異法人の夜-Foreigners night-

-第一部-
第十六話「誰のために」
「お疲れさん」
 赤間カンパニーのビルから出ると、吉崎が待っていた。
 梢と亨――そして零次の姿を確認し、眉をひそめる。
「誰だ?」
「久坂零次。異邦隊員だけど、なんか訳ありっぽかったから連れ出してきた」
「そうか」
 そのことには納得したのだろう。
 吉崎は梢の前まで来て、しかめっ面で睨みつける。
「な、なんだよ」
 吉崎はそれには答えず、しばし梢の姿を見る。
 そして、
「てりゃっ」
 ばしっ、と梢の頭を叩く。
 梢は唖然とした様子で、吉崎を見た。
 なぜ叩かれたのか、分からない。
「なにすんだよっ!?」
「お姫様を悲しませた罰だ」
 ふん、と鼻を鳴らして吉崎はそっぽを向く。
 その言葉で梢もようやく、なぜ叩かれたのかを理解した。
 ばつが悪そうにして、頭を下げる。
「悪い」
「謝るなら俺じゃなくて遥ちゃんに謝れ……ったく、本当はグーでぶん殴るつもりだったんだぞ」
 なぜそうしなかったのかは問うまでもない。
 梢があまりにもボロボロの状態だったからだろう。
「そっか、じゃ早く帰って遥にちゃんと状況説明しないとな」
「そうだな。それじゃ亨、悪いがそいつを背負って行ってくれ」
「え、なんでですか?」
「バイクに四人乗りはさすがに無理だ」
 そう言って、自分は早々バイクに乗る。
 次いで梢も後部座席に乗り込み、ヘルメットをかぶる。
 亨は「仕方ないですね」と言って、零次を背負ったまま歩き出した。
 まだ夕暮れ時なので、結構目立つ。
「周囲の視線が気になるんですけど」
「気合だ」
 そんな役にも立たない言葉を残して、吉崎はバイクを発進させた。
「……不思議なものですね」
 その後姿を見送りながら、亨は奇妙な気持ちを抱いていた。
 あの、一人の少女を守ろうとしただけの二人の男によって、異邦隊はどんどん崩れていく。
 梢は赤根甲子郎ぐらいにしかまともに勝っていないし、相棒の吉崎に至っては戦闘能力など無きに等しい。
 そんな無謀な二人組みが現れてから、異邦隊はあっという間に瓦解していく。
 赤根甲子郎は何処へと去り、矢崎兄弟は寝返った。
 また、この時点では誰も知らないが霧島直人も既に去っている。
「まぁまだ一般隊員が大勢いるんだけど……」
 亨は零次の方を見ながら、ふと、この男はこれからどうするのだろうか、という疑問を抱いた。
(僕は、兄の背中を見失った。そのときにあの人たちの姿を見つけて、気づけば追ってきていた)
 だが、零次は自分のようにはならないだろう。
 梢が零次に対してなにを感じたのかは知る由もないが、少なくとも零次は梢の仲間になるようなタイプの男ではない。
 それだけは、奇妙なぐらいにはっきりと確信が持てた。

 梢は吉崎に連れられ、亨たちよりも一足先に榊原邸まで戻ってきていた。
 どうにか歩きながら、門をくぐる。
 すると目の前に、箒を持って所在無さげに立っている遥が見えた。
 掃除をしていたのだろう。
 だが、今は動きも止まり、どこか虚ろな瞳を虚空へと向けていた。
 それはまるで、あの研究所で最初に見たときのような表情だった。
「遥……?」
 そんな表情を見せられたからか。
 梢は急に、不安になった。
 なぜか、彼女がどこか遠くへいってしまいそうな――。
 そして、彼女がまるで"遥"ではないような感じがした。
「……あ」
 梢の声に気づいて、遥の視線は梢へと向けられる。
 その瞳からは虚無感が失せ、代わりに明らかな悲しみの色がありありと浮かんできた。
 じっとしていることに耐えられず、遥はそのまま梢へ飛びついてきた。
「っ、と」
 その身体をどうにか受け止めて、梢は自分の胸に飛び込んできた遥を見た。
 泣いている。
 涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。
 それは間違いなく遥だった。
 そのことに安堵しつつ、梢は同時に罪悪感を覚えていた。
「悪いな……」
 彼女を守ろうとしたつもりが、逆に泣かせてしまった。
 そのことが、どうしようもなく辛く、腹立たしく、申し訳なかった。
 だから、ありったけの思いを込めて、胸の中で泣く少女に謝った。
「本当に、ごめんな」
「っ……っ」
 嗚咽ばかりが口から漏れ、声が出てこない。
 そんな遥の頭を、梢はそっと撫でた。
 すると、遥は頭を振った。
「悪いのは、私だから……」
「え?」
「私がいなければ、梢君はこんな怪我、しなかった……!」
 その言葉を聞いて、梢はまた胸を打たれた。
(そうだよな、こいつはそういうやつだった)
 短い期間の中で、梢は遥という少女を少しだけ知った。
 基本的に呑気でマイペース。
 誰かと一緒にいて、お喋りなどをするのが好き。
 食事なども大好きで、作る方にもそれなりに関心を示している。

