異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第十三話「理解の時間」
 夜を駆け抜ける風。
 それが人の形をしていると、誰が気づくだろう。
 その風は真っ直ぐにある場所を目指していた。
 秋風市の中心部、駅付近にある高層ビル。
 赤間カンパニーの本社ビルだった。
 やがて風は、本社ビルの脇にある企業のビル……その屋上で停止した。
 月により闇が払われ、風の姿が明らかになる。
 鋭い目つきが何より特徴的な少年。
 倉凪梢だった。
「あー、こちら倉凪。本社ビル前」
『いいか、間違っても今日は中に入るんじゃねぇぞ』
 電話越しに聞こえる声は、思い切り梢のことを疑ってかかっている。
 もっとも梢は以前このビルに突入し、手痛い目にあっているから反論はできない。
 それでも、いつまでもこう疑われていてはあまり気分が良くない。
「なぁ吉崎、いい加減信用しろって。もう無茶しねぇからよ」
『理性のりの字もない頭の持ち主なんざ信じられねーな』
「……そういうてめーこそ、遥をまた苛めたりしてねぇだろうな」
『馬鹿抜かせ。どうこう言ってもお前が聞かないんだから、俺が彼女に言うことはもうないよ。ちゃんとごめんなさいしたもんねー』
「……ま、変な確執がないならそれでいいんだけどな」
『お前が無茶しなけりゃもっといいんだけどな。遥ちゃんだって、そんなの望んでないぞ』
「分かってるって、うっさいな」
『あ、そんなこと言いやがるかねお前は。だいたいお前は昔から……』
 説教が長くなりそうだったので、電話を切った。
 今頃家の方で悪態をつかれているだろうが、今の梢には関係ない。
 梢はそのまま息を潜めて、赤間カンパニーのビルに視線を向ける。
 直接乗り込むのではなく、監視。
 それが吉崎との話し合いで出た、今後の方針だった。
 とりあえず夜になってから赤間カンパニーのビルを監視。
 その際に不審な動きをする者がいれば、捕まえて情報を聞き出す。
 なんとも中途半端なやり方だが、これが梢と吉崎、双方の妥協案なのだから仕方がない。
 ……心配してもらうってのは存外厄介なもんだよなぁ。
 梢としては窮屈な気もするが、客観的に考えれば遥や吉崎たちの言い分の方が正しい。
 後先考えずにその場の思いつきで行動するのはまずいと、梢も分かってはいる。
 だからこそ妥協したのだ。
 ……ま、窮屈な気もするけど。それが普通だからなぁ。ってことは俺は普通じゃないのかコンチクショウ。
 胸中一人で勝手に愚痴る。
 当然反応はなく、虚しさが夜風に乗ってやって来ただけだった。
 携帯の画面を開く。
 五月十日、午前零時五分。
 日付が変わって間もない時間帯だった。
 とりあえず異変の気配はない。
 身体の方もそこそこ調子はいい。
 背中の痛みが少しきついが、それ以外は特に問題はない。
 ただこの間、眼前のビル――その屋上から叩き落されたときの記憶がない。
 今は補修も済まされて、梢が作った跡は残っていない。
 だからか、特に自分が落下したその場所を見ても、思い出すものはなかった。
「あの日、俺はどうやって家まで着いたんだっけかな」
 普段から記憶力にはあまり自信がない。
 スケジュールを忘れて吉崎や美緒に怒られるのはよくあることだし、クラスメートの藤田や斎藤たちにもからかわれることが多い。
「そんな頭だからか、何も思い出せないのは」
 気になる。
 だが思い出せない。
「お……」
 赤間ビルから誰かが出てきた。
 見たところの中年の男性らしく、黒服を共に大型の車に乗り込むところだった。
「黒服はボディガードかね、なんかやけに警戒してるようだが――――ん?」
 何か視線のようなものを感じた。
 周囲の気配を探ってみるが、疑わしい人物は発見できず。
 再び視界を眼下に戻すと、初老の男を乗せた車は既に出ていた。
 こんな時間に、ということを考えると少々不自然ではある。
 だが物腰から察するに、さほど不審なところはなさそうだった。
「気のせいか」
 結局、数十分監視を続けたものの、怪しい気配はない。
 梢はその場を離れ、榊原家に戻ることにした。

 人の気配が失せたスナック。
 そこの椅子に座りながら、涼子はあちこちに視線を動かす。
 隣に座っている霧島は苦笑して、
「おいおい、少し落ち着いたらどうだ? ほれ、ミルク」
「あ、ありがと」
「……お、来たみたいだな」
 涼子がミルクを手にしたと同時、地下から誰かが上ってくる音が聞こえた。
 自ら超人と名乗った霧島の仲間。
 果たして彼と同じように普通っぽい人なのか、それとも超人らしい人なのか。
 固唾を呑んで見守る涼子の前に現れたのは、二メートルを軽く越す巨人だった。
「……」
 霧島も背が高いが、現れた男はそれ以上だった。
 全体的にがっしりとした身体つきで、ふと涼子は岩を連想した。
 ファンタジーらしく言い換えればゴーレムと言うべきだろうか。
「よ、二人ともお疲れさん」
 呆然としている涼子の隣で、霧島が気軽な調子で声をかけた。
 ……二人?
