長き時を経て

第12話
 将たる者は、多くの部下を引き連れながらこの流れに乗らねばならない。
 古来名将と言われた人物は、その流れを人の数倍敏感に感じ取れるものらしい。
 フィンはベオウルフを見ていると、そんな気がした。
 戦いはかなり激しいものだった。
 押し寄せてくる熱気の波に、思わず身体が強張ってしまうほどだ。
 今回の敵はクロスナイツ。
 大陸最強と言われる、誇り高き騎士団である。
 窮地に陥ったアグストリアを救うため、決死の覚悟をした者たちである。
 生半可な相手であるはずがない。
 だが、そのクロスナイツを前にベオウルフはよく持ち堪えていた。
 相手が無理にでも押し寄せてくれば一旦退き、その後進んできた相手を取り囲み討ち果たす。
 矢のような形で迫ってくる相手には、絶好のタイミングで横合いから兵をぶつけて崩す。
 実力主義の面を持つ傭兵たちをうまくまとめている点も見過ごせない。
 指揮を執るベオウルフの姿は、フィンに強烈な印象を与えた。
「フィン!」
 ラケシスの声で意識を戻す。
 一人の騎士がこちらに向かって猛然と向かってきた。
 クロスナイツの一員である。
 フィンは片手で手綱を取りながら、その騎士に向き合った。
 そのまま突っ込んでくる騎士の槍を避け、相手の肩に槍を突き刺した。
 騎士はそのまま落馬し、そこを他の傭兵たちに狙われて討ち取られる。
 フィンは視線を騎士から逸らし、ラケシスの方に向けた。
 彼女もまた視線を逸らし、あらぬ方向を見ている。
(同郷人が敵なのだ、無理もない)
 今殺された騎士が自分の友人だったら、フィンも直視など出来まい。
 この戦いは色々な意味できついものだった。
「感傷に浸っている暇はねぇぜ! おい小僧、あれがヒミル殿の部隊じゃないのか!?」
 馬上のベオウルフが示したのは、クロスナイツの中にあって旗を掲げている一隊だった。
 クロスナイツではエルトシャン、そして副官であるヒミルが今回旗を掲げている。
 大将旗にしてはやや小さい。
「そうですね。あれが父の部隊です」
 ティールが目を細めながら頷く。
 それとほぼ同時、小旗を掲げた部隊がベオウルフ隊へと突っ込んでくる。
 これも打ち合わせ通りではあるが、細かいことはラケシスやフィンが自力でやらねばならない。
「父は自分の部隊に密命を与えています。御二人はまず前線に出て父の部隊と適当に小競り合いをしてください。そのうち"捕獲"してくれると思います」
「ティールは行かないの?」
 意外そうにラケシスが言った。
 ティールはエルトシャンとの付き合いが長く、以前も彼の説得を試みた。
 今回もてっきり同行するものとばかり思っていたのである。
 ティールは少しだけ寂しそうに笑って、
「家族水入らず。私のような、半端に親しい者が行くのは控えた方がよろしいでしょう」
「でも……」
「エルトシャン様をお願い致します、ラケシス様。私は魔道士を数名借りて、クロスナイツを撹乱させてみせましょう」
 そう言って彼は、颯爽と人波の中へと姿を消した。
 ラケシスは何か言いたそうな顔でティールが去った方を見ていたが、やがてそれを振り切るようにヒミル隊の方を見た。
 側にいるフィンをじっと見つめる。
「……フィン」
「ご安心を。必ず私がエルトシャン様の元へお送りいたします」
 フィンは頷き、ラケシスを先導するような形でヒミル隊へと突っ込んでいく。
 それを見たベオウルフが笑って、
「ほら、早く行け! あんたはあんたがやるべきことをやるんだ!」
「っ……はい!」
 意を決し、馬を走らせる。
 怒号の海の中、ラケシスはたった一人の兄を目指して駆け抜けた。

 戦闘開始から数時間。
 最初はクロスナイツが優勢だったが、現在は硬直状態に陥っている。
 クロスナイツはよく攻めたが、キュアンを司令官とする軍勢はそれ以上によく守った。
 夕刻時に始まった戦闘は、決定打を見出せぬまま夜を迎えようとしていた。
 夜間の戦闘は互いに相手が見えないため、あまり行われた例がない。
 そのため両軍はそれぞれ撤退し、敵の奇襲に備えて陣を布いていた。
 エルトシャンにとって、あまり良い状況ではない。
