異法人の夜-Foreigners night-

-第二部-
第二十話「草薙樵」
 零次と樵の拳が正面から激突した瞬間、力の波が轟音と衝撃を生み出した。
 ロケットにも匹敵する威力と自負する拳は、樵によって止められている。
 ……これでも駄目か!?
 全身を覆う魔力のほぼすべてを一点に集中させた一撃。それが、通らない。
 青筋を立てながら更に押そうとする零次に、樵はにんまりと獰猛な笑みを浮かべ、
「強ぇな」
 だが、と続けた途端、樵の両腕が爆発的なまでに膨らんだ。
「――普通に強いってだけじゃ、今の俺とは渡り合えんぜ!」
 膨張した右腕によって、零次の勢いは完全に殺された。更に、空いていた左腕が後ろに向かって大きく開かれる。
「死にたくないなら――避けときな!」
 左腕が、突風の如き勢いで迫る。
 ――死。
 咄嗟に零次は身を大きく後退させた。
 その瞬間、零次の視界に飛び込んできたのは、大きく旋回した樵の左腕が、学校の屋上を粉々に砕く光景だった。
 屋上全体に粉塵が巻き起こり、何もかもが見えなくなる。
 その直後、畳み掛けるように大規模な爆発が生じた。
 ……これは、天夜か!
 粉塵爆破。樵が巻き起こした粉塵に天夜の炎を放った応用技とでも言うべきものだ。
 これで樵が倒せたとは思えない。だが、相応の手傷は追っているはずだった。
 ……好機!
 後退した勢いをそのままに、零次は旋回して再び屋上に舞い戻った。
 すぐに樵を探さなかったのは、好機と頭で捉えつつ、どこかで危険性を感じていたからだった。
 たった一度の攻防。
 それだけで、零次は樵の中に恐ろしい何かを感じ取った。
 魔力の量。質。身体能力の高さ。技術力。
 そんなものを超越した危険性が――さっきの樵にはあった。
 果たして。
「無鉄砲に飛び込んでこなかったのにゃぁ感心するぜ」
 薄れてきた煙の中から現れたのは、まったく無傷の樵の姿だった。
「飛び込んできてたら、こいつをお見舞いしてやろうと思ったのによ」
 無傷なだけではない。その身体は、異形なものになりつつあった。
 膨張した二本の腕。それとは別に、背中から四本の腕が生えている。見ると、周囲に散っていた粉塵がその腕の中に取り込まれている。
「……まるで阿修羅だな」
「あん? 阿修羅?」
 零次の呟きに、樵は首を捻る。
「俺としては、閻魔の方が好みなんだがな」
 でもまあ、と自嘲して続ける。
「今の俺にゃ、阿修羅の方が似合いかもな」
 そう言って。
 樵はその六本の腕を大きく展開させた。
 踏み込めば、致死の一撃が待っている。零次の戦闘経験が、本能でそう告げていた。
 威嚇するように、零次も背中の翼を大きく広げる。
 だが、それは蝙蝠が六頭の獅子に挑むようなもの。それを痛感しているためか、零次は動こうと思えば思うほど、硬直してしまっていた。
「……その分だと理解してるみてぇだな」
 広げた殺気はそのままに、樵が静かな口調で言う。
「俺は、お前らと立ってる場所が違う」
 格が違う、と言い換えてもいい。
 人間と異法人のように。
 異法人と土門荒野には、埋めがたい大きな開きがある。
 同種でありながら、別格。
 それは、梢と樵の戦いを見ていた者たちが、皆少なからず抱いた思いだった。
「死にたくないなら、じっとしてろ。そうすりゃ殺しはしねぇ」
「……情けをかけるつもりか?」
「違ぇよバカ。言ったろうが、俺はお前らとやりあうつもりなんざ、最初っからねぇ」
「そうか。では、やはりお前の目的は――」
「どこの誰だか知らないがな。俺とアイツの喧嘩に横槍かましやがった奴。俺の目当てはその野郎だけさ」
「わざとあちこちで姿を現してたのも?」
「そうすりゃ奴さんから出向いて来ると踏んだのよ。あの状況でアイツに手ぇ出すとくりゃ、目当ては土門荒野の可能性が大! そうでなくとも、今そいつが抱えてる土門荒野は必死こいてコッチを探そうとするだろうからな。遅かれ早かれ、そいつは俺の前に姿を見せる……」
 が、こっちはもうそんなに待てねぇ――。
 心底悔しそうに、樵は言った。
「見ての通り、俺はますます進行しちまってる。これじゃ、明日には土門荒野になりきっちまってるだろう。いや、今日一日持つかどうかも分からねぇな」
