異法人の夜-Foreigners night-

-後日談-
第一話「二〇一二年・春」
 物心ついた頃、家の中にいるのは僕一人だった。
 母さんはいつも仕事に追われていて、家にいることはほとんどなかった。
 冷たい人ではない。どちらかと言えば暑苦しい人だった。
 いつも元気で、それでいていつも僕には謝っていた。
『また一人にさせてゴメンね。早く帰るように頑張るからさ』
 そう言って早く帰ってきた試しはない。だから母さんはいつも出会い頭に、
『約束破って本当にゴメン』
 と謝る。そのサイクルがお決まりになっていた。
 そんな母さんに反抗心を抱いたこともあるが、中学生の迎える頃にはそれも薄れた。
 母さんがなぜそんな大変なのかも理解できる年になった。それからは、家のことはなるべく僕がやるようにした。社会に出て働くことはできないけれど、それ以外のことはできるだけ自分でやろうと決めた。
 そんなある日――中学三年の夏、僕は怪異と出会った。それは日常のすぐ裏側に隠れていて、実はときどき見えていたかもしれないようなもの。けれど普通は絶対気付かないようなもの。
 その出会いが、僕の在り方を変えた。

 母は相変わらず忙しく、時には一ヶ月以上家を空けることさえあった。
 一方、私は私で家にいない時間が増えるようになった。
 様々な怪異と出会い、様々な不条理を知った。そして、それに立ち向かいたいと思うようになった。
 そのための具体的な目標があった。怪異や不条理を相手にする機関が存在する。私は早くからその組織と縁があり、いつかそこに入ると決めていた。
 御法機関。
 起源は徳川将軍家の隠密機関らしいが、今の形に落ち着いたのは日露戦争の頃だという。表向きにはできない魔術や異法・怪異といった不条理に対処し、民間人の安全を確保することに特化した機関だ。
 構成員には様々な立場の人間がいる。御法機関は魔術同盟や退魔組織より活動の幅が広く、その分様々な状況に対応しなければならないからだ。
 私は御法機関に入るため、一つの条件を出された。検察官になるという条件だ。
 この条件を提示されたのは私がまだ高校に入る前だったから、相手はおそらくやんわりと拒絶の意を示そうとしたのだろう。
 司法試験に合格したことを伝えたときの第一声が「おめでとう」ではなく「本当にやりやがった! こいつアホだ!」という点からもそれが窺える。
 いずれにしろ、私は司法修習も無事に終え、今年から検察官として地検の支部に配属されることになった。同時に御法機関の構成員にもなった。
 無論、地検の配属先には御法機関の意向が働いている。私の配属先は、いろいろと問題視されている場所なのである。
 ○○県秋風支部。そこが私の配属先だった。

「お前も知っての通り、この秋風市はかなりデリケートな土地だ」
 支部で一通り着任の挨拶を終えたあと、私は早速上司に呼び出された。
 上司というのは、御法機関での上司という意味だ。付け加えるなら、人が苦労して司法試験を合格したときアホ呼ばわりした男でもある。
 彼は私に先立つこと半年前にこの地へやって来た。これまでこの土地に御法機関は介入していなかったので、最初の地固めや各方面への根回しを一手に引き受けていたのだという。
 口は悪いが、有能な人だ。そしてその有能さをひけらかさない。彼は私の目標の一人でもある。
「元々は魔術師たちの研究機関・魔術同盟の一員である飛鳥井家の領域だった。しかし二〇〇五年の例の事件以降、あの家はここから手を引いた。代わって進出してきたのが安倍家だ。ここ数年飛躍的に勢力を広げている」
「当主の頼近氏が類稀な野心家と聞いていますが……」
「ちゃんと勉強してきているようだな。確かに安倍頼近は野心家と評されている。だが世評を鵜呑みにするなよ。人となりは実際に接してみないと分からない。都合がつき次第会わせる予定だ」
「分かりました」
「確かお前の学友が頼近に師事しているそうだな。もしかすると会えるかもしれん」
「仕事は仕事です。プライベートと混同はしません」
「混同しろとは言わん。せっかくのコネがあるんだ、活かせるものは何でも活かせ」
 そう言って彼は、書類をこちらに向けた。受け取って内容を確認する。確かに安倍頼近の弟子の中に、知った名前がある。
 頼近氏は普段秋風市ではなく別の町にいる。ここは安倍家にとって進出先の一つであり、本拠地ではないということだ。当主がいるのは当然本拠地の方である。
 私の友人はまだ年若いということもあって、安倍家の秋風市代表である崎本博樹氏の下にいるらしい。本家からの出向という形のようだ。
