なんでもない、特別な日

 それは些細な雑談で発覚した事実だった。
 と言うより、知らなかったことの方が意外だったのだ。
 そんな自分に呆れ返りながら、リーフは念を押すように問う。
「本当ですか、オイフェさん」
「嘘を言っても仕方ないことですよ」
「……そうですか。しかし、なんとも」
 一緒になってオイフェの話を聞いていたナンナを見ると、彼女も驚きを隠せないでいるようだった。
 二人で顔を見合わせて、溜息ともつかないものを吐き出す。
「――――まいったな。まさかフィンの誕生日が明日だなんて」
 今、セリス軍は進軍を止めている。
 帝国から取り戻した土地を安定化させなければならないのと、進軍のための武器や兵、食糧を補充しなければならないのが理由である。
 自分の仕事を終えた者は束の間の休息を得、こうして談話したりして交流を深めている。
 その日、リーフはナンナと一緒にオイフェの部屋を訪れていた。
 シグルド軍時代の話や、若き日のフィンがどんな人物だったのかを聞く約束をしていたのだ。
 そうしてしばらくのんびりと話しているとき、オイフェがふと漏らしたのである。
 ――おお、そういえばもうすぐフィン殿の誕生日ですな。
 リーフとナンナは、それを聞いて驚いた。
 物心ついた頃から一緒に過ごしておきながら、二人はフィンの誕生日を知らなかったのである。
 フィンは、二人の性格からして誕生日を教えれば必ず祝おうとすると思ったのだろう。
 だがリーフたちの生活は貧しく、とても誕生日を祝えるだけの余裕がない。
 自分ごときの誕生日で余計な気遣いをしないようにと、彼はいつも黙っていた。
 昔、フィンの誕生日に起きた出来事を懐かしそうに語るオイフェ。
 そんな彼の話も、まともに頭に入ってこなかった。
「リーフ様! お父様の誕生日、是非ともお祝いしましょう!」
 がーっと勢いよく言うナンナ。
 リーフも頷き、その案に賛成の意を示した。
 自分たち二人を今日まで育て上げてくれたフィンには、感謝してもしきれないものがある。
 それがどれだけ大変なことかは、幼い頃よりは幾分か分かってきたつもりである。
 自分が生き延びるだけでも難しい時代、誰かを育てるということは相当の苦労がかかるのだった。
「そうだな、僕としても是非そうしたい。今までフィンは僕らの誕生日はキチッと祝ってくれた。それなのに、僕らが何もしないのはおかしい」
 主君だとか臣下だとか、そういった事情はあまり考えない。
 ずっと一緒にいたのだから、フィンは半分家臣で半分家族のようなものだ。
 公私混同はしないように注意しているが、どちらか片方を切り捨てるような真似もするつもりはなかった。
「オイフェさん、フィンが好きそうなものってなんでしょうか?」
「……いや、それは私に聞かれましても。共に過ごした時間が長い分、リーフ様やナンナの方が詳しいのでは?」
 うっ、と言葉を詰まらせる。
 確かに長年一緒に過ごしてきたのだが、フィンにはどうも私欲とかそういったものが欠けている。
 何かが欲しいと言ったこともなく、そんな素振りさえ見せない。
 しつこく食い下がって聞き出そうとすると、
『強いて言うなら、レンスターの復興でしょうか』
 これである。
 レンスターは現在無事に奪還され、フィンの夢は半ば叶ったと言っていい。
 となると、彼が望むようなものなど他には思い浮かばない。
 一つだけあると言えばあるのだが、それは明日までに用意出来るものではない。
 そもそも手に入るかどうかも怪しいものだ。
 よって、リーフはプレゼントに相応しいものが全く思い浮かばないのだった。
 オイフェもその辺りは察したのか、髭を撫でながら苦笑した。
「やはり難しいですか。私もかなり難航しましたしな」
「オイフェ様は昔、お父様に何を差し上げたのですか?」
「あまり参考にはなりませんよ。彼に贈ったのは馬でしたから」
 そう言えばフィンが以前、愛馬の背を撫でながらそんなことを言っていたような気がする。
 この馬は友人から貰った大切なものだと。
「フィン殿は実用性のあるものを好みそうですから、そちらの方はどうでしょう」
「うーん……武器はこだわりあるのか、自分で選びたがるし。防具も足りてるみたいだったしなぁ」
 と、そこで部屋の扉をノックする音が聞こえた。
 オイフェが「どうぞ」と声をかけると、入ってきたのはデルムッドだった。
「あれ、リーフ王子にナンナ……どうかしたんですか?」
「ああいや、オイフェさんに昔の話を」
「兄様はどうなさったのですか?」
「いや、俺はオイフェ様に明日の相談を。ほら、父上の誕生日だろう? せっかくだし、何か差し上げられればと思ったんだが……何を贈ればいいのかさっぱり検討がつかなくてな」
「あー……」
 結果的に、悩む人間が一人増えただけだった。

 翌日、オイフェはフィンと共に軽く稽古をしていた。
