異法人の夜-Foreigners night-

-第一部-
第十三話「待ち人」
 自分の預かり知らぬところで、事態は進行している。
 それは胸騒ぎにも似ている。
 あの夜、零次は間に合わなかった。戦闘があったと思しき場所に着いたとき、突如山の一部が爆砕した。粉塵が晴れたとき、周囲にそれらしき気配は残っていなかった。
 ……あの子供を助けていなければ。
 ぎり、と歯ぎしりをしながら帰途につき、翌日からも何となく気持ちが落ち着かないままでいる。
 確定情報ではないが、この町にザッハーク級の危険人物がいる。落ち着かないのも当然だ。
 霧島は亨を見つけて事態を説明したらしい。こちらにも携帯で連絡があり、彼も現在ザッハークらしき人物の捜索を行っているとのことらしい。逆に、霧島は行方不明となっている赤根の捜索に戻った。これは隊長の意向らしい。隊長は、霧島をザッハークから遠ざけようとしているのだろうか。
「分からんことが多過ぎる」
 件の男のこともある。未解決のことばかりが増えていく。事態が単純に進行しないのはままあることだが、零次はこういうことが苦手だった。
 一つ一つ着手するしかないのだろう。一番はザッハークらしき存在の捜索。そのために、霧島を捕まえて一度じっくりと話を聞く必要がある。
 零次は起き上った。屋上からは、平穏な町並みが展望出来る。厳命を遵守して学校へ来たはいいものの、授業に出るのも馬鹿らしかった。
 いっそこのまま抜け出して、霧島に話を聞きに行くか。そんな風に考えた矢先、授業終了のチャイムが鳴って出鼻を挫かれる。
 屋上は人気こそ少ないものの、固定層の溜まり場になっている。残っていても居心地が悪くなるだけだ。昼休みなら中庭の方が落ち着く。
 食堂に向かって駆け出す集団を横目に眺めながら、零次は悠々と階段を降りていく。
「あ、零次さん」
 途中、級友らしき少女と連れ添っている涼子と会った。先日のことを思い出して、零次は頭を下げた。
「冬塚、先日は面倒を押しつけてすまなかった」
「ああ、いいっていいって。そっちは?」
「は?」
 間の抜けた返事をしてから、咄嗟に思い出した。急用がある、という体で涼子に子供を押しつけたのだ。
「ああ、あの用事なら……どうにか」
 間に合わなかったと言うのも気が引けて、歯切れの悪い返答になってしまった。涼子は多少うろんげにこちらを見ていたが、「まあいいや」と割り切ったようだった。
「あ、そうだ。零次さん、この辺りで目つきの悪い人見なかった?」
「目つきの悪い人?」
「うん。この子のお兄さんなんだけど、ここ何日か連絡が取れないんだって」
 促される形で、零次は涼子の隣にいた子に目を向けた。肩の辺りまで伸ばした髪が、しゅんと垂れている。そんな風に見えたのは、その子がどことなく元気なさそうだったからだ。
「あ、はじめまして。倉凪美緒です」
「久坂零次だ」
 型通りの挨拶を済ませてから、零次は涼子に「耳を貸せ」の合図を送った。
「行方知れずと言うが……そういうことをよくする人物なんじゃないのか?」
「しないわよ。私もよく知ってるけど、むしろ今時珍しいぐらいの堅物。うちの生徒会の副会長でもあるのよ?」
 言ってから、少し可笑しそうに、
「案外零次さんと気が合いそうなタイプかもね」
 零次は返答に窮した。見も知らぬ男と気が合いそうと言われても、嬉しいのかどうかさっぱり分からない。ただ、若干の嫉妬はある。
「目つきの悪い人間か……」
 ここ最近で見知った目つきの悪い人間と言えば、遥という少女を連れ去った件の男しか思い浮かばない。だが、それとこれとは関係ないだろう。
「すまんな、思い当たる節がない」
「そ」
 さほど期待していたわけでもないのだろう。涼子と美緒は簡単に礼を言って、食堂の方へと向かっていった。

 あの晩、気を失っていた子供を背負って交番まで行く途中、目を覚ましたその子が妙なことを言っていた。
 自分を助けたのは、黒い羽の悪魔だった、と。
 恩人に対してそんなことを言うものじゃない、と涼子はたしなめ、子供も大人しく反省した。おそらく恐怖のあまり妙な具合に零次を見てしまったのだろう。
 そう考えれば済むことなのだが――涼子はそのことが妙に気にかかっていた。
 もっとも、そのことを零次には言わなかった。言おうかとも思ったが、相手を傷つけるだけだと思ったのだ。それに、もっと優先すべきことがある。
 食堂で席について、美緒から詳しい話を聞く。彼女は今日の休み時間、思い悩んだ様子で梢が行方不明になったことを告げてきた。
 体外的には病気ということにしているらしいが、これまで梢は風邪などほとんど引いたことがない。涼子も「ありえなくはない」と考えつつ、妙だなと思っていたところだ。
