異法人の夜-Foreigners night-

-第一部-
第四話「再戦」
 肩が叩かれた。瞬時に意識が現実に戻される。
 どうやら寝ていたらしい。零次は頭を抱えながら頭を振った。見ると、霧島がこちらを覗きこんでいる。
「おいおい大丈夫か? さっきからずっとぼけっとしてたぞ」
「ああ。問題ない」
「この町に戻ってきてから、よくそうしてますよね。……ひょっとして、何か悩みでもあるんですか?」
 後部座席にいる亨が心配そうに声をかけてくる。亨や刃とは昔、この地にいた頃に付き合いがあった。その縁もあってか、こちらに戻ってきてからも何かと零次のことを気にかけてくれている。
「悩みか。……いや、大したことではない。それより現状は」
「作戦開始時刻までは相手の見張り。二十三時になったら襲撃開始だ」
「不審なそぶりを見せたら?」
「そん時も当然襲撃開始」
 霧島は柿澤に手渡されたプリントをひらひらとさせる。あまりやる気はないらしく、どことなく投げやりな態度である。
 亨も退屈なのか本を読んでいる。刃は先程から一言も発さずに車の中から今回の襲撃ポイントとなる建物の様子を伺っていた。この男はいつもこんな調子だ。
 零次は特に見張りをする気にはならず、かと言って本などを読む気にもならなかった。雑談もあまり得意ではないので、結局外の風景をぼんやりと眺めることにした。
 街中を歩く人は、誰も零次のことを気に留めていない。こちらは車の中にいるのだから無理もない。しかし、そういうものとは別の孤独感もある。
 壁。学校で感じるものと同質のものが、ここにもある。学校と違って息苦しさは感じないが、その代わり、決して届かぬという距離感があった。
 どこまで行こうと交わることのない平行線上の世界。近いようでいて悲しいくらい遠い、それが人間たちと自分たちの関係なのだろう。
 もっとも、零次からすれば異邦隊の面々も似たようなものだった。
 彼らも自分と似た孤独感を背負っているのだろう。しかし、孤独な者同士が出会えば仲良くなる、というものでもない。互いに胸の内を晒さず、一定の距離を置き、同僚として付き合う。それ以上でもそれ以下でもない。
 そのことに寂しさを覚え、零次は気を紛らわせるために、コーヒーを口にした。
 苦味が口の中に広がっていく。余計な思考が払拭され、意識がはっきりとしてきた。

 同日の朝。
 梢と遥は二人で台所に並んでいた。今まで料理と言うものをやったことがないという遥に、梢が軽く教えていたのである。
 美緒という前例があるので少し恐い。しかし、遥の望みはなるべく叶えてやりたかった。
 ……まぁサンドイッチぐらい、誰だって出来るよな。
 美緒はそれもできないという事実を頭から叩き出して、梢は熱心に教えた。
 包丁を初めて見るというだけあって、最初の頃はかなり危なっかしかったが、遥は呑み込みが早かった。あるいは、覚えるということに必死なのか。
 数回梢が手本を見せると、つたない手つきではあったが、サンドイッチを無事に完成させることが出来た。
 今は、朝食までの空いた時間を使って調味料などの説明をしているところである。
「味の基本はさしすせそだ。砂糖、塩、酢、醤油、味噌。こいつらを一通り扱えるようになれば、いろいろと出来るようになる」
「へぇ……」
 うんちくをたれる梢の一言一言を、遥は心底興味深そうに聞いていた。何回も頷く様は、未知のものを前にした子供のようである。
「あうっ!?」
 居間の入り口付近から美緒の悲鳴が聞こえてきた。見ると、頭を押さえて呻く彼女の横を、榊原が悠々と通り過ぎていく。
「どうしたんだ?」
「いや、入り口に陣取られて邪魔だったからな。なかなかどかないし、寝てるのかと思って手刀を」
「さすがに立ったまま寝るほど器用じゃない!」
 美緒がお返しとばかりに攻撃するも、榊原はそれを片手であしらっていた。
「大人しくしてろ。俺はもうすぐ仕事に出なきゃならん」
「なんか事件でもあんのか」
 梢が尋ねると、榊原は目を伏せて頷いた。
「内容までは教えられんが……あの夜の研究機関に関わること、かもしれん」
 その言葉に梢はぴくりと眉を動かす。
「俺も行こうか、タダだし役に立つぜ」
