異法人の夜-Foreigners night-

-外伝-
異人刑事(後編)
 ――――――――――――――――――――/第三日

 さて、さすがにこうなると祟りだなんてことは言っていられない。
 今回の事件は明らかな殺人である。
 それも相当な悪意が秘められたものだ。
 俺と倉凪は一旦署へ戻る。
 すると神田課長や同僚の刑事たち、それに見慣れない連中がいた。
 見慣れない連中に関しては言うまでもなく、県警からの応援だった。
 こいつらが本庁の連中よりマシであることを切に願いたいところだったが、ちょいと話しただけで同レベルだと判断した。とことんキャリア組とは合わないのかもしれない。
 俺の隣で倉凪は今回の事件に関しての報告をしている。
 当然魔術だなんだという非現実的な部分な省いている。
 そのためなんとも頼りない報告になった。
「そんな報告では分からんな。まったく、今まで何を遊んでいたんだかね」
 県警の連中のうち一人がそう言った。
 うるせえよ、てめえらなら解決出来んのかこの野郎。
「これからは我々の指揮下に入ってもらう。それでいいな」
 なんともお決まりの展開だ。
 俺と倉凪は互いに顔を見合わせ、揃って嘆息するのであった。

 俺と倉凪は事件の捜査から外れた。
 わざと県警の連中を挑発して外してもらった、といった方が正しいかもしれない。
「どこもかしこも、変わらねぇ……」
 本庁だろうが県警だろうが、相対的に見れば大差はない。
 全く、ここに来れば何か変わると思っていたのか俺は。
 くだらん戯言じゃあるまいし。
「愚痴ったところで仕方ないよ。それより見つかったかい?」
「いや、家にもいないし学校関係のところにもいない」
「どこ行っちゃったんだろうなぁ、綾ちゃん」
 そう。
 俺たちは今、玉城綾を探している。
 あのとき倉凪が見かけた以降、行方が知れないのだ。
 そのことが気になると言い張る倉凪の言に従って、只今捜索中。
 確かに彼女の存在は、なにか気になるものがある。
 彼女の家の裏から遺体が発見されたのと同時に失踪。
 その前日には泥棒に入られたという、被害者であるはずの少女。
 彼女がなんらかの形で事件に関わっていても、加害者ではないことを願いたい。
「はい、コーヒー」
 と、上着を着込んできた嶋さんが差し入れをくれた。
 既に勤務時間は終わっているのだが、こうして俺たちに付き合ってくれている。
 基本的に面倒見のいい性格なのだろう。
 申し訳ない気もしたが、助かることは助かる。
「ども」
「はい、倉凪君も。奥さんにはちゃんと連絡したの?」
「それは勿論。浮気じゃないって証明するために榊原君にも出てもらいました」
 ……無理矢理電話に出されただけだが。
 何の前触れもなく、俺は保証人のようなものに仕立て上げられてしまったのである。
 ちなみにあの奥さん、倉凪の伴侶だけあって一筋縄ではいかなさそうだった。
 異性に対する興味とはかけ離れているが、一度会ってみたいもんだ。
 顔を使い分けることで人を欺く倉凪司郎が詐欺師なら。
 あの奥さんは、愛と正義に溢れた探偵といったところだろう。
 性格に関しても。
 馬鹿すぎるほど温厚な性格と。
 危うすぎるほど猛々しい性格。
 倉凪司郎。
 こいつは二つの物を持ち合わせている。
 それも、両者が成立することで釣り合いが取れるような、際どいもの。
 ……何故そんなことを思ったのかは分からない。
 ただなんとなく、というそれだけのものだ。
「嶋さん、これ以上遅くならないうちに戻った方がいい」
 俺が無意味な思考に耽ってるうちに、自称女性に優しい男である倉凪司郎はそんな提案をしているようだった。
 当然そのことに異存はない。
 女性だからという理由だけでなく、今回は相手が悪すぎる。
 万が一遭遇したら、まともに相手が出来るかどうか。
 無理に決まってる。
「なんなら俺たちで送ってくけど、どうします?」
「大丈夫大丈夫、私護身術の類は一通り習ってるから。柔道でも段位持ってるしねー」
 手をヒラヒラと振りながら、嶋さんは夜の闇へと消えた。
「しかし倉凪、もう夜遅くで巷では殺人鬼がうろついてやがる。ここは一旦二手に分かれた方がいいんじゃねぇのか」
「と言うと?」