 シグルド軍は現在二手に分かれており、シグルド率いる本隊が明日には到着する。
 そうなれば、クロスナイツはおそらく追い詰められるだろう。
(随分と、クロスナイツも減った)
 エルトシャンは昔を思い出している。
 アグストリアの内乱が起きる前は、クロスナイツはまさに大陸最強の騎士団だった。
 自惚れるつもりはなかったが、彼らが共にある限り、不思議と負ける気がしなかった。
 しかしそれも、今では全盛期の半分以下の戦力となっている。
 エルトシャンの力を削ごうとしたシャガールの画策で去った者、そしてそんなシャガールに従うと決めたエルトシャンから離れた者。
 他にもいろいろな要因が重なり、クロスナイツも寂れてしまった。
 全てが、一時の風のように吹き抜けていってしまったようだ。
 さらに、シャガールからの声も五月蝿い。
 彼はシルベールに閉じこもっている。
 自らは戦おうとしないのだが、そのくせエルトシャンに対する文句は凄まじかった。
「何を手を抜いている。早々にシグルド軍を蹴散らさぬか!」
 それをしないとなると、
「やはりお前はシグルドと共謀し、アグストリアを売ろうとしているのだな!?」
 シャガールの理屈ではこうなるらしい。
 彼のために祖国を捨てたエルトシャンにとって、この言葉ほど気勢を削いだものはないだろう。
(何のために俺は祖国を捨てたのだ)
 ノディオンのことに思いを馳せる。
 妻やラケシスを始めとする、様々な人々の顔が思い浮かんでは消えていった。
 ある者は何処へと去り、またある者は敵となってしまった。
 シグルドやキュアンもそうである。彼らはエルトシャンにとって親友だった。
 義を大切にするエルトシャンは、あるいはシグルド以上にこの戦いで苦しんでいたのかもしれない。
「エルトシャン様、ヒミル様が参りました」
「……ああ、通せ」
 伝令に対し、どこかぼんやりとした気分で命じる。
(そういえば、あの初老の男はまだ自分について来てくれているのだな)
 自分はまだ一人ではない。
 クロスナイツもいるし、ヒミルもいる。
 そのことに安堵するエルトシャンの前に、二人の従者を連れてヒミルが入ってきた。
「エルトシャン様。重要なお話があります」
 ヒミルは姿を現すなり、開口一番そんなことを言った。
 エルトシャンは左右に視線を向け、ここから出て行くよう促す。
 やがて、その場にはエルトシャンとヒミル、そしてヒミルが連れてきた二人の従者だけになった。
「ヒミル。その者たちはいいのか」
「はい。話があるのは私ではなく、この御方ですから」
 ヒミルはそう言って、従者の一人の後ろに下がる。
 エルトシャンは怪訝そうな表情を浮かべた。まるで従者の方がヒミルより立場が上のようである。
 ヒミルが示した従者は、毅然とした足取りでエルトシャンの前にやって来た。
 鎧や兜で分かりにくいが、華奢な身体つきである。
「お前は……」
「お久しぶりです、兄上」
 そう言って従者は兜を取った。
 中から現れたのは、彼にとって見慣れた妹――ラケシスの姿だった。
「ラケシス……!? なぜ、お前がこんなところに!」
 エルトシャンは愕然とした。
 ラケシスのことはシグルドに任せたはずだった。
 単身こんなところにまでやって来るわけがない。
 動揺する兄に対し、ラケシスは厳かな声で告げる。
「この無意味な戦いを止める為に参りました」
「無意味……だと?」
「そうです。この戦いは誰によって引き起こされたものか、もう一度お考えください」
「……それは」
 この戦乱の原因は、たった一人。
 アグストリアの王を名乗る、シャガールという男だ。
「全ての元凶はシャガールにあります。あの男がいたずらにグランベル侵攻を企んだことが全ての発端。そのうえ彼は我が祖国ノディオンさえも討とうとしました。ノディオンとてアグストリアの一国。それを己の野心のために討つなど言語道断です!」
 ラケシスは激しい口調でシャガールの非を説いた。
 エルトシャンはそれに頷きこそしないが、止めもしなかった。
 それは内心、彼も思っていたことではある。
