異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第三十七話「取り戻すために」
 幼い頃、世界は敵と味方に分かれていた。
 味方でないものは全て敵で、敵でないものは味方。
 けれど、味方はほんの少ししかいなかった。
 父の思い出はない。
 姿も知らない。母が父の写っている写真を捨ててしまったからだ。
 父について母は何も語らなかった。
 だから、零次にとって父親という存在は希薄なものだった。
 母に対する感情は複雑なものだった。
 しかし、出てくる言葉は決まっている。
 ――――ごめんなさい。
 そうとしか言えない。
 自分が異形の力を持ってしまったせいで、母は精神的に追い詰められていた。
 どこまで行っても罵声を浴びせられ、心無い迫害の被害に遭っていた。
 彼女は零次に対しては冷たかった。しかし、愛情は確かにあったのだろう。
 最後の最期まで、零次を見捨てることだけはしなかったのだから。
 そして、いつも励ましてくれていた妹。
 郁奈という。
 零次とはとても仲が良かった。
 幼い頃、零次の話し相手は彼女ぐらいのものだった。
 零次の異形を受け入れてくれた、数少ない人でもある。
 しかし、彼女はもういない。
 母と共に、白く染まる雪景色の中に消えてしまった。
 家族だけが味方だった。
 それ以外は全部敵だった。
 だから、敵がいない場所へ行こうとした。
 危ないからと、誰も立ち入らないような山。
 そこに簡素な山小屋を造って、家族三人で始めて穏やかな時間を過ごした。
 しかし――そこにも敵はやってきた。
 雪である。
 冬の到来と共に、山は全て雪に包まれた。
 身動きすら叶わず、小屋は次第に壊れていき、最後には極寒の地へと放り出された。
 誰の助けもない。
 何も出来ない。
 ただ、母と妹が冷たくなっていくのを見ていることしか出来なかった。
 寒かった。
 ただ寒かった。
 暖かな時間を知ってしまったが故に、その寒さには耐えがたかった。
 零次だけが生き残った。
 異形の力は零次だけでなく、その家族をも苦しめ、世界を敵に回した。
 そのくせ、零次だけは生かしたのである。
 そういうものなんだ、と理解した。
 この力があれば、自分は生きることが出来る。
 その代わり、この力が側にあると生きることが出来ない人々が大勢いる。
 だったら一人になろう。
 そう決めて――――
『ちょっと付き合ってよ。私も暇なんだ』
 そんなことを言う少女と、出会った。
 母や妹を失ったのと同じ、白銀に埋め尽くされた景色。
 だが、その風景はどこか暖かさを感じた。
『ここで会ったも何かの縁っていうじゃない』
 そのあっけらかんとした言葉に、どれだけ救われたことか。
 だからこそ、彼女を傷つけてしまったことに、深い罪悪感を抱いてしまう。
 また風景が変わる。
 今度はベッドの上で、彼女が横たわっていた。
 覚えている。零次はこのときのことを、今でもよく覚えている。
 自分が彼女を傷つけたのだ。
 母や妹を奪った力は、彼女をも奪おうとしていた。
 許せなかった。
 こんな力を持って生まれた自分が許せなかった。
 そして、また風景は変わっていく。
 学校の前で久しぶりに会った彼女。
 以前よりも大人びているように見えた。
 七年も経っているから当然だろう、と自分に言い聞かせた。
 再会がとても喜ばしかった。
 しかし、彼女が自分のことを覚えていないことに――――勝手ながら、悲しくなった。
 彼女が事件に巻き込まれたとき、とても不安になったことを覚えている。
 大丈夫か、とすぐに駆け寄って声をかけたかった。
 しかし、自分にそんな資格はないと思いとどまった。
 それからは、毎日が不安と期待に揺れ動いていた。
 彼女は自分のことを、思い出すだろうか。
 思い出して欲しい。いや、思い出してはいけない。
 そんな感情が胸中で激しくぶつかり合い、結果として外面的には不機嫌になることが多かった。
 そして――――先日。
『確かに、全く恐くないと言えば嘘になります。でも、こうして席を共にしている。……多分、握手を求められたら応じられると思いますよ?』
 彼女は異能の力を持つ姉のために、異法隊に堂々と勝負を挑み、打ち勝った。
 彼女自身は特に意識していないだろうが、それはとても難しいことだった。
 出会って間もなく、ろくに言葉を交わしたこともない姉を信じること。
 そして、話せばきっと分かってくれると、異形者の集団である異法隊を信じたこと。
 その二つを彼女は無意識のうちに行っていた。さも当然と言わんばかりに。
 ……強いな、冬塚。
 怯えてばかりの自分とは偉い違いだ、と零次は自虐気味の笑みを浮かべる。
 自分が近づけば、また彼女を傷つけてしまう。
 その思いから、零次は柿澤に涼子の記憶を封じてもらうよう頼んだ。
 だが、実際はどうなのか。本当に、自分が近づいただけで彼女は再び傷ついてしまうのか。
 ……もしかしたら俺一人が怯えているだけかもしれないな。お前なら、強いお前ならきっと、なんなく俺のことをまた受け入れてくれるのかもしれない。
 それは淡い期待だったが、最近では徐々に零次の中で膨らみつつあった。
 しかし、理性がそれを押し留める。
 ……そんなものは甘えだ。お前はまた、同じ過ちを繰り返すつもりか?
