長き時を経て

第6話
 この時期、オイフェはエバンスにいる。
 ノディオンを中心としたアグストリアの動きを注意深く観察しながら、雑務もこなしていた。それでも以前と比べれば大分楽になった。
 ジャムカ王子らの働きにより、ヴェルダンの治安が回復しつつあったのが大きい。
 新たに雇った兵たちは荒くれ者が多いため、その手のことに長けた者でなければ務まらない。
 そのためシグルドやキュアン、さらにはアイラやミデェールといった手の空いている実力者たちは、兵の訓練に明け暮れている。
 その間、オイフェやフィンといった若手の者たちは比較的暇になった。
 彼らは城の中庭で訓練をしていた。
 オイフェなどは、まだ剣の扱い方がさほどうまくない。
 故に暇を見つけては訓練し、そうすることで早く一人前の騎士になろうとしている。
 対するフィンは、割とゆとりを持って訓練に臨んでいる。
 ヴェルダン戦で多少の働きをしながら、少しだけ戦いというものが分かってきたらしい。
 その槍さばきは、先日師ともいえるキュアンにも誉められる程度のものにはなっていた。
 もっともフィンはそんなことでは満足しない。
 キュアンの誉め方は、あくまで自分の弟子のような存在に対する誉め言葉だった。
 今度は、1人の人間として認められるぐらいにはなりたかった。
 実際稽古でキュアンに挑んでも、彼は未だ1本を取れずにいる。
「少し休憩にしませんか」
 汗だくになったオイフェが、タオルで顔を拭きながらフィンに提案する。
 フィンの方はまだ体力的に余裕があったが、ここで断わるとオイフェに無言の圧力をかけてしまうと思い、その提案に従った。
 中庭に生い茂る木々の影に入り、横になる。
 枝と葉の隙間から見える青空が眩しかった。
「そういえばフィン。なぜキュアン様はレンスターに帰られないのだろうか」
「……それは、どういう?」
 オイフェの質問の意図が分かりかねたので、フィンは首をかしげた。
 なるべくフィンに誤解を与えないよう、オイフェは慎重に言葉を選んでいく。
「キュアン殿はレンスターの王子でしょう。そしてレンスターは常に南方のトラキア王国に狙われている」
 それは大陸における、もっとも有名な因縁。
 地槍ゲイボルグのレンスター王国と、天槍グングニルのトラキア王国。
 かつて兄妹が建国したこの2つの国は、今では不倶戴天の敵同士となっている。
 ある意味では、現在揺れ動いているグランベルとアグストリアの関係などよりももっと深刻な状態が、ずっと続いているといえる。
 そんな状況下のなか遠国シアルフィに駆けつけてくれただけでなく、当面の問題であるヴェルダンとの戦争が終わった今でもシグルドの側にいる。
 シグルド側としてはありがたいのだが、レンスター本国の方は大丈夫なのだろうか。
 そのことをオイフェは、ややくどい調子でフィンに告げた。
 フィンは押し黙った。
 答えようがないのである。
 実は彼自身、オイフェと同じような考えに至っていた。
 そしてそのことをキュアンに尋ねたこともある。
『ヴェルダン戦は終結したのに、本国へは戻られないのですか?』
 キュアンは苦笑するだけで、はっきりとした答えは示さなかった。
 ただそのことからフィンは、キュアンが感情というものでここに残っているような気がした。なにかしらの考えがあってのことではないだろう。
 レンスターにとって今回の出来事は、はっきり言えばほとんど利点がない。それでもこうしてここに残っているのは、シグルドとキュアンの友情の厚さによるものだろう。
 そんなキュアンを、フィンは好ましく思う反面ふと不安に感じることもあった。
 キュアンの人柄は実直で、友情に厚く、人からは好かれやすかった。
 だがその性格によっていつか、キュアンが破滅する可能性もある。
 フィンはキュアン以上に実直な面のある男のため、そこまで考えは至らない。
 ただ漠然とした不安感を抱いているだけである。
 と。
 そこへ、大きな剣を手にした金髪の剣士がやって来た。
 最近雇った傭兵たちの中でも群を抜いた実力者。
 アレクやノイッシュといったシグルド直属の騎士では歯が立たず、アイラの流星剣によってようやく倒せたという凄まじい男である。
 名はホリン。
 シグルド軍の中ではアイラと並び賞された稀代の剣士である。
