異法人の夜-Foreigners night-

-外伝-
榊原邸の騒がしい一日
 榊原邸がもっとも騒がしかった時期があった。



「ふわぁぁ」
 非常に眠い。当たり前だ。現在時刻は午前4時半。健全な子供は、もう暫く後の時間に目覚めるものだろう。
 そう思いながら、吉崎和弥は道場のど真ん中で倒れていた。
 朝っぱらからの稽古で疲れたのだ。先日出会った倉凪梢の持つ“強さ”に憧れ、榊原幻という彼の保護者に弟子入りしたまでは良かったが、そこからが大問題。
 なんと言うか、一番弟子と二番弟子が強すぎて、まるでついていけないのである。
 と、そんな吉崎の足に、何かがくくりつけられた。
(なんだぁ?)
 確かめようとするも、意識が朦朧としていてそれができない。
(まぁいいや、もうちょい休も)
 そんなことを考えていると、もう片方の足にも何かがくくりつけられる。少し気になったが、身体が思うように動かず、確認できない。
 すると。
 ドガガガガガガッ!
「どぅわぁぁぁぁぁぇぇぁぉ!?」
 いきなり、足を引っ張られ、身体があらぬ方向へと持っていかれる。何度も頭を打ち、眠気は一気に覚めた。が、そんなことは関係ないぞと言わんばかりに吉崎は引きずり回され続けた。
「や、やめッ! やめろ倉凪ィ! それと兄貴もだろって痛ッ!?」
 もう状況はすっかり理解していた。自分の左右の足にくくりつけられたのは、倉凪梢が具現化した植物の蔓だった。それを掴んで、吉崎のことを引きずり回しているのは梢と、もう1人――。
「イィィィィヤッホゥ!」
「イヤッホウじゃねぇぇぇぇぇ!」
 ――榊原幻の一番弟子にして、彼らの兄貴分。ちょっと馬鹿で変わり者。
 ……霧島直人だった。



「おはよぅ……」
 八時過ぎ、ようやく美緒が起きてきた。
 この頃の美緒は消極的で大人しく、今とはまるで違う性格だったが、朝に弱いことは変わりがない。
「あれ、吉崎さんは?」
「伝説のアウトローと戦って顔ボコボコになっちまったらしい。今治療中なんだ」
 リビングでのんびりとパンをかじりながら、霧島が答える。
 実に馴染んでいるが、それも当然。梢たちが養子として引き取られる前から、霧島はこの家に入り浸っている。この家に関しては、梢たちよりも古株なのである。
「わっ……大丈夫かな、お兄ちゃん」
「大丈夫だろ、あいつ頑丈さだけなら俺並だし」
 本気なのか冗談なのか、判断に困る言い草である。
「まぁあれだ。もしあいつが助からなかったら、きちんと俺が敵は討つ」
「勝手に人を死んだみたいに言うなぁぁっ!」
 ドバッ、とテーブルの下からゾンビが出てきた。実際は吉崎と言うべきなのだろうが、その顔はゾンビそのもの。土まみれ、おまけにボコボコ。
「出たなッ、吉崎ゾンビ!」
「ひでぇよ兄貴ッ!」
「威嚇しても無駄だぞ、くらえやニンニクアタック!」
「おわっ、臭ッ!」
「効いてるってことはやっぱりゾンビなんだな」
「違うッ!」
「――お前ら、うるせぇ」
 と、不毛なやり取りをし始めた霧島と吉崎の間に、別の声が割り込んだ。声のする方向を見ると、目の下にクマが出来ている榊原がいた。心なしか薄暗い眼球が、不気味な光を発しているようにも見える。
「こっちゃ三日間徹夜でようやく休みがもらえたんだぞ……?」
「スミマセンデシター!」
 ガタガタと震えながら一斉に謝り倒す二人組み。ただまぁなんと言うか、とてつもなくわざとらしかったのだが。
「ちっ……飯くれ」
 テーブルにどしんと座り込んで、それだけを告げる。まるで無愛想で、仕事に疲れた旦那のようだ。そして悲しいことに、それに応えるのは気立ての良い奥さんなどではない。
「ほらよ」
 簡素な一言と共に、榊原の前に置かれたのはご飯と味噌汁。それから味付け海苔。おかずは目玉焼きにウィンナー。ニラの炒め物など。朝食としてはありふれたものである。
 しかし。
「梢」
 低い声で、榊原が唸る。
「納豆は、どうした……?」
「あん? 俺が食っちまったよ、残り一個だったから」
「てめぇ……うぐっ」
 何故か力尽きたように、榊原はがっくりとうなだれた。梢は頭をポリポリと掻きながら、美緒の分も用意する。
 と、そこで榊原がむくりと起き上がった。
「梢、今から納豆を買って来い」
「自分で行けよ」
「……」
「……」
「食ったのはお前だよな?」
「悔しかったらさっさと食っとけば良かったんだよ」
 今度はこっちで大戦勃発しそうな勢いだった。そこで美緒が2人の間に割り込む。
「2人とも、朝から喧嘩は駄目ッ!」
 普段は弱気だったが、そんな美緒でさえ強気になって止めようとするほど、両者の喧嘩は日常的なものだった。美緒に止められると、梢も榊原も何も言えなくなる。
「ちっ……夕食のとき、よろしく」
「……仕方ねぇ」
 二人とも渋々と引き下がる。そんなやり取りを見ながら、霧島と吉崎は待っていた。
 ――ニンニクが弱点なのはゾンビじゃなくてヴァンパイアだろ、というツッコミを。
「ちなみに意図的に無視してるんだ」
「酷いぞ梢ッ!」
 霧島は涙を流して梢の首を絞めにかかる。
「お笑いはボケだけじゃ成り立たないんだッ! 少なくともツッコミ、あるいはボケに対する笑い! そうした反応がないと、ボケ役はただのバカっぽい人になってしまうだろうぐぁぁ!」
「ぐぉぉぉぉぉっ!?」
 梢は首を絞められながら、何かを必死に抗議しようとする。しかし、結局口からは言葉ではなく泡が出てきた。
「あ、気絶した」
 吉崎はなんてことのないように言う。
 この家では、よくあることなのだ。



