異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第十五話「守りの武器」
 校庭には障害物が存在しない。
 しないからこそ、眼前の異常なる戦闘が鮮明に見える。
 あくまで、見えるだけだった。
 把握はまるで出来ていない。
 あるいは、見えてすらいない部分も多々あるかもしれない。
 速すぎる。
 力強すぎる。
 容赦なさすぎる。
 それが異法人同士の戦いだと、遥と吉崎は初めて目の当たりにした。
 梢と赤根の腕が軽く打ち合う。
 それだけでも大気中に紛れる魔力源が反応し、異様な音を立てた。
 ガラスが擦れ合うような、嫌な音が響く。
 それは空気が悲鳴をあげているようにも聞こえた。
 ――――こいつらの戦闘には耐えられない、と。
「遥ちゃん、どうする」
 乾いた喉を震わせながら、吉崎は隣に立つ遥に問いかけた。
 声を絞り出すだけでも一苦労な自分に、半ば愕然としながら。
 それは遥も同じらしい。
 あるいは、吉崎以上の衝撃を受けていただろう。
 吉崎は梢と組んでいることから、ある程度の荒事には慣れている。
 だが遥は、それこそ"何もない"生活を送ってきたのである。
 遥は震える身体をどうにか抑えながら、小さく頭を振った。
「ここにいる。……ここから逃げたら、駄目だと思う」
「でもよ」
「倉凪君が負けたら、そのときは私が行くよ」
 それは揺るぎなき決意だった。
 怖いはずなのに。
 恐ろしいはずなのに。
 それでもなお、遥は自分の意志を曲げない。
「それに榊原さんと約束したから。帰るときは、三人で帰るの……!」
「……遥ちゃん、肝据わってるじゃない。俺、ちょいと惚れ直したぜ」
 二人はそう言いながらも、戦いを見守り続ける。
 震える手は、ポケットの中に隠している魔銃に触れていた。
 強大な威力を誇る代わりに、代償も大きい危険な武器。
 榊原は「滅多なことでは使うな」と言っていたが、二人は梢が窮地に陥れば、迷わず使うつもりだった。

 常人ならば肉が削げ落ち、骨が砕かれるであろう威力。
 それが惜しげもなく、先程から何度も繰り出されている。
 梢たちにとっては、それさえも必殺になり得ない。
 先程から二人の戦いは一向に進展の気配を見せない。
 互いに相手の攻撃をガードし、決定打と言えるものを出していないからだ。
 このまま小競り合いを続けることの無意味さを悟り、両者は一旦距離を置く。
 梢の両腕は痺れてこそいるが、ダメージはない。
 それは赤根甲子郎にしても同じことだった。
「ケッ。思ってたよりはまともに身体動くようだな」
「ああ動くぜ。ビシバシ動く。ガシガシ動く」
「だがよぉ……半人前だな?」
 にやりと、赤根は勝ち誇った笑みを浮かべる。
 梢は内心舌打ちした。
「そうだろ? てめぇ、マジのバトルはあんまり経験ないだろ。ケッ。――――ある程度修羅場潜った奴なら越える一線を、てめぇは越えてない」
「さぁて、なんのことやら……」
 無理矢理薄ら笑いを浮かべてみせる。
 だが赤根の言っていることは事実だった。
 梢自身もそれを、今のやり取りで痛感している。
 額に汗が浮かぶ。
 ――――どくん。
 また、鼓動が鳴る。
 先程のものとは違う、心臓の鼓動だった。
「どうした、内心ビビってんのか? ケッ。女の前でみっともねぇ格好見せねぇように、しゃんとしろやっ!」
 赤根が右腕を天高く掲げる。
 何事だと梢が視線を向けると、赤根の頭上に浮かぶ月が――――二つに割れていた。
「なっ!?」
 違う。
 月が割れるなどありえない。
 あまりにも荒唐無稽だ。
 月は割れているのではない。
 赤根の掲げた手から、何かが伸びているのだ。
 それが、まるで月を割いているようにも見えて――――
「きちんと避けろよ。あるいは、まともに喰らってKOしやがれっ!」
「っ!」
 直感に従い、梢は横に跳んだ。
 刹那――――梢の頬を何かが切り裂く。
「倉凪君っ!」
 遥が咄嗟に叫んだ。
 だが梢としてはそれどころではない。
 敵の攻撃はまだ終わっていないのだから――――!
