異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第二十三話「彼らの傷跡」
 一見正体の分からない脅威と、すぐさま分かる脅威がある。
 矢崎刃という男は後者だった。
 懐にナイフを隠し持った暗殺者ではなく、迫り来る雪崩のようなものだ。
 お互い魔力を右腕に集中させたまま対峙し、梢は表情を険しくしていく。
 異法人同士の戦闘では、身体能力の有無もそうだが、決め手は魔力にある。
 爪に魔力を凝縮させた赤根甲子郎の攻撃力は並々ならぬものがあったが、その分防御力は低かった。
 梢の場合も似たようなもので、右腕に魔力を集中させ、篭手という仮想武装を創造しているために他が手薄と言える。
 矢崎刃の場合、そうではない。
 爪が伸びたり篭手が顕現したりといった、目に見えるような変化はない。
 ただ魔力がなにやら妙なのだった。
 一点集中させるわけでもなく、幅広く全身を包み込む魔力。
 量はそう驚くほどのものではない。
 というより、魔力量だけで言うなら梢の方が上だ。
 だが質が違う。
 ……さっきあいつを殴ったとき、まるでゴムみたいだったな。
 拳撃による衝撃がまるまる吸収されてしまったかのようだった。
 おそらく刃の場合、魔力そのものが特殊な現象を生み出しているのだろう。
 そのことを思うと、迂闊に近寄る気にはなれなかった。
 もっとも、あまり長々としてもいられない。
 敵は刃だけではない。
 研究機関の強化人間たちも遥を狙っているようだし、どれだけの数が攻めてきているのかも不明のままだ。
 梢の額から汗が流れ落ちる。
 刹那、
「来ないなら――――こちらから行く」
 今までと違い、刃が完全な攻撃態勢を取ってこちらに迫ってきた。
 梢はそれを迎え撃つため、天我不敗流の中にあるカウンターの構えを取った。
 梢の視界全てが刃の巨体で埋め尽くされ、頭上から大きな拳が振り下ろされる。
 一瞬、世界が灰色になって見えた。
「―――― 撃滅の一撃(ディストラクション・ブロウ) !」
 カウンターなど放つ余裕はなかった。
 頭上から振り下ろされる一撃を本能的な恐怖心から回避し、梢は必要以上の力で頭上へと跳躍した。
 それとほぼ同時に、刃の拳が地へと突き刺さる。
 ぐにゃりと歪んだかと思うと、信じられないことに――――地面が一斉に吹き飛んだ。
 大小の破片が周囲に飛び散る中、梢は呆然と眼下の光景を見下ろしている。
 見慣れたはずの中庭に、隕石でも落下してきたのかと思えるようなクレーターが出来つつあった。
 ……やばい。
 あんな攻撃をまともに喰らっては、梢でも一撃で再起不能となってしまう。
 否、生きていられるかどうかも疑わしい代物だった。
 そして今、信じられぬ破壊を引き起こした巨人が、こちらを見上げた。
 梢が危機を察知するよりも早く、刃が跳躍する。
 当然向かう先には梢がいる。
 空中にいるためまともに動くことが出来ない。
「……くっ!」
 咄嗟に左手から蔦を伸ばし、屋根に引っかけて移動する。
 刃の第二撃が足をかすった。
 それだけのことなのに、信じられないような衝撃が爪先を襲う。
 身体を回転させながら屋根に着地し、梢は刃の元へ飛び出した。
 相手の攻撃をまともに防ぎようがないのだから、こちらから攻めていくしかない。
「やられる前にやってやらぁッ!」
 みなぎる魔力を込めて、右腕で刃の背中を打つ。
 だが、またしてもゴムを殴ったような、なんとも手応えのない感触が返ってきた。
 硬いわけでもなく、柔らかいわけでもない。
 打撃による衝撃が全て受け流されてしまったような感覚だった。
「無駄だ」
 その言葉と共に、今度は見えない衝撃が梢の身体を吹き飛ばした。
 完全に予想外の攻撃だったため、梢の身体はいともたやすく宙を舞う。
