異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第十六話「過去を探る」
 五月十二日(月)、午後六時半。
 倉凪梢が冬塚涼子のマンションから立ち去った直後のこと。
 冬塚涼子は、梢から貰った夕食やお菓子の入った袋を持って、部屋の中へ戻った。
 ――――そこに一人の男がいた。
 涼子はそのことに驚いたりはしない。
 不意の侵入者ではなく、梢よりも少し前に来ていた、れっきとした来客だった。
 ただし、常人ではない。
「ン~、美味そうな匂い。なんだ嬢ちゃん。今のは彼氏が夕飯でも持ってきたか?」
「んーん、今のは友達のお兄さんで学校の先輩。私にとっても兄貴分みたいな人で、料理の師匠」
「……なんとまぁ、随分と慣れた風に返すね。お兄さんはもうちょい初々しい反応とか期待してたんだけど」
「今の霧島さんみたいに聞いてくる人、今まで何人もいたからね。そりゃ慣れるわよ」
 さして気にした風もなく、涼子はテーブルの上に夕食を置いた。
 冷蔵庫の中身が切れつつあったので、夕食を持ってきてもらえたのは素直に嬉しい。
 身体は大分回復したが、顔にまだ痣が残っているため、買い物にはあまり行きたくないのだった。
 正面に座る長身の男、霧島をちらりと見る。
 梢が持ってきた夕食を興味深そうに眺めていた。
 ……グゥ。
 ついでにお腹も鳴った。
「……霧島さん、食べる?」
「おお! そいつは嬉しいねぇ。毎日カップラーメンばっかだから、こういうの食えるのは助かるぜ!」
 なんとも不健康な食生活を送っているようだった。
 霧島直人。
 先日涼子が誘拐され、危うく人体実験に使われそうだったところを助けてくれた男。
 異法人と言う超人であり、ものを加速させる特殊能力を持ち、異法人の集団である異法隊の隊員でもある。
 あるのだが……こうして接していると、少し軽めの兄ちゃんにしか見えない。
 夕食を心底美味しそうに食べながら、霧島は一人感心したように頷いている。
 どことなくその姿を見ていると、親友である倉凪美緒を思い出した。
「いや、嬢ちゃんの見舞いに来たら夕食にもありつけたし。怪我の功名ってやつかな」
「怪我してるの私なんだけど」
「男なら細かいこと気にするなっ」
「私、女なんだけど!?」
 こんな風にツッコミを入れるのは何度目か。
 彼女の"護衛"として彼が配置されてから、既に何十回もやっているような気がする。
「はぁ。……なんか、いろいろと嘘みたいよね」
「ふぁふぃぐぁ?」
「ちゃんと食べてから話して」
「んぐ。……色々嘘みたいってとどのつまり誘拐されたことから俺のような存在と出会ったこと、おまけに護衛なんかされちゃってもうどうぴよー! って感じな今の状況略して現状のことか?」
「……普通に喋って」
「すまん。食いながら頭の中にいろいろと言葉が思い浮かんだから厳選して並べてみた」
 ……あれで厳選したの?
