異法人の夜-Foreigners night-

-第二部-
第二十八話「道はまだ」
 陰綱を中心に、決戦に挑む面々が集まった。場所は結界の侵入場所の前。
 結界が張られているとはいえ、この距離だと土門荒野の力が十分に感じ取れる。
「既に戦いは始まっている。そう考えて、某の話を聞いてもらいたい」
 陰綱が重々しく口を開いた。全員の表情が引き締まる。これから挑む相手がどういう存在なのか、誰もが十分に理解している。
「……その前に確認したいことがある。零次殿、少しいいか」
「ああ」
 零次が頷くと、陰綱はその額に向けて手を伸ばした。掌に淡い光が生じ、それが零次の方へと移っていく。しかし光は移り切る前に、霧散して消えてしまった。
「やはり駄目か」
「今のは?」
「多重強化の魔術だ。フィストと天夜殿には施してあるが……やはり異法人には効かないようだ。もしやと期待したのだが」
「……強化の魔術は『世界の普遍的な法を使ってあらゆる対象の性質を強化する』って話でしたっけ。それに対して僕ら異法人は『独自の法を身に宿して、それぞれの能力、人並み外れた身体能力を実現している』……そんな風に聞いてます」
 亨が周囲の人間に向けて説明する。それを零次が引き継いだ。
「要するに、俺たち異法人は常時身体を強化しているようなものだ。強化魔術をかけても効果が競合してしまって、うまくいかないのだろう」
「もし強化可能であれば、両名にも前線に出てもらいたかったが……まあいい」
 陰綱は零次から手を離す。
「では、突入前に各自の役割を決めておこうと思う」
 一同が頷くと、陰綱は最初に自分、そして次にフィストを指し示した。
「某とフィストは近接戦闘しかできない。ゆえに先陣を務めさせてもらう。異論は?」
 問われて、亨が挙手する。
「僕は陰綱さんが指揮を執るものだと思ってましたが、先陣に出るとなると難しくなりますよね。その辺りはどうなんでしょう」
「うむ。それについては腹案がある。……遥様」
「ん」
「我々の指揮をお願い致したい」
「……私が?」
 遥が首を傾げる。
「私は土門荒野と戦った経験もないし、指揮なんて執ったことないぞ」
「土門荒野は宿主の力を爆発的に増大させ、力のかぎり暴れまわる存在です。過去に奴と戦った経験はなくとも、指揮を執ることは可能です」
「確かに、遥さんなら頭の回転速いみたいだしな」
 天夜が同意の意を示す。確かに、ここぞというときの遥の思考能力は高い。先日はそれがまずい方向に働いてしまったのだが。
「頭の良さでいうなら亨の方がいいんじゃないか」
「僕は後方で指揮を執るより、先陣の支援を行った方がいいと思いますよ。この中じゃ一番機動性はあると自負してますし」
「ああ。某も、そなたには遊撃要員として動いてもらいたいと思っていた」
「……何か外堀埋められてる気が」
 遥が戸惑いの表情を浮かべ、フィストに何か問いたげな視線を投げかける。フィストはそれに気づくとあっさり首肯して、
「あんたならいいだろう。信用できる奴だってのは分かってる」
「信用とかそういう問題じゃないと思うんだが……。はあ、ここでグズグズ言ってても仕方ないか」
 遥は自分の頬をパンと叩いた。気合の入った表情で、力強く頷く。
「分かった。指揮を執らせてもらう」
「お願い致します。それから緋河殿」
「ああ、俺は何だ?」
「遥様の護衛をお願いしたい」
「前に出る必要はないのか」
「うむ。指揮系統に乱れがあっては、何かあったときに致命的になる」
「成程。分かった、遥さんを守ればいいんだな」
 天夜が頷くのを見て、陰綱は零次の方に視線を向ける。
「零次殿、あの剣は使えるか」
「使える」
「ならば、土門荒野へのとどめを頼む。某やフィストの手で倒せればいいが、そなたの剣の方が威力は上だ。切り札になってくれ」
「了解した」
 それぞれの役割を確認し終えると、陰綱は結界の前に立った。
「土門荒野相手に小細工は無意味ゆえ、単純明快なやり方で臨む」
「というと?」
「先行させた使い魔の情報を元に、某は結界に突入後、土門荒野本体を目指して一気に駆け抜ける。フィストはそれに続いてくれ」
「ああ」