 そしてなにより、人一倍思いやりが強い。

 そんな彼女が、自分を守るという名目で誰かが傷ついていることを知ったらどうするか。
 その人を助ける力があれば、遥は喜んでそれを使うだろう。
 しかし彼女にあるのはそういった類の力ではなく、相手の内面を読み取るという力。
 梢を助けることなどできない。
 それならば、彼女の思いはどこへ向かうのか。
 何も出来ず、守られているだけの立場にある自分に対する罪悪感へと変わる。
 そんなことは、よく考えれば梢にも分かっていたはずだ。
 それでも、心配をかけないようにと目先のことばかりを考えて、黙っていた。
 得られたのは、彼女を守るということで感じることができる満足感。
 結果、彼女は泣いた。
「遥」
 少し強く、その身体を抱きしめた。
「頼む、そんなことで自分を責めるな」
「無理だよっ……!」
 悲痛な声で、遥は叫んだ。
「私、ここを出て行こうとした。皆に迷惑かけちゃうかもしれないから。でも、そんなことも出来ずに、私はまだここにいる。皆の好意に甘えてばかりで、私は何も出来ないままなんだよっ……!」
「やめろ」
「こんなことになるんだったら、私……あの研究所にいた方が良かった。それなら、誰にも迷惑かけなかった!」
「やめてくれ!」
 より強く、遥を抱きしめる。
「もうやめろ、遥。お前は悪くない。お前を守ろうとしたのは、あくまで俺の意志だ。お前が責任感じることじゃない」
「でもっ!」