 霧島の言葉に違和感を覚え、もう一度現れた男の方をよく見る。
 すると、巨体の男の影に――――もう一人、男がいた。
 しかも、涼子はその男に見覚えがあった。
「あ……! 始業式の日の!」
 思わず立ち上がり、影の男の顔を凝視する。
 間違いなく、あのとき意味深な発言をして消えた男だった。
 相手の方はというと……露骨に顔をしかめている。
「なんだ零次、知り合いか?」
「……いや」
 軽く頭を振って否定する。
 霧島はその返答に首を傾げながら、
「ま、いいか。とりあえず自己紹介。そっちのデカイのは矢崎刃。根暗そうな面してるのが――――久坂零次だ」
「誰が根暗か!」
「と、このように俺にとってはツッコミ役だ」
 おどける霧島に対し、零次は不機嫌そうだった。
 巨体の男――刃は全くの無表情で、何を考えているのかよく分からない。
「で、こっちのお嬢ちゃんが冬塚涼子さん。なんでもついさっき、バイトからの帰り道に拉致られたらしい」
「……本当か?」
 零次の双眸が涼子へと向けられる。
 切れ長の瞳はどこか、心配しているようにも見えた。
「で、こっからが重要なんだが……このまま続けてもいいですかね、柿澤隊長」
「――――構わん。続けろ」
 更なる声。
 いつのまにか、バーの入り口に中年の男が立っていた。
 どうやらこの男が指揮官らしい。
「……捕まえた連中の一人によると、彼女は意図的に狙われたらしいんです」
「何……?」
 零次が心配そうな声をあげる。
 ……口数は少ないけど、意外とリアクション豊富な人だなぁ。
 場違いにもそんなことを考えてしまう。
「俺にはさっぱり分からないんですが、七年前がどうだのブラックボックスがどうだの。研究資料やらなにやらを知ってるかもしれない、是非とも欲しいサンプルだとか抜かしてましたぜ。あ、むかついたんで蹴り飛ばしましたが」
「良い判断だ」
「うむ」
 あっさり認める柿澤と、同意する零次。
 なんだか変な集団だな、と思ってしまう。
「でまぁ、とどのつまり……彼女、今後もやばいんじゃないかなと思うわけですよ。このままじゃ」
「そうだな」
 柿澤はなにやら考えるような仕草をし、やがて涼子の方を向いた。
「冬塚涼子さん……だったかな?」
「……え、は、はいっ!?」
「緊張せずとも良い。まず、いきなり非日常の世界に叩き落されたことを深く同情する」
「は、はい」
「現状は把握出来ているかね? もう一度頭の中で整理したまえ」
 まず涼子を落ち着かせようというつもりなのだろう。
 柿澤は染み渡るような声で、お勧めの品物でも紹介するかのように言った。
 涼子はその厚意をありがたく受け取ることにした。
 こくりと頷き、数回の深呼吸。
 瞳を閉じて、現状を脳内で言葉にしてみる。
 まず、自分は怪しげな研究者どもに狙われているということ。
 研究者どもは異法人という超人を越えるために、人間をいじくり回しているということ。
 狙われる理由は、なにやら自分の家族に関係しているということ。
 そして……眼前の、異法人を名乗る集団に助けられたこと。
「……はい、理解出来てると思います」
