異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第三十八話「狂気の欠片」
 月は雲に隠れていた。
 電灯だけが唯一の光。
 それも、住宅街から離れた山中には届かない。
 やがて周囲が完全に木々に包まれる。
 そこが集合地点だった。
 霧島は先に来ていた。
 梢たちがやって来たのを見て手を挙げる。
 その表情からはどんな感情も読み取れない。
 一仕事する前の、落ち着いた顔だった。
 だが、この場にいるべき人物は一人欠けていた。
 久坂零次。
 彼の姿がまだ見えない。
 約束の時間になったというのに、どこにも姿が見当たらない。
「あの野郎、まさかこんなときまで顔出さないつもりじゃないだろうな」
 梢は苛立たしげに髪を掻き毟る。
 遥が連れ去られた原因の一端は零次にもある、と梢は考えていた。
 その彼が彼女を助けに行くという今回の作戦に顔を出さないのであれば、これほど腹立たしいことはない。
 が、その心配は無用だった。
 梢たちとは反対の方向から、音もなく零次が姿を見せる。
 相変わらず辛気臭い表情をしていたが、その動きはきびきびとしている。
 突然現れた零次を前に、梢はバツの悪そうな顔をした。
 そんな彼の前に歩み出て、零次は鼻を鳴らす。
「俺もとことん侮辱されたものだな。そこまで恥知らずではない」
「だったら、今までどこ行ってやがった」
「周囲の散策だ。何か罠がないかどうか見ていたのだ」
 目を吊り上げる梢と、目を細める零次。
 二人の間に険悪な空気が漂い始めたところで、霧島が手を叩いた。
「零次の判断は正しい。ザッハークは魔獣が倒されたことで、赤根が無事こちらと合流したことに気づいただろう。こちらに追撃を仕掛けてこなかったということは、何か罠でも用意してある可能性は高い。……が、時間に遅れたのは減点対象だな」
 言いながら、霧島は二人の間に割って入る。
 無表情のまま視線だけを動かし、
「こんなことで喧嘩すんな馬鹿たれ。次に揉めたら強制送還すんぞ」
「……了解」
「……あいよ」
 二人は渋々引き下がった。
 それを確認してから、霧島は嘆息しながら赤根の方を見る。
「案内頼む」
 赤根は黙って頷き、先頭を歩き出した。
 その後ろに梢と刃が続き、最後尾に零次と霧島がついた。
「少しは調子戻ってきたみたいだな」
 他の人には聞こえない程度の大きさで、霧島は零次に声をかけた。
 零次はちらりと霧島を見て、またすぐに前へ視線を戻す。
「霧島、俺は決めることにした」
「何をだ?」
「――――過去を晒すことを」
 告げる声は震えていた。
 それだけ、零次にとっては重い決断なのである。
 こんな風に決意を言葉にすることさえ、今までは出来なかった。
 とても悩み、とても嫌になり、それでも少しずつ足掻き続けてようやく言葉に出来た。
「そうか」
 霧島は短く呟いた。
 その顔には、微かに喜びの色が表れている。
「いいのか、本当に」
「……良し悪し以前の問題だ。もはや俺は沈黙することに疲れた」
 だから話すと決めた。
 過去の全てを。
 七年前、久坂零次と冬塚涼子に何があったのかを。
 他に選択肢などない。
 そんな状況に追い込まれて、ようやく決断を下した。
 零次自身、自分の心の弱さに呆れていた。
 こうして決断しても、心はまだ晴れやかにならない。
 ……滑稽を通り越して、不様としか言いようがないな。
 胸中苦笑を漏らす。
 どれぐらい歩いただろうか。
 森はまだ終わる気配を見せない。
 遠くから梟の鳴く声が聞こえてきた。
「キッカケなんてのは、そんなものでも良い」
 霧島は、とても穏やかな声で告げる。
「他の全てが嫌で、それしか残らなかった。なら、唯一残ったその選択は……きっと、最良だ」
 霧島がそう言ったとき、不意に森が終わりを告げた。
 眼前に、山中には不自然な金属扉が現れる。
