異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第十四話「共に挑む」
 秋風市内、朝月町の中でも人通りの多い商店街区域を北に進むと、左右に分かれる道がある。
 左……つまり、西に進むと新興住宅街。
 反対に進むと、古くからの住宅街がある。
 涼子が一人暮らしをしているマンションは新興住宅街にあった。
 住宅街にある榊原邸からはそんなにかからない。
「ちぃーっす」
 梢は慣れた足取りで涼子の部屋へ向かい、インターホンを押す。
 数秒してから、涼子の声がした。
「あ、先輩ですか?」
「おう。今日学校休んだろ。皆心配してたぜー……ってことで差し入れだ」
 と、手にした袋を示してみせる。
 中には梢が作った洋菓子の他に、簡単な食事が入っていた。
「あれま、どうもすみません」
 そこでようやく扉が開いた。
 中から顔を出した涼子の顔は、相変わらずガーゼと包帯で覆われている。
「飯作ってないんだったら軽くこれでも食え。菓子は好きな時に食っていいぞ」
「先輩は昔から気が利きますねー。ありがたく頂戴します」
 早くに両親を亡くした影響か、基本的に涼子は目上の人間には敬語で話す。
 だが地の性格は、どちらかというと遠慮なく相手にぶつかっていくタイプだ。
 その点梢の妹であり、涼子にとっては親友である倉凪美緒に近い。
 ただ、美緒と比べると涼子は引き際を心得ている。
 梢とは先輩後輩というだけでなく、昔からの付き合いもある。
 敬語こそ使っているが、お互いさほど遠慮ということはしない。
「いやー、なんだか料理するのしんどいからカップラーメンにしよっかな、と思ってたんですけど。先輩のご飯が食べられるとは、儲けものです」
「怪我の方はいいのか?」
 明るく話す涼子に対して少し悪い気はしたが、梢は怪我について尋ねた。
 涼子は「あー」と、困ったような笑みを浮かべる。
「大丈夫です大丈夫。ちょっと見た目派手に見えるかもしれませんが、全然平気ですよ」
「そうかぁ? 全然平気って言って、本当に平気だって奴はあんまいない気がするぞ」
「……本当に大丈夫ですよ。いや、最初はちょっと怖かったしショックも受けましたけど」
 そりゃそうだ、と梢は頷く。
 昔からその手のことに慣れてしまった梢はともかく、普通の人にとって襲われるというのはかなりの恐怖感となるだろう。
 それがどれくらい恐ろしいことか、梢は実感としてはともかく――理屈では分かっているつもりだった。
「これからは夜暗くならないうちに家に帰った方がいいぜ。生徒会の仕事もとりあえず俺に任せとけ」
「先輩は人の動きをまとめるのは得意ですけど、意見をまとめるのは苦手じゃないですか。……安心してください、生徒会の仕事はやりますし、私はそんなにやわじゃないですよ」
「……」
 確かに、涼子は昔からどこか強い心の持ち主だった。
 梢が涼子と知り合ったのは、梢が中学に入る前後の頃。
 その頃から涼子は、同年代の子に比べて大人びていた。
 それも、成りきろうとしているのではなく……極自然に。
 そんな彼女を、梢は強いと思っている。
「ま、お前が強いのは認めるけどよ」
「……先輩が珍しく人を褒めてる?」
「茶化すなアホ。とりあえず、無茶すんなよ」
「心得てます」
 にんまりと、どこか愛嬌のある笑みで返してくる。
 こういう時の笑い方だけは、どこか年齢以上に若く感じさせられる。
 悪戯っ子というか、悪魔っ子のような表情なのだ。
 故に梢は、この表情が出た時の涼子を基本的に信用しない。
「……いや、本当に無茶すんなよ?」
「分かってますよ」
「マジに言ってんだからな」
「ええ、そりゃもう理解してます」
「うーん」
「先輩、叔父さんみたいですね」
 涼子の叔父は、亡き冬塚夫妻に代わって涼子の保護者となっている。
 実の娘ではないものの涼子を溺愛しており、一人暮らしの彼女のことをなにかと心配しては心を痛めているらしい。
 一人暮らしを希望する際にも、涼子や彼女の側についた叔母と揉め、渋々一人暮らしを認めて今に至る。
 子供に恵まれていないのもあるのだろうが、涼子にとっては少し困った叔父さんだった。
 それと一緒にされたのでは梢もたまったものではない。
「あの人と一緒にするなよ」
「分かりました。んじゃ、あんまり心配しすぎないでくださいよ、人のことで」
「へいへい」
 そこで会話を打ち切り、梢は家に戻ることにした。
 そろそろ暗くなってきたし、怪我人の御宅に長居するわけにもいかない。
「んじゃ、また今度な」
「はい、今日はどうもです」
 互いに軽く手を振って分かれる。
 陽は沈み、世界は夜の到来を告げていた。

 夜道を歩きながら、梢はかすかに顔をしかめた。
 現在は新興住宅街と、古くからの住宅街の間。
 そこから南下すると商店街があり、さらに先には朝月学園がある。
 分かれ道。
 そこに差しかかった際、常時周囲に張り巡らせている梢の感覚の網に――――何かが引っかかった。
 それは蜘蛛の巣が微風によって揺れ動いた程度のもの。
 だが梢の感覚は、それが決して微風ではないということを見抜いていた。
 ……む?