「俺は警察署。お前は彼女の家。そのどちらにも戻ってなかったら……ヤバイと思うぞ」
「……そうだね。ここをこれ以上探しても仕方がない。それが最善の策だ」
 そうと決まれば話は早い。
 俺たちはすぐさま分かれて、行動に出ることにした。
 何故俺は、そんな馬鹿な真似をしたのだろう。
 後になってみれば。
 この提案は、愚かとしか言いようがなかった。

 おかしかった。
 明らかにおかしかった。
「……何?」
 辿り着いたのは警察署。
 俺や倉凪が数時間前までいた場所である。
 当直がいるはずの警察署内は、まるで異空間と化したかのような静けさだった。
 というより、実質異形の空間と化している。
 人の気配がしないどころか、建物などに感じられる『人の匂い』さえもが失われている。
 まるで最初から人がいなかったかのような。
 人に使われることなどなかったかのような。
 そんな建物が、あっていいはずがない。
 それならば答えは単純だ。
 これは警察署なんかじゃない。
 もっと異質な何かであり、そんなものが俺の目の前に現れたということは……。
「――――ハン。倉凪がいなくなった途端潰しにかかってくるとは、随分と立派なチキンハートの持ち主だな」
 それは単なる強がりに過ぎない空の声。
 意味を成さない言葉を発することで、意味のない相手を呼び起こすだけのものだ。
「無駄なことをしたくない、と思っただけだがね」
 ビンゴ。
 俺の言葉に乗ってか、相手は姿を現した。
 仮初の警察署から亀裂が走り、その中から吐き出されるような形で一人の道化師が姿を現した。
 舞踏会にでもつけていくような仮面で顔を全て隠している。
 さらに黒マントの下にはだぶだぶのシャツ。
 ファッションセンスは最悪だが、正体が悟られにくいという点では便利な格好。
 そしてなにより、よくよく見ていると非常に不気味。
 ……不快でたまらない。
「さて紹介しておこう。私は魔術師。異名もなければ所属もない。酔狂な名無しのはぐれ魔術師だ」
「環境保護のために頑張ってますってか? 随分と立派なことだな」
「そんなものは知らんよ。私自身に意思などないさ」
 大袈裟な調子で両手を広げてみせる魔術師。
 やけに隙だらけで腹が立つが、俺にできることといったら睨むことくらいだろう。
 真面目な話、俺みたいなただの人間が魔術師だの異能力者だのヴァンパイアだのとやり合おうという時点で間違っている。
 せいぜい倉凪と一緒なら安全、という程度であり、その点では俺も嶋さんと大差ないのだった。
 それを俺は自ら放棄したようなものであって。
 自業自得としか言いようがなかった。
 チェーンソー持ったジェイソンに対して、五歳くらいのガキに何ができる。
 俺のこの状況とは、つまりそういうものだ。
「だったらなんで連中を殺して回ったのかね。刑事の性なのか、動機とか気になるんだがよ」
「簡単なことだよ。そう――――実に簡単なことだ。君は大切なものを傷つけられて、黙っていられるかい」
「生憎と大切なものを持ち合わせていないんでね。分からんな」
「寂しい。実に寂しい人生だな。だから私が教えてあげよう。……黙ってなどいられない」
 ぐしゃりと、何かがつぶれる音がした。
 マントの下から伸びている魔術師の腕。
 そこからさらに“もう一本の腕”が生えていた。
 ――否。
 それは魔術師の腕などではない。
 だから生えていたなどと形容するのは間違っている。
 それは、ただそこにある物。
 ただ魔術師が持っているだけの、腕だけの――――。
「……ッ」
 ヤバイ。
 俺は自分自身を変わり者だと思っていたが、それでも“こんなもの”を見せられてはたまらない。
 いつの、何処の被害者だから知らない。
 だがそれは今までに失われてきた被害者たちのパーツなのだろう。
 人間をこんな形で見ることになろうとは思っていなかった。
 おまけに相手はそれをゴミクズのように握りつぶしている。
「こんな風にしたくなるくらい」
「狂ってるぜ、お前」
「褒め言葉をありがとう」
 当たり前のように言いやがる。
 魔術師ってのはどいつもこいつも狂人なのか。
「で、俺はどうなる?」
「貴方に恨みはないんだけどね――――まぁ、死んでくれ」
 馬鹿みたいにあっさりと言いながら。
 ……俺を殺す魔弾が放たれ、
「勝手に俺の相棒を殺すなよ」