 昔はたまにこうして稽古に付き合ったりしていたため、どことなく成果が上がりやすいような気がしたのだ。
 小休止を入れ、オイフェはフィンの隣に腰を下ろした。
 そして世間話でもしようと思い、昨日のことを話したのだった。
「……困ったものだ。リーフ様にも、ナンナやデルムッドにも」
 祝ってもらえるというのに溜息をつく、本日で××歳を迎える堅物騎士。
 彼が何を考え溜息を漏らしたのか、オイフェはなんとなく察することが出来た。
「今は戦時中。そのようなことをして気を緩めるべきときではない、か?」
「その通りだ。私のような一兵士の誕生日などを王子が祝うというのでさえおかしい。ましてや今は大陸の命運をかけた戦いの最中だ」
「しかし今日はまだ進軍しない。言ってみれば休日だ、そういうときぐらいは気を休めても……」
「休めるかどうかは我々だけで決められることではない。敵が来れば迎え撃たねば」
 相変わらず融通の利かない男だった。
 むしろ昔よりも硬度が増しているようである。
 オイフェは困ったように笑った。
「……しかし、なんだフィン。貴方はこの戦いが終わっても、ずっとそんな感じなんだろうな」
「そうかな。私は騎士として当然のあり方でいたいと思っているだけだが……」
「だとしたら、騎士というものを神聖視しすぎだろう。もう少し肩の力を抜かねば、いざというとき満足な働きが出来ないぞ?」
「む」
 満足な働きが出来ない、というところでフィンは表情を曇らせた。
 確かに休息がなければ疲労は蓄積される一方だ。
 万全の状態を保つのも騎士の役目云々と思っているのだろう。
「だがそれでもな。リーフ様に祝ってもらえるような身分ではない……ところでなんだオイフェ。先ほどからこれ見よがしに手にしているものは」
「イザーク特製の木彫りの女神像。以前誕生日にセリス様から頂いたものだ」
「……いや、なぜそれを私に見せびらかせる?」
「羨ましいかな?」
「……いや、それは。だいたいオイフェと私では身分が違う。バルドの傍系たる貴方はセリス様と親族関係にあるのであって、私とリーフ様はただの主従であるからしてだな」
 うろたえていた。
 オイフェは内心少し意地悪な笑みを浮かべながら、トドメを刺す。
「ナンナとリーフ様がご結婚すれば、貴方は王子の義父だろう」
「――――っ!?」
 愕然とした表情でフィンは硬直した。
 ナンナがもう結婚というのも彼にとっては意外だったのだろうし、リーフ王子の義父になるなど驚天動地もいいところなのだろう。
「お、おおオイフェ殿、冗談が過ぎる! ナンナに結婚はまだ早いし、まして相手がリーフ様など……」
 ひどく狼狽しているうえに、全く予想通りの反応だった。
 しかも、驚きではあるものの悪い気はしないのか、フィンの表情からは喜びも見え隠れしているようだった。
「ふ、思い出してみなされ。貴殿とラケシス王女が結ばれたのも、今の二人とさほど変わらぬ頃だった。それに二人は傍から見ている分には、真にお似合いとしか思えないところが……」
「それは兄妹のように育ったからだ! 断じて、そのような……っ!」
 慌てすぎたのか、言葉を詰まらせるフィン。
 オイフェはおかしそうにそれを眺めながら、
「いや、すまない。少々フィンには刺激が強い冗談だったようだ」
「……全くだ、なんだかエスリン様にからかわれているようだったぞ」
「私も若い時分はエスリン様にいろいろ遊ばれたものだから、影響が出ているのかもしれないな」
 はっはっは、とほがらかに笑うオイフェ。
 ティルナノグの子供陣が今の彼を見たら、誰もが気味悪く思うことだろう。
「ま、正直なところ休息は必要だと思う。戦時中に誕生会などはさすがにまずいかもしれないが、祝いの品を貰って一時語り合うぐらいはいいのではないかな?」
「……うむ、それは素直に忠告として受け取っておこう」
 まだ渋い顔をしているフィンだったが、どうにか妥協する覚悟は出来たらしい。
 妥協に覚悟が必要とは不器用なものだが、それもまた彼らしい気がした。
 ……さて、そろそろ私は退散するか。
 先ほどから感じる気配の主に軽く頭を下げながら、オイフェはそそくさとその場を立ち去る。
 今の会話を聞いていたであろう彼らからフィンがどのようにからかわれるか、気になるところではあったが。
 そこまで覗くのは無粋というものだろう。
 そう言えば祝いの言葉を言っていなかったことを思い出す。
 しかし、そう思うと同時に『もう祝いあう年齢でもない』ことに気づいてしまった。
 時間の流れは厳しいのだった。

「ほう、これは」
 フィンは感嘆の声を漏らした。
 彼が今いるのは、駐留している城の食堂だった。
 当然食堂なのだからそこは食事をすべきところであり、フィンはそれを口に運び続けている。
 食べ終えた後は心なしか顔色が良くなっていた。
 普段が悪いというわけではないが、どことなく疲れの色が消えたのである。
