長き時を経て

第9話
 アンフォニーを陥落させた後、シグルドは旅の吟遊詩人レヴィンと“会見”した。
 そこでレヴィンはシグルドの人柄を認め、協力を約束した。
 結果的にレヴィンの参入はシグルド軍に大きな利益をもたらした。
 大陸北方を制するシレジア王国の、天馬騎士団の参入である。
 シレジア王国では、数年前に王子が突如出奔した。
 王位継承者の突然の出奔という大事件は、王室内で内密に処理された。
 そのため王子出奔の情報はシレジア国内でも、僅かな者しか知らない。
 その後、失踪した王子を探し出すために少数の天馬騎士が捜索を開始した。
 捜索隊の隊長はフュリーという女性で、王子の幼馴染であり、天馬騎士としての素質も持っていた。
 彼女らは大陸中を探し回り、アグストリアへたどり着いた。
 丁度シグルド軍とアグストリアの戦いが勃発した頃のことである。
(これを利用しない手はない)
 城下で聞き込みをする彼女たちを見つけたシャガールはそう思った。
 天馬騎士は空を駆けるという点で、他の兵種とは異なっている。
 その性質上奇襲や偵察などに向いているという点では非常に使い勝手がいい。
 シャガールは彼女たちを城に招き、王子がシグルド軍に捕らわれ、今にも処刑されそうになっているという情報を流した。
 それを聞いたフュリーたちは急ぎシグルド軍の陣営へ向かった。
 が、そこでシャガールの予期せぬ事態が起きた。
 フュリーたちが探していた王子――レヴィンが、彼女たちをシグルド軍に引き入れてしまったのである。
 レヴィンは奇襲を仕掛けてきたのが天馬騎士だと知るや、すぐさまフュリーに自身の状況を伝えた。
 探し人を見つけた彼女たちのするべきことは、彼を護衛しつつシレジア本国へ戻すこと。
 そのレヴィンがアグストリアと敵対している以上、フュリーたちもアグストリアと戦うことになる。

 シグルド軍はアンフォニーから急遽引き返し、ノディオン北東にあるマッキリーを陥落させた。
 マッキリーからさらに北方に進むと、そこがシャガールのいる王都アグスティである。
 次の戦いは規模が大きくなると見たシグルドたちはマッキリーで軍を止めた。
 アグスティに残る大軍を相手にするため、準備をしなければならない。
 その間オイフェは軍備に追われており、フィンもラケシスに付きっ切りであった。
 護衛のため、というのが表向きの理由だが、実際のところはラケシスがフィンを側に置きたがっているのである。
「フィン、私にも槍というものを教えてください」
「槍、ですか?」
 フィンが手にしていた槍を見ながら、ラケシスは突然そんなことを言い出した。
 一秒もおかずにフィンは頭を振る。
「槍は重いですし、慣れるまでは非常に扱いが難しいですよ」
「それでも、フィンは軽々と扱っていました」
「私はこれでも何年と鍛錬を続けてきていますから」
 槍、あるいは自分を低く見られていると感じたフィンは、少し強い口調で言った。
 基本的に謙遜家でありながら、フィンは槍に関してだけはプライドを持ち続けている。
 ラケシスはフィンの答えが気に入らなかったのか、眉を尖らせてそっぽを向いた。
 こういうときの彼女に対してどう言葉をかけたらいいのか、フィンにはよく分からない。
 しばらくそうしているうちに、ラケシスの表情が寂しげになっていることに気づいた。
「……兄様は、無事なのでしょうか」
「……」
 心細いのか、とフィンは意外な気持ちでこの少女を見た。
 普段は強気で好奇心旺盛、少し我侭なところもある。
 そんな彼女でも、やはり血を分けた兄の安否を思うと、どうしようもなく不安になるものなのだろう。
「――――エルトシャンは、きっと無事だと思うがね」
 ……その声によって、フィンの思考は中断された。
 ゆっくりとした足取りでこちらへと向かってくるのは、先日シグルド軍に入ったベオウルフだった。
 シグルド軍に入るまでの過程や、無遠慮な話し方などが、フィンは少し気に入らない。
