隙間を越えて

 これは長い聖戦における、一つの余話である。
 セリス率いる解放軍が進撃を続け、トラキアにおける戦いが終結した頃。
 解放軍は当初の弱々しさを微塵も残さぬほどの巨軍となっていた。
 多くの戦士が集い、勢いだけならば帝国軍さえも凌ぎそうであった。
 その中にフィンの姿もある。
 身形はぼろぼろ、顔もやせ細っているという有様であったが、戦いにおいては若い戦士たちにも全く引けをとっていない。
 特にこのトラキアにおける戦での戦いぶりは鬼気迫るものがあり、多くのトラキア兵を打ち倒した。
 彼にとってこの戦いは帝国を倒すための通過点ではなく、決着を着ける場所だった。
 それが、ようやく終わったのである。

 見渡す限り荒れ果てたトラキアの大地。
 その中にそびえ立つ城に解放軍は滞在していた。
「お父様は勝手です!」
 夕食を取っていたアレスの耳に、そんな言葉が飛び込んできた。
 一緒に食事を取っていた解放軍の面々も、何事かと声のした方を見た。
 そこには眉を吊り上げて怒っているナンナと、気難しい顔をしたフィンの姿があった。
「そうやっていつも一人で抱え込んで……話してくださらないのならもう結構です!」
 言い捨てて、ナンナは早足でその場を去った。
 唖然とする面々の視線が残されたフィンに集中する。
 が、フィンは視線に気づかなかったのか、溜息を一つつくと、ナンナとは逆の方へと去っていく。
 アレスの隣で食事を取っていたリーフが、困ったような表情を浮かべた。
「ラケシスのこととなると、どうしてもうまくいかないみたいだね」
「叔母上の?」
「うん。フィンがラケシスを一人で行かせたことを、ナンナはどうしても許せないみたいなんだ。でもフィンはフィンで、詳しいことは話したがらないし」
 もう結構です、とナンナは既に何回言っているのだろうか。
「二人は仲が悪いのか? そんな風には見えなかったが」
「うーん、どうなんだろうね。悪くはないと思うけど、仲がいいという感じでもないし」
「……叔父上はよく分からない人だからな」
 アレスがフィンと出会ったのは、先の戦いの最中のことである。
 リーフ軍が解放軍へと合流し、マンスターでの戦が終わった頃。
 その頃に顔を合わせた従妹ナンナを通じて、フィンと知り合った。
 ――――よく分からない人だ。
 というアレスが抱いた印象は、初対面のときから変わらない。
 平時は仏頂面をしており、戦時は勇猛果敢な将となる。
 その言動や仕草にあまり人間らしさを感じることが出来ないのである。
 だからアレスにはフィンという人の凄さは分かっても、内面はまるで分からない。
 だが付き合いの長さからか、リーフは多少違うらしい。
 口元をかすかに緩めて笑い、
「そのうち分かるんじゃないかな」
 と言った。

「父上とナンナが?」
 軽く剣の稽古を終えた後、アレスとデルムッドは休憩していた。
 汗を流した後の世間話。
 話題は昨夜のフィンとナンナのことである。
「なんだ、知らなかったのか」
「ああ。その時間俺はスカサハと稽古してたからな」
「……稽古熱心だな」
「それぐらいやらないと置いていかれるよ、俺は」
 続々と加入してくる強力な戦士たち。
 彼らに負けないようにと、デルムッドも必死なのである。
 それはさておき。
「そういえばお前も、あまり叔父上とは話をしたりしないな」
「あー、そうだなぁ」
 デルムッドはどこか上の空である。
「でも俺、レヴィン様から聞かされるまでナンナのことも知らなかったからな……。父上のことなんて、ナンナと会ってはじめて知ったくらいだし」
「実感が沸かないのか?」
「ん……そうだな。父上の方も何も言ってこないし」
 デルムッドと対面したときも、フィンは短く簡素な挨拶をしただけであった。
 とても親子の再会といった調子ではない。
 それ以降はというと、公用のときを除けばほとんど言葉を交わしていない。
「こっちの方から話しかけようにも、話題もなにもないからどうしようもないんだよ。だから今は戦いに集中するしかないってわけだ」
「なるほど」
 アレスは相槌を打ち、それ以上は何も言わなかった。
 ここで何を言ってもさほど意味がないからである。
 それに彼らにとっては、親子の仲よりも大事なものがある。
 グランベル帝国に打ち勝つこと。
 それはなによりも優先するべきこと。
(ある意味、こういう状態はいいことなのかもしれないな)
 多少皮肉気な考え方だが、アレスはそんな風に思った。