 その声は。
 あたかも、全ての道理を覆すかのように放たれた。
 そして、偽りの世界は砕け散る。
 俺の記憶はそこで途絶えた。

 ――――――――――――――――――――/最終日

 目覚めは最悪だった。
 なにしろ車の中で目が覚めたのだから。
 当然のように、運転席には倉凪が乗っていた。
「グッモーニン、榊原君」
「……おはようございます」
 最初は気づかなかったが、助手席には玉城綾がいた。
 どうやら倉凪はあの後、無事に彼女を保護したらしい。
「……ちっす」
 痛む頭を抑えながら身を起こし、車の外を見る。
 どうやらここは市長宅付近らしい。
 今は一体、どういう状況なんだろうか。
「とりあえず綾ちゃんの相手をしながら、ここで朝待ってたんだよ」
「なんでだよ」
 なぜ彼女をここに置いておくのか。
 そして、なぜこの場所なのか。
 両方の意味を込めて尋ねたのだが、倉凪は笑って取り合わない。
 代わりに、意外だが玉城綾が口を開いた。
「私……知ってるから」
「は?」
「あ、ご、ごめんなさい……」
 ……普通に尋ね返しただけのつもりだったが、怯えられてしまった。
「怯えるな、別に怒っていない。で、何を知っているんだ?」
「あ……えと、その……おじさんを襲ってた人」
 誰がおじさんだ小娘。
 と、そうじゃないだろ俺。
「つまり連続殺人犯か。知り合いか?」
「分かんない……でもこの前助けてくれた」
 この前というと、泥棒に入られたときのことだろうか。
 そのことを尋ねようとしたら、倉凪の鋭い視線を受けてしまった。
 これ以上は尋ねるな、ということらしい。
「綾ちゃん、ちょっとここで待っててくれるかな。このおじさんとちょっとお話したいことがあるんだ」
「……分かった」
 素直に頷く彼女を残して、俺たちは車から出る。
 少しばかり距離を置くと、倉凪はあの戦士の顔つきへと変化した。
「――――よう、大変だったな。俺が助けてなけりゃ死んでたぜ、お前」
「そりゃどうも」
 いい加減慣れてきた。
 人間の適応能力とは偉大なもんだ。
「で、何から聞きたい?」
「事件の真相だな。倉凪、あんた薄々気づいてるだろ」
 犯人と遭遇して、まだ事件は終わっていない。
 それでいて倉凪のこの余裕は、何かを掴んでいるとしか思えない。
 倉凪はとぼけた顔でせせら笑う。
「ハン、それくらい自分で考えてみろよ。ま、難しく考えるな。ヒントはせいぜい――――この事件は、別にミステリでもなんでもねぇ。ただのハッタリだってことだ」
「ハッタリ、ね」
 思い当たる節はなくもない。
「人間の見方なんて勝手なもんだな。言葉を発する側の意思は発する側にしか理解できず、受け取る側は勝手な想像とも妄想ともつかないもんで決めつけちまう」
「……ほぉ、気づいたか」
「まぁな」
 あえて言葉にして確認する必要もないだろう。
 おそらく俺と倉凪の解答は同じものだろうから。
 仮に違っていたとしても、俺の方が正しいという自信はある。
 なにしろ犯人自らが『環境保護などどうでもいい』と言っていたのだから。
 あれだけ狂気を帯びた目で言った言葉だし、なにより奴は俺を殺すつもりでいた。
 ならば、あれで嘘ということはないだろう。
「もっとも、まだ分からんものもあるんだがな……」
 本当の動機。
 それがまだ分からない。
「おいおい、分からんものは分からんでいいじゃねぇか。俺たちは探偵じゃねぇ、刑事だ。要するに犯人捕まえりゃいいんだよ」
「で、真相は犯人に吐かせりゃいいと」
「そういうこった」
 ならあれこれと考えるのは止めにしよう。
 元々俺はさほど頭を使うのが得意な方ではない。
 その辺りは倉凪に任せておけばいい。
「だが利口な奴だぜ、昨日は俺が結界の外から声かけただけで逃げ出しやがった。不確実なことは一切しないタイプだな、面倒くせぇ」
「あれが結界というやつか……」
 俺としてはそんな生易しいものではなく、本当に異世界に連れ去られた気さえしたのだが。
 そう言うと、倉凪は「成る程」と頷いた。
「異世界たぁいい表現だな。結界ってのは確かに突き詰めてみれば異世界だよ。ほら、よく“自分の殻に閉じ篭る”とか、“自分の価値観を人に押し付ける”とか言うだろ。
