異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第二十七話「拒絶と承諾」
「……久坂、零次」
 感情を押し殺したような声で、名前を呼ばれる。
 零次は縁側に立つ彼女を見上げ、顔が強張るのを自覚した。
 何か言いたい。
 しかし、言えない。
「貴方の夢を見たわ」
「……どんな、夢だ?」
 ようやく出た言葉は、しかし掠れていて聞き取りにくい。
 彼女に届いたかどうか不安になったところで、返答があった。
「私は貴方に切り裂かれていた」
 言われて、零次の脳裏にある光景が映った。
 燃えさかる家。
 その中で立ち尽くす自分。
 そして、眼前には血塗れになった彼女がいた。
 心配して抱き起こし、そのときになって異状に気づいた。
 なぜか、自分の手が真っ赤に染まっていたのだ。
 何だろう、と思う間もなく、その答えは分かった。
「思い出したの。さっきの貴方を見て、少しだけど思い出した」
 それは、閉ざされた記憶を恐怖によって無理矢理叩き起こしたようなものだ。
 彼女は気分が悪いのか、ややふらついているようだった。
「大丈夫か……?」
「平気。来ないで」
「――――」
 ぴしゃりと言われ、零次は進めかけた足を止めた。
 彼女の表情に感情の色はない。
 怯えも怒りも憎しみもない。
 ただ、明確な拒絶という形だけがあった。
「私の記憶は、まだ不完全。だから全てを知ってる訳じゃない。……私がここに来たのは、貴方なら何か知っていると思ったから」
「何か……」
「そう。私は炎に包まれた場所で貴方に切り裂かれた。四月に会ったときの貴方の言葉、それに状況から考えるに……あれは、七年前のこと」
 確信を込めて、彼女は続けた。
「――――私の家族が、皆いなくなった日のことよ」
 彼女の言葉によって、周囲には静寂が訪れた。
 零次は口をきつく結びながら、両の拳を握り締めて立っている。
 ……思い出した、か。
 そう、あれは確かに七年前にあったことだ。
 零次は確かに覚えている。
 あの日、零次は炎に包まれる冬塚家に向かった。
 そこで彼は、一つの罪を犯した。
「答えて。私の言ってること、間違ってる? 見当外れ?」
「いや。……事実だ」
 そう言うのが精一杯だった。
 零次としては、あまり彼女と話していたくない。
 こうして顔をつき合わせているだけで、責め立てられているような気がするからだ。
 だが逃げることは出来ないし、彼女も話を終わらせるつもりはないようだった。
 涼子は微かに眼を伏せて、思案げに腕を組んだ。
「久坂零次さん。……貴方は、私の知らない私を知ってるってわけね」
「……」
「貴方は、何を私に隠してるの?」
 問いかけに対する答えはない。
 零次は歯を食いしばったまま、項垂れるだけだった。
 数十秒ほど経って、彼女は溜息をついた。
 これ以上話しても零次は口を割らないと判断したのだろう。
「……答えてくれないならいいわ。それなら自分で調べるから」
 踵を返し、彼女は屋敷の中へと戻っていく。
 その背中を見て、零次は思わず声をかけた。
「冬塚……!」
 自分でも驚くほど、大きな声が出た。
 彼女は足を止めた。
 だが振り返りはしない。
「何?」
「俺は、お前に危害を加えるつもりはなかった。……あのときも、今もだ。それだけは信じて欲しい」
 それは確かな本心だった。
 いちいち口にするまでもない。
 なぜなら、零次にとって彼女は――――。
「――――ごめん。それ、信じられない」
 返ってきたのは、謝罪と拒絶の言葉。
 明確な形で拒絶され、零次は目の前が真っ暗になったような気がした。
「肝心なこと、何も話してくれない。それでも一方的に信じてくれなんて言われても、私には無理よ」
 告げる声はどこか寂しげで。
 立ち去る背中は、とても遠いもののように思えた。

 清潔すぎて気味が悪い。
 ここは、そういう場所だった。
 潜入してから数時間。
 おおよその構造は頭に叩き込んだ。
 これ以上長居をしていると、発見される恐れがある。
 ……さっさと出るか。大した収穫もねぇし。
 元々彼は依頼されて潜入しただけである。
 余計なことをして、自分の身を危険に晒すような真似はしたくない。
 眼下から微かに見えるのは、パネルだらけの部屋だ。
 そこでは多くの研究員たちが、忙しそうにうろうろしている。
 ご苦労なことだ、と胸中で嘲笑し、彼はその場を離れようとした。
 彼が身を潜めているのは、狭い天井裏の通路である。
 すぐ側には電線などがびっしりと伸ばされており、おかげで小柄な人が一人入れるかどうか、という程度の広さになっている。
 そのため、移動はゆっくりと行われた。
「――――連絡が入りました。牧島主任が"リンク"を入手、ただいま帰還したとのことです」
 不意に聞こえた声に、彼は撤退を止めた。
 ……リンクを入手しただと?