 感覚の網を、更に細やかに敷き詰める。
 この手の訓練は、梢の育ての親である榊原幻からさせられている。
 榊原幻が師範を務める天我不敗流の訓練らしく、同門の吉崎もある程度この技術は持ち合わせていた。
 梢は、自分の気配感知能力及び気配遮断能力にはいささか自信を持っている。
 故に、ほんの僅かな引っかかりであっても――――自分の感覚を信じることにした。
 今、倉凪梢は何者かに尾行されている。
 ……こいつはパンピーじゃねぇな。赤間の連中か?
 だとしたら、このまま放置しておくわけにはいかない。
 遥が待つ家に向かうのは論外だろう。
 ならば選択肢は二つ。
 人の多い場所に向かって、相手を撒く。
 あるいは、人の少ない場所に向かって相手と戦う。
 さて、どちらが賢明な道なのか。
 ……決まってる、前者だ。
 さすがに先日の反省がまだ生きていた。
 ここで相手と戦闘に入ったところで、梢にメリットはあまりない。
 そもそも勝てるかどうかも非情に怪しいものなのだ。
 ……慎重にいくか。
 相手の実力は未知数だったが、梢は肝が据わっているのか比較的落ち着いている。
 誰がどう見ても普通に歩いている、といった風に梢は商店街の方へ進んだ。
 気配に気づいてからこのアクションまで、約二秒。
 傍から見れば、単に曲がり角を曲がって商店街へ進む……そういう風にしか見えないだろう。
 それほど梢の動きは自然なものだった。
 ……でも気づいたのがここで良かったぜ。もうちょい進んでたら、人通りの少ない住宅街を行くしかなかった。
 おまけに家にも近い。
 偶然美緒や吉崎に遭遇したら、かなり面倒なことになるのは目に見えていた。
 気配は依然としてついてくる。
 商店街に入る段階になると、より強い視線を感じた。
 この時点で梢の直感は確信に変わってきている。
 間違いなく何者かは、梢を尾行しているのだ。
 ……さてと、どう撒くか。あんまし心配かけられないし、さっさと済ませたいんだけど。
 この時間帯だと、買い物客もそう多くはない。
 仕事帰りの人や、少し遅めの買い物をする人々の姿があるくらいだった。
 やがては皆、家に帰っていく。
 時間帯が遅くなればなるほど目立ち、相手を撒くことは難しくなる。
 早めに撒かなければならない、一番の理由はそれだった。
 じわりと汗が滲み出る。
 状況は、かなり悪い。
「……そうだ。念のため、電話しとかねぇと」
 下手に誤魔化したり、何も知らせなかったりすると、この前のように心配をかけてしまうだろう。
 梢としては甚だ不本意だったが、現状をそのまま伝えることにした。
「あ、もしもし。美緒か? ああ、ちょいとな。吉崎いるか? いるなら代わってくれ――――」

『……というわけだ。撒けるかどうか分からんから、今日は帰れないかもしれない』
「なるほど。そいつぁ運がなかったな」
 榊原邸の居間で、吉崎は梢と電話で話しこんでいた。
 今回はきちんと説明があったので、吉崎も状況を理解している。
「確かにそのままじゃヤバイわな。誰だか知らないが、お前を尾行するってんだからあまり歓迎できる相手じゃない。ここの場所を知られるのは絶対避けないと」
『だろ? だからまぁ、俺は適当にやってみるわ。早ければ深夜、遅ければ……明日にでも』
「明日ってのは保証出来ないだろ? 今どこだ、俺も行く」
『あぁっ? 何馬鹿言ってんだ、今俺のとこ来たら危ないだろうが』
 電話口の向こうで、焦燥の声が上がる。
 吉崎が向かうことには断固反対のようだった。
 こうなると梢は頑固だった。
 吉崎がどう言っても聞かないことが多い。
「危ないのはお前も一緒だろ」