「そおらっ、次は避けられるかなっ!?」
 振り下ろしていた右腕を、今度は真横に払う。
 梢は赤根の手の動きを読んで、上空へ跳ぶ。
 月に照らされる赤根を見て、赤根の攻撃の正体が分かった。
「……爪かっ!」
 梢の頬を切り裂いたものの正体。
 それは、赤根の指先から伸びている爪だった。
 ただし、伸び方は尋常ではない。
 何メートルもの長さになっており、それはほとんど刀と言っても差し支えないものだった。
「分かったところで遅ぇっ! 宙に跳んだのを悔やみなっ!」
「っ! まず――――」
 宙に浮かぶ梢に、赤根の攻撃を避ける術はない。
「ハッ――――突き破れ、爪魔刀!」
 鋭利な爪の先端が、梢目掛けて放たれる。
 回避する術は、なかった。

 ぽたぽたと、伸びた爪から血が落ちる。
 ――――赤根甲子郎の爪は、梢の脇腹をわずかに貫いている。
 だが、それだけだ。
「っ、ぁっ」
 梢は宙に浮いている。
 爪に串刺しにされたまま、宙に吊り上げられていた。
「ケッ。身体捻ってど真ん中は避けたかよ」
 赤根はそのまま爪を振り、梢は地に投げ捨てられる。
 が、ダメージは致命的なものではない。
 歯を食いしばりながらも、梢はすぐに立ち上がった。
「ふいーっ、危ない危ない。伸縮自在の爪とは、厄介なもん持ってるな」
「伸縮自在? ケッ。てめぇ、何か勘違いしてねぇか?」
「……あ?」
 腹を押さえる梢には、余裕がない。
 致命的なダメージでこそないが、元々実戦経験はあちらが上なのだ。
 加えて、こちらが先にダメージを負ったことは、致命的ではないが――――致命的に、限りなく近い。
 対する赤根は、そんな梢を蔑むように見やる。
「どうやら思考も上手く回らないらしいなぁ? だったら、俺の爪をもう一度見せてやろうか」
「やれるもんなら、やってみろ。タネが割れてれば、お前の爪なんざへし折ってやる」
 一見強がっているだけにも見えるが、梢はそれくらいのことは可能だと思っている。
 出血が少し気になったが、身体はまだまだ無理が利きそうだった。
 しかし赤根は取り合わない。
「無駄だぜぇ……俺の爪は"誰にも砕けない"。例えてめぇが万全の状態だろうがな」
 赤根は静かに、手を梢の方へと突きつける。
 今からお前を貫くと、予告しているようだった。
「避けるか砕くか。好きな方を選んでみせろ。ケッ……それでもてめぇは、俺の爪を攻略できねぇ」
「そいつぁ、楽しみだなオイ」
 相手が折角分かりやすい動きをしているのだ。
 梢は傷口から手を離し、再び構える。
 刹那、梢がそうするのを待っていたかのようなタイミングの良さで――――赤根の爪が再び迫る。
 爪は恐るべき速度で伸長していく。
 五つの刃が、一斉に軌道に乗り襲い掛かってきた。
 梢はただ避けるつもりはない。
 赤根の最大の武器が爪ならば、砕けばそれで終わりだった。
 下手に避けて、第二撃を放たれる方が予測し難く、ダメージを受けやすい。
「……突き上げろ!」
 まさに爪が梢に突き刺さろうとした瞬間、梢は高らかに叫ぶ。
 そして、叫びに呼応するように、地から突如無数の蔦が現れた。
 蔦の出現速度は爪のそれより速い。
 瞬時に具現化された草は、一斉に五つの爪を絡め取り、動きを封じた。
「へし折れ!」
 梢の内側から魔力が流れ出る。
 魔力は爪を捕らえる蔦へと流し込まれ、急激に蔦の強度を上昇させる。
 さらに蔦は主人の命に従うように、一斉に蠢き始めた。
 即座に爪をへし折るつもりだ。
「それがてめぇの力か」
 爪を絡め取られ、右腕の動きを封じられた赤根が呟く。
 その声には驚愕もなく賞賛もなく、ただ確認しているだけのように聞こえる。
 というより、まさにそうだった。
 赤根にとって、梢の能力はさほど意味を持たない。
 それを今、改めて確認した。
「だから言ったろうが。無駄だってよ!」
 梢の具現化した蔦が、赤根の爪をへし折ろうとした。
