異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第十二話「反抗狂気」
 秋風市の中心部、駅付近。
 様々な会社のビルが建ち並び、ここだけが一種都会的な雰囲気を持っている。
 その中に赤間カンパニーのビルもあるのだが、今の零次たちには関係がない。
 中心部から少し離れ、狭い路地へと入る。
 そこには小さな店がいくつかあった。
 あまり柄のいい店ではなく、不必要なまでに周囲を照らす光が鬱陶しい。
 おまけに路地には汚臭が立ち込めており、あまり堅気の人間が来るような場所には見えなかった。
 その中に一軒、『狐火』というスナックがあった。
 零次たちはお互い頷き合い、まずは零次が一人店内へと入っていった。
 店内には、やはり柄の良くない連中が集まっている。
 どの客も殺気、怒気といったものを隠そうともせず曝け出している。
 石ころが刎ねた程度の音でも、喧嘩が起きそうな雰囲気だった。
 零次はそれらを全て無視して、カウンターの席に腰を下ろす。
「おすすめのものを」
「……」
 マスターと思われる男は無愛想ながらも、一杯用意してくれた。
 そのグラスを傾けながら、零次はマスターに視線を向ける。
「良い被験体が手に入ったんだが……」
「……」
「交渉を行いたい。案内してくれ」
「……」
 マスターは無言。
 零次は特に焦った風もなく、ただ指をパチンと鳴らした。
 店の扉が開く。
 そこから、刃に拘束された霧島が入ってきた。
「くそっ、おいっ! 離しやがれコラッ!」
 霧島はもがくが、頑丈に縛られた縄は解けない。
「あのでかいのは俺の相棒。拘束されてるのが被験体だ」
「……」
「能力者、それも異法人だ」
 その言葉に、マスターだけではなく店内の雰囲気が一変した。
 普通ではない力を持つ能力者。
 その中でも異法人はかなりレアな存在であり、戦闘力も高いため捕獲が難しいとされている。
「……どうやって捕まえた」
「ようやく反応したか。なに、奴の家族を人質に取っている隙に魔術で、な」
「あんたは、魔術師か」
「ああ、魔術師なら問題はないだろう?」
 魔術については、零次はあまりよく知らない。
 ただ零次たちのような能力と違い、きちんとした手段を経れば普通の人間にも扱える力らしい。
 そのため魔術師はこうした誘拐、実験、被験体、失敗作――そういった事件とは関わりが薄い。
 少なくともこれらの一件で魔術師が被害にあったケースはほとんどない。
「……いいだろう、ついて来い」
 マスターはカウンターの中に入るよう指示すると、自分は先に奥へ向かってしまった。
「いい加減大人しくしろ、早く来い」
「ぐっ、てめえら……この人でなしが!」
 叫ぶ霧島を刃が抑えつける。
 店内から好奇の視線を浴びながら、三人はマスターの後を追っていった。

 頭が痛い。
 ついでに顔と腹部も痛い。
 薄っすらと意識を取り戻した涼子がまず思ったのは、そんなことだった。
 天井は真っ白。
 壁も真っ白。
 この風景は、どこかで見たことがあるような気がした。
「ほう、異法人が? それはそれは。貴重なものが来たものだ。ああ、金ならいくらでも出す」
 何か、話し声が聞こえる。
 おそらく電話で話しているのだろう。
 声は一人分しか聞こえなかった。
 ……ここは、どこ?