「まぁそうだな」

 と。
 そこで、別の声が割り込んできた。
 離れてその様子を見ていた吉崎の隣に、榊原が立っている。
 昨晩、遥が慟哭したとき。
 それからずっと、榊原は遥のことを気にかけていた。
「お前を守ろうとしたのはその馬鹿が勝手に企てたことだ。お前が気に病むことじゃない」
 言いながら、ゆっくりと二人に歩み寄る。
「だが、その馬鹿が考えたことも間違っちゃいない。ああ、悪い奴なんていねぇよ。お前らはどっちも正しい」
 そして、その大きな腕で二人を抱き包んだ。
「俺たちは家族だ。血は繋がってないし戸籍上は他人のまま。それでも、俺たちは家族だ」
 その力強い抱擁に、梢も遥も言葉を失った。
 とても、温かい。
「家族を助けようとする奴は悪いのか? 家族のために泣ける奴は悪いのか?」
 いや、と頭を振って、そのことを否定する。
 前者の言葉は梢に、後者の言葉は遥に送ったものだろう。
「悪いわけがない。気に病むってのはお前らどっちも良くないが、それ以外のところは全部まとめて正しい。俺が、保障してやる」
「お、お義父……さん」
「……ま、どっちもきちんと謝ったことだし、これにて一件落着としようじゃないの」
 吉崎も側にやって来て、二人の肩に手を置いた。
「倉凪は遥ちゃんを守りたい。その意志は、俺は尊重してやりたい」
 まだどこか心配そうな遥を前に、吉崎は胸を張った。
「心配しなさんな。こいつが無茶し過ぎないように今後は俺がキチッと見張っとくからさ。お前もあまり無茶をしない。それでいいだろ?」
「ああ、大丈夫……とは言い切れないか」
「おい」
 ここまで言わせといて何言ってんだ、という吉崎の視線を制して、梢は静かに言った。
「俺はなにかに夢中になると我を忘れちまうことが多い。今回こんなになっちまったのもそれが原因だ。だから、今後も無茶はしちまうかもしれない」
「……」
「でもこれだけは約束する。絶対にくたばったりしないで、ちゃんとこの家に戻ってくる」
 梢からすれば、これが完全な本心であった。
 中途半端なその場凌ぎの言葉で納得させても意味などない。
 そういったことをしていたせいで、遥を泣かせてしまうまでに至ったのだ。
 だから、飾らない本心を告げた。
「だから遥、お前も約束してくれ」
「……え?」
「もう二度と、こんなことで自分を責めたりしないこと。それから、勝手にここから出て行こうなんて考えないこと」
 遥は、じっと梢を見上げている。
 その顔にはまだ涙の跡が残っており、哀しげな表情もまだ消えてはいない。
「……梢君は、我侭だよ」
「そうか?」
「うん、我侭」
「だったら、お前もその分我侭になっていい」
 その言葉を聞いて、遥は震えた。
 恐怖や悲しみではない。
 梢の言葉が、嬉しかった。
 今までの遥は、何かを求めることなど許されなかった。
 研究員たちから与えられるものを甘受するだけの生活。
 榊原邸に着てから、全てが変わった。
 求めることが許され、それでも自分がそれを許せなくて。
 そんなことは気にするな、と言ってくれる人たちがいた。
 遥にとって、この家の住人はあまりにも優しい。
 彼女は……静かに、頷いた。
「うん……約束する。その代わり、梢君も約束守ってね」
「ああ、必ず」
 ニッと笑って梢は頷いた。
 遥はそのまま、榊原や吉崎を見て、頭を下げた。
「お義父さん、吉崎君もありがとう……それと、これからも私、この家にいてもいいですか」
「当たり前だ。自分の娘を追い出す馬鹿親になった覚えはない」
「俺も、微力ながら助けになるぜ」
「そうだよ!」
 と、そこで背後から遥に抱きつく影一つ。
「勝手にいなくなったりしたら許さないんだからね、お兄ちゃんたち共々、どこまでも探しに行くよ!?」
「……ありがとう、美緒ちゃん」
「うんっ」
 そんなやり取りを見ながら、梢はそっと輪の中から離れ、地に伏した。
 吉崎が慌てて抱え起こす。
「大丈夫かよ、本当に」
「ああ、馬鹿なキャラは大概打たれ強いんだ」
「ま、減らず口叩けるなら問題ないか」
 相変わらずの梢を見て、吉崎は苦笑を禁じえない。
 本当に、この相棒は無茶ばかりする。
「あ、梢君。すぐに布団、用意するね」
 涙の跡をごしごしと拭きながら、まだどこか涙ぐんだ声で遥は慌てて家の中へと駆けて行った。
 途中、何度もふらついてこける。
 見かねて美緒が助けに行く。
 その後姿を見送って、吉崎はふと梢と遥を見比べてみた。
「無茶する者同士、やっぱお似合いだわな」
「……あ」
 吉崎の呟きが聞こえていないのか、梢はしかめっ面をして呻いた。
「名前じゃなくて、苗字で呼べっつってんのに……」
「いいじゃないの。名前で呼ばれるのがそんなに嫌か?」
「……照れくさい」
 疲れているからか、ついそんな本音が漏れる。
 それを聞いた吉崎と榊原は揃って笑った。
「別にいいじゃねぇか。あんなに俺たちの面前で抱き合っておいて、今さら恥ずかしいもくそもねぇだろ、この」
「……ん、じゃあ、別に……いい」
 小さな声でそう呟き、梢は意識を失った。
「師匠。今の録音した?」
「さすがに俺もそこまで万能じゃない。ただまぁ俺たち二人が証人だ」
 不適な笑みを浮かべあう師弟。
 そこに辿り着いた亨は、不思議そうな表情を浮かべた。
「なにか、いいことでもあったんでしょうか」
 答えるものはおらず。
 ただ、静かに夕闇が辺りを覆い始めていた。

 暴れまわった後の子供はよく眠る。
 久坂零次がまさにそうだった。
 あれから世が明けてもまだ、この男は深い眠りに陥っている。
 本当に、子供みたいな奴だ――と、梢は内心呆れる思いだった。
 人の知らないところで勝手に悩み、勝手に怒り、勝手に暴れる。
 まるで思春期の子供そのものである。
 だが、自分自身もまた子供だ、ということを梢は理解していない。
 勝手に暴れて、人に心配させて、結局許してもらってしまっている。
 寛大な親の元に生まれた、好奇心旺盛な子供のような男だった。
 それに比べると、零次は親に相談することが出来ず一人で苦悩し、思いつめるタイプの子供だろう。
 二人とも子供であり、質も似たものがあったが、環境が違いすぎた。
 そして、環境は人を変える。
 ある意味で、梢と零次はお互いの"在りえたかもしれない姿"なのだろう。
 もっとも、そこまでのことは梢に分かるはずもない。
 彼はまだ、零次の背負っているものの一部しか知らないのだから。

