異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第六話「揺らぐ空白」
 ……夢を見ている。
 幼い頃の夢だ。
 ごく普通の家庭で育ち、取り立てて大きな怪我もせず健康に育ってきた。
 両親はなかなか厳しかった。
 だが、そのおかげで人のことを思いやったりすることを知った。
 勉強もなかなかできるようになった。
 だから涼子は、両親のことをとても尊敬していた。
 平和な日々。
 今はもう失われた日々。
 それはどこか白い霧に覆われた、遠い世界のようで。
『もうすぐ冬になるなぁ』
 庭先にあるテーブルで男性が呟いた。
 少しずつ記憶は薄れているが、忘れようもない人だ。
『お父さん、冬休みどこか行こうよっ』
 男性の隣でコーヒーを苦そうに飲む少女。
 まだ小学生だった頃の涼子だった。
 ……結構大きいな。四年生くらい?
 流れる風景の中でそんなことを思う。
 四年生くらいならば、丁度――――七年前の頃のことだ。
『なんだ涼子、どこか行きたいところでもあるのか?』
『うん。京都行きたい!』
『京都か。京都はいいな、うん。父さんも京都は好きだぞ』
 父はのんびりとコーヒーを口にしながら、かすかに微笑んだ。
 だがすぐに眉を下げる。
 申し訳なさそうな顔つきだ。
『だがな、涼子。すまんが、今年の冬は旅行はなしにしたいんだ』
『えーっ、なんで?』
『うん。実はちょっとな』
 言いよどむ父の姿を見て、夢の外にいる涼子は胸が痛むのを自覚した。
 不思議と、その先を聞くのが怖くなった。
 ……何だろう、この感じ。
 だが夢は、かつての記憶を流し続ける。
 いくら涼子の夢とはいえ、内容を自在に編集出来るものではなかった。
 聞きたくないと思っていても、父の言葉は続いていく。
『……もしかしたら、家に一人来るかもしれないんだよ』
『誰が?』
『うーん、それは秘密だ』
 口元に指を当てて、父は笑ってみせた。
 夢の中の涼子は何も分かっていない。
 曖昧に言葉を濁した父に不服を覚えながらも、それ以上追求することはなかった。
 ……でも私は知ってる。
 夢を見ている方の涼子は、誰が来るか知っている。
 これは七年前の秋の記憶か、それとも冬に入ったばかりの頃か。
 ……来るのは、私の姉。
 会った記憶も残っていない姉が、これからやって来る。
 このまま夢を見続けていけば、姉が登場する場面まで行くのだろうかと考えて。
 ――――そこで彼女の夢は終わりを告げた。

 目覚めれば、そこは家族と共に過ごした家ではなく――――たった一人で暮らす部屋だった。
 夢の終わり方のせいか、内容のせいかは分からないが、あまり良い気分ではなかった。
「七年前、か」
 呟いたところで何が変わるわけでもない。
 両親はもういないし、姉のことも思い出せない。
 少し不思議だが、放っておけばそれだけのことだ。
 今更気にするだけ無駄だろう。
「気にしない気にしない……っと、そろそろ朝ご飯作らなきゃ」
 まだ遅刻するような時間ではなかったが、朝食をゆったりと食べるのであればそろそろ用意しないといけない。
 今日の朝食は何にしようかと思いながら、涼子はベッドから出た。
 朝の空気はまだ少しだけ涼しくて、心地よい。
 花粉症ではない涼子からすれば、春は気持ちのいい季節だった。
 そそくさと着替えて軽めの朝食を作る。
 準備を終えてからテレビをつけ、のんびりとした朝食が始まった。
『秋風市郊外にあるこの建物。町では不穏な噂が色々と流れておりましたが、その真偽がここに明かされるのでしょうか』
 ニュースで記事紹介がやっていた。
 今話しているのは、昨日流れたニュースの続きらしい。
 なんでも匿名の通報により、警察がある建物へ踏み込んだとか。
 建物の中は無人だったが、何かしらの研究が行われていたという。