 分からない。
 分からないことが、怖かった。
 少なくとも意識を失う前はこんなところには――――。
「っ!」
 思い出す。
 意識が次第にはっきりしてくる中で、最後に見たものを思い出す。
 あの奇形の化け物。
 人のようで、人ではない存在。
 形の見えない恐怖が、あのとき確かに形を持って彼女の前にいた。
「……おや、目が覚めたか」
 声が近づいてくる。
 変に甲高い嫌な声だった。
 涼子は身を起こす。
 どうやらベッドに寝かされていたらしい。
 衣服に乱れがないことを考慮すると、変なことはされてないらしい。
 まずはそのことに一安心。
 眼前には白衣を身に纏った、二十代半ば程度の男がいる。
「ようこそ、お嬢ちゃん。ここは病院だ、君が路上で倒れているところを発見されて、病院に運び込まれたんだよ」
 明らかに嘘だった。
 ここは病院ではない。
 似ている作りではあるが、こんなところは人の治療を出来る環境ではない。
 自分以外に誰も患者がいない。
 窓も見当たらない。
 それに、病院にしては清潔感がまるで感じられない。
「……あれはどこ?」
「あれ? あれとは、なにかな」
「見え透いた嘘は嫌いよ。あの黄色い化け物は、どこ行ったのよ!」
 涼子は男に掴みかかるような勢いで叫んだ。
 男は薄っぺらい笑顔を脱ぎ捨て、露骨なまでに不機嫌そうな顔をする。
「なんだ、記憶処理に失敗したかな? 忘れてた方が幸せだっただろうにね」
「……」
 記憶処理。
 失敗。
 ――――忘れてた方が幸せ。
『思い出す必要もない』
 あの男の言葉が、脳内で再生される。
「記憶処理って……何」
「質問が多いお嬢さんだね。ま、いいか。順番に答えてあげよう」
 自分が優位に立っていることを前提とした口振りは、自然な嫌味を作り上げる。
 実際、涼子は両腕をベッドに拘束されている。
 現状、なす術はなかった。
「まず君の言う黄色い化け物だけどね……あれは化け物なんかじゃない。ふふ、なんだと思う?」
「……」
「分からないと言った顔をしてるね。うん、いい顔だ」
「……分かる訳ないでしょ。いきなりあんなもの見て、何だと思えってのよ」
 ほう、と男は感心の声を上げた。
 普通の人間なら、混乱か恐怖でまともにものを考えられないような事態。
 その中に前触れもなく叩き込まれながら冷静な涼子が珍しかったのだろう。
「なかなか意志が強そうだね。なら、曖昧な言い方は止めようか。あれは改造人間とでも言うべきものさ」
「――――は?」
 突然出てきた非現実的な単語に、涼子は顔をしかめた。
 男は気にした風もなく続ける。
「君にとっては他人事同然かもしれないけど、世間ではよく言われているだろう。人身売買問題が深刻化しているって。それはつまり、人を買いたいと思う者が増えてきたということさ。……僕らのようなのが、ね」
「人を買い取って、あんな風にしたって? 馬鹿みたい、冗談は休み休み言いなさいよ」
「なら君はアレをどう解釈するね。人の形をかろうじてとどめているが、あれは明らかに人じゃないだろう? 約十一回の手術、時間にして百八十時間前後をかければあれが出来上がる」
 非現実的なものに、現実の数値が置かれていく。
 それは嘘のような本当の話なんだと、涼子はどこかで理解していた。
 だが常識という理性がそれを拒絶する。
「……最近噂の"超人"ってやつかしら? 一撃で人を何メートルも吹っ飛ばしたり、研究施設を壊したり」
「へぇ、詳しいね。確かに僕らが目指す到達点はそこだ。……だが違う。連中は僕らの敵さ」
 僕らの、というところで自分と涼子を指差す。
 同列に扱われることが不愉快だったが、いちいち口に出しても仕方がないので黙っていた。
「例えばニュースで噂になってる研究所。あれは僕らの同胞でね。なんでも一人貴重なサンプルの少女を手にしていたという。それを元に、能力開発を中心に推し進めていたようだね」
「能力……?」
「君の言う超人とは、おそらく異法人のことだろう。異常な身体能力を有し、魔術のような不思議な力を扱う。ゲームとかであるだろう? 炎を出したり雷を落としたり」
「……どんどん非現実的になっていくわね。貴方、ファンタジーマニア?」
「まさか。僕はリアリストだと自負しているよ。――――今話しているのは非現実というより、反現実。君らが暮らす現実の裏側にあるものだ」
 そんなことを言われても、信じようがない。
 百歩譲ってあの化け物――改造人間とやらを認めても、そんな訳の分からない力など信じられるはずがなかった。
「件の研究所は異法人によって壊滅させられた。サンプルの少女も行方知れずだ。見つけたら是非確保したいところだね」
「そんなのはどうだっていい。……記憶処理ってのは何なのよ、それもその力ってやつ?」
「明らかに信じてない口振りだね。やれるもんならやってみろ、という感じかな。……生憎僕は普通の人間だからね、そんな異常な真似は出来ない。ただ、記憶をある程度いじることは機械で出来る。捏造するのは無理だし、完全に消去するのは不可能だがね。……ちょいと薄めることは簡単だ」
 ……簡単?