 母が、妹が自分のせいで死んだ。彼女も一度、死にかけている。
 前回は運が良かったが、次はどうなるか分からない。
 ……どちらが甘えだ。真実から顔を背け、ひたすら自分をごまかしているだけではないか。
 自分の中で、二つの意思がぶつかり合う。
 ここ最近ではよくあることだった。
 要するに――――久坂零次は苦悩していた。
 彼女から距離を取り続け、現状を維持するか。
 あるいは、彼女に真実を告げてしまうか。
 どちらが正しいのかと必死になって考える。
 しかし、こうしたものに正解などないということを零次はまだ知らない。
 あるのはただ決断力と行動力、そしてそれに伴う責任だけ。
 それらを背負う覚悟が、まだ零次の中には出来ていなかった。

 涼子が異法隊を説得した翌日。
 昼過ぎ、仮宿に戻った零次を待っていたのは霧島だった。
「よっ。相変わらず辛気臭い面構えしてんなぁ」
「余計なお世話だ。それに貴様、勝手に脱隊しておいてよく平気で顔を出せるな……隊長は顔をしかめていたぞ」
「あはは、悪ぃ悪ぃ。異法隊が敵か味方かいまいち分からなかったんでな。あんま一緒に行動する気にもならなかったから、さくっと辞めちまった」
「……不思議な男だ、お前は。結局何がしたい? なぜ異法隊に入った」
 零次は腰を下ろし、ウーロン茶の缶を開けて飲む。
 霧島が何を目的としているか、零次は知らない。
 だが、不思議と警戒心は働かなかった。敵ではないと、直感が告げている。
 霧島は梢に対してしたのと同様の説明をした。
 八島優香との約束。それを守るため、彼女の妹である遥と涼子を守ろうとしていること。
 そして、優香の敵討ちを狙っていること。
 異法隊には優香を狙った『第四勢力』の手掛かりが掴めないかと思って入った、ということ。
 当面の敵はザッハークという異法人であること、などなど。
 零次にとって、それらの情報は驚くべきものだった。
 単純に研究機関を相手にするだけでは終わらなさそうだ、と緊張感が高まる。
「ザッハークを引きずり出せば、第四勢力の尻尾を掴めるかもしれないのか?」
「おそらくはな。奴が本来所属してるのは研究機関なんかじゃない、別の何かだ……ってのは確かだ」
 ザッハークという名は、零次もよく聞き知っている。
 異法隊においても第一級の危険人物として指定されており、発見しても決して単独で挑んではならないとまで言われている存在だ。
 赤子を解体して食った、被害者の首を引きちぎり輪になるように並べた、相手の内蔵を引きずり出してそのまま食わせた、などといった異常極まる話をよく聞く。
 存在の危険性故か、異法隊に限らず様々な組織から狙われているものの、その全てを返り討ちにしたという恐るべき猛者でもあった。
 大袈裟に言うなら――――世界を敵にしても平然としているような相手である。
 そんな奴を相手にしなければならないと言うのは、さすがの零次でも気が重くなる。
 しかも、ザッハークの裏にあるであろう第四勢力については、詳しいことが何も分からない。
「前途多難、だな」
「だがやる。少なくとも俺……それと梢に嬢ちゃんもだな」
 梢は、守るべき者を守るために。
 涼子は、もう二度と家族を失わないように。
 それぞれが必死に戦っている。
「お前はどうするんだ、零次。言っとくが、異法隊員としてのお前に聞いてるんじゃないぞ。久坂零次という一個人に対して聞いてるんだ」
「……どうする、とは?」
「決断はまだか、ということだ。いつまで悩んでるんだよ、お前」
 霧島は少し苛立っているようだった。
 無理もない、と零次は自嘲気味に笑う。
「どちらが正しいか、分からなくなってきた。七年前、俺は彼女のためを思って記憶を封じてもらった。そして距離を置いた。俺が近くにいると、彼女をまた傷つけてしまうからだ。……だが、今彼女はその記憶を求めている。否、もうほとんど取り戻しているかもしれない。ならば、いっそ本当のことを告げた方がいいのか……どうすればいいか、分からないんだ」
「はぁ……重症だなお前。仕方ない、少しキツイこと言うぞ」
 と、霧島は険しい顔つきで身を乗り出してきた。
 零次の鼻先に指を突きつける。
