異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第三十話「姉と兄」
 遥が連れ去られてから一週間が経過した。
 日に日に強まっていく焦燥感を抑えながら、梢はどうにか平静を保っている。
 毎夜、刃と共に探索に出ているが成果はない。
 零次は梢と顔をあわせるのが嫌なのか、常に別行動を取っていた。
「頑固者でな」
 刃は零次のことをそう評した。
 つまり、敵だった梢とそう簡単に和解するつもりはない、ということだろう。
 そのことも気に食わなかったが、いない相手に文句を言っても仕方がない。
 梢にとって辛いのは、相手の情報があまりないことだった。
 ここ一週間、暇があれば探索に出ていた。
 赤間カンパニーのことも厳重に監視している。
 だが、カンパニーの規模はあまりに大きい。
 刃と共に二人で調査するにしても、尻尾を掴むにはよほどの幸運が必要だった。
 吉崎も赤間のデータベースをどうにかして覗こうと躍起になっているらしい。
 ここ数日はあまり睡眠をとっていないのか、顔色が冴えないようだった。
 そんなときである。
 涼子が外出をしたいと申し出てきたのだ。
「こんな時期に? 危ないからやめとけよ」
 梢は制止した。
 遥が見つからないことの苛立ちからか、やや口調が乱暴なものになってしまう。
 今日は休日、最近にしては珍しく晴れていた。
「少しでいいんです。あの裏山に行ってみたいんです」
「裏山って、あの墓地があるとこか?」
 妙な話だった。
 涼子の両親は、叔父夫妻がいる町の方に墓がある。
 他に涼子に所縁あるものがいるとでも言うのだろうか。
「そこに行って何か得られるのか?」
「私が狙われている理由です」
 涼子が研究機関に狙われている理由。
 それは梢も簡単な話を聞いていたので知っている。
 七年前に起きた冬塚夫妻の事件。
 それに関わる記憶を狙われているのだが、彼女自身は肝心の記憶を失くしていると。
「記憶が取り戻せそうってことか」
「おそらく。……そうすれば、連中を誘き寄せるのに役立つかもしれません」
 言って、涼子は頭を振った。
「……正直なところ、恐いんです。私は何かとんでもないことを忘れてるような気がして。……こんな状況下でこんなこと言って、すみません」
「気にするなよ。そうだな、今なら連中も派手には動かないだろうし、付き合ってやるか」
 晴天の日中では、さすがに大掛かりな真似は出来ないだろう。
 梢は涼子を連れて玄関を出た。
 陽射しが眩しい。
 久々に青空を見た気がした。
「でもなんで裏山なんだ? 裏山行った記憶でも思い出したか?」
「霧島さんが、行けって言ったんです」
「――――」
 霧島直人。
 その名を聞いて、梢はかすかに表情が硬くなるのを自覚した。
「……会ったのか」
「この間の夜に。しばらくお別れだって」
「さよか」
「霧島さん、七年前の事件に関わってたかもしれません」
 その言葉に、しかし梢は返事をしなかった。
 驚きよりも、妙に納得してしまう自分がいた。
 それまでは全く想像もしていなかったはずなのに、当たり前のように同意してしまったのだ。
 七年前、冬塚夫妻の事件、霧島直人の失踪。
 なぜ今まで気づかなかったのか、と思うような組み合わせだ。
 もっとも梢が、涼子の両親が死んだ事件のことを知ったのは、つい一週間前のことなのだが。
 それまでは、涼子もあまりそのことを語ろうとしなかった。
「先輩」
「ん?」
「これはこじつけかもしれませんけど……私、今回の事件と七年前の事件がどこかで繋がってる気がするんです」
「その根拠は?」
「霧島さんが言ってたんです。ある人と約束したと。――――私と遥さんを守るって」
 それは、まるでこの状況を言い表しているかのようだ。
 今、二人の少女は研究機関に狙われている。