 どうも霧島といるとペースが乱れがちだった。
 意図的なのか天然なのかは分からないが、彼と会話を終えた後はかなりの疲労感を覚える。
「ところで嬢ちゃん。俺との漫才に興じるのもいいが、もっと早急にやっとくべきことがあるだろ」
「分かってるわよ。まさかずっと霧島さんに護衛頼むわけにもいかないし、どうにかして事態を解決しなきゃいけない」
 そう思って思考を働かせているのだが、どうにも具体案が出てこない。
 そもそも自分がまだ狙われているかどうかなど確認しようがない。
 一応狙われているということを前提として考えてみると、
「護身術でも身につけるべきかしら……」
「無理だろ。……いや、出来るかもしれないけどな。厳しいぞー、連中虎をも食い殺せるからな」
「うっ」
「それにあいつら基本的に複数で襲い掛かってくるし」
「わ、私のときは確か一体だけだったような……」
「町中だから目立たせたくなかったんだろ。どうせ伏兵隠してたと思うぜ、あいつらチキン揃いだからな」
「……」
 ということは、自力で身を守るのは不可能。
 冷静に考えれば当たり前の結論だった。
 努力で簡単にどうにかなるような相手ならば、わざわざ異法人である霧島が護衛につくことなどありえない。
「俺から提案出来るのは二つだ」
 悩む涼子に助け舟が差し出される。
 結論が一向に出そうになかったので、涼子は霧島の言葉に耳を傾けた。
「一つは至って単純、この付近の連中を根こそぎ叩き潰す。そうすれば危険度はぐっと下がる」
「でもそれは難しいんでしょ?」
「難しいし、んなことは俺たちが日夜ずっとやってる。だから嬢ちゃんがやるのは自ずと二つ目のものになるわけだ」
「それは何?」
「簡単なことさ。――――狙われる理由をなくしちまえばいい」
 涼子が狙われたことには理由がある。
 その理由を無価値にするなどしてしまえば、相手も涼子を狙うようなことはしない。
 それが霧島の意見だった。
「連中が欲しがってたのは、嬢ちゃんの両親の研究資料。それに嬢ちゃんの姉さんの行方。他、あのアホどもが喜びそうなネタを……そうだな。インターネットでばら撒くとかどうだ? 無論嬢ちゃんが言いたくないなら、真実に近い嘘でもでっち上げちまえばいい」
 確かにそれは有効な手段のように思えた。
 彼らの目的は涼子自身ではなく、涼子が持っているはずの情報なのである。
 情報さえ手に入れば、もはや涼子に用はないだろう。
 だが、それを実行するには一つ難点があった。
「あの、霧島さん? 凄く言いにくいんだけど……」
「なんだトイレか? って痛ッ! 緊張感ほぐそうとしたお兄さんの些細な気遣いってやつじゃねぇか! なんでグーで殴る!?」
「ほとんどセクハラよっ! ってそうじゃなくて。……私、知らないのよ」
「何を?」
「あのとき、あいつが言ってた……私が狙われる理由」
「……」
 霧島の顔色がそこで若干曇った。
「……それは本当か? あいつらの見当違いってことなのか?」
「そうじゃない。まず父さんたちの仕事について、私は何も知らされてない。学者だったことぐらいしか知らないし、何を専門としてたのかも知らない」
 家にいるときは、極有り触れた夫婦だったように思う。
 少し厳しい人たちだったが、休日になると父はリビングでゴロゴロしていたし、母はそんな父に嫌味を言ったりしていた。
 だが、涼子が仕事について尋ねると必ずはぐらかしてしまう。
 親戚筋でも謎となっており、二人亡き今、彼らの仕事が何だったのかを知る手掛かりはほとんどない。
 涼子をさらった研究者の口振りからして、それなりに価値のある情報を持っていた人物だということは分かる。
 あまり考えたくはないが、あの研究者たちと同じようなことをしていた可能性もある。
 しかし、その辺りの事情は涼子に伝わっていない。
 それに、姉のことも問題だった。
 あの研究者は、口振りからして涼子が姉――――八島優香の行方を知っていると思っていたようだった。
 だが実際のところ涼子はまるで覚えていない。
 行方どころか姉の人柄、姉がいつどんな理由で冬塚家に来ていたのか、その全てが思い出せない。
 これはあまり良い状態ではない。
 相手に『私は何も覚えてません』などと言ったところで信じてはもらえないだろう。
 そんなことで納得するならば、最初からあんな手段で涼子をさらったりはしない。
「……しかし妙だな」
 涼子の話を聞き終えた霧島は怪訝そうな顔つきで視線を落とす。
 真面目なときの彼は普段とまるで別人のようだった。
「あまりにピンポイント過ぎる。不自然だ」
「不自然って……」
「嬢ちゃんが忘れてる"七年前"のことだ。失った記憶の中に狙われる理由があるなんざ話が出来すぎてる。一体何があったか……どうもこいつは、きな臭いな」
 確かに妙な話ではある。
 失った記憶に何があったのか。
 それはどんなもので、なぜあの研究者たちが欲しているのか。
 『七年前』とはどんな意味を持つのか。
 ……考え方を逆にしてみるとスムーズね。怖いくらいに。