「あいつがそう簡単にくたばるとも思えんし、シャガールの方もエルトシャンを殺すほどの度胸があるとは思えん」
「……ベオウルフ殿、何用ですか」
 まるでエルトシャンを知っているような口ぶりに不信感を抱きながら、フィンは尋ねる。
 その声の内に込められた苛立ちを察知したのか、ベオウルフは肩を竦めて見せた。
「安心させるつもりだったんだがね。一応、なにかあったときは妹を頼むって言われてたんでな」
「貴方……兄上を知っているのですか?」
 ベオウルフの言葉にようやく反応したラケシスが、意外そうにベオウルフを見た。
 その場にいるだけで高貴な印象を周囲に振りまくエルトシャンと、その辺の酒場にでもいそうなベオウルフとの間に、繋がりがあるとはとても思えなかったのである。
「昔からの付き合いだ。まぁ奇縁とでも言うのかね」
 おかしそうに笑いながら、ベオウルフはラケシスの前に立った。
「さて、親切心から一つ忠告しておこう」
「な、なんですか」
「――――あんたみたいなヒヨッコは戦場でうろちょろするな。姫さんは姫さんらしく、城でじっとしてろ」
 それまでの軽い表情を掻き消し、鋭い鷹のような目でベオウルフは言い放った。
 身分を一切気にせず、ただ戦場におけるベテランとしての言葉を告げる。
 それはラケシスの胸に深く突き刺さったらしい。
 言われた途端、ラケシスの顔色が悪くなった。
「ベオウルフ殿、それは失礼ではないでしょうか」
「何言ってんだ槍の坊や。お前さんだってこの姫さんの護衛さえなければ、もっと効率よく動けるんだぜ」
「……」
 図星だった。
 ラケシスの護衛を任された以上、フィンに行動の自由は与えられていない。
 それがなければ、戦場においてもっとキュアンたちの役に立つことが出来る。
「そういうわけだ。あんたはエルトの帰りをノディオンで待ってれば――」
「――――待ってなんかいられません!」
 ベオウルフの言葉を遮断して、ラケシスの叫びが周囲に響き渡った。
 これにはフィンもベオウルフも驚いた。
 身体中が瞬間的に麻痺してしまったかのようである。
「黙って聞いていれば言いたい放題ですのね。貴方にそんなこと言われる筋合いはありません、大きなお世話です」
「いや、しかしだな」
「私が行くと決めたんです。役に立たないと仰られるのなら、明日にでも貴方を打ち負かしてさしあげます!」
 先ほどの顔色の悪さはどこへいったのか。
 ラケシスはいつものように強気な目で、ベオウルフを睨みすえていた。
「……ククッ、成る程」
 ベオウルフは両手をあげながら、まいったまいったなどと言いながら笑い始めた。
「な、なにがおかしいんですか!?」
「いやなに。その強気なところとか、融通が利かないところとか、無茶苦茶なところ。姫さんはやっぱエルトの妹だ」
 そう言われると、ラケシスは嬉しいやら腹立たしいやら、複雑な心境らしい。
 なんとも言えない顔で、困ったようにフィンの方を見た。
 フィンとしても、ちょっと話についていけない。
 ベオウルフやラケシスに驚かされて、どう反応していいのか分からないのである。

 マッキリー城下町にある闘技場。
 そこで今、一人の少年が七人抜きを達成した。
 白銀の長髪、一見女性のようにも見える小柄な体格――ティールであった。
 闘技場から出るとき、彼の手には大量の資金が入った袋があった。
 汗だくになりながら、その袋を振って中身に金貨が入っていることを確認する。
 そのとき、彼の周囲に数人の男が現れた。
 彼らの視線はティールが手にしている資金に集中している。
「大分お疲れのようだなぁ……金さえ置いていけば、ちゃんとお家に帰してやってもいいぞ?」
「ゲハハ、もし逆らったら身包み剥いだうえに人買いにでも売りつけてやるかなぁ」
 凶悪な人相の連中が全部で三人。
 人数を確認しながら、ティールは自分の額に手を当てた。
 確かに疲れている。
 短時間に七回も真剣勝負をしたのだから、疲労は回復する暇がなかった。
 元々の体力が少ないため、ティールは今息も切れていた。
 ……どうしよう。