『俺とお前じゃ危険度が違いすぎる。下手な真似すんじゃねぇ』
「そりゃ、そうかもしれないけどよ」
 梢と吉崎は、榊原幻が伝承者を務める天我不敗流の同門だった。
 しかし、一般人と規格外の能力者では実力に大きな壁がある。
 仮に相手が赤間カンパニーの能力者ならば、吉崎では相手にならない。
 そう簡単にくつがえすことの出来ない実力性ある。
 だからこそ、外道の手段を用いてでも能力者を越えようとする者たちが現れた。
「……だからってお前一人で大丈夫って保証はどこにもないぜ? 俺と二人ならどうにかなるかもしれんだろ」
『二人でもどうにもならないかもしれない。しれないしれない。そんなこと言っててもキリがねぇんだよ』
「だからってなぁ……!」
 吉崎が受話器に向かって大声を張り上げようとした、そのとき。
 ――――ポン、と吉崎の腕に触れた者がいた。
「……遥ちゃん」
「ごめん、吉崎君。読んじゃった」
「いや、読んじゃったって」
 吉崎も遥の能力に関しては説明を受けている。
 ――――触れた物の内面を読み取る力。
 今、彼女はその力を使って、吉崎から現状を読み取ったのだろう。
 そして、吉崎の内面も。
「それは別にいいけど……」
「本当にごめんね。……倉凪君、聞こえてる?」
『あ、ああ』
 熱くなりかけていた口論が中断され、梢も吉崎も冷静さを取り戻した。
 遥は真面目な表情で受話器に向かって語りかける。
「相手を完全に撒けるかどうかは、確認のしようがないよね」
『……いや、気配さえ感じなくなれば多分大丈夫だろ』
「そうかな。倉凪君が気配を感じないような距離から見張ることも出来ると思うよ」
『――――』
 遥の言うとおりだった。
 いかに梢の気配感知力が優れていようと、限界はある。
 梢の感覚の外から見張られていたら、分かりようがない。
 撒いたと思っても、その実まだ監視されている可能性はあるのだった。
『……だったらどうすんだよ。俺、ずっと帰れないぞ?』
「誘き寄せるの、相手を」
『簡単に言うけどな。どうやって誘き寄せる? それに、誘き寄せた後はどうすんだよ』
「――――私が餌になる」
 この発言には、梢も吉崎もぎょっとした。
 吉崎は驚きと戸惑いの眼差しを遥に向ける。
 梢も、電話口の向こうで唸り声を上げていた。
『馬鹿だろ、お前』
「でも、私が出て行けば、私を狙ってる人たちなら来ると思う」
『違ったら?』
「その時はその時」
『……うぉい』
 呆れたような梢の声。
 しかし、この状況で梢を尾行する相手となると、遥を狙っている連中の可能性はかなり高い。
 賭けてみる価値はある。
『仮に釣れたとして。どうするよ』
「話で解決できるなら、それが一番だと思う」
『俺、この間一蹴されたんだけど』
「無理なら、私は――――」
『待て。続き言うな』
 遥が何か言いかけるのを、梢が強い口調で抑えつけた。
『話が決裂したら、もう完璧正当防衛可能だよな。そん時は、俺が相手ぶっ飛ばす』
「……」
『文句言うなよ。俺としてはお前がこっち来るのも嫌なんだ。……今度は、そっちが妥協してくれ』
 頼む、と小声で言う。
 遥は吉崎に視線を向けた。
 先程まで引き締まっていた表情が、今はどこか不安げになっている。
 吉崎は軽く溜息をついた。
 やがて「しょうがない」と言いながら、にやりと笑ってみせた。
「おい倉凪」
『なんだよ。言っとくけど、俺はこれ以上の妥協はしねぇぞ』
「分かってるよ。お前の馬鹿さ加減はとっくに承知だ」
『……悪かったな』
「ただ、提案がある。遥ちゃん一人じゃ危ないから俺がそっちまで送る。交渉決裂の時は、俺が遥ちゃん逃がすぜ。それでどうよ」
