異法人の夜-Foreigners night-

-第一部-
第九話「矢崎兄弟」
 夢を、見ている。
 果てのない雪原の中で、三人の人間が寄り添い、寒さをなんとか凌ごうとしていた。そんなことをしても無駄だ、ということを一番理解していたのはまだ幼い零次だった。
 彼にしがみついている幼い妹や半ば狂い始めている母親には、理解できない。
 彼らは追われている。何に、と問われれば「世界に」と言うべきだろう。
 逃げ場のない逃走劇。明らかな結末を死に物狂いで避けるために、彼らはまさに死の淵に立たされていた。
 当初の原因は何であったか、零次は知らない。ただ幾度もの旅路の中で、自分が異質なモノだということは分かっていた。
 幼心に突き刺さる言葉には容赦がない。ある人は化け物と罵り、ある人は彼を指差し悪魔と言う。それは仕方のないことだ、などと簡単に開き直ることは出来ない。
 零次は幼かった。まだ繊細であったその心に、言葉と言う無数の刃が突き刺さり、修復不可能なまでに傷つけられる。
 どこへ行こうと居場所はない。誰もが自分とは違う以上、それは仕方ないことだと考えた。
 人は自分と違う者を排する傾向がある。零次は、理屈という壁をすり抜けて、直にそのことに触れた。
「母さん……」
 寒いよ、と言おうとしたが、口が動かない。手足の感覚も失せ、緩やかな死に近づきつつある。
 母親は力一杯、妹を抱きしめている。寒さから守るように。我が子を愛しく思うが故に。
 だからこそ。零次は自分も抱きしめて欲しい、と思った。
 寒かった。身体もそうだが、心も寒い。
 母親は俯いたまま、零次を見ようとはしない。
「母さん……」
 その言葉しか口から出てこない。
 寒いよ、僕も抱きしめてよ。そういった思いを込めて、そっと手を伸ばした。
 だが、乾いた音と共に、零次の腕は雪の上に落ちた。
「貴方の……せいよ」
 掠れた、まるで亡霊のようなおぞましい声が漏れた。それを聞いて――零次は初めて、母が恐いと思った。
「貴方がいなければ……何もかもうまくいったのよ」
 普通に生きて、我が子を愛し、温かい家庭を築く。
 そんな夢を持っていただけの母親を、誰が責めることが出来ようか。
 彼女は被害者だった。
 悪魔の親となってしまった。そのことは生涯彼女を苦しめ続けた。
「貴方さえ、普通の子だったなら、こんなことにはならなかったわ……」
 そして、顔を上げた。そこにあるのは、怒り狂った般若の顔でもなければ、悲しみに暮れる悲哀の顔でもなかった。
 ――何もない。
 空っぽの顔が、零次の前にある。それは人間の持つ生々しさを全て取り除いていた。
 その顔を見て、零次は。
「ああ……」
 恐怖は消えた。ただ、哀しくなった。
 自分が、母親をこんなにしてしまったのか。そう気づいて、涙がこぼれた。
 違うもの同士が一緒にいちゃいけないのか。その考えに達したとき、既に目の前の二人は朽ち果てていた。
 零次は、まだ無事である。これも、自分と二人が違うからか。
 なら。違うもの同士が一緒にいなければ、こんなことは起きないのかな。
 だったら探しに行こう。自分と同じ仲間を。そうすれば、その人たちは友達になってくれる。
 温かい家だって出来るかもしれない。一緒に楽しい時間を過ごせるかもしれない。
 ――僕らだけの楽園を作ろう。
 そうすれば、もう母さんたちも死ななくていいんだよね?