「そうかね。では、君はどうすべきだと思う?」
「その前に、ちょっと気になったんですけど……」
「……なんだね」
 話の腰を折るのは悪いと思ったが、どうしても確かめたいことがあった。
「私、ここの奴に異法人っていう超人のことを聞かされました。……でも正直、半信半疑なんです」
「おいおい嬢ちゃん、俺の蹴り見てなかったのか?」
 霧島が横から口を挟んでくるが、柿澤が目線で黙らせた。
「……異法人について、何を聞いたかな」
「高い身体能力。……それは霧島さんを見たからなんとなく分かります。でも」
「――――能力の方か。確かにアレは、直に見ねば納得は出来まい。……霧島」
 はいよ、と霧島が立ち上がる。
 彼は周囲を見渡して、涼子の腕時計に眼を留めた。
「お、嬢ちゃん……アナログ時計だな。分かりやすい。んじゃ――――そこ、動くなよ」
 霧島は涼子から少し離れたところに立つ。
 そして指をパチンと鳴らした。
「時計を見てみな」
「え?」
 言われた通り、時計を見る。
 すると――――凄まじい勢いで針が回転し始めた。
 秒針などは目視するのも難しく、長針が秒単位で回転し続けている。
 霧島がさらに指を鳴らすと、長針の回転速度は更に速くなった。
「な、なにこれ……ッ!?」
「それが俺の『異法』。モノを加速させる"モルトヴィヴァーチェ"だ」
「え、え、え……!?」
「――――はい、ストップ」
 霧島が踵を鳴らすと、時計の速度は急に下がっていく。
 すぐさま元の速さに戻り、一秒毎に秒針が動くようになる。
「嬢ちゃんの時計だから種も仕掛けもないのは分かるよな? これで、信用してもらえたか」
「……」
 涼子はしばらく黙って時計を調べていたが……やがて頷いた。
 時計自体に変なところはなかった。
 ということは、霧島が何かしらの力を用いたということになる。
 あまりに現実離れしているが……認めるしかない。
「これで理解してもらえたかな、君が放り出された場所の現実が」
「……これぐらいで理解したなんて言うつもりはありませんけど。認めはします」
「賢明だ。今どきの若者にしてはしっかりしている」
「私は……どうなるんでしょう」
「正直に言うと分からない。なにしろこれは我々にとってもイレギュラーだ。もはや狙われることなく日常に帰れるかもしれないし、また狙われるかもしれない。脅すようで悪いが、ここのような施設は世界中に腐るほどあるからな……後者の可能性を安易に否定するのは止めた方がいいだろう」
「……」
 涼子は考える。
 この異法人たちの言っていることが真実ならば、自分の身はまだ危ういかもしれない。
 だがいかにして身を守ればいいか、なんてことは分からない。
 涼子にはこの異法人たちのような能力などない。
 出来ることなど、たかが知れている。
 だからと言って、何もしないわけにもいかない。
 そんな風に悩んでいると、
「まぁ、そんなに簡単に結論など出ないか。……そうだな、霧島」
「はい?」
「これから暫くは彼女の護衛につけ」
 ――――突然、予想もしない言葉が耳に入ってきた。
 ……え?