 安倍家絡みの資料を一通り読み終えて、私はもう一種類の資料に目を向けた。
 異邦隊。
 安倍家と並び、この町で大きな影響力を持つ組織だ。
 異法人と呼ばれる能力者を中心に構成された組織で、能力者の保護・教育支援等を目的としている。
 表向き両組織は対立していない。安倍家は魔術研究が主目的であり、異邦隊の目的は先の通りだから、利害の不一致は生じないはずなのである。
 しかし、それは理屈だけ並べて安心したい人間の見方だ。
 互いに大きな影響力を持つ組織同士、相手の存在が疎ましいのだろう。何度か小競り合いが発生しているという報告が出ている。
 異邦隊は元々この秋風市に根を下ろしていたのだが、様々な問題が明るみに出て一時的に撤退した。その後組織は復活したのだが、同じ時期に安倍家の進出も始まったことで事態がややこしくなったのだそうだ。
 これは風聞だが、安倍家は異邦隊を『不祥事起こしたくせに戻って来た恥知らず』と見ており、異邦隊は安倍家を『新参者』と見ていると言われている。
「まぁ仲良くないにしろ、問題が起きなきゃそれでいいんだが。どうもウチの上層部はこの土地自体に不吉なものを感じてるらしくてな」
「二〇〇三年のザッハーク事件、それに二〇〇五年の土門荒野事件ですね」
 世界的に有名な凶悪犯罪者であるザッハークが暗躍し、異邦隊が秋風市から撤退することになった事件。そして、一歩間違えばこの都市が壊滅状態になっていたであろう土門荒野事件。
 どちらも裏向きの各組織に大きな衝撃を与えたという点で有名な事件だ。いずれの事件も既に決着しているが、短期間で立て続けに大事件の舞台となった秋風市は、悪い意味で知られるようになった。
 不吉の地に、拮抗し合う二大組織。御法機関としては放置しておくわけにはいかない状態だ。
「ウチとしては、あくまで中立の立場で――ということでよろしいですか」
「ああ。だからこそお前を呼んだ。安倍家にも異邦隊にもコネがあるお前を」
「……厳密に言えばコネはこれから作るんですが。アイツとも高校卒業以来になりますし、異邦隊に至っては誰とも面識ありません」
 縁はある。正直なところ、あまり気の進まない縁だ。
「そこがお前の腕の見せ所だ。何、どちらも表面上は敵対してない。何かきっかけがあれば和解に持ち込めるはずだ。お前はそのきっかけになれ。それ以外はすべて俺がカバーする。お前はまだ新人だ、通常業務も忙しいし気負って無理はするなよ」
「はい、心得ています」
 私は力強く頷いた。右も左も分からない状況だが、まずは体当たりでやっていこう。その中で学べることもあるはずだ。

 できれば初日のうちに、安倍家と異邦隊に顔を出しておきたかったのだが、通常業務が忙しくてそれどころではなかった。
 御法機関は法を順守することを第一とする。この場合の法とは、広義の意味での守るべきルール全般を指す。国民の義務である労働をしっかりこなすことも、御法機関のメンバーとしての仕事だ。
 裏向きの用事はあくまで非常時もしくはそれに備えてのことだ。時間のあるときにでも顔を出せばいいだろう。
 今日はどうにか定時で帰らせてもらえた。こんな機会は二度とないかもな、などと言われたが、検察官という職業を考えると冗談には聞こえない。
 部屋に戻る。そこには誰もいない。無言で入り、鞄を置いた。
 部屋着に着替えようと思ったが、ふと気になって冷蔵庫の中身を確認してみた。
 ……しまった。何もない。
 この部屋には昨日着いたばかりで、荷解きをしたばかりの状態だ。生活用品や食材はまったく揃えていない。
 へとへとの状態で外に出たくはなかったが、明日以降に備えて体力はつけておかなければならない。
「むっ」
 気合を入れて立ちあがり、再び外に出る。
 もう春なのだが、僅かに冬の寒さが残っている。人通りの少ない夜道だ。
 ……あ。
 出てきて気付いたが、どこにスーパーもしくはコンビニがあるか分からない。
 この地への赴任は急遽決まったので、下見にも来たことはなかった。
「しまった……どうすれば」
 ここは住宅街だ。適当に歩いていても見つかるはずはない。
 ポケットに入っているスマートフォンを取り出す。いろいろと便利だから持っておけと御法機関から支給されたものだ。確かこの中には地図アプリが入っていたはずだ。それを使えば探せるかもしれない。
 しかし、何分使い方が分からない。自慢ではないが――本当に自慢ではないが、私は機械が苦手なのである。こういう最先端のものをどう使えばいいのか。
 電柱の下でスマートフォンを睨みつけること数分。どうにかこうにかアプリを操作してみたが、どうもそれらしい情報は見つからない。
