異法人の夜-Foreigners night-

-第一部-
第十二話「暗き明星」
 気づいたのは一瞬だった。それで、遥は全てを悟った。
 凶悪な魔力の波が、全身を突き抜けて行った。それに抗おうという意思も、か細いながら感じ取ることが出来た。抗っているのは梢だ。
 夜半、梢が時折どこかに出かけているのは薄々分かっていた。それを追及されるのを、彼が恐れていることも。
 寂しいという思いはあったが、遥は黙っていた。周囲も何も言わない。それでも、平穏な日常は流れていた。
 しかし、この禍々しい波動はそんな安堵を吹き飛ばすものだった。
 ……梢君は、何をしてるの?
 胸中の不安に応えてくれる者などいない。ざわつく胸を押さえながら、遥は一人、窓の外を見つめていた。

 霧島は焦っている。だが、それは隊長も同じだ。零次はそう見ていた。
 ザッハークの気配を感じ取り、感情を露わにした霧島。それを見て取り、抑えつけようとした柿澤。
 二人の短いやり取りの中に、傍から窺い知れない何かがある、という気がした。
 柿澤の言動は、異邦隊の隊長として相応しいものだった。だが、それだけではない。
 霧島も柿澤への不信を口にしていた。もしかしたら、あの二人には自分の知らない因縁が隠されているのかもしれない。
 ……だが、それは今考えることではない。
 今零次に出来ることは、ザッハークと思われる気配を追うことだ。
 任務中に他のことを考える必要はない。それが最善の結果を生む。これまでもそうだった。
 気配は先ほどから激しい波を生み出していた。魔力に適性のない人間は何も感じていないようだったが、動物たちは何かに脅えているようだった。頭部を"解放"すると零次は千里眼の力も得る。その眼が、町中で毛を逆立てている動物たちの姿を捉えていた。しかし、探すべき者たちの姿は見えない。
 そのとき、零次の視覚の端に、あるものが飛び込んできた。
 犬。それも大型犬だ。
 この異様な波でいきり立っているのか、獣性を表に出し、眼前の子供に吠えたてている。首輪もない。野良犬か何かのようだ。
 子供は五歳くらいの男の子だった。周囲に親らしき人物はいない。夜の公園だ。他の人影もない。
 ……ちっ。
 逡巡を終えたとき、零次は犬を叩きのめしていた。側に着地し、悪魔の解放を抑えての一撃。一瞬のことだった。
 それでも、子供の目は零次の翼を捉えていたらしい。怪我はないかと声をかけた途端、悲鳴を上げて後ずさった。しかし、腰が抜けているのか、満足に逃げることも出来ないようだった。
「おい」
「う、うわあん!」
 挙句の果てに、声をかけただけで泣き出された。パパ、ママ、と泣きじゃくる子を見て、零次はすぐに己が行動を後悔した。
 無暗に泣き声を上げられても困る。零次は、後遺症が残らないよう手加減して、子供を気絶させた。
 ……まずいな。
 こんなことをしている間に、遠方から断続的に感じ取れた魔力の波が薄くなってきている。戦いが終わりつつあるのかもしれない。
 だが、このまま子供を放置しておくことも出来ない。交番に届けるのが筋なのだろうが、零次はどこにあるのか知らなかった。
 そのとき、ちょうどそこに通りかかった人影があった。涼子だ。
「冬塚っ」
 天の助けと思って声をかける。涼子はすぐにこちらに気づき、目をしばたかせた。
「零次さん、何してんのこんなところで? それにその子……」
「そこの犬に襲われそうだったから助けてやった。だが、怖かったのだろう。気を失ってしまったようだ」
「親御さんは?」
「分からん。俺は所用でここを通りかかっただけだからな」
 そう言って時計をちらりと見る。それで涼子は察してくれた。
「もしかして、急ぎ?」
「ああ。冬塚の方は?」
「私はバイト帰りだから問題ないよ。……もしあれだったら、その子交番まで送って行こうか?」
「すまん。そうしてもらえると助かる」
 厄介事を押しつける。その後ろめたさもあったが、こちらも急用があるというのは本当なのだ。一刻一秒を争う。
「今度、何か奢ろう」
「別にいいってば。それより急ぎなんでしょ?」
 涼子の言葉に頷き、ちらりと子供を見た。泣き顔のまま倒れている。そのことに嘆息しながら、零次は踵を返した。
「あ、零次さん!」
 背中に、涼子の声が投げかけられた。立ち止まって振り返ると、そこには満面の笑みがあった。