「そしてシグルド様は王都アグスティを陥落させた時点で戦いを終結されました。兄上との約束を守り、シャガールへの追撃もせず、グランベル本国との間でアグストリアについて交渉をしてくださいました。そのことでシグルド様の立場は次第に悪くなってしまいましたが……」
「……話には聞いていたが」
 ヒミルが収集した情報の中には、シグルドがグランベルの王子殺害に関与していたとするものまであった。
 無論エルトシャンは信じてはいないが、シグルドの立場が危ういのは事実である。
「友との約束のためにシグルド様はそこまでなさってくださいました。しかし、兄上はどうですか?」
「……」
「友を裏切り、いたずらに戦火を広げるのが兄上の誇りですか!? そのような誇り、騎士としても王としても持つべきものではありません!」
「だが、シャガール様を失えばアグストリアは滅んでしまうッ!」
 声を激しくするラケシスにつられ、エルトシャンも怒声を放つ。
 彼女に対して苛立っているのではない。
 彼自身の内側に溜まっていたやり場のない憤りが、ここにきて溢れ出つつあったのだ。
「分かってくれラケシス、俺が守りたいのはシャガール様ではない! 俺が本当に守りたかったのは――――」
 そこで、エルトシャンの言葉は止まった。
 彼が本当に守りたかったもの。
 それは、なんだったか。
 言葉には出来ない。
 しかし、その光景を思い描くことは出来る。
 妻がいて、我が子がいて、ラケシスがいる。
 暖かな午後の日差しを浴びながら、多くの友人たちと共に穏やかな一時を過ごす……そんな光景だ。
 しかし、それを思い描くほどエルトシャンは胸が締めつけられる。
 今、どこを見てもそんな光景は存在しない。
 もう手の届かないところへ行ってしまったのだと、彼は今更ながらに実感した。
 何故、こんなことになってしまったのか。
 言葉を止めたエルトシャンに、ラケシスは震える声で告げる。
「……兄上。シャガール様さえ手を引けば、シグルド様は戦いを続けるつもりはありません。どうかお願いです、シグルド様を信じて、あと少しだけ……戦いを思いとどまってください」
 俯くラケシスの身体は震えていた。
 エルトシャンの胸がずきりと痛む。
(俺は、自分が守ろうとしたものを泣かせて……何をしているんだ)
 傍らにある魔剣ミストルティンに触れる。
 かつて伝説の黒騎士ヘズルが使っていたという剣。
(今の俺は、こいつに見合う騎士だろうか……)
 ラケシスはもう何も言ってこない。
 ヒミルや、もう一人の従者も黙ったままだ。
 沈黙が訪れる中、エルトシャンはしばらくミストルティンを握り締めていた。
 ……とても長い時間が流れた。
 不意に、エルトシャンが立ち上がる。
「ラケシス、もう泣かないでくれ」
 妹の元へ歩み寄り、抱きしめた。
 昔から、ラケシスはこうすると不思議と泣き止んだ。
「――――俺は俺に出来ることをやってみるよ」
 ラケシスが面を上げたとき、既にエルトシャンはテントの外へ向かっていた。
「ヒミル、クロスナイツの指揮権はお前に委ねる」
「……どちらへ向かわれるおつもりで?」
「シャガール陛下を説得してみる。どうなるかは分からんが……」
 エルトシャンの表情は、どこか穏やかなものになっていた。
「吹っ切れましたか」
「……ああ。今日まで済まなかったな」
「勿体なきお言葉……」
 二人の会話は、まるで別れの挨拶のようだった。
 ラケシスは不安になって、エルトシャンのマントを掴む。
 だが、彼女が何かを言う前にエルトシャンが一振りの剣を差し出した。
「これをお前に与えよう、ラケシス。お前も知っているだろう、父上が愛用していた剣だ」
「……大地の剣」
「この剣なら、お前をきっと守ってくれるだろう」
 言いながら、エルトシャンはラケシスを振り切るようにして愛馬の元へ向かう。
 エルトシャンの異変に気づいたラケシスが慌てて後を追うが、間に合わない。
「ありがとう、ラケシス。お前の言葉で、俺は守るべき誇りを取り戻せたように思う」
「……兄様!?」
「――――さらばだ」
 晴れやかな笑みを浮かべながら、エルトシャンは馬を走らせた。

 夜明け前、シャガールは突然城兵に叩き起こされた。
 城兵と言ってもアグストリアの正規兵ではない。
