長き時を経て

第11話
 アグストリアにおける戦争は一旦は終了した。
 だがそれはあくまでも一時的なことに過ぎない。
 軍略家から外交家へとこの問題の担当が変わっただけに過ぎず、むしろアグストリア内の秩序は悪化しつつある。
 シグルド軍がアグスティを落とした直後はまだ安定していた。
 だがグランベルから役人たちがやって来ると、事態は悪化していった。
 彼らはアグストリアをグランベルの属国として扱った。
 その支配体制はお世辞にも良い物とは言えず、ひどいものになると民を奴隷扱いする者もいたらしい。
 解決する手立ては、戦術ではなく外交術である。
 シグルドはそのために奔走した。
 本国への書類を何百枚と書いた。
 また、シャガール側にも絶えず外交上の手を打っておいた。
 そうしないと、シャガールが何を仕出かすか分からないからである。
 シグルド軍は形式的にはグランベルの軍勢だったが、実際はグランベルとアグストリアに挟まれた形になる。
「シグルド軍の本心は一体どこにあるのか」
 という声がグランベル内部において上がってきた。
 こうした発言を主に唱えているのはフリージとドズルの貴族たちだった。
 彼らはシアルフィ公国からすればグランベル内部における政敵である。
 これを機に、シアルフィ公国の位置を貶めようという腹があったに違いない。
 それを見抜けぬグランベル王アズムールではない。
 彼はそれらの意見を黙殺しつつ、しかしシグルドからの嘆願には答えなかった。
 アグストリアがグランベルを侵略しようとしたのは歴然とした事実であり、結局は逆の結果になっただけのことである。
 グランベルからすればアグストリアが敵であることに変わりはなく、折角戦って勝ち取った土地をわざわざ“敵”に返してやる理由などどこにもない。
「シグルド公子は、まだその辺りを分かっていない」
 アズムールの側に控えながら、ヴェルトマー公爵アルヴィスが囁いた。
 アルヴィスからすれば、シグルドは未熟とかそういったものではなく、本質的に政治を理解し得ない人間のように思えるのである。
「彼は情義で行動し過ぎる。英雄にはなれるかもしれないが、民を導くことはできぬな」
 自分がシグルドの立場なら、とアルヴィスは思う。
「エルトシャンを裏切ってでもシャガール軍を完全に鎮圧する。然る後アグストリアを完全にグランベル領にし、内政に専念する」
 シグルドの行動はアルヴィスからすれば不思議だった。
 エルトシャンを裏切らず、民を苦しめず、グランベルに忠実であろうとする。
 そこまで都合のいい話はない。
 どれかを切り捨てない限り、やがては全てを失うことになるであろう。
「シグルドの本心は単純明快にして分かりやすい。ただ、彼が政治の中に身を置くと何処に転がるか分からない」
 それはある意味では策略家に対する言葉にも見える。
 しかしアルヴィスは、シグルド自身でさえも己がどこへ行くのか理解できていないのではないか――そういった意味を、言葉の内側に込めていたようでもある。

 シグルド軍は外交に精を出したが、お世辞にも効果が出ているとは言えない。
 元々シアルフィに滞在していた僅かな騎士団を中心に、途中で雇った傭兵たちで構成された軍なのである。
 その中に、外交に長じているものはいなかった。
 シグルド軍の頭脳とも言うべき軍師オイフェでさえもそれは例外ではない。
 彼は戦略家であり軍略家ではあったが、外交家ではなかった。
 素人と言うほど酷くはなかったが、秀でているとは言えない。
 そのため外交政治も虚しく、とうとうシャガール王が動き出した。
 元々シグルド軍相手に聞く耳を持たなかったシャガールは、軍勢をある程度回復させると、すぐに不穏な動きを始めた。
 やがて本格的に戦争になりそうだ、という声がシグルド軍にも流れ始めた。
 こうなると、もはや外交の出番はない。
「……駄目だったか」
 この日、オイフェは執務室でシグルドに今後のことを聞きに来ていた。
 彼の目の前では、生気をなくしたシグルドが項垂れている。
「シグルド様……」
「いや、すまない。オイフェはよくやってくれた。それなのに私がこうでは駄目だな」
「お気になさらず。それよりも少し休まれては」