「朝っぱらから三途の川を渡りかけたぞっ!?」
 目覚めるなり、そう叫ぶ梢。あれから小一時間程気絶していたのだ。
 目の前には誰もいない。と言うよりも、リビングで一人だけ放置されていたらしい。
(俺は、何にツッコミ入れてたんだ……?)
 虚しすぎた。
 玄関口の方を見ると、全員分の靴がある。外出しているわけではないらしい。
 その割には家の中が静かだった。
 広い、武家屋敷のような家だ。こう静かだと、子供心に多少の寂しさを覚える。
 いかに内面が普通の子供たちと違っていても、心の根底にあるものは同じものだ。
「とりあえず、探すか」
 一応台所をチェックしてみる。見事に食器がごちゃごやと置かれていた。
「……まずはこれを洗えってか」
 ため息をつきながらそれらを洗い、探索を始めた。



 まず確実にいそうなところから見てみることにした。
 榊原の部屋である。
 あの様子からして、少なくとも彼は自室で寝入っているものだと思ったのだ。
 榊原宅は、一階が和風の作りになっており、二階が洋風の作りになっている。なんでも先々代……つまり幻の祖父にあたる人物が改築する際にそうしたらしい。
 当代の当主である幻は和風贔屓の性質で、一階の隅の方に自室を確保していた。
「入るぞ~」
 ふすまにノックするというのも変な感じがしたので、一言断ってから入る。中には、安らかな寝息を立てている榊原の姿があった。久々の睡眠だ。そう簡単には起きそうになかった。
「で、何やってんだよ兄貴」
 部屋の隅っこの方で押入れの中から二本、足が生えている。大人の足だ。榊原を除けば、現在家にいる人間であの足の持ち主になり得るのは一人しかいない。
 顔を出さないまま、何故か霧島は足をヒョコヒョコと動かしながら、
「何って決まってるだろ。師匠の秘密を探るチャンスじゃないか!」
「そんなもん知ってどうすんだ?」
「お前は気にならないのか、普段から無敵超人振りを発揮する師匠の秘密を! それさえ解明できれば俺も今日から無敵超人だ!」
「一応聞いとくけど本気か?」
「二割がたは冗談だ」
 つまり八割がた本気ということらしい。
 ついでに言うと、口の変わりのつもりなのか話すたびに足がひょこひょこと動く。はっきり言って、気色悪い。
「まぁとりあえずお前も手伝え。きっと面白いか――――」
 梢は思わず、せわしなく動き続ける足を掴んで止めた。
「……」
 途端、霧島の声がしなくなる。続いて、なにやら「うっ」という声が聞こえてきた。
 苦しいのだろうか。
「兄貴、苦しいのか」
「もがっ、もががっ」
 試しに足を離してみる。
「っ……はぁーっ。ぜぇっ、ぜぇっ」
「……」
 まるで足で息をしているようだった。
 もう一度足を掴んでみる。
「もがっ、おががっ、ばばぜっ」
「日本語喋れ、口で喋れ」
 足を離す。
「無理だっ。あんな状態でどうしろとっ!?」
 足を掴む。
「もがっ、むぐっ、もごがぁっ」
 かなり苦しいようだった。
 今度はしばらく離さずに、持ち続けてみる。二分ほど経つと、霧島の身体から力が抜けていった。
「まさか、兄貴……本当に足で息してたのか!?」
 霧島からの返答はない。どうやらマジのようだ、と梢は思った。
 意外すぎる新事実。なるほど、確かに霧島は自分と同じく人類の規格外だ。だが、身体構造は人間と同じだと信じていた。そんな想いが、打ち砕かれる。
 次に浮かび上がってきたのは恐怖だった。
 ――――まさか、俺もかっ!?
 慌てて、鼻や口を使って呼吸をしてみる。
 正常だった。
 どうも霧島だけが異端であるようだ。
「兄貴……」
 何か、遠いものを見るような眼で霧島(の足)を見る。
「俺は、例えあんたが足で息してても……弟分でいてやるからなっ!」
「っていうか助けろよ」
 いきなり霧島が復活した。
「師匠が押入れの中に仕掛けてた罠のせいでちょいと呼吸困難になってな。意識を失ってた」
「紛らわしいんだよクソ兄貴!」
「文句なら俺じゃなくて師匠に言え」
 言って、霧島はようやく顔を押入れから出てきた。
 榊原が仕掛けた罠とやらのせいか、その顔は真っ白になっていた。粉だらけである。
 顔面粉末男は満足そうな笑みを浮かべて、押入れからの戦利品を掲げた。
「ほれ梢、いいものを見つけたぞ。やはり師匠とて男。こういう雑誌の一つや二つは持ってると思ってたぜっ」
「男なら持ってる本? なんだ、俺も持ってたほうがいいのか?」
「ああ、当然だ。よし、これをお前に進呈しよう」
 紙袋に包まれた雑誌を霧島が梢に手渡そうとした瞬間。
 びゅおっ。