 受身も取れぬまま地面へ激突し、何度か転がるはめになった。
 すぐに起き上がろうとしたが、右足に鈍い痛みが走る。
 綺麗に着地した刃は、そんな梢を見ながら淡々と告げる。
「お前は打撃系がメインのようだな」
「ぐっ……」
「それでは俺には勝てん」
 ただ事実を言い渡すような口調。
 それは対等の力を持つ者への言葉ではなく、例えるなら師が弟子に向けるような言葉だった。
 どうにか身を起こしながら、梢はにやりと笑ってみせた。
 別に強がっているわけでもなければ、余裕があるわけでもない。
「……確かにこのやり方じゃ勝てないな。あんたの能力、およそ正体が分かった」
「ほう」
「俺が全力で殴りかかろうと、衝撃は吸収される。逆にあんたの一撃は、必要以上に衝撃が与えられてると見た」
 ちらりとクレーターを見る。
 刃が地面を殴りつけた瞬間、彼を包む魔力が微かに反応したように見えた。
 そして、梢が刃に攻撃を放ったときにも。
「あんたの能力、それは衝撃操作だ。こっちの攻撃に対しては衝撃を吸収するようにして、自分が攻撃するときは与える衝撃を何倍にもしてるってとこだろうよ。能力作用に関わってるのは、あんたの身体を覆ってる魔力そのものだ」
「正解だ。意外に洞察力はあるな」
 だが、と刃は再び攻撃態勢を見せた。
「そちらの攻撃は全て威力を削がれ、こちらの一撃はお前をたやすく打ち砕く。……敗北を認めるなら、悪いようにはしないが」
「……」
 梢の顔から笑みが消えた。
 今のやり取りで自分と相手の実力差は痛感した。
 戦闘経験の違いもあるが、梢と刃ではそもそも相性が悪すぎる。
 梢の攻撃は刃の力によって、威力がほぼ殺される。
 全く効いていないというわけではないだろうが、それでも勝機はほとんどない。
 ……忘れるなよ倉凪梢。お前の目的はこいつに勝つことじゃなくて、遥を守ることだろうが。
 力を振るうことが全てではない。
 刃はいきなり襲いかかってきたわけでもないし、話せばどうにかなるかもしれない。
 なにより、今は研究機関のことも気がかりだった。
 ……仕方ねぇ、意地張ってる場合じゃねぇし……。
 憮然とした表情で、梢は両手を上げようとした。
 ところがその瞬間、信じられない光景が飛び込んできた。
「――――悪いけど、俺ら負けるわけにはいかないんでね」
 いつのまに行動を起こしていたのか。
 矢崎刃の背中にぴたりと銃口を当てているのは、吉崎和弥だった。

 涼子の眼前では、異常な事態が進行していた。
 異法隊の一員である矢崎刃、そして倉凪梢が怪物じみた動きで戦闘を繰り広げていた。
 陸上選手も真っ青の速度で相手へ接近し、中庭にクレーターじみたものを作り上げてしまった矢崎刃。
 それを上回る速度で、一気に人間五人分程の高さを跳んだ倉凪梢。
 攻防自体は僅かなものだったが、それだけでも両者が人間ならざる存在だと証明するには充分すぎた。
 ……先輩も、やっぱり。
 長年の知り合いが異法人だったということの衝撃は、決して小さなものではなかった。
 ずっと普通に接してきた、ずっと普通の人間だと思っていた相手。
 それが人間の常識を越えた存在だった。
 今までずっと欺かれていたのだという憤りと、ごく身近にそんな存在がいたということへの恐怖。
 その二つが、涼子から声を奪っていた。
 呆然とその光景を見つめる涼子の前で、早くも両者の攻防は終結した。
 どんな理屈かは知らないが、梢が吹き飛ばされて地面に落ちる。
 あまりに一方的な展開に、さすがの梢も抵抗する気力をなくしたのだろう。
 彼は僅かに両手を上げようとした。
 その瞬間、涼子は視界の端で何かが動くのを見た。
 それまで戦いには加わっていなかった男――――吉崎和弥である。