「偉いっ! それから、いってらっしゃい!」
「……ああ」
 零次は短くそれだけ答えて駆け出した。人目がないところに着くと、再び悪魔を解放して夜空へと飛び立つ。
 急がなければ、と思う。
 焦りだけではなく、高揚感に似たものを抱きながら、零次は山へと飛翔した。

 遊ばれている。そのことは、すぐに痛感した。
 あまりに開き過ぎた実力差。それは、劣る者に屈辱と絶望を、勝る者には優越感と退屈さを与える。
「……つまらんな」
 一瞬か、それとも数分か。
 梢の攻撃を全ていなしてみせたザッハークは、興を殺がれたかのように不機嫌な鼻息を鳴らした。
 どういう原理か、宙に浮かんだまま、梢を値踏みするように見下ろしてくる。
 まるで、壊れかけの玩具を取っておくか捨てるか、迷っているような表情だった。
「小僧、生きたいか?」
 試すように問いかけてくる。
 梢は口中の血を吐き捨てて言った。
「てめえを殴りたいね」
 その返答は予想外だったのだろう。ザッハークは噴き出して笑みを浮かべた。
「言葉が通じぬ阿呆か。それとも、生き死になどどうでもよいと考えておるのか」
「どうでもいいことはねえさ」
「どうでもよさそうな口振りで言うても説得力がないわ」
 ザッハークは梢から視線を逸らした。そちらの方から、何かが迫ってくる。梢にも覚えがある気配だ。
「ふん」
 何を言うわけでもなく、ザッハークは梢の方に巨大な魔力を叩きつけてきた。衝撃に身体が吹き飛ばされる。が、威力自体はさほどでもない。ただ、山の大地が大きく破裂し、粉塵が巻き起こった。視界が塞がれ、何も見えなくなってしまう。
 再び夜空が見えるようになったとき、既にザッハークの姿は消えていた。
 ……見逃されたのか?
 分からない。ただ、窮地を脱したのは確かなようだった。もっとも、こちらの損傷も小さくはない。血を多く流し過ぎたせいか、意識が飛びそうになる。刃との戦いで追った怪我もある。
 一歩踏み出そうとして身体が倒れた。緊張が解けたせいか、一気に寒気が襲いかかってくる。
 このまま意識を失うのはまずい。山には少なからず獣がいる。それに、出血の度合いによってはこのまま失血死の可能性もある。
「冗談じゃねえ」
 こんな半端なところで死んでしまったら、遥はどうなるのか。美緒だって心配だ。吉崎には殴り飛ばされる。榊原は、どんな反応をするだろう。
 這いつくばりながら、前へと進む。やがて限界がきたのか、いくら脳で動けと命令しても、右腕は動かなくなった。
 前にも、こんな風に山の中で倒れていたことがあった。
 守るべきものを守れなかった。そんな思い出だ。
 ……そうだ、こんなところで倒れてる場合じゃねえ。
 霞んでいく風景を、梢はただ真っ直ぐに睨み据えていた。

 翌日、榊原家は騒然となっていた。
 梢が戻っていない。普段なら台所で皆の朝食を作っている時間帯なのに、どこにも姿が見えない。
 最初に気づいたのは遥だった。心配の余り、結局一睡も出来ずにいた。
 起きてきた美緒や榊原も表情を曇らせている。只事ではないと、誰もが気づいていた。
 出勤まで時間があるから、と榊原が探しに出ようとしたところで、吉崎が訪ねてきた。彼も寝ていないのか、疲労の色が濃い。
「そうか、やっぱ戻ってないか」
 吉崎は溜息をつくと、事情を話し始めた。梢の行動。矢崎亨のこと。その兄、刃のこと。そして、両者を襲った奇怪な男のこと。
 全てを語り終えて、吉崎は頭を下げた。
「すまん。俺はあいつを置いて逃げ帰って来た」
「頭を上げろ、吉崎。お前はお前のやるべきことをやった。恥じる必要なぞない」
「……ヤザキンと、そのお兄さんはどうだったの?」
 美緒が遠慮がちに尋ねる。日頃クラスメートとして接してきた相手が、兄と同じ異法人であり、敵対関係にあった。その事実に戸惑いを感じているのだろう。
 吉崎は少しだけ表情を緩やかにした。
「ある診療所にいる。刃……矢崎の兄貴は、傷こそ深いが命に別条はないそうだ。ただ、魔力を相当失ってるせいか、回復には時間がかかる、って言われてたけど」
 魔力は活力とも言える力だ。それを過度に失ってしまうと、身体の回復も遅くなってしまうらしい。
「私、探しに行かないと」
 話が一段落ついたと見るや、遥は腰を上げた。吉崎が慌ててそれを抑える。
「駄目だって! 遥ちゃんが行ったら危ないよ!」