 それもそうだろう、これはフィンの大好物なのだから。
「以前フィンと一緒にこの辺りに着たときに、すごく美味しいって言ってたのを思い出したんだ。だから僕とデルムッドで獲ってきたんだ」
「魚取りはティルナノグで慣れてましたので」
「実際に獲ったのはデルムッドだったな。僕は道案内ぐらいしか出来なかったよ」
「それで、二人が獲ってきたのを私が調理しました」
 三人が言っているのは、ある魚のことだ。
 リーフやナンナを連れて逃走を続ける日々、二人を守ることを優先するあまり他への関心が薄れていた頃に出会った、とても極上の魚である。
 偶然野営をすることになった場所が川の近くであり、そこで獲れたのだ。
 名前も知らないもののため、フィンは今日まですっかり忘れていた。
 が、一度口にすると何故忘れていたのかと疑問に思えてくる。
「ありがとうございますリーフ様、それにナンナやデルムッドも。……しかしよく分かりましたね、この魚のことが」
「うん、僕も困ったんだけどね……そしたらサラがやって来て、困ってるなら助けるって」
「それで本当に助けられちゃったんですから不思議ですね……」
「よく分からない娘だったなぁ……」
 リーフたちはなんとも言えない表情を浮かべた。
 サラというのは、レンスターを奪還する前に出会った少女のことだ。
 フィンとの接点はあまりないが、リーフやナンナとは仲良くしているらしい。
 何を考えているのかいまいち分からないのが難点ではある。
 が、要するに彼女が魚の正体を教えてくれたらしい。
「なんでもこれは鮭の一種らしくてね。食べると頭が良くなるんだってさ」
「そうですか。そういえば心なしかすっきりしてきたような……」
「あはは」
 リーフはおかしそうに笑った。
 ナンアやデルムッドも口元に手を当てながら、笑いを噛み殺している。
 まだオイフェとの会話をからかわれるのだろうか。
 先ほどまで散々からかわれたことを思い出し、フィンは苦い顔をした。
 リーフからはお義父さんなどと呼ばれ、ナンナはわざとらしく『今までお世話になりました』などと言っていたのである。
 無論冗談なのだろうが、デルムッドが小声で『三年後ぐらいには……』と言っていたのをフィンは聞き逃していない。
 だが、三人がおかしそうにしているのはそのことではなかった。
「ちなみにその鮭、名前があるんだ。地元の人たちの間では有名なんだけど」
「ふむ。その名前がおかしいのですか?」
「うん。……フィンタン。略してフィンって言う人も多いらしいよ」
 ごほっ、とむせた。
 美味しい美味しいと思って食べていた魚が、まさか自分と同じ名を持っているとは。
 なんだか自分で自分を食べているようで、複雑な気分になる。
 そんなフィンを見て、リーフたちはさらにおかしそうだった。
 さすがに少しムッとした表情を見せていると、デルムッドがなにやら箱を持ってきた。
「はは、すみません父上。ちなみに本命はこちらです」
「ん……これは本命ではなかったと?」
 名前はともかく味は素晴らしいものだった。
 それが前座となると、本命はいったい何なのか。
 すっと箱を開けてみると、そこには靴が入っていた。
 フィンが今履いているものと構造は変わらないが、表面がやや違っている。
 なんというか、これは――――。
「魚の皮みたいだが」
「その通りです。この辺りに伝わるものらしいです。あまり生臭くないですし、意外と頑丈だそうですよ」
「お父様の靴、もう大分ぼろぼろのようでしたから」
 ナンナに言われて、フィンは自分の足を見下ろした。
 考えてみれば、もう何年も使っている靴だ。ぼろぼろではない方がおかしい。
 底の部分も大分磨り減ってきているし、履き心地も次第に悪くなっていた。
 なんとなく愛着があるので放っておいたが、それでも最近は気になっていたところである。
 三人に促されるままに、プレゼントされた靴を履いてみる。
 魚の皮で作ったとは言え、見栄えもそんなに悪くないし、第一履き心地がなかなかだった。
「あくまで言い伝えですけど、その靴を履いていると知恵がついたり、不思議な力が身につくそうですよ」
「昔、聖戦士よりもさらに前の伝説だから詳しいことは分からないんだけどね」
「いえ、これは良いものです。――――本当にありがとうございます」
 心からそう思って、頭を下げた。
 三人はどことなく照れ臭そうに笑っていた。
 祝われるということを久しく忘れていた。
 忘れていたから、特になんとも思っていなかった。
 しかし、これはなかなか悪くないものだ……と、フィンは考えを改める。
 そう言えばずっと昔も、友人や大切な人に祝ってもらったことがあった。
 あのときの気持ちはもう思い出せないが、同じような喜びはまだここにある。
 そのことが心地よさを感じさせて、四人はその日、大分遅くまで語り合うのだった。