 みしりと、爪に亀裂が走る。
 刹那――――爪が、ぐにゃりと曲がった。
 曲がった爪はくねくねと動き回り、梢の蔦を瞬時に切り払う。
「なっ……!?」
「てめぇは勘違いをしてたんだぜ。俺の爪は"伸縮自在"じゃねぇ。"変幻自在"なんだよ!」
 ぐにゃりと奇怪に曲がる、五つの爪。
 それは爪にも、刃物にすら見えない。
 明らかに異質な、異法の武装そのものだった。
 それが再び、梢を貫かんと迫り来る。
「ちいっ!」
 危険を察した梢は、全力で右へと飛び退く。
 が、今度は赤根が腕を振りなおすまでもなく、爪が軌道を変更しながら追いかけてくる。
「くそったれがっ!」
 梢は走って逃げる。
 戦いそのものを放棄する逃げではなく、攻撃を回避するための逃げ。
 しかしそれは、次第に梢の傷口を広げていく結果となった。
 このままでは梢は自滅する。
「こうなったら……!」
 形を変え、蛇のような動きで追いかけてくる爪。
 それを必死に回避しながら、梢は一気に赤根の元へ駆け出した。
「爪がいくら変幻自在だろうがっ……てめぇをぶっ倒せば同じことだ!」
「そうだなぁ。ケッ、普通はそう考える」
 突風の如き勢いで迫る梢。
 赤根は落ち着いた表情で、鼻を鳴らした。
 まるで馬鹿にするように。
 こんなことにも気づかないのかと言わんばかりの表情に。
「あ――――」
 梢は、理性ではなく本能で気づいた。
「気づくの、遅ぇんだよタコが」
 迫り来る梢目掛けて、赤根は左腕を突き出す。
「爪は両手で計十本、そんなことすら忘れたてめぇにゃ……馬鹿の称号をやるぜ!」
 背後から五つの刃。
 そして眼前には、新たに五つの刃。
 前後から十の刃。
 これでは、横に回避しても軌道修正によって、串刺しにされるだろう。
 絶体絶命、というやつだった。
 ――――どくん。
「――――倉凪君っ!」
「倉凪ぃっ!」
 遥と吉崎の絶叫が響き渡る。
 それを聞くまで、梢はすっかり二人のことを忘れていた。
 ……まずい。
 今のは、まずい。
 眼前に爪が迫る。
 背後からも同様の攻撃が迫る。
 ――――だが、そんなことはどうでもいい。
 この状況において、倉凪梢の肝を一番冷やしていたこと。
 それは前方の爪でもなければ後方の爪でもないし、ましてや赤根甲子郎の存在ですらない。
 ――――守るべき対象を忘れていた。
 それこそが、倉凪梢にとって、もっともやってはいけないことだった。
 死ぬのはいい。
 怖くない。
 痛いのはいい。
 我慢する。
 負けるのもいい。
 逃げれば済む。
 しかし、守れなくなるのは……どう足掻いても、耐えられそうになかった。
 ここで自分がやられては、最早遥を守る者がいなくなる。
 今まで束縛され続け、ようやく自由の片鱗を手にした少女。
 果たしてそんな彼女に、赤根甲子郎の背後にある組織は、自由を与えてくれるのか。
 否。
 彼女自身の選択を無視して、無理矢理連れて行こうとするような相手に、彼女は渡せない。
 ならばどうするべきか。
 負けなければいい。
 突破しろ。
 撃破しろ。
 勝利しろ。
 さすれば今このとき、彼女の自由は保障される。
「……ハッ」
 自らの眼球に赤根の爪が触れるのを見据えながら、梢は凄絶な笑みを浮かべてみせた。

 夜、零次の部屋には刃がやって来ていた。
 二人はここ数日の調査を報告しあっているところだ。
 霧島も当初はここに来る予定だったが、少し遅れてくるという連絡が入っている。
 両者の顔色は優れない。
 零次も刃も、あまり有効な情報は得ていないようだった。
 そこに、第三の人影が入り込んできた。
 二人は顔を上げる。
 そこにいたのは、刃の弟である矢崎亨だった。
「二人とも、その様子ではあまりいい情報を得られなかったみたいですね」
「そんなところだ。亨、お前は数日姿を消していたようだが……何か得られたか?」