 その問いかけは言葉にならなかった。
 故に、答える者もまた、いない。

「――」
 夢から現実へと帰還したとき、既に夜は明けていた。
 ひどく頭が痛む。
 今日は日曜日。朝も早いせいか、まだ外に人の気配はしない。
 なぜか、部屋の中に人の気配はしたが。
「なんでお前がここにいる……霧島」
「ん? よお、起きたか」
「ああ……」
 状況を確認する。
 昨夜は例の男の探索に出向いていた。それから三時過ぎに寮の自室に帰宅。そのまま就寝。
 目覚めたらなぜか部屋の中に霧島がいる。鍵はしておいたはずなのだが。
 そして、霧島はなぜか零次の冷蔵庫の中を漁っている。
「……って、ちょっと待て」
「むん?」
 こちらに振り向いた霧島の口の中にはカニカマがあった。
「何故お前は人の冷蔵庫の中身を勝手に物色している?」
「腹減ったんでな。最近隊長にこき使われてるせいでろくに飯も食えないんだ」
「だったら自分の部屋のものを食べろ!」
「別にいいだろー、減るもんでもなしに」
「減るものだ!」
 朝から頭が痛くなる。呻きながら、零次はベッドから出た。
「だいたいこんな時間に何の用だ?」
「ああ、例の魔術の効果が切れたことを教えてやろうと思ってよ」
「そういえばそんなものもあったな」
 忘れていた。でなければ、昨晩探索に出向いたりはしない。
 だが、。妨害が解けたということは、あの男を発見出来る可能性が高くなったということだ。悪い知らせではなかった。
「報告は感謝する。それだけならそろそろ出て行ってもらえないか?」
「まぁそう急かすな。あと一つ用件がある」
「なんだ」
「これは独自の情報筋でな。その魔術を用いた奴について気がかりな情報を得られたんだ」
 ――。
 自分と例の男を会わせまいとする魔術師。
 確かに気になる相手ではあった。
「例の男とは関係ありそうなのか?」
「ないな」
 きっぱりと断言した。
 なにかしらの繋がりがあると思っていた零次にとって、この返答は少々期待外れである。
 だが、霧島の口から出た名前は、そんな落胆を吹き飛ばすほどのものだった。
「あれをやったのは、ザッハークである可能性が高い」
「……ザッハークだと?」
 頭痛は吹き飛び、戦慄が全身を駆け巡る。
 ザッハーク。
 柿澤に「あれは人の業に反する」と言わしめた、凶悪な能力犯罪者。異邦隊だけではなく一般の警察からも指名手配されている男である。
「待て、ザッハークは魔術師ではなく異邦人だろう。そんなはずは……」
「あいつは魔術も使う。ちょいと突っ込んで調べれば分かることだ」
「……知り合いなのか?」
 霧島の言葉はやけに力強かった。伝聞で知ったことのようには思えない。
「昔の因縁ってとこだ。だから一応気をつけておけよ、って警告。いくらお前でもザッハークの相手は楽じゃないだろうからな」
 実際にその強さをみたものは異邦隊にはいない。ただ、ザッハークが引き起こした事件の惨状から判断して柿澤は「危険度:S」に指定した。
 おそらく、まともに相手をするなら異邦隊総出でかからなければ対応出来ない。例の男を探している場合ではなくなるかもしれない。
「分かった、出来れば矢崎兄弟にも伝えておいてやってくれ」
「……ほう」
 と、珍しげに零次を眺める。
「なんだ?」
「いや、お前さんって暗いし人付き合い悪いなーと思ってたけど。そうでもないみたいで一安心した」
「そんなことはない」
「いやいや照れるな照れるな。人のことを思いやるってのは大事だぞ、うんうん。分かった、伝えておこう」
「……」
 反論しても無駄だと判断して、零次は黙り込む。と、霧島は「ああそうそう」と、言葉を付け足してきた。
「今の話、俺たちのチーム以外の奴には絶対話すなよ」
 そう言ったと思ったら、既に霧島の姿は消えていた。窓が開いているので、そこから入ってきて、今また出て行ったのだろう。