 彼がこれまでに得た情報から察するに、リンクとは彼女――遥という少女のことだ。
 彼女が研究機関に捕らえられたとなると、事態は悪い方向へ進んでいることになる。
 彼にはあまり関係ないが、いい気分ではなかった。
 歩みを戻し、再びパネルの部屋を覗き込む。
 どうやらここは管制室のようだ。
 中を見ていれば、何か分かるかもしれないと思ったのである。
 しばらくじっと部屋を見ていると、扉が開いた。
 男が二人、うち一人は気絶している少女を肩に抱えている。
 少女を抱えている男を見て、彼は驚愕した。
 ……おいおい、とんだ大物が出たな。
 男は蛇のような面構えをしている。
 実際に遭遇したことはなかったが、そいつの名前と人相は有名なので知っていた。
 本名は分からない。
 ただ、ある程度世の中の裏側に通じている人間からは、ザッハークという名で呼ばれている。
 国籍や年齢、その他全てにおける情報が不明。
 唯一分かっているのは、異常者たちの中において尚異常であるということぐらいだ。
 そんな男が関わっているとは、まるで予想外だった。
 彼もそれなりに腕には自信があるが、ザッハークを相手になどしたくはない。
 研究員たちはザッハークの姿を見て、皆一様に息を呑んだ。
 彼も同様である。
 存在だけで相手を萎縮させるような禍々しさが、ザッハ-クにはあった。
「やあやあ皆さん、この通り、彼女を手に入れましたよ」
 口を開いたのは、ザッハークと共にいる男――牧島である。
 彼だけはザッハークの威圧感をものともせず、にこにこと嬉しそうな表情を浮かべていた。
 言われて、彼を含む全員が自然を彼女に向けた。
 ザッハークに担がれた彼女は、ぐったりとしていた。
 意識がないのかと思ったとき、彼は異変に気づいた。
「牧島……リンクに何をした?」
 彼女の両足からは血が流れていた。
 スカートから僅かに出た両足に、やや乾いた血の跡がある。
「嫌だなぁ、変なことはしちゃいませんよ。ただ言うこと聞かなかったから、両足を軽く撃ち抜いときましたけど」
 平然とそんなことを言う牧島。
 無邪気な顔で、撃ち抜いた彼女の足をバシバシと叩く。
 その度に、彼女が苦しそうな呻き声を上げた。
 ……真性のサド野郎が。
 見ていて気分が悪くなった。
 かと言って、それを止めに出て行くわけにもいかない。
 彼の目的は潜入捜査であって、彼女の救出ではないのだ。
 おまけに、牧島の隣にはザッハークがいる。
「止めておけ、リンクは貴重な実験材料なんだ」
「そう、異法人を支配するための」
「万一死んだら機能しなくなります」
「牧島主任。彼女は食用ではなく、狩りに使う類のものと判断してください」
「ま、裏を返せば、死ななきゃ何をしてもいいってことなんですがね」
 牧島を制止する声、からかう声。
 楽しげに笑うような声まで聞こえてきて、彼は背筋が寒くなるのを実感した。
 こいつらは異常だ。
 例え身体的には普通の人間でも、その心は既に人間のものではない。
 苦しそうに呻く少女に対し、誰も気遣うような視線を向ける者がいないのだ。
「ちぇ、分かりましたよ。ま、時間はたっぷりとありますしねぇ」
 牧島は薄ら笑いを浮かべる。
 そして、大袈裟に両腕を広げながら、驚きの言葉を口にした。
「これで、かねてより赤間カンパニーに依頼されていた計画も、実行可能な段階に近づいてきましたね」
 赤間カンパニーという単語に、彼は敏感に反応した。
 異法隊を資金面で援助する代わりに、汚い仕事を押し付けている組織。
 そんなカンパニーが、異法人を目の敵にしている研究機関と繋がっている。
 それは只事では済まされない。
 思わず、ごくりと唾を飲んだ。
 刹那、
「――――ふむ、鼠が入り込んでいるようだな」
 それまで黙っていたザッハークが、こちらに視線を向けた。
「……っ!」
 真紅を思わせる双眸が彼を捉える。
 恐怖のあまり声が出そうになった。
 蛇に睨まれた蛙のような気分だった。
 ザッハークの言葉に、研究員たちの視線がこちらに向けられる。
 だが、そんなことに気が回らないほど、彼は動揺していた。
 研究員たち何十もの視線より、ザッハークの双眸がたまらなく恐ろしい。
 ここに留まっていたら、確実に殺される――――!