「着いたぜ」
 赤根が、包帯だらけの指で扉を指した。

 梢たちは二手に分かれることになった。
 正面から突入するのが、梢、霧島、刃の三人。
 零次は赤根の案内で、裏から侵入することになった。
 万一罠が仕掛けられていた場合、全員一緒に行動していては危険だからである。
 正面の金属扉から入った梢たちは、螺旋状になっている通路を歩いていた。
 地下へと続いていく道のりの途中、梢が不意に首を傾げた。
「妙だな」
 白い壁、白い床、白い天井。
 全てが白に包まれた無音の空間で、梢の呟きはよく響いた。
「静か過ぎる。ここがどんだけでかいかは知らねぇけど、人の気配が全くないぞ」
「確かに。まさか連中、ここを捨てて逃げた訳じゃないよな……」
「ないとは言い切れないんじゃねぇか。あっちは自分たちの居場所がバレてるって気づいてたんだろ?」
「……とりあえず、もう少し進んでみよう。俺としては、逃げたって線は薄いと思うんだが」
 何か確信めいたものがあるのか、研究者たちの逃亡という説に関して、霧島は否定的だった。
 梢としても相手には動いてもらいたくない。
 一刻も早く遥を助け出したいのだ。
 行方を眩まされでもしたら、見つけ出すのが難しくなる。
「逃げた訳じゃないって、何か根拠でもあんのか?」
「ああ。赤根から大まかな場所は聞いてたんで、待ち合わせまでの間ずっとここらを張ってたんだよ。けど、そのときは不穏な気配なんざなかった。ずっと張ってた訳じゃないから断言は出来ないんだが……」
「全然顔見せないと思ったら、そんなことしてたのかよ。ったく、いつのまに聞き出してたんだか……」
 梢は呆れ顔で嘆息した。
 霧島の言葉で若干安心はしたが、胸中に湧き上がった違和感は消えなかった。
 それは、この建物のせいかもしれない。
 山の中をくりぬいて出来ている建造物。
 全てが真っ白という空の印象。
 まるで生命が立ち入ってはいけない領域のような雰囲気だった。
 ……ここは異質だ。
 病院に似ている。
 患者のため、病院は常に清潔を心がけている。
 ここも清潔という点では病院と同質だった。
 しかし、清潔過ぎるのである。
 ほんの些細な不浄すら許さない。
 その厳然たる神聖さは、現実感を希薄にするには充分なものだった。
 眩しすぎる電気は建物の白さを強調し、かえって気味悪さを演出している。
 歩くだけで疲れる。
 いやに緊張する。
 こんな場所からはさっさと帰りたかった。
 誰も口を開かないまま、十分が経過した。
 ようやく螺旋通路が終わり、一つの扉が見えてくる。
 扉は半開きになっており、奥は真っ暗になっていた。
 ここに至るまでが真っ白な風景だったため、その暗闇はより一層目立って見える。
 黄泉へと続く扉のように見えなくもない。
 梢は警戒した。
 その隙に、霧島と刃が梢を追い抜いて先へと進んでいく。
 慌てて二人の背中を追いながら、梢は闇の中へと足を踏み入れた。
 完全な闇である。
 扉付近は通路側の灯りが差し込んできていたが、少し進むとそれもなくなった。
 梢は僅かな気配も見逃さないよう、細心の注意を払いながら進んでいく。
「……ライターがあるが、つけるか?」
「いや、止めといた方がいい。迂闊に光を作れば格好の的になるかもしれん」
 刃と霧島の会話を側で聞きながら、梢はあることに気づいた。
「なぁ――何か臭わないか」
「臭い? いや、特にしねぇが。どうだ、刃」
「俺も特に臭いとは思わん」
「いや、何かこれ……嫌な臭いだ」
 遠くから漂ってくる異臭。
 どこか錆の臭いを連想させるものだった。
「これ、血の臭いじゃねぇか?」
 梢が結論を下す頃には、霧島と刃も既にその臭い気づいていた。
 進めば進むほど臭いは濃厚なものになっていく。
「こりゃあ……何かあったな。刃、悪いがやっぱライターつけてくれ」
 様子がおかしい。
