異法人の夜-Foreigners night-

-第二部-
断章「枯れ景色」
 遥たちが、ビルに向かって歩いている最中。
 榊原家では、美緒が一人庭先をぼんやりと眺めていた。
 庭の木々はすっかり枯れ果てて、小枝がいくつも落ちていた。
 寂しい風景だ。この庭が、こんなに寂しいものだと思ったことはない。
 悲しいのではなく、寂しい。そのイメージは、どこか兄と重なる。
 昔から、ちっとも変わらない。いつも一人であれこれ抱えて、いつも一人でどうにかしようとして、大概のことをどうにかしてしまう。
 そのくせ、ちっとも嬉しそうじゃない。
 周囲の笑顔を強く望むくせに。
 実際、多くの人を笑顔にしてきたくせに――兄は、いつも寂しそうだった。
 かさりと、音がした。
 音のした方を見た。
 驚きはしなかった。ただ、なんとなく予想していたからだ。
「……なんだ、お前だけか?」
 不躾に塀の上に立つのは、草薙樵。
 兄と同じものを背負う男。そして……。
「お兄ちゃんを、殺しに来たの?」
「ああ、そうだぜ」
 ぬけぬけと、この来訪者は言ってのけた。
 梢の残した言葉や状況から、薄々とは分かっていた。だが、こう臆面もなく言われると笑うしかない。
「残念だけど、お兄ちゃんはいないよ」
「なんだ、出かけたのか? おい、待たせてもらうぜ」
「別にいいけど、もう戻ってこないと思うよ」
「……あ、どういう意味だそりゃ」
 樵が顔をしかめる。こちらの態度が先日と違っているから戸惑っているのか、目的の相手がいなくて苛々しているのか、よく分からない。
 美緒は投げやりに手をひらひらと振った。
「あの馬鹿兄貴は、出て行ったの。自分から。私たちに、迷惑かけたくないんだって。だから残念だけど、無駄足だよ」
 本当に――何だったんだか。
 まったく、訳が分からない。
「嘘だって思うなら残ったら? 客人扱いはしないから、何も出さないけどね」
 ふん、と半ば当たるように言ってしまう。
 樵は、呆然としていた。
 呆けた顔のまま面を下げ、少しずつ肩を震わせ始める。
 ……少し言い方悪かったかな。
 だが、別に構わないだろう。家人を殺しに来たような奴相手に、何を遠慮することがあるものか。
 そんな美緒の考えは、樵の口から洩れた音で途切れた。
「ク」
 ク、ク。
「クク……迷惑かけたくない? 出て行った? 自分から? おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい、どんな冗談だそりゃあよ、傑作にも程があるぜ! ハハハハ、ちゃんちゃらおかしい、へそで茶沸かすってのはこういうことか? え、おい!」
 樵は両手で目を覆いながら、狂ったように哄笑する。
 何がそんなにおかしいのか。ぽかんとする美緒を尻目に、樵は一しきり笑って――大きく地団駄を踏んだ。次の瞬間、狂った笑みは憤怒の形相へと変わり、
「馬鹿にしてるのか、糞野郎!」
 ――烈火の如く、吠え散らした。
 じろりとこちらを睨み、のしのしと迫ってくる。
 恐怖は感じない。ただ、呆然としていた。
「なんだよ、そりゃあ。え、おい。自分が死にそうで、あちこちから命狙われて、それでなんだ『迷惑かけたくないから消えます』だ? なんのドラマだよ、そりゃあ。何が何でも生き抜いてやろうとか、そういう根性はねえのか」
「……」
「悲劇のヒロインでも気取ってやがるのか、お前の兄貴は。気に入らねえな、おい。ってことはあれか、この家の連中がいないのは、奴を探してるってことだな」
「……そう、だけど」
「はん、馬鹿臭い。迷惑かけまいとして、心配かけてちゃ世話ねえわ。ますます気に入らねえ。むかついて仕方ないぜ」
 美緒の正面に立ち、樵は苛立たしげに鼻を鳴らした。
「親から貰ったテメエの命、人のために使うなんざアホの極みよ。ちっ、どんな野郎かと思ってたが、とんだ偽善者、とんだ根性無しだ」
「…………そう、かもね」
 確かにそう思う。
 梢はいつだって、誰かのために動いてきた。そのために救われた人も、きっと大勢いるのだろう。自分だってそのうちの一人だ。
 だが、ときにこうも思ったのだ。
 ――なんて勝手なんだろう。
 こちらの心配なんてどこ吹く風。確かに、私利私欲で動くことはなかったが、結局のところ、梢は自分のやりたいようにやっていただけとも言える。