「そうなった後では、遅いか」
「当たり前だ。俺の喧嘩に横槍入れた奴に、きっちり落とし前をつける。他の誰でもねぇ……この俺がだ!」
 そう言って自分の胸を叩く樵の頑固は、どこか梢に似ていて。
 ……少し、覚悟が鈍りそうだ。
 違う形で出会っていれば、良い悪友になれたかもしれない。
 だが、それは遠いIFの話に過ぎない。どんな夢想を描こうと、それで現実が変わることは決してない。
「まあ、そういうわけでこの状況は都合がいい。こうして派手に振舞ってる様を見せればよ、相手が余程のチキンでもねぇ限り、来ると思わねぇか」
「……ああ、来るだろうな」
 存在感の希薄な男、無現。
 何度か見ているが、どんな奴なのか、未だによく分からない。
 梢を殺した、忌むべき相手。そのはずなのに、憎しみさえ何かぼやけてしまう。
 ただ一つ分かるのは、無現は必ずここに現れるだろう、ということだけ。
「へっ。まあ、そんなわけで――しばらく、この状態で付き合ってもらうぜ」
 樵がそう言ったのとほぼ同時、彼方の星空に何かが見えた。
「……どうやら、その必要はなさそうだ」
「あん?」
 零次の視線を追って、樵が首を動かす。
 その先。この場にいる皆の視線の先に、それはいた。
 全身包帯だらけの、黒い剣を手にした男。
 無現と呼ばれる男が、こちらに向かって飛来する。
「どうやら、向こうもだらだらと時間を稼ぐつもりはなかったらしい――」
「ってことは、アレがそうなのか。ふん……おぼろげだが、確かいつぞや俺のことをぶっ飛ばしてくれた野郎じゃねぇか」
 樵は、獲物を見つけて、憤怒の表情を浮かべる。
「おい。アイツの名前はなんだ」
「知らん。だが、無現と呼ばれていた」
「そうかよ」
 すぅ、と大きく息を吐いて、樵は町中に響き渡るような大音声を上げる。
「無現さんよォーー! よくも俺の大一番を邪魔しやがったなァーー!」
 そうして、樵も空に向かって飛び上がった。
「――ぶち殺すぞテメェ!」

 大学のキャンパスが少しずつ欠けていく。
 無現と樵の戦いは、先日の梢と樵の戦いに匹敵する凄まじさだった。
 ……違う。
 零次は天夜たちと距離を置きながら、その戦いを注視している。
 拳を力強く握りしめながら。
 ……同じ『漆黒の剣』を使えるにしても、まるで違う。
 零次と無現の間には、大きな開きがあった。
 純粋な力で言うなら、無現は樵や梢に遠く及ばない。おそらく、零次と同等だろう。
 無現が特化しているのは技術力。
 最小限の動きで最大限の効果を得るような戦い方で、力押しの樵と互角に渡り合っている。言葉にするのは簡単だが、実際にそれをこなすのは至難の業だ。
 地力で自分を圧倒する相手と戦うとき、落ち着いて動くということ自体が難しい。そして、零次は自分が生半可に強いだけに、自分より強い相手と戦った経験があまりない。
 ……お前なら、迷わず飛び込むんだろうな。
 今はもう亡き家族。
 ……涼子なら、何をやるべきかはっきりさせられるんだろうな。
 行方の知れない、一番大切な人。
 それぞれの顔を思い浮かべて、零次は自分の状況を振り返る。
 飛鳥井の者たちも。天夜も。そして自分も、どうすべきか測りかねている。
 到底介入出来るとは思えない戦い。そして、互いに土門荒野を内包している二人。
 どちらをどうすればいいのか。誰の顔にも、迷いがあった。
「乱りに動いてはいけません」
 凛とした声。それは、飛鳥井冷夏のものだった。
 皆の視線を受けた冷夏は、毅然とした顔で言い放つ。
「私たちの目的はこの町の被害を最小限に食い止めることです。前回同様――双方が疲弊するのを待ちます。周囲に民間人が来ないよう、情報班は結界を。戦闘班は私と共に、あの二人からつかず離れずです」
 指示に従い、情報班が散開する。戦闘班はじっと戦いの成り行きを見守っていた。
「歯痒いな」
 隣の天夜がぽつりと漏らす。
「自分たちの目の前で、どうにもならないことが起きてる。ああ、嫌になるな――自分の無力さが」
「……」
 零次は答えられなかった。
 無力さを痛感しているのは、自分も同じだったから。
「いいえ。無力なのではありません」