 疲労すると思考の働きも鈍くなる。
 だからか、どうしてもいい方法が思い浮かばない。
「どうした、ビビって声も出ないか?」
「疲れてるせいで頭が回らないんじゃねぇか」
 嘲笑が響き渡る。
 周囲の人間は見てみぬ振りを決め込んでいるらしい。
「……確かに頭がうまく回らないかも。いい方法が思い浮かばない」
「だったら素直に金置いていくしかないよなぁ」
「早く出せよ、ゲハハ!」
「……仕方ない」
 本当ならもう少し穏便に事を進めたかったのだが。
 いい方法が思い浮かばないなら、仕方がない。
「やりますか」
 懐に持っていたウインドの魔道書をめくりながら、ティールは静かに男たちと対峙する。
 男たちにとってティールの行動は意外だったのだろう。
 刹那の静寂の後、さらなる嘲笑が響き渡った。
「そんな疲れた顔しやがって、何する気だって?」
「やるのか、やってもいいのかぁ?」
 馬鹿にするような笑い。
 それが少しだけ鬱陶しかったが、ティールは動かない。
 やがて男たちも馬鹿笑いを止めて、ティールの方にはっきりと対峙した。
「ちっ、調子に乗りやがって……!」
 ナイフを持った男がティールに突撃する。
 その動きは直線的で、非常に単調。
「ウインド」
 ぼそりと告げる声が、空気を切り裂く刃を生み出す。
 ナイフを持って突撃してきた男は、成す術もなく吹き飛ばされた。
 身体中に細かい傷跡ができている。
「……お、思ったより元気じゃねぇか」
「ウインド」
 吹き飛ばされた男を見て及び腰になった男を、再び風の力で吹き飛ばす。
 これで残ったのは一人となった。
 だが、
「……まずいですね」
 こんなときに限って、ウインドの魔道書から魔力が失われた。
 それを見た男は、警戒の表情を解いて汚らしい笑みを浮かべた。
「魔道書が切れたか? マージにとっちゃ魔道書切れは致命的だって聞いたことあるぜ」
「確かに……これが頼りでした」
 がっくりと肩を落とすティール。
 それを好機とみたのか、男は真っ直ぐにティールへと……
「ぐえっ!?」
 飛び掛ろうとしたところで、後ろから襟を掴まれた。
 そのまま地面へと叩きつけられる。
「ど、どこのどいつだ!?」
 突然の乱入者に激怒した男は、起き上がりざまに怒鳴りつけた。
 が、正面に立つ男は動じない。
 何者だ、と男が怪訝に思ったとき、ティールが口を開いた。
「どうもありがとうございます、シグルド様」
「シ、シグルドッ……!?」
 乱入者――シグルドは何も言わない。
 ただ無言で、どこかへ失せろと示した。
 マッキリーの新たなる支配者として、シグルドの名は鮮烈過ぎた。
 男はやられた仲間を助けることさえ忘れ、何度も転びながら逃げ出していった。
「危ないところをどうも。おかげで助かりました」
 改めて頭を下げるティールに、シグルドは「構わない」と言って手をヒラヒラと振った。
「君の懐のソレを見る限り、加勢しなくとも良かったのかもしれないが」
「いえ、感謝してますよ」
 と、こっそり手にしていた短剣から手を離す。
「剣も使うのか」
「父からはマージナイトを目指すように言われてますので。体力がないので短めのやつを持っていろと言われました」
「なるほど。闘技場での戦いも見ていたが、君はなによりも体力をつけることが課題だな」
「……見てたんですか」
「私ももうすぐ試合だ。なにかと資金不足なものでね」
 変わった指揮官だ、とティールは苦笑した。
 指揮官がこうなのだから、シグルド軍の他のメンバーも闘技場で荒稼ぎをしているのかもしれない。
「ここで会えたのも何かの縁。シグルド様、少し報告よろしいでしょうか」
「ん、ああ……構わないが。何かな」
「私はこれからアグスティへ向かいます」
「――――」
 あまりに唐突な言葉に、シグルドは返す言葉を失った。
 アグスティといえばこれからシグルド軍が総攻撃を仕掛ける場所である。
 そこに単身、先行するとはどういうことなのか。
 思い当たる節は一つしかない。
「エルトシャンを、助けに行くのか」