「どこに行ったのかアテはないの?」
「吉崎さんが山の方に行くの見たって言ってたんだけど……」
「山、ねえ」
 秋風市の北面は山に囲まれている。その中から人一人を見つけるのは至難の技だろう。
「何でその場所に行ったのか、理由は分からない?」
「ううん。吉崎さんも、分からないって」
 ううむ、と涼子は内心唸った。それだけの情報では、行き先の推測もしようがない。
 ……まあ、美緒ちゃんたちが分からないんじゃ無理もないか。
 とりあえずバイト先の人たちにもそれとなく話を聞いてみようか。そんなことを考えていると、一人の男子生徒がこちらへやって来た。矢崎亨だ。
「こんにちは、二人とも」
 美緒の隣に座り、手にしていたパンを食べ始める。
「ヤザキン、そっちはどうだった?」
「さっぱりだ。梢さん、どこへ行ったのやら」
 おや、と涼子は意外な思いがした。美緒は自分より先に亨へ相談していたのだろうか。長年親友を自負していただけに、少し不満がある。
 そこに、吉崎もやって来た。藤田や斎藤も一緒だ。
 梢をよく知る人間が集まった形になり、自然と話題もそのことに集中する。
「これで倉凪と遥ちゃんがいりゃ、こないだの面子が揃うのにな」
 顔触れを見回して藤田が溜息をつく。斎藤はある程度落ち着いているようだった。
「当然、警察関係でも調査してもらっているんだろう?」
「あ、ああ。まあな。師匠が一応、話を聞いてもらってるはずだ」
 吉崎の返事は煮え切らない。どうやら、あまりこのことを大事にしたくないと思っているようだった。
「でも、もう三日にもなるんでしょう? 本格的に捜査してもらわないと、まずいんじゃない?」
 山中で遭難しているのだとすれば、尚更だ。あの辺りは時々熊も出ると聞く。人間が何日も迷い込んでいたら危ない。
「何か事情でもあるのか?」
 吉崎の表情から何かを読み取ったのだろう。斎藤が鋭く切り込んだ。
「まあ、な」
 吉崎が苦しそうに言う。美緒も似たような表情だ。よく見ると、亨も似たような顔をしていた。三人は、まだ何かを隠していそうだ。
「それ、言えないような事情なんですか?」
 美緒に問いかけるのを憚って、涼子は吉崎に顔を向けた。
「ああ、ちょっとな」
「じゃあ、それは言わなくてもいいです」
 すっぱりと言い切る。その返答が意外だったのか、美緒や吉崎たちは目をしばたかせていた。
「誰にだって言い難い事情はありますもん。それでも助けが必要、ってことも。そうですよね、斎藤さん?」
「その通りだ会長」
「事情は気になるけど、今は倉凪見つけるのが先だもんな!」
「なんか、その……悪いな」
「ごめん」
 吉崎と美緒が頭を下げる。藤田は、そんな二人の肩を叩きながら「気にすんなって!」と景気よく言った。彼なりの励ましなのだろう。
「それじゃ、私たちは知り合いにそれとなく先輩の行方を尋ねてみればいいかな? あんまり行方不明だってことが広まらないように」
「うん。ありがとう、涼子ちゃん」
「藤田に斎藤も、すまねえ。倉凪が見つかって、出来るようなら……今度ちゃんと説明するからよ」
「いいんですか、吉崎さん」
 怪訝そうな声を上げたのは亨だった。吉崎は苦笑して頭を振る。
「いいか悪いかは分からん。けど、案外話しちまった方がいいんじゃないか、という気はするな。少なくとも、俺は前々からそう思ってた」
 そのやり取りの意味が分からず、涼子は藤田や斎藤と顔を見合わせた。
「そういえば、遥さんはどうしてる?」
 微妙になった空気を変えようと、涼子は話題を転じた。
 実際、気になっていたことではある。随分と心細い思いをしているのではないだろうか。
「お兄ちゃんを探しに行くって息巻いてたけど……さすがに一人じゃあれだし、この町のこともまだそんなに分からないだろうから、止めてるとこ」
「まあな。山の方は町の住民だって迷いかねないし。女の子一人じゃ危ないわ」
 それからは、他愛ない話になった。この間遊びに行ったときのこと、中間試験のこと。
 皆、不安を紛らわすような口振りだった。

 呆然としている間に、午後の授業が終わり、零次は家まで戻って来ていた。
「……」
 偶然だった。
 本当に、全くの偶然だった。
 朝方に昼食を買っていなかったのも、食堂の購買でパンが売り切れていたのも、涼子たちの近くの席に座ったことも――。
 最初は好奇心だった。涼子は友人たちとどういう会話をしているのか。そんな、浅ましい理由で聞き耳を立てた。
 会話の中には、遥という人名が何度か出ていた。つい最近、倉凪美緒の家に居候をすることになったという。
 ……どうする?