「ここにいたか。シグルド公子が呼んでたぞ」
 あまり口数の多い男ではないが、寡黙という感じもしない。
 どこか凄みのある静けさを持った、不思議な男である。
「なにかあったのでしょうか」
「ああ。公子の顔色が優れなかったことから、あまり良いことではなさそうだがな」
 ホリンの言葉に、オイフェは嫌な予感がした。
 実はエルトシャンが、シャガール王を説得しに行ったという情報が既に入っている。
 それからしばらくは特に情報もなかったため、楽観視していた。
 が、どうやら悠長なことを言っていられる時期は過ぎてしまったらしい。

 部屋の中には、キュアンやエスリンといった、シグルドとも密接な関係にある者たちが集められた。
「エルトシャンが、シャガール王に捕らえられた」
 そう告げるシグルドの表情は、かつてないほどに悲痛なものであった。
 友人を捕らえられたという個人としての痛みもある。
 そしてそれ以上に現実的な痛みもあった。
 エルトシャンは、グランベルとの戦争を始めようとするシャガールを引き止めるために説得に行った。
 そのエルトシャンがシャガールによって捕らえられた以上、シャガールにはグランベルとの戦争を行う意思があるということになる。
 さらにアグストリアの諸侯は全てシャガールに従い、反グランベルの色を示していた。
 エルトシャンの説得が失敗したという事実は、グランベルとアグストリアの全面戦争の火蓋を切って落としたも同然なのである。
 グランベルの本隊は未だイザークへの外征から戻らない。
 つまりアグストリアとの戦争を行うとなれば、このエバンス城にいるシグルド軍だけで相手をしなければならなかった。
 いくら兵力を調達したからといって、一個の軍とアグストリア連合では数が違う。
 シグルド軍は、このまま黙っていては壊滅するしかなかった。
 そこに、更なる衝撃がもたらされた。。
 扉を数回ノックし、声をかけて入ってきたものがある。
 それはノディオンにいるエルトシャンの妹姫――ラケシス王女からの使者であった。
「急ぎお伝えしたいことがあり、参りました」
「なんだ、なにかあったのか」
「我がノディオン城が、隣国であるハイラインに攻め込まれようとしているのですっ!」
「な……っ!」
 ――――なんということか、既に戦いは始まっていた。
「ハイライン軍は現在ノディオン西の平野まで進軍中。明日にはノディオン城まで到達するものと思われますっ」
 使者の顔色は悪い。
 それはそうだろう。
 現在ノディオン城は、とても無防備な状態にある。
 王たるエルトシャンの不在だけでも痛いが、そのうえ大陸最強とうたわれたクロスナイツも今はいないのである。
 以下は余談。
 アグストリアは大陸西部を支配する国だが、北部に一つ大きな問題を抱えていた。
 海賊である。
 オーガヒル海賊と呼ばれるこの集団はアグストリア建国前から存在したとされる。
 彼らはアグストリアの開拓を阻み、常に自分たちの領土を脅かされまいとしてきた。
 そのためにアグストリアは隣国とも言うべきシレジアとは断絶状態にある。
 大陸北部に位置するシレジアと西部に位置するアグストリア。
 両者の間には常にオーガヒルの海賊が存在していたため、交通が容易ではなかった。
 当然アグストリア側はそれを良しとせず、海賊たちと小競り合いを続けている。
 その、対海賊戦の最前線の一つとも言うべきシルベールにクロスナイツはいる。
 ノディオンに戻ってくるには遠すぎた。
 王もおらず、騎士団もおらず。
 本来ならばそんなことをいちいち憂う必要などなかった。
 東にはエルトシャンの親友であり、堂々たる同盟国であるグランベル。
 そして西には、仲が良くないとはいえ同じアグストリア連合のハイライン。
 心配する必要など、本来はなかった。
 ノディオンは孤立させられた。
 その状況は、奇しくもかつてのシグルドの状況と似ていた。
 ヴェルダンが攻め入ってきたときのことである。
 使者はその状況を手早く説明し、ラケシス王女がシグルド軍に援軍を要請している旨を伝えた。
 シグルドは使者を下がらせて休むよう命じると、途端に立ち上がった。
「かつて我が親友エルトシャンは、ハイライン軍からエバンス城を守ってくれた。騎士として、また友として、私はその恩に報いたいと思っている」