「霧島さんと遥さんには何か縁がある。それを結びつけた人がいる」
 涼子は胸に手を当てながら俯く。
「それは私の知ってる人で、でも私は忘れてるって」
「つまり七年前に関わる人物ってことだな。……お前、ある程度見当はついてんだろ」
「はい。だから私はそれを確かめに行きたいんです。そして……全てを思い出したい」
 今の涼子は、まるで見えない重圧に押し潰されそうに見えた。
 梢はそんな彼女の頭を軽く叩きながら、
「期待してるぜ。本当に七年前と今が繋がってるなら、お前が遥を助ける鍵になるかもしれない」
「……はい」
 しかし、と梢は胸中で霧島に毒づく。
 話を聞く限り、霧島はおそらく今回の一件について、誰よりも深いところにいるように思えた。
 そのくせ真実を語っていない。
 ……また一人で無茶してやがるのか。
 昔を思い出す。
 見上げれば空は青く広がっている。
 あの日も、思えばこんな空だった。
 何者にも囚われぬ、自由な空。
 それは霧島直人という男へのイメージそのものでもある。
 梢はかすかに眉尻を下げながら言った。
「冬塚。裏山まではまだ少しある。その間に――――今と昔を繋ぐ男の話をしねぇか?」

 出会いは衝撃的だったように思う。
 梢と美緒が榊原家に来てしばらく経った頃。
 ある日突然、屋敷の門から大型バイクが突っ込んできたのだ。
 庭先で遊んでいた美緒が驚いて泣き出し、それを聞きつけた梢は両目を吊り上げて飛び出した。
 しかし、敵意を剥き出しにした梢が見たのは意外な光景だった。
 美緒は泣きやんでおり、大型バイクに乗った男と一緒に戯れていた。
 男は美緒を一緒に乗せてバイクを走らせていた。
 庭先で、だ。
 他人の家の庭先でこんな真似をする男など、梢にとって訳が分からない存在だった。
 やがて男はバイクを止め、美緒を肩に乗せて梢の前にやって来た。
 身構える梢のことなど気にせずに、男は呑気そうに笑って言った。
『ようブラザー。なんかお菓子でも食わねぇ?』
 その後、梢はこの男について榊原から聞かされることになる。
『あいつは霧島直人。俺の一番弟子だ。まだ高校生の分際で、この一ヶ月バイクで日本全国を旅して回ってたらしい』
 要するに問題児だ、と榊原は評した。
 当時から霧島直人はこんな調子だった。
 随分と無茶苦茶な性格をしていた。
 小学生である梢や吉崎と一緒になって悪戯三昧。
 梢たちをあちこち連れまわしたり、引っかき回したりしていた。
 年の離れた餓鬼大将のようなものだ。
 確かに問題児ではあったが、梢たちは皆霧島が好きだった。
 無茶苦茶ではあるが、守らねばならないことは知っていた。
 餓鬼大将のようだったが、正義の味方のようでもあった。
 なにより強かった。
 身体だけでなく、その精神も強靭なものだった。
 軽い性格のせいでそういった印象は薄いが、梢たちは一度も霧島の弱さを見たことがない。
 情けないところはあったが、それを弱さと感じさせない何かがあった。
 だから皆、憧れた。
 美緒はその言葉に。
 吉崎はその性格に。
 梢はその生き方に。
『梢よぉ。お前、一番大事なものを持ってるか?』
『なんだそりゃ。一番大事なものってなんだよ』
『んなもん俺が知るか』
『……え?』
『一番大事なもんってのは人それぞれ違う。お前のそれが何なのかは知らん』
『ああ、それもそうだなぁ』
『だから梢、それを人に押しつけるな。見せつけるのは構わないが、押しつけは禁止。ん、この違い分かるか?』
『……難しくてよく分からない』
『ははは、そりゃそうだ。俺だって言葉で説明なんぞ出来ん。なんつーか、あれだわな。なんでも言葉で説明できてりゃ、世の中天国もしくは地獄だぜ』
 霧島の語りは、よく脱線する。
 言いたいことがたくさんあったからかもしれない。
『――で、話戻すけどよ。お前、一番大事だって思えるもの持ってるか?』
『持ってる、と思う』