 ――――七年前、家族が失われた事件では……表面的な結果とは別の、何かが起きた。
 その際に何かを知った涼子の記憶を、誰かが消した。
 涼子が知ってしまったものというのは、記憶を消した者にとっては都合が悪く――――研究者たちにとっては是非とも欲しいものだった。
 そう考えると、ある程度話はまとまってくる。
「でもこれも仮定だらけで根拠がないわね」
「根拠となるべき部分がないからなぁ。推測だけじゃどうにもならんぜ」
「それなら、調べてみた方がいいかしら……」
 ここで根拠もない想像を繰り返すのは時間の無駄だ。
 なら、現状を解決するための材料を少しでも多く集めておかねばならない。
 相手の人数もカードも分からず、涼子の手持ちは何もない。
 このままでは黙って食われるだけのエサだ。
 ……誰が食われてやるもんですか。
「調べていけば何か分かるかもしれない。あんまり期待してないけど、七年前のことを思い出すかもしれない」
「なるほど。確かにこの状況、黙ってダラダラしてるよりかはいいかもな」
 霧島の賛同も得て、涼子の心にやる気がみなぎってきた。
 これまでも微妙な違和感を抱いていた七年前の事件。
 それを調べようと決めたのだから、七年間溜まっていたものが一気に溢れ出して来たのかもしれない。
「うん、まずはうちの両親のことから――――」
 決めたからには即行動。
 涼子はすぐさま電話を手にし、叔父夫妻の番号を押すのだった。

 翌日、多少顔の痣も消えてきたので涼子は登校した。
 クラスメートを初めとする友人一同に心配されつつ、それを上手い具合に流す。
 涼子にとって重要なのは、怪我ではなく七年前のことだった。
 両親が何をしていたのか。
 なぜ両親は殺されたのか。
 涼子の姉、八島優香とは何者なのか。
 昨日は親戚筋に色々と尋ねまわったが、結局めぼしい収穫はなし。
 最後の手段として榊原に電話をして調べてもらおうとしたが、止めておいた。
 この間の訪問、今回の怪我に続いて両親のことなど尋ねようものなら、何か言われるに違いなかった。
 それだけならいいが、下手に勘繰られて巻き添えにするのは避けたい。
 昼休みになっても涼子の思考は動き続けていた。
 周囲の人々は彼女が落ち込んでいると思っているようで、あまり話しかけてくる者はいない。
 そっとしておこうという意見が主力のようだった。
「涼子ー。なんか三年の人が呼んでるよ」
 昼休みになってから五分弱。
 不意に、友人から声をかけられた。
「三年?」
 最初に思いついたのは、生徒会の副会長。
 何か生徒会に関わる用件が出来たのかもしれない。
 そう思って教室の入り口を見ると、
「――――あ」
 そこにいたのは、彼女が想像していたのとは別の人物だった。
 肩まで伸ばした髪、切れ長の双眸。
「……零次さん?」
「どうする涼子、調子悪いんだったら帰ってもらう?」
「あ、いいよいいよ大丈夫」
 心配そうに顔を覗きこんでくる友人に手を振りながら、涼子は慌てて廊下に立つ男の元へと向かった。
「えーっと、何か御用でしょうか」
「……」
 涼子の問いかけを聞いていないのか、零次はじろりと彼女を見つめる。
 やたらと気合の入ってそうな視線を向けられ、涼子はどことなく居心地が悪かった。
 が、やがて零次は、
「……ふむ。特に問題はなさそうだな」
「へ?」
「事件によるショックを強く受けているわけでもなさそうだ。図太い神経なのか順応性が高いのか」
「……っ。わ、悪かったわねっ!?」
 相手が上級生であることも忘れて、涼子は大声で怒鳴ってしまった。
 ……あ、やば。
 あちこちから人々の視線を感じる。
 ただでさえ怪我のことで注目されているというのに、廊下で大声を上げるなど失策もいいところだった。
 慌てて笑顔を取り繕い、今度は一転して穏やかな声で、
「久坂さん。突然の訪問、どんなご用件なのでしょうか。……まさか、今の台詞を吐くためだけに来たんじゃないですよね?」
「む……いや、それはだな」
 涼子が怒っていることに気づいたのか、零次はやや引け越しになった。
 難しい顔つきのまま押し黙ってしまう。
 よく見ると、額に脂汗が浮かび上がっていた。
「……特に御用がないのでしたら、早々にお立ち去りください。私、結構落ち込んでるんです。さっきまでは平気でしたけど、今はかなりへこんでるんです」
「そ、そうか。すまなかった」
 視線を下に向け、零次は踵を返す。
 とぼとぼと帰っていく彼の後姿を睨みながら、涼子は大きく溜息をついた。
「はぁ……こっちは色々考えるので手一杯だってのに。何しに来たんだろ」
 霧島とは別の意味でよく分からない人物だった。
 どこか異質な雰囲気を身に纏っており、そこからして霧島とは違う。
 ある意味では『超人』らしいのかもしれないが、涼子にはそこがどうにもしっくりこない。
 戦士のような顔つきをしているのに、まるで普通の友人のように人を心配したりする。
「……あ」
 そこまで思い至って、涼子は気づいた。
 ……もしかして、単に心配して来てくれただけ?