その殻だの価値観だのといった、そいつ自身しか分からんものはそいつだけのモノ。そいつだけの世界。それをはっきりと形にしたのが結界ってやつなんだとよ」
「そうなのか……」
「入ってみれば術者の人となりが肌で感じられるぜ。どうだった?」
「ひどく落ち着かなかったが……それは俺があんなものに慣れていなかったからだろう」
「は?」
 倉凪は、心底馬鹿にしたような声を出した。
 ……今、俺は何か変なことを言っただろうか。
「お前、もしかして自分の特異性に気づいてない?」
「――――」
 特異性。
 そんな言葉、特異性だらけのお前の口からは聞きたくない。

 俺たちは署に戻らず、勝手に動くことにした。
 玉城綾が連れというのはかなり不便だったが、今は誰かが側についているべきだろう。
 出来ればその役は嶋さんに譲りたかったが、どうも生憎とまだ朝が早い。
「だからこそ動きやすいんだけどね」
 また元に戻った倉凪は、現在書類に目を通しているところだった。
 どうやら昨晩のうちに嶋さんから受け取っていたものらしい。
「誰のこと調べてんだ?」
「綾ちゃんのお父さん」
 ちなみに現在玉城綾は後部座席にして就寝中。
 狸寝入りか本当に寝入っているかの違いは分かるので、そこは心配ない。
「それがあの仮面野郎か」
「多分ね。綾ちゃん助けたって言うし、それに今回の事件との関わりも一応ある」
「関わり……?」
「一昨日の被害者。仏、どうやら最近出回ってた泥棒らしい。嶋さんが言ってたの覚えてるかい?」
「生憎と記憶力はさほどないんでな。覚えてない……だがあんたの言いたいことは分かる」
 最近出回っていた泥棒が、変死体で発見された。
 その犯人と思われる魔術師は、玉城綾を助けた。
 つまり、あの仏がなんらかの形で玉城綾に害を及ぼそうとしたのを、防いだ。
「だから父親か。他に親類は?」
「いないよ。母親は既に病死してるし、親戚も全滅」
「ふむ。それで、見覚えはあるのか?」
「見覚え? そんなのないけど、なんで」
「いや……魔術関係での危険人物だったりするのかと」
「俺は組織に属さないタイプの人間なんだよ。だからそういった情報はあまり入ってこない」
 警察は組織じゃねぇのか、と突っ込みを入れたい。
 もっともこいつ、警察内にいるだけであって、かなり好き勝手にやってそうな気がするが。
 だとしたら所属しているという表現は、あまり適切ではないのかもしれない。
 そこまで思い立って、ふと俺はある考えに辿り着いた。
「まさかあんた、玉城綾をここに置いてるのは人質のつもりとか言うんじゃないだろうな」
「そんなことするわけないだろ。榊原君、腹黒ーい」
「……」
 お前に言われたくはない。
「彼女は一度凶行の現場を見てるんだ。切り落としだのなんだのというエグイところは見てないそうだが、ショックは大きかったろう」
「それはまぁ……」
 自分の家に見知らぬ大人が侵入。
 それに気づき、同時におそらくは気づかれたのだろう。
 そして危ないところを、仮面の男が助け出した。
 子供にとってはあまりにショッキングだろう。
 いろんな意味で。
「彼女は奴との対決には連れて行かない。後で署に連れて行くよ」
 昨晩のうちに署へ戻らなかったのは、結界の後遺症が残っているかららしい。
 倉凪が手を施しておいたので、そろそろ元に戻るとのこと。
「署まで送れば、あとは嶋さんに任せるよ。そのときに何か新情報が入っていれば幸いだね」
「動くのはその後か」
「ああ。署まで行ったら君も降りるかい?」
 ふと、倉凪がそんなことを言った。
 当然車から降りる、などというものではないだろう。
 ……舐めやがる。
「昨日のことを心配してるならそれは無用だ」
「……へぇ、本当に?」
「ああ」
 どこか試すような視線を受けながらも、俺は平然と言い放った。
「――――もう慣れた」

 署まで戻り、玉城綾を嶋さんに預ける。
 その後、俺たちはまた別れた。
 俺の方に奴が現れれば良し、そうでなくとも奴の居場所を突き止めなければいけない。
 俺は市長宅前の張り込み。
 倉凪は、玉城貴史の調査。
 というわけで、現在俺は一人で車の中。
 いい加減同じ場所ばかり見るのにも飽きてきた頃だった。
「……ん?」
 光景に変化が訪れた。
 無意味にでかそうな市長宅の門が開き、中から黒塗りの車が出てきたのだ。
