異法人の夜-Foreigners night-

-第二部-
第二十六話「行こう」
 好きだった人が死んだ。
 仇と狙っていたのは妹だった。
 本当の仇は、どこにもいなかった。
 自分の誤解のせいで、すべてが狂った。
 挙句――妹は命を落とした。
 部屋の天井をぼんやりと眺めながら、遥は涼子のことを想った。
 彼女のことは誰に聞いたわけでもない。だが、遥には分かった。
 無現に対してありったけの憎悪をぶつけたとき、反動で流れ込んできた無現の――そしてその内側にいた涼子の心が、こちらの心に入り込んできた。
 手を離した後も、共有は続いていた。
 共有の感覚は状況次第で鮮明さの度合いが変わる。涼子との共有はひどく漠然としたものだった。彼女の記憶が断片的に見えた。その思いが、言葉ではなく感情として伝わってきた。
 それが途絶えた。
 共有の効果が切れたのではない。その途切れ方は、テレビのコンセントを引っこ抜いたような強引さを感じさせた。
 伝わってきたのは恐怖と覚悟――それに幸福と贖罪の感情。そして最後に、身が引き裂かれるような寂しさを伝えて、涼子との共有は終わった。
 最期に伝わってきた寂しさは、ずっと残り続けている。
 自分はどうすればよかったのだろう。
 か弱い女の子として、彼の死に涙していればよかったのか。
 物分りよく、仕方なかったんだと諦めていればよかったのか。
 しかし、どの選択肢を採ったとしても、納得などできなかったろう。
 何をしても、後悔は残る。
 正解の道など、最初からない。
 大事なのはそんなことではないのだ。
 上半身を起こす。肩には冷夏からもらった着物がかけられていた。
 側に陰綱がいた。
「……私をここまで連れてきたのは、陰綱?」
「はい」
「なんで?」
「未了様に命じられましたので」
「……あの人は?」
「今は他の方々と今後の対策を練られているはずです」
「そう」
 真泉未了。
 泉家の姫君。
 式泉運命の妻。
 そして自分たちの――実母。
 陰綱の記憶を盗み見たときに知ったが、本当に不死身らしい。
 千年以上生きているという噂もあるようだが、それも本当かもしれなかった。
 憎たらしい相手だ。だが、同時に羨ましくもある。
「……あの人は強いんだな。娘の一人にさんざ暴言吐かれて、挙句撃ち殺されて。蘇ってみれば、もう一人の娘は」
「遥様」
 陰綱は険しい表情で遥の言葉を遮った。だが、言わずにはいられない。
「羨ましいよ。強いんだ。娘が死んでも、娘に殺されても、平気な顔をして。皮肉じゃない。本当に羨ましいよ。だって私なんか……私なんかどうなんだ!」
 怒り任せに壁を叩く。強く叩き過ぎて血が滲み出た。
「あんただって憎いだろ、私が。私はあんたの主を撃ったんだ! 私のせいで、涼子は死んだんだ! 全部、全部私のせいじゃないか……!」
「それは自惚れです」
 激昂する遥に対して、陰綱はあくまで冷静だった。
「未了様は撃たれることを覚悟してあなたの前に立った。涼子様とて覚悟の上で今回の件に関わられたのです。それはあなたのせいではない」
「そんなの、詭弁だ!」
「では、あなたの意志が違っていれば――この問題は解決したのですか」
 陰綱の言葉に遥は押し黙った。何も言えない。
「責任がないとは言いません。某も思うところがないわけではない。それでも、今のあなたは必要以上に気負い過ぎている。気負うことで現実から目を逸らそうとしている。それでは何も変えられますまい」
「私が逃げてるって言いたいのか……?」
「そう見えます」
「っ……」
 衝動的に何か言いかけて、それをかろうじて抑えた。今の自分は普通じゃない、ということが分かる。何もかもがめちゃくちゃだ。言葉もまとまらないし、何をすればいいのかもまったく見えてこない。
 いっそ。
 いっそ、このまま――。
「……くれぐれも、死にたい、などと考えないでください」
 伏せかけていた顔を上げる。心の中を見透かされたようで、嫌な気分だ。
 確かに、それが楽な道だろう。
 今感じている罪の重さは、明日からも自分を責め続けるだろう。死ぬまで、その罪を背負いながら生き続けなければならない。
 それに耐えながら生きる意味はあるのだろうか。
 ないんじゃないか。
「私が生きる気でも死ぬ気でも、あんたには関係ないじゃないか」
「……」
 陰綱はそれに応えず、背中を壁から離し、窓際に足を向けた。
「先程、遥様は未了様を強いと仰いましたな」
「……言ったけど、それが?」