 今回のことを含め、理は大概梢の方にあった。しかし、人間は理だけで納得出来るものではない。梢の理を前にして、美緒はいつも何かに耐えていた。
「勝手だよ。何もかも全部自分一人で抱え込んで、こっちには一言の相談もなし。いつだって、そうだった。……本当、勝手だよ」
 血の繋がった家族だった。それでも、いつも身近にいながら、自分は梢のことが分からなかった。向こうも、分かってもらおうとは思っていなかったのだろう。
 互いに大事な家族と思いつつ、どこかでその思いはすれ違っていたのかもしれない。
 いつの間にか、樵がハンカチを差し出していた。
 それを受け取る。
 そのとき、自分が泣いているのだと気づいた。
「……さっさと拭きやがれ。湿っぽいのは嫌いなんだよ」
 言われるままに、ごしごしと顔を拭く。
 苛立ちはとりあえず治まったのか、樵はそっぽを向いて所在なさげに突っ立っている。沈黙がしばらく続いた。
「これ、どうする?」
 ハンカチをひらひらさせる。普通なら洗って返すのだろうが、相手が相手だ。
「洗って返せ。必ずもう一度ここに来る」
「……何しに? お兄ちゃんは、もういないんだよ」
 問いに、樵はまた鼻を鳴らした。
 横目でこちらを見ながら、静かに、だが力強い声で言った。
「その馬鹿をぶち殺す前に、お前らのとこに連れて来てやる。必ずだ」
「な、なんで?」
「俺がそうしたいからだ。俺が決めたからだ。文句は聞かねえ、苦情も聞かねえ。俺は俺の決めたことに口出しされるのが嫌いだからだ。良いな?」
 一方的に言われ、こちらとしてはうんともすんとも言い難い。それを向こうは了承と見たのか、勝手に頷いている。
「いいか、連れてくるだけだ。その後どうするかはお前らに任せるぞ。ただし、それが終われば俺と野郎の殺し合いだ。こいつは絶対だ。そのとき邪魔したら誰だろうとぶちのめすから覚悟しとけよ――」
 次から次へとまくしたてる。美緒はどう答えていいか分からず、呆けたままでいるしかなかった。
「あんたは――」
「あん?」
「……ううん。あんたも、自分勝手だね」
 ようやく出せたのは、そんな言葉だった。
 嫌いだ。目の前のこの男も、兄も。皆自分勝手で、こちらのことなどちっとも分かってはくれないのだ。
 嫌いだと、思っていたかった。
 美緒の言葉に、樵はふんと軽く鼻を鳴らす。
「んなこたぁ先刻承知よ。俺ほど自己中な野郎はそうそういないぜ?」
 別に気分を害した様子はない。ただ、樵は笑っていた。
 ただ、それはこれまで彼が浮かべてきた笑みではなかった。哄笑、獰猛な笑み、等のものではない。苦笑に近いような――それでいて少し寂しげな――そんな笑みだ。
「……ふん。ま、んなこたぁどうでも良いんだよ。とにかく、俺様はやることが増えた。こんなシケたとこに用はねえ」
「行くんだ」
「ああ。……と言いたいところだが」
 途中から、樵の声に険しさが混じりだした。
 辺りの空気が、ちりちりと焦げ付きそうな気がする。
「ふん、つまらねえ」
 そう言って、ちらりとこちらを振り返る。その眼差しに、一瞬凶悪な光が宿った。
 だが、その光はすぐに消えた。樵はそっぽを向いて、素っ気なく、
「あばよ」
 短く告げて、身を投げ出すように、塀の向こうへと姿を消してしまった。
 庭木から、はらりと一つ、葉が落ちた。

 一番古い記憶は、焼け野原。
 まだ幼かった頃、自分はそこで死んだのだろう。
 本来あるべきだった自分の人生はそこで終わり、あるはずのないロスタイムが続いているだけだ。あってはならない。それが、今の自分だ。
 そのことに、絶望したことはない。最初から承知していた。悩んだところで、苦しんだところでどうにもならない。そういう自分と上手く付き合っていくしかないのだ。
 草薙樵は自己中心的な人間である。
 彼を多少知る者は、その呪われた宿命や、人間を超越した異法という力が、彼を歪ませたのだろう、などとしたり顔で語る。
 彼の友人二人は、特に何も語らない。語られることを樵が嫌がると知っているからだ。だが、彼らにしても、他の連中と似たような見解を持っているのかもしれない。
 樵自身は、そうは思わない。
 人を超越した力。忌むべき宿命。それは最初から自分と共にあったものだ。それを拭こうとは思わない。元から自分はそうだった。他人が自分を歪むというのであれば、それは何が原因というわけでもなく、ただ歪んでいるだけなのだろう。