『なら、それを守り抜くにはどうしたらいいか分かるか』
『さぁ? そんな方法あんの?』
『一つだけあるぜ。知りたい? 知りたい?』
『なんだよ、もったいぶらずに教えろよ』
『よろしい。なら教えてやろう。一番大事なもんなんてのを、持たなきゃいいのだ』
『うわ。つまんねぇ』
 梢は顔をしかめた。
 味気なさすぎて、一気に聞く気が失せた。
 だが霧島は指を振りながら、にやりと笑ってみせた。
『それも一つの方法ってことさ。俺が言いたいのはな、梢。人には二種類の生き方があるんじゃねぇかってことだ』
『なんだそりゃ』
『一つは今言ったように、一番大事なもんってのを決めないで生きていく方法。まぁ楽な生き方だ』
『もう一つは?』
『一番を決めちまう生き方だ。こいつはたまらなく格好いい。……けど、一番を決めるからには相当の覚悟が必要だ』
『辛いのか?』
『ああ、辛いだろうな。なにせさっきも言ったが、守り抜くための方法なんざありはしねぇんだ。けど一番大事なもんがあるから、それを失くす訳にもいかない。せいぜい足掻きながら、そいつを守り続けなきゃならん。
 そして、もし"一番"を失くしたら……そのあとは惨めなもんだろうよ。どん底行っちまうんじゃねぇかな』
 そして霧島は、梢の頭を軽く叩きながらこう言った。
『お前はどっちなんだろうな。ま、どっちにしても……選ぼうとは思うなよ。こういうのは自然と決まるもんだ。意識して選ぼうとすると、そこには必ず歪みが出てくるはずだ』
『歪みか。難しくてよく分かんねぇなぁ』
『はは、お馬鹿様にはまだ少し早かったな。ま、お前もいつか分かるときが来るだろうさ』
 馬鹿と言われて梢は少しむっとした。
 霧島に悪意がないのは分かるが、気楽に馬鹿馬鹿言われているのでは腹も立つ。
 つい言い返してしまった。
『馬鹿馬鹿うるせぇ! だったらそういうアンタはどうなんだよ?』
『俺か。俺は――――後者だな』
 さして迷う風でもなく、あっさりと言う。
『だって俺、格好いいだろう』
『格好悪ぃよ』
 本音とは逆の言葉が梢の口から出た。
 言われて、霧島は『参ったね』と苦笑いを浮かべる。
 いつもと変わらぬ日だった。
 それから数日経って、霧島直人は失踪した。

 町の死角に存在する診療所。
 そこの診察室では、二人の男がいた。
 一人は白衣を身に纏い、眼鏡をかけた温厚そうな青年だ。
 もう一人はベッドに身を横たえ、気だるそうな表情を浮かべている。
 白衣の青年がベッドから離れ、
「はい、診察終了。無茶ばかりしてるね、お前も」
「説教はいいんだよ。俺には意味がない」
「確かに。昔から人の話聞かない性格だったもんなぁ」
 白衣の青年――幸町は苦笑する。
 眼前の男は、昔から自由奔放すぎた。
「それで、彼女は発見出来たのか?」
「まだだな。連中は基本的に臆病者だから、表には出てこない。戦力に関しちゃ異法隊の半分以下だろうが、潜伏の方は異法隊なんか足元にも及ばない」
「異法隊の方はどうなんだ? 連絡絶ってると怪しまれるんじゃない?」
「元々好き勝手やってたからな。さして問題視されてないだろ」
「ふぅん。それで直人、お前はどうするつもりなんだ?」
 問われた男――霧島は、己が手を見た。
 力なく開いていたそれを、強く握り締める。
「どこまでやれるか分からんが、俺は俺がやれることをやるだけだ」
 霧島は強い眼差しを幸町へ向けた。
 幸町はその内側に、何が秘められているのかを知っている。
 それに挑むように口を開く。
「今を継ぐ彼らに、真実を告げないのはなぜかな」
「告げるべきじゃないからだ、とだけ言っとく」
 霧島は人差し指を立てる。
「梢の奴は七年前のことに関わらず、やるべきことを理解してる」
 次いで中指を立て、
「涼子は真実に触れている。忘れてるだけだ。それは、自分で取り戻さなきゃ意味がない」
 更に薬指を立て、