「ええ。ついでに生きていれば私の父も」
 あっさりと告げるティールに、シグルドは「無謀だ」と言いたかった。
 だがティールが少しも気負っていないため、そう言うことができなかった。
「何か勝算でもあるのか」
「ないことはない、といったところでしょうか。……大丈夫、シグルド様たちの迷惑にはならないようにしますよ」
「……そうか」
 シグルドとしては反論するつもりもあまりない。
 本人がこうも自信満々ならば、何か考えでもあるのだろう。
「シグルド様」
 ティールは確認するような口調で言った。
「ラケシス様のこと、くれぐれもよろしくお願いします。エルトシャン様がどう出るか分からない以上、あの方の立場は非常に危ういものとなっております。故に、貴方やフィン殿たちに支えてもらいたい」
「心配するな。彼女の立場は分かっている」
 シグルド軍をアグストリアに呼び込んだのはラケシスである。
 シャガールが王にある以上、ラケシスはアグストリアに対する反逆者という立場になるであろう。
 エルトシャンがもし――もし、アグストリアへの忠誠心を取るというのであれば、ラケシスと彼は……。
「助けることよりも、説得する方が骨が折れそうです」
「確かに」
 お互いエルトシャンの性格を知っているだけに、このことには笑えないものがある。
 彼は妹であるラケシスをもちろん大切にしている。
 それでも彼の国に対する忠誠心は計り知れないものがあるだけに、油断が出来ない。
 さらに、シグルドに対しては大きく出たものの、エルトシャンの救出ということ自体が大問題だった。
 一瞬たりとも油断の出来ない潜入活動を強いられることになる。
 だが万一失敗したときのことを考えると、あまり他の人間を巻き込むこともできない。
「危なくなったらいつでも引き返してくるんだ。命を粗末にしないように」
「ええ、分かっております。私も自分の命が大事ですから」
 内心自分の命に対する関心などないことを隠しながら、ティールは単身アグスティへ向かった。

 アグスティの警戒態勢は非常に強い。
 シグルド軍にハイライン、アンフォニー、マッキリーを陥落させられることでシャガールの神経は相当鋭くなっていた。
 その影響が城下にまで及んでいる。
「よし、入れ」
 城門には、アグスティ城下に入ろうとする者の列が並んでいる。
 が、内乱状態にあるアグストリア内を移動しようとする者は少ない。
 列は短いもので、すぐにティールの番になった。
「次、お前はなんだ?」
「――――少々、会いたい方がございまして」
「……どうも臭いな」
 兵士はティールを疑わしげに見る。
 が、ティールはうつむいたままじっとしていた。
「会いたい相手とは何処の誰だ?」
「……野暮なことを聞かないでください」
「チッ、こんなときに男と密会か」
 兵士は無遠慮な態度で言った。
(……ふん)
 そんな兵士と、自分自身の格好をティールは内心軽蔑した。
 相手の油断を誘うためにティールは今女性用のローブを身に纏っている。
 声も高く身体も小柄であるため、男だとばれる可能性はほとんどない。
 女として関門を通過すれば、ほとんどノーマークで動くことが出来る、という考えである。
「まぁいい、行け」
「ありがとうございます。それともう一つ」
 自分の後ろに並んでいる者がいないことを確認して、ティールはそっと声をかけた。
「かのエルトシャン様がこちらにいるとお聞きしましたが、今はどうなっているのでしょうか」
「さぁな……噂じゃシグルド軍に対する切り札にするって話もあるけど」
「そうですか」
 本当なら居場所も聞き出したかったのだが、そううまくはいかないらしい。
(ま、末端の兵士じゃこんなものか)
 城門を越えて中に入り、物陰に入ってローブを一気に脱ぎ捨てる。
 その下にはいつもと同じ服装があった。
「……二度としない」
 高くそびえ立つ城を見据えながら、ティールはぼそりと呟く。
 シグルドたちもそうのんびりとはしていないだろう。
 エルトシャンを助け出すための方法を早く考えねばならない。