 途中失礼なことを言われたが、全体を通してみればそれぐらいしか思いつかない。
 他に用件があるのであれば、すんなりと引き下がっていくのは不自然な気がした。
「だとしたら、ちょっと悪いことしたかな」
 あちらに失言があったのと同時に、こちらにも失言があった。
 さっさと帰れ、などと心配してくれた人に言うべき言葉ではない。
「ったくもう、後味悪いわね」
 先ほど大声を出してしまったばかりだからか、教室内からは視線がいくらか送られてきた。
 このまま中に戻ったところで居心地が悪いだけだろう。
 涼子は教室に背を向け、馴染みの場所へと歩き出した。

 普通の生徒はあまり寄り付かない場所、それが生徒会室だ。
 教員たち以上に学園生活に深く関わる生徒会、その根城とあってはあまり気楽に近づけない。
 何か正式な用件でもない限り、ここに来るのは生徒会のメンバーか、その関係者ぐらいのものだった。
 涼子が扉を開けると、そこには吉崎和弥と斎藤恭一がいた。
 斎藤は生徒会の書記だが、吉崎は別に生徒会役員ではない。
 暇なので斎藤のところに遊びに来た、といったところだろう。
 二人は将棋盤を挟んで向かい合っている。
 表情から察するに、互角の勝負をしているようだった。
「会長か。怪我はもういいのか?」
「ん、まぁぼちぼちです。今は二人だけですか」
「ああ。藤田は野球部の顧問と話があるとか言っていた。倉凪は……」
 斎藤はちらりと吉崎を見た。
 何かを促すような視線を受け、吉崎は歩を進めながら言った。
「倉凪の奴、昨日ちょっと事故っちまってね。大怪我ってわけじゃないんだけど、大事を取って今日はお休みなんだと」
「……怪我、ですか? 倉凪先輩が?」
 涼子は首を傾げた。
 梢が怪我をするなどと、かなり珍しいことだったからだ。
 彼と出会って数年になるが、その間学校を休むほどの怪我などしたことがなかった。
「昨日、私の家に来たときは元気そうでしたけど」
「その帰りに、ちょっと寄り道してさ。ほら、墓地のある山分かる?」
「ええ、この町で墓地と言ったらあそこぐらいしかないですし」
 新興住宅街の裏手にある大きな山。
 そこを少し登ったところに、この町の墓地がある。
 涼子の両親は叔父夫妻がいる町へ埋められたので、実際に行ったことなどないのだが。
「そっちの方……ずっと奥の方に倉凪の両親の墓があるんだよ。そこに行こうとしたらしいんだけど、途中足踏み外して……」
「うわ、大丈夫なんですかそれ」
「ま、あいつ無駄にしぶといから平気でしょ。腹にちょいと木の枝刺さったみたいだけど」
 軽く言う吉崎だったが、涼子はさすがに楽観出来なかった。
 いくら倉凪梢が頑丈と言えど、それはさすがにまずいと思う。
「今はどうしてるんですか?」
「んー、家でゴロゴロしてんじゃないかな」
「僕としては奴がゴロゴロするはずないと思うのだが。おそらく傷口が開いてでも家事をやろうとしているだろう」
「ちょっと前までならな。でも今は遥ちゃんって子が家事やってくれてるから。不承不承『ええとも』でも見てると思うぞ」
 吉崎と斎藤の会話を聞きながら、涼子は自分の席についた。
 彼らを見ていると、本当に大したことはないのかもしれない、と思えてくる。
 が、見舞いぐらいはした方がいいだろう。
 昨日、涼子の家に来た帰りに怪我をしたというのもすっきりしない。
 今日はバイトもないし、早めに帰って差し入れでも持っていこう。
 そこまで思い至って、ようやく涼子は自分が昼食を取っていないことに気づいた。

 帰宅し、差し入れ用のお菓子を作り始める。