 誰が乗っているかはよく見えない。
 しかし、ここ何日かでこうしたアクションはなかった。
「つけるか」
 危険な匂いが漂う。
 だがそれに飛び込まなければ、この事件は終わらない。
 そんな気がした。

 ある程度の距離を保ちつつ尾行をすることにする。
「これは、やばいな」
 段々と町の外れに誘導されている。
 このまま進めば人気のない森へと辿り着く。
 もし奴が俺を襲うなら、昨日の署などよりもはるかにやりやすい。
 いちいち結界など使う必要もないだろう。
 だからと言って、恐れる理由にはならない。
 状況がどんなにやばかろうと、もう慣れている。
 恐れる段階はもう終いだ。
 なにより俺は追う側で、奴は追われる側だ。
 立場をしっかりと分からせてやらねばならない。
「っと、着いたか」
 公道からはとっくに逸れた、森の中。
 そこで黒塗りの車は止まった。
 ここまで来れば当然こちらのことは気づかれているだろう。
 俺は車からさっさと降りる。
 黒塗りの車からは誰も出てこない。
 沈黙が続く中――――当然のように、車の中からはあの仮面野郎が出てきた。
「よう、先日はどうも」
「分かってて来たのか。――おそらく私の正体にも気づいているのだろう」
「はっ、今どき仮面なんざ変態かお前は。娘が気の毒だろうが」
 それはつまり肯定の言葉。
 もはや正体を隠す必要もなくなったからか、男は仮面を外した。
 その下にあるのは、倉凪が見ていた資料に載っていた顔。
「あの空き巣さえいなければ、ばれなかったのだろうか……」
「いいじゃねぇか、娘の危機を救ったんだろ。あの殺し方を見る限りじゃ、あんたは心底娘を大切に思ってるようだ」
「……刑事にそんなことを言われるとは、思わなかったな」
「俺は変わり者なんでね。――で、どうする魔術師。自首するか?」
「まさか。そうならないために今まで足掻いてきたんだ……中途半端は嫌いでね」
「なら、完膚なきまでに叩きのめしてやることにしよう」
 あらかじめ身体に必要な動かし方がインプットされているのか。
 今回の俺は、自分でも驚くくらい、落ち着き、無駄のない動作で構えた。
 相手もそのことに気づいたらしい。
 昨日のような余裕は見せず、不愉快そうな視線をこちらに向けてきた。
「あちらの刑事が魔術師だというのも厄介だが、君はなんなんだろうな。普通の人間なら、私の結界に入った時点で無力な肉の塊となるんだが」
「普通の人間だよ、俺は。ただ昔から、順応性が高いことだけが取り柄でな。今も不快といや不快だが」
 身体が動く。
 どう動けばいいのかなど、いちいち考える必要もない。
 相手の手の内などこちらは知りようがない。
 ならば先手を打ち、相手の手を見極め、そのうえで策を練ればいい。
 それはただの思考。
 俺の行動を一言で表すなら、これが正しい。
 ――――相手が反応するよりも早く、野郎の顔面を殴りつけた。
「が――はッ!?」
 それは予想外だったのだろう。
 あってはいけないことだったのだろう。
 野郎――玉城貴史の顔は驚愕に満ちている。
 まるで世界が壊れたと言わんばかりに。
「どうした、一般人が魔術師殴りつけたらおかしいかよ」
「こ、の――!」
 素早く、だが無駄だらけの動きで蹴りが放たれる。
 受け流して反撃に転じるのが定石だが、魔術師相手にそれは下策だ。
 無理せず避けて、一旦距離を取る。
 奴はあからさまに嫌な顔をした。
 やはり避けて正解だったらしい。
「――――分かってるじゃないか」
 笑みにならない笑みを浮かべて、狂気の魔術師が迫る。
 俺はその攻撃を避ける。
 避ける。
 避ける。
 避ける。
 こちらが攻めることをしない以上“攻防”とは言いがたいが、俺と奴との殺り取りは続く。
 そのうちに分かったことは二つ。
 奴の身体能力は大したことがないということ。
 もっとも魔術師は“強化”することが可能らしいので、油断はできない。
 もう一つは――――二流の動きでありながら、構わず攻撃を繰り返しているということ。
 これはつまり、この攻撃の裏に何か仕掛けがあるということ。
 おそらく捕まったらやばいことになるだろう。
 脳梗塞引き起こして死ぬか、別の要因で死ぬか。
「中々素早いな……!」
「お前が遅いんだよ阿呆が。だが、魔術師相手とは厄介だ」