 話がいきなり飛んだことで思考は中断。
 涼子は呆然と一同を見回してから、
「ちょ、ちょっと待ってください?!」
「霧島では不服かね。確かに軽薄な男だが」
「いやそうじゃなくてっ! な、なんで急にそんな話になるんですか!?」
「君にとっても悪い話ではないだろう? 万一に備えての保険と考えたまえ」
「で、でも……」
「それに、我々にとっても必要なことなのでな」
 柿澤は涼子の意志などお構いなしに話を進める。
 確かに助かると言えば助かるが、なぜいきなりそういった話になるのか。
「君も聞かされているだろうが、ここのような連中と我々は一言でいうと敵同士だ。その連中が君を狙うとしたら、我々にとっても敵を発見する好機となるのだよ」
 ……いきなり打算的な話になったなぁ。
 確かに柿澤の言葉は色々と納得がいくし、筋も通っている。
 だが素直に受け入れがたいのはどういうことなのか。
「お互い損な話ではないと思うがね。……もっとも我々を信用出来ないなら、君にとっては怪しい話になるだろうが」
「い、いえ。そういうわけじゃ、ないんですけど」
 嘘だった。
 出会って間もない、異常な力を持つ者の集団。
 友達でも何でもない相手だ。
 はっきり言って、信用出来る出来ない以前の問題である。
 だが現時点では、涼子を害する相手ではない。
 なにより、助けられたという結果がある。
 涼子は悩んだ末に、その提案を承諾した。
「……分かりました。護衛してくれるなら、私としても嬉しいです」
「ああ。我々としても君が柔軟な思考力の持ち主でいてくれて嬉しいよ。普通なら頑なに否定されて話も出来ないか、錯乱されたり怯えられたりするかだからな」
 暗に自分が普通じゃないと言われている気がしたが、そこに突っ込むのは止めた。
「では今日は帰りなさい。霧島、彼女をお送りしろ」
「あいあいさー」
 ひらひらと柿澤に手を振りながら、霧島は涼子をぐいぐいと店の外へ押し出す。
「……そうだ、一つ忘れていた」
 すれ違い様に、柿澤が涼子を見た。
 その表情は闇に呑まれていて、よく見えない。
「我々は人探しをしていてね。……君と同じくらいの年の少女だ。少し前、ニュースで研究施設のことが話題になっただろう。あそこに囚われていた少女だ」
「……そう言えば、ここの奴も何か言ってました」
 確か、貴重なサンプルだったと。
 そして、研究施設が壊滅して以来行方不明だと。
「彼女は我らと同様、超常の力を持つ者だ。故に研究者どもに囚われていたのだが、施設壊滅の際、ある賊に連れ去られてね。我々は彼女を保護したいと考えているのだが、まだ見つからない」
「……分かりました。それらしき人がいたら伝えればいいんですね?」
「頼むよ。――――日常と非日常はとても身近なものだ。案外彼女も彼女を攫った賊も、君の身近にいるかもしれないな」
 まさか。
 そう笑い飛ばそうと思った。
 だが、なぜか出来なかった。

「……奇縁というべきか。彼女と君がこのような形で邂逅するとは。十の物語があったとして、このような出来事は一あるかないか、だな」
 語りかける柿澤に対し顔を背けながら、零次は壁に寄りかかった。
「なぜ霧島を?」
「君や刃ではまずかろう。――――特に君は、今の彼女と接するには不適切だ」
「……」
「それに霧島は"七年前"を知らん。彼女という存在と普通に接するには奴が最適だ」
「……分かっています」
「しかし、このような形で彼女がこちら側に来てしまうとはな。……一応、万一のことを考え、覚悟はしておきたまえ」
 万一のこと。
 それが起きないように、久坂零次は祈った。
 あの凄惨なる記憶。
 それが再び掘り起こされることのないように。

 五月十一日、日曜日。
 その日、梢たちは揃って買い物に出かけに来ていた。
 何を買うのかと言えば、遥の洋服である。
 これまで彼女は美緒の服を借りて生活していたのだが、どうにもサイズが合わない。
 そのことを懸念した美緒が半ば無理矢理連れ出したのである。
 一応ボディガードとして梢、榊原が同行していた。
 梢は勿論だが、榊原も尋常ではない強さを持つ。