 和菓子にするか洋菓子にするか少し迷ったが、結局イチゴのタルトにした。
 生地を伸ばして形作り、オーブンに入れる。
 その間にアーモンドクリームを作るため、砂糖や卵、薄力粉などを混ぜ合わせる。
 そこで玄関の扉が開き、霧島直人が入ってきた。
 昨日合鍵を渡しておいたのだが、そのことを忘れていたためにかなり焦った。
「せ、せめてノックぐらいして入ってきてよ」
「いやぁ、すまんすまん。腹減ってて忘れてた」
 腹が減ってなくともノックをしなさそうな男は、へらへら笑いながらオーブンを見た。
「おっ、こいつは何だ?」
「イチゴタルト。昨日来た先輩への差し入れよ。なんか昨日、ここから帰る途中で怪我したらしいから。昨日のお返しってとこ」
「へぇ。帰り道に怪我するとは災難だな」
 と、そこで霧島はオーブンの上に乗っている生地を見つけた。
「ありゃ? 嬢ちゃん、もう一つ生地があるけど」
「ああそれ? 貴方たちへのお礼よ」
 ボウルの中を混ぜながら涼子は答えた。
「助けてもらった上に護衛までしてもらってるんだから、何かお礼ぐらいはしないとね。それに今日、ちょっと気まずいことあったし」
「気まずいこと? なんだ、零次か亨辺りとなんかあったか?」
「亨って人は知らないけど零次さんとはちょっと会ったわ。多分心配してくれてたのかなー、とか都合よく今は解釈してるんだけど、ちょっと過剰対応しちゃったのよね」
「……あーあー、その光景が目に浮かぶようだ。また余計なこと言ったなあいつ」
 大袈裟に肩を竦めながら頭を振る霧島。
 彼の様子から察するに、久坂零次の人柄がなんとなく掴めそうだった。
「ま、そんな訳で。私が先輩の家に行ってる間に渡してきてくれない?」
「それは駄目だろ。護衛の意味がなくなっちまう」
「んー、それはそうかもしれないけど。それじゃ、どうすんの?」
 オーブンをちらりと見る涼子の後ろで、霧島はポケットから携帯電話を取り出した。
 凄まじい動作でボタンを押す霧島を、涼子は呆れ顔で見ていた。
「……そんなことで"力"使うの? っていうか、誰に送信したのよ誰に」
「零次」
「って、ちょっと待ってってば! 気まずくなったって言ったばっかりでしょ!?」
「まぁまぁ。直接会ってごめんなさいした方が後々いいって、絶対」
 妹をあやす兄のように、霧島は涼子の頭にポンと手を乗せた。
 反論出来ないため、涼子は苛立たしげにボウルの中身をかき混ぜる。
 そんな彼女を、霧島は微笑ましげに見守っているのだった。

 遅くなるといけないので、涼子は先に榊原家に向かうことにした。
 異法隊は基本的に夜動く集団なので、あの差し入れは遅くなってから渡した方が都合がいいらしい。
 さほど時間のかからない道のりを歩きながら、涼子は隣にいる霧島に声をかける。
「ね、霧島さん。気になってたんだけどさ……異法隊って何なの?」
「随分と曖昧な質問だな。発足の歴史でも語れってか? あるいはメンバー紹介?」
「うーん……何をする組織なのか、が気になるかな」
「活動内容ね。この間みたいな研究所潰しがまず一つ。でもそれはメインじゃない」
 なぜか霧島は古ぼけたトレンチコートを着込み、帽子にサングラスという怪しさ満点の風貌だった。
 本人曰く、あまり目立ちたくないとのこと。
 却って目立つというツッコミは聞き入れられなかった。
「元々の設立理念は……異法人を始めとする能力者の自立ってとこか。自立と言うより独立って言った方がいいかもしれねぇけど」
「独立……?」