 その影響か、部屋の中に風がぶわっと入ってきた。
「……俺たちのチーム以外には? それは、どういうことだ」
 答える者は、この場にはいなかった。

 同じ頃、榊原邸にて。
「倉凪君倉凪君倉凪君」
「先輩先輩先輩」
「遅い遅い遅いー!」
 喚く三人娘。急かされて梢は、えっちらおっちらと居間から出てきた。
「うるせえなあ。お前らもうちょっとゆっくり出来ないのかよ」
 今まで朝食の後片付けをしていたのでエプロン姿のままである。歯を磨きながらエプロンを外し、上着を着る。
「吉崎さんも来るんだよね?」
「ああ、電話したら来るって行ってたからな。藤田や斎藤も来るみたいだぞ」
「まずは繁華街でいろいろ見て回ろう!」
 女性陣は全員やる気全開のようだった。
 対する梢はちょっと気圧され気味である。
 ……女三人寄れば姦しいとはよく言ったもんだな……。
 普段から五月蝿い美緒や涼子はともかくとして、遥までもがここまではしゃぐとは思わなかった。
「それじゃ、行くか」
 まあ、楽しんでるならそれでいい。そんな風に思いながら、梢は家を出た。

 異邦隊にも休日くらいはある。ただ、それを活用する者がいないだけだ。
 一般人との間に隔たりを置いてばかりの隊員たちに、休日やることなどほとんどない。亨もその点では例外ではなかった。
 部屋にいるのも何か不健康な気がしたので、外に出る。そこで、記憶に新しい顔を目にした。
「あれ……えっと、確か吉崎さん」
 手軽な鞄を手に歩いてきたのは、吉崎和弥だった。向こうもこちらに気づいたらしく、手を挙げてきた。
「よ、矢崎か。昨日の今日でまた会うとはな。散歩か?」
「ええ、今日は特にすることもないので。吉崎さんは?」
「ああ、友達に誘われてな、これから遊びに」
「へぇ、そうですか。いいですねぇ」
 亨には親しい友人はいない。だから、誰かと遊びに行く経験などなかった。
「なんだったらお前も来るか?」
 こちらの言葉をどう受け取ったのか、吉崎はそう提案してきた。
「いや、いいですよ。お邪魔しちゃ悪いですし」
 興味はあるが、いきなり行っても気まずくなるだけだろう。
「そうか。ま、無理にとは言わねえさ。それじゃ、またな」
 吉崎はひらひらと手を振りながら駅の方へと歩いていった。
「遊びかぁ……何か気晴らしでもしようかな」
 元々そうなのだが、異邦隊はここのところ、さらに窮屈な場所になってきている。こういう日ぐらいは、息抜きをしておきたかった。
「友達でもいれば誘うんだけどなぁ」
 零次は誘っても断るだろうし、刃もあまり遊ぶ性格ではない上に、近頃は少々気まずい。霧島辺りは乗ってくれそうな気もするが、神出鬼没なので連絡が取りにくい。
「結局一人、か」
 そうぼやきながら、亨もまた駅の方へと向かうのだった。

「――ザッハークか」
 霧島と携帯で話しながら、刃は自室にあるパソコンの画面を見ていた。そこには、過去にザッハークが起こしたとされる事件の情報が映し出されている。
「それで、この情報は隊長にも伝えたのか?」
『いや、俺と零次、それとお前だけだ。亨にも伝えたかったら伝えてくれても構わん』
「隊長には伝えない方がいいのか?」
 刃は回りくどい言い方を好まない。無駄を省いて、霧島に問いを投げかける。
『そうしておいてもらえると、助かるね』
「理由は聞かん方がいいのか」
『個人的なことなんでね』
 隊長と霧島の間に何かしらの因縁があることは察していた。だが、霧島自身、柿澤に疑念は抱いていても、敵対心までは持っていないらしい。
『ただ、異邦隊が……少なくとも日本支部の様子が最近妙なのは事実だ。それはお前さんも分かっていることだろ』
「否定はしない。遥という少女が何なのか、問題はそこだな」
『そこだけかね』
 霧島は何かを試すような口振りで言う。
