長き時を経て

第4話
 このとき、シグルドたちにとって恐れていたことが起きつつあった。
 アグストリア諸国の一つハイラインが、シグルドたちの留守を狙ってエバンス城へと進軍を開始したのである。
 エバンス城に残されているのは重騎士アーダンとその配下数十名のみ。
 兵数が少ないシグルド軍は、守備のための兵を十分に残しておくことが出来なかった。
 このままハイライン軍がエバンス城へと攻め込めば陥落し、グランベルに侵攻する足がかりを与えることになってしまう。
 先のヴェルダン侵攻の際にも真っ先に狙われたのはエバンス城だった。
 国境の城エバンス。
 これほど重要な拠点は、大陸の中でも滅多に見られない。
 それだけに、なんとしてもこの城を落とされるわけにはいかなかった。
 だからシグルドやオイフェは、事前に策を用意していた。
 ハイライン軍がエバンス城に向かうためには、ある城の前を通らねばならなかった。
 その城の名はノディオン城。
 伝説の聖戦士、黒騎士ヘズルの直系たるエルトシャンの居城である。
 肩まで伸びた綺麗な銀髪が、風によって流れる。
 なにもかもを透き通すような眼で、ティールはそれを見下ろしていた。
 彼の眼下にあるのはハイライン軍。
 数だけならばシグルド軍全体と比較しても同等のものだろう。
 兵の訓練はあまり行き届いていないようだが、それでもヴェルダン軍よりは手ごわい。
 それがぞろぞろと、物々しい音を響かせながら怒涛の勢いで進行する。
 向かう先はエバンス城。
 おそらくノディオンでもこの異変には気づいているだろう。
「一応、私も戻った方がいいかな」
 踵を返し、ティールは急いで自らの主がいる居城へと舞い戻った。
 おそらくこれから、戦が始まる。
 以下、余談として。
 それより30年前、グラン暦727年。
 ノディオン地方に、ある旅人がやって来た。
 身形は汚らしく、素性も知れない。
 ノディオンに来た当初、その男は商人の僕として働いていたという。
 素性も知れない者を雇うような、気さくな主人である。関係は良好だった。
 そのまま何事もなければ男はずっと商の道を歩んでいただろう。
 ところがある日、主人と共に馬車でグランベルまで荷物を輸送していたときに盗賊が現れた。当時のアグストリアは開拓に力を注いでいる反面、治安は悪化していた。開拓のためにアグストリアにやってきたはいいものの、失敗して盗賊に成り下がる者が多かったのである。
 盗賊たちは馬車を取り囲み、主人に対して積荷を全て置いていくよう脅しをかけた。
 ところが数分もしないうちに盗賊たちは全員逃げ出してしまった。
 その男――ヒミルが全て退治してしまったのである。
 主に剣が突きつけられるや否や、彼は即座に積荷の中から「エルウィンド」の魔道書を取り出し、盗賊たちを蹴散らしてしまった。
 さらに驚くべきことに――――こうした功績を挙げておきながら、彼はまず主人に謝ったのである。
「勝手に積荷を使用してしまい、申し訳ありませんでした」
 礼を言うべきところを、先に謝罪されてしまい主人は面食らったという。
 誤る必要はないと何度も説いたが、ついにヒミルは聞かなかった。
 存外に頑固者だ、と主人も仕方なくこの一件についてこれ以上触れることはしなかった。
 ただ、せめてもの感謝の気持ちとして、一級品の衣類を用意した。
 すると、ヒミルに対する周囲の評価は一変した。
 身形がみすぼらしかった頃には汚らしいという印象が強く、あまり気づかれなかったのだがヒミルの振舞いはどこか高貴なものを感じさせた。
 もしかしたらえらい人なのかもしれない。
 動作の一つ一つに重みを感じさせ、どこかしら常人ではない雰囲気を纏う。
 そのことは、ヒミルが自分の価値を高めるために意図して行っていることだった。
 彼は商屋の僕で終わるつもりなど毛頭なかったに違いない。
 そのうち主人の許可を得て(いちいち許可を得るあたりもヒミルが、自分という人間の魅せ方に気をつけていた証拠だろう)、闘技場などでも名を挙げた。
 さらにそこで稼いだ金は全て主人に捧げていた。
 自分の価値を高めたいとは思っていても、私腹を肥やそうという考えはなかったのだろう。ヒミルは生涯、自らの利益だけのために動くことはなかった。
 ともあれ、これほどの逸材をノディオン王家が放っておくはずがなかった。