「――――誤魔化すな馬鹿野郎。嬢ちゃんのため? はっ、嘘こけ。お前は嬢ちゃんを傷つけた。そのことをなかったことにしたくて、必死に誤魔化そうとしてるだけだ。そのくせ、もしかしたらなんて淡い期待を持って嬢ちゃんが手を差し伸べてくれるのを待ってるだけだろ。お前の理想はこんなとこか? 嬢ちゃんが自力で全部思い出して、それでお前のことを許してくれる……ってか」
 それはかつてないほど辛辣な言葉だった。
 しかし、ただ辛辣なだけではない。
 その言葉はほとんど真実だった。だからこそ、零次の胸に深く突き刺さっていく。
「まぁ嬢ちゃんなら許してくれるかもな。強いし、器もでかい。一言謝れば、仕方ないかで済ませてくれるかもな」
「……」
「だがよぉ零次。それって、男としては最低最悪だぜ」
「……分かっている」
「分かってないね。お前は分かった振りをしているだけだ。でなけりゃ、どっちが正しいかなんて今更言わないだろ」
 ふん、と鼻を鳴らしてから霧島は言った。
「こういう場合、どっちが正しいなんてねぇんだよ。強いて言えば"選ぶこと"が正しい。選ばないお前は間違ってる。半端な期待をして、どっちつかずのふわふわ状態。舐めんな、男なら自分が選んだ道を突き通せ。正しい道を選ぶんじゃない。選んだ道を正しくしていくんだよ、久坂零次」
 霧島の迫力は凄まじかった。
 目を逸らしたくとも、それを許さない威圧感がある。
「そういう意味では、昔のお前の方がまだマシだったか。お前は嬢ちゃんと一緒にいることを選んだ。……それは失敗して無残な結果に終わったけど、決してなかったことにするようなもんじゃねぇだろ」
 そこまで言って、霧島はようやく零次から離れた。
 そのまま立ち上がり、仮宿から出て行こうとする。
「悩むことが悪いとは言わねぇ。けど限度ってもんがある。――――人生は有限だ。何だって有限無常だ。選ぶ時を逃すんじゃねぇぞ」
 そう言い捨てて、霧島は去っていった。
 零次には、最後の言葉がどこか寂しげなものに聞こえた。
 ……正しい道を選ぶのではなく、選んだ道を正しいものにしていく、か。
 霧島らしいと思った。

 同日の夕刻、榊原邸に一人の珍客が訪れた。
 藤村亮介。異法隊の一員でありながら異法人ではない青年である。
「藤村か、珍しいな」
 刃がそんなことを言った。
 柿澤の補佐役として活動する彼がこんなところに出向くということは、滅多にない。
「ああ、ちょっと用事があってね。赤根はいる?」
 藤村が尋ねるとほぼ同時に、居間の方から皆を呼ぶ声が聞こえた。
 どうやら夕食の時間になったらしい。
「ちょうどいい、お前も食べていくか」
「え? いや……いいのか? っていうか、皆で食べてるのか?」
「ああ。今朝も昼もそうした」
 刃の言葉に、藤村は瞠目した。
 現在、榊原家には多くの人が集まっている。
 涼子、刃、亨、そして赤根に霧島。それに加え、本来の住人たち。
 榊原家は以前も狙われているため、異法隊からは動ける人員のほとんどを配置した。
 本当は零次もそのメンバーに加わっているのだが、梢との確執、涼子とのこともあってか姿を見せない。
「急ぐ用事か?」
「いや、そこまで急いでるわけじゃないけど……」
「ならば食べていくといい」
 仏頂面の刃に先導されて、藤村は居間へと足を踏み込んだ。
 そこには、彼が今まで見たこともないような光景があった。
「あーっ、それ私が狙ってたやつ! 勝手に取るな、ヤザキンの馬鹿っ!」
「いだだだだっ、やめ、やめろ馬鹿! 引っ掻くな、この、くぬ、ぐあっ、ごめんなさい!」
「まあまあ。美緒ちゃん、はしたない真似はおよしなされや。そこなる矢崎弟が苦しんでるじゃないの」
「そうですよぅ吉崎先輩。この凶暴猫どうにかしてくださいよぅ!」
 お互い遠慮することなく、おかずの取り合いをする亨と美緒。
 その間に入って仲裁をしているのは吉崎だった。
「ケッ、騒がしくてゆっくりと食うことも出来ねぇなぁ……」
「だったら食べなきゃいいでしょ。腹減った腹減ったって言ってたくせに、いざ食べるとなると文句ばっか。もう作ってあげないわよ?」
「こ、このアマ……人が下手に出てりゃ調子に乗りやがって……!」
「だったら自分で作りなさいよ料理ぐらい。出来ないんだったら文句言ってないでちゃんと食べてよね」
「ぐ、く、く……!」
 口喧嘩をしているのは赤根と涼子だった。