「足手まといはいらん。それにお前は今日勉強会だろう」
「そういやそうだったな」
 忘れていた。そういえばこの間、そんなことを話していたような気がする。
 完成させた朝食を運び、四人で食卓を囲む。
「そういえば、結局遥はどうすることにしたんだ?」
 上機嫌で朝食を食べる遥を見ながら、榊原が尋ねてくる。
「吉崎のやつがうまい言い訳を考えるって言ってたんだが、まだ何も言ってこないしなー。俺の従姉妹ってことにでもしようか」
「お前が親戚と絶縁状態だってことは周知の事実だったと思うが」
 榊原の言葉に、美緒と話していた遥の手がぴたりと止まった。
 ただ、梢としては、そのことはさして気にするほどのものではない。美緒も気にせず口を動かし続けている。
 何か尋ねたそうな遥に笑いかけて、梢は首を捻った。
「じゃあ師匠の親戚とか」
「阿呆。俺に親戚がいないのも近所じゃ有名だ、いつぼろが出るとも限らんぞ」
 この辺りでは、榊原家は名家だった。子に恵まれず現在は幻一人と衰退してしまったが、今でもそれなりに有名ではある。
「やっぱり私、出てようか?」
 気遣うような遥の言葉に、梢は頭を振った。
 それは、してはいけないことだ。少なくとも、彼女のこれからを考えるなら、人目につかぬよう隠し続けるなどということは出来ない。
 ……それじゃ、あの施設の連中と似たようなもんだしな。
 しかし解決策はなかなか思い浮かばない。
 このまま吉崎任せにしようかと思ったとき、榊原が思わぬことを口にした。
「―――どうだ、榊原遥になるつもりはあるか」
 それはつまり、遥を養子にするということ。
 梢と美緒はともかく、遥の驚きは相当なものだったようだ。目をぱちくりとさせて、榊原をじっと見ている。
 照れ臭いのか、榊原はわざとらしく面倒そうな声を上げた。
「俺からすればお前も梢も美緒もたいして変わらん。お前だけいつまでも苗字無しというのも妙だしな。……ま、あくまで形式的なものだが。こいつら二人も実際戸籍では榊原梢、とかになってるわけじゃない」
 榊原の養子、というのは実際榊原家に加わると言うことではない。役所などからすれば、梢や美緒は榊原家の養子ではなく、居候という扱いになる。
 これは梢が亡き両親を思い倉凪の名を残しておきたいと主張したからなのだが。
「どうする?」
 しんとしたリビング。
 そこで三人は遥の答えを待っていた。
 遥は三人の顔をそれぞれ見ながら、一生懸命考えているようだった。
 やがて、彼女は遠慮がちに頷いた。
「……それじゃあ、よろしくお願いします。榊原さん」
「他人行儀だな。おっさんとか親父とか呼んでいいんだぜ?」
 梢が言うと、遥はおずおずと榊原の方を見た。
「……別に構わん。好きに呼べ」
「そ、それじゃあ……お義父さん」
 美緒の真似をしてそう言ったのだろう。榊原はほんの少しだけ笑って、満足そうに頷いた。
「じゃ、私はお姉ちゃんって呼んでもいいかなっ」
 はしゃいで美緒が遥に問う。それに遥は笑顔で応じた。
 ……こういうのも、悪くないな。
 自分たちが化け物だろうと何であろうと、こういう時間が、こういう場所があってもいい。今朝の食卓を見ていると、そんな気分になれた。

「う~ん、斎藤。複素数平面なんて分からんぞ、次行こう次」
「駄目だ、そう言ってベクトルも飛ばしてるだろう」
「じゃあもういい、数学は飛ばす。俺は文系に走るぞ」
「お前唯一の得意科目物理だろうが」
 そんなやりとりをしながらの勉強会。
 教えるのは斎藤。彼は学年トップを独走する秀才である。次いで成績がいいのは意外だが吉崎。苦手科目である地歴以外はほぼ満点に近い。
 残る二人は完全に馬鹿である。というか、この二人はあまり私生活で勉強をする時間が取れないのだが。
 こんこんと、扉をノックする音が聞こえた。
 どうぞ、と言うと扉を開けて遥が入ってきた。どうやらお茶を運びにきたらしい。遥を見て、事情を知らない藤田と斎藤は目を丸くする。
「皆さん頑張ってますね」
 そんな視線に気づかずに、遥はにこにことしている。
「あ~、そうだ。お前ら二人は知らないんだったなぁ」
 吉崎が突如立ち上がる。彼が何かシナリオを考えてきていることをすっかり梢は忘れていた。
 ……変なこと言わないだろうな?