 悲劇と感じたことはない。
 腹立たしいと思うことはある。
 そのうっ憤を晴らすため、自分に正直に生きることにした。
 それが、草薙樵の生き方だ。
 死ぬまで続く、一人の暴徒の生き方だ。
 何かが狂って暴徒になったのではない。最初から暴徒だった。そんな自分を――草薙樵は、嫌いではなかった。
「つまらねえな。人が発奮しようってときに、こそこそ覗いてんじゃねえぞコラ」
 榊原邸の近くにある山の中腹。そこで、樵は声を張り上げた。
 周囲に気配。十名前後といったところか。いずれも、並の使い手ではあるまい。
 人数からして飛鳥井の連中のはずだ。本当にしつこい。いくら姿を隠しても、いつの間にか捕捉されてしまう。
 不思議と、今回は姿を見せない。
 今まで、こうして呼びかければ馬鹿正直に出て来たのだ。あの飛鳥井の女は。
 不器用なのか馬鹿なのか。
 だが――今回はしいんとしている。気配だけが周囲にあり、それが表に出てこない。形を現さない。それが、酷く癪だった。
「なんだ、今日はいつもの姉ちゃんじゃねえのか。あの馬鹿正直なアホ丸出しの着物女ぁ留守なのか。そいで代わりに蚤の心臓が出張って来たってわけか」
「言いたいことを言ってくれますね」
 正面に女が姿を見せた。相変わらずの時代錯誤な格好だ。やはり馬鹿なのだろう。何かの記念日ならともかく、常時あの格好をしているのだろうか。
 いや、そんなことはどうでもいい。
「ふん、いるんなら最初っから姿見せろ。隠れてコソコソしやがって、趣味悪い」
「……」
 女は答えない。当然だ。あれこれと会話をするような間柄ではない。
 こちらの状態が、あの女から対話という選択肢を奪ってしまっている。あるのは、殺すか殺さないなどという、物騒な関係だけである。
「また、人質を取るのではと危惧しましたが」
 美緒のことを言っているのだろう。先日、実際に美緒を人質にして彼女たちから逃げたばかりである。その疑念はもっともだ。
「人質なんざ、もういらん」
「ほう。それは、どういう心境の変化です?」
「やることが増えた。だから、もう逃げるのはやめだ。てめえらは、ここで叩き潰す」
 その際、人質など却って邪魔なだけだ。相手は絡め手を得意とする魔術師。姑息な手段においては一枚も二枚も上手である。人質を取りながら逃げられると対処しにくいのだろうが、人質を持った者と戦う場合の方法は、心得ていると見て良い。
 だから、美緒には何もしなかった。
 ……あいつは、ただ待っていればいいんだ。
 樵は獰猛な笑みを浮かべ、相手を睨み据えた。
 両腕を大きく広げた。
 そこに、周囲の土が殺到する。腕を包み込むように、土が大きく咆哮した。
 樵の両腕は完全に土で覆われた。その土が――光沢を放ち始めた。次第に形も変形していく。"土で出来た金属製の篭手"のように。
 樵の異法は、大地を操る力。これはその応用技だ。
 両腕全体を包み込む、土色の武装。
 閻魔砕拳。
 すべてを砕く。邪魔する奴らを打ち砕く。この拳で。
 それだけが、樵の生き方だった。
「……やる気、のようですね」
「ああ、そうだ。ぶちのめす。この、俺のこぶしでなあ!」
 樵の拳が輝く。それに呼応するように、拳へと砂塵が収束していく。
 敵を倒すため、より強く輝く。
 女は、動じることなく鉄扇を構えた。
「そうですか。それは――こちらにとっても好都合」
 女が鉄扇を一振りする。たちまち濃霧が辺り一帯に広がっていく。こちらが一歩踏み出そうとしたときには、女の姿はおろか、周囲の風景すら定かではなくなった。
「っ、なんだこれ」
 強烈な眠気が樵を襲う。慌てて口を覆うが、全身から力が抜けていく。
 ……せこいやり口だな、おい。
 相手が魔術師だということを忘れていた。奴らは陰険で陰湿なのだ。こちらが正々堂々来いよと言えば、必ず邪道を用いる。
 樵が戦う気満々でも、向こうは戦うつもりなど最初からないのだ。こちらを捕縛してしまえば、それで良い。
「くそっ……たれ」
 意識が遠のく。
 駄目だ。これでは駄目だ。
 これでは――"奴"が出てくる。
 俺がオレでなくなる。
 ふざけるな。お前の出番じゃねえ。
 今は、まだ俺の時間だ。
 てめえは――。
 ――――。
 ――。

 ……私は。

 飛鳥井冷夏が撒き散らしたのは、強烈な睡眠効果を持つ煙である。周囲に潜む飛鳥井の者たち全員が、一斉に撒き散らしたのだ。冷夏がやったのは、その煙が周囲へ拡散しないよう、風圧を操り制御しただけだ。