 赤根は異法隊内では嫌われ者だったから、誰かと一緒に食事をしているところなど見たことがない。
 そんな彼に物怖じせずはっきりと言葉を返す涼子は、大した度胸の持ち主だろう。
「――――これは、なんとも」
「壮観だな」
 刃はそう言って席につく。
「……だが、本来こんなものかもしれん」
「そうかな。いや……そうかもな」
 藤村は周囲の光景を見渡す。
 こんな穏やかな雰囲気は、これまでに味わったことのないものだった。
 異法隊としての日常と比べると、火と水程に違う。
 しかし、その中にいる一人一人を見ていくと、不思議なことに違和感がない。
 亨はいつもあんな調子だし、赤根にしても意外というほどではない。
 全てが自然なまま、まるで違う雰囲気がここにはあった。
 異法隊では、皆どこかしら距離を置いていた。
 世界のほとんどが敵で、味方を見つけられなかったか、あるいは失った。
 異法隊はそんな者たちの集まりだったから、ある程度距離を置こうとするのは当然とも言える。
 霧島がやって来るまでは、藤村もあまり他のメンバーと話をすることはなかった。
 今では大分ましになって来ているが……やはり、どこか"壁"を感じることはある。
 しかし、ここにはその"壁"がない。
 ――否。壁があったとしても、それを通り越して伝わってくるような暖かさがあった。
「ちっ、相変わらず久坂の野郎は来ないか。……兄貴もいないみたいだな」
 そう言いながら、目つきの鋭い男が大きな皿を運んできた。
 藤村は面識がなかったが、おそらくは彼が草野郎こと倉凪梢なのだ、と直感した。
 梢が持ってきた皿の上には大量の焼肉があった。
 それを巡り、各自が激戦を繰り広げ始める。
 美緒や吉崎は遠慮せずにがつがつと食べる。
 亨や赤根は少し遠慮があるようだったが、しっかりと箸を伸ばしていた。
 焼肉を巡る攻防に呆れた眼差しを向けながら、梢が藤村を見た。
「あれ、新顔さんか。えーと……」
「ああ、これは失礼。異法隊の藤村亮介と言います。倉凪梢さんですか?」
「まぁな、よろしく藤村さん。ところで、飯食ってくか? 何か用事があるにしても、今はこんな調子だし」
 気持ちのいい表情を向けてくる梢を見て、藤村は彼に対する評価を改めた。
 これまでは、遥という少女を連れ去ったり、いきなり本部に侵入してきたりとあまり良い印象がなかった。
 もっと粗雑で無鉄砲な乱暴者を思い浮かべていたのである。
 しかし、実際の倉凪梢はそういう人物ではないようだった。
 ただの乱暴者なら、このように暖かい雰囲気の中にはいないだろう。
「……それではお言葉に甘えて」
「あいよっ」
 梢は勢いよく返事をして、藤村の分のご飯と味噌汁を持ってきた。
 藤村は軽く頭を下げてから箸を伸ばした。
 カンパニーなどで支給される料理とは、天と地ほどの味の差があった。
 この暖かな雰囲気を支える一因になっているのだろう。
 思わずお代わりを頼んでしまうほどの美味しさだった。
「さっき、兄貴って言ってましたが……それは霧島のことですか?」
「ああ。こっちには全然顔出してこない。口ではなんだかんだ言いつつ、やっぱ七年前のこと気にしてるんだろうな」
 霧島は自分勝手な面もあるが、決して無神経なわけではない。
 勝手に連絡を絶った手前、いきなり戻ってきて元の鞘に納まるとは思っていないのだろう。
「結局、俺と戦った後すぐどっか行っちまったし。師匠とはさすがに顔合わせにくかったのかもしれない」
「そう言えば、そのお師匠さんは今どちらに?」
「よく分からないけど、少し留守にするって言ってたな。色々と忙しいんだろ」
「そうですか。一度お話してみたかったのですが」
 榊原幻。
 異法人である倉凪梢を引き取り、さらには式泉遥をも引き取った男。
 異形の力を持つ者を二人も引き取ろうとするなど、普通の人間から見ても、藤村のような能力者から見ても尋常ではない。
 どんな人物なのか、興味はあった。
 そんな風に話をしているうちに、食事の時間は終わってしまった。
 藤村にとって、食事がこれほど充実したのは初めてのことである。
 終わってしまったとき、少し寂しさのようなものを覚えた。
 それは亨や赤根、刃も同じなのだろう。彼らは特に何をするわけでもなく、居間に留まっていた。