 この暗闇のあちこちから漂ってくる血の臭いは、明らかな異常を表している。
 確認しなければならない。
 闇の中に、何が隠されているのかを。
 霧島に言われた通り、刃はすぐさまライターをつけた。
 しかしそれだけでは光が弱い。
「梢、草出せ。それに引火しろ」
「なるほど、そういうのもアリか」
 指示に従い、梢は周囲一帯に燃えやすい草を創り上げる。
 別に創り出した草木と感覚を共にしているわけではないから、それを燃やされたとしても別に問題はない。
 刃が着火し、ようやく暗闇が晴れた。
「――――っ」
 闇から炙り出された光景は、地獄絵図だった。
 梢や刃、霧島までもが口を手で押さえる。
 惨劇の祭りが決行された、その跡地。
 あるところには足があり。
 あることろには腕があり。
 あるところには胴があり。
 あるところには顔があり。
 けれど、それらは一つとして繋がっていない。
 全部バラバラだった。
 繋がっているものは何もない。
 人間のパーツはあれど、人間そのものは一人もいない。
 真っ白だったのだろう床や壁、天井などは無粋な赤で塗りつぶされていた。
 それが炎によって表れた。
 性質の悪い冗談としか思えないだろう。
 誰が見ても、これは"地獄"としか表しようがない。
「この食い散らかすようなやり方――――間違いない、ザッハークの仕業だ」
 周囲を警戒しながら霧島が断言する。
 強化人間が支配者たる研究者に襲い掛かることはまずない。
 かと言って、この惨状は人間に出来る限界を越えている。
 ならば、加害者として適当なのは一人だけだった。
「だけど、そいつはここの連中と手を組んでたんだろ!?」
「利用しただけだって言ったろ。ザッハークは本来別の何かに属してるはずなんだ。遥を入手した以上、機関の連中を用済みとして捨てたのか……くそ、読みが甘かったな」
「じゃ、じゃあ遥はどこに行ったんだよ!」
 梢は急に不安になってきた。
 この周囲一帯に散らばる人間の部品。
 その中に遥が紛れている、という想像が一瞬脳裏をよぎったのである。
「まさか、殺されてたりしないだろうな」
「それはないはずだ。遥のことは奴の一派も狙ってたはずだ。でなけりゃ、機関と行動を共にする理由がない……とにかく生き残りを探すんだ! そいつに話を聞きださないと、はっきりとしたことが分からん!」
 霧島が叫ぶと同時、梢は感覚の網を広げた。
 だが、相変わらず人の気配はしない。
 道理で誰の気配も感じないはずだった。
 既に事切れているものの気配を探ることなど、いくら梢でも不可能である。
「……いた。微かだが呼吸の音が聞こえる」
 梢よりも先に霧島が見つけた。
 すぐさま、三人は闇の中を駆け抜けて生存者の元へと向かう。
 先ほどと同じようなやり方で灯りをつける。
 そうして確認出来た生存者は、初老の男だった。
 傷を負っているらしく、苦しそうに呻いている。
 白衣は所々が血に染まっていた。
 胸には『牧島』と書かれたプレートがあった。
「おい、起きろ!」
 霧島が苛立たしげに抱え起こす。
 初老の男は薄っすらと目を開けた。
「……何者だ、貴様ら」
「んなことはどうだっていい。それより、これをやったのは誰だ。今すぐ吐け。そうしたら助けてやる」
「――――ザッハークだ」
「ザッハークってのは何者だ、答えろ」
 その問いかけに梢は首を捻ったが、すぐに霧島の意を解した。
 機関にとって、ザッハークというのがどんな存在だったのか。
 それを聞き出そうとしているのだろう。
「お前らがここでどんなことをしているのかは知っている。洗いざらい吐きな、その方が身のためだぜ」
 言いながら、霧島は男の首に手をかけた。
 元々青白かった男の表情が、さらに蒼白になっていく。
「……ざ、ザッハークは連絡員だった」
「連絡員だと?」