 町でも噂になっており、人体実験などを行っていたのではないかと言われていた。
 それはただの噂ではなく、割と真実味のあるものらしい。
 警察が建物の中を捜査したところ、人身売買に関わっていたと見られる物がいくつか発見された。
 何かしらの犯罪行為に関わっていたのはまず間違いなく、ニュースなどで大きく取り上げられているのはそのためだった。
 噂が真実になったような形のため、意外と現実感はある。
 ただ問題もいくつかあった。
『建物の中では、何かしらの研究が行われていたようです。セキュリティシステムなどは厳重に整えられておりましたが、その全てが鈍器のようなもので破壊されています』
 まず、研究の中身が分からないということ。
 施設は何かしらの研究所であるというのが警察の見方である。
 しかし内部にあった機器はよほど特殊なものなのか、どんな研究をしていたのか……ということは一向に分からなかった。
 人間を使った凶悪極まりない実験をしていたとする意見が主力ではあるらしい。
 また、警察が踏み込んだ際に多数の機器が破壊されていたのも大きな謎だった。
 何によって壊されたのかは分からず、凶器もまだ見つかっていないらしい。
 そして最後の問題が一つ。
 画面が切り替わり、秋風市にある警察署の署長が会見を行っている。
 署長はテレビに出る大人の典型といった態度……即ち、どこか鈍い神妙さを出して告げた。
『私共の方では、まだ正確な情報が掴めておりません。今、問題なのは――』
 カメラのシャッターが切れる音に囲まれながら、署長は重々しく告げる。
『――――研究所内にいた人間が、一人残らず行方不明になっているということです』
 研究所で何が行われていたか分からないのはこのためだった。
 証人が一人もいない。
 警察が踏み込んだとき、既に施設は無人だった。
 直前まで人がいた形跡は残っている。
 だが、どこをどう探しても人の影すら見当たらない。
 謎の研究所、突如消えた人々。
 破壊された機器のこともあって、新たな問題になりそうだった。
『人身売買……を行っていたのはまず間違いないんでしょう? となれば、被害にあった人々が反旗を翻したのではないですか』
『ではその人々はどこへ? まさか単独であれだけ施設を破壊出来る訳ないから、複数で行ったのでしょう。そうした人々はどこへ消えたのですか』
『そもそも研究所の人々をどこにやったかが問題だとは思いませんか』
『確かに。それに、その施設にそうした被害者という人々がいた証拠は今のところありませんし』
『いやですからそれは――――』
 コメンテーターや評論家たちが口論を始めた。
 涼子にとって、その内容はさして意味のあるものではない。
 口論など当人たちがいかに自分の意見を通すかという意味しか持たない。
 第三者としては結論を聞けばいいのだ。
「しかし、この町でねぇ……」
 昨日ニュースで見たときは心底驚いたものだ。
 ニュースなどでテロ、人身売買などが問題視されているのは何度も見たことがある。
 しかし、それが身近で関わっていたと考えると少し怖いものがあった。
 自転車でもあれば、一時間とかからない場所で行われていたことなのだ。
 そして、事件が完全に解決していないことも不安をかきたてる。
 犯人は、捕まったわけではない。
 そもそも誰が、どんな形での犯人なのか――――それすらも分からない。
 そのとき、玄関のインターホンが鳴った。
「涼子ちゃーん、私なのだー!」
 聞こえてきたのは、倉凪美緒の声。
 もう何年もの付き合いになる、親友の声だった。
 彼女は時間に余裕があれば、こうして涼子の部屋に来てから学校に行く。
 それにしても、今日は少し早いような気がした。
「待ってて、今開けるから」
 時間に余裕があるから上がってもらおうと思い、玄関の扉を開ける。
 するとそこには、美緒以外に二人の男が立っていた。