 梢が食器を洗い終えて戻ってくる。
 そこでようやく、藤村は自分の用件を切り出した。

 まず、同盟の結び直しということで条件の再確認。
 次いで今回の事件の詳しい事情など、情報交換をした。
「では出撃メンバーは霧島、零次、刃、赤根、それに倉凪さんでいいでしょうか」
「俺は異存なし。……まぁ久坂が気に入らないけど、そんぐらいは我慢するさ」
 梢と零次は、遥が連れ去られた直後の一悶着以来犬猿の仲らしい。
 いざというとき揉め事を起こしそうで、少々不安ではあった。
 涼子や吉崎といったメンバーは当然榊原家に居残りだった。その護衛として亨がつく。
 異法隊の本拠地で預かろうかという話もあったが、赤根の発言でそれは却下となった。
「赤間カンパニーと機関の連中は繋がってる。あそこは安全とは言えない」
 赤根が忍び込んだ際、そういった会話を聞いたらしい。
 物的証拠がなければ赤間カンパニーを追い詰めることは難しいし、今彼らと縁を切れば異法隊は保てなくなる。
 そのため、赤間カンパニー対策は保留ということになった。
「けど、それだと危なくない? 異法隊本拠地には、貴方と柿澤さんだけになるじゃない」
 涼子が心配そうな視線を向けてくる。
 つい先日、異法隊に真っ向勝負を挑んできた少女とは思えない。
 特に藤村とは、直接言葉をぶつけ合いもした。
 しかし、彼女はもうそんなことなど気にしていないようだった。
 実にさっぱりしている。
 ……零次が惹かれるのも分かる気がするなぁ。
 そんなことを思いながら、藤村は涼子に微笑を返した。
「大丈夫です。俺もいざというときは自分の身ぐらい守れますし、隊長に至っては心配するだけ損です」
 滅多に表に出てこないが、柿澤源次郎は戦闘能力も異法隊随一である。
 異法をろくに用いず相手を倒すほどの実力者であり、そのせいか隊員たちも皆、柿澤の異法を知らない。
 あまり公にはされていないが、魔術の心得もある。が、そのことは伏せておいた。
 涼子は柿澤の魔術で記憶を封じられている。無闇にそのことに触れ、彼女の記憶を揺さぶるのは止めておいた方がいいと考えたのである。
「それで最後に念のため。重要人物の確認です。……赤根、ちょっといいか?」
「ケッ、アレか。あんまし気分がいいもんじゃねぇんだが……」
 ぶつぶつと文句を言いながら、赤根は藤村の隣に移動した。
 藤村が左手で赤根の肩に触れる。そして右手をテーブルの方にすっと伸ばした。
 すると、テーブルに伸ばした藤村の右手から突然映像が浮かび上がってきた。
「な、なんだこれ?」
 始めて目にする梢たちは驚いている。
 藤村は静かな口調で説明した。
「これは俺の能力、 思い出の映像劇(メモリアル・ムービー) と言います。触れた対象の思い出を映像にすることが出来ますが、音声は出せません」
 普段、藤村はこの力で様々な人物から情報を習得する。
 尋問などの際に役に立つ能力で、彼の任務はもっぱらそういった情報収集の類だった。
 藤村が映し出しているのは、赤根の記憶だった。
 その中にある、彼が機関に潜入したときのものである。
「ケッ……自分の記憶をこうして見るってのは気分が悪いんだがな」
 映像には、大勢の白衣たちが映っていた。
 その中の一人を見て、美緒が表情を険しくする。
「こいつだ……! 遥さん撃ったの、こいつだよ!」
 美緒の言葉に、梢や涼子が憤るような表情を見せた。
 さらに、その背後に遥を担いだ蛇面の男が現れる。
 遥は気を失っているのか、ぐったりとしたまま動かない。
 スカートから僅かに見える両足には血の跡が見える。
「手前の男は牧島主任とか呼ばれてたな。機関の中ではそれなりの立場にある野郎みたいだったぜ。そして――――」
 赤根は一旦言葉を止め、ごくりと唾を鳴らす。
 その名を告げるだけでも一苦労、といった様子だった。
「女を担いでるのが――――ザッハークだ」
 赤根が告げると同時に、映像の中のザッハークが"こちら"を見る。
 それだけで、居間にいた全員が竦みあがった。
 藤村が顔をしかめて力を打ち切る。
「ぐっ……なんだ今の。人の記憶の中にあって、なおこれだけの威圧感なのか? 凄い衝撃が走ったぞ……!」
 藤村は自主的に映像を打ち切ったのではない。
