異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第三十五話「二つの対決」
 昔。
 憧れていた男が三人いた。
 否、その言い方は正しくない。
 今でも憧れている。
 強く、ああなりたいと願っている。
 一人は父親。
 もう一人は師匠。
 そして、最後の一人が彼だった。
 彼の自由に憧れた。
 勝手気ままな性格に振り回されることもあったが、彼は彼のルールをきちんと守っていた。
 自らの意思と責任を負って、その上で人の世を自由に生きる彼に憧れた。
 誰にも縛られない強さを持ち、自らを縛る信念を持っていた。
『俺を縛るのは俺だけだ』
 彼はいつもそう言っていた。
 幼い頃の梢は、その背中を見る度にああなりたいと願った。
 けれど、その背中は遠すぎた。
 いつも近くにいたはずなのに、どんなに手を伸ばしても届かない。
 手を伸ばせば伸ばすほど彼の背中は遠く小さくなっていく。
 そして、その背中は――――見えなくなった。
 それが、倉凪梢と霧島直人の関係だった。
 どうしても届かせたくて、梢は何度か霧島に勝負を挑んだ。
 一泡吹かせれば、霧島は立ち止まるかもしれない。
 そうすれば、自分も彼の背中に追いつけるかもしれないと、子供心に思ったのである。
 戦ったのは、人目のつかぬ山の道場。
 榊原立会いの元で、何度も二人は戦った。
 その都度梢は一撃で倒され、霧島の背中はより遠くに行ってしまった。
 目にも映らぬ神速の攻撃。
 それが的確に鳩尾に叩き込まれる。
 気がつく頃には不思議と痛みが消えている。
 上手い具合に加減されているのだと知って、梢は霧島との距離を痛感した。
 それが、七年より前のこと。
 あれから少し時が流れた。
 二人は、一人の少女を巡る事件の最中で再会した。

 そして――――今。
 かつて何度も彼に挑んだ場所で、梢は倒れていた。
 かつて何度も彼に喰らった、鳩尾の一撃。
 それが、一秒にも満たない勝負の決め手だった。
 仰向けに倒れた梢は意識を失っているのか、ぴくりとも動かない。
 何が起きたのか理解出来ていなかったのか、ぼんやりとした表情のまま白目をむいていた。
 霧島の一撃は、ただ一つだけ昔と違う点があった。
 一切手加減をしていないのだ。
 半端に手加減をすれば、梢は再び立ち上がるかもしれない。
 無理をしてでも、頑張ってしまうかもしれない。
 ならば、いっそのこと無理をしたくても出来ないようにしてしまった方がいい。
 過激な考え方だが、倉凪梢を止めるにはそれぐらいはしないといけない。
 梢が喰らったのは、時速数百キロの速度で迫ってきた霧島が放った渾身の蹴りである。
 普通の人間ならば、喰らっただけで腹に大穴が開くか、下手すれば身体の大部分が消失するような一撃だった。
 いくら異法人である梢とは言え、これを喰らって無事で澄むはずがない。
「……骨の二、三本は折れたかもな。ま、悪く思うな」
 霧島は悪びれずに言った。
 昔とは違う。自分から仕掛けたとは言え、これは梢も応じた戦いなのだ。
 手加減する方がどうかしている。
「死ななかっただけでも幸いだ。俺にとっても、お前にとっても……遥にとっても」
 そう言って、霧島は目を伏せた。
 しばらくの間、その場に立ち続ける。
 やがて目を開けると、
「おい赤根、早く行くぞ。遥の居場所、掴んだんだろ?」
「……ちょっと、待て」
 不意に聞こえた声の主は、赤根ではない。
 気を失っていたはずの梢だった。
 彼は片手で腹部を抑えながら、ゆっくりと起き上がった。
「勝手に、行くなよ。俺はまだこうして――」
 言い終わらないうちに、梢は抑えていた腕ごと腹部を打ちぬかれた。
 地をゴロゴロと転がりながら、腹に溜まっていたものを吐き出す。
 霧島は苦々しげな表情を浮かべている。
「ずっと寝てればいいものを……!」
「はっ、寝てられるか? いや、寝てられないね」
 口元についた汚れを落としながら、梢は勢いよく起き上がる。
「あんたをねじ伏せて信用勝ち取る。そうすりゃ遥を助けに行っても文句ないんだろ? だったら――――呑気に寝てるわけにはいかないよなぁ!?」
 自分を励ますためのものか。
 梢は猛々しく笑いながら、霧島に飛びかかった。

 梢は思い出す。
 霧島直人の基本的な戦い方はどんなものだったのか。
 ……足技中心。その長身を活かした戦い方だ。
 霧島はリーチが長い。
 そのため、どうにかして距離を詰めなければまともに攻撃を当てることが出来ない。
 かと言って、距離を詰めること自体が容易なことではない。
「でぇぃっ!」
 梢は滑り込みながら、相手に足払いを仕掛ける。
 が、霧島は無造作にひょい、と跳ぶ。
 宙に浮かんだまま、腰を捻り軽く蹴りを放つ。
 足払いをしかけた状態で体勢が崩れているから、梢はそれを満足に防ぐことが出来ない。
 一旦体勢が崩れると、立て直すのは容易なことではない。
 霧島は好機と見るや、凄まじい勢いで乱打を加えてきた。
「ちっ……!」
 この乱打は致命的なものではない。
 まともに防御出来ずとも、気合で耐え切ることが出来る。
 しかし、このまま動きを封じられていては、いつ致命打がきてもおかしくはない。
 霧島に蹴り上げられ、視界が霞む。
 顎を真下から蹴り上げられたのだと気づき、梢は焦った。
 視界は上。
 霧島の姿を捉えることが出来ない。
 ……まずい!
