異法人の夜-Foreigners night-

-第二部-
断章「六日――七日」
 扉を開けようとしたとき、中から声が聞こえてきた。
「なぜ、あんな危ないところに来たの?」
 問い詰めるような口調。冷夏の声だった。
「ここに連れて来るときに約束したはずよ? 郁、覚えてる?」
 どうやら郁奈と問答中らしい。今日の状況報告をするために来たのだが、今は入れそうな気配ではなかった。
「緋河様」
 と、後から声をかけられる。そこにいたのは、冷夏の老執事だった。実際のところどのような人かは知らないが、天夜はそう見ている。
「やっぱ、今は入らない方がいいか」
「申し訳ありません。少々長引くと思いますので、隣室でお待ちください」
 老執事は紅茶と菓子を乗せたトレイを持っていた。その厚意に甘えることにする。
 隣室で席につき、紅茶を口にする。なかなかの味だった。
「なあ、一つ聞いていいか」
「なんでございましょう」
「あの二人、どういう関係なんだ? 初めて会ったときから多少気になってたんだが」
 親子のようでもあり、姉妹のようでもある。互いに愛称で呼び合っているから親しい仲なのだとは思うが、はっきりとしたことが分からない。
 天夜の問いかけに、老執事は目を細めた。何かを思い出しているような眼差しに見える。
「冷夏様は、かつてこの町に住んでおられました。そのとき、特に親しかった御友人方がおられたそうです」
「ここに……?」
「はい。郁奈様は、その御友人方の忘れ形見なのです。数年前に冷夏様が引き取り、それ以来我が子のように」
「……そうか」
 冷夏は一見郁奈に対して厳しいようだが、どこかで甘いところがある。それは、自分の子ではなく友人の子だからか。その辺りは、子供を育てたことのない天夜にはよく分からなかった。
「でも、そんな奴をどうしてこんなとこまで連れて来たんだろうな」
「冷夏様は郁奈様の同行に強く反対されておりました。それを、普段は大人しい郁奈様が押し切られたのです。郁奈様がなぜ同行を望まれたのかは、私共も存じ上げておりません」
 郁奈とはあまり話していない。それでも、何度か向き合っただけで、年齢に不釣り合いな何かを感じた。達観、あるいは諦観しているような眼差しをしている。
「いろいろと事情がありそうだな、そっちも」
 老執事は恭しく頭を下げた。おそらく、これ以上のことは教えてくれまい。天夜としても、他所の事情を根掘り葉掘り聞き出すつもりはなかった。
「不躾ながら、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「別にいいけど、なんだ?」
「なぜ、あなた様は此度の件を引き受けたのでございますか」
 好奇心から尋ねているようには見えない。天夜は梢と交流を持っていたから、そのことを懸念しているのかもしれなかった。
 実際、昨日は取り逃がしている。最初から本気で殺すつもりなら、出来ないことはなかった。梢は天夜の前では無防備だったから、いちいち敵であることを宣言せずに不意打ちすることも出来た。それをしなかったのは、情が働いたからだ。それは認めるしかない。
「……後悔したくないからだ」
 理由を挙げるとすれば、それぐらいしかない。
「この町には思い出がたくさんある。気心の知れた相手も何人もいる。そいつらの身に危機が迫ってるなら、どうにかしたいと思う。おかしいか?」
「いえ。しかし、そのことであなた様は、守ろうとしている人々から恨まれることになります。気心の知れた相手の一人を、その手にかけることになる。それでも、あなた様は動くことを選んだ。なぜでしょうか」
 天夜は、この町で知り合った人々の顔を思い浮かべようとした。しかし、表情がはっきりしない。笑っているのか、怒っているのか、泣いているのか。
「守る、か。俺はそんなに器用な人間じゃない。……昔、大事な人がいたが、俺はくだらない迷いから一方的に縁を切った。その直後、彼女はテロにあって死んだ」
 昔の話だ。しかし、忘れることの出来ない思い出である。
「それからは、迷うくらいなら出来ることをすると決めている。例え嫌われようが憎まれようが、彼らのために出来ることがある。なら、それをするだけだ」
 その後どうなるかは、そのときになって考えればいい。今という瞬間に出来ることを無駄にはしたくなかった。
 老執事は、口元をほんの少しだけ綻ばせた。
「あなたが味方で本当に良かった。お嬢様も、このことを知れば心強く思うでしょう」