「僕は一番高い可能性を追っていました」
「というと?」
 零次の問いかけに、亨は少し躊躇してから答えた。
「――――赤根を尾行してたんです」
 意外な言葉に、零次は眉をぴくりと動かした。
 刃は相変わらず言葉も発さず、表情も動かさない。
「い、いや、仲間を尾行するってのはちょっと悪いとは思ったんですけどね」
「いや、悪くない判断だ。赤根の後を追っていれば、確かに草野郎を見つける可能性は高い」
 赤根甲子郎は異法隊の中で、戦闘能力だけならさほど高くはない。
 しかし探索や調査が意外と得意なのだった。
 理屈や思案によって標的を探し出すというよりは、天性の嗅覚に従う部分が大きいのだが。
 それならば赤根と組んで仕事をすればいいのだが、生憎赤根は異法隊の中でもはぐれ者なのである。
 こちらから声をかけても共同作業を受け入れないだろうし、逆もまた然り。
「それで、赤根は標的を見つけたのか?」
「いやぁ、それが……僕の方が見つかっちゃいまして」
「……なるほど、つまり亨。お前、赤根に撒かれたのか」
「恥ずかしながら。充分以上に距離は取っていたんですが……あれは、もう少し近づいてみるべきでした」
 もっとも、近づいたところで解決するわけではない。
 どのみち亨では、赤根に気づかれぬまま尾行するのは難しかった。
 距離を縮めれば確かに見失いはしなかっただろうが、逆に赤根を刺激した結果――亨とトラブルを起こしていたかもしれない。
 当然この場合のトラブルとは、血生臭いものを指す。
「同じことだ。気づかれたなら仕方がない」
「そうですよね。で、なんか疲れちゃったんでそのままここに来ちゃいました」
「……それはどうかと思うぞ」
 このまま引き下がったのでは、ここ数日に亨がしてきた尾行は何の意味もないものとなる。
 せめて赤根が行きそうな場所を探ってみるなりすべきだった。
 何もしない、という選択肢は一番すべきではない。
 零次の冷めた視線を受けて、亨はたじろいだ。
「に、兄さん~」
「……まだだな」
 刃は刃で、亨に対しては手厳しい。
 まだ一人前ではない、という評価を下したのである。
 亨は少し不服そうだったが、特に反論する様子はない。
 自分でも、あまり出来のいい行動ではなかったと考えているからだろう。
「……でも、どうなんでしょうね。赤根が草野郎と戦ったら。勝ちますかね」
 話題の転換と、興味本位。
 亨は零次や刃に向かって意見を求めた。
 刃は特に答えない。
 無視しているわけではなく、判断材料がないから答えられないのだった。
 なにしろ刃はまだ草野郎こと、倉凪梢をろくに見たこともない。
 一応、零次と戦い敗北した状態の梢をちらりと見ているが……正直、判断に迷う。
 だが、零次は刃とは違った。
 彼は亨の問いかけに、鼻を鳴らして答える。
「――――勝てないだろう」
 どちらが、と言いかけて亨は口をつぐんだ。
 零次の表情にあるものを見て、瞬時に悟ったのだ。
 期待とも苛立ちとも言えるような、混沌とした評価。
 それは、間違っても赤根甲子郎に向けられたものではない。
「赤根では、勝てない」
「ず、随分と高く評価してるんですね……?」
「評価?」
 零次はさもおかしそうに、唇の端を吊り上げた。
 それは、この場にいない――あるいはどこにもいない、誰かへ向けた嘲笑だった。
「クク――――評価などはしていない。していないぞ、亨。あれはな、評価出来るものではない」
 そう。
 倉凪梢は、評価出来る存在ではなかった。
 異法隊。
 遥。
 本来、簡単に繋がるはずだった二つの要素。
 それが、梢の登場によって覆されている。
 それは必然なのかもしれない。
 だが、違うかもしれない。
 噛みあっていた歯車の間に入り込んだ異物。
 物語にとっての不確定要素。
 如何様にも形を変えるであろう、判別不能のUNKNOWN。