 その言葉にキュアンはあっさりと頷き、同意を示した。
 おそらくシグルド軍の他のメンバーも同様だろう。
 シグルドという1人の英雄に感化された結果か、シグルドの考え方は軍全体に行き渡っているようだった。
 だから、オイフェは人数の揃わないうちにシグルドに異議を唱えた。
「お待ちください。ノディオンを助けるのですか?」
「そうだ」
「僕は賛成しかねます。それは、下手をすれば侵略となりかねませんよ」
「どういうことだ、オイフェ。侵略しているのは、ハイラインの方だろう」
 救援要請を受けて、助けに向かう――それのどこが侵略なのか、とシグルドは言う。
 シグルドには政治的欠陥があった。
 それも、致命的に。
 この複雑な状況のなかを、ただ友情のために動こうとしている。
 それは傍目には美しい行為にも見えるが、実際はひどく危ういものなのだ。
「ノディオンを助けるとは、具体的にどうするのですか」
「ハイライン軍を撃退するに決まっているだろう」
「それは、ノディオンへの侵略を食い止めるだけですか? それともハイラインそのものを打ち倒しますか? シグルド様、そうなれば我々ははっきりとアグストリアを敵に回すことになりますよ」
「覚悟のうえだ。エルトシャンの説得を聞き入れなかった以上、シャガール王もその意思があるのだろう」
「重要なのは意思だとか、そういうものじゃないんです。立場こそが重要なんです」
 ノディオンをハイラインから助けたと仮定する。
 ハイラインのバックには、当然アグストリア王家が絡んでいる。
 事実上アグストリアそのものに戦いを挑んだことになるだろう。
 ここでハイラインの処遇が問題になる。
 ノディオンは王が不在のうえに、助けを求めている身だ。
 ノディオンには、ハイラインの処遇を決める権限などおそらくはないだろう。
 そうなるとシグルド軍にその役目が回ってくる。
 当然アグストリアと戦いを始めた以上、放っておいたりすることはできない。
 制圧し、支配下におさめるのが妥当である。
 それは、アグストリアへの侵略となる。
 アグストリア諸侯の反グランベルはいよいよ激しくなり、シグルド軍はそれらをいちいち相手にする。
 その都度相手を倒しては支配するという戦いの繰り返しにならないとは限らない。
 ノディオンの救援要請に従い、ハイラインを倒したとしても、その後の処遇を決めることがシグルドにはできないのも問題だった。
 シグルドは一軍の長ではあるが、それは頂点に立つ者というわけではない。
 彼の上にはさらに、グランベル王という絶対者が存在する。
 シグルドの行動、その結果を決定するのは彼自身ですらないのである。
 彼が友のためにと思って兵を出すことが、必ずしも良い結果に結びつくとは限らない。
 オイフェはそのことを丁重にシグルドに伝えた。
 が、この頃のオイフェはまだ若かった。
 自分の頭では理解できても、それを相手に伝えることが、まだあまりうまくなかった。
 シグルドはオイフェの話にしっかりと耳を傾けている。
 だがその内容をしっかりと理解しつくしているかと言われると、少々怪しい。
「オイフェ」
 オイフェの話が一区切りついた頃、シグルドはオイフェを制した。
「お前はどうするのがいいと思う?」
「……状況はあまりよくありません。深刻とさえ言えます。ここは迂闊に兵を出さず、自重するのがよろしいかと」
「そうか」
 シグルドはそのことに首を捻りつつ、もはや頭の中ではノディオン進軍の手筈を考えている。
 オイフェの言わんとすることは、おぼろげにならば分かる。
 シグルドも馬鹿ではない。頭は切れるほうだった。
 だが政治感覚という、思考とは全く別の、もっと人の奥底にある部分がオイフェとは異なっている。
 例えどんな障害があろうと、その場で助けを求めているものがいれば思考云々よりも先に、条件反射といっていいほどの自然さで手を差し伸べてしまう。
 それがシグルドの美点でもあり、決定的な弱点でもあった。
 彼が首を捻っているのはオイフェをいかにして説得するか、ということだった。
 シグルドはオイフェの頭脳を頼もしく思っている。
 以前から軍略や政治学などで、オイフェは人並はずれた才能を発揮していた。
 だからこそ、こうして自分と意見が分かれたときの説得が難しいと見ている。