 翌朝、アレスは城から出て散歩をしていた。
 せっかくの休日、気分転換にトラキアの風景を眺めようと思ったのである。
 トラキア城から少し離れたところに、見栄えのいい場所がある。
 そこには意外な先客がいた。
「……叔父上?」
 遠い風景を眺めているのは間違いなくフィンだった。
 他に誰かを連れてきている様子もない。
 ただじっと、トラキアの大地を見下ろしている。
 アレスが近づくと、軽く会釈してきた。
「おはようございます、アレス様」
「おはよう、叔父上。どうかしたのか?」
「……いえ。風にあたっていたかっただけです」
 それは嘘だろう。
 フィンの表情はもっと深い何かを考えているようだった。
(おそらくトラバントのことだろう)
 フィンにとっては主君の敵であり、国同士で憎みあっていた相手。
 そんな相手が生涯見続けていた景色を、この叔父は神経を総動員させて見ていたに違いない。
 今はいろいろと複雑な思いを抱いているはずだ。
 だが、それを語らない。
 だからか、アレスも黙ったままその風景を見続けた。
 これまで傭兵として様々な場所を渡り歩いた彼にとっては、特に珍しいものでもない。
 ただ――広いと思った。
「広いな」
「ええ、そして寂しい風景です」
 風が吹く。
 遠くから、飛竜の鳴き声が聞こえた。
「――――アレス様、あれを」
 フィンは空に浮かぶ飛竜を指した。
 点のように小さいが、先ほど聞こえた鳴き声からして間違いなく飛竜であろう。
「妙な動きをするな」
「トラキア兵の残党かもしれません。城に戻った方がいいでしょう」
「そうだな。万一誰かが襲われたら……」
 確認のためにもう一度飛竜の方を見て――絶句する。
「叔父上!」
「……っ!?」
 一旦城へと戻ろうとしていたフィンは、アレスに促されて飛竜の方を見た。
 接近してきている。
 それもかなりの速度で。
「早い――しかもあいつら数を揃えてきているっ!」
 最初は点のようになっていたせいで分からなかったのだが、飛竜は一体ではなかった。
 はっきりと視認できるだけで十体いる。
「まずい、早く戻らなければ……」
「――お、お父様?」
 ――――場違いなほどに、戸惑った声が聞こえた。
 見ると、城の方からナンナとデルムッドがやって来ていた。
 まだ飛竜には気づいていない。
「どうかしたんですかっ!?」
「飛竜……いや、トラキアの残党兵だ!」
 既に飛竜を駆る竜騎士たちの姿もはっきりと見える。
 間違いなくアレスたちを狙っていた。
 フィンとアレスは念のためにと愛用の獲物を持ってきている。
 だがナンナとデルムッドは何も持っていない。
「俺と叔父上で時間を稼ぐ、お前たちは早く戻ってセリスたちにこのことを伝えろ!」
「分かった! 行くぞ、ナンナ」
「わ、分かりました……二人とも、どうかご無事で」
 慌しく去っていく二人を一瞥して、アレスは魔剣ミストルティンを引き抜いた。
 傍らのフィンも獲物を抜いたことが、気配で伝わる。
「叔父上、ここでトラキアの禍根を断ち切ろう」
「……禍根などというものは、断ち切れるものではありませんよっ!」
 言葉と共に、襲い掛かってきた竜騎士たちへ獲物を繰り出す。
 お互いに背を預けるようにして、フィンとアレスは奮戦した。
 敵を切り裂く手ごたえと、それ以上の頼もしさを背に感じる。
(力強さはジャバローと似ているが、どこか違う……だが、頼もしいことだ!)