『組織そのものが歪んできてる。そうは思わないか』
「異邦隊が、か」
『少なくとも日本支部はな』
 刃は否定しなかった。そもそも、彼自身、入隊したときからある種の違和感は抱いていたのだ。そして、最近ではそれが表面化してきたような気がする。
『問題のある能力者を放置しておくことは、確かに出来ない。ある程度の管理も必要だ。だが一方的に押さえつけるだけじゃ、別の不満がどっかで出てくる』
「やり方に問題がある、ということか」
『簡単に言えばそんなとこだな。隊長に限らず、皆どいつもこいつもピリピリしてる。相当不満が溜まってるんだろうよ』
「……」
 不満。それは、刃の中にもあった。
 異邦隊の提唱する能力者の管理が厳しすぎるのである。厳格であることは、必ずしも現実に即しているということにはならない。
『こんな調子で続けてたら暴発する。それじゃ元も子もないだろうにな』
「なら、お前ならばどうする?」
『俺か? 俺は、そういうの考えるのは得意じゃないからな。せいぜい言えるのは、もうちょい緩くやってもいいんじゃないかってことぐらいかね』
 無責任な物言いだが、刃も霧島と同じような意見しか思い浮かばない。
『悩んでるようだな』
 電話越でもこちらのことを見透かしているのか、霧島の口調は断定的なものだった。
『亨のことか、異邦隊のことか。行き詰ってるなら、他のものを見てみるのも手だと思うぜ』
「他?」
『そうそう。例えば――異邦隊に敵対する、変わり者の異法人とかな』

 梢は集団の最後尾を歩いていた。前の方では、遥が皆に囲まれて、楽しそうに話をしている。
「姉さん」
「ん?」
「姉さんを思い出すんですよ、遥さんを見てると」
 隣を歩いていた涼子が、どこか懐かしむように言った。
「姉さんって……確か」
「ええ、七年前に行方不明になった姉です。元々生き別れてたところで再会して、一年もしないうちに、また姿を消してしまいました」
 涼子本人の口から、その話を聞いたことはほとんどなかった。彼女の両親がある事件で亡くなり、そのとき姉も行方知れずになったということは知っているが。
「不思議ですね。姉さんのこと、ほとんど覚えてないんですけど。遥さんを見てると、あんな感じだったのかな、という気がするんです」
「姉っていうよりは、手のかかる子供みたいだけどな、あいつは」
「それ言ったら多分遥さん怒りますよ」
「大して怖くなさそうだな」
 梢は笑ったが、涼子は優しげな眼で遥のことを見ていた。
「美緒ちゃんから聞きました。遥さんのこと」
「……なんて?」
「酷い虐待を受けていたって」
 本当のことは言えないから、適当にでっちあげたのだろう。あながち間違ってはいないが、あれは虐待というものですらない。
「遥さん、これからは幸せになれるといいですね」
「なれるだろ、俺や美緒だってなれたんだ。あいつがなれない道理はない」
「ですね。……これからも時々、遥さんに会いに来ていいですか?」
 涼子は真面目な顔を向けてきた。
「同情か?」
「まあ、それもあるかもしれないですけど。でも、私自身遥さんと一緒だと楽しいですから」
「そっか。それなら、よろしく頼む」
 涼子も両親を早くに亡くして苦労を重ねてきている。そんな彼女から遥が学べることは、きっとたくさんある。そういう打算を抜きにしても、遥に友人が出来るのはいいことだ。
「おーい、二人とも遅いぞー!」
 先を歩いていた藤田が呼んでいる。
 梢と涼子は、急ぎ足で皆の元に向かった。

 やはり一人遊びはつまらない。適当にゲームセンターで時間を潰しながら、亨はそのことを痛感していた。
 周囲を見ると、若い人は大抵誰かと一緒だった。自分と同じように一人という人もいるが、中高年層が多く、メダルゲームや競馬ゲームをやっている。