「いえ。これは某の意見ですが……あの御方は強くなどない。それを申し上げておこうと思いまして」
 遥は何も言わなかった。話を逸らされたようで苛々する。
 こちらの沈黙をどう受け取ったのか、陰綱はこちらに背を向けたまま言った。
「あなたに罵られたことも、涼子様のことも、辛いに決まっています。しかし、その辛さに正面から向き合うことができないのです。だから他のことに目を向けて、ごまかそうとしている」
「……」
「感じませんでしたか。あの御方と話をされた折――何か違う、と」
 違う、と言っていいのかどうかは分からないが、確かに違和感はあった。
 今になってみれば分かるが、あのときの未了は、この結末を案じて遥を止めようとしたのだろう。あまり認めたくはないが――親として行動したのだ。姉妹同士が憎み合うようなことにならないように、と。
 しかし、実際に向き合った未了は、こちらのことを見ていないような感じがした。正面にいるのに、何かはぐらかされているような感じだった。
 目を逸らされているような――そんな感じだった。
「未了様は強がりなのです。……あなたがあの御方を見て強いと感じたのであれば、それはむしろ、あの御方の弱さなのです。本当に向き合うべきものに向き合えない。だからあなたを某なぞに任せて、自分は顔も見せない」
「だから……?」
「あなたの今後はあなたが決めるものです。某は口を挟むつもりはありません」
 言いながら、陰綱は遥の前を横切って、部屋の扉に手をかけた。
「しかしあなたまでいなくなれば――未了様は悲しむでしょう」
 それだけ言って、陰綱は出て行った。
 残された遥はぼんやりと、その扉を眺めた。
「勝手だ」
 ぽつりと呟く。
「そんなの、こっちの知ったことか。……勝手な言い草だ」
 それでも、さっきよりは落ち着いた。
 そんな自分に気づいて――遥はまた苛立ちを感じた。

 零次は飛鳥井の本拠地だったホテルにいた。今やここは、組織の垣根を超えた、土門荒野対策本部と言うべき場所になっている。
「零次」
 携帯をぶらつかせながら亨がやって来た。
「どうだった?」
「志乃さんも自信はないようでした。ただ、できるだけ早めに連絡は入れると」
「そうか。こっちは、かけられる知り合いに一通り連絡しておいたよ」
 あれから。
 藤田に背中を押される形で、零次はここに来た。
 まだ気分は晴れないが、やるべきことはある。最初は現状把握だった。
 ちょうどここに到着したとき、幸町によって飛鳥井冷夏の死亡が告げられた。そして、彼女の尽力により多少の時間が得られたということも分かった。
 現在各地から様々な組織の人員が集まりつつあるらしい。総指揮は、もともとこの町の担当だった飛鳥井喜八郎――冷夏の側に控えていた執事風の男性――になるはずだった。しかし彼が力不足を訴えたため、真泉未了が臨時の指揮者となっている。
『私は死なない――というより変わらないんです』
 生きていたことに驚く零次へ、彼女は寂しげな表情でそう告げた。
 不変の魔法。存在の状態を固定する――そんな魔法がある。
 それだけを言い残して、未了は行ってしまった。各組織の代表者と協議することがあるのだという。
 残された零次は、次の目標――町の住民の安全確保に向けて動き出した。
 藤田たちと同様、零次たちと同じ学校に通う友人に笹川志乃という少女がいる。彼女の家――笹川家は世界規模の大手グループを束ねている。何度か屋敷に遊びに行ったこともあるが、その広大な敷地は平坦で余計なものがない。
 土門荒野との戦いで発生するであろう地震から住民を守るには、ああいう場所に避難してもらうのが一番いい。そう考えた零次たちは、笹川家に連絡を入れようと試みた。
 家を取り仕切るのは志乃の父である秀一だが、零次たちは彼の連絡先を知らない。そのため、まず志乃から聞き出そうとしたのだが、秀一は世界各地を飛び回る身らしく、家族と言えど簡単に連絡はつかないようだった。
「皆……どうでした?」
「一戸先生やゆきねさんなんかは、こっちのこと薄々分かってたようだったから、事情を説明したら快諾してくれたよ。一戸先生は学校関係、ゆきねさんは常連客や町会関係の人たちをまとめてくれる」
 何かあったとき、まとめ役がいないとパニック状態になってしまう可能性がある。集団でパニックを引き起こすと、それだけで大惨事になりかねない。零次が知り合いの大人たちに望んだのは、そういう事態を防ぐ役割だった。
