異法人の夜-Foreigners night-

-第二部-
第二十七話「この先へ」
 日が変わる頃、主だった者たちは大穴の空いた山腹付近に集まっていた。すぐ側には飛鳥井冷夏が遺した結界がある。その内側に――土門荒野がいるはずだった。
 結界は数百人の魔術師たちが集まって補修に務めている。冷夏の結界はその代償に見合う強力無比な代物だった。しかしそれも、度重なる土門荒野からの攻撃を受けて徐々に欠けてきている。攻撃の勢いは凄まじく、ベテランの魔術師たちの補修を考慮しても、あと数時間で結界は破れるだろうとの見方が強い。
「土門荒野は災害のようなものです」
 一同の前に立って、真泉未了が言う。
「常識的に考えて太刀打ちできる相手ではありませんが……逃げてしまえば話は別です。土門荒野は自分の限界すら顧みずただただ暴れる。そしていずれは――力尽きる」
「力尽きるまでにかかる時間が問題ですね」
 脇に居並ぶ初老の女性が渋い顔で言った。いずこかの組織の幹部クラスなのだろう。未了の周りに集まっているのはそういう人間たちである。
 別の、やや神経質そうな顔つきをした壮年の紳士が応える。
「過去土門荒野が現れたときの統計データから、ある程度推測してみました。土門荒野は宿主の力や状態によって大きく在り様は変わりますが、その強大さだけは変わることがありません。それを元に考えると、土門荒野が自滅するまでの時間はあと丸一日」
「――この町が滅びるには充分な時間ですな」
 重い空気が一座を支配する。
「今回の土門荒野は、大地を操る異法人、草薙樵を取り込んでいる。その影響でここ数日大きな揺れが何度も発生している。完全に復活した今、結界が解かれれば途方もなく大きな地震が起きるだろう。それだけで、町の壊滅には充分だ」
「悲観的な意見はこの場に相応しくない、と思うけどね」
「楽観的になれる要素があるのか」
「ありますとも」
 そう言ったのは――白衣に身を包んだ眼鏡の男、幸町孝也。いかなる勢力にも属さぬ立場から、この会議の進行役を任されている。
「まず第一。飛鳥井冷夏はこういう状況を想定できないほど馬鹿ではなかった。彼女の結界には、外側から内側に入るための進入路が用意されている――そうですよね、喜八郎さん」
「はい。先程飛鳥井の者たちが確認しております。ただ、幅は狭く一度に通れるのは一人ずつ。更に結界の強度を下げないための仕様なのでしょうが……一度入れば、結界が解けない限り外に出ることはできません」
 執事服の老人、飛鳥井喜八郎が静かに告げた。その言葉に一座はざわめく。
「決死隊を投入しろと?」
「座して一つの市が滅びるのを待つ、ということ以外にも手はある。そう考えていただきたいですね」
 幸町の冷静な態度に、ざわめきは収まった。この場に集まっている人間はいずれも素人ではない。命惜しさに動揺する人間は一人もいなかった。
 ただ、人の上に立つ者たちである。自勢力の被害を抑えたいと思う心が強い。
 幸町は彼らの心境を理解しているのだろう。一同の顔を見渡して、軽く頷いた。
「さて、第二の楽観的要素です。その決死隊に、泉家の上泉陰綱殿が参加表明をしてくださいました。彼はダブル・ワンと共に前回の土門荒野と戦った経験の持ち主。勝手は多少違うかもしれませんが……その実力は皆々様も疑う余地のないところかと」
 全員の視線が、未了の脇に控える陰綱に注がれる。多くの組織の間で剣聖の威名は轟き渡っているのだろう。反対の意見は出なかった。
「……結界維持にもう少し人員を投入することはできないのかね」
「結論から言うと、これ以上補修作業に力を入れるのは無意味です」
 未了は頭を振る。
「飛鳥井冷夏の結界は頑丈なだけでなく、土門荒野の力を封じるための工夫が施されています。単純な頑丈さだけで土門荒野を封じているわけではありません。表面上の補修だけではもう持たないのです」
「解析は?」
「不可能です。あの結界そのものが奇跡の産物と言うべき代物なのです。まともに解析しようとすれば、一年近くの時間が必要でしょう」