 そんな音と共に、霧島のいた場所を座布団が貫いていた。
「おわっ」
 慌てて回避したものの、霧島は体勢を崩す。
「……どういうつもりだてめぇら」
 噴火寸前の悪鬼がいた。まぁ目が覚めてもおかしくはないよなぁ、などと思いつつ。
「兄貴がなんか漁ってた」
「おいっ!?」
 あっさりと自分のことを売り渡そうとする弟分の行動に軽いショックを受ける霧島。
「ホゥ……」
「い、いや……梢も共犯だぞ、師匠!」
「俺は止めようとしたんだ」
 こういうときだけ子供っぽい口調で訴える梢。実に世慣れしている。
「まぁ、アレだ。眠気覚ましに、稽古つけてやる」
「師匠は最近頑張りすぎなので寝てたほうがいいと弟子として心配してみたりする次第であります」
「なら大人しくしてろや……」
 そのまま霧島は引きずられていった。おそらく憂さ晴らし……もとい、鍛錬に一時間くらいはつき合わされるだろう。なんだかんだで霧島はやりぬけていそうだが、それはまあ梢には関係ない。
 ただ一つ、気になるのは……。
「何の本だったんだ、あれ」
 子供の知らなくて良いものである。



 次にやって来たのは美緒の部屋。梢にとってもあまり馴染みのない場所である。
 美緒はなかなか人を自分の部屋に入れたがらない。家の掃除を担当する梢でさえ例外ではない。現在梢は美緒の部屋に、数えるほどしか入ったことがなかった。今回も中に入るつもりはなく、外から様子を伺うだけにしておくつもりだった。
 二階に上って、階段のすぐ近くにあるドア。その向こうが、美緒の部屋である。
 コンコン。
「美緒ー、いるのか?」
 ドタドタドタドタッ!
 なんだか物凄い音がした。
 中に誰かがいるのはほぼ間違いない。
「いるのか、返事しないと入るぞー」
「ちょっと待ってっ」
 慌てたような声。
 この声を無視してドアを開けたならば、なんとなく泣かれそうな気がするので辛抱して待つ。
 しかし、気になるのは……。
「部屋の中に、二人分の気配がするな」
 先ほど霧島は榊原に連行されて行ったばかりだ。残るは美緒と吉崎。それ以外に該当者はいないはずである。
「吉崎ー、いるのかぁ?」
 試しにそう声をかけてみる。
 しばしの間、静寂が訪れた。
 ガタタタタタタッ!
 先ほどよりも大きな物音。どうやら部屋の中は大パニックのようだ。
(っていうか何が起きてるんだ?)
 少し悪い気もしたが、梢は部屋に突入することにした。
「入るぞ」
 ドアを開けて、中に入り込む。
 そこにいたのは二人の少女。
 一人は美緒。もう一人は……どこかで見たような、見てないような、そんな相手だった。
 二人はなにやら珍妙な格好で固まっていた。どうも駆け回っていた最中だったらしい。
「……誰?」
 美緒の隣にいる少女を指差し、眉をひそめる。
 美緒の友人だろうか。それにしては、玄関先にそれらしき靴などなかった気がするのだが……。
「わ、私のお友達っ」
 慌てて美緒が、その“お友達”を庇うように、梢と彼女の間に入り込む。
「ふーん」
 梢はそう言うと、美緒の背後に隠れている友達に向かって軽く会釈した。
「美緒の兄貴の梢だ、よろしくな」
「……」
 “お友達”は無言で頷くだけだった。
「じゃ、俺邪魔みたいだから」
「あ、うん……ごめんね」
「いいって」
 気にするな、と告げてから梢は部屋の外に出た。
 そのまま数秒、沈黙。
「ふぅ、危なかったぁ」
「だね……」
 その声を聞いた途端、梢は再び部屋に突入。
 有無を言わさず美緒の“お友達”……女装した吉崎の頭をはたいた。
「お前は何しとるかっ!」
「仕方ないだろ、美緒ちゃんがやってくれって頼むんだからよ!」
 やけくそになったのか、逆ギレして吉崎が喚きだした。
「言っとくけど俺はノーマルだ。極めて普通だっ、女装なんぞ好き好んでやるわきゃないだろっ」
「五月蝿い、この変質者め。これからは吉子と呼んでやる」
「吉子って吉崎から取っただろ!? せめてそれなら名前から取って和子にしやがれっ」
「分かった、やーい和子。おい和子。吉崎和子ー」
 墓穴を掘った。そのことに気づいたとき、既に吉崎は敗者だった。
 膝をついて、地面を殴りつける。
 なんだかとてつもなく惨めだった。女装させられているだけに、なおさら。
「で、なんでこいつを女装させたんだ?」
「あっ……えっと、似合うと思ったから」
 すばらしく単純な理由である。
「ちなみに美緒の頼み断ってたらお前に地獄車を放つつもりだったぞ」
「そういう兄貴がいるから俺も逆らえずに女装せざるを得ないんすけどねぇっ!」
 涙を流す吉崎。なんだかとても哀れだった。