 吉崎にはバイクがある。
 相手がもし梢と同等の足を持っているなら、バイクと同等の速さで走ることが出来るだろう。
 だがそれは速度の話だ。
 吉崎はこの町を知り抜いているし、バイクに関するテクニックは並のものではない。
 逃げる足としては、充分機能するのだった。
『――――ヘッ。結局俺ら、三人とも馬鹿だな、おい』
 それは賛同の言葉。
 梢が渋々ながらも決断したのは、遥の意志と、吉崎への信頼があったからだった。
「そういうこった。今から行くから、場所決めとけよ」
『そうだな……ウチやカンパニー付近は危ないだろうし。でも今商店街抜けて学校の方に行ってるんだよなー』
「んじゃ、そこでいいじゃん」
『あ?』
「学校の校庭。見渡しいいし、奇襲される心配はないんじゃないか」
 にやりと笑う吉崎。
 電話口の向こうでは、梢も同じような表情を浮かべているのだろう。
 不思議と遥には、そんな気がした。

 すぐさま出かけようとする遥に、吉崎は少し「待った」をかけた。
 首を傾げる遥に笑いかけながら、リビングにいる榊原と美緒に声をかける。
「師匠。事情分かった?」
「梢の手伝いだろう」
「ま、そういう感じで。行ってもいいっすよね」
 吉崎の問いかけに、榊原は若干眼を細めた。
 元々険しい顔つきの榊原がそうすると、かなり怖い。
「お前が行く必要はない。助けがいるなら、俺が行く」
「駄目駄目。師匠は明日も仕事があるでしょ」
「そんなものは些細なことだ」
 ギロリと、榊原の威圧がふりかかる。
 榊原は、梢よりは話が通じる。
 しかし、今回は簡単にいきそうにはなかった。
「師匠には家にいてもらわなきゃ困るんだよ。この家だって、どれだけ安全か分からない」
「……」
「そうなった時、美緒ちゃんを誰かが守らないと」
 美緒はというと、いつも開きっぱなしの口を閉じて、話をじっと聞いていた。
 榊原は低く唸り声を上げる。
「それに師匠に万一のことあったら大変だ。倉凪兄妹、それに遥ちゃん。三人は師匠がいなけりゃ……」
「分かった」
 吉崎の言葉を遮るように、榊原が手をあげる。
 納得しきっているわけではないが、止むを得ず、といった表情である。
 仮に榊原が死んだ場合、精神的な面で梢たちの受ける打撃は大きい。
 榊原は梢や美緒、吉崎にとっても育ての親なのである。
 遥にしても、戸籍すらない彼女の身元を保証してくれる唯一の人物だった。
「だが、手ぶらで出すわけにはいかん。少しだけ待っていろ」
 榊原は居間を出て、屋敷の離れにある倉庫の方へと向かっていった。
 数分後、榊原はあるものを持って戻って来た。
「……拳銃?」
「だね」
 吉崎と遥は手渡されたソレをじっと見つめている。
 それは赤と青の拳銃だった。
 しかし、拳銃にしてはあまりに軽い。
 ほとんど重さというものを感じないのである。
「これ、オモチャの拳銃とかじゃないよなぁ……?」
「違う。――――それは、魔銃だ」
「マジュウ?」
 聞き慣れない単語に、遥は首をかしげる。
 榊原は、時間があまりないことを見越したのか、手短に説明した。
「梢は草を使うだろ。あれは、魔力を使って引き起こしている現象だ。魔力は活動力とも言えるものでな、梢みたいな連中や、所謂魔術師と言われる連中以外の……俺や吉崎みたいな、普通の人間でも持っている。その魔銃は、その魔力を弾丸へと変えて放つことが出来るものだ」
「……つまり、倉凪みたいな力が使えるってことっすか?」
「どちらの拳銃にも固有能力は備わっているが……単純に魔弾を放つだけでも、殺傷力はかなり高い」
「どれくらい?」
「至近距離、最大威力で放てば……嫌な例えだが、お前でも倉凪を殺せる」