 彼は切迫した表情で銃のようなものを取り出し、刃の背後に飛び込んだ。
「……」
 刃は全く動じていないように見えた。
 背中に銃を突きつけられ、前方には異法人である倉凪梢がいる。
 だというのに、眉一つ動かすことなくじっとしている。
 顔を強張らせ、震える腕で銃を突きつけている吉崎とは対照的だった。
 まるで吉崎の方が追い詰められているようである。
「……仲間か?」
 正面に立つ梢へと声をかける。
 梢は刃と、その背後に立つ吉崎を見て小さく頷いた。
「俺の相棒だ。そいつには手ぇ出すな、俺と違ってただの人間だ。……吉崎、お前もだ。アホなことしてねぇでさっさと逃げろ」
「……」
 吉崎は黙ったまま頭を振った。
 既に表情は青ざめており、全身も小さく震えている。
 普通の人間であの場に立つことがどれほど恐いのか、涼子には想像もつかない。
 吉崎和弥がなぜあそこに立っているのかも分からない。
「引き金を引いたならば、反撃する」
「だったらしてみろよぉ……そしたら倉凪が特大の一撃ぶっ放すぜ?」
 がちがちと歯を鳴らしながら、掠れた声を搾り出す。
 そんな彼を見て梢が舌打ちした。
「いいから退け馬鹿崎、死にたいのか!?」
「さぁてね……実は今、頭の中もガチガチでさ。そういうの考えられないんだよ」
 無理矢理口元に笑みを浮かべつつ、鋭い視線を刃に向ける。
「矢崎刃さんよ……この銃は魔銃って代物でな。こうして零距離射程でフルパワーのを撃ち込めば、あんたでも殺せる」
「……」
「今は退いてくれ」
 それに対して刃は即答しなかった。
 相変わらず感情の読めない表情をしているため、彼が何を考えているかは分からない。
 前後に挟まれながら、それでも戦闘能力だけならば突出しているであろう巨人。
 その沈黙は、涼子にとってはとても長く感じられた。
「……なぜだ?」
 やがて、刃の口から疑問の言葉が飛び出す。
「なぜお前はそこに立つ。普通の人間なのだろう?」
 常識を逸脱した存在である異法人。
 そんな彼らの戦いに、なぜ普通の人間である吉崎の姿があるのか。
 それは涼子にも分からないことだった。
「恐怖を感じぬわけでもあるまい。お前はなぜ――――そこに立つ?」
「言ったろ、負けるわけにはいかないからだ」
 意外にも、答える吉崎の声から震えは消えていた。
 顔はまだ青ざめていたが、不服そうな表情を浮かべながら、はっきりと言った。
「ま、最初は軽く付き合うつもりだったんだけどな。相棒の方が思いのほか本気なんで、俺も触発されちまったのよ」
「……」
「遥ちゃんは渡さないぜ。異法隊ってのは赤間カンパニーの子飼いなんだろ? そんな連中に渡すよりは、ここで暮らしていく方がいいはずだ」
「否定はしない。あそこは酷だ」
 涼子はどきりとした。
 あまり話したことはなかったが、まさか刃が異法隊をそう評するとは思っていなかったのである。
「人を避け、手を血で汚し、狭い部屋に閉じこもる。それが異法隊のあり方だ」
 心なしか刃の言葉には、いつになく感情が込められているようだった。
 ふと涼子は、少し前に霧島から聞かされた話を思い出す。
 異法隊は一般人を能力者から守るものでもあり――また、その逆の役割も果たす。
 力があるから孤独になった者たち。
 そんな彼らの逃げ場所として、異法隊は存在する。
 能力者の自立や独立と言えば聞こえはいいが、それは一般人からの逃避だった。
 刃の口から、さらに意外な言葉が飛び出てきた。
「俺とて好きで入ったわけではない。必要だから入った」
 梢と吉崎が驚き目を見開く。
「必要だから……?」
「他に居場所がなかったのだ。俺も――――弟も」

 矢崎兄弟はごく普通の家庭に生まれた。
 商社に勤めるサラリーマンで、上司に悩まされる父親。
 専業主婦として家事をこなす一方、近所づきあいに苦戦する母親。