 女装の刑から解放された吉崎を引き連れて、梢は道場の方へと向かった。覗き込むと、なにやら床板がぶち抜かれている。
 そんな道場の真ん中では、霧島が悠々と寝転がっていた。
「どうだった?」
「まぁ不機嫌度中の上ってとこだな」
 その顔はボコボコだった。おそらく榊原の鍛錬に付き合わされた結果だろう。つき合わされたのが吉崎ならば生きちゃいない。
「今は部屋に戻ってる。というわけで散歩に行こう」
「いいよ、めんどい」
「同じく」
「なんて付き合いの悪い弟分たちだっ!」
 霧島は頭を抱えて、目から滝のような涙を流す。
 だが、即座に泣き止むと、どこからともなくバットとグローブを取り出した。
「じゃそこの空き地まで野球しにいくぞ」
「いいよ、めんどい」
「同じく」
「シャラーップ!」
 そう叫ぶと、二人の襟首を黙って掴んだ。
「美緒ー、俺たちはそこの空き地で野球してるからなー」
 美緒の部屋目掛けて大声で伝える。これで榊原が再び目を覚ましたら、とてつもない大惨事が起きそうだが、霧島はそんなことを気にするタマではなかった。
「分かったー、いってらっしゃい、直兄ー」
 姿は見えないが、声だけは聞こえる。思えば霧島と話す様になってから、随分と美緒も明るくなったものだった。



 夕暮れ時。空き地には、三人の馬鹿が寝そべっていた。
「疲れたな」
「ああ」
 その声には、確かに元気はない。しかし、達成感に満たされた何かがあった。
「そろそろ家に帰って飯作らないとなぁ」
「師匠も起きてるかもしれないしな」
「今日は二人とも、泊まるんだっけ?」
「ああ、明日も休みだし」
 のんびりと語り合う三人。
 夕風が、気持ちよかった。
「明日も騒がしくなりそうだな」
「そだな」
「――――こんな日が、いつまでも続けばいいよなぁ」
 ふと、静かに霧島が告げた。それは梢や吉崎に向けた言葉ではない。遠くにいる、大切な誰かに伝えるような、そんな声だった。
「お前らと、いつまでも馬鹿なことやり続けてたいもんだ」
「俺は嫌だ……身体が持たない」
 吉崎の言葉に、二人は笑い出した。
「そんなことじゃ、困るぞ相棒」
「そうだぞ、お前ももっと強くなれ、いろんな意味で」
「ちっ……なってやろうじゃないの」
 それは無理だ。吉崎は普通の人間で、梢や霧島は普通ではない。
 それでも、この二人と一緒にいるためなら、多少無茶をしてでも強くなってやる。吉崎はそんな風に考えていた。
「さて、それじゃ帰りますか」
 ゆっくりと起き上がって梢が告げる。霧島や吉崎も立ち上がり、後に続いた。
 夕闇が広がりつつある時間に、三人の兄弟が家路につく。
 広い広い大きな家に。