「……結界が壊れる前に、内部に侵入、土門荒野を倒さねばならない、ということか」
 誰もが苦い顔つきになる。
 不可能だとは思わない。しかし代償があまりに大き過ぎる。
 そのタイミングを見計らって、幸町は口を開いた。
「最後に、第三の楽観的要素です。決死隊のメンバーは既にこちらで決めてあります」
「何?」
「陰綱殿の他、約五名。最後の戦いを飾るに相応しい馬鹿たちが既に待機しております。皆様は彼らが仕損じたときのために備えておいていただきたい」
 そして、多少の皮肉を交えてこう続けた。
「期待するなら馬鹿相手に限ります。利口な奴は――僕のように、何もできませんから。ねえ?」

 緋河天夜。北海道を拠点とする緋河家の一族。
 当主の子でありながら故あって放浪。その最中に秋風市を訪れる。
 彼がこの戦いに加わった縁は、そんな偶然から始まっている。
 忘れることもできた。無視することもできた。だがやらなかった。逃げなかった。
 来たくなかった。正直、今でもそう思っている。
 だが、来なければよかったとは――思ったことがない。
 そして、一度来たからには最後まで見届けようと思った。
 どんなに辛かろうと、自分にはそうする意味がある。
 周りには止められた。連れの一人とは盛大な大喧嘩までした。おかげで顔中に蹴られた跡が残っている。
 遥とも少し話をした。
 真っ白になった髪。ヒビだらけの肌。見るだけで痛ましい姿ではあったが、どうやら少し吹っ切れたらしい。まだ全快と言うには程遠く、弱っているようでもあったが、憑き物は落ちたようだった。
 若干ためらったが、共闘する身として握手を求めた。遥の方も、少しためらいがちに応じてくれた。
 偶然の出会い、必然の惨事。その先に、行こう。

 フィストは一人、両の拳に包帯を巻いていた。
 夕観はいない。
 あれから――飛鳥井陣営に身柄を確保されてから間もなく、土門荒野の復活を表す地震が起きた。
 ……ああ、駄目だったのか。
 自分たちは、そして樵は――失敗したのだ。
 夕観はさすがに気落ちしたようだった。一言も発さず、俯きがちのまま飛鳥井の者たちに引っ張られていった。
 そんな夕観を見ながら、フィストは側にいた陰綱に、ある提案を申し出た。
「準備はできたか」
 意識が現実に引き戻された。
 木々の合間から陰綱が顔を覗かせている。
「剣聖」
「そのような珍妙な呼び方は遠慮してもらいたいのだが……まあいい。どうだ」
「ああ、いつでもいける」
 元よりフィストに準備など必要ない。魔術の才能はほとんどなく、かろうじて身体強化と骨格破壊の魔術を使えるだけの身だ。覚悟と身体があれば、それで事足りる。
「それより、条件の方は呑んでもらえるんだろうな」
「未了様が先程その件を持ち出した。各組織の長も異論はないそうだ」
 フィストが陰綱に出した条件。
 それは、土門荒野討伐に協力する代わりに、ここ数日間の古賀里夕観の行動を不問に付して欲しい、というものだった。
 古賀里はかつて日本の四大魔術名家と呼ばれた家柄で、夕観はその嫡流に近い位置にいる人間だった。魔術は血統により進化する面もあるため、家柄良き魔術師は、その出自そのものが才能とも言える。
 魔術師は、得てしてそういう相手に敬意を払う。それが夕観に幸いした。
 また、古賀里は既に滅び、勢力とは言えないものになっている。そのため他組織の面々から警戒されにくかった、というのも夕観の状況を好転させた。
 でなければ、飛鳥井により身柄を拘束された後、各組織の行動を妨げたという理由で相応の罰則を与えられたはずである。決定的な敵対ではなく妨害程度の行動ではあるが、処分の内容は相手のさじ加減次第だ。
 フィストとしては、夕観の処遇を他人に左右されたくないという思いがある。
 ……あれは俺のお嬢だ。
 肝心の夕観は、飛鳥井家によって魔術師同盟の日本支部に運ばれている頃だろう。フィストと陰綱のやりとりは、彼女に知らされていない。