 シグルドの顔色は悪い。
 彼はシアルフィを出て以来、ほんの僅かな幸せと、幾多もの困難の中に埋もれてきた。
 そろそろ息苦しくなってきても、不思議ではない。
「だがシャガールが動いている。私はグランベルの人間として、彼を討たねばならない」
「……」
「でなければ、我々が命を落とすだけだ」
 理屈では分かっている。
 しかしそれは、シグルドという一個の人間には受けいれ難いところがあった。
 ただ一つ朗報がある。
「それに、エルトシャンは現時点では中立を維持している」
 エルトシャンは、シャガールとは別にシルベールにいる。
 当然シャガールはエルトシャンにも参戦を命じたが、返事はない。
 やむなくシャガールは単独で立ち上がることになった。
「シャガールを倒し、そこでこの戦乱を収めれば、あるいは」
「そうなることを願うばかりだ。……どのみち兵は出さねばならない」
 シャガールの挙兵に乗じて、北方の海賊たちが暴れまわっている。
 それを放置しておくことはできなかった。
「ラケシスはどうしている?」
「フィン殿の話によると、近頃は杖の扱いも長けてきたようです。……心の迷いも、徐々に薄れつつあると」
「そうか、なにはともあれ……最悪の結果にならないことを祈ろう」
 この日、シグルドは軍を出し、五日でマディノを陥落させた。
 アグスティからの距離、敵兵の数を考えるとかなり短期間である。
 同時にマディノに駐留し、海賊の討伐を開始。
 アグスティにはディアドラや、生まれたばかりの子、セリス。
 シャナンやフィン、ラケシスなどが残されていた。

 このとき、歴史を変える大事件が起きる。
 シグルド公子の妻、ディアドラが姿を消したのである。
 ディアドラは、シグルドがマディノを陥落させたことを聞き、セリスをシャナンに預け、わずかな共を連れてマディノへ向かった。
 しかしその後、行方が知れなくなった。
 後にこの事実を知ったシグルドは、前後のこともあってひどく落胆したという。
 大勢の部下を前に涙することは抑えたが、その顔には死相すら漂って見えたほどだ。
 さらにもう一つ。
 グランベル王国の後継者、クルト王子が暗殺されたという報がシグルドの元へ入った。
 知らせたのは、グランベル王国内にあるエッダの司祭、クロードだった。
 彼はグランベル王国の現状を語った。
「クルト様はイザーク遠征の帰路に暗殺されました。疑いはバイロン卿にかかっています」
「なんですって?」
「王子殺害の日から姿が見えないことから、そうした噂が流れています。なかには、貴方を共犯とする噂まで流れている始末」
 この報せを聞いたとき、シグルドは顔を真っ青にして膝を地に付いてしまった。
 エルトシャンに関わる問題だけでも大変な心労だというのに、加えてそのような噂が流れている。
 騎士としてはなによりも耐え難い苦痛であった。
「ですが、父は王子の信頼も厚かった」
 疑わしいのはこの場合、反王子派のレプトール、ランゴバルト両公爵ではないか。
 シグルドは顔色を変えて反論したが、クロードは静かに頭を振った。
 証拠がない。
「工作が進んでいるのか、現在の宮廷はレプトールが牛耳っていると言っても過言ではありません。陛下は心痛のあまり倒れてしまいましたし、陛下の側近であるアルヴィス卿の考えはよく分かりません」
「……私は、陛下の命によりこの地を離れることが出来ません。しかし、父が心配です。私はどうすれば」
「だからこそ、私が来たのです」
 クロードはシグルドたちと同じ、十二聖戦士の子孫である。
 彼の国、エッダ公国はブラギが興したとされた。
 そのブラギが残した聖なる塔が、マディノの北西にある。
 そこでブラギの末裔たるクロードが祈りを捧げ続ければ、真実が見えるというのである。
 クロードは真実を見つけ次第、シグルドと合流し、彼の汚名を晴らし、共にグランベルへ帰ることを約束してくれた。
 だが、シグルドにとっては安心できない。
 国のこともそうだが、アグストリアの問題もまだ解決していない。
 シャガールを捕らえられなかったのである。
 おそらく彼はシルベールへ向かったのだろう、と誰もが見た。
 シグルド軍にできることは、シャガールを討ち取ること。