 あんなものを映し出していたら、藤村は発狂してしまいかねない。
 それほどの重圧を、ザッハークの双眸は放っていた。
 そのとき、梢がテーブルに拳を打ちつけた。
「……遥。くそ、あの野郎……!」
「倉凪……落ち着けよ」
「落ち着いてられっかよ!? くそったれ……!」
 遥を傷つけた牧島やザッハークへの怒りか、それとも遥を守りきれなかった自分自身への怒りか。
 梢は耳元まで赤くしながら呻いていた。
「……とにかく、その三人が重要人物ということか」
 激昂する梢を吉崎に任せ、刃が周囲を見渡して言った。
「ザッハークを見つけたら単独での戦闘は絶対に避けること。牧島とやらを見つけたらなるべく生け捕りが望ましいな。遥は発見し次第、ここに連れ帰ることを最優先とすべきだろう」
「ああ、隊長もそう言ってた。俺がわざわざここまで来たのは、それぞれの顔を覚えてもらうためだ。特にザッハークの素顔を事前に知っておかないと、命取りになるからな」
 もし単独で行動していてザッハークと遭遇した場合、基本的には逃亡が最善である。
 しかし、相手の特徴を知っているだけでは、相手がザッハークだと気づかない可能性もある。
 そうなると逃げる機会を失い、そのまま殺される恐れもあった。
 逆に相手の顔を知っていれば、遠目に発見しただけでも対策を練る余裕が出来る。
 相手の顔を知っているということは、それだけで大きなメリットになるのだ。
「あの顔を見たら真っ先に逃げるが吉ってことですね」
 亨が頷きながら言った。
 刃が微かに頭を振る。
「単独行動を取っていた場合は、だ。どのみち放置しておくことは出来ん。人数を集めて一気に叩く」
「……つまり戦うこと自体は避けられないんだ。嫌だなぁ」
「弱音を吐いても仕方ない。それにお前は留守役だ、奴と遭遇することはあるまい」
「そ、そうだといいんだけど」
 亨が弱気になるのも無理はない。
 ザッハークという男はそれだけ桁外れなのだ。
 ザッハークが蛇ならば、梢や藤村たちは蛙である。
 蛙が蛇を倒すなど、余程上手く立ち回らなければ不可能だろう。
 だが、それをやらねばならないのだ。
「――――決行は明日だ」
 誰もが緊張する中、梢が決意を込めて宣言した。
 その場にいた全員の視線が梢に集まる。
「倉凪、大丈夫なのか? その、怪我とかはよ」
「ああ、幸町先生も保証済みだ。もうそろそろ動かしても問題ない」
 骨折がそんな短期間で治るなど、普通ではありえない。
 だが、幸町は最高級の魔術道具で治療を施した。
 多額の治療費はかかったが、梢の怪我は明日までに完治するとのことだった。
「一日でも早く、一分でも早く、一秒でも早く遥を助けに行く。明日、日付が変わる頃には行くぞ」
 異法隊のメンバーほどザッハークの恐ろしさを知らないからか、梢の言葉には怯えも躊躇いもない。
 だからか、それはこの場にいる全員の心を奮い立たせる。
「絶対――――助けるぞ!」
 一同が、一斉に頷いた。

 皆がそれぞれ席を立つ。
 藤村も用件が済んだため、早々に辞去しようと腰を浮かせる。
「あの、藤村さん」
 と、正面に座っている涼子に声をかけられた。
 藤村は浮かしかけた腰を落とす。
「どうしました、冬塚さん」
 彼女と言葉を交わすのはこれが二度目だった。
 色々と事情を聞いてはいるが、対面したのは先日、涼子が異法隊に乗り込んできたときが最初である。
 そのときも、討論の中で言葉をぶつけ合っただけだった。
 二人はその程度の仲である。
 ……あれかな。
 涼子がなぜ自分を呼び止めたか、藤村は即座に察した。
「先日はどうも。……藤村さんの力は、触れた相手の記憶を読み取るものなんですよね?」
「ええ、それで映像にするんです」
「それは――――本人が忘れてしまった記憶でも、映像にすることが出来るんですか?」
 予想通りの問いかけ。
 それに対し、藤村は残念そうに頭を振る。
「それは無理です。俺の力は、強く意識された記憶しか映像にすることが出来ません。本人が思い出せないのであれば、それは俺の力の範疇外ですよ」
「そうですか……」
「七年前の記憶がないそうですが……まだ戻りませんか?」
「ええ、姉さんのことや両親のことは大分思い出せたんですが……事件当日の記憶が酷く曖昧で。それと」
「零次のことですね」