 と、近くにやって来ていた冷夏が強い口調で言う。
「スタンスが違うだけ。やり方が違うだけです」
「そういうものか?」
「戦って勝てば物事が解決するわけではありません。ときには耐え忍び、じっと待ち続けることも必要なのです」
 言いながら、冷夏はふわりと鉄扇を掲げた。ひらひらとそれを揺らすと、霧状の魔力が風に乗って広がっていく。
「水と風の混合魔術、『抑圧結界(セイブ・リージョン)』。これでこの辺り一帯の限界魔力を引き下げます」
 魔力にも濃度というものがある。当然濃ければ濃いほど強力な力を生み出すのだが、これには様々な要因によって決定付けられる限界濃度があった。それを限界魔力という。
「本来ならあの二人に直接何か仕掛けたいところですが――さほど期待出来なさそうですからね。我々にも多少の影響は出ると思うので、気をつけてください」
 言っている間にも、霧は拡散し、周囲一帯を覆い尽くすほどにまでなった。その仕掛けに気づいた樵が、憎悪の眼差しをこちらに向けてくる。
「テメェも水差すか……!」
 咆哮とともに、こちら目掛けて突っ込んでくる。
 冷夏を守ろうと、零次や天夜たちは身構えた。
 緊張の一瞬。その中で、樵はこちらに達する前に、横合いから放たれた無現の蹴りで吹っ飛んだ。
 空中に岩場を創り上げ、樵はそこに着地する。よく見ると、肩で息をし始めていた。
「限界が近いな」
 無現のコンディションは分からないが、樵は梢との戦いで蓄積されたダメージが回復しきっていない。そのうえ、自分の中にいる土門荒野とも同時に戦っているような状態だ。動きにも無駄が増えてきている。
「……無現は草薙が力尽きるのを待って、あの剣で一気に勝負をつけるつもりだろう」
 息を荒らげながら、戦意を捨てず、無現を睨みつける樵。
 対する無現は、ぴたりと静止画のように宙で止まっていた。
「――ったく、ままならねぇな」
 乾いた声で、樵が言った。

 幼い頃から、良くも悪くも単純な生き方しか出来なかった。
 親の言いつけに忠実で、友達からしてみると面白くない奴だったのだろう。
 異法人として目覚める前の樵は、苛められっ子だった。
 ガキ大将にやられた彼を、両親は褒めた。
「偉いわ。よく耐えたわね」
「やられたからってやり返したんじゃ、そいつと同じだからな」
 ある日、力に目覚めた。
 否――少しずつ目覚めつつあることに、そのとき初めて気づいたと言うべきか。
 その日はいくら殴られても全然痛くなかったのである。
 一人になった後、試しに小石を思い切り殴ってみると、粉々になった。
 周りの誰にも出来ないことが出来る。
 圧倒的優位。
 理由は分からないが、そのとき彼は、同年代のいじめっ子たちより優れた何かになったのだと実感した。
 それでも、彼はやり返さなかった。
 両親の教えがそれを許さなかったし、彼としては、自分が優れているという実感を得ていたから、更にどうこうしようという気がしなかったのである。
 そして、それから一年近く経ち――土門荒野の異変に巻き込まれる形で、両親が亡くなった。
 これまで絶対の存在として慕っていた両親の死は、自分自身が訳の分からない何かに取り憑かれたことと相まって、樵の心に深い影を落とした。
 ……正しくても、弱くちゃ駄目なんだ。
 彼をそのとき救ったのは、強い男だった。自分のような怪力はなくとも、まったく別種の強さを秘めているのが分かった。
 憧れた。
 第二の親だった。
 だから、その言いつけも守った。正しいうえに強い。そんな相手の言うことだから、間違いはないと信じた。
 月一度しか顔を見せなかったが、男は来る度に樵の話をよく聞いてくれた。いろいろな話をしたし、聞かせてもらった。
「じゃあ、また来月になったら来るぜ」
 そんないつもの挨拶が、最後に聞いた言葉となった。
 一ヶ月経っても、二ヶ月経っても男は来なかった。
 しばらく仕送りだけが続き、それもやがて絶えた。
 樵は困った。男の言いつけを守り、とある山中の小屋でのみ生活していた彼は、男の定期訪問がないと、どうしたらいいか分からない。
 そんな折だ。
「あの男なら死におったよ」
 突然、小汚い爺が現れた。