 主人はヒミルを雇い始めてから3年、ついにこの有能な逸材を手放して王家に推薦することを決めた。
 ノディオン王家はこれを断わる理由を持たない。
 それがグラン暦730年のこと。
 ヒミルはさらに実績を上げ続けた。
 ノディオン城に入ってからしばらく、彼は大人しく過ごしていた。
 ところがいつどこで出会ったのか、当時のノディオン王――エルトシャンの祖父と出会ってから、急激にノディオン内での力を強めていった。
 それまでのノディオン王家は一部の者を除くと、ハイラインなどと同じく自らの権力にのみ固執し、他を省みない有害無益な者たちがごろごろいた。
 そういった者たちを、次々と駆逐しはじめたのである。
 さらに、逆にそれまではさほど身分の高くなかった者たちを思い切って登用し始めた。
 これまでのユグドラシル大陸ではまず見られなかったやり方である。
 当然反発も強く、一時は命さえも危うかった。
 それでも彼は自らの行動を止めることなく、結果としてノディオン王国は結束力の強いアグストリア有数の実力を持つ国となった。
 彼が私欲を持ってこの行動をしなかったという証拠に、彼自身の地位は全く上がっておらず、恩賞も皆無であった。
 ただ一つ得たのは国王一家の絶大な信頼と言うべきか。
 この後、エルトシャンの父が家を継いでもヒミルに対する信頼の厚さは変わらなかった。
 2人は年齢的にも近かったため、友情にも似た主従関係があった。
 グラン暦735年、ヒミルは生涯で唯一、自らのためだけの恩賞をノディオン王から授かった。
 ノディオン王家の分家筋、縁戚にあたる娘を嫁として貰いうけたのである。
 王位継承権などとはまるで関わりを持たない、分家のそれも末席の娘であったが、もともと素性も知れないヒミルにとっては異常なまでの厚遇と言ってもいい。
 2人は非常に仲睦まじい夫婦として知られ、一説にはヒミルと彼女が恋に落ちていることにノディオン王が気づき、2人の仲を後押しするようにして結婚を勧めたとさえ言われた。
 ともあれ、このことでヒミルはノディオンにしっかりと根を張ったと言っていい。
 侯爵の位を与えられ、わずかながらも領地を有するほどになっている。
 ノディオン王が急逝し、エルトシャンが王位に就いたときに生じた若干の混乱も、瞬く間に収めてしまった。
 グラン暦742年、ヒミルたち夫婦には1人の子が生まれている。
 それがティールであった。
 ノディオン城に駆け戻ると既に出陣の支度は整っていた。
 さすがに動きが速い。
 きちんと統率がとれている証拠である。
 人数は劣るが、このクロスナイツで挑めばシグルド軍でさえも蹴散らせただろう。
 エルトシャンの一声が全体に響き渡り、まるで彼の手足のように意のままに動く。
 騎士団としてこれほどのものは大陸でも見当たらない。
 加えて指揮官であるエルトシャンが指揮官としても稀有の存在だった。
 彼の戦場での指揮には間違いというものがほとんど見受けられない。
 これは生まれもった才能というものだろう。
 エルトシャンの指揮能力に匹敵する者は、アグストリアはおろか大陸全体を見渡してもほとんどいない。
 戦を生業とするトラキア王国国王トラバント、そしてグランベルにて名声の高いアルヴィス卿ぐらいだろう。
 いつもながら主君の手際のよさに感嘆の念と、そして同時に畏怖心さえ覚えながらティールは城内を見渡した。
 既に兵士たちは城の外へ、各隊ごとに出始めている。
 ティールの視線の先にはエルトシャンがいた。
 指示は既に終えているのか、真っ直ぐに前を見据えている。
 威風堂々たるその様子に、改めて自らの主君のすごさというものを思い知らされる。
「ティール、そこにいては邪魔になる」
 そう言って注意したのはエルトシャンではなく、彼の父であるヒミルだった。
 今年でもう50になるというのだが、まだまだ現役として活動を続けている。
 父の言葉にはっとして、慌ててティールは父のいる方へと戻った。
「申し訳ありません」
「いや、いい。しかし相変わらず陛下の手際の良さには恐れ入る」
「ハイライン軍が相手となると、どうなるのでしょう」
 ハイラインはアグストリア諸国連合の一国家で、ノディオンとは立場的には同等である。
 もしも今回の戦に関して文句を言われれば、国王の対応次第ではノディオンの立場は危うくなる。