「障害としては、草薙樵の大地を操る力と、倉凪梢の植物を操る力がある。結界内は激しく揺れ動いているうえに、大小様々な植物が魔獣のように蠢いている状態だ。しかしそれに足を取られて時間をかけたくはない。そこで、亨殿は我らの障害となりそうな要素を速やかに排除してもらいたい」
「分かりました」
「その間、我らの視線はどうしても前方にのみ向けられることになる。そこを、後方に待機した遥様に補っていただきたい。何かあれば亨殿に指示を出すなりして、我らの突撃に不測の事態が起きないようにしてもらいたい」
「分かった。指揮と言っても、全体を見渡して危険要素を封じるよう動いていけばいいんだな」
「はい。……そして零次殿は、その間ずっと待機していてもらいたい」
「何もするな、と?」
「そなたの一撃は非常に重要な意味を持つ。打ち損じがないよう集中してもらいたい」
「……成程。分かった」
 言って、零次は耳につけたイヤホンに触れた。
 魔術道具作成の名家、奈良塚家の作成した通信用端末だ。言葉を介さず、胸中で念じたイメージを相手に送信するというものである。
 遥の能力と違い、送受信できるのは思念のみ。それも明確な思念のみだが、いちいち言葉を出さずに済むというのは大きな利点だった。結界内に突入すれば、いちいち話している暇はない。
「……以上で伝えておくことはすべてだ。何か異論は?」
「陰綱」
 遥が手を挙げる。
「私に多重強化を頼む。後方に陣取るとは言え、あるとないとでは大違いだろうから」
「……」
 陰綱は――わずかに躊躇いを顔に出した。それに気づいた遥が、怪訝そうに、
「できないのか?」
「いえ。……失礼」
 陰綱は遥の額に手を伸ばし、零次のときと同様に試みた。
 そして、結果もまた同様のものだった。
「……どういうことだ? 全然効いてない気がするんだが」
「ええ。もしかしたら、と思いましたが……やはり駄目でしたか」
「やはり、ということは何か知ってるんだな」
 決戦の直前。場に微妙な空気が流れる。
「陰綱殿、決戦の前に変なしこりは残しておきたくない。何か存じているなら、遥に説明してやってくれないか」
「零次殿」
 陰綱はなおも渋る様子を見せたが、やがて溜息をついて、
「遥様は、異法人なのです」
「……私が?」
 遥、そして零次や亨が驚きの表情を浮かべる。遥には異法人特有の身体能力がない。それに異法人同士の共鳴現象も今までまったくなかった。
 だが、その能力は魔術と分類するには強力過ぎる。
「遥様だけではなく、優香様も、涼子様も皆異法人でした。ただ、異法人としての部分を運命様が封印されたのです」
「封印って、そんなことできるのか……?」
「運命様ご自身では無理でした。異法人を異法人たらしめているのは内包する独自の法。法は利用するのは簡単でも、それ自体に手を加えるのは不可能に近いのです。ただ運命様には魔法使いの友人が三名おりました。魔法使いは唯一法に干渉することができる存在。彼らの力を使って、運命様は遥様たちを普通の人間にしようとしたのです」
「……」
 そこまで話を聞いて、遥は険しい表情で俯いた。
「陰綱。父さんは自分がいつか土門荒野に食われるだろうと、予想してたんだな?」
「はい。そして、そのときは自分を殺すよう倉凪司郎に頼んでおりました」
「そうか。……父さんは、私たちが土門荒野に乗っ取られないよう、手を打ったんだな」
 式泉運命が娘たちを普通の人間にしようとした理由。それは娘の土門荒野化を避けるため、としか考えられない。
「……本来、あちら側にいたのは私だったのかもしれないと。そういうことか」
 遥は複雑な表情で結界の方を見た。もし彼女たちが土門荒野に乗っ取られていたら、梢たちは何事もなく生きていられたのかもしれない。
 陰綱が言うのを渋っていた理由も、これで分かった。
「……」
「遥」
 黙って立つ遥の肩に、零次が手を置いた。遥はそれに対し笑みを返す。
「大丈夫。分かってるよ、今やるべきことは。……そうだな、余計なことは考えずに――ただ素直に、父さんに愛されてたことを喜んでおくよ」
 言って、遥は陰綱の横に立った。
「悪い、結果的に寄り道になってしまって」
 今は、前に進まねばならない。
「行こう。過去を語るのは、明日でもいい」