「オイフェ。だがこのままここにいては、アグストリアの全軍をこの城で迎え撃たねばならなくなる」
「エバンスへ向かう道は狭いのです。兵を集中させ、交代で休ませながら戦えば勝機はあります」
「ではラケシス姫はどうなる。オイフェは彼女を見捨てるというのか?」
 オイフェに対する一番の決め手だった。
 確かに彼は、人並はずれた頭脳を持っている。
 シグルドよりは遥かに政治向けの感性もあった。
 だがまだ幼い。
 非情になりきることが出来なかったのである。
 シグルド自身も青い顔をしている。
 咄嗟に言ってしまった言葉が、オイフェを傷つけたかもしれない。
「――すまないオイフェ。動揺していたようだ」
「いえ。……」
 それきりオイフェは黙る。
 先ほどのシグルドの様子からして、もはやノディオンへの救援は決定事項となったのだと察した。
 そうとなればこれ以上異論を挟んでいる暇はない。
 多少不愉快ではあったが、オイフェはどうにか意思を切り替えた。
「では、これより全軍の召集を行いノディオンに兵を送ります。よろしいですね」
「ああ。頼む」
 シグルドが頷き、キュアンやエスリンが立ち上がった。
 退室する際、キュアンが気を使うように肩を叩いてくれたのが少し嬉しかった。
「シグルドはお前を嫌ってるわけじゃない。本当に動揺していただけだろう。あまり悪く考えないでやってくれ」
「承知しております」
 口には出さず、お互い目で語り合った。
 言われずとも、退室する際にちらりと見たシグルドの表情を見れば明白だった。
 ヴェルダン戦のときとは、精神的負担が比べ物にならないだろう。
 今彼の頭の中では、どうすればエルトシャンのためになるのか、といった考えが絶えず動き回っているに違いない。
 そしてその考えは、黒色の闇へと呑まれていくばかりなのだ。

 一刻もしないうちに、シグルド軍はエバンス城から出撃した。
 兵力は以前とは比べ物にならない。
 シグルドが全軍の指揮官となり、その下にいくつかの隊を配置。
 キュアン、アイラ、ジャムカ、ミデェールなど、それなりの実力者が各隊の指揮を執る。
 フィンは彼らほどではないが、数十人を率いる小隊を任されている。
 ヴェルダン戦の頃よりも倍以上の人数だったが、もフィンはきちんとまとめていた。
 フィンの戦い方は堅実であり、慎重であった。
(あまり無茶をしなければ、きちんと兵たちは従ってくれる)
 彼の隊はキュアン隊、エスリン隊の支援が主な任務だった。
 そのため自分で戦況を見極めて行動するということは、ほとんどしなくてもよかった。
 もちろん怠ることはできないのだが、大隊の指揮を任されているキュアンたちに比べればずっと楽だろう。
 戦場は近い。
 ノディオン城が見えてきた頃、既に怒号が聞こえてきた。
 よほど凄まじい戦いなのか、人が波のように動き、砂煙さえ舞い上がっている。
「フィン、全軍全力で突撃! 直ちにハイライン軍と交戦に入る!」
「はっ!」
 キュアンが大声でフィンに指示を伝える。
 そのまま自分の隊にも同じことを告げようとしたとき、キュアンがさらに一言付け加えた。
「フィン隊はノディオンへ向かい、ラケシス姫の護衛部隊と力を合わせて彼女を守りぬけ!」
「えっ」
 その指示は予想外のものだったのか、フィンは一瞬口を開けたまま前方を――キュアンの後姿を見ていた。
 戦には加わらず、護衛の任に就けと言われるなどとは、思いもしなかったのである。
「どうしたフィン、返事はっ!」
「は……はっ!」
 納得しがたいものを感じながらも、異論を挟める状況ではない。
 仕方無しにフィンは返答する。
 それ以外に、どうしようもない。
 キュアンはフィンの返答を聞くと、エスリン隊と共にハイライン軍へと向かっていく。
「……我が隊はこれよりノディオンへ向かい、ラケシス姫の護衛にあたる」
「はっ!」
 こうしてフィンは、ハイライン軍への道から外れ、ノディオンへ向かうことになった。
 その先に、彼にとって重要な出会いが待ち受けている。

 ノディオン付近は激戦区と化していた。
 主力であるクロスナイツ、そしてエルトシャンの不在。
 そのことから指揮はラケシス姫が、そして主力部隊はラケシスの護衛部隊が務めることになる。
 だが姫の護衛部隊とは、普段は戦場に出る者たちではない。
 ハイライン軍の相手をするには、非情に不利だった。