 彼は両腕を伸ばし、力任せに狭い通路を突き進んだ。
 ……逃げろ、逃げろ、逃げろ!
 生存本能が訴えかけてくる。
 奴とは争うな、今すぐここから離れろ、と。
 闇の中、彼は突き進んでいく。
 後ろから追ってくる、蛇の幻影に恐れながら。

 赤間カンパニー本社ビル、地下深く。
 陽の光が決して届かぬ薄暗き場所で、柿澤源次郎はソファに腰を落ち着けていた。
 テーブルを挟んで、正面には藤村亮介が座っている。
 二人は無言でコーヒーを飲んでいた。
 地上の音が何も聞こえない、無音の場所。
 カップが置かれる音と共に、口を開いたのは藤村が先だった。
「まずいことになりましたね」
 彼は重々しく溜息をつき、両肩を落とした。
 柿澤もカップを置いて、陰気な顔を藤村に向ける。
「計算外だ。が、仕方あるまい。物事とは計算通りには進まぬものだ」
「しかし、そんなことを言っている場合じゃありませんよ。彼女は機関に連れ攫われ、刃も結構な痛手を負ったそうじゃないですか」
「……私としては、刃の行動が気にかかるところだ」
 柿澤は先ほどの電話を思い出していた。
 刃は草野郎と少女――――倉凪梢と遥の安全性を語った。
 明確な証拠となるものがないため、柿澤は答えを保留としておいた。
 しかし、普段は滅多に口を開かない刃が、倉凪梢たちに関しては妙に雄弁である。
 そのことが柿澤には気がかりだった。
「倉凪梢という少年に肩入れをしている。それも、明確な形でだ」
「心境の変化でしょうか?」
「否……矢崎刃は、元々異法隊の理念と噛み合わなかったと考えるべきだろう」
 何年も前、まだ幼かった矢崎兄弟と出会ったとき。
 刃は最後まで、異法隊の理念には賛同しかねているようだった。
 結局は生きるために異法隊へ入り、その後は忠実な隊員として働いていた。
 だが、忠実であるということと思想はまた別のものだ。
「異法隊は異法人や特殊能力者……人間ではない者たちの独立を目指している。共存ではない。だが、この世には人が多く、我らは少ない。我らだけで生きていくには、世界は広すぎる。だからだろう、異法隊の理念を閉鎖的であると考え、窮屈に感じる者も当然いる」
「そんなことは……」
「ない、とは言えんのだよ藤村。私が見る限り、刃だけではない。亨も赤根もそう思っているだろう。霧島などはその最たる例だ。……零次も、案外そうかもしれんな」
 自嘲気味に顔を歪めながら、柿澤は自分自身でも驚いていた。
 今名前を挙げたのは、日本の異法隊員ほとんどである。
 藤村は複雑そうな表情を浮かべた。
 なんと声をかければいいのか、迷っているようだった。
 柿澤は咳払いをして、話を戻した。
「零次と言えば、彼の方も気がかりだな。どうも冬塚涼子が記憶を取り戻しつつあるらしい」
「それは別に問題ないんじゃないですか?」
「……彼女の記憶を封じたのは私なのだが、それは知っていたかね」
 突然の告白に、藤村の表情が硬直した。
 その意味を計りかね、彼は素直に疑問を口にする。
「俺は零次と彼女の事件は、あんまり知りません。彼女に対し、零次が罪を感じているということぐらいしか……」
「そうか。ならば良い機会だ、私が知っていることを教えよう」
 コーヒーをもう一度口にしてから、柿澤はゆっくりと語り始めた。
「七年前。日本で異法隊は発足したばかり。既に赤間カンパニーとは提携を結んでいたが、今ほど汚い関係ではなかった頃のことだ。当時既に君は入隊していたな」
「ええ、俺と刃と亨。その後、七年前に零次が加わって……それから赤根、霧島でしたっけ」
「そうだ。事件は、零次が異法隊に入隊して間もなく起きた」
 当時、柿澤は人材発見のため全国を巡り歩いていた。
 そうして一定期間毎に、異法隊があるこの秋風市へ帰ってきていたのだ。
「そのときも、私はしばらく留守にしていた。事件自体は、私が留守の間に起きたものなのだ」
「……では隊長も、全てを知っているというわけではないんですか?」
