異法人の夜-Foreigners night-

-第一部-
第五話「傷痕」
 まどろみの中から目覚めると、梢は見慣れた部屋に寝かされていることに気づいた。
 まだ朝は早く、周囲は暗い。ふと時計を取ろうとして腕を伸ばす。
「痛っ」
 腕が痛む。昨日のことを思い出した。
「……ぼろ負けか」
 最後に出し抜けたのは運が良かったと言うべきだろう。それでも逃げ出すのが精一杯だったのだが。
 手には包帯が巻かれている。骨折はしてないだろうが、捻挫ぐらいはしたかもしれない。
「まあ、いいか。それより飯作らないと、師匠の出勤に間に合わなくなる……」
 時計で確認してみたが、もうあまり余裕のある時間ではなかった。
 そそくさと着替えて台所に向かう。そこには、既に遥が来ていた。慣れない手つきで目玉焼きを作っている。
「おう、おはようっす」
「あ、倉凪君。身体は大丈夫なの?」
 心配そうに尋ねてくる。梢は曖昧に頷いた。
「ま、無傷ってわけじゃねえが飯作るぐらいなら問題ない。それに、うちは師匠が朝早いから、のんびりしてるわけにもいかないし」
「そっか。いつもご飯食べたらすぐ出て行っちゃうもんね……でも、お義父さん昨日は帰ってないよ」
「そうなのか?」
「なんでも昨日起きた爆発事故の現場にいたらしくて、無事なんだけどいろいろとやらなきゃいけないことがあるって」
 確かに昨日の朝、榊原はなにか捜査があるということを言っていた。確か研究機関と関係があるかもしれない、と言っていたから、頷ける話ではある。あの夜の男もいたのだから。
「……そういや、昨日最後に俺はお前の声を聞いた気がするな」
「うん。私もびっくりしたよ。庭のほうでどさって音がしたから泥棒だと思った」
「ってことは俺の手当てをしてくれたのは?」
「私と美緒ちゃん。研究所で簡単な応急手当の方法とかは教えてもらったから」
「そうか。それに関してはありがとう……で、ひょっとして俺を寝巻きに着替えさせたのは――」
「私だけど?」
「……平気だったか?」
 梢の上半身には幼い頃に受けた虐待の跡が残っている。他人が目にしたら確実に絶句するようなものだ。
 梢自身は傷痕に対して思うところはさしてないが、なるべく隠すようにしている。無暗に晒すようなものでもない。
 遥はきょとんとした後、梢の心配を察したのか、優しい表情を浮かべた。
「平気だよ。美緒ちゃんから話も聞いたから、どんな意味があるのかも分かってるつもり」
 幼い頃、梢は身を挺して妹を守り続けていた。今も残る傷跡は、ある意味ではその勲章のようなものでもある。
「それはともかく、今日はあんまり動き回ったら駄目だよ。朝ご飯は私が作るから、ちゃんと休んでてね」
「……」
 梢は台所を見た。形は多少崩れているが、一応目玉焼きは出来ている。味噌汁も悪い出来ではなかった。ご飯もまだ残っている。
「んじゃ、お言葉に甘えるとするか」
「うん。出来たらまた呼ぶね」
 遥に見送られながら、再び部屋に戻る。
「……でも、どうにかしないとな」
 身体が回復したら、すぐに特訓をする必要がある。このままあの男に勝てなければ、どうにもならない。
「今の生活を捨てるなんざ、俺には出来ねえからな」
 今更捨てるには、関わりを持った人間が多過ぎた。