 どちらも涼子にとっては親しい人物である。
「あれ、先輩たちも一緒でしたか」
 倉凪梢と、吉崎和弥。
 涼子からすれば親友の兄と、その友人ということになる。
 もっとも涼子自身、梢を兄のように慕っていた時期もあるので割と気安い関係だった。
「どうしたんですか?」
「いや、ちょっと話しておきたいことがあってよ」
「生徒会関係ですか?」
「ああ、そんなとこだ。少し早いけど出れるか」
「全然平気ですよ。ちょっと待ってください」
 部屋に戻って鞄を取り、テレビを消す。
 他についているものが何もないことを確認してから、涼子は靴を履いて外に出た。
 歩きながら梢が尋ねてくる。
「さっきテレビ見てたみたいだけど、もうニュース聞いたか?」
「例の、謎の施設ってやつですか? 見ましたよ、ついさっき」
「そっか。んでよ、一応生徒会としても全校生徒に注意しといた方がいいと思うんだ」
 と、生徒会副会長である梢が言う。
「なるほど。確かに気をつけないといけませんね、犯人まだ捕まってませんし。施設にいたって人たちとか、施設壊した人とか」
「……」
 途端、梢は露骨に視線を逸らした。
 どこか引きつったような笑みを浮かべている。
 涼子が怪訝そうに見ていると、なぜか隣にいた吉崎から叩かれていた。
「あ痛っ! 何すんだ吉崎!」
「朝から変な顔見せんなよ」
「誰が変な顔だおい」
「今のお前だよーん。ね、冬塚ちゃん」
「あ、はい」
 思わず頷いてしまった。
 変だと思ったのは事実なのだし、嘘はついていない。
「……むぅ」
 梢はやや不貞腐れたような、気まずそうな顔でそっぽを向いてしまった。
 よく分からないが、今日はあまり機嫌がよくないということなのだろう。
 そう解釈して涼子は美緒に向き直った。
「先輩、今日は機嫌悪いの?」
「んーん、どっちかっていうと機嫌いいよ」
「そうなんだ」
 あまりそういう風には見えない。
 と、美緒が何か言いたそうな顔でこちらを見ていた。
「ど、どしたの?」
「んー。涼子ちゃんになら言ってもいいかな」
「何を?」
「んー、どうしようかなぁ」
「気になるわね、そこまで言ったなら教えてよ」
 美緒は少しくるくると頭を動かしていた。
 やがて先程よりも深い笑みで、
「実は昨日から家に居候が増えたのだ」
「……ほほう」
 梢や美緒が暮らしている榊原屋敷は広い。
 元々住んでいたのは榊原家当主の幻だけなので、居候を受け入れようと思えば比較的簡単に出来た。
 財政面でもかなり余裕があるらしく、そのために倉凪兄妹も厄介になっているのである。
「どんな人、どんな人?」
「若くて綺麗な女子ですよ涼子さん」
「へぇ……あ、だから先輩機嫌がいいとか?」
「まあねー。でも色っぽい話はないけど。お兄ちゃんそういうのに関心ないみたいだから」
「それじゃ、単純にお客さんが来てるから張り切ってるってこと?」
「そういうことなのだよ。ほら、お兄ちゃんって世話好きだから」
 言いたくてたまらなかったのだろう。
 美緒は満足そうな顔で何度も頷いていた。
 この分だと学校でも言い回るに違いない。
 今日一日でどれだけ噂が広まるかを考えると、少しおかしかった。
「何の話してんだ?」
「いえいえ、こちらの話ですよ。ねぇ美緒さん」
「そうでげすねぃ、涼子さん」
「……お前ら、変だぞ」
 呆れ顔で言われてしまった。
「それよか、今日は昼休みに生徒会召集でいいか? 放課後になる前に注意の紙回しときたいし」
「あ、そうですね。不審人物には気をつけて、早めに帰るように……ですか」
 と、そこで涼子はあることを思い出した。
「不審人物と言えば、この前の通り魔事件知ってます?」
「ああ、知ってるぞ。なんせ捕まえたのは師匠だからな」
「そうなんですか? サカさんが?」
 倉凪兄妹を引き取っている榊原幻が刑事であることは、涼子も知っている。