「そうだ……この秋風市にはスポンサーがいる。そいつは、我々のような人間をこの市に招集した。我々は……いくつかの施設に分かれて、それぞれが研究を行っていた。施設間の交流はスポンサーに禁じられていた」
「そのスポンサーってのは誰だ、ザッハークと何の関係がある」
「ザッハークは各施設とスポンサーを結ぶ連絡員だったのだ! だから他の施設のこと、スポンサーのことを我らは知らん。ただザッハークを経由してのみ、スポンサーからの資金、それ以外の情報が入ってきたのだ」
 男は息苦しそうに呻いている。
 何度か咳き込みながら話を続けた。
「奴は……ザッハークは突然襲い掛かってきた。私にも、訳が分からない」
「それはいつ頃だ」
「……いつだったか。まだ一日は経っていないと思うが……」
 時間の感覚が薄れているのだろう。
 このような真っ暗闇の中にいたのであれば無理もない。
「ザッハークがお前らの前に現れたのはいつだ」
「数年、前……スポンサーからの話を、持ちかけられた」
「そのスポンサーってのが何者か、心当たりはないのか」
「……おそらく、赤間カンパニーではないかと思う」
 男は自信なさそうに言った。
「少し前、カンパニーから依頼があった。本格的に提携を結びたいから、どうにかして異法隊を消せ、と……」
「それを伝えてきたのも、連絡員……ザッハークだったんだな?」
「ああ。だから、多分、カンパニー……だと、思う」
「しかし、お前らに異法隊をどうこうするだけの力なんざねぇだろ」
「いや、ある」
 その言葉だけは、妙に力強かった。
 男の双眸にギラリと不気味な輝きが宿る。
「フリーク」
「は?」
奇形(フリーク) だ。……私が創り出した、最高の素材だ」
「……」
 梢たちにとって、始めて耳にする単語だった。
 それが何を意味するのか、男の表情からは読み取れない。
 ただ、嫌な予感だけが募っていく。
「それは今どこにある? ザッハークは何処へ行った? 一人女の子がいたはずだ、どこへやった!?」
「リンクもフリークも、ザッハークが連れて行った。頼まれた、仕事はしなければ、と言っていた……」
「頼まれた仕事――?」
「邪魔者を消す、と。異法隊と、一人の女――――リンクの、関係者らしいが」
 一人の女。
 リンクの関係者。
 リンクとは、遥のことだろう。
 つまり、遥と関係のある女。
「――――冬塚か!」
 梢がその考えに達したとき。
 不意に、男の顔が崩れた。
 文字通り崩れた。
 粘土細工が崩れていくように。
 何の前触れもなく、男は人間の顔を止めた。
 刹那、闇のフロアが一斉に輝きだす。
 電灯がついたのではない。
 薄紫色の光が、部屋中に発し始めたのである。
 禍々しい。
 その光と似たものを、刃はつい先日目にしたばかりだった。
「……魔術だ!」
 部屋中を覆い尽くす光は、散りばめられた人間の部品へと収束していく。
 光――魔力が一つ一つの部品の中に潜り込んでいく。
 すると、それらが宙に浮かび上がり始めた。
「罠か、くそったれ!」
 霧島が毒づきながら、初老の男を突き飛ばす。
 それとほぼ同時に、男の残骸にも魔力が宿る。
 つい今しがた動かなくなったはずの身体が、不気味に蠢きだした。
「遠隔操作系の魔術は奴の十八番だ。なんであの男だけ生きてた……? あいつがスイッチだったんだ、あいつから話を聞き出せば自動で魔術が発動するように仕掛けていた。暗闇はそれを隠すための細工だった……くそ!」
 言っている間にも、次々と魔力というエネルギーを得た部品たちが浮かび上がっていく。
 それにしても、数が多すぎる。
 浮かび上がってくるパーツは十や二十ではない。
 数百を越える数だった。
 おそらく研究員たちだけではなく、ここにあった強化人間も全て解体したのだろう。
 梢は魔術など扱えないし、ほとんど知らない。
 しかし、梢たち異法人も固有能力である『異法』を用いる際は、魔力を消費する。
 だから分かる。