「遥に必要なのは過去ではなく現在であり……」
 そして小指を立て、
「零次は言うまでもない。あいつは自力で乗り越えなきゃどうにもならねぇ」
 最後に親指を立てる。
「俺も、全てを知ってる訳じゃない。人の数だけ過去があり、真実がある。俺にできるのは、自分の過去を背負って今を生き喘ぐことぐらいだ」
 幸町は嘆息した。
 この親友は、大変な道を選んでしまったものだと。
 異法隊とも連絡を絶ち、彼は今一人きりだった。
 その理由は分かっている。
 異法隊が遥に対し、どのような決断を下すかまだ分からない。
 だから異法隊、及びそれと一時的にせよ同盟を結んでいる梢たちから距離を置くことにしたのだ。
 遥を助け出した後、余計なものが介入しない場所に置いておくために。
「俺はあいつら全部を出し抜いて遥を助け出す。――――そして全てを終わらせる」
 強い決意を込めた言葉。
 それを受け、幸町はゆっくりと目を伏せた。
「それがお前の選択か……難儀なものだね」
「約束であり生き甲斐でもある。充実はしてるぜ、やる気もある」
「あまり無茶はするなよ。――――お前にはもう」
 言ってから目を開ける。
 眼前の親友は、先ほどと変わらぬ表情だった。
「ああ、分かってる」
 微かな笑みを返され、幸町は表情を歪めた。
 それを誤魔化すかのように視線を逸らし、
「……守るべきもう片方の姫はどう出るだろうね」
「真実に到達するだろうさ。遅かれ早かれな」
 霧島はなぜか、そのことに対し強い確信を持っているようだった。
「もしかしたら、あの嬢ちゃんが鍵を握ってるかもしれない。あの事件、俺さえ知らない真実を」
 幸町が視線を戻すと、霧島は既に立ち上がり、上着を手にしていた。
「もう行くのか」
「ああ。あいつから昨日電話があった。なんでも追われてるらしい。治療も終わったことだし、さっさと助けに行ってやらねぇと」
「……お前に貸した一万円、まだ返してもらってない。次来るときにはきちんと持ってくるように」
「へいへい、分かりやした」
 別れの言葉は交わさない。
 ただ、ここ数年間何度かあったようなやり取りがあるだけだった。

 涼子のマンションからしばらく歩いたところに山がある。
 新興住宅街の裏手にあるその山は、市民から裏山と呼ばれていた。
 その山をしばらく登っていくと、開けた場所に出る。
 山を包み込む木々もそこにはなく、遠くに町が見える絶景の場所。
 そうした地にあるからか、ここの墓地には陰気さというものがない。
 こんな晴れた日なら、尚更だった。
 風が気持ちいい。
 透き通るような空気が周囲に満ちていた。
 梢の声も止まり、辺りには風の音だけが聞こえた。
「なんだか、優しい場所ですね」
「冬塚は詩人だな。俺にはただの墓場にしか見えないけど」
「先輩は夢も希望もない人ですねぇ。そんなんじゃ女の子にもてませんよ」
「うるせぇ。俺はそういうキャラじゃねぇんだよ」
 ふん、と鼻を鳴らし、梢は涼子を追い抜いて周囲を見渡した。
「で、来たはいいけど。どこに何があるんだ?」
「外れの方だと。そこに一つの答えがあると、霧島さんは言ってました」
「なら、ぐるっと一周してみるか」
 梢が先に立ち、涼子が後に続く。
 何者かが潜んでいるか探っているのか、梢は気を引き締めているようだった。
 それに倣い、涼子も心構えだけはしておく。
 墓地の外れは崖になっていた。
 風も強く、油断していると落ちてしまいそうである。
「先輩、さっきの話ですけど」
「ん、なんだ?」
「一番大事なもの」
「ああ、あの話か。あれがどうかしたか?」
「霧島さんは、どっちだったんだろうなって」
「……さぁ。あの人、よく分かんないとこがあったからな。俺には分からんぜ」
「私は、一番を決めてしまった人のような気がするんです」
 歩きながら会話が続く。
 梢は振り返らず、歩みも止めない。