 翌日、まだ心配そうな遥と美緒をどうにか説得して登校した梢は、昼休みに吉崎と二人で昼食を取っていた。
 藤田は部活の仲間と、斎藤は彼女と一緒に昼を過ごすらしい。梢と吉崎は、揃って屋上へと来ていた。
「……なるほどねえ」
 梢から話を聞いた吉崎は、半ば呆れている様子だった。
「なんだよ」
「いや、余計実力差思い知らされたってのがなあ。そもそも何勝手に喧嘩売ってるんだよ、と突っ込みたい」
「うっ」
 確かにそうだ。わざわざ声をかけないでそのまま帰ってくるという手もあったのである。
「……ところで、そっちは何か分かったのかよ」
「ああ。ここらで怪しいのは赤間カンパニーってとこだな。どうも最近良くない噂を聞くぜ」
「良くない噂?」
「恐ろしく腕の立つ交渉屋を傘下に入れて、調子に乗ってるとかなんとか」
「……」
 その交渉屋の一員が、あの男なのだろうか。
 梢は男の言葉を吉崎に伝えた。異法人と呼ばれる能力者や、それに関わる馬鹿げた憎しみの連鎖。それを断ち切るための、能力者管理組織。
「なるほど、つまり一種の自治体みたいなもんか。なんか刑務所みたいな印象もあるけど」
 参加や脱退が不自由だったり、会員の自由を著しく拘束するようであれば、確かに刑務所という気はする。そんなものに入りたいとは思わない。
「ま、こんだけ分かれば今はいいか。放課後適当に調べてみるよ」
「またハッキングか? お前どこで覚えてくんだよそんなもん」
「アングラサイト」
「師匠に捕まるなよ」
「大丈夫。自分が間違っていると思うことはしない、という師匠の教えはばっちり守ってるよん」
 軽く笑う吉崎を見やりながら、梢は自分の左手を見た。まだ少し痛む。
 ……やっぱ、このままじゃどうにもならねぇよな。
 今のまま事態が進めば、いずれ戦うことになるのは明白だ。あの男だけではなく、その仲間と戦うことも考えておかねばならない。
 もっと強くならなければ、遥を守り切ることは出来ない。
 ……っても、遥自身の意見をまだ聞いてなかったな。
 一応後で聞いておいた方がいいかもしれない。あの男たちの当面の目標は彼女なのだ。当人の意志を無視して勝手に話を進めても意味はない。
「――おい、倉凪。聞いてるのか?」
 と、吉崎が話しかけていることに気づく。
「悪い悪い。で、何?」
「はぁ……仕事、これからはしばらく休業としねぇか、って言ったんだよ。また例の黒服と鉢合わせたら洒落にならないからな」
「別にそれは構わないぜ。ま、もともと実力試しに気に入らないやつ倒してただけだし」
 今では実力を試す必要もないしな、と胸中でぼやく。
「んじゃ、俺今日は帰るわ」
 パンを食べ終わり、ゴミをまとめてから梢は立ち上がる。
「一戸の旦那の授業さぼるのか? あとが恐いぞ」
「あー、予め早退届出しておいたんだよ。遥と美緒がそうでもしなきゃ行っちゃ駄目だって」
「愛されてるねぇ」
「言ってろ馬鹿」
 茶化す吉崎に言い返して、梢は屋上を後にした。

 日差しの強い休日。
 午前中、梢は家の中にある道場を使って特訓をしていた。普段その場所で行われるような天我不敗流の修練ではない。
 もっと単純な、実戦を想定しての特訓だった。
 鋭い音で一気に対峙する相手の懐まで飛び込み、強烈な一撃を放つ。しかし、その攻撃はいともたやすく避けられた。
「阿呆」
 逆に、重い一撃が無防備な脇腹に放たれる。
「ぐおっ……」
 まともに喰らって悶絶する。
 これでも十分手加減された一撃なのだが、痛いことに変わりはない。力なく倒れこむ梢を、榊原は冷やかに見下ろした。
「阿呆、阿呆だとは思っていたが戦い方まで阿呆のままか。以前このことは注意したと思ったんだがな」
 答える気力が梢にはない。既に榊原から同等の攻撃を二十発以上も喰らっているのだ。呻く梢を見て仕方なく榊原は特訓の中止を宣言し、一旦道場から姿を消した。
 ようやく梢の呼吸が整い、少しだけ回復した頃、稽古義から普段着に着替えた榊原が戻ってきた。どうやら今日の訓練はこれで終わりにするつもりらしい。
「敵に突っ込んでばかりの戦い方をやめろ。もう少し頭を使って戦え」
「うぐっ」
「それと基礎的な身体能力も落ちてる。てめぇ最近修行怠けてやがったな」
「うぐっ」
「最後に一つ。お前には実戦経験が決定的に欠けているという弱点があることを忘れるな」
「……もはや何も言い返す気力が起きない」
 ぐったりとうなだれる梢の頭を、榊原は小突いた。
「んな泣き言を言ってる暇あったらとっとと対策考えろ」
「対策って言ってもな……」
 寝転がりながら、自分の拳を眺める。まともに当てたとしても、相手に致命傷は与えられるだろうか。
 力を込めて握りしめてみたが、何も変わらない。
「単純に格闘で勝てないなら、工夫を凝らすしかないな」
 お茶を片手に、榊原は言う。
「工夫?」
「例えば武器。武術の心得がない素人でも、拳銃持てば武術の達人に勝てる可能性が高くなる」
「拳銃でどうにかなるのかね、あれ……」
 相手の防御力は並のものではない。まるで分厚いゴムを叩いているような感覚がした。相当の威力を持つ拳銃でなければ、そのまま弾き返してしまいそうだ。そもそも、避けられて終わりという気もする。
「そもそも武器使っての戦いって、何か性に合わないんだよなあ」
「剣とか微妙だもんなあ、お前」
 天我不敗流は徒手空拳の流派ではない。必要に応じて様々な武器を扱えるようになるのが目標であり、剣や弓、薙刀などを用いた稽古もある。しかし、梢が得意とするのは徒手空拳の稽古だった。
「合わない武器を無理に使っても意味はないか。……なら、篭手はどうだ」
「篭手? 武器じゃないだろ、そもそも」
「ないよりはあった方がいい。それに徒手空拳で戦うなら、攻撃の補助にもなるし防御にも使える」
 言われて、梢は自分の右腕を見ながらイメージしてみた。
 ……篭手。篭手か。
 右腕全体を植物が覆いこみ、それがやがて金属状のものへと形を変える。翠玉の輝きを持つ篭手に、姿を変える。
 目を開けてみる。そこには、イメージには程遠かったが、篭手のようなものは出来ていた。
「いいんじゃねえか。表に出て適当なもん殴ってみろよ」
 榊原に促されて、梢は道場の外に出た。
「はっ!」
 その右腕を、地面に向かって振り下ろす。
 途端、榊原家全体に震動が起きた。遥や美緒が何事かと駆けつけてくる。
「どうしたの、お兄ちゃん!?」
「じ、地震!?」
 そんな二人の声も、梢の耳には入らない。
 ……思ったよりすごい威力だな。こいつを昇華させていけば強力な武器になるかもしれねぇ。
 道場から出てきた榊原も感心していた。
「なかなか強力ではあるな。……だがそれだけでは駄目だ。不完全と言わざるを得ん」
「何かまずいのか、これ」
「攻撃は出来ても、こんなんでは防御が全然出来ないだろう」
 確かに、今はまだ篭手の形になりきっていない。実戦で使うには、もっときちんとしたものにしなければならないだろう。
 それでも、戦う術は見えてきた。これを鍛えていけば、どうにかなるかもしれない。
 あとは――遥の意志を聞くだけだった。