 そのことばかりが、脳裏を駆け巡る。
 彼らの話から察するに――美緒の兄、倉凪梢という男こそが、あの目つきの悪い男なのだろう。遥を連れ去った後、そのまま自分の家に置いているようだ。そう考えれば、すべての辻褄が合う。
 そして、梢は現在行方不明らしい。行方不明になった日時から察するに、あの晩ザッハークらしき男と戦って、そのまま姿を消した。どこかに潜伏するような理由も見当たらない。おそらくどこかで重傷を負って倒れているか、殺されたかしたのだろう。
 酷い言い方だが、これは零次にとって絶好の機会だった。学生名簿を調べれば、倉凪兄妹の住所などすぐに分かる。梢が不在と言うのであれば、すぐにでも出向いて遥を確保するべきだろう。
 だが、それでいいのかと、零次は疑問を抱いた。初めてのことだ。
 話を聞く限り、遥は周囲にすっかり溶け込んでいる。こういうケースは初めてだった。
 これまで零次が見てきた能力者は、一般人に拒絶されて自暴自棄になったり、自分の力に溺れるなどして、周囲に害悪を撒き散らすような者たちが大半だった。刃だって盗みや刃傷沙汰を起こしたことがあると聞いているし、赤根はもっと分かりやすい悪党だった。
 そうでない者もいた。一般人に嫌悪の対象として見られ、迫害されていた者たちだ。詳しくは知らないが、藤村はそういうケースだったらしい。
 だが、遥はどちらでもない。おそらく、梢もそうだ。異常な力を持っているくせに、普通の人々の輪の中に平然と入り込んでいる。
 ……そういう場合、どうする?
 今は良好な関係であろうと、将来的には何が起こるか分からない。だから、安全面を優先するなら異邦隊に連れてきた方がいいだろう。しかし、そこまで警戒するのは些か過剰ではないのか。
 隊長の判断に委ねていいものかどうか。迷いに迷いが重なる形になり、零次は額に脂汗を浮かべた。
 あの輪に入り込んでいる、という意味では亨も不可解な存在だった。
 ……どういうつもりだ?