 そんなものに、評価はくだせない。
 そして、赤根甲子郎では――――あの不確定要素を取り除くことは出来ない。、

 状況はさほど変わっていなかった。
 少なくとも、遥や吉崎にはそう見えた。
 ただ一つ。
 梢は赤根甲子郎の爪を、止めていた。
 身を伏せて後方の爪を回避し、前方から来ていた爪と一緒に握り締めている。
 触れるものを切り裂く十の爪を、梢は握り締めていた。
「なん……だと?」
 赤根甲子郎の表情が歪む。
 まるで眼前の状況が信じられないかのように。
 梢の手に握られた爪は、いずれももがくように蠢き、そこから抜け出そうとする。
 しかし梢は爪の頭を押さえ、余計な動きをさせないようにしていた。
 先頭の動きさえ封じてしまえば、どうとでもなる。
「馬鹿な……なんだ、てめぇ! "その腕"はなんだ!?」
 先ほどまでと決定的に違うことが一つあった。
 梢の右腕、爪を握り締める腕は"生"のそれではない。
 淡いエメラルドグリーンの魔力に包まれた、大小様々な植物。
 それが梢の肘から掌までを守護していた。
「ああ――――なんだ。ようやく思い出せたぜ」
 突然の変化に、赤根も遥も吉崎も声すらあげられない。
 その中でただ一人、梢だけが得心の様子を見せている。
「屋上から叩き落されて……なんとかしなきゃって思って。そん時、むかつくことに、頭に思い浮かんだのはあの黒腕だった」
 黒腕――即ち、久坂零次の、解放された悪魔の腕。
 あれだけの力があれば。
 梢はそう考える間もなく、本能に従って"それ"を創り出した。
「ああ、思い出した思い出した。ったく、我ながら記憶力のなさには呆れるぜ」
 やがて、梢の右腕を巻いていた植物に変化が起きた。
 それまではただの強化された植物に過ぎなかったそれらが、急激に強い光を放ちだしたのだ。
 エメラルドグリーンの魔力。
 梢はこれまでも、具現化した植物に魔力を追加で送り込み、強度を上昇させたりしてきた。
 だが今度はそんな比ではない。
 強過ぎる光は、強過ぎる魔力は、梢自身にさえ右腕の変化を見せまいとしているようだった。
 右腕に恐ろしいまでの力が凝縮される。
 力の流れ、その感覚の中心が右腕に移行する。
 無駄に余っていた魔力が、働かせろと言わんばかりに集い始める。
 何かが形成されていく、その実感だけがあり。
 やがて光は、徐々に薄れていった。
 消えたわけではない。
 その全てが梢の右腕に入ったのだ。
「……ケッ。なんだそりゃあ」
 歯を食いしばりながら、赤根は呻く。
 梢の右腕は、先ほどまでとはまるで違うものになっていた。
 肘から掌までの部分を、エメラルドの輝きが覆い尽くしている。
 単に植物が巻きついていただけの先ほどまでとは異なり――――その右腕は、金属のようなものに覆われていた。
 それはまるで、中世の騎士が身に着けていた篭手<ガントレット>のように。
「――――――赤根甲子郎。突破させてもらうぜ」
 梢の宣告と共に、破砕音が響き渡る。
 凄まじい音を立てながら、赤根の爪が梢によって粉砕されていた。
「ガアァッ!?」
 爪の残された部分は解放され、赤根は慌てて爪を手元に戻す。
 梢はそんな赤根の前に、ゆっくりと構えた。
「お前の爪は厄介だからな、一気にケリをつけるッ!」
 大地を踏み荒らし、梢が赤根へ詰め寄る。
「させるか三下ァッ!」
 己の危機を察したのか、赤根は爪を再び伸ばして梢を突き破ろうとした。
 先端が欠けた爪。
 それでも凄まじい威力の刃物であることに、変わりはない。
 爪は全て一箇所に集中している。
 強度を増加させると共に、確実に貫かんとする意思が垣間見えた。
 だが梢は確信する。
 かつて体感したことのないような力強さを持つ、この右腕。
 新たなる武装――――翠玉の篭手<エメラルド・ガントレット>は、赤根の爪を突破する。
 間違いなく、突破する……!
