し戦い方を教えてやろう」
「――はっ、お願いします」
 2人は同時に槍を取り、お互い身構えた。
 そして、エスリンがキュアンから離れたことが合図となり、双方の槍は高い音を鳴り響かせながら、打ち合った。