 不安になって視線で問いかける。任せろ、と言わんばかりの笑顔が返ってきた。
「この子はなぁ、なんとそこにおられる倉凪大先生の婚約ぶげっ」
 間一髪のところで吉崎を黙らせる。藤田と斎藤が怪訝そうな視線を向けてきたが、それは気にしないでおく。
「あっはっは。まったく、吉崎は変な冗談が上手いな。……真面目にやれよ?」
「あっはっは、良いツッコミだぜ倉凪!」
「……まあ、黙ってろ。俺が説明するから」
 吉崎の頭を押さえて、梢は遥を前に出した。
「こいつらは俺のダチ公だ」
「えぇと、この度榊原さんのところにご厄介になることになった遥と言います」
「榊原、遥だろ」
 苦笑して付け足す。さすがにまだ慣れていないようだった。
「……えーと」
 藤田と斎藤は話の展開についていけないのか、うまく言葉が出てこないようだった。梢は一応釘を刺しておく。
「詳しい詮索は勘弁。まぁ俺や美緒と似たようなもんだ」
 その言葉で藤田と斎藤は察したようだった。二人もある程度梢たち兄妹の悲惨な過去は知っている。それと似たようなもの、というのはあまり穏やかな内容ではない。だから無用の詮索はするな、ということである。
 藤田たちは普段通りの調子に戻った。
「はいはい、それじゃ俺らも自己紹介しとかねぇと! 藤田四郎十七歳、誕生日は九月六日、欲しいものは可愛い彼女でっす!」
「アホか君は。ああ、失礼。僕は斎藤恭一、一応彼らの親友です」
 そう言いながら遥と二人は握手を交わす。
「それじゃ、勉強頑張ってね」
 あまり長居すると勉強の邪魔になると思ったのか、遥はそそくさと部屋から出て行った。
「あいつさ、これからいろいろと大変だと思うんだ。……出来れば、仲良くしてやってくれないか」
「何水臭いこと言ってやがる。俺は可愛い子の味方だぜ、知らんのか」
「……藤田の冗談はともかく。僕に異論はない。悩みや相談があれば、いつでも乗る」
 心強い友人二人の言葉に、梢は頭を下げるのだった。

 作戦まで残り数時間という頃。零次は窓の外に、見知った顔を見つけた。
「冬塚……?」
 私服姿で歩いている。様子を見る限り、連れはいないようだった。
「なんだ、知り合いか?」
 隣で寝ていたはずの霧島が目を擦りながら尋ねてきた。
「昔馴染みだ。現在も同じ学校に通っている」
「ああ、冬塚さんですか。夕食の買出しとかですかね、商店街のほうに向かっているようですが」
「かもしれんな」
 あえて興味なさそうに返答する。しかし、視線は涼子の姿を追いかけていた。
 まだ仕事までは時間があったが、それでも彼女に長居はして欲しくなかった。今の零次は異邦隊の一員としてここにいる。そういう自分を、彼女には知られたくなかった。
「話があるなら行ってきたらどうだ?」
 霧島がそんなことを言ってきた。
「任務中だ」
「突入の予定時刻にゃまだ間がある。余計なことに気を取られてたら、思わぬ失敗をするもんだぜ」
「無用の心配だ。俺はそんなへまはしない」
 話題を打ち切るかのように、零次は目を閉じた。
 その直後――爆発音がした。
「なんだ? 刃」
 爆発がしたのは標的がいる場所だった。見張りをしていた刃に尋ねるも、彼は頭を振る。
「ここからではよく見えん」
「仕方ねえ、出るぞお前ら」
 霧島の一声で、四人は車から飛び出す。突然の事態に驚き騒ぐ人々の間を通り抜けて、零次たちは標的のいたビルに向かう。
 そのとき、零次の耳に妙な音が聞こえてきた。車が急発進するときの音だ。
「まさか」
 ビルの裏手に向かう。そこを、地下の駐車場から飛び出してきた一台の車が、凄まじい勢いで走り抜けていった。
「爆発は囮か」
「……おし、それじゃ刃と亨はここに残れ。俺と零次で連中を追う」
 霧島の指示に従い、刃たちはビルの中に向かっていった。何か残っているかもしれない。
 零次は霧島と共に車に乗り込んだ。
「追いつけるか?」
「誰に物を言ってやがる」