 涼子は彼の後を追いながら、言葉を進める。
「――――そして、その一番を失くしてしまったんじゃないかって」
 霧島直人とは何なのか。
 最初は、陽気な性格の異法人だと思っていた。
 だが、時折見せる面はひどく寂しげで、どこかに大切なものを置き忘れてきてしまったかのようだった。
 梢は肯定も否定もしない。
 ただ、ゆっくりと歩みを止めた。
「冬塚。……これが、そうなんじゃないか」
「……」
 涼子は梢を追い抜き、そこにあるものを見た。
 それは一つの墓だった。
 花も何もない、簡素な墓。
 他の墓と比べると小さく、なんとも粗末なものだった。
 しかし、場所だけはいい。
 墓のある場所からは、町が一望できた。
 榊原屋敷も、朝月学園も、駅前付近のビル街も、かつての涼子の家も、そして今涼子が暮らしているマンションも。
 ここからは、朝月町の全てが見えた。
 涼子はそっとしゃがみ込み、ゆっくりと墓に刻まれた文字を読み上げた。
「八島家之墓」
 八島。
 それは、涼子の姉である優香の姓だ。
 七年前、八島家はザッハークと呼ばれる異法人の襲撃を受け、優香を除いて皆殺しにされた。
 その後優香は冬塚家にやって来たが、年の暮れ、あの事件によって行方不明となった。
「ここに、姉さんの両親が眠ってるんだ……」
 どんな人たちだったのだろう、と思う。
 微かに思い出せる姉から察するに、良い人たちだったはずだ。
『涼子ちゃん、お父さんとお母さんは大事にしなきゃ駄目だからね?』
 思い出の中から、姉の声が聞こえてきた。
 涼子は言葉を紡ぐ。
「姉さんは、ご両親のことが好きだったのかな……?」
 いつか、そんな問いかけをしたような気がする。
 そのとき彼女は、笑ってこう言ったはずだ。
『家族は皆好きだよ。八島のお父さんやお母さんも、冬塚のお父さんもお母さんも、それに涼子ちゃんもね』
 そう答えた彼女は笑顔で、しかし少し寂しそうだった。
 その裏にどんな意味があるのか、当時の自分は分かっていなかったのだろう。
「私も好きだよ、お父さんにお母さん、それに……姉さんも」
 胸の奥から次第に湧き上がってくる感情。
 記憶の扉を浸して、表に溢れ出てくる洪水のような思い。
 今更思い出した。
 なぜ、姉を拒絶した夢を見たときに心が痛んだのか。
 なぜ、姉と仲良くしている夢を見てほっとしたのか。
 なぜ、過去を求めようと思い始めたのか。
 機関に狙われたから、ということもある。
 だが、それよりもずっと前から、涼子はどこかで過去を求めていたのではないか。
 なぜ、家族揃って撮った写真をテレビの上に置いておいたのか。
 目に見えるところに、家族を置いておきたかったからではないのか。
 両親が失われ、彼女は一人になった。
 人に迷惑をかけないようにと頑張ってきた。
 だから平気だと、自分でも思いこんでいたけれど。
 本当はただ、家族が欲しかったのではないのか。
 どこかで生きてるかもしれない、姉と会いたかったのではないか……。
「……馬鹿みたい。こんな感傷に浸ってられる状況じゃないのに」
 今、自分がすべきことは、少しでも多くのことを思い出すことだ。
 七年前に関することならなんでもいい。
 それを掴めば、機関の連中を誘き寄せられるかもしれないのだから。
 そんな涼子の胸中を察したのか、
「別に無理はしなくていい。お前にはお前の問題があるだろうからな。そこに俺は踏み込まない。知りたいことを知り、思い出したいことを思い出せ。……要するに、好きにしろってこった」
 梢は空を仰ぎ見ながら言った。
 涼子はそれに対し、微かに頭を振る。
 やれるだけのことはやっておきたいのだと。
 そうして涼子は視線を脇に逸らした。
 墓石の横、そこには墓誌がこっそりと置かれている。
 墓誌には三つの人物の名が刻まれていて、
「――――」
 最後に書かれた名前を見て、涼子は息を詰まらせた。