 それはつまり、エルトシャンとの決戦を意味していた。

 アグスティ陣中は険悪な雰囲気となっていた。
 既に彼らはディアドラ失踪を知っているし、シャガールを逃したことも知っている。
 次はエルトシャンとの決戦であろうことは明白だった。
 留守を預かっていたキュアン夫妻は、フィンとラケシスを呼び寄せた。
「あらぬ噂が流れている」
 キュアンは苦々しい顔で、ラケシスに向かって告げた。
 ラケシスは全て分かっている、という意味を込めて頷いた。
「私たちノディオン兵が、エルト兄様……いえ、エルトシャン側につくのではないかという噂ですね」
「……」
 キュアンは黙って頷いた。
 ラケシスの傍らに控えるフィンは、顔中に不服を表している。
「新たに雇い入れた傭兵たちはラケシス様をまるで信用していない。ラケシス様の心が分からないのか」
「それだけ彼らは現実的ということだ、フィン。信じるよりもまず疑う。そうでなければ、彼らは生き残って来れなかった」
「しかしキュアン様……!」
「お前の憤りは分かるが、そうしたところで何にもならない。ラケシス王女、どうすべきだと思う」
 キュアンはいつになく険しい表情を浮かべている。
 シグルド軍の現状がお世辞にもいいとは言えないことを、彼はシグルド以上に感じ取っていたのかもしれない。
 表向きはグランベル軍の軍としてアグストリアを追い詰めているが、実際は外の敵と内の敵に挟まれ、逆に追い詰められていると言っていい。
 これからは迂闊な行動はできないだろう。
「……私はエルトシャンを説得します」
「彼が説得に応じるかどうかだな、問題は。……あいつは頑固だぞ」
「知っています。少なくともキュアン様やシグルド様と同等以上には」
「……そうだったな。ああ、そうだ」
 血を分けた兄妹なのだ。
 とても仲の良かった兄妹なのだ。
 それだけに、この説得がどれだけ厳しいかを分からないはずがない。
「もし失敗したのなら、私は自害する覚悟です」
「ラケシス様……!」
「それくらいの覚悟がなければ、エルト兄様の心まで届かないもの」
 ラケシスの決意もまた固い。
 そういうところが兄妹だと、キュアンは寂しげに笑った。
「分かった、我々も協力しよう。ラケシスだけで向かえば人々の不審も買うし、敵に襲われる可能性も増える」
「ありがとうございます」
 ラケシスはかしこまって頭を下げる。
 エスリンには、その様がどことなく作り物めいているように思えた。
 だがそれは、必要があってしていること。
 本当の自分自身を出してしまえば、ラケシスはこの場で崩れ落ちてしまうだろう。
(何もかも、うまくいかないものね……)
 なぜか、エスリンは終焉と言うものを感じた。
 もうすぐ何かが終わってしまう、そんな悲しい予感である。

 シグルドたちは海賊討伐を中断し、マディノに多少の守備兵を配置した後シルベールへ移動することにした。
 シルベールにシャガールが逃げ込んだという情報が確かなものとなり、それまで中立の姿勢を見せていたエルトシャンらの動きが不穏になってきたからである。
 エルトシャン率いるクロスナイツは数こそシグルド軍に劣るものの、統率力で勝る。
 十人いれば百人を倒すといわれるその実力は、シグルド軍にとっても恐ろしいものだ。
 シグルドたちに先行して、アグスティで待機していたキュアンの軍勢も動き始めた。
 クロスナイツと戦うには、シグルド率いる軍勢だけでは足りないと考えたからである。
 この軍勢の大将はキュアン、隊長はアイラ、ホリン、ベオウルフなど、戦を通じてシグルド軍に加わった者たちで占められていた。
 それだけに闘志は高いが統率が難しい。
 キュアンだからこそ、これらの軍勢をシグルドから任されたのである。
 フィン、ラケシスは今回部隊を率いる立場ではなかった。
 軍の先鋒を移動する、ベオウルフ部隊に編入されていた。
 二人の後には、徒歩のティールがついてきている。
 彼はラケシスがエルトシャンの説得にあたると聞いてから、彼女をエルトシャンの元へ導く手筈を整えていたのである。
「でもどうやって……?」
「向こうの陣営に父がいます。書状でこの一件を知らせたところ協力を取り付けることに成功しました」