 ここで無理に首を動かしたところで、さほど意味がない。
 霧島の動きが作り出す風を頼りに、梢は咄嗟に両腕を左右に払った。
 運良く腕に霧島の足がぶつかり、攻撃を受け流すことに成功する。
 だが、視界に霧島の姿を再び捉えたとき、梢は驚愕した。
 霧島は片足を軸にし、コマのような動きで第二撃を放ってきた。
 両腕を払った直後のことだから、防御は間に合わない。
 ……速過ぎるだろ!?
 それは声にもならない叫びとなった。
 防ぐ手立てがない以上、耐えるしかない。
 梢は開きかけた口を閉じ、歯を食い縛る。
 刹那、衝撃が走った。
 足が大地から離れ、身体は勢いに押されて吹き飛ばされていく。
 山中の木々に何度も身体を打ちつけながら、十本目のところでようやく梢の身体は止まった。
 しかし、追撃は止まない。
 梢が顔を上げると同時に、横薙ぎの蹴りが飛んできた。
 肩に強い衝撃が加わり、激痛が走る。
「遅いぜ遅いぜ、あまりに遅すぎる!」
「てめぇが速過ぎなんだよっ!」
 叫びながら、梢は魔力を解放する。
 梢の意思に応じ、解き放たれた魔力は草木へ姿を変えて霧島に殺到する。
「へっ、ようやく力を出してきたか!」
 迫り来る草木の群れ。
 それらを蹴落としながら、霧島は笑った。
「それでいい!」
 刹那、霧島は僅かに出来た木々の隙間を通り抜け、跳んできた。
 走ってきたのではない。
 文字通り、その身を矢のようにして跳んできたのである。
 だが、梢は既に体勢を戻していた。
 迫り来る霧島を見据え、高らかに叫ぶ。
「―――――― 翠玉の篭手(エメラルド・ガントレット) !」
 一秒とたたぬうちに、梢の右腕が武装する。
 霧島が梢の眼前に到達したのは、それとほぼ同時。
 創生されたばかりの篭手を振るう。
 火花が散った。
 両者の激突は空気を震わせ、周囲の雑草を震え上がらせる。
「それが、お前の得た力か」
「そうだ。俺はこいつで、皆を守る……!」
「へっ、なかなかいい力じゃねぇか。――――だが、まだまだ足りねぇ!」
 霧島はさっと身を引く。
 と同時、梢の左腕を掴み上げた。
 梢は反応する間もなく、地に叩きつけられる。
「子供以上大人未満、つまり俺から言わせりゃまだまだガキってこった。確かに並の相手ならそれで通用するだろう。だが世の中、上には上がいる。いい気になるなよ梢。慢心は即、死に繋がる」
「慢心なんざ、しちゃいねぇ!」
 押さえつけようとする霧島の腕を無理矢理押し返し、梢は右腕を振るう。
「ただ、俺は曲げないだけだ!」
「何をだ」
「守るって決めた……それを諦めない、絶対に! その思いだけは、絶対に曲げられない――――!」
 今度は梢が乱打を放つ。
 あまり威力はない。
 元より、これを決め手にするつもりはなかった。
 これはあくまで、霧島の動きを封じるためのものだ。
 霧島は速過ぎる。
 梢が一の動作をする間に、彼は五の動作をやってのける。
 迂闊に自由にさせてはならない。
「ガキの戯言だと笑いたければ笑え! だけどな、それはあんたも同じだろう!?」
 拳を絶えず動かしながら、梢は言う。
「あんたは亡き人のために遥を守ろうとしてる、冬塚を守ろうとしてる! それだけなら、別に俺を止める必要はない」
 遥を助けることだけを目的とするなら、梢の同行を拒む理由はない。
 梢だけではない。
 刃や亨のことも、もっと利用の仕方がある。
 だが、霧島はそれをしなかった。
「あんたは……あんたはあんたとして、俺たちのことも守ろうとしてる。だから俺をここで止めてるんだろ」
「……なるほど。はは、確かに俺とお前はやってること大差ないな」
 二人に共通していること。
 それは、出来る限り誰の犠牲もなく、事態を解決しようとしていることだった。
「だから、あんたの言ってることは分かるつもりだ。俺があんたの立場なら、同じことしてただろうよ」