 彼は特殊な能力などないが、『普通の人間』というのが憚られるほどの実力者だった。
「どうだ、遥とは」
 少し前を歩く遥と美緒を見ながら、榊原が口を開いた。
 彼は仕事のせいであまり家にいないため、遥とはあまり口を利いていない。
 それでも気にかけてはいるようで、今回の外出の後押しをしたのは榊原だった。
「俺も美緒もうまくやってるよ。吉崎ともそんなに揉めてないみたいだ」
「ああ。俺も少し話した程度だが、彼女は人の心を汲み取ることに秀でているようだ。……能力故かどうかは知らんが」
「だから吉崎が悪意持ってるわけじゃないってのも、分かった……ってか」
 梢としては複雑なところだった。
 吉崎と不和が生じないのは大変結構なことではある。
 あるのだが……榊原の言うような納得の仕方をしていたとしたら。
「……あいつさ。俺よりもずっとキツイ生活だったんだろうな」
「どういう意味だ?」
「そのまんま。だって今まであいつ、研究材料として扱われてたんだぜ? 周囲があいつにどんな感情を抱いていたか、敏感に察してたんだったら……辛いよ、それは」
 知的好奇心と恐怖と害意と。
 他にも様々な感情の中にいたに違いない。
 そして……その中に、好意と呼べるものはなかっただろう。
「どんな気持ちだったんだろうな。そんな環境の中にいて」
「知らん。だが今の彼女が何を思っているのかは分かる」
「……今?」
「初めて自分に好意を向けてくれる相手を見つけたことに、とても強い安心感と不安を抱いている」
 断定するような口調だった。
 こういうときの榊原には、有無を言わせない迫力がある。
「子供が親に対して思う感情と似ているかもしれん。この人と一緒にいれば安心だ、と」
「……そうかなぁ?」
「ああ。だからこそ失いはしないかと人一倍恐れている。心を寄せられる相手のありがたみを理解している……というほど生易しいものではないか。なにしろお前たち以外に、頼れる相手などいないのだからな」
「……」
「吉崎からも言われているだろうが、師として、そして親として俺からも言わせてもらう。……あまり無茶はするな、誰もそんなことは望んでいない」
「――――ま、肝に銘じとくさ」
 やれやれ、と笑みを漏らしながら答える。
 美緒と共に歩く遥を優しく見守りながら。
 皆心配性だな、と内心苦笑いしつつ。

 遥にとって町は未知の世界だった。
 これまで外に出かけることもなかったので、知らないことだらけ。
 道行く自転車に眼を奪われ、たまたま見かけた郵便ポストに心奪われ、危うく横断歩道を赤信号で渡るところだった。
「遥さん。今度から私の後ろを歩くようにっ!」
 美緒に怒られてしまった。
「は、話には聞いてたよ。横断歩道とか、知ってたもん。ただ見るのが初めてだっただけで……いや、その。……ごめんなさい」
 反論しきれず、頭を下げる。
 まるで「はじめてのおつかい」に失敗した子供のようだった。
「いい、赤信号は渡っちゃ駄目なんだからね。青信号のときは渡ってよし!」
「あ、うん。……美緒ちゃん、出来ればもう少し静かな声でお願いします」
 美緒の声に反応した人々が、何事かと視線を寄せてくる。
 世間知らずの遥でも、この状況がとてつもなく恥ずかしいことなのはなんとなく理解出来た。
 心なしか梢と榊原は距離を開けて他人の振りをしようとしてるようだ。薄情である。
 そんなことが何回も繰り返され、ようやく遥たちは商店街の中にある洋服屋に辿り着いた。
 駅付近の都市部に行けばもっと大きい店がいくらでもあるのだが、それは危険だということで梢に却下された。
「わ、これ可愛いんじゃない? お、これも捨てがたいなー」
 そして現在、遥は美緒の着せ替え人形となっていた。
 とりあえずサイズが合いそうな服を持ってきては、片っ端から着せていくのである。
 遥としては楽しいのだが、待たせている梢と榊原に悪い気がした。
 ……とりあえず適当に選んで帰ろうかな。
 試着室から顔を出し、美緒にその旨を告げようとしたところで、
「あ、ああああぁっ!?」
 美緒が驚愕の声を漏らしていた。
 ……何だろう?