 事件当日のことと零次に関することは、特に強く封じ込めたらしい。
 零次がそう希望したのだと柿澤は言っていた。
「俺も詳しいことは知りません。けど、一つ言っておきたいことがあるんです」
「なんですか?」
「零次の力のことです。貴方には言っておいた方がいいと思いまして」
 藤村はゆっくりと説明した。
 ――――久坂零次の異法、その名は 影なる天使(セラフィック・シャドウ) という。
「特徴の一つが、その扱いづらさにあるんです。俺や刃の力よりもずっと制御が難しい。なぜなら零次は……その身に悪魔を宿しているんです」
「悪魔?」
「零次が力を使うところは見たそうですね。黒い腕や翼などを見たはずです。……あれは零次のものではなく、内に潜む悪魔のもの。零次はその悪魔の力を引き出して使ってるんです」
 普段は零次が完全に悪魔を押さえ込んでいる。
 が、戦闘では部分的に悪魔の力を解放して用いる。
 その際、解放した悪魔の力を制御し損ねると――――
「――――暴走するんです。腕、脚、胴、頭、翼。零次は悪魔の力をその五つに分類して解放しています。しかし、暴走すると悪魔の"意識"まで解放されて……結果、周囲の全てを敵とする存在になってしまうんです」
「……」
 藤村の説明を聞いているうちに、涼子の表情が曇っていく。
「……私は七年前、零次さんに大怪我を負わされた。でも、確かあのときの零次さんは全身真っ黒になっていて……怪物みたいだった。それって、つまり……」
「そう。零次は故意に貴方に怪我を負わせたんじゃない。きっと何者かから貴方を守ろうとして、その結果暴走してしまったんだと思います。俺も人から話を聞いただけなんで、確証はありませんが……零次は決して、誰かを無闇に傷つける奴じゃありません。それを冬塚さんには知っておいて欲しかった」
「え?」
 涼子は意外そうな顔で藤村を見た。
 なぜ藤村がこんなことを言ったのか、その意味がよく分からないのだろう。
「冬塚さん、貴方は出会って間もないお姉さんのためにあそこまでした。それは普通出来ることじゃない」
「……そうですか? 私はただ夢中でやってただけですけど」
 七年のときを経て、家族の死を突きつけられた。
 けれど、たった一人だけ生きていた。
 面識もほとんどないけど、まだ家族が生きていた。
 その家族が危機に陥っているから、助けたかった。
 そのために、無我夢中になって出来ることをした。
 それだけのこと、と藤村は笑えなかった。
 普通の人間に過ぎない涼子にとって、遥の存在は厄介なものでもあった。
 尋常ならざる内面を読み取る力を持ち、助けようと思えば危険な組織を敵に回すことになる。
 そんな相手、たとえ家族だろうと助けようとする人はあまりいないだろう。
 少なくとも藤村が見てきた人間の中に、そんな人はいなかった。
 だから藤村は、あれだけの行動に出た涼子を凄いと思っている。
 藤村だけではない。あの場にいた者全員がそう思ったことだろう。
 そんな彼女なら、きっと零次のことも受け入れてくれるはずだった。
 そう信じたからこそ、藤村はささやかなお節介をしたのである。
「……冬塚さん自身が大したことないと言っても、我々はそうは見ません。貴方が先日したことは、我々の希望にも繋がったんですよ」
「そんな、大袈裟ですよ」
「かもしれません。でも、どうか……貴方の前に零次がまた現れたら、話を聞いてやってください」
 藤村はそっと頭を下げる。
 しばらくして面を上げると、涼子が穏やかな笑みを浮かべていた。
「言われなくても。むしろ、こっちからいっぱい聞き出したいぐらいです」
 涼子の笑みと言葉に安堵したからか。
 藤村もまた、静かに笑った。

「今日はありがとうございました。夕食、美味しかったです」
 涼子との会話が済むと、藤村は早々に榊原邸を辞去することにした。
「隊長への報告を済ませなければならないし、赤間カンパニー対策も整えなければならないですからね」
「そっか。わざわざ悪かったな、藤村さん」
 見送りに出てきた梢が軽く頭を下げる。
 藤村は最後に、梢へ尋ねてみたいことがあった。
「倉凪梢さん。貴方はなぜ――――人と共にあることを望んだんですか?」
 梢とて最初から恵まれた環境にいた訳ではないだろう。