「先程も話したことだが、本当にいいんだな」
 陰綱が念を押す。フィストは笑って頭を振った。
「剣聖。あんた心配性だな」
「土壇場で迷う人間を連れていける相手ではない」
「はは、心配ないさ。死ぬ覚悟はもとより――樵を殺す覚悟もとっくにできてる」
 そういう約束をした。
 数少ない友人に――最初で最後の頼みごとをされた。果たさなければならない。
「俺にとって一番大事なのは夕観の安否だ。それが保証されたんだから、次は二番目に大事な奴との約束を守らないと」
「約束?」
「ああ。あ、でも言うなって言われてるから教えることはできないぜ」
「……分かった。迷いがなければそれでいい」
 そう言って陰綱はフィストの顔の前に手を伸ばした。掌に淡い魔力の光が生じたかと思うと、全身に何かが伝わってきた。
「こいつは、強化魔術か? いや、それにしたって……」
「多重強化だ。お前には三重に強化をかけておいた。異法人より少し上くらいの身体能力になっているだろう」
「……すげぇな」
 強化魔術というと単純なものに思われがちだが、自分自身を強化するだけでも相応の技術、努力、そして才能がいる。部分的にしか強化できない魔術師も多い。他人を対象に多重強化をかけるというのは、万人に一人の資質と言ってもいいだろう。
「そなたなら、十年程度で二重強化くらいはできるようになるだろう」
「俺にはそんな才能ないと思うけどな」
 フィストのぼやきに、陰綱は薄く笑って踵を返す。その背中に、フィストは明日の天気を尋ねるような口調で、
「で、これぐらいだと俺の生還確率はどれくらいだ?」
「……そなたは某と共に先鋒を務める。なら、二割程度だろう」
「ふうん。成程ね」
 去りゆく陰綱を見送りながら、フィストはぼんやりと考える。
 ……剣聖の旦那はキツ目の予想は言わないだろう。実際は一割以下ってとこだな。
 遺書でも用意しておこうか。そう思いかけたが、すぐにやめにした。
「あいつとの約束に比べりゃ、生きるか死ぬかは――そんな重要でもないな」
 今は約束を果たすことだけを考えよう。
 世界で二番目に大事な、一番の友人との約束だ。
 果たしに行こう。フィストは拳を握りしめた。

 決戦の準備が着々と進められるなか、零次は一人町を歩き回っていた。あのとき涼子に弾き飛ばされた剣を探すためである。
 気配はするが具体的な場所についてはよく分からない。『悪魔』は零次の一部として使っていたから、自由に戻すことができた。しかし『剣』はそういうわけにもいかないらしい。繋がりは感じられるが、自在に呼び出したりすることはできないようだった。
「お兄ちゃん」
 探し始めてしばらくした頃、住宅街から少し外れた森林公園の中で、後ろから呼びかけられた。
 今、零次のことをそう呼ぶ人間は一人しかいない。
 振り返ると、そこにいたのはやはり彼女だった。
「郁奈」
 彼女は、その身に不相応な剣を抱えていた。
 零次が探していた黒の剣である。
「落としちゃ駄目だよ。これ、大事なものなんだから」
 そう言って、両手で剣を差し出してくる。零次は「すまない」と頭を下げて、それを受け取った。
 ずしりとした重みが手にかかる。見ているだけで吸い込まれそうな暗さを持つ剣は、まるで生き物のように見えた。
「その『剣』も、大分目が覚めてきたみたい」
「目覚める?」
「ええ。それは――お兄ちゃんにとって『剣』でも『悪魔』でもあるそれは、突き詰めてしまえば意志の塊なの」
 郁奈の言葉に応じるかのように、『剣』から何かが伝わってくる。とても暗く、それでいて何かを切望するような思い。
「君は、これのことを知ってるんだな」
「お兄ちゃんも、本当は知ってるはずだよ。知ってるけど、よく分かってないだけ」
「……そうか。分からないことだらけだな」
 零次は苦笑を浮かべて『剣』を身の内に戻した。
「しかし、こうして会うのは何か久々な気がするな」
「そうね。お兄ちゃんの方は、いろいろ大変だったみたいだし」