「そうだ。ただ、彼女――冬塚涼子がどんな体験をしたのかは、記憶を封じる際に多少見たがね。……話を戻そう。帰還した私の元に、零次がやって来たのだ」
 零次の顔は真っ青だった。
 彼は泣きそうな表情で柿澤の服を掴み、懺悔するように叫び続けた。
 内容は支離滅裂で聞き取れなかったが、その様子から、何か取り返しのつかないことをやってしまったのだと察した。
「落ち着かせてようやく聞き出した。――――零次は、彼女を殺しかけたのだ」
「え……?」
 藤村は目を丸くした。
 久坂零次は強力な異法人だ。
 戦闘能力も、異法隊でトップクラスである。
 だがそれと同時に、彼は己の力を振るうことを嫌っている。
 無意味な暴力など振るわないし、ましてや一般人に危害を加えるなど、考えられないことだった。
「それには理由がある。彼は、彼の意思でそうしたのではない」
「ではなぜ?」
「……暴走だ」
 暴走、それは能力者にとって忌避すべきものである。
 己の能力を制御して、はじめて一人前と言えるのだ。
 制御出来ない場合、本人の意思がどうあれ、周囲にとっては危険なものにしかならない。
「幼い時分は、能力制御力が未熟だ。それに加えて、零次の能力は制御するのが非常に難しい。強力すぎる分、未だ制御しきれていない」
「それが暴走して、冬塚涼子を殺しかけたと?」
「そうだ。そして彼は私に頼み込んだよ」
 ――――彼女の中から、自分に関する記憶を消してくれと。
「記憶の完全消去は不可能だ。故に私は彼女の記憶を封じることにした」
「……それが隊長の能力ですか?」
「いや、我が異法はまた別のものだ。私はそれとは別に、魔術もたしなんでいる。記憶封じは魔術によるものだよ」
 柿澤の魔術では、そう細かいことは出来ない。
 せいぜい、彼女の記憶を垣間見たり、大雑把に封じたりするぐらいだ。
 久坂零次に関する記憶という条件設定は不可能だった。
 柿澤は零次から、彼女といつごろ出会ったのかを聞き出し、その頃からの記憶をまとめて封じた。
 大雑把にしか出来ない分、かなり強力に封じたつもりである。
 病室で眠る彼女に、一晩かけて柿澤は記憶封じを行った。
 その側に控えながら、零次は一度も彼女を直視しなかった。
「その後は君も知っての通りだ。零次は彼女の封印が解けることを恐れ、自分から離れることにしたのだ。彼女から、そしてこの地から」
 零次は秋風市を離れた後は、各地の異法隊を渡り歩いた。
 その中で実戦訓練を積み、能力の制御法を学んだ。
 やがて柿澤は彼を呼び戻した。
 何年も経っているから、もう彼女の記憶に関して心配することはない、と。
 かくして成長した零次は、日本の異法隊へと戻ってきた。
 そして現在に至る。
「あの日、零次と彼女が一緒にいるのを見て私もさすがに不安になった」
 柿澤が言っているのは、涼子が連れ去られたときのことである。
 スナック『狐火』の事件は、まだ記憶に新しい。
「だが彼女は、零次を見てもさして動揺していないようだった。だから油断していたのかもしれん。……こんな形で、記憶が戻りかけるとは」
 柿澤は頭を垂れた。
 まるで我が事のように嘆いている。
 藤村はそんな柿澤を気遣って、話を変えることにした。
「倉凪梢は、こちらの条件に応じるでしょうか」
 その問いかけに、柿澤は面を上げて答えた。
「彼がどんな人物か、私にはまだ分かりかねる。感情だけで動くような男なら、まず応じまい」
「でしょうか……まぁ彼からすれば、俺たちは憎らしい敵ってことになりますしね」
「私が言うのもなんだが、高圧的な条件を出したものだよ。あちらの言い分を一切無視し、こちらの都合を押し付けたようなものだからな」
 だが、と柿澤は薄く笑った。
「私は案外、応じると思っているがね」

「――――いいぜ、その条件呑んだ」
 刃から持ちかけられた、異法隊との同盟条件。
 梢にとってメリットはほとんどないはずだが、それでも彼はあっさりと承諾した。
 持ちかけてきた刃は眼を丸くしている。
 隣に控える幸町は、面白そうにニコニコしていた。
「……本気か?」
