遠く時は過ぎ去りて

 砂漠を歩く人影が一つ。
 どこから来たのか、どこへ行くのか。
 その答えは人影すらも知る由はなく、ただ流れるのみ。
 目的はある。
 だが、それがどこにあるのかは彼にも分からない。
 だからこそ探し続ける。
 例え見つかる可能性が限りなく零に近いとしても。
「……ラケシス」
 外套の下から僅かに晒された素顔。
 青髪の騎士は、捜し求める人の名を呟いた。

 彼にとって、長く辛い戦いが終わった。
 始まりはいつだったか、もはや思い出すことも難しい。
 その間、あまりにいろいろなことがあった。
 なにしろ彼の人生の半分以上が、その戦いの歴史なのだから。
 全てが終わったわけではない。
 彼には祖国に待つ主君と娘がいる。
 いつかは彼らの元へと帰らなければならないだろう。
 だがそれでは足りない。
 長き時の中で失われた、自分にとってかけがえのない存在(ヒト)。
 これまでは時の流れに許されなかったが、今は違う。
 彼女を探し出す時間を、彼はようやく与えられたのである。
 砂漠の中にある町で宿を取り、身体は休められた。
 だが心はいつでも満たされぬまま、どこか遠くを思い続けている。
「君は今、どこにいるんだ……?」
 これまで感傷的になる余裕すらなかっただけに、今はふとしたことでこんなことを口走ってしまう。
 そんな自分に苦笑しながらも、フィンは窓の外を見た。
 砂塵吹き荒れる空。
 綺麗な青空のはずなのだが、どこかしら濁っているように見える。
 ――仮に彼女と会えたとして、どうするのか。
 その答えがまだ見つけられずにいるから、空もそんな風に見えてしまうのだろう。
「お客様」
 と。
 ドアをノックする音と、宿の娘のものらしき声が響いた。
「お食事をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
 立ち上がりドアを開くと、トレイに食事を乗せた金髪の少女が入ってきた。
「――――」
 その姿が、一瞬ラケシスのものと重なる。
 全身が凍りつくような衝撃。
「あの、お客様?」
 フィンの顔色が変わったことに気づいた少女は、どうかしたのだろうかと尋ねる。
 その顔は、よく見てみればラケシスとはあまり似ていない。
 ただ髪型が少し似ていただけだった。
「すまない、なんでもないんだ」
 思わず「知り合いと似ていた」と言いかけたが、それでは下手な口説きになってしまいかねない。
 そのため、無難な言葉しか出せなかった。
「食事はここに置いておきますね」
 トレイからテーブルへと食事を移していく。
 移しながらも、彼女は他愛ない世間話をしてきた。
「お客様はどちらへ向かわれるんですか?」
「目的地と言えるものは特にない。ただ、探し人をしている」
「その方は、こちらに?」
「ああ……このイード砂漠の方で消息を絶った。もう何年になるだろうか」
 最後に会ったときのことを思い出そうとして、うまく思い出せないことに気づく。
 あのときはリーフやナンナを連れていてフィンも大変だったのだが、それでも彼女との最後の思い出を忘れているのは薄情な気がした。
「これまでは彼女を探す余裕もなかった。いや、本当は今もない――そういう意味では、ずっと躊躇っている」
「……大切な人だったんですね」
 フィンの言葉に込められた想い。
 それに気づいたのか、彼女は柔らかな口調で言う。
「大切、か」
 フィンにはそう言い切ることに抵抗があった。
 ラケシスを大切に思っていないわけではない。
 そういうわけではないのだが――そう言い切る資格が自分にあるのかどうか。
 そのことに自信が持てない。
「……例え話として聞いてもらえないだろうか」
「はい、なんですか?」
「君にもしも恋人や伴侶がいたとする。相手はこの町から離れなければならない、大事な用ができた。君は宿の経営をしなければならないからここからは離れられない。しかし彼一人では砂漠に出すには危険すぎる。頼れる人間もいない……そんなとき、君ならばどうする」
 フィンの問いかけに、彼女は軽く首を捻ってみせた。
 しばらく悩んでから、キッパリと、
「どうにもならないです」
「……そうか」
 導き出されたのは、彼が出した結論と同じもの。
 相手も自分も成さなければならないことがあるなら、道を分かつしかない。
 例え相手が危険な道に進むとしても。
 全てを解決する選択肢などは、最初からありえない。
「それでも私は宿と相手、どちらが大切かと言われれば相手を選びますけれど」
「――――なに?」
 少女の一言が、フィンの胸に響いた。
「私が宿を選んだのは、宿には私がいないと駄目だからであって。相手はもしかしたら自分でどうにかできるかもしれないし。だからそこで相手を選ばなかったからといって、相手を大切に思っていないということにはならないと思います」
「……」
 スラスラと流れる彼女の言葉を、フィンは一つ一つ受け止める。
 それはある意味、彼がずっと求めていた答えの一つなのかもしれない。
 黙り込んでしまったフィンに、少女は少し慌てた様子で、
「あ、あのお客様。私なにか変なこと申しましたでしょうか?」
「いや、何も。おかしいのは私だ。君ではない」
 自然と笑みが浮かぶ。
 心の中の靄が少しだけ晴れたような気分だった。
「仕事の邪魔をしてすまなかった。それとありがとう。少しだけ救われた気分だ」
「は、はぁ……それでは、失礼します」
 トレイを片手に、少女は部屋から出て行く。
 フィンは食事を取り、もう一度空を見上げる。
 砂塵は収まり、吹き抜けるような青空が広がっていた。