 ティールの父ヒミルは変わらずエルトシャンの側に控えている。
 エルトシャンの決断を全面的に肯定することはできなかったが、こうなったら彼と運命を共にする決意らしい。
 ヒミルに対しては、エルトシャンもこれを承諾している。
「父の部隊はベオウルフ殿の部隊に攻撃をしかけるそうです。その際我々は父と合流し、父の部隊に紛れ込んだままエルトシャン様の元へ」
「そういうこった。俺も協力してるんだ、ちゃんとエルトを説得してこいよ」
 近くで話を聞いていたのだろう。
 ベオウルフはシニカルな笑みを浮かべながら、ラケシスたちにウインクしてみせた。
 ラケシスはそれに、力強く頷いて応えた。
 側で控えているフィンは口元をきつく結び、槍を持つ手にも力が入っている。
 眼光は鋭く、彼方に見えるクロスナイツへと向けられている。
 彼はラケシスの護衛として彼女についていくことに決めた。
 場合によっては命ないものと考えた方がいいだろう。
 そうなったときは、せめてラケシスだけでも逃がすつもりでいる。
(命に代えても、彼女は死なせない)
 自分でも不思議なくらい決意は固かった。
 命に代えても兄を説得しに行く少女に感化されたのか、それとも他に理由があるのか。
 今のフィンにその理由を思考するだけの余裕はない。
 ただ、クロスナイツという大陸屈指の騎士団にして――――この少女の運命を決定する存在を、まるで威嚇するように睨み付けるのみ。

 キュアン軍勢の先頭を進んでいたアイラ、ホリン両隊がクロスナイツと戦闘に入ったのは夕刻時だった。
 兵たちの疲労を察してアイラたちが進軍を停止した、まさにそのとき。
 遠目に見えていたクロスナイツが、怒涛の勢いで押し寄せてきた。
 陣を整えようとしていたアイラ、ホリン部隊は慌ててこれを迎撃しつつ、後方の部隊にすぐさま伝令を飛ばした。
 それはベオウルフ部隊にも届き、ようやく一息いれようとしていた兵たちはいきなり戦闘に参加するはめになった。
「おいおい、これも作戦のうちか?」
「父は総指揮官ではありません。全軍を思い通りに動かすことなんてできませんよ」
 ベオウルフの言葉にティールは口を尖らせて反論した。
 このところ彼は回復して以降、以前よりも表情が豊かになってきている。
「ともあれ俺たちはうまい具合にヒミル殿の部隊へ仕掛けなきゃいけないわけだ。どうなってる?」
「父は左翼部隊の指揮を任されているはずです。おそらく父は回りこんでホリン殿の部隊を急襲するのではないでしょうか」
「曖昧だなぁ」
「戦時においてマニュアル通りになどいくはずがないでしょう」
「それもそうだ」
 ベオウルフはニヤリと笑って、話を聞いていたラケシスたちへ視線をやった。
「というわけだ、姫さんに槍の坊主。俺たちはこれからホリンの部隊を助けに行くぜ。……ついてこれなきゃ、置いてくぞ」
「分かってます。こんなところでのんびりしているつもりはありません」
「私はラケシス様の護衛を任されています。共に向かう以上、遅れることなどしません」
「――――いい返事だ」
 ベオウルフは二人の返答に満足したようだった。
 そのときベオウルフの表情を見て、フィンはふと思った。
 ベオウルフとエルトシャンは本当に知り合いで、友情で結ばれているのではないかと。
 無論その考えはすぐに霧散して消えた。
 しかし、後に残るのは若干の戸惑いだった。
「ベオウルフ殿、貴方は……」
「ん?」
「……いえ、なんでもありません」
「そうかい」
 兵たちはベオウルフの号令を待っているようだった。
 今か今かと視線で訴えかけてくる彼らに応えるように、ベオウルフは馬上の人となり剣を高々と掲げた。
「――――野郎共! これから俺たちは大陸最強と噂されるクロスナイツに命がけの喧嘩をふっかける! 死にたくない奴は残れ、死にたい奴はただ突っ込め、生きて恩賞にあずかりたい奴は敵を蹴散らせ! そして、そのためには俺の命令をきちんと受けろよッ!」
 おおおおっ!
 凄まじい荒くれ声が周囲一帯に響き渡る。
 それは今のラケシスたちにとっては、これ以上ないくらい頼もしいものだった。
「さぁて、行くぜ。進撃開始だ」
 ベオウルフの双眸が、野性的な輝きを放ち始めていた。