 ならば、彼女に七年前の記憶がないのは……やはり誰かが意図的に行ったことなのか。
 しかも、それは超人でなくともある程度設備が整っていれば出来る……?
「その技術は……七年前にはあったの?」
「ん……? 記憶処理のことかい? 七年前か。あったかな。なかったような気もするけど、もしかしたらあったかもしれないね」
 曖昧な言い方が癪だったが、無理に聞き出すことは出来そうにもなかった。
「さて、質問は終わりかい? 君は一番肝心なことを聞いてないと思うんだけど」
「……現状の想像くらいはつくわ。貴方は誘拐犯で、私は実験材料にされる。約十一回の手術を含めた百八十時間で私も化け物の仲間入りってことでしょ?」
「冷静だね。君は僕と同じタイプかな? 恐怖よりも先に知的好奇心が働く。……今の話、聞いてて面白かったかい?」
「信じられない部分が多過ぎる」
「信じられる部分は?」
「反吐が出そうよ」
「――――最高だ」
 ぱちぱちと、無音の部屋に乾いた拍手の音が響き渡る。
 男はいやらしい笑みを浮かべたまま、何度も手を叩いていた。
 ――――その隙を、涼子は見逃さない。
 手は、手首に紐が巻きつけられていて動かない。
 だが先ほどから何度も拳を握ったり放したりしていたため、どうにかすり抜けそうだった。
『もし手首を掴まれたりしたら、一旦拳を握ってから開くといい。少し緩くなって、すり抜けやすくなる』
 格闘技を学んでいる倉凪梢の言葉が、頭に浮かんだ。
 軽く手を動かしてみると、確かに無理をすればすり抜けられないこともなさそうだった。
 男はまだ馬鹿みたいに拍手を続けている。
 ……今だ!
 手を動かしつつ、拘束されていない足で男の腹部を狙う……!
「む……!?」
 男が異変に気づいたらしいがもう遅い。
 涼子の蹴りが男の腹に直撃。
「がっ!?」
 不意の攻撃に男はよろめく。
 その隙に涼子は両手を解放しようとした。
 だが焦りのせいか、左手を抜くことに失敗する……!
「この、アマァァッ!」
 左手に手をかけようとした瞬間、立ち直った男が襲いかかってきた。
 先ほどの蹴りは驚かせることは出来ても、ダメージを負わせるには至らなかったらしい。
 無理な体勢から放ったのだから当然と言えば当然だ。
 男は涼子の頭を掴むと、ベッドの上に叩きつける。
「……ッ!」
 そのまま左肩を押さえられ、背中に馬乗りされた。
 男は涼子を仰向けに転がすと、迷わず顔面を殴りつける。
「あ……ッ!」
「痛いな、痛いな、痛いな痛いな痛いな痛いな痛いな痛いな。いや、あんまり痛くないか。でも驚いたな。大人しくしてくれれば良かったのに。どうせここからは出られないんだから。それとも怖くなったのかい、自分があんな化け物にされると思ったら!」
「だ、誰が! あんたの狂った研究に、付き合うもんか!」
「狂った研究とは失礼だね」
 一発。
「どうやら異法人の存在を信じられないのが原因かな?」
 もう一発。
「だったらもうすぐサンプルがここに来る。見てみるといい。連中がいかに人類にとって有害な化け物であるかを証明してあげよう」
 更に一発。
「そうすれば分かるはずだ――――僕らのやっていることが正しいと!」
「んな訳、ないでしょうが……!」
 口答えしたのが気に入らなかったのか、今度は眼の辺りを殴りつけられた。
「仮にあんたの話が本当だとして……異法人ってのがいたとしても! 私はあんたを認めない! あんたのやってることには吐き気がするわ! 理屈じゃない、人間として当然の感情からそう思うわよ!」
「あははははははははははは……黙れ小娘。お前になど認められなくても構わん」