「なら話は早い」
 梢の乱打をすり抜けて、霧島は近くの木に飛び乗った。
「俺の気持ちが分かるって言うならさっさと帰れ。お前は本来、こんなことに関わっちゃいけなかったんだ」
「……それは、今のあんたの理屈だろう」
 乱れた息を整えながら、梢は頭を振る。
「あんたの意思を否定はしない。だけど肯定もしない。……俺にも譲れない意志がある。それを貫き通すために、俺はここであんたを越える」
 言って、梢は右腕を振るった。
 翠玉の篭手が、音もなく消えていく。
 それを見て、霧島は訝しげな表情を浮かべた。
 なぜ、この場で武装を解くのか。
 その意味が分からないのだろう。
 そんな彼に対し、梢ははっきりと告げた。
「だから――――行くぜ」
 刹那、梢は凄まじい速度で跳躍した。

 霧島は目を疑った。
 梢の跳躍速度は尋常なものではない。
 風を切り、一直線に迫るその速さは、先ほどまでの梢にはまず出せないであろうものだった。
 だが、脅威というほどではない。
 霧島はもっと速い。
 突撃してきた梢を叩き落す。
 そのとき、霧島は見た。
 梢の両足に、エメラルドの輝きを。
 それは次第に明確な形となっていく。
 膝元までを覆う、エメラルドのブーツ。
 そこから感じ取れる力は、並々ならぬものだった。
「なるほど、篭手と同じ要領で足を武装したわけか」
 篭手は防御と攻撃を。
 そして、そのブーツは脚力の飛躍的な上昇をもたらす。
 それがあの凄まじい跳躍力を生み出したのだろう。
「へっ、面白い……俺に速さで挑むか!?」
 その言葉に対し、梢は笑みで返答する。
 不敵な奴だと思う。
 が、悪い気はしない。
「ならこっちも――――ギアをあげるぜ!」
 モルト・ヴィヴァーチェ。
 霧島直人の力。
 その名の通り、活きた速さをもたらす力。
 霧島自身も限界が分からない、底知れぬ力。
 倉凪梢はそれに対し、どこまで持ち堪えるか。
「見せてみろよ、倉凪梢ッ!」
 叫ぶ。
 神速の戦いが始まった。

「ねぇ、やっぱり止めときませんか?」
 赤間カンパニーの地下へ降りるエレベーター。
 そこに向かう狭い廊下には、人影はない。
 その場にいるのは、涼子と亨の二人だけである。
 悲鳴に近い声をあげたのは亨だった。
 彼は涼子の周りをうろうろしては、困った表情で溜息をつく。
「無茶苦茶ですよ、隊長に直談判? 出来るはずがありません」
 先ほど、研究室の出来事が済んでから。
 研究室に残る幸町に別れを告げて、三人は外に出た。
 そこで涼子が、突然異法隊の隊長に話がしたいと言い出したのだ。
 話の内容は、当然遥に関することである。
 涼子としては、少なくとも異法隊とは和解の余地ありと見ている。
 梢は異法隊という組織を好ましく思っていないようだったが、涼子は少し違う。
 助けてもらった前例もあるし、あまり悪い印象はない。
 唯一久坂零次という不安要素はあるが、それを除けばどうということもない。
 もっとも、遥の一件とは無関係だった涼子は、そのことについて異法隊にどうこう言える立場ではない。
 それでもやってみるしかない。
 少しでも敵の数を減らせれば、梢も遥を助け出しやすくなるだろう。
 異法隊が全面的に梢の味方になるなら、今は半端な立場にある刃も動きやすい。
 これはこれで一つの戦いだ、と涼子は思っている。
 やがて、刃が戻ってきた。
 彼は一足先に柿澤の元へ向かい、涼子の意向を伝えていたのである。
 涼子はごくりと喉を鳴らした。
 ここで刃が「駄目だった」とか「会いたくないそうだ」などと言えば、それで終わりなのである。
 強硬手段に出ようにも、人数が足りない。
 力押しで進もうとしても、自分一人ではどうにもならないのだ。
「どうでしたか?」
「……」
 強張った表情を浮かべながら尋ねる。