「店長や沙希は……まあ、あまり無茶なことも頼めなかったから、それとなく注意を呼びかける程度にしておいた。仲橋は少し気負ってたけど、おそらく藤田が上手い具合に抑えてくれると思う。白木の爺さんは、幸い夫婦旅行の最中だった」
 今のところ、連絡がつかなかった知り合いというのはいない。その事実を改めて確認すると、少しだけ心が落ち着いた。
 そのとき亨の電話が鳴った。緊張の面持ちで出た亨は、しばらくの間硬い表情で話していた。やがて通話を切ると、大きく息を吐き出し、
「避難場所として敷地を提供してくれるみたいです。緊急の事態だから、資源の調達なんかも必要に応じてやってくれるそうで」
「そうか。それならあとは――」
「警察には連絡したのか」
「いえ、これからです」
 答えてから、零次は慌てて振り返った。
 そこにいたのは、榊原幻だった。
「榊原さん……!」
「悪いな、肝心なときにいてやれなくて。……警察への連絡は俺からしておこう。市民を安全かつ迅速に笹川家の方へ避難させればいいんだな?」
「あ、はい。……その、大丈夫ですか」
「避難誘導は警察の領分だ。事件追いかけて犯人挙げるだけが能じゃねえよ」
「いえ、榊原さん……」
 久しぶりに見る榊原は、すっかりやつれているように見えた。血色も悪いし、いつも力強かった眼光も暗い。なんだか、一回り小さくなってしまったようだった。
 だが、そんな零次の危惧を、榊原は鼻で笑い飛ばした。
「心配ない。全部終わったらゆっくり休む。……ああ、別に変な意味じゃないから勘繰るんじゃねえぞ。お前ら残してくたばるつもりはない」
 榊原は周囲を見回して、
「ところで、遥はどうした」
 聞かれて、零次は亨を見た。遥がどうなったのかは聞かされてなかったのである。
 二人の視線を受けて、亨は眉間にしわを寄せた。
「今は個室で休ませてます。暴走していた魔力は収まりつつありますが、まだ落ち着いて話せる状態かどうかは……」
「そうか、ここにいるのか」
 榊原は頷き、
「警察へ連絡を入れたら顔を見せてくる。お前らも付き合え」
「……」
 突然の言葉に、零次と亨は顔を見合わせた。お互いいろいろと立場の変化もあって、やや気まずい状態にあるのだ。もう少し時間を空けてから――この事件が終わってから話そうかと、そう考えていたのである。
 そんな二人のためらいに頓着せず、榊原は歩みを進めた。
 やむを得ず、零次たちもそれに続くことにした。

 三人がやって来て十分ほどになる。
 遥はぼんやりとそれぞれの顔を眺めていた。
 今は亨が話をしている。
 ここで榊原は、三人の口から、ここ数日の間に何があったのかを聞いているのだ。
 最初は零次が話した。ところどころ覚束ない部分もあったが、誠実な話し方ではあったように思う。少なくとも、嘘やごまかしはなさそうだった。
 だからと言って、零次の考えや行動、それを遥がすべて許容できたわけではない。
 そんなことを考えているうちに、亨の話も終わった。遥は、努めて淡々と話すことにした。まだ気持の整理がつかないから、曖昧な言い方になってしまうことが多かった。零次のことを笑えない。
 榊原は、誰の話を聞くときも口を挟まなかった。ただ話す相手の顔をじっと見ている。
 そうして、すべて話し終わった。
 ここ数日の間であったこと。三者三様の思いが明かされた。
「……すまんな」
 話を聞き終えて最初に、榊原は頭を下げた。
 何がどうすまないのか、なんてことは説明しない。榊原はただ、しばらくの間じっと頭を下げ続けていた。
 触れてはいないが、榊原が何を悔やんでいるのか、何に対して頭を下げているのか、遥には分かるような気がした。それは零次や亨も同様だったらしい。神妙な面持ちで、榊原のことをじっと見つめている。
 言葉は少なく、肝心なときに居合わせなかった榊原だったが――こうして自分たちには正面から向きあってくれる。それが遥には嬉しかった。
「榊原さん。顔を上げてください」
 零次に促され、榊原は面を上げた。さっき見たときは随分やつれて見えたが、今は少し違って見える。それは老いた父親の顔だった。
「俺、戦うつもりです」
 零次は静かに言った。
「正直きつい。勝てる見込みもどの程度あるのか分からない。でも、まだやれるかもしれないんです。守りたいものがあるんです。だから最後までやってみます」
「そうか」
「……縁起でもないと言われそうですが、ここで言っておきたいことがあります」
 零次はそう言って、こちらや亨の方にも目を向けた。
「この二年――楽しかった」
 少し穏やかな顔つきになって、零次はそう口にした。