 ミストルティンが軌道を描き、勇者の槍が無数の閃光と化す。
 数分もしないうちに、襲い掛かってきた竜騎士は全員無力化された。
 死んだものもあれば、まだ息を残している者もある。
「ふぅ……だいたい片付いたか。叔父上、そちらは?」
「問題ありません。しかし、彼らの戦い方は鬼気迫るものがありました」
「ああ、もはや狂気とでも言うべきだ」
 生きている者も死んでいる者も、全てが憤怒の表情だった。
 それが北と南、二つのトラキアの戦いなのである。
 ……と。
「キャアアアァァッ!」
 遠くから、身を切るような悲鳴が聞こえてきた。
「今の声は……ナンナか!?」
 アレスがそう言ったとき、既にフィンは槍を片手に駆け出していた。
 その速さは尋常ではない。
 アレスはすぐに引き離されてしまった。
「くそっ!」
 必死に走り、フィンに追いつく。
 その場には泣き崩れるナンナと、真っ赤な血を流して倒れるデルムッドの姿があった。

「なにがあった、ナンナ」
 知らず知らずのうちに問い詰めるような口調になってしまった。
 だがナンナやデルムッドが手ぶらでなければ、もう少しましなことになっていただろう。
 そのことに対する憤りがあった。
「……敵が襲い掛かってきて、デルムッド兄様が私を庇って」
「……」
 フィンは黙ったままデルムッドの容態を見ていた。
 顔中から汗が流れ落ちているようだった。
 デルムッドを抱え起こす手が震えている。
「早く治療しないとまずい」
 焦燥をあらわにしながらフィンが呟く。
 ちらりと、フィンはアレスを見た。
「アレス様。申し訳ありませんがナンナと一緒にデルムッドを城へ」
「叔父上はどうするのだ」
「私にはまだ相手がいるようですので」
 怒りを押し殺した声で、フィンは頭上を仰いだ。
 そこにはまだ数人の竜騎士がいる。
 フィンたちがやって来たために慌てて空中へ避難したらしい。
「一人で大丈夫なのか、叔父上」
「ええ。これぐらいの相手には負けられません」
 頭上を睨み上げるフィンの背に敗北の気配はない。
 それを確認すると、アレスはデルムッドを背負い、ナンナを連れてその場を走り去った。
「あ、アレス……父上は」
「心配ない」
 不思議と断言するアレスに合わせるように、フィンの声が鳴り響く。
「さぁ来るがいい。貴様らの憎悪如き、私が全て打ち砕いてくれよう!」

 この事件はセリスの耳に入り、その後アルテナたちの協力を経てひとまず収まった。
 急ぎ治療したため、デルムッドも無事だった。
「ふぅ、一時はどうなるかと思った」
 と、デルムッドはベッドの上で気楽そうに語る。
 ナンナは目を真っ赤にしてデルムッドやフィンたちに謝った。
「そもそもなんであんなところに来ていたんだ?」
 ナンナが落ち着いたのを見計らって、アレスはふと訪ねた。
「……それは、その。お父様と喧嘩したことで、謝ろうと思って」
「それで、俺が父上を見かけたから一緒に行くことにしたんだ」
 それを聞いて、今まで黙っていたフィンが長い溜息をついた。
 溜息に恐縮するように、デルムッドとナンナが身を縮まらせる。
「お父様、ごめんなさい」
「父上、申し訳ありませんでした」
 兄妹揃って頭を下げる。
 フィンは相変わらずの仏頂面だったが、目のやり場に困ったのか窓の外を見た。
 やがて小さな声で、ぼそりと、
「私に謝ることはしなくていい。お前たちはお前たちの心配をして欲しい」
 そのままデルムッドとナンナの方を見ずに、部屋から出る。
「――あまり無茶をするな。いつか、落ち着いたらゆっくりと話をしたいのだから」
 言って、フィンは静かにドアを閉じた。
 残された兄妹はぼんやりと、父親の去っていった方を見ている。
 その様子がアレスにはたまらなくおかしく、思わず笑ってしまうのだった。

 その日の夕食。
 アレスはリーフの隣に座り、食事を取っていた。
「今回の事件は大変だったね。けど皆が無事でなによりだ」
「ああ、そうだな。叔父上の戦いぶりは凄まじかったぞ」
「それはそうだよ。フィンは僕らをずっと一人で守ってきた歴戦の勇士なんだから」
 少しだけ自慢するようにリーフは言う。
 だが内心アレスも負けないくらいに自慢したかった。
「そうだな。あの人が叔父上であることを嬉しく思う。叔母上は良き人に恵まれたようだ」
「へぇ、そこまで言い切るとは。フィンのこと分かった?」
「ああ。要するに――」
 視線の先には、子供二人に挟まれて食事を取るフィンの姿。
 どことなく居心地の悪そうな表情をしている辺りがおかしかった。
「――――不器用なんだな」
 不器用だからこそ親子の間にある隙間を埋めることもせず、飛び越えてしまうのだろう。
 アレスはそんな風に、あの親子を見ていた。