 最後に鼻っ柱に一撃。
 ――――そこで涼子の意識は落ちた。

「どうも、お待たせしました」
 零次たちが用意された部屋で待機していると、白衣を身に纏った男が入ってきた。
 格好からして、この男がここの研究員なのだろう。
「それで、異法人というのは」
「この男です」
 零次が指し示した先には、猿ぐつわをさせられている霧島がいた。
 凄まじい形相で白衣の男を睨みつけるが、拘束されている身なので効果はない。
 男はむしろ嘲笑し、
「随分と反抗的ですね」
「その辺りは仕方ありません。それに我々は貴方にお売りするまでが仕事です……それ以降は」
「こちらでやれと……ふふ、分かっていますよ」
 ねちねちとした笑みを浮かべる。
 零次は内心こみ上げてくる不快感をどうにか抑えながら続けた。
「しかし思ったよりも小さい研究施設ですな。貴方お一人で?」
 いかにも、相手の実力を疑ってかかるような言い方だった。
 これに男は不愉快そうな表情を浮かべるが、それは零次の計算の内である。
「ご心配なく。ここが地下二階。この階層は今のような客人用、そして我々が寝起きする部屋があるだけです……研究施設は地下三階。出入り口が一つしかないのが面倒ですが、それ以外は優れた施設だと自負しております」
「……防衛に関しては大丈夫なんですか? 最近郊外の研究施設が襲撃されたと聞いておりますが」
「第三施設のことですね。あそこは駄目でしたな。ここは問題ありませんが」
「と言うと?」
「色々あるんですよ、契約の関係とか……あと、失敗作の改良に成功しましてね」
 自慢げに語る。
 それこそが零次たちの聞き出したいことだった。
「改良……? あれらは、思考能力を持たない獣のようなものだと認識していたのですが」
「ええそうですね。ですが、私は連中の脳にあるチップを埋め込むことで、ある程度制御できるようにしたのです。身体能力だけならライオンでさえ簡単に殺せるような連中ですからね、頼りになります」
 どうやら、霧島の掴んだ情報は本物だったらしい。
 ……この外道が。
 零次は今すぐにでもこの男を叩きのめしたいと思っている。
 だが後一歩。
 もう少しだけ、我慢しなければならない。
「それは興味深いですな。商談の前にちと見せてもらえませんか」
「……ふむ、魔術師殿が?」
「私は精神に関わる魔術を専攻していますので」
「分かりました。ただ、その異法人に逃げられては……」
「それなら心配無用です。……刃、頼む」
 零次は刃と、霧島に視線を向ける。
 頼むというのは、勿論霧島を見張っているということではない。
 ――――ここの連中を誰一人として逃がすな、ということだった。
「では参りましょうか」
「ええ、実に楽しみです」
 部屋から出て、二人は地下三階へと向かった。

 地下二階は狭苦しい通路と、僅かな部屋だけ。
 それとは対照的に――地下三階は、広大な部屋が一つ。
 そこには様々なポッドやマシン、そして――失敗作を収納する巨大なケースがあった。
 中には十人ほど、白衣を着込んだ男たちが待機している。
「これはこれは。なかなか立派な施設ですな」
「でしょう? 十年かけてここまで来たんです」
「……なにより意外です。とても静かだ」
 失敗作たちのケースを見ながら零次は感心した風な素振りを見せる。
 本来失敗作と言うのは、身体へかかる負担から来る痛みに常時襲われ続けているため、常に怨恨の言葉が口から漏れているものだった。
 あるいは、変わり果てた自分に対し、精神的な苦痛を感じている場合もある。
 だが、この研究施設の失敗作たちは静かだった。
 何も言わない。