「なんでだ?」
「同じだからでございますよ。もう、後悔はしたくない。お嬢様も、そう考えておられるのです」
 後悔。言われてみれば、そんな気もする。冷夏はいつも、何か思いつめたような表情を浮かべていた。この件を、単なる任務や義務とは考えていないように見える。もっと切羽詰まったものがあった。
 そのとき、アンティークショップにでも置いてありそうな古時計が、二十三時の鐘を鳴らした。
 今日もまた一日が終わろうとしている。そして、日が進むごとに、土門荒野の復活は近づいていく。それは、梢たちの破滅へのカウントダウンでもあった。
「……そろそろですな」
「ああ、援軍ってやつか」
 冷夏や天夜、それに老執事を含む二十名は先行部隊である。これだけの人数で事態が収拾出来るとは、どの組織も考えていないようだった。順次、退魔組織や魔術同盟から援軍が到着する予定になっている。
「既に迎えは出してありますから、もうじきこちらに来られるでしょう。緋河様も、代表として顔を出してはいただけませんか」
「それは別にいいが、代表としてか。どこかの頭領でも出てくるのか?」
 一応、天夜は緋河家の代表として参加している。その自分が顔合わせする必要があるなら、相手はそれなりの立場にある人間なのか。
「頭領ではありませんが、見方によってはそれ以上の方々です。緋河様も、噂くらいならご存知だと思いますが」
 老執事は、窓の外を見ながら静かに呟いた。
「――――泉の姫君と、剣聖でございます」

 朝月駅の裏手にあるカラオケ。そこの一室で、夕観は目を覚ました。
「んー、今何時?」
「二十三時過ぎだ」
「そ。何か飲み物でも……」
 と、身体を起こすと、すぐそこにコーヒーが置かれていた。
「これ飲んでいい?」
「ああ。そのために用意したものだ」
「あんがと」
 フィストは細かいところで気を使う。味も申し分ない。いつも飲んでいる味だから、たまに飽きることもあるのだが。
「その分だと、使い魔はまだ樵を見つけてないか」
「ええ。もし見つけてたら、さっさと起きてぶん殴りに行ってるわよ」
 夕観とフィストは、樵を救うためにこの町までやって来た。しかし、一緒に来たわけではない。
 ある日、樵は突然夕観たちの前から姿を消してしまったのだ。それから使い魔を駆使して探し続け、ようやくここで追いついたのである。
 もっとも、完全に捕捉したわけではない。まだ合流は出来ていなかった。
「あいつはいっつも自分勝手に物事決めるんだから。相談してくれればいいのに」
「人に相談出来ない人間というのもいる。樵はその典型的なタイプなんだろう」
「単に唯我独尊って言うのよ、あの馬鹿の場合」
 こんな問答も、何度やったことか。樵と知り合ったのは夕観たちがまだ小学生くらいの頃だ。それ以来の付き合いになる。
「そんな馬鹿でも、見捨てることは出来ない、か」
「当たり前でしょ。あんただって、同じでしょうに」
「まあな。俺の場合、わがままなお嬢様に引っ張り出されて、という面も大きいが」
「主君に向かって随分言うじゃない」
「変に遠慮したらぶっ飛ばすと言ったのはそっちだろ」
 二人揃って、微笑を洩らす。夕観は過去に滅びた魔術の名門、古賀里家の嫡流にもっとも近かった家柄の娘である。フィストはそれに代々従っていた家の出身だった。古賀里が滅びた後も主従関係は残っている。
 もっとも、二人の主従関係は形式的な部分が大きかった。二人の間にあるのは、そういう類の感情ではない。
「けど、本当に良かったのか」
「何が?」
「この町に来たこと。倉凪梢を殺すということ。……夕観、後悔はしてないのか」
「してない」
 フィストの懸念を吹き飛ばそうと、夕観は強い口調で断言した。
「人殺しに何も感じないわけじゃないし、実際倉凪って奴を守ろうとしてる連中に会ったとき、悪いかな、とも思った。でも、私たちが樵のために出来ることってそれぐらいしかないじゃない」
「……まあな。どれだけ探しても、土門荒野をどうにか出来たって記録はなかった」
「だったら、やる。私はそのことを迷わない。逆にあいつらが私たちの真似して樵を殺そうとしても非難はしない。その代わり、常に全力でやらせてもらう。それが私なりの礼儀」
 夕観の眼差しを受けて、フィストは目を伏せた。
「そうだな。夕観はいつもそうだった」
「駄目?」
「いいんじゃないか。精一杯やる。互いに譲れないものがあれば、全力でぶつかって押し通す。要するにそういうことだろ」