 車のエンジンキーを回しながら、霧島は不敵な笑みを浮かべた。彼の身体から魔力が放出され、それが車全体を覆いこむ。
 加速の力、モルト・ヴィヴァーチェ。それが霧島直人の能力だった。
「速やかに行くぜ。だらだらやって残業するのは趣味じゃないんでな――!」
 獲物を追う獅子のように、車は唸りながら発進した。

「―――」
 梢のすぐ横を、異常な速さの車が走り抜けていった。
 勉強会を終え、藤田と斎藤を駅まで送っていった帰り道。
 吉崎と二人、爆発音のしたところに来た直後のことだった。
「うわ、酷えな。なんだよ、これ」
 吉崎は炎上するビルの一角を見ているようだった。しかし、梢の意識は今の車に向いていた。
 中に乗っていた人間の顔が見えたわけではない。ただ、今の車は何かおかしかった。妙な魔力が見え隠れしていたし、速度も尋常ではない。速度既定違反なのは間違いないが、それにしても速過ぎる。
「……吉崎。悪い、俺ちょっと行ってくる」
「へ?」
 梢はそれ以上何も言わずに、車を追いかけ始めた。目立たないところで屋根の上に飛び乗り、全力で駆け始める。
 車は北の方――住宅街へと向かっているようだった。

 先日のような研究機関は、各地に点在している。今回の標的もそういう類の輩だと聞かされていた。
 機関の目的は、零次たちのような異法人、能力者たちの排斥である。強大な力を持つ相手を倒すために、新たな力を開発するのが機関の主な活動だった。
 大抵の場合、機関の構成員は被害者と言うべき人々である。心ない能力者によって、大きな傷を負わされた人々。それが団結して組織となったのが、近年増えてきた研究機関の正体である。
 しかし、彼らは復讐心に駆られるあまり、手段を選ばないことが多い。能力者を倒す力の開発のため、人身売買で"素材"を得たり、戦う力のない能力者を捕えて研究材料にしたりする。
 彼らの目的がどうあれ、その手段は許されるものではなかった。
「―――霧島、車から何か出てきた」
 高速で走る車の中で、零次は闇にまぎれて飛び出てきた影を見逃さなかった。
「ああ―――敵だぜ」
 走行中の車から飛び出た影は人の形をしていた。だが、その奇怪な動き方は普通の人間のものではない。
「車は任せる」
「あいよ」
 零次は助手席のドアを蹴破り、外に飛び出す。跳躍してこちらに迫っていた敵を迎撃するために。
 三百キロの車から躍り出た身体で地を蹴り、相手に向かう。
 零次の視界には迫り来る敵の姿があった。その眼には正気ではなく狂気がある。その動きは正常ではなく異常だった。
 ……強化人間か。
 対能力者用に機関が生み出した、忌まわしき成果。
 普通の人間に特殊な薬物を投与することで、その身体能力を大幅に上昇させるというものだ。大抵の場合正気は失われ、悶え苦しみながら、眼前の敵を倒すことだけを考えるモノとなる。
「ギ……ギャッ!」
 相手は人外のものと化した腕を繰り出してくる。その筋力は常人の数倍。捕まれば最後、肉は裂かれ骨は砕け、身体はズタズタに破壊されるだろう。
 ……それがただの人間であれば、だが。
 次の瞬間――零次の右腕が、相手の胸を貫いていた。
「げぶっ!」
 零次が腕を横に振ると、その身体は近場の公園へと吹き飛ばされた。
 十秒にも満たない。
 あっけなさ過ぎる勝敗。
 これから行われるのは、戦闘などではなく単なる処理だった。倒れたままの相手の前に立ち、零次は腕を振り上げる。
 その腕は――黒かった。
 普通の人間の腕よりも一回り大きく、先端の爪は鋭く禍々しい形をしていた。
 悪魔の腕。
 それを眼前の敵へと振り下ろそうとした瞬間。
「物騒な場面に出くわしたな」
 背後から、どこかで聞いた覚えのある声が聞こえた。

 時刻は七時前後。まだ歩いている人がいてもおかしくない時間帯だったが、不思議とこの公園の周囲に人の気配はない。
 梢は電柱の上にいた。相手の方も、油断なく構えながらこちらを向く。