 まるで、人形のように。
「余計な思考は与えないようにしているのです。ただただ、私たちの命令に従うだけの存在ですよ」
「なるほど、優れた兵器というわけですな」
「ええ。まぁ化け物には変わりないので、気味悪いんですがね」
 化け物にした張本人が、せせら笑う。
 そろそろ、零次も我慢の限界だった。
「ところで一つ伺いたいのですが」
「はい、なんでしょう」
「異法隊という組織をご存知でしょうか」
「……知ってるも何も、我々にとってもっとも厄介な存在ですよ。化け物どもの巣窟で――ぶげっ!?」
 最後まで言い終わらないうちに、男は零次に殴り飛ばされた。
 そのときの衝撃で、前歯がまとめてへし折れる。
 他の研究員たちが、ぎょっとした様子で零次を見た。
「知っているなら話が早い。俺は異法隊隊員、久坂零次という者だ」
 ゆっくりと、はっきりと名乗り上げる。
 まるで懺悔の時間を与えようとしているかのように。
 研究員たちの表情に、恐怖の色が浮かび上がった。
「貴様らの所業は許し難い。この場で刑を執行する」
「な、なんひゃと……!?」
 殴り飛ばされた男が、口元の血を拭いながら立ち上がる。
 零次はそれを完全に無視して、高らかに叫んだ。
「――――覚悟しろ。貴様らが人に与えてきた痛み、それを今知れ」

 ガラスを叩き割る音と共に、失敗作たちがケースから躍り出る。
 先ほどまで人形のように動かなかった異形の者たちが、今零次の前に立ち塞がった。
 失敗作を盾にして研究員たちは階段を駆け上って逃げ出そうとする。
 それは想定内のこと。
 研究員や他の雑魚に関しては刃と霧島に任せればいい。
 問題は失敗作たち。
 彼らは身体能力だけは高い。
 高い……が、それでも零次たち異法人に太刀打ちできるレベルではなかった。
 もっとも、それは一対一の場合。
 今零次の前には、五十体以上の失敗作たちが立ちはだかっている。
「ギッ……!」
 一体が零次に飛び掛ってくる。
 バイクが突進してくるような速度。
 零次はこれをなんなく避けるが、すぐに別方向からも攻撃がきた。
「第一段階解放――arm」
 自分の腕が、何かに浸食されていく感覚。
 それは零次の力を発動させる過程。
 痛みと気色悪さに耐えれば、すぐさまその力が零次の身に宿る。
 黒色の両腕。
 それが現れたことを確認すると、零次はすぐさま両腕を力任せに振り回した。
 その動作だけで、零次に群がってこようとした失敗作たちは振り落とされる。
「悪く思うな」
 元は人間だった者たち。
 哀れなる犠牲者。
 だが、それが相手だからといって加減は出来ない。
「はああぁぁぁっ!」
 黒き悪魔の腕が振るわれる。
 その度に失敗作たちの身体は千切れ、崩れ、形を失っていく。
 腕に残るのは殺戮の感触。
 周囲に広がるのは赤い血の海。
 それは間違いなく地獄の断片。
 人の住む領域ではない。
 同胞の血海を乗り越えて迫り来る失敗作たちも、人間ではない。
 殺戮を生み出す自分もまた、人間ではない。
 だというのに、流れる血は人のもの。
 悲しむ心もまた人のもの。
 そして――この状況を生み出したのも、人。
「なんて――――滑稽な地獄だ」
 深き業の地下室。
 そこに広がる血のダンスは、まだ終わりそうにない。

「ひいっ、ひいっ」
 前歯をへし折られた不様な男が階段を駆け上る。
 逃げなければならない。
 異法人は彼にとって絶対相容れない敵。
 その敵にここまで侵入を許した以上、なによりもまず逃げ出すことが大事だった。
 ……研究なんざくそくらえだッ! いい金儲けになると思ってやってたのによオオォォォッ!