 どこにでもあるような家庭。
 それが壊れたのは、亨が幼稚園に通い始めた頃からだ。
 ある日、亨が他の子に怪我を負わせた。
 母親は相手の親に何度も謝り、家に帰ってから亨を問い詰めた。
 ――なんであんなことしたの。
 それに対し、亨はこう答えた。
 ――ごめんなさい。
 数日後、また似たような事件が起きた。
 さらにしばらくして、今度は刃の方が事件を起こした。
 その原因は些細なものだったが、いつも事件は大きくなった。
 なぜかと言えば、彼らの異常な力が目覚めつつあったからだ。
 相手が殴ってきたので、自分も殴り返した。
 普通の人間ならば、それは喧嘩と見なされる。
 だが刃や亨は異法人であり、それ故に圧倒的だった。
 周囲も次第に兄弟の異常性に気づいた。
 幼稚園や学校での事件というのは、特に近所では広まりやすい。
 そして、いつのまにか兄弟は恐るべき『怪童』として扱われるようになった。
 ――矢崎の子に関わるな、殺されるぞ。
 大人たちが子供にそう教え、子供たちはその言葉を用いて兄弟を攻撃した。
 攻撃の対象は兄弟だけでなく、両親にも及ぶようになった。
 次第に両親たちは追い詰められ、兄弟を厄介者扱いするようになる。
 そして、亨が小学校に入学した日――――両親は彼らを見捨てて、どこかへ逃げ出した。
 兄弟は両親を追いかけることにした。
 見捨てられたとは思っていなかった。
 そう信じたかっただけかもしれない。
 近所や親戚は全て敵と言って良かったので、家を捨てることにためらいはなかった。
 両親を捜す旅は困難を極めた。
 子供だけではまともに路銀を稼ぐことも出来ない。
 頼れる者もいない。
 仕方ないので、日々の食料などは刃が盗んでいた。
 兄弟を見る周りの視線を辛かった。
 無関心か憎悪、あるいは恐怖。
 すれ違っただけの人もいれば、多少の付き合いをした者もいる。
 しかし、笑顔で別れた人間は一人もいなかった。
 旅路の果てに、柿澤源次郎と出会った。
 薄々両親が自分たちを見捨てたのだと気づき始めた頃。
 多くの人々と接し、その分だけ傷ついていた頃。
 柿澤はとても寂しそうな顔で、自分たちの居場所はここにはないと告げた。
 力を持ちすぎた者は恐れられ、忌み嫌われ、人の社会から追い出される。
 心安らげる場所などどこにもなく、心許しあえる友などどこにもいない。
 ――違う。
 刃はそう叫びたかった。
 きっとどこかに自分たちを受け入れてくれる人がいる。
 安らかに過ごせる場所がある。
 柿澤の言葉に胸中何度も歯向かった。
 それは両親に見捨てられたという現実への反逆でもあり、襲いかかる強大な孤独感への反逆でもあった。
 けれど、刃の言葉は現実ではなかった。
 柿澤の言葉の方が現実だった。
 結局、刃の口から反論の言葉が飛び出すことはなかった。
 それでも彼は、ずっと心のどこかで期待していた。
 異法人である子を見捨てぬ親、理解しあえる友人、心安らげる場所。
 そして二〇〇三年。
 彼はついに、それと出会った。

「――――ある意味、お前たちは理想だ」
 刃の言葉に、梢たちは沈黙した。
 珍しく饒舌に過去のことを語り終えた反動からか、刃の口調はまた淡々としたものになっていた。
「だからこそ、今一度問う。……ただの人間であるお前は、なぜそこに立つ? なぜ彼らの力になろうとする?」
 それはきっと、刃が長年答えを探し求めていたものだったのだろう。
 彼にとって、吉崎のような人間は不思議でならないはずだ。
 拒絶し、忌み嫌い、自分たちを見捨てた人間。
 それと同じはずなのに、吉崎和弥は命を賭して倉凪梢に手を貸している。
 能力者である少女を助けるために。
 吉崎は刃に銃を突きつけたまま、静かに口を開いた。