 話しかけるタイミングを逃したまま、遥は美緒の視線を追いかける。
 ――――その先に、一人の少女がいた。
 顔にガーゼをつけており、そこからかすかに痣が見え隠れしていた。
 ポニーテールが特徴的で、背丈は美緒と同程度。
 ガーゼのせいで顔はよく見えないが、バランスの良さそうなスタイルの子だった。
「りょ、涼子ちゃん! おーい!」
 静かな店内に美緒の声が響き渡る。
 何人か他の客が迷惑そうな視線を向けていたが、美緒は気にしていないようだった。
 美緒の声に気づいたのだろう。
 少女――――冬塚涼子は店内に入ってきた。
 彼女を見て、美緒だけでなく梢や榊原も驚いている。
「ども、こんにちはー」
 声は明るく、けれど外見は痛々しい。
 美緒が詰めかかるように尋ねた。
「涼子ちゃん、その怪我どうしたのっ!?」
「え、ああコレ? これちょっと近所の野良猫に引っ掻かれてさ」
「猫に引っ掻かれて痣が出来るわけねぇだろ」
 梢が少し怒ったような声で、涼子の顔を指した。
「隠しきれてないぞ。……それ殴られた痕だよな。誰にやられた?」
「あ、あははー……」
 困っているようだった。
 どうやら彼女は怪我のことを誤魔化したかったらしい。
 あまり梢たちに心配をかけまいとしているようだった。
「ちょっと馬鹿な不良見つけて注意したら殴られまして。そいつチキンだったのか、私が倒れこんだらさっさと逃げちゃったみたいです」
「……本当かよ?」
 梢は疑いの眼差しを向けた。
 そこへ、タイミングを見計らって声をかける。
「あの、美緒ちゃん……」
「あ、遥さん。ごめん、忘れてた」
「……ま、まぁそれはいいんだけど。知り合いの人かな?」
「うん。私の親友やってる冬塚涼子ちゃん」
 と、そこで初めて遥は涼子と目が合った。
「……美緒ちゃん、そっちの人は?」
「あ、うん。えーとね」
「俺が昔本庁勤務だった頃の知り合いの娘だ。両親が亡くなり、今は客人として家に置いている」
 困った美緒に助け舟を出すため、榊原が適当な理由をでっち上げる。
 今後辻褄を合わせるためにその設定を頭に叩き込みながら、
「えっと、遥です。よろしくお願いします」
「どうも。冬塚涼子です。すみません遥さん、初対面でこんなの見せちゃって」
「いえ……早く良くなるといいですね」
 ……はきはきと物を言う感じの子だなぁ。
 なんというか、とてもさっぱりしている。
 その癖倣岸という印象はまるでない。
 涼しげというか、爽やかというか……不思議と、スラスラ話せる相手だった。
 遥の割り込みによってタイミングを失した梢を尻目に、涼子は一通り会話を終えると帰っていった。
「……なぁ遥。お前もうちょいタイミング考えろよ」
「考えてああしたんだよ」
「なんで」
「うん。なんていうか……殴られたこと自体は、冬塚さんの中ではもう解決してると思ったから」
「そうか?」
 納得しかねる様子の梢を榊原が叩く。
「あまりしつこ過ぎる男は嫌われるぞ。……解決云々も勿論だが、襲われたのが事実ならあまり思い出したくはないだろう。お前と違ってあの嬢ちゃんはただの女の子なんだしよ」
「……そういうもんか」
「そうだ。こういうときは自然に接してやれ。その上で事件的な問題が未解決なら俺のとこに持ってこい」
 言われて、梢は不承不承引き下がる。
 その様子を、遥は少し羨ましげに見ていた。
 ……親子って、ああいう感じなのかな。
 遥にはいない。
 否、昔はきっといたはずの――――存在。
 けれど、今の彼女に家族は……。
「――――ところで遥。買うものは決まったか?」
 不意に榊原が、こちらに声をかけてきた。
 これまでは挨拶程度しか話していなかったので、遥はどう答えるべきか分からなかった。
 オロオロしていると、
「決まったならさっさと来い。早くしないと、これからの時間帯は混む」
「あ……はい」
 そそくさと着替え、買うものをまとめて試着室を出る。
 美緒がそれを受け取りカウンターへ行く。
「……それで、次はどうする」
「え?」
「次だ次。どこへ行きたい?」
 その問いかけは、遥にとって意外なものだった。
 てっきり、衣類が必要だから買いに来ただけのことだと思っていたのである。
「呆けた面をするな。どこにも行きたくないならさっさと家に帰るぞ」
「……」
「どうする?」
 問いかけ。
 選択。
 それはついこの間梢に与えられたばかりのもの。
 とても大切で貴重なものだと思っていたが……まさか、すぐに次の選択肢が来るとは思わなかった。
「あの……服が必要だから買いに来ただけで、その」
「必要なことを共にするのは職場の同僚とかだろう。家族でそんなもの気にするか、たわけ」
「――――」
 口調は乱暴だったが、どことなく労りの言葉に聞こえた。
 あの日――――梢の手を取って良かったと。
 こんな些細なことで、改めて実感する。
「……私、スーパーってところに行ってみたいです」
「随分とささやかな夢だな……まぁいいか。スーパーなら梢、お前が案内してやれるな?」
「任せとけ。近所のおばちゃんたちから『鷲掴みの梢』と恐れられた俺の力を、存分に見せてやろう」
 相変わらず分からないことだらけで、梢の言っていることはよく分からなかったけど。
 ……楽しいな。
 素直にそう思える自分が、そこにいたような気がした。