 身なりは綺麗で、上品な顔つきをしている。それでも、なぜか樵はその老人を小汚い爺としか見れなかった。
 信じられなかった。両親に続き、あの男までも死んでしまったというのか。
 あの男も――駄目だったのか。
「正しかろうと強かろうと……負けて死ねば、それで終いじゃて」
 その老人はさして興味もなさげにそう言い放ち、樵を連れ出した。
「他人のことを尊重するのはいいが、自分のことは自分で決めるべきじゃ」
 樵はその老人が嫌いだった。
 言葉はもっともなだけに――尚更嫌いだった。
 信じられるものを失って、小汚い老人に連れられた樵が辿り着いたのは、闘争の日々だった。老人は何か目的があって異法人たる樵に期待をしたらしく、
「励め。わしの役に立てば――相応の見返りはくれてやる」
 選択の余地はなく、生死の境を何度もさまようことになった。
 樵に出来ることは、正しい強さで勝ち続けることだけ。
 それがすべてだと思い込みそうになる。
 そんなとき、得たものがあった。
 正しいかどうかも、強いのかどうかも分からない。それでも好きになれる相手。
 初めての友人たちだった。
 夕観とフィスト。彼らと出会ったことで、樵は生きたいと強く願うようになる。友達が出来て、やりたいと思うことが増えていった。
 だが、生を願えば願うほど、死を意識するようになる。
 正しさも、強さも、勝利も得て、それでも自分には死が待っている。
 人は誰もがいつか死ぬ――そんな言葉は気休めにもならない。そんな絶望感。
 それを打ち破るために、彼は目標を立てた。
 ……土門荒野に勝つ。
 己が培ってきたもの――両親の正しさ、恩人の強さ、嫌いな爺の言葉、好きな友人たちと生きる時間――それをすべて賭して、土門荒野に打ち勝とう。
 そうして、誰に対しても胸を張れる形で最後を迎えよう。
 これまで誰にも語らず、そして結局語られないままに終わった――一人の男の決意だった。

「――本当、ままならねぇよ」
 樵の全身からは、更に魔力が放出され続ける。
 際限なく。
 際限を忘れてしまったかのように。
 冷夏の結界によって濃度が抑えられた分、それはより広範囲に拡散していく。
「あいつ、まだあんな力があるのか……!?」
「いや、違う」
 天夜の驚愕を、零次は即座に否定した。
「あれを出してるのは、草薙じゃない。土門荒野だ」
 いつかどこかで、これと似た風景を見たことがある。
 それが何なのかは分からない。分からないが――草薙の命が燃え尽きようとしているという確信は、確かにあった。
「飛鳥井冷夏」
「……なんですか」
「次が、草薙の最後の一撃になる。……邪魔しないでやってくれ」
 思わぬ発言に、その場の視線が零次へと注がれる。
 零次はじっと冷夏を見据えた。
「情けですか」
「分からない。だが、責任は取る」
 上空では、草薙が渾身の一撃を放とうと力を溜めていた。無現はそれを妨害せず、ただじっと待ち構えている。
 ほんの数秒の硬直。
「……総員、私の指示があるまで待機なさい」

 冷夏が言い終わるのとほぼ同時。
 樵が飛翔した。
 愚直なまでに、真っ直ぐな突撃。
 真っ直ぐなストレート。
 迎え撃つ無現は、瞬時に剣を振り上げた。
 刹那、漆黒の剣から放たれた衝撃波が、周囲一帯に突風を巻き起こす。
 だが、樵はそれで勢いを止めず――むしろ加速し、無現に突っ込んだ。
 応じるようにして、無現が剣を振り下ろす。
 黒の光が――辺りを覆い尽くした。

 眼を閉じていたのは、永遠のような一瞬。
 再び視界が開けたとき、空にいたのは――無現だった。
「……決着が、着いたのか」
 無現の視線を追う。
 その先には、隣にあった朝月高校の校舎があった。
 校舎の側面には亀裂が走っている。遠いせいで確認出来ないが、その中心には樵らしき影が見えた。
 影からは何も感じない。
 先程までの圧倒的な存在感が、嘘のように消え失せてしまっていた。
「これは……」
 冷夏ですら、どう動くか迷った。
 この空間で流れる時間に隙間が生じたような、そんなとき。
「――無現!」
 誰かの大声が聞こえて、
「すぐに退け――!」
 その言葉と共に。
 辺り一面を覆い尽くすような糸が現れた。