 シャガールが金でかき集めた、ならず者の集団である。
 何事かと尋ねてみると、エルトシャンが戻ってきたらしい。
 面会を求めている、とのことだった。
(何のつもりで戻ってきた、あいつめ)
 この頃のシャガールは、既に正気を半ば失いつつあった。
 一国の主だったはずが、今では追われる身である。
 自分に付き従うのは金で雇ったならず者と、エルトシャンのクロスナイツのみ。
 しかし、以前からエルトシャンを嫌っていたシャガールには、どちらも信用出来なかった。
 周囲全てが自分を嘲笑っているような感覚に、一日中襲われ続けている。
 安心して夜も眠れず、おかげですっかり痩せ衰えてしまった。
 そのくせ野心だけは肥大化していく。
(本来なら今頃、俺はグランベルを手中に収めているはずだったのだ……それを邪魔したのは誰だ、エルトシャンではないか)
 最初、グランベル侵攻を企んだ際にエルトシャンは反対した。
 そのことを、シャガールは大袈裟な妄想を交えて考えている。
(あいつはやはりシグルドとグルだったのだ。そして俺を追い落とし、自分がアグストリアの王になるつもりで……)
 そんな馬鹿げたことを考えつつ、シャガールはエルトシャンを頼っている。
 他に頼れるものが何もないからだ。
 だと言うのに、日々恨みばかりが募っていく。
 そんなことを考えながら、シャガールは簡素に作られた謁見の間に辿り着いた。
 エルトシャンは平伏している。
「何をしに戻ってきた、エルトシャン」
 最初から罵声に等しい言い方だった。
 だがエルトシャンはそれに動じた様子もなく、淡々と告げる。
「僭越ながら、陛下に申し上げます」
「なんだ」
「陛下、これ以上の戦いは無意味です。アグスティはいつか必ず陛下のお手に戻ります。どうか兵をお引きくださ――」
 エルトシャンの言葉は最後まで続かなかった。
 シャガールが物凄い勢いで地団駄を踏んだからである。
「貴様、今頃戻ってきて何をほざくか!」
 先ほどまでの妄想が現実と繋がる。
(やはりこいつ、シグルドと内通していたか)
 何故かは考えない。
 ただ結果だけが浮かび上がり、それが絶対のものとしてシャガールの中に存在している。
「――――誰かその裏切り者をひっとらえろ! 俺が直々に首を落としてくれる!」
 もしこの場にアグストリアの騎士がいたら、このような言葉には耳を貸さなかっただろう。
 しかし、ここにいたのは金目当てのならず者共だった。
 エルトシャンは弁解する間もなく組み敷かれてしまう。
 そんな彼を見下ろしながら、シャガールは優越感に浸っていた。
 前々から気に入らなかった相手を、ようやく消すことが出来る。
 そのための大義名分も得たし、それを止める者もいない。
 シャガールは剣を振り上げた。
 エルトシャンは逆らう様子もなく、ただ一言、
「……俺は」
 剣が、振り下ろされた。

 グランベルとアグストリアの戦いは、エルトシャンの死で終わりを迎えたようなものだった。
 エルトシャンの死を知ったヒミルは、クロスナイツ共々シグルド軍に投降。
 シャガールはトラキアの兵を借りて戦ったが、本隊が合流したシグルド軍の前に壊滅。
 シャガール自身も打ち首となった。
 エルトシャンの首はシグルド軍が到着するまで、シルベールの門前に晒された。
 その後、ラケシスを始めとするシグルド軍の有志によって、手厚く葬られた。
 王と騎士の間で揺れ動きながらも、誇り高く生きた獅子王エルトシャン。
 その死はシグルドやキュアン、ラケシスたちに大きな哀しみをもたらした。
 しかし、その死を悼む間もなくシグルド軍は海賊との戦いに突入。
 海賊には無事勝利したものの、更なる悲劇がシグルドたちを襲う。
 本国グランベルが変わった。
 シグルドのシアルフィ家を政治的に敵視していたフリージ家、ドズル家。
 その両家が宮廷を牛耳り、シグルドたちは反逆者として祖国に追われることになったのである。
 シグルド軍には幸い、北方の国シレジアの王子であるレヴィンがいた。
 その縁を頼り、シグルドたちはシレジアへと落ち延びる。
 後には、あまりに多くのものを失ったアグストリアだけが残された。