「でも、梢君は私のせいで――」
「あいつの無茶はあいつの責任だ、お前が気に病むことはない」
「それに遥さんがもし敵に捕まったら、お兄ちゃんの頑張りも無駄になっちゃうよ」
 そう言われても納得出来ない部分はある。
 自分が原因であることは間違いないのだ。自分の存在が、この家に厄介事を持ち込んでいる。それは覆しようのない事実だった。
 自分さえいなければ。かっとなって、その思いが強くなった。
「私が、私が出て行けば解決するんじゃないんですか」
 遥の一言で、場が静まり返った。吉崎と美緒はどうしたものかという表情だ。
 榊原一人が、険しい目つきで遥を見据えた。
「本気でそうしたいのか?」
「え?」
「本気でそうしたいと、思ったのか?」
 感情的になって言った言葉だ。嘘ではないが、本心ともまた違う。強く言い返されて、遥は口を紡いでしまう。
 榊原とて、そのぐらいは分かっているのだろう。鼻を鳴らして、こちらを横切っていく。
「吉崎も美緒も分かっている。思うことがあれば、まずは誰かに話せ」
 そう言い残して、部屋に戻ってしまう。着替えて署に出向くのだろう。警察方面に榊原から話がいけば、梢の行方も掴める可能性はある。
「ごめんなさい」
 居心地悪そうにしている二人に、遥は頭を下げた。
 迷惑をかけていること。そして、二人の気遣いを無碍にするようなことを言ってしまったことに対する謝罪だった。
「気にするなって。こっちこそ黙ってて悪かった。倉凪の分も謝るよ」
 倉凪、という名に心がずきりと痛む。
 今、無事でいるのだろうか。

 穏やかな目覚めだった。
 まだ、まどろみの中に半分いるような心地がする。
「おや、目覚めたかい」
 白を基調とした部屋。そこに、白衣を纏った青年がいた。
 どうやらここは病院らしい。朦朧とする意識の中、自分のことを亨が呼んでいたような気がする。
「ここは?」
「僕の診療所で、幸町診療所という。僕は幸町孝也だ、よろしく」
「俺は……」
「異邦隊の隊員、矢崎刃君だろう? 弟さんから話は伺っているよ」
 幸町と名乗った男は、何でもないことのように言った。亨がどういう経緯で自分をここに運んだのかは知らない。ただ、この男は"こういうことに慣れている"手合いのようだった。
「察したようだね。まあ、緊張する必要はないよ。僕は商売柄、患者の味方だ」
「信用しろと?」
「してもらいたいところだね。医者としては、身体も満足に動かせない患者に逆らわれるのは困る」
 言われてみて、初めて気づいた。四肢が弛緩しているのか、ほとんど言うことを聞いてくれない。穿たれた胸の傷もそうだが、魔力の大半が失われているのが一番の原因だ、と幸町は言った。
 おそらく、ザッハークとの戦闘中に喪失したのだろう。梢との戦いも含め、全力を出し切った一夜だった。まだ生きていることの方が不思議な気がしてくる。
「まあ、程なく動けるようにはなるだろう。けど、あくまで動けるという程度だ。早々の完治を御所望なら、医者の言うことには従ってほしい」
「そうか」
 肯定も否定もせず、刃は目を閉じた。魔力を失った影響か、思考も鈍くなっている。
「弟は?」
「亨君なら今朝方出て行ったよ。夕刻には戻ると言っていたから、そろそろじゃないかな」
 窓の外を見る。既に陽が傾いていた。日にちを尋ねると、既にあの一夜から二日が経過していたらしい。
「倉凪梢のことは、聞いていないか?」
「今のところ、行方を掴んでいる人はいない。異邦隊側も、榊原さん家の方でもね」
 何気なく榊原という苗字が出てきたので、刃は顔をしかめた。その名は、先日霧島から聞かされて初めて知ったばかりだ。
 どこまで知っている、と尋ねると、幸町は手にしていたカルテを置いた。
「君よりは多少知っている。例えば、亨君が君をここに運び込んだのは、榊原さんの弟子、吉崎和弥君に僕のことを教えてもらったからだ」
「吉崎……?」
「倉凪梢君とは兄弟弟子だね。彼自身は人間だけど、梢君とはよくつるんでいるようだよ。相棒、といったところかな。ここ最近、亨君とも親交を持ったみたいだね」
 成程、と刃は得心した。こちらが霧島経由で梢と接触していたように、亨も何らかの形で吉崎という男と接触していたのだ。兄弟揃って似たような隠し事とは、妙なものである。
 いつの間にか眠りに落ちていたらしい。