「なんだよ、あんたから提示してきた条件だろうが。なんでそっちが驚く?」
「それは、そうだが」
 異法隊から出してきた条件は三つ。
 一つ、倉凪梢及び発見後の遥の処遇については追って沙汰する。
 二つ、彼女の捜索は梢、零次、刃の三名で行うものとする。
 三つ、倉凪梢の安全性を確認するため、久坂零次と矢崎刃を監視につける。
 同盟期間は、遥を発見するまで。
 どれを取っても、梢にとっては面白くないものだった。
 零次や刃が先に遥を見つけてしまえば、異法隊が彼女を得ることになる。
 それでは、彼女に自由を与えたいという梢の目的は果たせない。
 仮に梢が彼女を見つけたとしても、その後異法隊が手を引くとは限らないのだ。
「まぁ確かに、ふざけんなって突っ返したくなるけどな」
 梢は口を尖らせて言った。
 不愉快であることに代わりはないらしい。
「でもそれは面白くないってだけで、デメリットじゃねぇし。監視は鬱陶しいけど、それで俺らが解放される可能性もあるわけだ。なにより、単独で探すより手を組んで探した方が、遥を早く助け出せる」
「……なるほど」
 梢にとって、現在もっとも重要なのは遥の救出である。
 それが果たせるなら、多少のことは我慢するというのだろう。
 確かに異法隊の条件には、直接デメリットになるようなものはない。
「結局今までとさして変わらねぇわけだ。ただ俺たち同士が戦うことがなくなって、情報交換が可能で、遥を見つけられる可能性は単純に考えて三倍。ほれ、メリットはこんだけあるぜ?」
「だが、彼女を見つけた後はどうする」
「あんたらがまた遥を引き入れるつもりなら、こっちもまた抵抗するだけだ。……っていうか、今からそんなこと心配しても意味ないと思うんだけどよ」
 む、と刃は言葉に詰まった。
 倉凪梢という男は、思っていたほど馬鹿ではないらしい。
「よく出来ました。いや、思ったよりもお利口さんだね、君も」
 と、横で話を聞いていた幸町がパチパチと拍手をした。
 梢はあからさまに顔をしかめ、幸町を半眼で睨みつける。
「あんた、俺を五歳児レベルで見てるんじゃないだろうな」
「違うよ。ただ、さっきは感情的になってるみたいだったからね。勢いだけで刃君の提案を却下するかもしれないって、少し不安だったのさ」
「……まぁ納得いかないことは多数あるけど。ねちねちとそのことばっか言ってても仕方ないだろ」
 梢はテーブルの上に転がるカップを手にした。
 底の部分には、遥の名前が書かれている。
 ほんの数日前、彼女に買ってやったものだ。
 無邪気に喜ぶ彼女を見て、梢が名前を書いたのである。
 何も与えられなかった少女に与えられたカップ。
 それは持ち主を失って、どこか寂しげに見えた。
「今は……遥を早く助けてやらないとな」
 沈痛な顔で梢が呻いた。
 刃と幸町も、揃って同意の意を示す。
 と、梢が表情を一変させて、居間の入り口を見た。
「そこにいるのは冬塚か?」
 梢の言葉に、刃と幸町も視線を入り口へと向けた。
 やがて、そこから観念したような表情で涼子が現れる。
「昔っから気配には敏感ですね、先輩も」
「……」
 梢が僅かに顔を伏せる。
 刃は視線だけを動かして、両者を見比べた。
 彼はまだ、この二人がどういう関係かを知らない。
 ただ、梢が自分の力を彼女に隠していた、ということは察していた。
 そして、彼女はそれを目の当たりにした。
 二人の間に、微妙に気まずい空気が流れている。
 涼子は入り口から動こうとしないし、梢は俯きがちな姿勢のままだった。
 数秒、静寂に包まれる。
 そして、不意に梢が大きく動いた。

 梢は勢いよく上半身を伸ばし、反動をつけて一気に頭を下げた。
 そして、
「色々と隠してて悪かった!」
 大声で、謝った。
 突然の行動に、刃や幸町、そして謝られた涼子でさえ呆然としている。
 涼子はどう反応していいのか戸惑っているようだった。
 誰も何も語らず、先ほどとは別の静寂が訪れる。
 梢は頭を下げたまま微動だにしない。
「……えっと、顔上げてくれませんか先輩」