 フィストは拳を握り、じっとそれを見つめる。そこには、夕観にも量れぬ強い何かがあった。
「ただし、土門荒野が復活するようなことがあれば、俺は夕観を優先するからな。一番は夕観、樵はその次だ」
 フィストはこうして優先順位をはっきりさせる。夕観にはよく分からないが、特にその考え方を否定するつもりはない。
「……ん?」
 視界の半分が、まったく別の景色を映し出す。調査に出していた使い魔が何かを見つけたらしい。
 それは駅前だった。終電間際ということで、それなりの人々が行き交っている。
 そこから少し脇に逸れた位置に、黒い乗用車が停車していた。その中から、二人の男女が出てくる。
「……こいつら」
 先に降りたのはまだ年若い女性だった。少女と言ってもいいかもしれない。全身をすっぽりと覆うような純白のコートと帽子。何気ない仕草の一つ一つから、気品を感じさせる。
 その後に出てきたのは四十代くらいの男。ダークスーツを身にまとい、肩からは竹刀袋のようなものを提げている。一九〇は超えていそうな巨躯。遠目から見ても分かるくらい、隙がない。
 そして、二人は揃ってこちらを――夕観の使い魔の方を見た。
 刹那、使い魔から送られていた風景にノイズが走り、やがて完全に遮断された。やられたらしい。
「大丈夫か、夕観」
「……ええ。即席の使い魔がやられただけだから、問題ない」
 しかし、あの二人組は問題だった。車から降りてすぐ、数十メートル離れていた使い魔を察知し、一秒もしないうちにこれを破壊した。相当の実力者であることは間違いない。
「フィスト。剣士っぽい男と気品溢れるお嬢様、ってのから何を連想する?」
 夕観の言葉に、フィストの顔が硬直する。おそらく、彼も同じことを考えているはずだった。
 古賀里と同じく、かつて繁栄し、今では没落した魔術の名門、泉家。そこには姫と呼ばれる存在がいて、同家が滅びた後は護衛の男と共に各地を渡り歩いているという。男の方も剣聖と呼ばれるほどの実力を持っているという。魔術師の界隈では、大物中の大物だった。
「泉の姫と剣聖が乗り出してきた、と?」
「断定は出来ないわよ。本物見たことないし。ただ、それっぽいと思っただけ」
 しかし、生半可な実力でないことは確かだ。おそらく、彼らは飛鳥井の援軍だろう。組織力では連中がダントツだ。今後も援軍が送られてくると考えた方がいい。
「どのみち、悠長にはしてられないわね。使い魔の数、もうちょい増やそうかしら」
「闇雲に動いても仕方がない。焦るなよ」
「分かってる。飛鳥井の連中とは、正面からぶつかっても仕方ないし。……せいぜい、上手く立ち回らせてもらうわ」
 大切な友人を救う。ただそれだけだ。大義も何もない。
 それでも、一度決めたからには全力でやる。誰が相手だろうと、それは変わらない。

 亨は一人、物思いにふけっていた。布団の中に入っても、目が冴えて眠ることが出来ない。
 ……僕は、この家の人が皆好きだ。
 改めてそれを実感する。
 ここに来る前は、兄の刃と共に異邦隊の中で生活していた。いつも刃が助けてくれた。それで十分だと思っていた。
 しかし、異邦隊から離脱した後、刃は亨をこの家に残して旅に出てしまった。そろそろ自分の道を歩き出してみろ。それが別れ際の言葉だった。
 正直、心細かった。それでも、強くなりたいという思いはあった。だから、兄の後を追わずに、ここに残る道を選んだ。
 そのときから、自分が成長したかどうかは分からない。ただ、得たものはあった。
 家庭だ。
 物心ついたとき、亨は両親に捨てられていた。兄という家族はいても、家庭という居場所は知らなかった。
 今は違う。ここが自分の家だと、そう言える。血の繋がりはないが、大勢の家族もいる。他にも、町には何人もの友人たちがいる。
 それを守りたい。しかし、守る術が見つからない。
 今夜、地震があった。土門荒野の復活の兆しだと零次は言っていた。あれで兆しという程度なら、完全に復活したときの被害はどれほどになるのか。想像するだけでも怖かった。
 放っておけば、それが現実になる。迷っている間にも、その現実は少しずつ近づいてくる。
 ……梢さんを助けられれば、それが一番いい。
 しかし、その方法が見つからない。
 ならば――――。
「……違う。何を考えてるんだ、僕は」
 気づけば身体を起こしていた。寝間着は汗でぐっしょりと濡れている。
 再び布団の中に潜り込む。それでも、やはり眠ることは出来なかった。