 榊原自身とも、屋敷へ遊びに行く際などによく顔を合わせていた。
 だが、それだと少し気になることがある。
「実は逮捕されるちょっと前の時間……ですかね。私の友達のサチ知ってます?」
「いや、知らん」
「私は知ってるよ。お母さんが厳しいサッちゃんだよねー」
 美緒は涼子共々サチとは友人関係にある。
 今は三人とも別々のクラスだが、一年の頃は同じ教室でよく遊んでいたものだ。
「そのサチが、通り魔に襲われたらしいんですよ」
「……マジ?」
「大マジです」
「だ、大丈夫だったの?」
 美緒が心配そうに尋ねてくる。
 が、涼子はよく分からないといった風な顔で、
「うん。でも、なんか妙なこと言ってたんです。……襲われそうになったとき、謎の少年が助けてくれたとか」
 途端、涼子以外の三人が硬直した。
 揃って乾いた笑みを浮かべ、涼子から視線を逸らす。
 だが先頭に立って歩いていた涼子は気づかない。
「なんでも一撃で通り魔を何メートルもぶっ飛ばしたそうですよ。んで犯人警察に届けるって言って、どっか行っちゃったらしいです。……ってことは、榊原さんの知り合いか何かなんでしょうかね」
「か、かもなぁ」
 妙に上擦った声で梢が相槌を打つ。
 直後、また吉崎に叩かれていた。
「でも信じられませんよね、そんな超人みたいなのが実在するなんて」
 そこで涼子は振り返る。
 ちょうど梢の顔が正面にあった。
「……そういえばサチの証言によれば、その少年は目つきが悪くて私たちと同年代くらいって言ってましたけど」
 目つきが悪くて涼子とほぼ同年代の男が目の前にいた。
 共通点に気づき、涼子は目を細めて梢を凝視する。
 思わず梢は後ずさり。
「な、なんでしょう冬塚涼子会長閣下」
「んー?」
 居心地の悪そうな顔を浮かべ、梢は困ったように突っ立っている。
 ……まさかね。
 条件は割と当てはまっているが、涼子はすぐさま疑念を打ち消した。
 そもそもサチの話自体、現実味があまりない。
 錯覚か何かという可能性の方が高いように思えた。
「いくらなんでも出来過ぎですよね。そんな超人がいて、それが先輩なんて」
「そ、そうだなうん。ありえないと思うぞ」
「ですね。あ、でもサカさんに伝えておいてくれませんか? もしサチを助けた人と知り合いなら、お礼言っといてくれませんかって」
「……ああ、ちゃんと伝えとく」
 ほっとしたのか、梢は長い息を吐き出した。
 その様子がなんだか大袈裟なのが、少しだけおかしかった。
「でも最近この町も物騒になりましたよね。通り魔に人身売買ですか。私たちも気をつけなきゃいけませんね」
「まあな。物騒なのは勘弁して欲しいぜ」
 肩を竦めて梢が苦笑する。
 全く、物騒になったものだ。
 それに関しては、涼子と梢は同じように認識しているのだった。

 倉凪梢や冬塚涼子が通っているのは朝月学園と言う。
 比較的田舎の秋風市にあって、目立つものの一つがこの学園だった。
 広大な敷地の中に小学部から高等部が全て揃っており、大学もすぐ隣にある。
 全国的にも割と有名で、ここの大学を卒業することはそれなりに就職に役立つらしい。
 運営の特徴は、生徒の自主性を尊重すること。
 早い話、学校のことはほとんどが生徒会によって決められるのだった。
 そんな生徒会の、副会長という役職に就いているのが梢だった。
 昼休みに生徒会を集め、例の一件に関する注意事項を話し合う。
 その後、生徒会役員は学校中に注意書きをした紙を貼り付けていく。
 もっとも、現時点では生徒会役員は三人しかいなかったのでかなり大変だったのだが。
「つーか、会長と副会長と書記だけってのがおかしいんだよ」
 指定箇所に貼り終えた梢は、教室に戻ってぐったりしていた。
 そこへ缶ジュースが跳んでくる。
「……むっ!?」
 机の上に身体を伸ばしていた梢は咄嗟に起き上がり、ピースサインを作る。