 電灯によって映し出された顔は、見覚えのあるものだった。
「てめえか」
「……あのときの小物か」
「言ってくれるじゃねえか」
 相手が何をしようとしているのかは知らない。はっきりしているのは、無性にこの男が腹立たしいということくらいだ。
「彼女はどうした」
「遥のことか? はっ、てめえに答える義理はねえよ」
 それを聞いて、相手の双眸が剣呑になっていく。
「そうか。……ならば、無理にでも聞き出すとしよう」
 相手が放つ威圧感が空気を震わせる。それを受けながら、梢は電柱から飛び降りた。
「やれるもんなら、やってみやがれ――!」

 零次は異邦隊のエースだ。それは日本支部だけのことではない。どこに行ってもエースとして通用する。
 総合的な戦闘力の高さ、経験に裏打ちされた判断力。その両方が優れているからこそ、エースと呼ばれる。
 だから当然と言えば当然なのかもしれないが、今回の戦いも――実に一方的だった。
 相手の動きは直線的過ぎて単純。しかも鋭さが足りない。ここでいう鋭さとは、実戦経験から来る思い切りがあるかないかの差異で現れるものだ。
 ……ふん、こいつ、素人か。
 機転は利くし身体能力自体は悪くない。それなりに鍛えている。
 それでも、零次の相手にはならない。
 最初は様子見をかねて防御に徹していたから、形だけは良い勝負だった。しかし、相手の力量を見極めた零次が攻勢に転じると、状況は一変した。
「ぐっ……!」
 こちらのちょっとしたフェイントに引っかかり、あっさりと腹に一撃。そこからは一方的だった。零次の乱打をどうにか防ぐのが精一杯、という程度である。
 おかしいと思うようになったのは、戦い始めてから三分が過ぎた頃だった。
 ……しぶとい。
 戦闘というのは、傍から見ていると想像もつかないくらい疲れるものだ。加えて防戦一方ともなれば、すぐに倒れてもおかしくはない。
 だと言うのに、この相手はどれだけ攻撃を喰らっても倒れない。これほどしぶとい相手は、今まで会ったことがなかった。
「ふん、そろそろ観念したらどうだ」
「馬鹿言ってんじゃねえ」
 息も絶え絶えのくせに、相手はまだ敵対の眼差しを消さなかった。
「大人しく彼女の居場所を言え。そうすれば終わりにしてやる」
「だから言ってんだろ、そんな義理はねえ」
「ある」
 零次は攻撃の手を止めた。
「我々は同胞の管理を行っている。彼女も、そして貴様も放置しておくことは出来ない」
「管理だぁ?」
「そうだ。我々異法人、あるいは他の能力者たちによる犯罪は数多い。そういう輩に大切な相手を殺された者たちは、手段を選ばずこのようなものを作り出している」
 片隅に倒れている強化人間を指し示す。
「あれとて、元はただの人間だ。己が意志でああなったのではない。無理矢理あんなモノにされた。それをした者たちですら、能力者たちの被害者だ。こんな馬鹿げた連鎖を止めるためには、まず第一に我々自身が己を律せねばならん」
「……」
「ゆえに我々は同胞を集め、管理し、必要であれば更生させる。そのためには、よく分からない危険因子を放置しておくことは出来ん」
「なるほど。その危険因子が、俺や遥ってことか」
 相手は呼吸を整え、尋ね返してきた。
「要するに、お前らの仲間になれってことか?」
「そうとも言える」
「仲間になったらどうなる? 今までの生活は続けられるのか?」
「……無理だな。普通の人間と我々が混ざり合えば問題が生じる。今までの生活があったとしても、それは一度捨ててもらう必要がある」
「じゃあ駄目だ」
 強い口調で切り捨てる。そして、すぐさま構えた。
「……馬鹿が。まだやると言うのか」
「悪いが俺も遥も今の生活捨てるつもりはないんでね。それに、自分で自分を律するのはともかく、他の何かに縛られるのは御免なんでな」
 言い終えると同時に、突進。零次はそれを迎え撃つ構えを取る。