「……見てられないからだよ」
 青ざめていた表情には、いつのまにか生気が戻ってきていた。
 身体の震えも治まり、吉崎は堂々とした態度で刃に言う。
「俺は知ってる。美緒ちゃんも知ってる。それを見たんだ。それだけだよ、俺がこんな馬鹿な真似してる理由はな」
「……何のことだ?」
「傷さ」
 吉崎の言葉に、刃は梢の上半身を見た。
 大小様々な傷跡が痛々しく残っている。
 あまりに無残なものだった。
「確かにあんたら異法人は恐いさ。俺なんか一発で首へし折られるかもしれない。けどな、それでも――――あんたらだって、傷つくんだ」
「……」
「むしろ俺たちより多く傷ついてる。そこのアホは力がある分自ら危険に飛び込むんだよ、いつも一人で。そんなの見てたら、恐いだのなんだの言ってられねぇ。相手が異法人だろうがなんだろうが――――いつも一人で傷ついてる奴を放っておけるか!」
 吉崎は叫んだ。
 それはきっと、梢にも言ったことのない不満だったのだろう。
 涼子にとっても、その言葉は目を覚まされるものだった。
 倉凪梢が異法人だったとしても、それが彼の全てではない。
 それはあくまで彼の一面にすぎないのだ。
 普通の人間として傷つきもするし、感情だってある。
 普段涼子たちに向けている、お節介焼きの倉凪梢。
 そうした普通の人としての一面も、決して偽りなどではない。
 現に彼はこうして、たった一人の少女を守るために戦っているではないか。
「……お前は少数派だ」
 刃は小さく呟いた。
 言葉の意味が分からず、吉崎が顔をしかめる。
 補足するように、刃が続けた。
「良い人間だ、ということだ。お前のような人間がもう少し多ければ、俺のあり方もまた変わっていただろう」
 言いながら、静かに腰を落とす。
 ぎょっとした吉崎は、指に力を入れて引き金をいつでも引けるようにする。
「もう少し早く、そんな人間に会いたかった」
「動――」
「――――だが今は、今日まで世話になった異法隊への恩義を貫かねばなるまい!」
 ぶわ、と凄まじい風圧が涼子の元まで届いた。
 刃が全力でその能力を発現させたのである。
 吉崎は引き金を引く前に衝撃に押し飛ばされる。
 刹那、刃は猛獣のような速度で梢の元へと駆け出した。
 梢もまた、残された力を振り絞って拳を固める。
 もはや言葉を交わすだけの余裕はない。
 ただ涼子は、刃と梢の双眸に何かを見出したような気がした。
 刃の拳が振り下ろされる。
 頭部に放たれたその拳に対し、梢は僅かに身体を右へ逸らした。
 特大の衝撃を伴った一撃が、梢の左肩へ直撃する。
 瞬間、梢の肩が嫌な形に歪んだ。
 だが、そのとき梢の顔に表れたのは笑みだった。
 両目を大きく見開き、血走ったような視線で刃を睨みつける。
 次の瞬間、刃は大きく口を開いた。
 苦痛のせいだ。
 刃が梢の左肩を粉砕すると同時に、梢の一撃も刃のみぞおちに命中したのだ。
「ぐ……っ」
「攻撃と防御は、同時にゃ出来なかったみたいだな……」
 刃は攻撃の瞬間、己の力を『相手に与える衝撃を倍増させる』ことに使っている。
 逆に防御のときは『自分への衝撃を緩和させる』ことに用いていた。
 刃も戦闘には慣れているため、この二つの要素を瞬時に切り替える術は持っている。
 だが、全く同時に二つの力を使うことは出来なかった。
 攻撃の瞬間だけは、刃に対する打撃攻撃も有効なのである。
 もっとも、それが分かったところで実際にやる者は滅多にいない。
 刃の攻撃を前にしても全く怯まず、それをやってのけた梢が異常だった。
 だが、それでも。
「ぬおおおぉぉぉぉっ!」
 刃は倒れることなく、さらなる一撃を梢に放とうとした。
 これは梢も予想していなかったのか、はっとした表情で刃が振り上げた右腕を見ていた。
 ……止めなきゃ!