 どこからどう攻めればいいのか、まるで分からないという点が特に嫌だ。
 だから動けない。
 いや――違う。
 そんな風に考えるのは俺じゃない。
 俺はただ順応していけばいい。
 人間慣れれば――――“どうとでもなる”。
 無駄のない動きというものは感覚が薄れていく。
 自動人形に感覚というものは必要ないのだ。
 だから、さっきまでよりも更に感覚が薄れる。
 分かるとか感じるとか、そんなものすら超越して。
 俺は、この相手に順応していかなければならない。
「だったら、自分から向かわないとな……」
 ぼそりと呟いた俺の言葉が届いたのだろう。
 狂気の魔術師は、狂喜の眼差しで俺の腕を掴んだ。
 途端――――腕が痺れた。
 痺れたというより、感覚が鈍い。
 まるで長時間腕を握り締めて、指先の感覚が消えていくかのような――。
 それも、とても急激に速度が侵攻している。
 これは相当にやばい。
 いくら俺でも慣れ得ないものだ。
 すぐさま距離を取り、掴まれた右腕を見てみる。
 今はもう感覚がない。
 このままだと後遺症とか残らないだろうか――ってそんな心配してる場合じゃねぇな。
「つまり、これが仕掛けか」
「……」
 思った以上に俺が冷静でいたからなのか。
 奴は少し警戒するように、こちらを見た。
「直接肌に触れることで血管内の血液を止まらせるってとこか。俺は医療関係はほとんど知らないが、こんなとこだろうよ」
「……」
「で、それって魔術としては凄いのか?」
「……そりゃあね。私のオリジナルさ」
 自嘲気味に笑う。
 その意味など分からないし、分かろうとする気もない。
 ただ、感覚が失われたことでかえって他の部分の感覚が鮮明になったことは、あまり嬉しくない。
 せっかく調子がよくなってきてテンションが高くなったところを、急に冷めちまった気分だ。
 それに右腕が使えないのは不便だ。
 だがまぁ――――それでもいいか。
 魔術師は迫る。
 遅い。
 ひどく遅い。
 ……それでは駄目だろう、魔術師。
「――――俺相手に、そんな動きでどうするよ」
 それは、まるで昨日の再来。
 誰かがピンチのときに助けに来るヒーローのように。
 魔法使いがやって来た。

「ようよう、もう逃がさないぜパパさん」
 クククッ、と笑いながら倉凪は、いきなり俺と魔術師の間に現れた。
「遅いんだよ、アンタ」
「悪かったな。まぁ間に合っただけでも良しとしたまえ」
 気軽に言ってくれるぜこの野郎。
 倉凪はそんなことにはお構いなしのようだった。
 もう俺の方など見向きもせず、相手の方へと向き直る。
「さてどうするよ。あんたはなるべくなら俺とは戦いたくないようだが」
「そうする必要があれば、やるしかないさ」
「おう、男らしいねぇ。ならこっちも遠慮なくいかせてもらうぜ」
 ジャキッ、と倉凪は二挺の拳銃を構える。
 トレンチコートの裏側にでも隠していたらしい。
 とんだ違法者だ。
「悪いけど仕事なんでな。とっ捕まえさせてもらうぜ」
「やれるものならやってみろ――!」
 魔術師が魔法使いに初手を仕掛ける。
 今まで俺に対しては素手だったが、今は手にナイフを持っていた。
 ナイフというよりは短剣か。
 刃の部分に変な模様が書かれているところを見る限り、魔術道具なのだろう。
 倉凪はそれを紙一重で回避し続ける。
 その動きは俺と大差ない。
 だが倉凪の顔は余裕に満ちていた。
「へいへいどうした、見たところ呪いの短剣、それもせいぜい風邪引かせる程度のもんみたいだが?」
「即効性の重症患者にするだけの代物だ。……充分だろうッ!」
 魔術師は一歩深く踏み込む。
 そこは普通引くべきところだが――倉凪は引くどころか、前に進んだ。
「ッ……!」
 魔術師が顔を引きつらせる。
 倉凪の野郎、あろうことか銃口にナイフの先端を突っ込ませて止めやがった。
 明らかに使い方間違ってる。
 そのまま銃口は上へと跳ね上げられ、それに伴いナイフも上へと跳ね上げられる。
 だが魔術師は止まらない。
 奴には血管を問答無用で機能停止に追い込むという切り札がある。
 一見地味だが、実際にやられると無茶苦茶厄介だ。
 あれを喰らえば、いくら倉凪でも危険だった。
 頭を掴まれれば、その時点で敗北は確定……!