 実戦経験の差とは、一般に考えられている以上に大きい。
 見る見るうちにノディオン軍は押され、城下町の手前で奮闘するのが精一杯であった。
 ラケシスは玉座にいる。
 エルトシャンが留守の間は、残された彼女のみが王族ということもあり、ノディオンの全てを取り仕切っていた。
 彼女の政治学力は平凡なものだったのか、非凡なものだったのか。
 あまりに短い期間だったためはっきりとは分からないが、軍略にはさほど明るくなかったらしい。
 戦に関しては全てイーヴ、エヴァ、アルヴァの聖騎士3兄弟に任せていた。
 彼らのほうが自分よりマシだと判断したのだろう。
 事実、この3人はそれなりに優れた騎士であり、指揮官だった。
 エルトシャンが信頼し、ラケシスを任せるだけの人物であったことは間違いない。
 だが5倍もの大軍で押し寄せてくるハイライン軍を撃退するだけの知恵はなかった。
 ラケシスの傍らにはノディオンの重鎮たちがいる。
 彼らは基本的にエルトシャンの命をこなすことには長けていたが、今回のような急激な事態に対応することには慣れていなかった。
 そこでラケシスは、軍略に明るい者を呼び出していた。
 その者は、玉座の前に立つラケシスの前に音もなく現れた。
「ただいま参りました、ラケシス様」
「待っていたわ、ティール。ごめんなさいね、こんなときに呼び出して。でも今は貴方の力が必要なの」
「もったいなきお言葉。国の窮地に力を振るわずして何のための家臣でしょう。私に出来ることならば喜んでお引き受けいたします」
 そう言ってはみせたが、ティールの顔色はひどく悪い。
 この状況に怯えているわけではなく、体調を崩しているのである。
 彼はもともと身体が丈夫ではなく、ヒミルがエルトシャンと共に捕らえられたと聞いてからずっと体調を崩していた。
「貴方には全軍の指揮を任せます。もちろん私もできるかぎりの補佐はするつもりです」
 ラケシスの言葉に、重鎮たちの間からどよめきがおこった。王族であるラケシスが指揮権を放棄し、家臣であるティールの補佐に回るというのである。
「ひ、姫様。それはいくらなんでも」
「ティール殿、お断りなされよ。そなたは体調を崩している、無茶はするべきではない」
「――――いえ、やらせていただきます」
 辛そうに、しかしはっきりとティールは答えた。
「この緊急事態。わざわざ私のような者が呼び出されるほど状況が切迫している以上、もはや体面にこだわっていることはできません。皆様方も、共に力を合わせて全力でノディオンを死守いたしましょう」
 自分の力を誇示せず、重鎮たちの立場をよく理解してティールは言った。
 重鎮たちもそう言われては悪い気もせず、とりあえずやってみるしかないか、などと言いはじめた。
「私はこのような状態。前線で戦えば足手まといになりましょう。イーヴ様方は?」
「城門前で、町に敵が入らぬよう奮闘しています」
「……そうですか。では」
 そこから、ティールは別人のようになった。
 まだ幼い身ながら、てきぱきと無駄なく各人に指示を出している。
 父親であるヒミルの教育の賜物でもあるだろうが、天性のものもあるだろう。
 ただしその姿が頼れるものであるかと言えば、そうではない。
 一見すると女性のようにも見えるほど華奢であり、さらにまだ幼い。
 顔色も悪く、立っているのも少々辛そうな有様であった。
 そこに威厳というものは一切なく、ただひたすらに頼りない。
 それでも他に手がないため、人々は動く。
「ティール、私は?」
「ラケシス様はこの場にいることが仕事です。ああ――最悪の場合に備えて落ち延びる準備をしておいたほうがいいでしょう」
「……ごめんなさい」
 と、汗だくになっているティールを見かねたのか、ラケシスはそんなことを言った。
 だがティールは笑って取り合わない。
「もうじきシグルド様がやってきます。それまでの辛抱ですよ」
 が、オイフェ同様ティールは少々危惧している。
 シグルドがノディオンにやって来ることで、その後ノディオンがどうなるのか。
 そんな漠然とした不安がある。
 ただ彼の場合、そうでもしなければハイラインに制圧されてしまう状態にある。
 細かいことをいちいち躊躇っている余裕はない。
 ただ少しでも長く、ノディオン国を維持することだけを考えていた。