 刃は少し間を開けてから、
「会って直接話をしたいそうだ。……ただ、その場には我々の他に、零次と藤村も同席する」
 零次の名が出たとき、涼子の眉がぴくりと動いた。
 だがすぐに頭を振り、
「誰が一緒でも構いません。やれるだけやってみます」
「……僕も同席ですか。ま、いいですけど」
 不承不承といった表情の亨に涼子は苦笑を向ける。
「別に何かして欲しいわけじゃないわ。これは私が吹っかけた勝負だし、挑むのは私一人で充分よ」
「知りませんよ? 隊長、あれでえげつないですからね……」
「大丈夫」
 涼子は目を伏せて、一度だけ見たことのある柿澤源次郎を思い浮かべた。
 話を聞く限り、一筋縄でいく相手ではない。
 だがそれでも、涼子には自信があった。
 特に根拠のある自信ではない。
 あるとすれば、それは――。
「……大丈夫。私だって、結構えげつないんだから」
 唯一人残った家族を救う。
 これだけ明確な目標を持ったことは、かつてない。
 進むべき道がはっきりしていることほど、心強く、自信になりえるものはなかった。

 赤間カンパニーの地下深く。
 日の光が決して届かぬ地。
 涼子はそこに、外部の人間として訪れた。
 案内された部屋はいくつもの電気によって明るくなっている。
 が、物音一つしない。おまけに余分な物が何一つない。非常に殺風景な空間だった。
 そのせいか、どことなく陰気な雰囲気だった。
 さほど広くはない。
 中央に円卓がある。
 椅子は六つ。
 そのうち三つは既に埋まっていた。
 中央に柿澤源次郎。
 二時の方角に久坂零次。
 十時の方角に藤村亮介である。
 刃は四時の方角に、亨は八時の方角に座った。
 残るは、柿澤の真正面の席。
「ようこそ、冬塚涼子君。……さぁ、立ち話もなんだ。とりあえず席につきたまえ」
「はい、それでは失礼します」
 表面上は冷静に返す。
 が、ここに来てさすがに涼子も緊張した。
 自分は一人、相手は五人。
 その胸中はそれぞれ複雑なものだろうが、確実に味方と言える者はいない。
 刃はほぼ味方と言ってもいいかもしれないが、結局彼は恩義のある柿澤には逆らえない。
 ……さて、どうしようかしらね。
 そんなことを考えているうちに、柿澤の方が口を開いた。
「概略は刃から聞いた。まずは確認からしたいのだが、いいかね?」
「あ、はい」
 しまった、と思うも時既に遅し。
 先手を取られる形となってしまった。
 話の主導権を相手に渡すのは、あまりいいことではない。
「まずは君の提案の内容だ。……件の少女、遥を救出した場合、彼女の扱いは倉凪梢に任せて欲しい。と、こういうことかね」
「正確には、彼女自身の意志で進むべき道を決めさせてあげて欲しい、という意味です」
「なるほど。彼女の意志を尊重してやって欲しい、と」
「尊重ではありません。彼女がどうするか、決めるのは全て彼女自身であるべきだと思うんです」
 ふむ、と柿澤は頷いた。
 ちらりと藤村に目配せをする。
 藤村はこの話し合いにおいては書記の役割を果たしている。
 涼子の言葉を正確に書き記していた。
 それだけに、言葉は慎重に使わねばならない。
「そして、君がそのような提案をする訳だが。……私にはどうも信じがたいのだが、君は遥君の姉妹だと?」
 その言葉を聞いて、柿澤の左右にいた零次と藤村が驚愕を表した。
 どうやら彼らは、詳しい事情はまだ知らされていなかったらしい。
 零次は何か言おうとして口を開きかけた。
 が、途中で思いとどまったのか、すぐに閉じる。
 涼子は彼の反応を見てから返答した。
「……はい。間違いありません」
「何か証明出来るものはあるかね」
 なければ、話は涼子が圧倒的に不利になる。
 赤の他人であれば、涼子の動機が弱くなってしまう。それが悪いこととは言わないが、柿澤は涼子の提案を軽視するだろう。