「倉凪、気をつけ――」
 俺が言い終わるよりも早く、魔術師は倉凪の頭を鷲づかみにした。
「終わりだ」
 にやりと笑う魔術師。
 それだけで倉凪は死ぬ。
 意思一つで、倉凪は殺される。
 だが、
「終わるのはお前だよ、パパさん」
 ――――倉凪司郎は、平気な顔をして魔術師を蹴り飛ばした。
 驚愕を以って、魔術師は後退する。
 おそらくは俺も同じような顔をしていることだろう。
 切り札が通じない。
「……そうじゃない。今のはなんだ。“発動すらしなかった”だと……?」
 自らの手を疑わしげに見る魔術師を尻目に、倉凪は拳銃で肩を叩きながらシニカルな笑みを浮かべた。
「魔術ってのはよぉ、要するに術者の声を世界が聞くことで、世界が起こしてやってるってもんなんだよ」
 俺に対する説明なのだろう。
 倉凪は隙だらけの相手に追撃を加えることもしない。
「じゃあもし……“世界へ魔術師の声が届かなかったら”どうなると思うよ」
「発動、しない……」
 要するに、魔術師は依頼人で世界とやらが何でも屋だとする。
 両者のコンタクトが取れることで魔術という依頼が具現するのであれば、コンタクトがなければ魔術は起こりえない――。
 ということは。
 今が、そういう状況ということなのか。
「ま、まさか……」
 ガチガチと歯を打ち鳴らしながら、魔術師は倉凪を凝視する。
 ――否、魔術が発動し得ない状況ならあいつはただの玉城貴史に過ぎない。
 ただの一般人が、怪物にでも遭遇したときのような、そんな表情だった。
「聞いたことがある……<魔術師殺しの魔法使い>、<交渉決裂>、<世界を断絶させし者>。禁呪を以って世界と魔術師の繋がりを消し飛ばす魔法使い。二つの顔を持ち、二つの銃を持ち、二つの名を持ち、二つの魔を有する男」
 それは禁忌。
 決して触れてはならないもの。
 そんな意味を倉凪司郎は有している。
「魔術師にとっては鬼門中の鬼門、絶対敵性の持ち主、その名は――」
 その名は。
「――――<ダブル・ワン>」
 禁断の名が、告げられた。
「俺も有名になったもんだな。で、どうするよ玉城貴史――あんた、降参するかい」
「ぐっ……」
 それはあまりに酷薄な問いかけだった。
 この男は何か目的を果たすために、何人もの人間を殺してきている。
 もはや引き返せないところまできているのだ。
 降参など、
「あ、あああああああああああぁぁぁぁぁああぁぁあっ!」
 出来るはずがない。
 そしてそれと同じくらい。
「最後まで足掻くか」
 この哀れな男が、
「ハッ――――そういうの、嫌いじゃねぇぜ」
 <双一者>に勝てるはずなど、
「だがまぁ、残念だったな」
 ……なかった。
 暗い森を薙ぎ払う一筋の光。
 それで全てのカタがついた。

 こうして、この事件は幕を閉じた。
 謎解きがあるわけでもなく、ただ倉凪と一緒に犯人を追いかけただけの事件。
 結局俺は囮程度にしかならず、何やってたんだという感じの事件だった。

 ――――――――――――――――――――/2003年、9月1日

 その日、俺はいつものように強行犯係の席で煙草を吸っていた。
 家では吸わないことにしているので、ここで吸えるだけ吸っておこうというつもりだ。
 正確には、家だとあの馬鹿が五月蝿いから吸えないんだが。
 父親の方は酒も煙草も大好きだったんだが。
 遺伝子ってのは信用できん。
 そんな日。
 要するにいつもと同じで、割合暇だった。
 春先から夏までが忙しかったため、これを神様のサービスとでもするべきなのか。
 そんなことを考えていると、嶋さんがおばさんくさい笑みで表れた。