 天夜は包帯を解く。
 最後まで見届ける。それが、この町に戻って来た自分の責任だ。
 梢を殺すために来たわけではない。この町の危機を放っておけないから来た。
 だから最後まで見届けるのは、最初から決めていた。
「さて……燃やし尽くしてやろうかね」

 フィストは左右の拳を胸の前で打ち合った。
 ……俺たちは失敗した。
 負けず嫌いのあいつにとっては――心底悔しい結末だったろう。
 そしてあいつは、負けたらそれで終わりというほど殊勝な奴ではない。
「さて、一矢報いてやるとするか」

 陰綱は漆黒のスーツから、藍色の着物に着替えていた。
 かつての主――式泉運命のことを思い出す。かつて土門荒野と化した主を前に、陰綱は結果として何もできなかった。すべて倉凪司郎に背負わせる形になってしまった。
 今度は迷わない。泉の刀として、これ以上の悲劇が起きないうちに斬る。
「行くか」

 亨は眼を閉じて深呼吸をした。
 ここ数日、多くの迷いが生じた。多くの後悔が生まれた。そこから何か得たものがあるかと言われれば、まだよく分からないのが正直なところだ。
 この戦いを通して、何かを掴みたい。梢や涼子が残していった何かを知りたかった。
「……よし」

 遥と零次並び立った。
 結界を――その向こうにいるであろう土門荒野を見据える。
「零次」
「……ん?」
「酷いこと散々言ってごめん」
 遥の言葉に、零次は目を丸くした。
「なんだ、その顔は」
「いや、謝られるとは思ってなかったからな」
「悪いことをしたら謝る。いくら私が馬鹿でも、それくらいはできる」
「い、いや。そういう意味じゃない。……お前に言われたことは事実だったから」
 梢を助けられたかもしれない。そういう場面で、零次は動かなかった。
「死んでほしくないという思いはあった。だが、俺はあのとき、文字通り身を削って戦い続けるあいつを見て、邪魔はできない――しちゃいけないと、そんな風に思ってしまったんだ。お前からすれば、許しがたい勝手な理屈だとは思う」
「……確かに私はその考え方に賛成できない。でも、それとこれとは別なんだ。結局、私は自分の非力さを棚に上げて、誰かに責任を押しつけたかった。そのことを謝りたかったんだ」
 遥は一歩前に進む。
「私は梢君に助けられて、一緒に暮らすようになって、自分でいろいろなことができるようになったつもりでいた。でもそれは少し違っていたんだと思う。彼がいないと、私はこんなに駄目になる」
 お前のそれは――恋じゃない。
 あのとき梢に言われたことを思い出す。彼が好きだった。その気持ちに嘘はなかった。けれど、それは一面でしかなくて――他の面で、自分は彼に依存していた。きっと彼はそのことを伝えたかったのだろう。
「私は、自分の足で立って、自分の意志で進めるようになりたい。これが、その最初の一歩なんだ」
「……そうか」
 零次も一歩進み、遥に並ぶ。
「俺も同じだ。涼子を助けようとして、逆に助けられて。いつも、一歩及ばず、大切なものを守れない」
「零次……それは」
「それでも、諦めて投げ出すつもりはない。途中で投げ出したら、俺を助けてくれた人たちの思いが無駄になる。倉凪が、涼子が――皆が俺たちに繋いでくれたんだ。俺たちも、誰かに未来のバトンを渡すまで、走り続けないと」
 真顔で言う零次を見て、遥はクスリと笑った。
「何かおかしいか?」
「いや、おかしくはないけど。零次はいちいち台詞がクサいな、と思って」
「……よく言われたよ」
 零次は肩を竦める。その背中を遥が叩いた。
「いいと思うよ、零次はそれで。私も人のこと言えないかもしれないし」
「そうだな。お前も大概だ」
 二人して笑い合う。
 そして、結界に視線を戻す。
 陰綱が、フィストが、亨が、天夜が待っていた。
「じゃ、行こうか」
「ああ。終わらせよう」