「さっき、いろいろな人と話して、今更ながら、改めて思ったんです。この二年間は本当に楽しかった。榊原さんが俺たちを受け入れてくれなかったら。亨や遥と一緒に馬鹿をやれてなかったら――こんな思いを感じることはなかったと思います」
「……」
 榊原も亨も何も言わない。ただ黙って、零次の告白を聞いている。
「今はすごく辛い。この二年間が楽しかっただけ、余計に辛い。それでも、この二年間があったからこそ――俺はまだ諦めずにいられるんです」
 零次は一拍空けて、
「――ありがとうございました」
 大きな声で、そう言った。
「……縁起でもない」
 榊原が不機嫌そうな顔でぼやく。
「もうこれで最後、みたいに言うんじゃねえよ」
「はい」
「行くなら帰って来い」
「はい」
「俺はお前らの親だ。どんな形でもいい、生きろ。どんな苦しくてもいい、生きろ。生きて――いつか幸せになれ。親がガキに望むのはそれだけだ」
「……はい」
「よし。行って来い!」
「――はい!」
 榊原に背中を思い切り叩かれて、零次は部屋を後にした。
「……僕も行きます」
 次いで、亨が立ち上がった。
「榊原さん」
「おう」
「僕も来年には二十歳になります。そうしたら一緒に一杯やりましょう」
「……ふん」
 榊原は亨の背中を叩いて、
「――楽しみにしてるぞ」
 亨は頷いて、駈け出していった。
 残されたのは遥と榊原。
「……義父さん」
「なんだ」
「私はどうすればいいのかな」
 零次や亨のように決めることができない。
 自分の意思で動いて失敗した。その経験が遥を気弱にさせていた。
「私は、どうすればいいのか分からない。分からないんだ」
「分からないなら、それでいい」
「よくない」
 ベッドのシーツを掴み、声を絞り出す。
「よくないんだ……! このままじっとしてるのは嫌だ。でもまた皆に迷惑をかけるんじゃないかって思うと、動くこともできない……どうすればいいか分からないんだ」
「……」
「私は皆のことなんて考えてなかった。ただ彼が――梢君がいないことが耐えられなかった。苦しかった。辛かった……! でも、どうすればいいのか分からなくて、仇を討とうと思って。でも、仇なんていなかった。その誤解で涼子を傷つけて……私は何もしちゃ駄目なんだって、それで……」
 言っているうちに、視界が滲んできた。
 頬を熱いものが通っていく。
「わ、私はっ……それで、それで」
「……悪かったな、遥。肝心なときに放ったらかしでよ」
 と。
 泣き崩れそうになったところで、遥は静かに抱き締められた。
「……義父さん、わ、私は……そ、それ……で」
「いい。今は泣け。ずっと溜めてたもの、ここで全部出しとけ」
 そこが限界だった。
 堰を切ったように涙が溢れ出てくる。
 本当は誰が憎かったわけでもない。
 ただ悲しかった。
 大好きだった人が二度と会えないところに行ってしまって、悲しくて。
 その悲しさをどこにぶつければいいのか分からなくて――何かが違ってしまった。
 本当に欲しかったのは、仇討の相手なんかではなく、泣いていい場所だった。
 そんな簡単なことに気づくのに、随分な遠回りをしてしまった――。

 ひとしきり泣いたあと、遥はゆっくりと立ち上がった。
「大丈夫か」
 尋ねる榊原のスーツは、遥の涙やら鼻水やらでぐしゃぐしゃになっていた。今更だが、少し恥ずかしい。
 だが、おかげで心が軽くなった。
 迷いや後悔が消えたわけではない。それでも動くことはできそうだった。
「義父さん」
「ん?」
「私の醜態については、秘密にしといて」
「まあ、それは別に構わんが」
「スーツはさ、これが終わったら――いいの弁償するから」
「……ガキはんなこと気にするな」
 そう言って榊原は、遥の背中を思い切り叩いた。
 零次や亨にしたのと同じように。
「やりたいようにやれ。失敗したら反省すりゃいい。けど、やりながら反省はするな」
「うん」
「良いか悪いかは自分で決めろ。成功も失敗も過程の一つと割り切れ」
「うん」
「過去のことにひきずられるな。たまに思い出してやるくらいでいい。お前は……これからも長い人生、生き続けていくんだからな」
「……はい!」
 背中を押されて、外に出る。
 部屋を出た廊下の突き当たり。
 そこに、零次と亨が立っていた。
「遅かったな」
「……ちょっと泣いてた」
「そうか」
 三人は顔を見合わせて頷き合う。
「行こう」
 視線の先――窓から見える風景の彼方には、黒々とした山がそびえ立っていた。
 じきに日が沈む。
 明日は十二月十一日。
 今度こそ、すべてが終わる予感がした。