 そのまま人差し指と中指で、跳んできたジュースを挟み込んだ。
「ふっ、相変わらずいいコントロールしてるな……藤田っ」
「お前こそ、相変わらず五右衛門みたいだな……倉凪っ」
 教室の入り口から缶ジュースを放り投げてきた少年――――藤田と向き合う。
 彼は吉崎と同じく梢の友人だった。
 梢の力のことなどは知らないが、付き合いはそれなりに長い。
 野球大好きなスポーツマンらしく髪は短い。
 健康的なむさ苦しさを放出する野球部キャプテンである。
「……なぁ藤田。五右衛門ってこんなことしてたっけ?」
「箸で虫掴んだって聞いたことあるぞ。さすがは天下の大泥棒だよな」
「あ、そっちのか。俺は斬鉄剣の方かと思ったぜ」
「……ん、あっちだっけ? あれやったのって」
「さぁ? むしろ宮本武蔵だったような気もするけど」
「どっちみちさ、俺思うんだけど……箸で虫掴むって、ばっちいよな」
「だな。俺だったらそんな真似する奴は許さん。飯作ってくれた人に悪い」
「――――いつまでアホアホトークを繰り広げてんですかね君たちは」
 気づけば横に、呆れ顔の吉崎が立っていた。
 教科書を丸めて肩を叩きながら、
「それよか貼り紙作業はもう終わったのか?」
「ああ。冬塚は小学部、斎藤は中学部に配りに行ってるから少し遅くなるかもな。俺は高等部だったから楽だったぜ」
「そっか。ま、お前の顔見たら中学部以下の子に泣かれるもんな」
 以前クラスで梢に関する噂が持ち上がった。
 ヤクザに絡まれている朝月の学生を助けようとし、一睨みで相手を撃退させてしまったというものだ。
 実際そんなことはなかったのだが、当たり前のようにクラスメートはそれを信じた。
 つまり、そういう目つきなのである。
「いやそんな当たり前のように言われても傷つくから! 俺の心は――――」
「防弾」
「――――ガラスのように繊細なんだからよ……ってオイ吉崎、今余計な一言間に挟んだろ? 挟んだよな?」
「聞こえましたか藤田さん」
「聞こえなかったぞ吉崎君」
「ちくしょう、どうせ俺の心は防弾ガラスだ!」
 ヤケになって缶ジュースを一気飲みする。
 途端、梢の顔色が青ざめた。
「ぐおおおぉっ!? こ、これは……ドクペじゃねぇかっ!」
「ははははっ、ちゃんと確認してから飲めよ」
「う、うるせぇっ! 薬の味がっ、少しずつ口内に広がってくぞコレ! こんなもん買ってくるとは……お前の仕業か、斎藤!」
 と、喉下を押さえながら梢は教室の扉を指差した。
 そこから一人の男子生徒が、眼鏡に手をやりながら入ってきた。
 藤田や吉崎と比べると華奢な体躯の持ち主で、あまり運動が得意そうには見えない。
 しかしどこか理性的な雰囲気を持つ男。
 それが生徒会書記にして、二年連続学年首席を獲得した――――斎藤恭一である。
「ドクペの良さが分からんとは……倉凪。君は人生の半分を損している」
「そこまで価値があるものなのかよこれは……うぅ」
「拒絶するのではなく受け入れるのだ。そうすれば、その味は極上となる」
 頭はいいのだが、変わり者だった。
「あ、3-Aの四天王揃ってますね」
 そこに涼子がやって来た。
 どうやら涼子、そして斎藤も生徒会の仕事を終えてきたところらしい。
 三人は少し遅めの昼食を食べるため、適当な机で輪を作った。
「しっかし大変だよな。生徒会三人だけなんて」
 席につくなり、藤田がそんなことを口にした。
 昨年度の最後の方で生徒会の選挙が行われ、涼子が会長、梢が副会長、斎藤が書記になることが決まった。
 そのとき決まらなかった場合、新入生が入学してから独自に希望者を募る。
 例年はそこでメンバーが補充されるのだが、今年はなかなか生徒会に入る者がいなかった。
 おかげで補充も出来ないまま、現在は三人でどうにか頑張っている。
「今期は不作もいいところだぜ。前なんかはきちんと集まってたのに」
 梢が重苦しい溜息をつく。