 だがヒミルは心配無用だと首を振った。
「既にイムカ様には承諾を得ている。シャガールの小僧が不平を言ったというが、イムカ様の一喝で大人しく黙りこくったそうだ」
 ヒミルは、エルトシャンが即位するまでは兵の指揮官という立場だった。
 先代の国王が、あまり頑強な身体の持ち主ではなかったからだ。
 クロスナイツの訓練法などを考案し、育て上げたのもヒミルの功績の一つである。
 しかしエルトシャンが即位すると自分はすぐさま指揮官から降り、外交官として動くようになった。
 だらだらと自分が指揮官でいるよりは、早々にエルトシャンにクロスナイツを預けて慣らさせようとしたらしい。
 その考えは結果的に正しかった。
 エルトシャンは既にヒミル以上の指揮官として成長し、クロスナイツを意のままに動かす戦上手となっている。
「それに戦自体のことも心配はあるまいよ。陛下とクロスナイツが負けるはずがない」
 ティールはその言葉に、父のわずかながらの誇りが混じっているように思えた。
 果たしてハミルの言葉どおり、クロスナイツが負けるはずがなかった。
 怒涛のように進軍していたハイライン軍は、ノディオンとエバンスの境にある一本道で次々と蹴散らされていった。
 山と湖に囲まれたその一本道では、左右に避けるということが出来ない。
 自然と敵味方が入り乱れた混戦となったが、そんな状況下でもクロスナイツの指揮系統はいきいきと働いていた。
 対するハイライン軍は混乱に陥った。
 エバンスへ向かう途中、後方から大陸最強と名高いクロスナイツが押し寄せてきたのである。まず彼らの頭に浮かんだのは、逃げ場がなくなったということだった。
 後戻りできる道がないというのは、人間を心理的に不安にさせる。
 エバンスへ進む足が自然と遅れ、しまいにはクロスナイツに追いつかれて大混戦となった。さらにはそのような状況下の中で、指揮官がクロスナイツへの攻撃を全軍に言い渡したのである。
 ハイライン軍の指揮官は、ハイライン王子であるエリオットだった。
 大した能力も持たず、ただ自尊心ばかりが高いというつまらない人物である。
 そのくせ彼は隣国であるノディオンのエルトシャンをライバル視していた。
 おそらくヘズルの直系であるエルトシャンに対し、複雑な念を抱いていたに違いない。
「くそっ、貴様ら落ち着け! エルトシャン如きの軍勢になにを苦戦しているのだっ!」
「見苦しいぞエリオット」
 兵たちが入り乱れ誰がどこにいるかも分からない状況の中で、エルトシャンはエリオットを見つけ出し、彼の前に現れた。
 彼にとって戦場とは庭のようなものだ。
 探し物を探し出すことなど、いかなる状況下においても容易い。
「え、エルトシャン……貴様っ!」
 勢いによって銀色の槍を手に突進してくるエリオットを、エルトシャンはひらりと避けた。
 そのまま彼の眼前にスイ、と黒き剣を突きつける。
 伝説の聖戦士、アグストリアの祖である黒騎士ヘズルの愛剣。
「神器、魔剣ミストルティン……!」
 自らの目の前に迫った死の凶器に、思わずエリオットは見惚れた。
 見惚れるくらい、純粋な剣だった。
 そう。
 ――――人を斬り殺すことに関して、ミストルティンほど純粋な剣はない。
「ハイライン軍を撤退させろ。もしエバンスへの侵攻を取りやめなかった場合は、貴様の首をここで刎ねるぞ」
「く、狂ったかエルトシャン! グランベルに味方をするなどとっ」
「貴公こそ狂ったかエリオット。我らが盟主たるイムカ王はグランベルとの戦争など望んでおらん」
「おいぼれの戯言を……ひぅっ」
 おいぼれ、といったところでエルトシャンはミストルティンの剣先を進めた。
 エリオットの首筋に、わずかに血が滲んだ。
 “獅子王”と呼ばれる男の鋭い眼光が、エリオットを射抜かんとする。
「貴公、もう一度言ってみろ」
「がぁっ、うっ」
「イムカ様を侮辱することはアグストリアへの反逆と見なすぞ」
「ぐっ……だ、だが! アグストリアがシャガール王子を中心に反グランベルとして統一されつつあるのは確かだ」
「シャガール様は俺が説得する。グランベルとの戦乱など民が苦しむだけであって、百害あって一利なしだ!」
「あ、甘いことをっ!」
 エリオットの目が大きく見開かれたのは、エルトシャンの背後にハイライン兵が迫っていたからだった。
 槍がまさにエルトシャンの身体を貫かんとする……!