「そ。能力者個人の独立と、能力者全体の独立が目的だ。ほら、俺らって普通の人から見れば危ない力持ってるわけだろ? んで、色々と問題も出てくるわけだ。力使って人を傷つけたりするバカチンとかが出てきたり」
「それはでも、普通の人間にもあることなんじゃない?」
「まあな。ただ、桁が違う。ぶっちゃけ、俺一人でここの市警潰すことも出来るぜ? うん……多分。いや、きっと。……無理かな?」
「なんでそこで段々弱気になるのよ」
 呆れ顔で霧島を眺める涼子だったが、内心あまり穏やかではない。
 霧島の尋常ならざる身体能力と、物を加速させる"モルト・ヴィヴァーチェ"があれば、あながち不可能でもないと思う。
「そんな訳で、俺たち能力者が暴れるとやばい。だからきちんと一人でしっかりやってけるように、自立心を学ばせるのが異法隊の役割の一つだな」
「学校みたいなものなの?」
「入学拒否途中退学不可能、大学九十九年までありますみたいな学校だけど」
「……刑務所みたいなもの?」
「そっちのが近い。ま、自主的に入隊することも可能だけどな。俺はそっちの口だ」
「そうなの?」
「俺にはそんな教育今更って感じだな。人を傷つけちゃいけませんなんて普通の学校で学んだぞ」
 霧島は鼻で笑う。
 異法隊の方針とやらにあまり賛同していなさそうだった。
「だけど、見方によっては逆なんだよ」
「逆って?」
「暴れる能力者から一般人を守るって面もあるが――――その逆の面もあるってことだ」
「……能力者を、一般人から守るってこと?」
 それは妙な話だった。
 普通の人間では能力者に対する術などない。
 仮に霧島がこの場で涼子を殺そうとすれば、涼子は殺される他ないだろう。
「嬢ちゃんにゃ分からんかもしれんがな……例えば、嬢ちゃんが俺みたいな力を持ってたとしよう。異法人の力は先天的なもので、ガキの頃から発現してくる」
「うん」
「物を加速させる力。そして誰にも負けない運動能力。子供ってのは素直だからな、優越感に浸るために全力を出すだろう」
「……うん。私も、そうだと思う」
「でもガキってのは加減を知らない。だからつい"やり過ぎちまう"こともある」
「……」
「明らかに人間には不可能な速度で走る子供。最初は感心してた大人もやがて気づくんだ」
 ――――――おかしい、あの子供は変だ……と。
「やがて大人はその子供を不気味がるようになる。他人の親ならまぁまだいい。けど、自分の親でさえそういう目で子供を見る」
「……それは」
「大人でそれだ。子供は素直だからな、おかしい奴、変な奴はすぐに省かれる。露骨に攻撃対象になることもあるだろう」
 サングラスと目深にかぶった帽子のおかげで、霧島の表情は見えなかった。
 彼はゆっくりと歩きながら、静かに語りかける。
「仮に力を使ってそういう連中を叩きのめしたところで、それだけだ。苛めは収まり、誰も怪物小僧には触れなくなりました。……って感じだ」
 霧島は足を止め、少し後ろにいた涼子の方へ振り返る。
「これはまだいいケースだって言っとくぜ? 例えば苛める連中を叩きのめした、なんてのを通り越して――――ぶち殺す可能性もある」
 反論不可能な上に、とどめの一撃が下された。
 涼子は呆然と、夕闇の中に立つ男を見上げる。
「無論子供に限った話じゃない。大人になったって、形は違えど姿勢はそうそう変わらない。いくら力があったって、俺たちはこの世界に生きてるんだ。人が支配者ってことになってる世界でな。だから俺たちはいつも肩身が狭い。安心して自分でいられる場所に飢えてる」
 それは、どんな気持ちなのだろう。
 どこにいても省かれるかもしれないと、常にビクビクしながら生きていく日常。