 そのとき、四肢に違和感が生じた。
「……っ!」
 いつの間にか蔦が両腕両足に絡みついていた。
「こんなものなどっ!」
 力を入れて引き千切る。しかし、そのために目を離した一瞬の隙に、相手の姿が消えてしまった。
 周囲を見渡す。民家の屋根に、その後姿が見えた。
「逃げるか、貴様っ!」
「今はそうさせてもらうぜ。あばよっ!」
 軽快な足取りで闇夜の中に消えていく。なぜか、それを追いかける気にはなれなかった。

 任務そのものは成功だった。標的は霧島が確保し、異邦隊へと送られることになった。
 刃からその報告を受けた後、零次は一人、公園のベンチに腰をおろしていた。
 例の強化人間は、異邦隊の同僚が来て運んだので、もういない。おそらく、今頃は最期を迎えていることだろう。
 ……俺もいつかはそうなるんだろうか。
 一般人から隔てられた場所で、同胞を管理するために戦い続ける。その先にあるのは、何なのだろう。
 今の生活は捨てられない、とあの男は言っていた。
 ……そんなものは理想論だ。
 零次とて、捨てたくて捨てたわけではない。
「……情けない。嫉妬か、これは」
 自分が手離したくなくとも手離さなければならなかったものを、捨てたくないと言い張るあの男。それを見ていると、無性に苛々してくる。
「あれ、零次さん?」
 と、声がした。面を上げると、買い物袋を手にした涼子がいた。公園の入り口からこちらを見ている。
「あ、やっぱり零次さんだ。どうしたのよ、こんなところで」
「ああ、いや……少し、考え事だ」
「ふうん?」
 涼子は周囲を見渡して小首を捻っていた。先ほどの戦いのせいで、公園は少し荒れている。零次自身も、少し服装が乱れていた。
「……言っておくが、別に誰かと喧嘩したわけではないぞ」
「や、別に何も言ってないけど。ただ、一人で悩んでるのかなと」
 そう言って、涼子は零次の隣に腰をおろした。
「私でよければ話聞くよ?」
「……相変わらずお節介だな」
 涼子の声を聞いていると、心が落ち着く。苛立ちは消えて、少しばかり笑みがこぼれた。
「なによ、人がせっかく心配してるのに。どうせ他に相談する相手なんかいないんでしょ」
「余計なお世話だ。お前みたいに八方美人じゃないんだよ」
「お。昔と比べて口が悪くなったわね」
「君はより悪くなったな」
「零次さんには遠慮してないだけよ」
 そういうものだろうか。零次は涼子に対しても遠慮がある。こういう軽口を叩くのは、昔の名残だ。
「……まあ、本当に大したことではないんだ」
 零次は立ちあがって公園の入り口に向かう。涼子も慌てて追いかけてきた。
「本人がそういうなら別にいいけど。でも、何かあったら遠慮しないでよ。相談くらいならいつでもいいからさ」
「その心遣いに感謝する。……ほら、あまり遅くなると危ない。早く帰れ」
「分かってるって。それじゃあ、また学校で」
 手を振る涼子を見送りながら、零次は昔のことを思い返していた。
 彼女と初めて出会ったときは、大丈夫だと思っていた。気遅れも遠慮もいらない友達になれると、そう信じていた。
 今でも彼女は大事な友人だと思っている。しかし、深入りは出来ない。彼女に頼るようなことは、あってはならない。
 遠くから、時折見守るくらいでいい。そうでなければいけない。
 ……未練だな。
 零次の能力は悪魔のような姿形の、醜い力。その力のせいで周囲から気味悪がられ、家族全員が迫害されるに至った。結果、母と妹は命を失った。
 涼子は違う。まだ生きている。生きてはいるが――零次の力によって傷つけてしまったことに違いはない。
 家族はもういない。過ぎ去った後悔だ。しかし、涼子はまだいる。それも、すぐ近くに。手を伸ばせば簡単に届きそうな距離にいる。だから、それは未練と言うべきだった。
「情けない話だ」
 自嘲しながら家路につく。先のことは考えたくなかった。今は、今のことだけで精一杯だという気がした。