 晴れた日の昼下がり。
 庭に植えられた木々の隙間から漏れる光が眩しい。
 榊原邸の縁側に、吉崎が腰を落ち着けていた。
「あー……」
 なんとなく口からこぼれた呟きが、どこへともなく消えていく。
 現在正午過ぎ。
 学校へ行かなければならないはずの時刻なのだが、彼はそこにいた。
「吉崎君、どうしたの?」
 たまたま通りかかった遥が、小首を傾げて尋ねた。
 昨日さんざん泣いたせいか、今日はもう落ち着いている。
「いやぁ、亨や倉凪から話を聞いて、ちょっと不思議に思ったんだよ」
「……?」
 遥には吉崎の言おうとしていることが分からない。
 眉間にしわを寄せ、手を額に当てながら真剣に考えている。
 その様子を見ていておかしくなったのか、吉崎は少し苦笑してみせた。
「いや、倉凪一人で異邦隊をガラリと変えちまったってことがさ」
「あ、なるほど」
 そう言われて、遥もようやく分かったのだろう。
 ポン、と手を叩いて頷いた。
 亨の話によれば、倉凪梢という男が現れて以降異邦隊内部で様々な問題があったという。
 脱走未遂多発、カンパニーへのあからさまな反発。
 そして、隊の中心でもあった強化能力者たちの異変。
 赤根甲子郎は梢に負けたせいか、脱走。
 矢崎兄弟の離反。
 これだけでも、強化能力者の半数が一気に同組織にとって厄介な敵になったことになる。
 そして、梢の発言から出た霧島直人の存在。
 さらに久坂零次の葛藤。
 隊の中心である強化能力者がこうでは、他の能力者たちにも動揺が走り、混乱はいよいよ増すだろう。
 今朝起きたばかりの梢を交えて一同で話し合った結論が、それであった。
「砂上の楼閣だったんでしょう」
 と、亨は語る。
 彼は異邦隊の権威にこそひれ伏していたが、その心は刃の背に隠れていただけ。
 それ故に、どこか客観的に異邦隊という組織を視ている。
「思想という、一致するはずのないものを無理にまとめあげようとしていた反動でしょうね」
 そう考えると、梢のやったことで一番有効だったのは、赤根甲子郎を倒したことだろう。
 あの一戦が起爆剤となったのである。
「ま、いろんな偶然もあったんだろうけどさ。やっぱあいつ凄いよ」
 まるで自分のことのように、誇らしげに吉崎は言った。
 その点に関しては、遥も同じ気持ちだった。
 勝ち目のない相手にも果敢に立ち向かっていく。
 それは現実的に考えれば愚行だろう。
 しかし一面、ヒーローのような、なんとも言えない輝きをも秘めているのではないか。
「でも」
「ん?」
「なんで梢君は、そこまで私のことを守ろうとしてくれてたのかな」
「惚れてたりして」
 吉崎は茶化すように返す。
 だが遥は特に反応も見せず、考え込んでいた。
「梢君の頑張り方は、どこか危うい気がする」
「……ま、そうだね」
 遥の様子があまりにも真剣だったからか、吉崎の方も表情を変えた。
 普段滅多に見せることのない、真面目な表情である。
「そうだな。少し昔の話をしよう」