 そう言う郁奈の方も、幾分やつれているように見えた。何を考えているのかは、相変わらずよく分からない。ただ、彼女も今回の事件で傷付いたのは間違いないのだ。
「郁奈。飛鳥井冷夏のことは……」
「聞いてるわ。……ううん、聞く前から想像はついてた。冷、いつもそうだから」
 郁奈は力なく笑ってみせた。
「私が見てきた土門荒野の事件にはいろいろなパターンはあるけど、大筋は変わらない。冷も大抵命を落とす。……それは分かってた」
 言いながら、少女は踵を返す。その背中は年相応に小さい。
「でも……分かってても、嫌なものは嫌なんだね」
「……」
 零次は何も言えなかった。郁奈の言っていることが理解できない以上、上っ面の慰めにしかならない。そんなものは、彼女とて望んでいないだろう。
「郁奈」
「……何?」
「君は、きっと俺たちには分からないものを抱えているんだろう」
「……」
 郁奈は応えない。ただ、否定もしなかった。
 零次は続ける。
「今更かもしれないが、聞かせてくれないか。何でもいい。どれだけ荒唐無稽な話でも信じる。だから教えてくれないか」
 長い、沈黙が訪れた。
 郁奈は微動だにしない。零次もまた、言葉を発しなかった。
「お兄ちゃんは、優しいね」
 ぽつりと、郁奈が言った。
「私を励まそうとしてくれてるんだよね」
 郁奈は、少しだけこちらに顔を向けた。その頬に流れるものが、夕陽に照らされ、光って見えた。
「ありがと。その気持ちだけで嬉しい」
 それだけを言って、郁奈は足早に去ってしまった。
 追いかけることもできた。理解できないにしても、彼女の言葉には気になる点が非常に多い。
 だが、さすがに今の郁奈を追いかける気にはなれなかった。
「……もしこの戦いが終わって、俺が生きてたら、そのときに改めて聞けばいいか」
 切り札は戻ってきた。
 あとは進むだけ。
 今は、それだけ分かっていればいい。

 決戦部隊の集合場所で、遥は一人心を沈めていた。コートを着るようにして冷夏から貰った着物を纏ってはいるが、気を抜くと魔力がどんどん流れ出てしまいそうだった。遥の魔力の暴走は、まだ収まっていない。
 ……やっぱり、このままいくしかないか。
 そう結論づけたとき、亨がやって来た。彼は榊原と一緒に、隣町の病院に行っていたはずである。
「遥さん、早いですね」
「落ち着かなくてな。それより、美緒の方は?」
「まだ意識が戻らないそうです。今は榊原さんが付いててくれてますが」
「そっか。それはよかった」
 隣町なら土門荒野による被害もそう酷いものにはならないだろう。榊原と美緒の安全は保証されたようなものだ。
「ああ、それと榊原さんから伝言です。『これ以上美緒を泣かせるなよ』と」
「……嫌な言い方するな、義父さんは。普通に『死ぬなよ』とか言われるよりプレッシャーかかる」
「同感です」
 亨が肩を竦める。
 そこに、陰綱とフィスト、天夜がやって来た。
「……遥様。お気持ちは変わりありませんか」
 陰綱が心配そうに尋ねてきた。だが、それに遥は頭を振る。
「迷惑はかけないよ。だから参加させて欲しい」
「どうしてもですか」
「ああ、どうしても。……贖罪の意味もあるし、自分自身にけじめをつける、という意味もある。ここで背を向けたら、きっと一生後悔するから」
 大事な相手を失った心の痛み。
 周囲に憎悪を撒き散らした忌むべき自分自身。
 その傷から、目を背けたくなかった。逃げたくなかった。最後まで、自分なりの方法で戦い抜きたかった。
「……分かりました」
 遥の決意が固いのを見て取ったのだろう。陰綱は深い溜息をついた。
「――なんだ、俺が最後か」
 そこに、零次がやって来た。
 遥は辺りを見回す。
 零次。
 天夜。
 フィスト。
 陰綱。
 亨。
 そして、自分。
 思いも立場もばらばらだが――皆、この先へと進む意志を持っている。
「では」
 陰綱が中央に立ち、声を上げた。
「始めましょう。明日へと繋ぐ、大事な一戦です」