 一人で言葉の通じない未知の国へ放り出されるようなものか。
 あるいは、それよりもずっと深い孤独を伴う生活なのか。
 涼子にはそういった経験はなかった。
 記憶の中にある自分は、ほとんど誰かと一緒にいる。
 一人でいることもあったが、独りであったことはない。
 だから、霧島が言うような――――力ある者の孤独、なんてものは分からない。
 それが少し申し訳ないような気がして、けれどかけるべき言葉も見つからなくて。
 そんな涼子の気持ちを察したのだろう。
 霧島は微かに笑みを浮かべて、涼子の頭をポンポンと叩いた。
「ま、嬢ちゃんには難しかったか。……そんな風な側面もあるってことだけ覚えといてくれればそれでいい」
「……うん」
 小さく頷く。
 あまり余計なことを言ってしまっては、却って悪い気がしたから。
「……っと、ちと話しすぎたか」
「あ、本当だ」
 ふと前方を見れば、榊原屋敷の門が見えてきた。
「霧島さんはどうする?」
「聞くまでもないな。……下手なことになる前に、俺はとっととずらかる。一応有効範囲内で待機してっけど」
「分かった。何かあったら呼ぶわね」
「ああ。それと、俺のことは名前も口に出すなよ。あんまり広められたくないからな」
 念を押すように人差し指を立てて顔を近づけてくる。
 先ほどまでの、どこか遠くに行ってしまいそうな雰囲気はもうなくなっていた。

 榊原家の門は開きっ放しになっている。
 というより、この門が閉ざされているのを涼子は見たことがない。
 最近はあまり来ていなかったが、さほど変化はしていないようだった。
 門を抜けて少ししたところに玄関がある。
 屋敷が広いためあまり意味はないが、涼子はここで毎回声を上げていた。
「すみませーん、誰かいませんかー?」
 精一杯大声を張り上げる。
 その後とりあえず一分待つのが、涼子が勝手に作った自分用のルールだった。
 今回は一分もしないうちに、駆け足の音が聞こえてくる。
 やがて戸が開かれ、一人の女性が中から姿を現した。
「いらっしゃいませ。……あれ? 確か、冬塚さん」
「……遥さん?」
 お互い少し話をした程度だったが、不思議とすんなり名前が出てきた。
 急いでここまでやって来たのか、遥はエプロンを着用したままだった。
「すみません、夕食の支度をしてたところを邪魔したみたいで」
「あ、それは全然いいんだけど……えっと、美緒ちゃんに用事かな?」
「いえ、今日は先輩……梢さんの方に。怪我して学校休んだみたいなので」
 と、涼子は手にした袋を掲げて見せた。
 中には出来て間もないイチゴのタルトが五人分。
 崩さぬようにと箱に入れてきてある。
「昨日差し入れ貰ったんでそのお返しに、と思ったんですけど」
「わぁ……」
 涼子が開けた箱の中身を見て、遥は目を輝かせた。
 色鮮やかなタルト、ほのかに香る匂い。
 今日は良く出来たと涼子も自負しているだけに、照れ臭さ半分、嬉しさ半分という気分だった。
「これ、冬塚さんが作ったの?」
「はい、そうですよ。料理は結構前からやってるんで、お菓子以外でもちょっと自信あるんですよ」
 もっとも、料理の師が倉凪梢という事実が少し自信を失くさせる。
 それでも普通の高校生に比べれば、調理技術はかなりのものだろう。
 遥はしばらくじっとタルトを見つめていた。
 タルトそのものに魅入られているだけではなく、何か迷っているようである。
 どうしたのかと涼子が声をかけようとしたところで、遥はおずおずと面を上げた。
「あの……出来ればでいいんだけど」
「なんですか?」
「――――――料理、教えてくれないかな?」