「貫けェェェェェッ!」
 赤根の、絶叫ともいえる叫びが夜の校庭に広がっていく。
 梢はそれに応えるかのように、赤根の爪――その先端へと、ガントレットを装着した拳を当てる。
 篭手は当然防具だ。
 しかし、梢の篭手は防具であると共に武器でもあった。
 防具にしては、あまりにも鋭すぎる。
 それが、赤根の爪と激突する。
「うおおぉぉぉぉっ!」
 篭手と爪。
 両者が激突した瞬間、先ほどまでとは比較にならない程の魔力源が弾き出された。
 耐えられない、どころではない。
 そのまま爆裂四散しそうな激しさだ。
 ――――刹那、亀裂が走る。
 梢の右腕……ではない。
 必殺を込めた赤根の爪に、深い亀裂が走っていた。
「なん、だと……」
 赤根はまず己の爪を見て、次に梢を見た。
 信じられない、という表情。
「てめぇ、やってくれる――――」
 その瞬間、赤根の爪は砕け散った。
 それだけでは済まない。
 梢の渾身の一撃が、赤根の腹部へと入り込んだ。
 何を言う暇もなく、赤根甲子郎の身体は数十メートルも転がっていく。
 やがて止まる頃には、赤根甲子郎の身体から、力が完全に失われていた。
 それを確認し、梢は遥と吉崎の方を振り返る。
 腹部の出血はやや酷かったが、それでも梢は笑ってみせた。
「――――とりあえず、これで家に帰れるぜ」
 最後の力を振り絞って、その言葉を言い終えたのだろう。
 梢はそのまま、二人の返事を待つこともなく……その場に倒れこんだ。

 梢を吉崎が背負い、遥が吉崎のバイクを押して歩く。
 二人は幸町医院に向かっている。
 梢の怪我を診てもらおうと思ったからだ。
 ちなみに幸町は、以前研究所の薬の影響で倒れた遥を救ってくれた闇医者である。
「でも、大丈夫かな……」
「遥ちゃんは眠ってたから分からないか。幸町さんは腕もいいし、口も堅い。俺たちにとっては、頼ってもいい人のはずだよ」
「あ、そうじゃないの」
 吉崎の言葉を慌てて否定すると、遥は梢を見た。
 それだけで吉崎は察したらしく、背負っている梢の背中を叩いてみせた。
「こいつ頑丈だから心配ないって。相棒の俺が保証する」
「……うん」
 その言葉に安堵したのか、遥はそっと胸を撫で下ろした。
「しっかし肝心なところで倒れるんだもんなぁ、この馬鹿は。こいつが動かなきゃ、俺たちじゃ赤根とかいう奴を拘束出来ないっつーの」
 あれから。
 吉崎と遥は、倒れた梢をかついでそのまま校庭から立ち去った。
 赤根甲子郎をどうするか迷ったが、放置しておくことにした。
 梢がいなければ、赤根の相手を出来る者はいないのである。
「こっちとしては痛手だけどなぁ。ま、仕方ないか。勝てただけでも良し、と」
「うん。本当に……倉凪君が無事で、良かった」
 戦いの最中、遥は何度も梢が死にそうに見えた。
 事実、一歩間違えば死に至る戦いだったのだ。
 それを思うと、この程度の怪我で済んだのは幸いともいえる。
「……無事かぁ」
 と。
 遥のものでも、吉崎のものでもない声がした。
 この場にいるのは三人。
 必然的に、その声は梢のものとなる。
 二人はきょとんとした目で梢を見た。
 どうやら気がついたわけではなく、寝言か何からしい。
「ったく、馬鹿。大馬鹿。無理するんじゃねぇよ。家で大人しくしてろよ……」
 どうやら……遥の夢でも見ているらしい。
「あーあ、夢の中でまで素直じゃねぇなぁ。こいつは!」
 梢の背中をバシバシと叩きながら、吉崎はさも愉快そうに笑った。
 遥もつられて笑い、さり気なく梢に頭を下げた。
「……ありがと。でも、私もやれることはやってみるよ。――――私も、半端な覚悟じゃないから」
 街灯に照らされ、三人の影は仲良く並んで歩いていた。
 やがて影が夜闇へ消え、そこには再び静寂が訪れる。
 その日の夜は、どこか暖かかった。