 心の中で、可能な限りの悪態をつく。
 が、そこで彼の思考は途切れた。
「……」
「どこへ逃げる気だ、兄ちゃんよぉ」
 男の目の前には、刃と霧島が立っている。
「迂闊だったな。今の今まで『もしかしたら逃げ切れるかも』とか思ってたのかもしれねぇけど、そうはいかねぇ。俺たちのこと、忘れてもらっちゃ困るぜ」
「あ、あ、あ……」
「にしても前歯まとめてへし折られたか。酷いもんだねぇ」
 怯える男のことなどお構いなしに、霧島は男の口をこじ開けた。
「あらら、血まみれだこりゃ。大変だなお前も。なんならいい医者紹介してやろうか」
「は、ひ、ひ」
「何言いたいのか分かんないぜ、兄ちゃんよ。まぁとりあえず、」
 刹那、霧島の膝が男の腹部にめり込む。
「……休んでろ。出来れば永遠にな」
 男はそのまま壁に叩きつけられ、気絶した。
「……お前も存外、容赦がない」
「うっせぇ。俺はこういった人を人とも思わない連中が一番嫌いなんだよ」
「同感ではある」
 刃は背後を振り返る。
 そこにはこの数分間で捕まえた研究員たちが、まとめて縛り上げられていた。
 他にもバーのマスターや、数人の客が混じっている。
「霧島」
「ん?」
「俺は零次を見てくる」
「そっか。んじゃ俺はこいつらまとめて、二階の様子でも見てるぜ。誰かまだいるかもしれないからな」
「ああ」
 刃は、巨体の割には素早い動きで地下三階へと向かう。
 それを見送り、霧島は前歯のない男を縛り上げた。
「さてと、誰かいるかね」
 霧島は近くの扉に視線を向ける。
 ――――そこは、涼子が囚われている部屋だった。

 あれから、どれくらいの時間が経ったのだろう。
 顔中に広がる痛みで眼が覚める。
 眼が上手く開かず、どこか景色が霞んで見えた。
 遠くで何かが叫ぶような声が聞こえる。
 廊下の方からも、何かがぶつかるような音が聞こえた。
 やがて、部屋の扉が開いた。
「誰……?」
 自分でも驚くほど、声に力がなかった。
 もうどうにもならないんだ、と諦めているからかもしれない。
 入ってきたのは長身の男だった。
 どこか愛嬌がありつつ、それでも猛々しいような印象がある顔。
 先ほどの男とは、まるで雰囲気が違っていた。
 男は涼子の声に気づいて驚いたらしい。
「おいおい、誰かいるのか?」
「……ここ」
 か細い声で、自分の居場所を知らせる。
 男はベッドの上で寝かされている涼子に気づいた。
「おーおー、大丈夫か嬢ちゃん。ってひでぇな、顔中傷だらけ……誰だよこんなことしたの」
「……あいつの、仲間じゃないの?」
 なんとなく、そんな気がした。
 だが言葉として聞きたい。
 そうでなければ、安心できなかった。
「あいつ? ここの白衣着た連中のことか?」
「そう」
「だったら違う。俺は連中の敵だぜ」
「……敵」
 あの白衣の男たちの、敵。
 それは――。
「あいつ、言ってた……」
「ん?」
「自分たちは、超人に対抗するために、なんか実験してるんだって。超人は敵だって」
「……」
「貴方は、その、そういう人なの?」
「……まあ、な」
 少し寂しそうに男は笑う。
「漫画とかでよくあるだろ、超能力者とかなんとかって。俺たちはそういう類の生き物さ。異法人って言うんだけどな」
 異法人。
 ……さっきの話にも、そんな単語が出てきたな。
「……ふふ、そうなんだ」
「何か、おかしいか?」
 いきなり笑い出した涼子に、男は怪訝そうに顔をしかめた。
 涼子はゆっくりと頭を振る。
「不思議なことだらけでね。いきなり誘拐されるし、ファンタジーみたいな話されるし、顔ボコボコに殴られるし……それで今度は、超人さんが出てくるなんてね」
「……なるほど。笑うしかない状況ってわけか」
 同情するように男は溜息をついた。
 涼子もひとしきり笑ってから、同じように溜息をつく。
「それで、私はどうなるの?」
「さぁ? 俺たちはここの連中を取り締まりに来ただけだし、嬢ちゃんのことは知らん。送って欲しいなら家まで送るけど」