 会話の内容から察するに、彼は十中八九梢や遥のことを知っているようだった。当然、それが自分たちの標的であることも感づいているに違いない。ならば、なぜ異邦隊に報告しようとしないのか。
 一度問い詰めてみるか、と携帯を手にした矢先、それが鳴った。相手は霧島だ。
「はい、もしもし」
『よう零次、そっちの状況はどうだ』
 霧島の声を聞いて思い出した。彼にも聞きたいことがあったのだ。
「……進展か。少し判断に悩むことが起きた」
『そうか。こっちは秋風市の怪しそうなところ全般を回ってみたが、赤根の痕跡はなかった』
「少し話したいんだが、いいか?」
『別に構わねえよ。俺も、そろそろ何か聞かれる頃だと思ってたからな』
 電話を切ってから程なく霧島は零次の部屋にやって来た。加速の力でも使ってやって来たのだろうか。
「あー、腹減った。これ食いながら話そうぜ」
 そう言って放り投げて来たのはチョコレートだった。
「糖分補給は柔軟な思考には欠かせないんだぜ」
「そんな話は初めて聞くが」
「ああ、俺が勝手に作った法則だ」
「……」
 感心すべきなのかどうか迷いつつ、零次はチョコレートを口にした。ほんのりと苦味が口中に広がっていく。
「ザッハークは俺にとって仇さ」
 さらりと霧島が言った。突然の告白だったが、そのことは半ば予想していた。どう考えても友好的な関係ではない、と思っていたのだ。
「俺が愛した女がいた。そいつをザッハークが七年前、連れ去りやがった」
「……それで?」
「数年前、どうにか彼女は見つけることが出来た。だが」
 変わり果てた姿だった。何をされたのか、想像もしたくないほど酷い有様だったという。
「ぶっちゃけると、彼女も能力持ちでな。その力を研究しようとする輩に、ザッハークが引き渡したんだ。いや、研究機関に頼まれてザッハークが連れ去ったというべきか」
「それは――」
 まるで遥のようだ。
 零次の言わんとすることが分かったのだろう。霧島は神妙な面持ちで頷いてみせた。
「遥も同じだ。今回は幸いにして施設から逃げることが出来たが、ザッハークが出てきた以上、楽観視は出来なくなった」
「ザッハークの狙いが彼女だと言うのか? いや、それ以前に、この間の気配はザッハークのものなのか?」
「奴だってのは間違いない。俺が野郎の気配を間違えることなんぞないからな。……奴の狙いも、概ね間違いあるまいよ。他に考えられない」
「異邦隊を潰しに来た、とか」
「奴は狂人だが戦闘狂じゃない。そんな無駄なことはしないな」
 霧島はにべもなく言った。ザッハークを最もよく知る彼がこう言うのだ。少なくとも、その可能性が高いと見るべきだろう。
「八島優香ってんだ」
 ザッハークのせいで命を落とした女性のことだろう。霧島は少し寂しげな眼をしていた。
 どこかで聞いたことがある。かすかにそんな気がした。あれは、確か丁度七年前だった気がする。涼子と出会って、別れた。あの冬の日に、どこかで――。
「お前が聞きたいのは、こんなもんか?」
「いや」
 霧島の声で我に返り、零次は咄嗟に頭を振った。
「その、優香という人は――周囲とは上手くやっていたのか?」
「やってたよ。まあ、最初はいろいろあったけど。世間知らずな奴だったから、俺があれこれ教えてやってた」
 それがどうした、と言いたげにこちらを見てくる。零次は嘆息交じりに、遥の手がかりを掴んだことを告げた。霧島は落ち着いて聞いていたが、零次の話が終わると、
「異邦隊には連れて行かない方がいいだろう」
 と、あっさり断言した。
「せっかく周囲と上手く行き始めてるのを引き離せば、彼女はどうなる? 俺たち相手に心を開くとは思えないし、最悪いらん内憂を抱え込むことになる」
 異邦隊内部での揉め事は、そう珍しいことではない。しかし、こういった不安定な情勢下で不確定要素――それも自分たちに好意を持たないような――を抱え込むのは、確かに危険がある。
「それにザッハークの狙いが遥だとすれば、俺たち異邦隊は目をつけられている可能性もある」
「蛇の道は蛇、か。確かに俺が奴でも、行方知れずの能力者を探すのであれば異邦隊を見張るだろう」
 しかし、それはそれで一つの手ではないのか。本当にその読み通りなら、遥はザッハークを誘き寄せる絶好の餌になる。このまま榊原家に置いていたら、発見される確率こそ低いかもしれないが、見つかれば終わりだ。
 既に亨が榊原家との繋がりを持っているようでもある。座視していることは許されない状況だ。
 そこまで分析しておきながら――零次は、その提案を霧島に切り出せなかった。
 霧島はまず承知しないだろうし、こうした真似は零次自身も好むところではない。これまで世界各地を回ってきたが、度々「肝心なところで甘い」と評された。自覚はある。しかし、こればかりは如何ともし難い。
 だが、そうであっても、真意を問いたださねばならない相手がいる。
「霧島」
 と、そのことを口にしようとしたとき、零次の携帯がけたたましく鳴った。隊長からだ。
 その知らせに、零次の胸中はざわついた。生返事をして電話を切る零次に、霧島が訝しげな視線を向けてくる。
「どうした?」
「……山中を捜索していた隊員が、件の男――倉凪梢を見つけたそうだ」
 霧島の目が、一瞬際どい光を放ったような気がした。