 崩れかけた体勢を整えるために、墓誌を両手で掴むような形になる。
 自然、涼子の顔は墓誌に近づいた。
 ……。
 まじまじと、その名を見つめる。
 何度も何度も見直す。
 それを続けていれば、やがて刻まれた名前が消えてくれると信じるように。
 懇願するように。
 だが、何度見直してもその名は不動だった。
 涼子の視線が、そこに釘付けにされた。
「……」
 こぼれ落ちる声は震えていた。
 涼子の異変に気づいた梢が後ろから彼女を覗き込み、絶句する。
 視界がぶれた。
 多分、涙が出てきたせいだろう。
「冬塚……」
「……」
 それでも涼子は、その文字を見つめていた。
 事実を受け止めることが、七年間放っておいたことの報いだと言い聞かせて。
 ――――八島優香。
 墓誌には、その名が刻まれていた。

 八島家の墓近くの崖。
 そこに腰を下ろし、涼子は遠い町を眺めていた。
 既に涙はそこになく、ただ呆けたような表情を浮かべている。
「私も、どこかで分かってたんです」
 後ろに立つ梢に語りかける。
「七年間も音沙汰なければ死亡扱いですよ。そりゃそうです。分かってました」
 先ほどは心地よく感じた風も、今は少し冷たい。
 涼子は少し間を開けて、存分に冷たい風を身に浴びた。
「……きっと、姉さんを葬ったのは霧島さんなんです」
「あの人が?」
「昔、姉さんの口から霧島さんの名を聞いたことがあるんです。好きな人だった、と」
「……」
「霧島さんも姉さんのこと好きだったんだと思うんです。でも、七年前の事件で姉さんのことを守れなくて。居ても立っても居られなくて、姉さんを探しに飛び出して。……どこかで姉さんを見つけて、最後を看取って。そのとき約束したんです。私や遥さんを守るようにって」
 そこまで言ってから、涼子は微笑を浮かべて後ろを振り返った。
 心配そうにこちらを見る梢に、
「こんなこと考えるの、夢見すぎでしょうか」
「……見ても良い夢だと、俺は思う」
「……ありがとう」
 涼子はそっと立ち上がった。
 もう一度だけ墓を見て、すぐさま視線を町へと戻す。
「付き合ってもらったお礼に、早速動くとしますか」
「無理、しなくていいぞ」
「大丈夫です。大丈夫にするんです」
 じっとしていると、かえって辛い。
「思い出したことがあるんです。父さんと母さんの資料室のことを」
「……資料室?」
「姉さんと一緒に、一度だけ入れてもらった二人の仕事場。そこには二人の研究成果があります。それがあれば、機関を誘き寄せることができるはずです」
 記憶はおぼろげなものだ。
 しかし、姉への思いと共に滲み出てきた記憶は、確かにその資料室の存在を肯定している。
「今すぐ行きましょう。そうすれば、霧島さんと遥さんの縁……姉さんと遥さんの縁も分かるかもしれません」
 言って、一歩を踏み出した瞬間。
「――――待て冬塚、何かいる」
 突然梢が、こちらの口を塞いだ。
 彼は墓地の向こう側にある森へ、敵意のこもった視線を向けている。
 ……まさか、ここにも機関が?
 恐怖で身体が竦んだ。
「いいか、俺の側を離れるな。いざとなれば、お前を担いで逃げるからな」
 梢が言った瞬間。
 森から一人の男が出てきた。
 髪の色から衣服まで、様々なものを赤で統一している男だ。
 だが赤いのはそれだけではない。
 男は傷を負っているのか、その身を大小の血で染めていた。
「……お前、赤根甲子郎!?」
 梢が叫び、涼子はその名を思い出す。
 涼子は直接会ったことはないが、名前だけは聞いて知っている。
 梢と戦って敗れてから、消息不明になったという異法隊員だ。
 そんな彼がなぜこんなところにいるのか。
 赤根は梢と涼子の姿を見て、鬼気迫る表情で叫んだ。
「――草野郎かっ! さっさと逃げろ!」
 刹那、赤根を追うようにして、森の中から異形の獣たちが飛び出してきた。