 諦めて戻った方がいいだろうか。
 夜の住宅街は迷いやすい。このまま闇雲に進んで、部屋に戻れなくなったら最悪だ。
 ……仕方ない。せいぜい今日は早く休んで体力を温存しておこう。
 そう思って面を上げると、コート姿の女性がこちらを見ていた。
 鮮やかな黒髪のボブカット。気の強そうな――それでいて刺のない眼差し。
 年の頃は私と同じくらい。
 私は言葉を失った。その女性のことを、私は知っていたからだ。
「あの。何かお困りでしょうか」
 女性は私の前にやって来た。
「……恥ずかしながら、道に迷っておりまして。スーパーかコンビニのある場所を、御存じではありませんか?」
 動揺を押し殺して、当面の問題を口にする。
 彼女は少し驚いたようだったが、ふっと笑みを浮かべた。
「案内しましょう。そんなに遠くはありません」
「いえ、悪いですよ。場所だけ教えていただければ」
「気にしないでください。私もちょうど寄っていくところでしたし、困っている市民を助けるのが仕事ですから」
 そう言って、彼女は先に歩き始めた。
 私はその後をとぼとぼついていく。
「こちらに引越されてきたんですか?」
「ええ。急遽こちらに配属が決まって、下見もろくにしなかったものですから、よく分からない点が多くて」
「そうでしたか。なら、今から行くスーパーは品揃えもいいですし、そこを覚えておけば基本的には困らないと思いますよ」
「助かります」
 彼女は丁寧に道々で目印になるものを教えてくれた。教え方がとても分かりやすく、すぐに覚えることができそうだった。
 スーパーには程なく着いた。自宅からそんなに離れてないし、良い場所を知ることができた。
「ありがとうございます。あとは自分で見て回りますので」
「分かりました。それでは」
「はい。また今度」
 彼女は軽く一礼して去っていく。
 ……妙な偶然もあるものだ。
 そのうち会うつもりではいたが、こんな形で出会うとは思っていなかった。
「……榊原遥」
 異邦隊東日本支部統括代理として、この地域の異法人たちをとりまとめている人物である。

 スーパーからの帰り道、私は教えてもらった道筋を確認しながら歩いていた。
 その途中、思わず足を止めてしまうほど剣呑な気配を感じた。
 ……怪異、とは違う。人が放つ魔力だ。
 しかも相当攻撃的な匂いがする。
 気配のした方向に近づいてみると、誰かが言い合っている声が聞こえてきた。
「毎度毎度邪魔しやがって、ここはてめぇらのもんじゃねぇだろうが!」
「そっちこそ、好き勝手やってんじゃねぇ! ここはてめぇらのもんでもない!」
 言い合っているのは、どちらもまだ若い男たちだった。二人は公園のど真ん中で、物騒な魔力を身にまとって対峙している。
 ……やれやれ。安倍家と異邦隊か。
 どちらの顔も資料で見たことがある。片方は清原宗孝。安倍頼近の親戚筋にあたるものの、素行の悪さから安倍家内では問題児扱いされているらしい。
 もう片方は村上正清。異邦隊に属する若者だ。こちらも相当喧嘩っ早いと報告書にあったはずだ。
 ……まさか、こんな町中でドンパチを始めるつもりではないだろうな。
 魔術にしろ異法にしろ、一般人に知られてはならないものだ。これをみだりに使い一般人に悪影響を及ぼす行為は、昔から固く禁じられていた。
 これは暗黙の了解というものではない。魔術同盟は成立当初からこれを明文法としているし、異邦隊にも同様の規則があると聞いている。
 こういう裏側の世における国際法と言ってもいい。これを犯した者は、所属している組織もしくはその他の組織によって討たれても文句は言えない。
 ……止めるべきか。
 若者たちの罵り合いはエスカレートしつつあった。双方かなり頭に血が上っているようだ。一触即発のように見える。
 思わず立ちあがろうとしたとき、後ろから肩を掴まれた。
 気配は一切感じなかった。驚いて振り返る。
 そこにいたのは、私の上司だった。
「まだだ。御法は『法を乱す者を討ち、世に一定の秩序を』が行動理念だろう」
「し、しかし」
「落ち着け。あいつらはまだ禁を破っちゃいない。ドンパチするだけなら黙認するべきだろう。一般人に危害を加えるような真似をしたら、そのときは俺たちの出番だ」
 そのとき、激しい魔力の奔流を感じた。両者の戦いが始まったようだ。
 魔術師と比べ異法人は元々高い身体能力を有する。そのうえ強力な固有能力――異法を持ち合わせている。戦闘面では魔術師より有利だ。
 しかし、魔術師は異法人よりも戦闘での選択肢が広く、状況に応じて様々な手札を切れるというメリットがある。