 肉親であると言うのであれば、多少はましになる。
 涼子が叔父夫妻にかけあって遥と共に暮らしたい、とでも言えば、逆に異法隊側は強いてこれを止めることは難しい。
 亨が心配そうに涼子の方を見る。
 そんなものあるんですか、と言いたげだった。
 無論、この展開は涼子とて予測済みである。
 ここに来るまでの間に榊原屋敷へ立ち寄り、榊原が発見した遥に関する資料のコピーを受け取っている。
 そのとき一緒に、冬塚夫妻が涼子に遺したノートの主要部分をコピーしておいた。
 原本は念のため、榊原家に置いてきてある。
「これです。一番上は、私の知り合いの刑事が見つけた資料で、彼女を軟禁していた研究所に関わるものです。その下にあるのは私の両親が遺したノートの主要部分です」
「拝見しても、よろしいかな」
「どうぞ。――――」
 すっと涼子は柿澤へ資料を渡す。
 柿澤はゆっくりとそれらに目を通し、零次や藤村にも手渡した。
「なるほど、確かに証拠としては充分だ。冬塚涼子君、いや……式泉涼子君と言った方がいいだろうか」
「冬塚で結構です」
「では冬塚君。彼女が君の姉であることは認めよう」
 柿澤はその身を深く沈めた。
 落ち着き払っている。
 観念した様子ではない。
 どうやら、ここからが本番になりそうだった。
「だが、君の提案をそのまま受け入れることは難しい。我々とて、好き好んで彼女のことをやかましく言っているわけではないのだ」
「では、彼女を異法隊に引き入れようとする理由をお聞かせください」
「いいだろう。話したところで、実感は沸かないと思うが……そうだな、藤村。これまで異法人のほか、能力者と言うべき輩が引き起こした事件、その代表的なものを載せた資料。それを持ってきてくれないか」
「分かりました」
 藤村が席を立つ。
 彼が資料を持ち帰るまでは一時休戦という形になりそうだった。
 自分のペースに持っていこうとした矢先だった。
 涼子の攻撃は軽く避けられたようなものである。
 軽く話してみたが、柿澤源次郎は確かに難物のようだった。
 多少の攻撃ではびくともしないだろう。
 この男を言い負かすのは、容易ならぬことのようである。
「冬塚君」
 と、柿澤が声をかけてきた。
「これは今回の話とは関係のない、私一個人としての質問だが……いいかね?」
「なんでしょう」
「君は式泉という魔術の家だ。しかし、君にはその力はなさそうだ。普通の人間同然ということになる」
「そうですね。……それが、どうかしましたか?」
 涼子は首を傾げる。
 柿澤は少し目を伏せ、
「出会って間もない姉のために、君はこうして私と対峙している。……恐くないのかね、我々が。その姉が」
 そのとき、涼子は柿澤の質問の意図が分かった。
 異法隊はいわば、その特殊な力故に普通の人々から恐れられ、忌み嫌われた結果、行き場を失くした者たちが集まって出来た組織だ。
 そこの隊長を務める柿澤からすれば、涼子の行動は奇異なものとして映るのだろう。
 涼子は少し考えながら、周囲を見回した。
 自由という理想を求めている矢崎刃。
 少し頼りない矢崎亨。
 そして、涼子から視線を逸らす久坂零次。
 彼らの力を知っている以上、全く恐くないとは言えない。
 だが、涼子は頭を振った。
「確かに、全く恐くないと言えば嘘になります」
 それでも。
「でも、こうして席を共にしている。……多分、握手を求められたら応じられると思いますよ?」
「……そうか」
 もっとも、久坂零次に対してだけは別だった。
 今はその話を蒸し返せる雰囲気ではないが、このままにしておくつもりもない。
 いつか、きっちりと問い詰めてやろうと思っている。
 そこへ、いくつか資料を手にした藤村が戻ってきた。
「さて、では始めようか。――――我々と君たちの間にある"溝"の話を」