 全員が頷き、冷夏が遺した結界に飛び込んだ。
 中に飛び込んだ瞬間、視界を覆い尽くしたのは無数の木の獣。
 全身を覆い尽くしたのは、あまりに巨大な敵を前にした絶望感。
『……これは!』
 誰もが足を止めた。
 ここ数日触れてきた土門荒野の驚異。それは片鱗に過ぎなかった。
 人間が雪崩を相手に喧嘩を売るような、圧倒的な力の差。
 結界に向かって身を叩きつけていた木の獣たちが、侵入者に気づいたのか、一斉に遥たちの方に顔を向ける。
 その中で――陰綱が動いた。
『行くぞ!』
 そう。
 後戻りはできない。
 ならば、どんな絶望的な力の差があろうと、挑むしかない。前に進むしかない。
 一歩遅れて、他の者たちも動き出す。
 激しい揺れの中、身命を賭して駆け出す。

 四方から漂う濃厚な死の気配。その中にいるはずの土門荒野本体。
『どこだ』
 陰綱は駆けながらその気配を探ろうとする。しかしそれは、大海の中で失くし物を探すようなものだった。
 使い魔の情報が無意味になった。侵入者に警戒した土門荒野の意志か、蠢く木々の獣たちが形を変えていく。完全に見失う形になってしまった。
『どこだ……!』
 全感覚を強化。
 それでも土門荒野本体の居場所は分からない。
 ぐずぐずしていては、獣たちに取り囲まれてしまう。
 獣たちは一頭が人間を丸飲みできそうな大きさだ。感じ取れる強さは、並の異法人を凌駕する程度。
 時間はない。短期決戦しか選択肢はなかった。
『なら、私が――!』
 陰綱の意志に、遥が応え、彼女の魔力が結界内を覆い尽くした。
『遥様、無茶は……!』
『言ってる場合か! そら、見つけたぞ!』
 遥の念が、ある一点を指し示す。陰綱たちの視線がそちらに向けられる。
 朽ち果てた木々が積み重ねられたような――巨大な墳墓の如き一角。
『あの中だ、行くぞ!』
『応!』
 駆け出す。
 その両脇から、獣たちが襲いかかってきた。

 手加減は無用だ。
『消えろ……!』
 迫り来る木の獣たちに、天夜はありったけの炎を叩きつける。
 陰綱たちの道を開く。そして遥を守る。
「おおおおぉぉぉぉっ!」
 限界まで展開した炎が周囲一帯を埋め尽くす。
『行け……!』
 天夜の念に、いくつかの声が応える。
 群がる獣たちを前に、天夜は吼えた。
「この炎――簡単に消せると思うなよ……!」

 直進する陰綱とフィスト。
 しかし、行く手に見える木々の墳墓はあまりに大きい。
『倉凪梢の木……いや、草薙樵の大地の力もある』
 墳墓を覆い尽くしているのは、土門荒野が取り込んだ二人の力。その守りは桁外れに堅牢だった。
『どこか一角を狙うしかないのか……!?』
 フィストが焦る。陰綱やフィストの能力は対人戦に特化していた。ああいう要塞じみたものを突破するのに向いた能力ではない。
『……僕に任せてもらいましょう』
 と――天夜と共に陰綱たちの道を切り開いていた亨が応じた。
『できるか』
『ええ。道は――僕が開きます!』