 まだ吉崎が梢と出会って間もない頃。
 いつも霧島を含めた三人、時には美緒も交えて四人で馬鹿なことばかりしていた頃。
 ある日を境に、梢の様子が変わった。
 どうやら、秘密の友達でも出来たようだ――と感づいたのは、霧島と榊原ぐらいだっただろう。
 吉崎や美緒はまだ幼かったため、梢がどこか変だという程度のことしか分からなかった。
 後に吉崎が梢に聞かされた話によれば、その相手は同年代の女の子だったらしい。
 ひどく無口で無感動、静かと言うより虚無感を周囲に与えるような子であったという。
 その子には家族がなく、一人で郊外の森の中にいた。
 梢は好奇心から森の中に入り込み、道に迷った。
 その時すらりと少女が現れて、出口まで案内してもらったのが出会いだったという。
「一人で寂しくないか?」
「それが、当たり前のことだから」
 そんなやり取りを、幾度となく繰り返した。
 梢はその少女が放っておけなかった。
 あまりにも虚ろで、いるのかいないのか分からないような存在。
 彼女に、人間らしくなってほしかった。
 それから何日もの間、梢は周囲の人間に隠れて彼女に会いに行った。
 彼女はあまり大勢の人間といることを好んでいない。
 そのことが、梢には肌で感じ取れたのである。
「皆で一緒に遊ぶのって、意外と楽しいもんだぞ」
「でも、怖いから」
 いつも彼女はそう言って、首を振るばかりだった。
 だが、梢が話す榊原邸の有り様に少しずつ興味が沸いてきたのだろう。
 彼女の方から次第に、梢に話を尋ねるようになってきた。
 心なしか、まるで機械のようだった少女が、人間らしくなった。
 そのことが梢には嬉しかった。
 つい、
「今度、家に来いよ」
 と、口走ってしまった。
 すると見る見るうちに、彼女の顔色が悪くなる。
「ごめん」
 理由は告げず、ただ彼女はうなだれるばかりだった。
 それ以来、梢はその話題を避けた。

 それからまた数日経った。
 ある木の場所まで向かうと、彼女はいた。
 それが、決まり事のようになっていた。
 その日、彼女は思いつめた様子で言った。
「私、梢君のお家に行きたい」
 その言葉を聞くと、梢はすぐさま彼女の手を取って走り出した。
「行くならすぐだ」
 二人は走った。
 森の出口を目指し、一心不乱に駆け抜けた。
 何かに焦っていたのか、早く、という気持ちが抑えられなかったのか。
 そして、出口まで辿り着いたとき。
「そこまでだ」
 何人かの大人たちが待ち伏せをしていた。
 彼らの目的は、少女のようだった。
「この森から出られては困る」
 その、決め付け、押し付けるような物言いに梢はキレた。
「うるせぇっ」
 怒声を上げると即座に大人たちを蹴散らし始めた。
 子供とはいえ、強化能力者。
 普通の人間に比べれば、比べ物にならない実力を持っている。
 ――てめぇらが、こいつを機械みたいにしやがったのか。
 その思いが、梢を激昂させた。
 彼は、彼女を守るナイトになろうとしていたのだろう。
 彼女に害をなすこの連中が、どうしても許せなかった。
 梢の叫び声が、森の中に響き渡る。
 が、それは突如止んだ。
 梢の胸が、貫かれたのである。
 何によってかは、分からない。
 ただ、気づけば胸が空っぽになっていた。
 赤い液体が垂れ流しになり、梢は倒れた。
 本当に倒すべき相手が、他にいたのか。
 そう思いながら、悔し紛れに上を見上げる。
 空から、不気味な槍が降ってきた。
 あれに当たれば梢は間違いなく死ぬ。
 なぜなら、槍の落下地点には梢の頭があったのだから。
 しかし、梢の命は救われた。

 槍は、梢を庇った彼女を貫いていたのだ。

 崩れ落ちる彼女の身体。
 広がる血の海。
 そこに向かおうとしたところで、梢の意識は途絶えた。

 次に目覚めたとき、梢は病院にいた。
 退院すると、彼はまた約束の木の場所へ向かった。
 一日。
 二日。
 三日。
 ――一週間。
 ――――一ヶ月。
 そこで、梢はようやく涙を流した。
(彼女は、もういない)
 死んだ。
 守ろうとしたはずなのに、守れなかった。
 どころか、逆に守られた。
 最初は単なるお節介だった。
 だが、梢はいつからか本気で彼女を救いたいと願うようになっていた。
 それなのに、結局は自分一人がまだここにいる。
 無性に自分が許せなかった。