 が、すぐに面を上げて話題を変えた。
「それよか一昨日の事件なんだけどよ」
「生徒会が今日貼り回ってたあれか?」
 藤田は既に見ていたらしい。
 梢は藤田に視線をやって頷く。
「で、お前の方からも気をつけてくれ。野球部連中だけでなく、サッカー部とか陸上部とか。運動部に知り合い多いんだろ?」
「ああ。積極的に宣伝して回れってことか」
 藤田はかなり顔が広い。
 上下左右関係なく顔見知りだらけで、大概の人間からは好意的に見られるという――――何気にとんでもない性質の持ち主だった。
「文化部には私と斎藤先輩が顔利くんで、そっちはやっときます。遅くなるようだったら、あまり一人で下校しないようにって」
「……でも、かなり大事っぽいな」
「っぽいんじゃなくて大事なんだよ」
 素直な感想を漏らした藤田に、梢の訂正がかかった。
 事情を知らない藤田はきょとんとした表情で、
「榊原さんから注意がきたとか?」
 現役警察官である榊原を通じて朝月学園へと注意がかかる。
 そう考えると、確かに大事かもしれない。
 少なくとも警察からこんなアクションが入るなどということは、過去なかった。
「そんなとこだな。俺らからすれば嘘みたいな話だけど、警察としてはかなり危険視してる。例の施設でやってたこともそうだし……"その施設を襲撃した何者か"に関しても謎のままだ」
 襲撃者のくだりで、梢の表情が微かに暗くなった。
 それは事情を知る吉崎にしか分からない程度の微細なものだったが。
 ……襲撃したのは俺だしな。
 今日学校に来てみると、施設のことは話題に上ることが多かった。
 話している生徒たちは話の種にしているだけで、緊張感はさほどない。
 だが、その話を聞く度に梢の表情は僅かに強張る。
「施設の中身ほとんどぶっ壊したんだろ? たかが鈍器のようなもんで。スーパーマンか何かかな」
「監視カメラの映像は全て破壊されていたらしいからな……正体は分からないそうだ」
 斎藤の言葉に、梢はギョッとした。
 彼は監視カメラなどまるで気にかけてもいなかった。
 おそらく壊したのは、あの施設で出会った正体不明の男だろう。
 複数で来ているというようなことを言っていたし、仲間がやったのかもしれない。
 そして――――それがなければ、梢の顔は割れていたのかもしれないのだ。
 梢は日常の中に身を置く異常人。
 本来相容れない日常の中に、彼が身を置くことが出来るのはそれを隠しているからだ。
 榊原家の一員、そして吉崎以外に梢の正体を知る者はいない。
 仮に。
 冬塚涼子や藤田四郎、斎藤恭一といった友人たちがそれを知ったら……梢の日常はどうなるのか。
 それが、倉凪梢がもっとも恐れていることだった。
「……とりあえずさ」
 梢の顔色を見て察したのか、吉崎が口を開いた。
「夜の一人歩きは危険だからやめましょー! ということで。な?」
 場をまとめるように、両手を広げて全員の顔を見回す。
 異論がないことを確認すると、吉崎は満足そうに頷いた。
「それよりさ、昨日のドラマ……なんつったっけ、アレが出てるの」
「……アレって何だぁ?」
 話題が切り替わったことに安堵しつつ、梢もそれぞれの顔を見回した。
 すると、一人だけ妙な顔をしているのがいる。
 冬塚涼子だった。
 彼女は口元に手を当てて、何か考え込むように視線を落としていく。
 その様子がなにやら尋常ならざるものに思えた。
「……おい冬塚?」
 とりあえず声をかけてみる。
 涼子は沈みかけていた視線を止め、やがて元に戻した。
「はい、なんですか先輩」
「や、なんか様子がおかしかったからよ」
「そうですか? 私は普段通りですよ」
 確かに、今の涼子は普段とさして変わらない。
 先ほどは様子がおかしく見えたが、あれは気のせいだったのかもしれない。
 若干腑に落ちないものを感じつつ、梢はそれ以上追求することを避けた。