 この戦いは、異法人と魔術師の戦いを象徴するような展開だった。
 村上が縦横無尽に動き回り、清原に一撃を見舞おうと挑む。それを清原は寸でのところで回避しつつ、反撃を繰り返していた。実際は清原が避けているのではなく、村上の方が外されているというべきか。清原は距離感を狂わせる魔術を使っているようだ。
「ちなみにどうだ?」
「何がですか」
 気付かれないよう気配を殺しながら、二人の後を追う。彼らは屋根伝いに跳び回るため、追跡が面倒だった。
「お前、あいつらの戦いを仲裁しようと思えばできそうか」
「それは武力でという意味ですよね」
「当然。言葉で止まるような連中なら、俺たちの出番はいらない」
「……そうですね。多分、可能かと」
 片方相手なら確実に勝てるだろうが、二人を相手にすると少し大変そうだ。しかも相手をただ倒すのではなく、制圧することが条件だ。少々厳しいが、どうにかできるだろう――という感じだ。
「そこは景気良く絶対できますと言っておけ。新人は無鉄砲で無意味に自信家なくらいが可愛げあっていいもんだ」
「可愛げはいらんでしょう」
「いるぜ? 可愛いは最強だ。どんな強い奴でも可愛い奴相手じゃ戦えまい」
 どこまで本気か分からないのが、この人の面倒なところだ。
 そのとき、村上と清原の間に、突如二つの人影が降り立った。
 それは、どちらも知った顔だ。しかも片方は、先程見かけたばかりである。
 村上と清原は、人影が現れた途端に動きを止めた。
「――また喧嘩か。大概にしとけよ坊ちゃん」
 言ったのは、清原の前に立った青年。
 安倍家の門を叩き、数年で頭角を現した魔術師――川島孝弘。
 私の、幼馴染だ。
「か、川島! 止めないでくれよ、今回は……」
「理由はどうでもいいんだよ。頼むから市街でドンパチすんな。喧嘩したいなら平和的にスポーツとかカラオケで勝負つけてくれ」
「ぐっ……」
 孝弘はただ立って清原に言葉をかけているだけだ。しかし、清原は気圧されるように身を縮めている。
 一方、村上の方も正面に立った人物を前に硬直していた。
「……マサ。何か言うことは?」
「あ、姐さん……ええと、その。すんません」
「謝るくらいなら暴れるな。まったく、君もそろそろ良い年なんだから……」
 はあ、と溜息をついたその女性は、榊原遥。現在、この地域の異邦隊をまとめている女性だ。
「俺たちが出るまでもなかったな。責任者たちのお出ましだ」
「そのようですね」
 私は素直に感心していた。孝弘も榊原さんも登場しただけで場を収めてしまった。
 もし私が村上と清原を止めようとしていたら、火に油を注ぐ結果になっていたかもしれない。上司の言うとおり、あのタイミングで出なかったのは正解だった。
「毎度うちのが騒がせて申し訳ない。榊原さん」
「こちらこそすまなかった。こいつには後で言い聞かせておく」
 孝弘と榊原さんの話からすると、こういうことはよくあるらしい。そしてその都度、二人が止めているのだろう。
「ところで」
 と、榊原さんが不意にこちらを見た。
 私と上司は物陰に隠れており、彼女の位置からは死角になっている。見えないはずなのだが、確かに彼女の視線はこちらに向けられていた。
「覗き見とは趣味が悪いな。姿を見せたらどうだ」
 先程の親切そうな彼女とは別人のようだった。鋭く刺すような視線だ。これが異邦隊としての彼女の姿なのだろう。
 上司を見ると『已むを得ん』と口を動かした。
 おとなしく、私たちは彼らに対して姿を見せた。
 私の姿を認めた孝弘と榊原さんの表情に驚きが浮かぶ。
「君は、さっきの――」
「先程はどうも」
 手にしていた買い物袋を掲げてみせる。
「お前……なんでこんなところにいる?」
 孝弘の驚きはまた別のものだった。あいつとは随分久しぶりになる。私が御法機関に入ったことも知らないあいつからすれば、なぜここで私が出てくるのか、理解に苦しむところだろう。
「久しぶりだな、孝弘」
「……どうも訳ありのようだな、源市」
 私の後ろにいた上司に気付いて、孝弘はなんとなく事情を察したのだろう。
「あなたは……」
「こんばんは、榊原さん、川島君。こうして顔を突き合わせるのは三日振りかね。今日もお勤め御苦労さん」
 私の肩に手を置いた上司が、にこやかに言う。
「何かドンパチやってるみたいなんで、様子見てただけさ。他意はないから安心してくれ。あとついでに、今日付けで配属になった俺の部下を紹介しておこう」
 全員の視線が私に集まる。人に紹介されるのも癪なので、私は上司より先に自分から名乗った。
「空山源市。御法機関の一員です。今後ともよろしくお願い致します」