「――――なんか、普通ね」
 何から何まで普通。
 雰囲気もそうだし言っていることも普通だった。
 強いて普通じゃない点をあげるならば、こんなところに来ていることぐらいだろうか。
「なんだ、普通じゃ悪いか?」
「そうじゃないけど。正直色んなことがいきなり過ぎて混乱寸前だから、普通の対応されてちょっと安心した」
「だろうな。大方いきなり拉致られて、訳の分からん話を聞かされたんだろ」
「図星」
「……全く、災難だねぇ」
 苦笑を漏らしながら、男はそっと手を差し伸べてきた。
「ここの下で今俺の仲間が戦ってる。大丈夫だと思うが、一応さっさと避難すべきだな。……立てるか?」
「平気よ」
 ゆっくりと左手の拘束を解きながらベッドから降りる。
 ところが地に右足をつけた瞬間、激痛が走った。
 顔をしかめた涼子に気づき、
「ちょいと失礼。……ありゃま、少し捻ってるな」
「……さっき、無理な体勢で蹴りかましたかしらね」
「お転婆だこと。仕方ない、肩貸してあげよう」
 言葉に甘えて肩を借りようとしたが、身長差があり過ぎて無理だった。
「……背、高すぎ」
「軽口叩けるなら上等だ」
 ――――そんな訳で止むを得ず、涼子は抱きかかえられていた。
「あ、そうそう。一応名乗っておくか。初対面の人にはまず名乗る。それが人間関係を円滑にする方法の一つだ。ってなわけで、俺は霧島直人。嬢ちゃんは?」
「……冬塚、涼子」
 男の勢いに押されて、涼子は自然と名乗ってしまっていた。

 部屋から出ると、山積みになった人の群れ。
 それを見て、涼子はようやく自分が異常事態にあることを思い出した。
「……し、死んでない?」
「生きてる生きてる。無闇に殺したりはしねぇって」
 恐る恐る山積みになった人の群れを見る。
 その中には、先ほどの男の姿があった。
 呻き声を上げ、意識を取り戻しつつあるらしい。
 ぴくぴくと身体を動かしながら、涼子たちの方を睨みすえた。
 そしていきなり、
「……い、異法人がぁ……! 貴様らも、その女が目当てか!」
 目を見開き、涼子のことを指差す。
 ……『私』が、目当て?
 突然の言葉に、涼子は少なからず動揺した。
 この男は、適当に道端を歩いている間抜けな女学生ではなく――――"冬塚涼子"を狙ったということなのか。
「おいおい。この嬢ちゃんがなんだってんだ?」
 動揺している涼子の代わりに、霧島が問う。
 男は答えず、じっと霧島の顔を見ていた。
「……ははは、傑作だ。知らないのか知らないのか異法人! そして君も自分で理解していないようだ! 傑作だ、こいつは傑作だ!」
「な、何よ……! あんた、私を実験材料にするとか言ってたじゃない!」
「それは君の推測であって僕は肯定しちゃいない。……君もやはり動揺してたのかなぁ? 考えてみたまえ、実験材料の人間など買えば済むことだ。わざわざ僕らが直に手を出す必要性などない。それなのに、なぜ僕は君をさらったと思う? くく、ふはははははは!」
 それは心底ぞっとする笑みだった。
 相手は前歯をへし折られ、声も不明瞭。
 追い詰められているのは明らかにあちらなのに、その咆哮がいやに恐ろしい。
「笑ってないで答えろよ。……お前、自分の立場わきまえてるか?」
「わきまえているとも! だからこそ私が知っていることをぶち撒けてやろう! はは、ははははははははははははは!」
 恐怖のあまり気が狂ったのか、男はひたすら笑い続ける。
 やがてそれがぴたりと収まり、
「その女は冬塚夫妻の一人娘。だが――――実はそうじゃないんだなぁ。『八島優香』の妹! 七年前の謎を解く鍵! あの日あの夫妻が何者かに殺されたとき、八島優香が行方をくらましたとき、その一部始終を見た娘だ! 夫妻の研究資料、八島優香の行方、あるいはもっと別の何かを知っている可能性もある。……この地区の研究施設にとってはブラックボックスだ。喉から手が突き出ても欲しいサンプルなのだよ!」