 次に目覚めたとき、外は既に暗く、側には亨が座っていた。刃が目覚めたことに気づくと、亨は安堵の息を漏らす。
「亨、状況は?」
 刃は力のない声で尋ねる。梢とザッハークのことが気にかかった。
「ザッハークは行方不明。ついでに、赤根も行方不明になった」
「……赤根も?」
「うん。霧島に会って話を聞いたんだ」
「霧島には、ここのことは?」
「適当にはぐらかしておいたよ。言っていいのかどうか、よく分からなかったし」
 ここのことを話せば、幸町経由で吉崎、そして倉凪梢まで辿り着く。異邦隊の人間にそんなヒントを与えていいものかどうか。亨はまだ迷っているのだろう。
 そんな亨の悩みなど、霧島はとうに看破していそうだが。
「奴に隠し事は無用だ」
 刃はとつとつとこれまでの経緯を語った。それを受けて、亨は驚きながらも、自分自身の経緯も明かした。
 数日前までの微妙な雰囲気は払拭されている。そんな些細なことを気にしている場合ではない、というのもある。しかし、それとは別に自分たちが変わったのだ、という気もした。
「そうか、じゃあ霧島は梢さんたちのことを知ってたのか」
 それを隠していたことは、異邦隊にとって裏切りとも言える行為だ。最も、今となっては自分たちもさして変わらない立場にある。
「でも、それなら何で霧島は梢さんたちに味方しないんだろう」
 影から助けているのかもしれないが、それはおよそ霧島らしくないとも言えた。あの男の性格なら、堂々と異邦隊に決別の宣言をして、梢と共に正面から戦いを挑んでくる方が似合う。
 しかし、その辺りの事情はいくら考えても詮ないことだ。霧島はそれを刃に語らなかった。必要であれば、そのうち話すだろう。
 それよりも大事なことがあった。
「亨」
「何、兄さん?」
「俺は異邦隊を抜ける」
 重大な発言のはずなのに、思いのほかすんなりと口から出た。これまでの躊躇いが嘘のようだ。
「隊長には恩義があるから、今回の件では何もせん。いや、出来ないと言った方が正しいのだろうが」
 回復には相当の時間がかかる。全力を出せるようになる頃には、この事件は終結を見ているだろう、という予感がある。
 それは、ある種の救いでもあった。もし身体が動くようであれば、柿澤への恩義と梢たちへの情で苦悩していただろう。
「……今回の件が終わっても、異邦隊には戻らないんだね?」
「ああ。その先、どうするかは、まだ決めていないが」
 異邦隊は、各種能力者を危険とし、法を設けてそれを統治することが目的の集団だ。その法を逸脱しようとする刃を、柿澤は許しはしないだろう。おそらく、追手から逃れながらの生活になる。それでも構わない、という気分だ。
「お前は、好きにするといい」
 これまで、亨はずっと刃の後ろをついてきた。それを強要したわけではない。ただ、そうすることが当たり前だという意識は、亨だけでなく、刃の中にもあった。
 甘やかし過ぎていた、という思いがある。
 だから、最近は少しずつ突き放すような言動を取った。亨はそれに戸惑いを覚えていたようだが、これも良い機会だ、と刃は考えている。
 事実、亨は苦笑して肩を竦めた。
「分かった。僕は僕で、今後の去就を決める」
 少し前までなら、なんでさ、と抗議してきたに違いない。自分が倉凪梢と出会って変わったように、亨も吉崎和弥と出会い変わったのだろう。
 その変化は、成長と言うにはまだ小さいものだったが。
「けど、無事でいるかどうか」
 ザッハークと激突したあの夜以降、生死問わず、梢の姿を見た者はいない。
 亨は学校も休んでその行方を捜しているらしい。決断はまだのようだが、梢の捜索に関しては吉崎たちに協力する、という姿勢を見せている。おそらく、刃を助けてもらった借りを返そうとしているのだろう。妙なところで律義なのは、良くも悪くもこの弟の特徴だった。
「異邦隊の方にも顔出し出来るから、その分僕は梢さんの捜索に役立てると思う。異邦隊が梢さんを見つけたら、上手い具合に逃がすつもりだ」
「……危険な橋を、渡ることになる」
「でも、それはもう決めたことだから」
 しかし、上手い具合に逃がせなかったらどうするのか。それに、仮に逃がせたとしても、亨の仕業とバレればそれで終わりだ。
 そんな刃の危惧を察したのだろう。亨は静かに笑って言った。
「分かってる。……梢さんを見つける頃には、僕も結論を出すよ」