 榊原幻に引き取られるまで、色々なことがあったに違いない。
 普通の人間によって傷つけられたこともあるはずだった。
 それなのにどうして、彼は人の世に生きることを選んだのか。
「難しいことはよく分からん」
 そう言って梢は、困ったように肩を竦めて笑った。
「けど、色んな原因があったんだろうな。両親が死んで、唯一人残った家族が妹で、そいつは普通の人間で、でも俺が守ってやらなきゃって思って。傷つけた人は沢山いるし、傷つけられたことも沢山ある。守れなかったものも、ある」
 それでも。
「それでも、ふと思うときがあるんだ。あいつらと一緒に飯食ってるとき、学校で友達とかとだべってるとき、帰り道に綺麗な夕焼けが見れたとき。――――世界って、やっぱいいよなって」
 そんな風に思ったことは、一度もなかった。
 だが、今なら分かるような気がする。
 今日、多くの人と一緒に夕食を食べたこと。
 それは決して、悪いことではなかった。
「そんな風に、悪くないって思える世界を投げ出すのって……凄くもったいないだろ。家族も友人も全て放り捨てて自分の殻に閉じこもったら、一体どこに行けばいいんだ? もう、どこにも行けないじゃねぇか」
「……かもしれませんね。確かに、自分の殻に閉じこもっているだけではどこにも行けません」
「ああ。もちろん俺たちは簡単に世界と相容れないってのは分かってる。けど、俺たちは結局世界の中で生きてるんだ。世界が俺たちを否定しても、俺たちは世界を否定できないんだよ。だから足掻くんだ、ここにいさせてくれって」
「――――」
 梢の言葉は、とても新鮮なものだった。
 藤村はこれまで、ずっと異法隊の一員として生きてきた。
 世界と自分たちが相容れないことを前提に、自分たちの居場所を探し続けてきた。
 だが、答えはこんなにも近くにあった。
 とても難しい答えだが、すぐ近くにあったのだ。
「倉凪梢さん。……貴方は大した人物です」
「え? いや、いきなりなんだよ」
「本当にそう思っただけです。いや、貴方だけではない。冬塚さんも、吉崎さんも、妹さんも、榊原氏も。皆、大した人々です」
 藤村は少し寂しそうな笑みを浮かべ、
「――もう少し早く、貴方たちの誰か一人とでも出会っていたかった」
 そう言って、踵を返す。
 一歩を踏み出す前に、梢の声が飛んできた。
「飯、来たかったらいつでも来ていいぜ。うちは飛び入り大歓迎だからな」
「……縁があったら、是非お伺いさせてもらいます」
 少しだけ振り返り、穏やかに笑う。
 そして藤村は、一人榊原邸を後にした。

 数時間後、梢たちは榊原家の門前に集まっていた。
 日付が変わって間もないため、夜明けには程遠い。
 どこか生暖かい夜風が吹いている。
「……倉凪。無茶するなよ」
「お前もな。もし何かあっても、絶対死ぬんじゃねぇぞ」
「心配すんなよ。お前みたいに無茶はしないさ。美緒ちゃん、冬塚ちゃんのことは任せとけ」
「頼んだ」
 拳と拳を打ち合わせる。
 吉崎との挨拶はそれで充分だった。
「お兄ちゃん、絶対遥さん連れて帰ってきてね」
「ああ。あいつはもう名実共に俺らの家族だ。絶対に助けてきてやる」
「うん、それとくれぐれも無理しないでね」
 それには答えず、梢は曖昧に笑った。
 一筋縄でいく相手ではない。
 無理をしないでいられるかどうかは分からなかった。
「先輩」
「冬塚か。お前には感謝してもしきれないな」
「いえ、最後は結局先輩に頼ることになってしまって……。――――遥さんをどうか、お願いします」
「おう。……お前はビシッと決めた。今度は俺の番だ」
 それぞれと言葉を交わし終える。
 そのとき、不意に梢は胸騒ぎを覚えた。
 咄嗟に周囲の気配を探る。
 しかし、怪しげな気配は一切感じられなかった。
 ……気のせいか。
 頭を振る。夜風の寒さで少し身体が冷えただけだろう、と考え直した。
「おい、行くぜ」
 先導役の赤根が梢を促す。
 その傍らには刃が静かに立っていた。
「ああ、行こう」
 不安を断ち切るように、梢は歩き始めた。
 途中、一度だけ榊原家の方を振り返る。
 涼子や吉崎たちの姿は、変わらずそこにあった。
 そのことに奇妙な安心感を覚え、再び前を見る。
「……行こう」
 迷っている暇はない。
「――――――遥を助けに行くんだ」