 なんて、中途半端。

 なんて、偽善。

 そんな自分ではいたくない。

 それから、梢は変わった。
 以前は"危険な相手"に振るっていた力を、"誰かを守るため"に振るうようになった。

「後悔してるんだよ」
 話を終えて、吉崎はやりきれないように言った。
 遥は終始黙っていた。
 ただ、顔色は良くない。
「あいつはさ。自分が許せないんだ。それ以前も人助けとかは好きな奴だったけど、程度が違う。あいつは自分自身のことを、屁とも思ってないのさ」
「それは、自分に罪があると思っているから?」
「無意識のうちにな。誰かを助けたいって出発点は本物だけど、そこから始まってる道筋が歪んでるんだ」
 それは、説明するまでもないことだった。
 零次との戦いで逃亡したのは、命惜しさと言うよりは、ただ敵わないことを悟ったからだ。
 本当に命が惜しいと思っただけの人間ならば、再びその相手に挑んだりはしない。
 刃戦では亨が異邦隊員であり、自分たちの情報が割れているため、逃げても後に退けなかった。
 同時に刃も梢に何かを求めている節があった。
 それら二つの要素に応えようとし、その結果が遥を泣かせたほどの凄惨な姿であった。
「もし、その女の子が生きていたら……梢君は、」
「変わらないよ」
 何かを言いかけた遥を遮って、吉崎は柔らかな口調で告げる。
「もうあいつという人間に浸透しちまってる。今さらその子が生きてて、出てきたとしても、そんなことじゃあいつは変えられない」
「そっか」
 落ち込んだようにうつむく遥を見て、吉崎は笑って付け足す。
「そんな奴だから、俺はあいつと一緒にいるんだけどね」
「え?」
 遥はきょとんとした様子で吉崎を見る。
「放っておけないだろ?」
「……吉崎君は、良い人なんだね」
 吉崎の言葉を聞いて、遥は優しい表情になった。
 言われた吉崎は照れたのか、鼻先を掻きながら苦笑した。
「自分の力のせいで迫害されていた奴が、その力ゆえにか身を滅ぼそうとしてる。そんなの、やるせない。せめてあいつに、普通の楽しみを教えてやろう――ガキながら、そんなことを考えてたね」
 だから、吉崎は梢の友人であり続ける。
 力に翻弄されて生きてきた男の中に、有り触れた日常を。
 家族という絆もない、ただの他人だからこそしてやれる。
 友情というプレゼントを。
 そんな吉崎の心情は、遥にもなんとなく理解できた。
「私も、吉崎君みたいになれるかな」
「ん?」
「梢君を、支えること、できるかな」
「できるでしょ」
 ぐっ、と親指を上げて自信ありげに答えた。
「……うん。ありがとう」
 遥は笑顔で言い残し、夕飯の準備をしに行った。
 語り始めてから、もうそれだけ時間が経っている。
 夕闇の広がる中、吉崎は一人、空を見上げていた。

「ん?」
 何か妙な音がした。
 そのことに気づいて、梢は自室の窓から外を見上げた。
 そこで、梢の眼が見開かれる。
「……なんだ?」
 榊原邸が、なにか透明のドームで覆われていた。
 魔術による結界。
 そのことが、霧島から魔術知識をおそわっていた梢には即座に分かった。
 すぐさま外に飛び出して、結界に手を伸ばしてみる。
 すると、梢の手はすんなりと結界を通り抜けてしまった。
「俺は平気、なのか?」
 魔術による結界を用いる場合、弾かれる対象を決めるタイプと、弾かれない対象を指定するタイプがある。
 前者の場合、こいつは入っては駄目。
 後者の場合、お前ならば入っていい。
 そういうふうに創造されるのが、一般的な外敵進入用の結界だった。
(様子から見る限り、少し前から張られてたみたいだな)
 そう判断すると、梢はぐるりと結界の外側を注視した。
 誰もいない。
 しかし先ほどの音が、結界が反応したことを表すなら、どこかに弾かれた対象がいるはずだった。
 弾かれる対象。
 ろくな相手ではあるまい。
 少なくとも梢、遥、吉崎、美緒、亨、零次、榊原は違う。
 昨日邸内に入った際に結界は発動しなかった。
(兄貴か?)
 現在邸内にいる人間には、結界を張る技術を持った人間はいない。
 それ以外で、こんなことをするのは霧島ぐらいのものではないか。
(手助けでもしてくれるつもりなのかね)
 そんなことを考えながらも、感覚を研ぎ澄まし、四方への注意を怠らない。
 なんにせよ、今この結界がはじめて発動した。
 敵が、来たのだろう。
 もっとも、結界が壊れていないところを見ると、侵入には失敗したようだったが。
 ただ、敵の存在だけ確認出来て、その実態がいまいち分からないと、どうにも不気味だった。
(何か、嫌な予感がするな……)
 事件は、翌日に起きた。