 そういう亨も、先ほどからやっているのは、二つのバーにメダルを入れて落とすゲームだった。退屈しのぎとしか言いようがない。
「……何やってるんだろうな、僕は」
 メダルを買ってしまった以上、零になるまでやめるわけにもいかない。そういう風に考えると余計虚しさが増した。
 そのとき、入口の方から賑やかな声が聞こえてきた。亨と同年代くらいの集団で、男女混合のグループである。
 ……あれ。
 その中に見覚えのある顔が三つ。一つは生徒会長として名も顔も知られている冬塚涼子。一つは、先ほど会ったばかりの吉崎和弥。
 最後の一つは――。
「あ、ヤザキンじゃん。一人で何やってんの?」
 と、気さくに声をかけてくる少女、倉凪美緒だった。
「誰がヤザキンだ。見ての通りメダルゲームだよ」
「面白い?」
「つまんないよ」
 美緒は亨のクラスメートだった。クラスの中ではマスコットのような扱いを受けており、皆からの人気も高い。亨にも気楽に話しかけてくるのだが、妙な呼び名をつけられたりしているせいか、どうも苦手意識がある。
「お、矢崎じゃないか。お前、こっちに来てたのか」
「はあ、どうも」
 吉崎と会うのもなんとなく気まずかった。誘いを断っておきながらこういう形で遭遇したのだから、無理もない。
 美緒と吉崎がこちらに来たせいか、残りの面子も亨のところにやって来た。
「なんだ、友達か?」
「うん。私のクラスメートのヤザキン」
「どういう紹介の仕方だよ。僕の名前は矢崎亨だ」
「細かいこと気にするなよヤザキン」
「その呼び方やめろってば」
 亨の抗議を聞いているのかいないのか、美緒は気楽に笑っていた。
「まあ、こいつの言動はあんまり間に受けない方がいいぞ」
「分かってるんですけどね、つい性分で」
「そうか。ああそうそう、俺は倉凪梢。こいつの兄貴だ、よろしくな」
 兄弟だったのか、と矢崎は内心驚いた。あまり美緒と似てないからだ。目元の辺りはまるで違う。梢の方は、いかにも凶悪そうな目つきだった。
 ……あれ?
 梢の顔と似たものを、最近どこかで見たような気がする。学校ですれ違うか何かしたのだろうか。
「ヤザキン、一人で退屈なら一緒に来る?」
 と、今度は美緒から誘いが来た。
 ここでまた断るのも何か悪い気がする。自分に情けなさを覚えながら、亨は頷いた。
「……そういえば、さっき」
「ん、どうしたの?」
「いや、なんでもない」
 美緒から視線をそらしながら、亨は先ほどのやり取りを思い出していた。
 友達かと梢に聞かれて、美緒は「うん」と答えた。
 そのことに、気づいただけだ。

 それから人数が増えたので、別行動になった。亨は美緒や涼子、それに吉崎と一緒に対戦格闘ゲームをやっている。今は亨と美緒、吉崎と涼子の対戦中だった。
「そうなんですか。世間って意外と狭いんですね」
 吉崎からそれぞれの関係を聞いての感想である。美緒と涼子が親友だとは知っていたが、吉崎や梢のことまでは知らなかった。涼子と零次、零次と自分の繋がりを考えると、不思議な偶然のように感じられる。
「他の方は皆さん三年なんですか?」
「ああ。男は皆俺と同じクラスだよ。もう一人いた女の子は違うけど」
「他校の友達ですか?」
「んー、まあそんなとこかな。ちょっと訳有りでね」
 吉崎は言葉を濁した。あまり聞いて欲しくなさそうだったので、亨は適当に相槌を打っておく。
 ゲームの成果は今一つだった。亨もそれなりにゲームはやるが、相手が悪いのかもしれない。
「おーい、吉崎」
 と、梢が駆け足でやって来た。
「遥見なかったか?」
「いや、こっちには来てないぜ。なんだ、はぐれたのか」
「気づいたらいなくなっててな。ったく、どこ行ったんだか」
 梢はそのまま駆け足で行ってしまった。吉崎は苦笑しながらそれを見送る。
「……」
 しかし、亨はそれどころではなかった。
 ……遥?