 群がる木や土の獣は、次々と数を増してきた。明確な敵が現れたことで、向こうも戦闘態勢に入ったと見るべきか。
「……」
 それを、亨は上空から見下ろしていた。
 自らが操る銀の空船に乗りながら――彼は右手の親指を噛み、その手を大きく天に向かって突き出した。
「集え――」
 言葉と共に、五つの金属が亨の手の周りに集まる。
 金・銀・銅・鉄・錫。彼が操る五つの金属が輝きを増す。亨の魔力を通して、次第にそれらは一つにまとまっていった。
「我が血を以て、変じよ」
 親指から垂れた血の雫が、変容しつつある金属の中に吸い込まれる。すると、それは輝きを増し――自然界に存在しないモノへと姿を変えた。
 いかなる金属とも異なる輝きを持つそれは、更に形を変え、人間三人分ほどの大きさを誇る大槍となる。
「幻槍――アナザー・ロンギヌス」
 槍を手にした腕が、思い切り振り下ろされる。
「阻むものを貫き――道を開け!」
 巨大な槍が、墳墓の中央を貫く。
 そして――爆ぜた。

 粉々になった墳墓の中に、陰綱たちはその姿を見た。
 禍々しい黒の翼。
 無数の歪な腕。
 その全身を覆う翠玉の武装。
 それには、顔がなかった。
『それが――』
『あれが――』
 土門荒野。
「参る!」
 遮るものなしと見て、陰綱が全力で突撃する。フィストがその後ろに続いた。
 左右から大小様々な、創られた獣たちが殺到する。それを陰綱は次々に切り伏せた。
 暴力の海。それを剣一つで切り裂いていく。
『剣聖、来るぞ!』
 生み出した獣たちでは不足と感じたのか。
 土門荒野本体が、陰綱とフィストに向かって飛びかかってきた。
 近づくだけで全身が凍りつくような威圧感。大きく振り上げられた無数の拳が、一斉に陰綱の身体に吸い込まれる。
『陰綱……!』
 遥の悲鳴が念を通して伝わってくる。
 だが。
『心配無用』
 異法人ですら一撃で致命傷になるであろう一撃を受けて――陰綱は平然としていた。
 ――体の術。
 陰綱は自分自身の身体強化に掟を設けることで、その効果を飛躍的に上昇させていた。その掟とは、静止状態に近づけば近づくほど身体が強化されるというもの。直撃を喰らう瞬間、陰綱は動きを止め、土門荒野の一撃を耐え切ったのだ。
 土門荒野が次の一撃のために拳を浮かせる。その隙を突いて陰綱は剣を抜いた。
 抜いた瞬間、冷たい風が吹いた。
 土門荒野の腕が、ぼとりと落ちる。
『好機……!』
 陰綱が腰を低く落として、突きの構えを見せる。土門荒野となり、人間から掛け離れた容貌となっても――元は異法人の肉体。脳か心臓を破壊すれば、それで終わりだ。
 しかし、そこで陰綱の読みに狂いが生じた。殺気に反応した土門荒野が大きく飛び退いたのである。
 距離を詰めようと足に力を入れる。その瞬間、大地の揺れが激しさを増した。
『これは……!』
 近づけない。土門荒野は陰綱の力量を察知し、戦い方を変えたらしい。
『くっ、これでは……』
 陰綱はこの激しい揺れでは静止状態を保つのも難しい。一息で接近して仕留めるにしても、警戒態勢に入った土門荒野には隙がなかった。
 持久戦は論外。時間が経てば経つほどこちらは不利になる。
『――剣聖』
 と。
 フィストの念が届いた。
『俺が隙を作る。あとは頼んだ』
 そう言って、フィストは駆け出した。