「っ!」
 だが、エルトシャンは即座に反応し、一撃でハイライン兵を切り伏せた。
 もっともそれはそれでエリオットにはありがたい。
 その隙に逃げることが出来たからである。
「覚えていろエルトシャン! 貴様は近いうちに絶対に後悔することになるっ!」
 エルトシャンの方を振り返りながら、エリオットは単身落ち延びていく。
 ハイライン兵は主君が撤退したことにすら気づかず、悲痛な覚悟でクロスナイツと死闘を繰り広げていた。
「部下を見捨てて自分だけ逃げたか……まぁいい、奴のことは放っておく」
 相手の指揮官が逃亡した以上、戦いは終わりである。
 エルトシャンは高らかに戦いの終焉を告げた。
 クロスナイツと、ハイライン兵に向けて。
 その日、オイフェは様々な雑務に忙殺されていた。
 グランベル本国からのヴェルダン外交の指示、今までグランベルが攻め落とした城の治安回復対策諸々。
 戦って勝てば終わりではないのだと、現在わずかな休暇を得ている騎士たちに言ってやりたかった。
 もっとも例外というのはいるもので。
「オイフェ、こちらはどうすればいい?」
「貴方の宰領にお任せします。兵たちについては貴方の方が手馴れてると思うので」
「ああ、分かった」
 先日の戦闘以来、フィンがオイフェの元にやってくるようになった。
 オイフェのような立場に少し興味が湧いたらしい。
「戦って勝てばいいというわけでもないんだな……」
 ぼそりと呟くフィンに、オイフェは苦笑した。
「そもそも戦というのは手段ですからね。それも最後の。出来る限りしないにこしたことはありませんよ、民衆からの不満も高くなりますし」
「私は今までそういったことなど考えもしなかったな……いろいろとためになる」
「いえ、こちらも手伝ってもらえて助かりますよ」
 これは本音だ。
 頭を抱えたくなるような仕事も、誰かが手伝ってくれるというだけで随分楽になる。
 と、そこに1人の兵士が慌しく駆け込んできた。
 何事かと思えば、エバンスにいるアーダンからである。
『本日、アグストリアのハイライン軍がエバンス城に接近。エルトシャン王率いるクロスナイツによってハイライン軍は撃退された。当方の被害は0』
 その報告を聞いて、オイフェはホッと胸をなでおろした。
(ノディオンに予め協力を頼んでおいてよかった)
 そう思うと同時に、焦りも生じる。
 アグストリアはやはり統一国家でないが故の綻びが存在する。
 今回はハイラインだけだったからよかったが、北方のアンフォニー軍やマッキリー軍までが動いていたら事はもっと大事になっていた。
(これは早いところヴェルダン攻略を終わらせて、エバンスもしくは本国へ戻った方がいいですね)
 そこに、これまで外出していたシグルドが戻ってきた。
「おかえりなさいシグルド様」
「ああ、ただいまオイフェ。それにフィンも手伝ってくれているのか」
「はっ。いろいろと学ばせてもらっております」
「はは、そう固くならなくていい」
 真面目に返答する青き騎士に、シグルドはちょっと困った風に笑ってみせた。
 どこか、落ち着きがない。
「私も手伝おう……というか本来なら私もやるべきだからな」
「いえ、しかしシグルド様はお疲れでしょう。ごゆっくりおやすみください」
「いやいや。こうして仕事でもしていたほうが落ち着くからな」
 確かにシグルドは落ち着きがない。
 椅子に座り込み、机を前にしてもどこか上の空だった。
「あの、シグルド様?」
「ん、なんだオイフェ」
「失礼ですが……なにかありましたか?」
「ああ、いや、それは」
 と、シグルドはなぜか顔を赤らめ、しどろもどろになった。
 ますますあやしいその様子に、オイフェだけでなくフィンも視線を向ける。
 2人にじっと見られ、シグルドは照れ臭そうに白状した。
「恥ずかしながら……一目惚れというものをしてしまったようだ」
「えぇっ!?」
 2人は思わず声を上げてしまった。
 シグルドと一目惚れというものがどうしても合わないように思えたのである。
 このときまでは。