 恐る恐るといった様子で、涼子が声をかける。
 梢は言われた通り面を上げ、真剣な表情で涼子を見た。
 目つきの悪い梢がそんな表情をすると、余計恐い。
「先輩、表情もうちょっと柔らかく」
「こうか?」
「もうちょっと」
「……どうだ」
「……どうも」
 ようやく普通の表情に戻った梢と、なにやら疲れた表情の涼子。
 緊迫した雰囲気なのか、そうではないのか、よく分からなかった。
「えっと、私はどうすればいいんですか?」
 梢の行動に気圧されたのか、涼子は助けを求めるように刃や幸町に視線を向ける。
 だが、その二人にしろどうすべきかは分からない。
「ん、急に謝ったから訳分からなかったか?」
「全然。正直、謝られても困ります」
「……じゃ、何から話せばいいんだ。何か聞きたいこと、あるか?」
 言われて、涼子は首を傾げた。
 色々と聞きたいことはあったが、まず確認すべきことがある。
「先輩は、異法人なんですか?」
「それがどういうもんを指すのか、明確には知らんが……」
 と、そこで梢は刃を見た。
 そしてすぐに視線を涼子に戻し、
「多分そうなんだろ。少なくとも、普通の人間じゃねぇわな」
「そのことを、今まで隠してたんですね」
「ああ。だからそのことを謝った」
「別に謝らなくてもいいと思いますけど……隠すのって、当然じゃないですか」
「それでも悪いと思ったんだよ。結果的にお前を騙してたってことになるし、いきなりあんなもん見せて、びっくりさせちまっただろうからな」
 梢は罰が悪そうに頭を掻いた。
 あんなものとは、零次や刃との戦いのことだろう。
 確かに、何も知らない人間がいきなり見せられたら、恐怖のあまり混乱するに違いない。
 だが涼子は幸か不幸か、既に異常というものを経験している。
 無論異法人同士の戦いに比べれば、大したものではない。
 それでも普通の人間よりは耐性がついていたし、梢が異法人ではないかという予想もしていた。
「私が混乱してたのは別の理由ですよ。先輩のせいじゃないですし、気にしないでください」
「むぅ……」
 涼子の言葉に納得しかねるのか、梢は渋い顔つきである。
 なんとなくその様子が、先ほどの零次とは対照的に思えた。
「先輩は先輩ですよね。別に裏で悪事とか働いてたりとかしてませんよね?」
「んなことしねぇよ。隠してたのは力のことだけだ」
「だったら、私としてはオールオッケーです」
 自分でも意外なほど、すんなりと梢を受け入れられた。
 長年の付き合いで分かる。
 彼は例え異法人だとしても、これまで通り信用出来る相手だと。
 積み上げてきた年月が、そう物語っている。
 ……零次さんも、何か話してくれれば信じられたのかな。
 ふと、先ほどのことを思い出す。
 自分でもきついことを言ってしまったと、涼子は少し後悔していた。
 だが久坂零次と自分を結ぶものはあまりに少なく、そして心地よいものではない。
 最近になって"再会"した後は、比較的気安く話せていた。
 だがその裏に、かつて自分が殺されかけたという過去があった。
 そのことについて彼は口を閉ざしている。
 また、彼と自分が本来どのような関係だったのか――――それが未だに思い出せなかった。
 彼と自分の本当の出会いはなんだったのか、姉の優香とは関係があったのか。
 あの炎の光景にいたことを考えると、最悪の場合、涼子の両親を殺したのが零次だという可能性もある。
 零次が過去を語るか、自分が更に何か思い出すかしなければ、彼を信じることは出来ない。
 涼子と零次の間には、信頼を作るためのピースが欠けているのである。
「それより先輩、そっちも色々と込み合ってるみたいですし……よければ、お互いの状況を確認し合っときませんか? 刃さんと……」
「ゆっきーと呼んでくれていいよ」
「先生も一緒に」
 希望を却下されて、幸町は少し落ち込んでいた。
 もっとも本気で落ち込んでいるわけではないだろう。
 刃が頷き、梢もそれに続いた。
「そうだな――――んじゃ、何から話そうか」