 驚異的な揺れの中、構えを崩さず駆け続けるのは難しい。まして、フィストには陰綱ほどの技量も経験もない。
 駈け出してすぐに、土門荒野の腕の一本がその左腕を吹き飛ばした。
『っ……!』
 激痛に歯を食いしばりながら、フィストは飛んだ。土門荒野へと。その内側にいるであろう友人との約束を果たすために。
 右の拳に全魔力を集中させる。
 自分はフィスト。ただの拳。それだけあれば――あとは要らない。
 脇腹が抉り取られた。地面に激突する。その勢いを利用してすぐに起き上がる。
 そこで――首を貫かれた。
「――ハッ」
 声はいらない。
 フィストはそのまま足を進めた。
 仕留められると踏んだのか、土門荒野が飛び掛ってきた。
 土門荒野の腕が、フィストの身体をずたずたに貫く。
 だが。
『よぉ』
 右腕だけはやられないよう、取っておいた。
『約束守りに来たぜ』
 殴る対象は目の前にいる。
 ――俺がもしコイツに負けるようなことがあったら、代わりにリベンジしてくれ。
 右腕を振りかぶる。
 ――頼んだぜ、ダチ公。
 それを、思い切り、土門荒野の土手っ腹に叩き込んだ。
『……果たしたぞ、ダチ公』
 拳は確かに届いた。
 拳は――動きを止めた。

 フィストによって作られた僅かな隙。
 それを見逃す陰綱ではなかった。
 大きく飛び上がり――剣を下に、土門荒野目掛けて突き立てる。
 だが、それでも土門荒野は死なない。狙いが僅かに外れた。
『……っ!』
 溢れかえらんばかりの激情と魔力が陰綱に襲いかかる。だが陰綱は剣を突き立てたまま動かない。
『今だ……!』
 その叫びに応じるかのように――遥か上空で、黒い光が広がりつつあった。

 遥が。
 天夜が。
 亨が。
 フィストが。
 陰綱が。
 それぞれの全力を以て、道を切り開いた。
 零次の右手には、あの黒い剣が握り締められている。この結界に入ってから――剣は輝きを増し続けていた。まるで土門荒野の力に呼応するかのように。
「これなら、やれる――」
 剣を構えて、土門荒野を見据える。
 フィストと陰綱によって、土門荒野は動きを封じられている。最初で最後の――最高の機会だ。
 必ず決める。
「……ォォォォォオオオオオ」
 必ず終わらせる。
 勝って、また明日から頑張って生きていく。
 そのために――零次は剣を振るった。
 放たれた黒の光が、土門荒野に激突する。

 零次の一撃に対し、土門荒野は防御障壁を展開した。身動きが取れなくとも、膨大な魔力がある以上、まともに一撃を入れるのは難しい。
 だが、零次も諦めてはいない。一撃目で押し切れないと見るや――第二撃を放った。
 黒の光が土門荒野の壁を突き破るかに見えた、その瞬間。
「――――――!」
 土門荒野が音なき叫びを上げた。
 各地に散らばっていた獣たちが形を失い、純粋な魔力に戻って、土門荒野に集中する。障壁は厚さを増し、逆に零次を呑み込みかねない勢いを示した。
 ……させるか。
 遥は冷夏から貰った着物を脱ぎ捨て、自分の持てる魔力を広げた。
 結界を覆い尽くすほどに。そして、結界の向こうまで届くほどに。
 ……力を貸してくれ。
 誰に届くか分からない。だが、遥は必死に叫んだ。
『私はここから進みたい。こんな理不尽に負けたくない。だから頼む――力を、貸してくれ……!』

「これ、遥の声じゃないか?」
 笹川邸に避難していた高坂雅が、最初に気づいた。
「うん。何か、助けて欲しいみたいだけど……」
 水嶋沙耶が戸惑いの表情を浮かべる。
「ただ、助けてやるって応えればいい」
 藤田四郎が言った。
「それで届くはずだ。思いを力に変える……遥ちゃんにはそういう力がある。だから助けを求められたら応じてやってくれ……ってさ」
「それ、久坂が言ってたのかい?」
 雅の問いに、藤田が頭を振った。
「――倉凪だよ」