「――――」
 吉崎も遥も、手元の魔銃を見て戦慄した。
 手渡された拳銃。
 それは最早単なる武器ではなく、兵器だと気づいたのだ。
「だがそれはほぼ不可能に近い」
「……なんで?」
「梢のような身体能力が備わるわけではない以上、不利なものは不利だ。拳銃など弾が当たらねば意味がない。梢のような能力者ならば弾など余裕で避けれるだろう。さらに、先程も言ったが……魔銃の弾は魔力。つまりお前らの活力から作られているようなものだ。乱発すれば弾切れどころか、身動きすら取れなくなる。……考えて使え。あくまでそれは護身用だ」
 念を押すように、何度も榊原は言った。
 決して無闇に使うものではない、と。
 引き金を引くときは、どうしても、という状況だけにする。
 それが、魔銃を貸し与える際の条件だった。
 遥には青い拳銃。
 吉崎には赤い拳銃。
 二人はそれをじっと見つめていたが……やがて、榊原に向かって力強く頷いた。
 榊原は、そんな二人の肩を抱き寄せた。
「……無理するなよ。普通に行って、普通に帰って来い」
 今度は、二人とも瞬時に頷く。
 元より、それ以外の結末など考えていなかった。

 校庭で待つ梢の元へ、遥を連れた吉崎が現れた。
 五月十二日(月)、午後八時。
 校庭にバイクのまま入ってきた吉崎たちの姿を認めると、梢は軽く手をあげた。
「よ。本当に来るとは、困ったもんだぜ」
「……ごめんね。やっぱり迷惑だったかな」
「遥ちゃん、気にするなよ。こいつ、こういう奴だから。素直じゃねえんだ。本当は心配で心配でたまらないんだけどねぇ。くっくっく」
「何勝手に人のキャラクター決めつけてんだっ!?」
 遥を慰める吉崎。
 その首に腕を回して、梢は一気に固めた。
「ギ、ギブギブ! お前力強すぎ、馬鹿力! 馬鹿! お馬鹿様!」
「ったく、余計なこと言うんじゃねぇっての」
 梢はあっさりと手を引いた。
 元々力もさして入れていない。
 吉崎も大袈裟に言っただけだった。
 梢は鼻を掻きながら遥の方に向き直る。
「ま。確かに困るけど……お前の言ってることにも一理あるしな」
「……ありがと」
 そう言って、遥は控え目な笑顔を見せた。
 遥なりに考えてここに来たということを、梢は分かっている。
 自分にも何か出来ることはないか……それを探して、多分、このことに気づいたのだろう。
 一方的に守られて、守っている相手が傷つくというのは辛い。
 特に力なき者は、状況を覆すことが容易ではないのだ。
 出来ることなど、限られている。
 その中で遥は、自らを"餌"に出来ると気づいた。
 そしてそれを実行しようとしている。
 覚悟と、梢たちへの信頼があるからこそ出来ることだろう。
「で、気配はどうよ」
 吉崎が周囲を警戒しながら梢に囁く。
 彼も人並以上に気配を感知する力はあるが、梢よりは感覚の範囲が狭い。
「今も見てるぜ。ギラギラと、熱い視線を送ってきやがる。しかもビンゴっぽい」
「それって……」
「ああ。お前らが現れてから、視線の密度っつーか、そういうのが倍増した。間違いなく赤間の連中だ」
「ワーオ、遥ちゃんの作戦大成功。やったじゃん!」
「え、あ、うん……」
 何やら嬉しげな吉崎に、戸惑いながらも遥は相槌を打った。
 そこまで喜ぶ程のことではないのだが、吉崎としては、遥に自信を持たせようとしたのだ。
 厄介をかけているという立場上、遥は梢たちに引け目を感じているところがある。
 梢や吉崎は、それをどうにか取り払ってやりたいと思っているのだった。
 それは少しずつ。
 本当に少しずつ、取れてきている。