 その日の午後、梢は遥を連れて商店街へと来ていた。本当はなるべく家から出ないほうが安全なのだが、ずっと家の中にいては遥も窮屈だろうと思ったのだ。それに、二人で話したいこともある。
 二人で料理の話をしながら食料品を漁る。その間遥は様々なものを見ては驚き、感心し、喜んでいた。
 あまり大げさには感情表現をすることがない遥だったが、その微妙な表情の変化を観察することが梢にとっても面白かった。
 ……呼んで良かったな。
 口では言わないが、遥はこうして外に出ていろいろなものを見てみたいと思っていたのだろう。物心ついたときから研究施設に閉じ込められて、まるで世間のことを知らない。そんな遥からすれば、新たな発見に満ち溢れている今この瞬間が一番幸せなのではないか、と思う。
「遥」
「え、何?」
「買い物終わったら、少し寄り道していかないか? いい場所教えてやるよ」

「びっくりしたなぁ。スーパーってあんなに人がたくさんいるんだね」
「馬鹿、あんなのはまだ軽いほうだ。夕方過ぎるとおばさん方が集まってほとんど戦場になるんだぞ」
「あれ以上って……頭痛くなりそう」
 その様子を想像してげんなりしたのか、遥は肩をがっくりと落とした。
「でもすごかったのは、たくさんの物がずらーって並んでることだよね。あれだけの中からどれ買うか決めるなんて、大変そうだよ」
 その遥の言葉に梢は苦笑せざるを得ない。遥はどちらかと言えば年相応の落ち着きも持ち合わせているようで、その実子供でもある。もし遊園地に連れて行ったらどういう反応をするのか。
 見てみたい気がした。
「――――なぁ遥。今、楽しいか?」
 ふと、思いついて尋ねてみる。
 いや、正確に言うならば思いついたのではない。最初からそれを聞くために遥を呼び出したのだ。
 ただ、聞くことに多少の躊躇いがあった。
「楽しいよ」
 梢が真面目に聞いていると察したのか、遥は柔らかな笑みを浮かべて答えた。
「美緒ちゃんも吉崎君もお義父さんも、それに倉凪君も……皆、良い人だから。本当に、今が楽しいと思ってる」
「そっか」
 しばらく、無言で歩く。しかし、それは居心地の悪いものではなかった。
「……見えてきた」
「あそこ?」
「ああ、俺のお気に入りの場所だ」
 二人がやってきたのは人気のない丘の上。そこにそびえ立つ大きな木だった。
「不思議と落ち着くねぇ……」
「まぁな。師匠に連れられて来た直後はよくここに来て、前いた町を思い出してた」
 大きな木をそっと撫でながら梢は続けた。
「遥も知ってるだろうけど、前いた町じゃあんまりいいことはなかった。でもここだと――良かったことだけを思い出せる」
「――」
 遥も梢に倣って、大木を撫でる。
「倉凪君と同じ感じがする」
 意外なことを言う。答え方が分からないので、梢は曖昧な笑みを浮かべた。
「俺たちは普通じゃない。いつ普通の奴に危害加えてもおかしくない。なら、俺たちは普通の人から――離れるべきだと思うか?」
 口にすると、少し不安になった。遥が頷いてしまいそうな気がして。
 そうしたら、自分はどうするのか。彼女と一緒に行くのか。美緒や榊原を、吉崎や友人たちを置き去りにして。
 そんな心配をよそに、遥は頭を振った。
「私は、嫌だな。それはきっと、すごく寂しいから」
 その言葉に、梢はほっと一息ついて、腰を下ろした。
「そっか」
「うん。簡単なことじゃないのかもしれない。それでも私は、諦めたくない」
「俺もだ」
 それならば、もう迷うことはない。
 遥も、そして自分も、この"今"を捨てるつもりはない。それを無理にでも奪おうとする者がいるなら、相手がどのような理想を持っていようとも、絶対に負けない。
 ……ああ、負けるもんかよ。
 梢は一人、この先も戦い、そして勝ち抜くことを決意したのだった。