 その声が聞こえたとき、未了は思わず腰を上げて、結界の方へと駈け出した。
「遥……!」
 悲痛な表情で叫ぶ。
 かつて捨てた我が子。未だに向き合うことができない我が子。
 それでも無事でいてほしかった。優香や涼子の分まで、幸せになって欲しかった。
「どうやら佳境みたいですね」
 隣に立つ幸町が言った。彼も険しい表情を浮かべている。
「応援してやりましょう。僕らにできるのはそれしかない」
「……ええ」
 自分に、そんな資格はないのかもしれない。
 それでも未了は、遥の無事を願った。

「遥も、頑張ってるみたいだな」
 その声は、榊原の元にも届いていた。
「力強い。けどまだ小せぇ。俺たちが……手伝ってやらないとな」
 応える声はない。美緒はまだ眠り続けている。
 だが、ほんの少しだけ、その唇が動いたような気がした。
「……お前も、応援してやれ」
 そっと髪をなでる。少しだけ、美緒の表情が和らいだ。
「そうすりゃ負けない。あいつらは――きっと負けないさ」

 駄目だと分かりきっていたから、最初からどこか諦めていた。
 そんな自分が、少し嫌になる。
 郁奈は一人、飛鳥井の本拠地だったホテルの屋上から山の方を見ていた。
「そんな命懸けで頑張っても、どうにもならない……」
 それでも人々は足掻いた。どうにかしようと、動き続けた。
 その結果は、決して良いものではなかったろう。
 失われた命があった。
 失われた思いがあった。
 すれ違い、行き違い、いくつもの後悔が生まれた。
 それでも――抗い続ける人々の姿を、郁奈は否定できなかった。
 結果だけ見れば無様なものだったろう。そんな無様な人々を、美しいと思った。
 最初から諦めて何もしなかった自分の方が、道化に見えた。
「……遥」
 だから、今更だけど。
「頑張れ」
 その言葉を――彼女たちに贈る。
「頑張って――遥、お兄ちゃん」

 声が、思いが集まってくる。それに合わせて、遥を包みこむ魔力が次々と増えていく。
『これなら……行ける!』
 その力を掌に。
 掌を、土門荒野に向ける。
『零次!』
『ああ、やるぞ……!』
 零次が、ありったけの力を振り絞って、剣をもう一度振るう。それに合わせて、土門荒野目掛けて、遥の掌から魔力が放たれた。
 上空と地上からの二重攻撃。
 土門荒野の障壁とぶつかり合い、大地が震撼する。
『ォォォォォオオオオオ……!』
『ハアアアアアァァァァ……!』
 零次が放つ黒の光と、遥が放つ白の光。
 それが、土門荒野の障壁に亀裂を入れた。
 あと一歩。
 ……あと一歩――!
 そのとき。
 遥たちの元に、声が届いた。
『――行けよ、二人とも』
『――ずっと応援してるから』
 遥と零次は大きく目を見開いた。
 土門荒野が――遥たちに向けて魔力を送っている。その魔力が、黒と白の光を後押しした。勢いが完全に逆転する。
 二つの光が交錯し――土門荒野を呑み込んだ。

 夜が明ける頃、冷夏の結界は役割を果たして、消えていった。
 本来山の中腹だったそこは、抉り取られたように何もない荒野になっていた。
 その真ん中に、朽ち果てた人影らしきものがあった。

 朝陽が昇る。
 精根尽き果てた遥は、どうにか面を上げた。
 ……あれ?
 疲れ果てたせいか、頭が上手く回らない。あれからどれだけ経ったのか。皆はいったいどうなったのか。
 視線の先には、顔のない、朽ち果てた人の形があった。
 ……あ。
 そこに、別の、二つの人影が見えた。
 逆光のせいで、顔がよく見えない。
 朝陽が眩しさを増して――思わず目を閉じた。
 もう一度目を開けたとき、人影は消えていた。
 見えるのは、眩しいばかりの朝陽と、広い荒野のみ。
「……ありがとう」
 誰にともなく呟く。
 その頬を伝うものは暖かく。
「じゃあね」
 冬の風は、冷たかった。