 まともに戦うつもりなど毛頭なかった。
 今回の件が始まって以降、冷夏たちの方針は『梢と樵の無力化・捕獲という目的を達すること』だけである。一般人の被害を最小限に抑える点を順守すれば、手段を問うつもりはない。
 相手は異法人。基礎能力がこちらとはまるで違う。
 加えて草薙樵は数年前、スルトと呼ばれる怪物を倒した実績を持っている。スルトは各地で悪名を轟かせた怪物で、あのザッハークと同等の実力を有すると言われていた。そんな相手と正面切って戦うのは、律儀を通り越してただの阿呆である。
 ……でも、これで残るはあと一手。
 今頃は泉の姫様が、倉凪梢の身柄を拘束している頃だろう。倉凪梢の実力を過小評価するつもりはないが、生ける伝説と称されるあの二人に太刀打ち出来るとは思えない。
 心配材料は、どちらかと言えばこちらの方だった。だが、それも無事に済みそうだ。
 これが終われば、この件はほぼ決着を見ることになる。
 二人の若者が、咎なくも誅される。そうすることで――町が一つ救われる。
 そして、自分たちは業を重ねる。
 ……きっと、"二人"がこの場にいたら殴り飛ばされてるかもね。
 特に"彼"の方は黙ってはおるまい。あるいは、理解を示してくれるだろうか。
 この町で出会った、掛け替えのない友人。彼らとの間に交わした、"この町を守る"という約束。
 幼い正義心だけで誓った約束を果たすため、自分は彼らにとって大事な人を傷つけようとしている。純粋なはずだった誓いは、今や血で汚れようとしていた。
 そこまでして約束にこだわる自分は、妄執の念に囚われているのかもしれない。どんなに約束を守っても、彼らはもう戻ってくることはないのだ。
 誰が喜ぶわけでもない。誰が褒めてくれるわけでもない。憎まれ、恨まれ、血も涙もない冷血女と呼ばれるのがオチだ。
 いくらそう考えても――約束は投げだせなかった。
 ……いけない。集中しないと。
 述懐に耽るのは、すべてが終わってからだ――。
 そう思っていた矢先、冷夏の脇を何かが掠めて行った。気づいたときには、既にそれは通り過ぎていた。速い。
「これは……!」
 一瞬だが、強力な魔力を感じた。鋭く、抉り込むようなものを感じる。
 この状況下で思い当たるのは、一つしかない。
「各員、古賀里の襲撃です!」
 己が魔力を弾丸として扱う、あの女。草薙樵の数少ない友人だ。

 飛鳥井の者たちを張っていたのは正解だった。予想通りだ。
 彼らは樵の居所を掴み、何かを仕掛けた。不自然な形で煙が広がった。はっきりとした自信はないが、おそらく睡眠薬か神経毒の類だろう。
 ここで奴らに樵を渡しては、奪還は困難極まる。
 そう判断し、夕観は喧嘩を売ることにした。
 ……ああ、勝手に殺されて溜まるものか!
 どんな理由があろうと関係ない。誰が死のうと誰が生きようと、そんな大義なんぞは糞喰らえだ。
 夕観とフィスト、そして樵は幼馴染だ。それも、ただの幼馴染ではない。
 互いに境遇は違えど、幼い頃から、ただ生きるという当たり前のことも難しかった。そんな中で、互いに支え合ってきた三人だ。友情よりも深く、家族愛よりなお強い。
 そんな相手が殺されようとしている。
 どんな大義名分があろうと――それでハイソウデスカと納得出来るはずがない。
「フィスト、突っ込める?」
 牽制のための砲弾を一発撃ち込んでから、夕観は側のフィストに尋ねた。彼はマフラーをきつめに巻き、顔の下半分を覆い隠している。
「樵の奴を引っ張ってくれば良いんだな?」
「そういうこと。タイマンならいくらでも相手してやるけど、向こうさんの正確な人数も分からないからね。こっちが敵の意識を引き付けとくから、その間に宜しく」
「まったく、簡単に言ってくれるお嬢様だ」
「あんただから簡単に頼めるのよ。命がけのことでもね」
「……やれやれ。惚れた女にそう言われたら、良いとこ見せないとな」
 フィストは拳を打ち鳴らす。これが、彼なりの承諾の合図だ。
「十秒経ったら夕観は離脱してくれ。俺も樵を連れて姿を隠す。落ち着いたら合流だ」
「了解!」
 頷くと同時に、夕観は砲弾を数発打ち込む。
 それに合わせてフィストが駆け出す。

 その瞬間。
 樵の周囲を覆っていた煙が天へと舞い上がり――――大地が、躍動した。