「榊原君、若い女の子が尋ねてきてるわよ~」
「うちの娘どものどちらかじゃないんですか。あるいはその友達とか」
 前に冬塚の嬢ちゃんが尋ねてきたことがあったが、そのときも散々嶋さんは俺のことをからかった。
「またまた、見覚えないコだったわよ。榊原君もそろそろ結婚とか考えないの?」
「思考の飛躍が過ぎますよ。もう少し落ち着いてください」
 面倒くさいもんだ、女は。
 ……それでも男よりかは百倍マシだが。
「どれ、ここじゃなんですから外で話してきますよ」
「食べたら駄目よー!」
 年を取ると物言いがあからさまになってくるな。
「……何か考えた?」
「いえ、何も」
 女は怖い。

 外に出てみると、確かに珍しい客が来ていた。
 嶋さんはもう覚えてないのだろうか。
「榊原さん、こんにちは。少しよろしいでしょうか?」
「ああ、久しぶりだな玉城。今は教師目指して修行中だったか」
 はい、と玉城綾は元気に答える。
 この娘も随分と変わったもんだ。
 ……あの事件、最終日。
 玉城貴史は、既に市長を殺害していたらしい。
 署まで戻ったところで俺たちはそのことを知らされた。
 そのため県警の連中がますますやっきになって捜索していた。
 その前に、既に玉城貴史は捕らえられている。
 警察とコネクションのある組織(おそらく魔術関係だ)に倉凪が預けたのだ。
 俺はその後の玉城貴史の消息などは知らない。
 ただ数日後には、上からのお達しで捜査は中断となった。
 玉城綾については、どうせがら空きなんだろうから、と一時期俺の屋敷で預かっていた。
 ……つーか倉凪が勝手に推し進めたんだが。
 そのときも嶋さんに散々からかわれ、一時期ロリータ将軍とあだ名をつけられた。
 当然倉凪はボコっておいた。
「里親が見つかってからも榊原さんにはお世話になってますからね。立派な教師にならないと」
「そうか、それは結構なことだ……それで、何の用だ?」
「あ、はい。父のことなんですが……」
 玉城貴史。
 現在はどうしているのか皆目検討もつかないし、どこにいるのかも知らん。
 今では顔もろくに思い出せなかった。
「玉城貴史が、どうかしたのか?」
「これを榊原さんに渡すようにと、父の知り合いの方から手紙が着たんです」
「……俺に?」
 綾から手紙を受け取り、中身を見てみる。
 そこにはあの事件の、最後の答えがあった。
 手紙の中には数年前の新聞の切り抜き。
『工事現場より多数の遺体発見、大量虐殺の跡なのか』
 そして、バラバラになった人形の絵が入っていた。
「これって、どういう意味なんでしょうか」
「……さあな。知らん方が良さそうな気がするぞ」
 綾には、玉城貴史は赴任先の事故で死んだと言ってある。
 世間的にはあの事件はあくまで未解決であり、犯人が検挙されたという事実は存在しない。
 だが、これは答えなのだろう。
 環境保護でもない目的で町の開発……工事に関わっていた人間を殺した理由。
 見つかっては困った。
 ただそれだけ。
 なるほど、確かにこいつはミステリーでもなんでもない。
 ひどく味気ない、しかも時期外れの終焉だった。
「玉城。これは俺が貰ってもいいんだな?」
「はい。私にはよく意味が分かりませんでしたし」
「ならいい。……これからも頑張れ」
「あ、はい。それはもちろんです。それじゃ、私はこれで」
 そう言って、我が家の元祖居候は走り去って行った。
「少しだけ、懐かしいな」
 ただそれだけのこと。
 感動的なものもなく、ただ振り回されてばかり。
 それが、相棒との出会いだった。