 ……早くこんな事態は解決して、もっと気軽に話せるようになりたいもんだ。
 遥は若干俯きがちで立っている。
 その頭を軽く撫でてやろうかと、梢は手を伸ばした。
 刹那。
「――――っ!」
 突如迫り来る尾行者の気配を確認。
 梢はそのままの勢いで、遥と吉崎を突き飛ばした。
 二人が梢の手から離れると同時に、梢も身体を横に転がす。
 コンマ一秒の差で、梢の立っていた場所が、抉り取られていた。
 突き飛ばされた二人が起き上がる。
 梢も素早く立ち上がり、二人の前に立った。
 そしてもう一人。
 ひょろりと細長い体躯、上から下まで真っ赤な風貌。
 華奢というよりは、刃物のように鋭い印象を与える男が、そこに立っていた。
「……ケッ」
 初撃を避けられたことが気に入らないのか、男は苛立たしげに鼻を鳴らした。
 悪意の込められた視線が、梢たちに向けられる。
「避けるんじゃねぇよ。素直に死んどけ」
「随分と無茶苦茶言うじゃねぇか。……なんだお前?」
「てめぇと同じ、異法人だ」
 ――――どくん。
 あの黒腕の男と対峙したときに感じた、不思議な鼓動。
 それは焦燥のようでもあり、歓喜のようでもあり、衝動のようでもあった。
「異法人? なんだそりゃ。頭悪いのか? 俺たちゃ一般ピーポーだぜ」
「嘘コケ。異法人同士は共鳴すんだよタコ。俺には分かる、てめぇが異法人だってな」
 ――――どくん。
「だいたい今の一撃避けてる時点で普通じゃねぇだろ。アホくせぇ騙しあいは止めようぜぇ?」
 げらげらと笑う。
 町に多少いる、ガラの悪い不良に見えなくもない。
 だが、中身はまるで違う。
 明らかに人間離れしていた――――怪物。
 ……俺の同類か。
「……で、そっちの女が遥。もう一人は……ケッ。どうでもいいか」
 言ってくれるじゃねぇの……と、普段の吉崎なら言っているだろう。
 しかし、相手は普通ではない。
 男の言い分に従うなら、異法人という奴だ。
「異法人ってな、何なんだ」
「知らないのかよ。ケッ。変な力持ってて、身体能力馬鹿高い奴のことさ……俺や、てめぇのようにな」
 げらげらと、また笑う。
 何がそんなに可笑しいのか。
 梢は段々苛々してきた。
「何なのかよく分からねぇが、お引取り願おうか。お前がいると俺ら家帰れないんでね」
「冗談。ターゲット見つけてるのに引き下がっちゃ、隊長にブチ殺される」
 ざわざわと、風が蠢き始めた。
 大気中にある魔力源が、眼前の男に集中している。
「早速戦闘態勢かよ。気が短すぎるぞ」
「ケッ。てめぇが悠長なんだよ」
「……チッ。遥、こりゃ駄目だ。話し合いにならねぇよ」
 視線は前の男に向けたまま、梢は遥に語りかけた。
「少なくとも俺の感覚内にゃ他に怪しい気配はない。逃げるなり隠れるなり、してくれ」
「……っ」
 遥が息を呑む音が聞こえた。
 望まぬ事態が起きようとしている。
 だがここまで来たらどうしようもない。
「気にすんな遥。俺もお前もやるこたぁやった。でも相手がこうも喧嘩腰じゃ、話にならねぇ」
「元より話なんざする気はねぇよ。俺たちは隊長の命令に従ってるだけだ。どうにかしたいなら、隊長の元まで辿り着いて見せるんだなぁ?」
 げらげらと。
 げらげらと。
 挑発するように。
 嘲笑するように。
 五月蝿かった。
「だったら、まずはお前をぶっ倒さないと話にならねぇな」
「……ケッ。倒す? ナマ抜かしてんじゃねぇぞ。俺は異法隊員、赤根甲子郎。てめぇみたいな雑草野郎に負けるかよ――――!」
 赤根の足が地から離れる。
 同時に、梢の身体が弾丸のように飛び出す。
 遥や吉崎にとっては初めて見ることになる――――異人同士の戦いが始まった。