 怒涛の勢いでまくし立てる。
 男の言っていることは半分以上、まるで意味が分からなかった。
 だが、とても不快だった。
「ちょっと、あんた……!」
 涼子が何か言いかけて、
「はは――げぶっっ!?」
 それよりも速く、霧島が男を蹴り飛ばしていた。
 たったの一蹴り。
 しかしそこには容赦も何もなく、男は壁を突き抜けて奥の部屋へと吹き飛ばされる。
「――――――己の知的好奇心に人を巻き込むんじゃねぇよ」
 先ほどまでとは一変した、霧島直人の顔。
 それは、例えるなら戦士の顔だった。
 呆然と見上げる涼子の視線に気づいたのか、霧島は一気に顔の力を抜いた。
「ふーっ。すまんすまん、ああいうの見ると何かこう、腹立たしくてな。もしかしたら前世で研究者に何かされたのかもしれん」
「……は、はぁ」
「しかし、嬢ちゃんも災難だな、本当に」
 同情よりも深い、哀れみの視線。
 それが何を意味するのか、涼子は最初理解出来なかった。
「……なるほど確かに奴の言葉は納得出来る。連中は実験材料を入手するなら金で買えばいい。ルートは確か生きてたはずだしな……町中で人を連れさらうなんざリスクが高すぎる。それでも嬢ちゃんを連れさらおうってんだから、よほど重要なんだろうな」
「う……」
 そう言われると、怖いものがある。
 明確に自分と言う一個人を狙ってきたのだ。
 全然理由は分からないが、冬塚涼子という存在が狙われたのだ。
 ぞっとする。
「で、でも。霧島さんたちはここの連中を倒しに来たんでしょ……? なら、もう大丈夫じゃ」
「全然大丈夫じゃないな。……この間ここと似たような施設が潰されたのは知ってるだろう?」
「え……うん」
「つまり、まだ似たような施設がある可能性もあるってことだ。……ぶっちゃけ、その確率はかなり高い」
「……それって」
「ああ。嬢ちゃん、あんた――――また狙われるかもしれないぜ」
 脅す風でもなく、ただ客観的に事実を述べるような、そんな口調。
 それだけに、かえって涼子は薄ら寒いものを覚えた。

 地下三階は悲惨な有様となっていた。
 床だけでなく壁や天井にまで赤い血が飛び散り、それらの赤に混じって、元は人間だった者たちの残骸が散らばっていた。
 部屋の中央に佇む零次と刃も、その赤と残骸にまみれている。
「第三段階解放――head」
 零次は頭部を黒色に変質させる。
 赤く光る双眸が周囲を見渡した。
「……生存固体無し。任務完了だ」
 千里眼を用いて伏兵が存在しないことを確認すると、零次は変質させていた腕、脚、頭部を元に戻した。
 黒色から肌色へ。
 赤い双眸も元に戻り、千里眼の効果は失われる。
「むごいな」
 身体に付着した失敗作の残骸を払い落としながら、刃が呟く。
 確かにむごい。
 怨恨の声はない。
 ただそこには、意思さえも剥奪させられた人間の成れの果てがあるのみ。
 その中にもし、身近な人がいたら。
 そう思うと零次は、背筋に薄ら寒いものを感じる。
 あまりに、空虚。
「終わったかー?」
 場違いなまでに明るい霧島の声が響き渡る。
 霧島は階段から降りてくるなり、口元に手を当てた。
「うわ、こいつはまた……酷いな」
「ああ。お前は入ってこない方がいい。汚れるぞ」
「だな。あ、それと適当に汚れ落としたら上って来てくれ。ちょっと隊長含めて相談したいことがある」
 ……何事だ?
 柿澤源次郎を交えての話となると、それなりに重大なことだろう。
 任務自体は問題なく――――この惨状を問題なしとするのは気が引けたが――――終わったはずだ。
 ということは、何かアクシデントでも起きたのだろうか。
「詳しい話は後でな。電話で隊長呼んだから、全員揃ってから説明する」
 そう言って霧島は踵を返す。
 が、何かを言い忘れていたのか首だけ動かして、
「ちゃんと綺麗にして来いよ。……レディがお待ちかねだからな」
「――――は?」
 零次と刃は顔を見合わせて、同時に顔をしかめた。