 それは、異邦隊が探している少女と同じ名前だった。
 ……そういえば、彼女を連れ去ったのは目つきの悪い異法人って言ってたよな。
 梢を見たときに抱いた既視感。それは、任務説明のときに見た人相書きが元ではないのか。
「どうした、矢崎」
 手を止めていたらしい。吉崎や美緒が、不審そうにこちらを見ている。
「い、いえ、なんでもないです。ちょっと負け続きで疲れたというか」
「それなら対戦相手変える?」
 そんな風に提案してくる美緒は、いつも通りだった。教室で見かける彼女の姿と変わらない。
 その兄が、異邦隊の標的となっている異法人なのか。
 だとしたら――なんという偶然だろう。
 亨には、頭の中を整理するのが精一杯だった。

 遥はゲームの筐体の前にいた。しかし、ゲームをやっているわけではなさそうだった。じっと画面を見つめている。
「おお、いたいた。どうしたんだよ、急にいなくなって」
「あ、ごめんなさい。ちょっと、これが気になって」
「ん?」
 画面を覗き込むと、そこには森の風景が映し出されていた。その中に小さな小屋があり、兎と猫が話をしている。どうやらストーリーが用意されているらしい。
「やらないのか?」
「うん、それはいいんだけど」
 遥の視線は画面に釘づけだった。
 小屋は兎の家らしい。そこに閉じこもっている兎に興味を持った猫は、どうにかして連れ出そうと試みる。外の世界は面白いということを証明するために、兎の質問に猫が答えていく、という形式でゲームは進んでいくらしい。
 途中、ゲームをやりたそうにしている女の子がいたので、梢は遥を引き剥がした。
「ちょっと、昔のことを思い出した」
 遥は少し寂しそうに言った。
「昔?」
「うん。楽しくて、ちょっと寂しい思い出」
 梢はそれ以上深く尋ねなかった。なんとなく、それ以上踏み込んではいけないような気がした。
「……ま、いいや。ほら、何かやろうぜ。せっかく遊びに来たんだしさ」
「うん」
 寂しさを打ち切るかのように、遥は笑って頷いた。

 解散したのは夕方になってからだった。亨は早々に皆と別れて、駆け足で寮の自室に戻った。
 ベッドに飛び込んで、仰向けになる。
 ……間違いない。
 倉凪美緒の兄、倉凪梢。そして、遥という女性。あれは、異邦隊の標的の二人だ。
 異法人同士は、互いに接近すると共鳴現象のようなものが起きる。梢に近づくと、若干それがあった。
「でも、どうする?」
 普通に考えれば、隊長に報告すべきだろう。そして遥を保護し、倉凪梢とも話をつける。
 だが、それは正しいことなのだろうか。
 遥は梢と一緒にいるとき、楽しそうに笑っていた。それを引き離して異邦隊に引き入れることは、いいことなのか。
 それに。
『友達か?』
『うん』
 気づかなければよかった。気づいてしまったがゆえに、どうしても意識してしまう。
「……くそ、どうすればいいんだよ」
 異邦隊の理念。隊長や隊員たちの顔。倉凪梢と遥、美緒や吉崎の顔。
 次々と、浮かんでは消えていく。
 そのとき、扉をノックする音が聞こえた。
「どうかしたのか」
 刃の声だった。帰るなり、いきなり部屋に飛び込んだから不審に思われているのかもしれない。
「なんでもない。ちょっと疲れただけだよ」
「そうか」
 声はそれきりだった。しかし、刃が立ち去る気配はない。
「……どうかしたの?」
 少し間を空けてから、刃は答えた。
「例の男のことだが、正体が分かった」
 心臓が大きく跳ねた。
「え?」
「倉凪梢という名前らしい。今夜にでも、顔を出しに行こうと思う」
「……」
 唐突にも程がある。しかし、倉凪梢と名前まで言っていることから、でたらめを言っているわけではなさそうだった。
「ぼ、僕も行こうか?」
「俺一人でいい。ただ、一つ頼みがある」
「何?」
「しばらくの間――倉凪梢のことは異邦隊の誰にも洩らさないでほしい」
 その言葉に、亨はますます混乱した。
「……どういうこと?」
 問いに対する返事はない。
 亨が扉を開けたとき、既に刃の姿はどこにもなかった。