 倒れてる場合じゃない、と涼子が身を起こしかけたとき。
「させねぇって!」
 真紅の光が、刃の背中に直撃した。
 振り上げられた右腕が力なく落ち、刃がかすかに後ろを振り返る。
 視線の先には、地に腰をつきながらも両手で魔銃を構える吉崎がいた。
 その一撃は、決して予想外のものではなかった。
 むしろ予想されて当然の一撃だった。
 刃は吉崎を見て、ほんの少しだけ口元を歪めた。
 あ、と涼子が思ったときには、既にその巨体は地に沈んでいる。
 戦いはひとまず、終わったようだった。

 左肩はひどく痛い。
 痛覚がきちんと残っているのは良いのか悪いのか、どちらなのだろう。
 魔力もかなり消耗してしまったのか、翠玉の篭手も消えてしまった。
 ……うわ、まさしく満身創痍だなこりゃ。
 我ながら見事な怪我っぷりだ、と溜息をついたところで下を見た。
 そこに倒れている男、矢崎刃。
 敵として戦った相手だが、梢は彼に対して敵意を抱けずにいた。
 彼が戦いの最中で口にした、普通の人間と異法人の隔たり。
 それは梢も痛感したことであり、どうしても他人事のようには思えない。
 ただ、自分は居場所に恵まれて。
 彼はそこに辿り着けず、別の終着駅に辿り着いてしまっただけだ。
 梢がよくて彼が悪いのではなく、偶然そうなってしまっただけ。
 矢崎刃が榊原と出会っていれば、今頃は彼が遥を守るために戦っていたかもしれない。
 倉凪梢が異法隊と出会っていれば、今頃遥を狙っていたかもしれない。
 そんな相手だった。
「――チッ、感傷に浸ってる場合じゃねぇか。吉崎、大丈夫か!?」
「悪い、まともに動けない」
 あはは、と吉崎は力なく笑った。
 半端な攻撃では刃に通用しないと思ったのか、魔力全てを注ぎ込んだ一撃を放ってしまったらしい。
 魔力は活力とも言えるものだから、それが尽きてしまうとまともに動くことも出来ない。
 梢は左手をだらんと垂れ下げながら、吉崎の元へ歩き出した。
「仕方ない、とりあえず家の中に戻ろうぜ。……ま、それとサンキュな」
「ああ、そうだ。もっと感謝して敬え、そしてもっと俺を頼りにしろ」
「はは、そうさせてもらおうかね――――」
 吉崎の元まで、あと二メートル。
 そこで梢は気づいた。
 倒れた刃、疲労困憊の吉崎。
 そして――――それらを見つめる、異形の気配。
 愕然とした表情で、梢は振り返った。
 中庭にいくつも植えられている木。
 そのうちの一本が、大きくざわめいていた。
「……異常な気配を感じたので来てみたが」
 その声には聞き覚えがあった。
 忘れたくても忘れられない、苦々しい相手の声だ。
 この場において、もっとも現れて欲しくなかった相手の声でもある。
「やはり……貴様か」
「てめぇ……!」
 未だ降り止まぬ大雨。
 木の上から梢たちを見下ろす、一つの影。
 それは――――久坂零次という異法人。