 ザッハークが仕掛けたこのトラップに使われている魔力が、あまりに多すぎるということに。
 梢たちの数倍、あるいは数十倍の魔力がなければこれだけの仕掛けは作れない。
「どれだけ無茶苦茶な魔力持ってんだよ、ザッハークってのは!」
「無限だ」
 霧島は、ポケットからナイフを取り出しながら言った。
「奴の"異法"を教えてやろうか。自分のだろうが他人のだろうが、魔力を好き勝手に操れる。魔力を使って魔獣を作ることも出来るし……本来は不可能なはずの、他人の魔力を略奪する、なんて真似もしやがる。だから奴の魔力は無限と言ってもいい」
 薄紫に輝きながら浮かび上がる部品の群れ。
 それらが、一斉に敵意を向けてきた。
「ザッハークがこいつらに下した命令は、やっぱ俺たちを始末しろってことか。……中々に最悪な展開だ」
「どうすんだよ、早く戻らないと冬塚たちが……!」
「だが、簡単にゃ出してくれそうにもない。ここはあいつらを先行させた方がいいな」
 ナイフを右手に構えながら、霧島は左手で携帯を取り出す。
 梢と刃は霧島の前に立ち、周囲を埋め尽くさんとする敵を見据えた。
 遥がいないのであれば、こんなところに長居する理由はない。
「死者に鞭打つようで後味悪いが――――邪魔立てするってなら、突破させてもらうッ!」

 涼子は不思議と眠れずにいた。
 何か、妙に緊張して眠れないのである。
 梢たちのことが不安なのもある。
 遥が無事に救出されたとき、どう接していいかという不安もある。
 だが、涼子が今感じているのはそうした不安とは異質なものだった。
 ……恐いな。
 今夜はやけに冷える。
 梢たちを送り出す頃までは、梅雨時らしい湿気を帯びた空気だった。
 だが、いつのまにか底冷えするような寒々しさが漂い始めた。
 不意に、客室のふすまが開いた。
 涼子は一瞬身体を竦ませたが、部屋を覗き込んできた相手が美緒だと気づき、ほっとした。
「ど、どうしたの美緒ちゃん」
「……やっぱり涼子ちゃんも寝れない?」
 美緒も、涼子と同様の理由で眠れないらしかった。
「ねぇ、良かったらだけどさ……一緒に寝ない?」
「あはは、美緒ちゃんってばいくつになっても恐がりだなぁ。分かった、それじゃ一緒に寝る?」
 強がってみせたものの、涼子も内心ほっとした。
 こういうとき、一人になるのはあまり良い気分ではない。
 美緒が布団に潜り込んだのを確認して、涼子も中に戻った。
 二人で枕を並べながら、ただ黙って天井を見上げる。
「先輩たち……大丈夫かな」
「大丈夫だよ。だって、涼子ちゃんのおかげで味方もいっぱい増えたし」
「私はただ、がむしゃらになってただけ」
 実際に動いているときはあまり意識しなかったが、振り返ってみると随分無茶をしたものだと思う。
「もう、家族を亡くしたくなかったから……せっかく生きてるって分かったのに、またあんなことになるのは嫌だったの」
 あんなこと、と自分で言いながらも、涼子は当日のことを思い出せずにいる。
 先ほど藤村に言われたことが本当なら、両親を襲撃してきたのは未だ謎に包まれた第四勢力。
 そして、ザッハークだった。
 久坂零次は、結果的には涼子を害したが、その意思はなかった。
 彼は、涼子のことを守ろうとしたのではないかと、藤村は語った。
 ……だったら、それはなんで?
 以前見た記憶の風景から察するに、七年前の事件以前から二人は知り合っていたはずだった。
 涼子自身が、今は亡き姉に零次の名を告げていたのだから。
 だが、それ以外に彼のことは思い出せなかった。
 零次と涼子はどんな関係だったのか。
 子供の頃のことだから、そう変な関係ではなかったはずである。
 だと言うのに、涼子は思い出せないことに心苦しさを感じていた。
 なんだか、とても申し訳ないような気がしてくるのである。
「……なんで当日、零次さんは……」
 刹那、涼子の眼前に白い風景が現れる。
 町外れにある寂れた公園。
 雪に埋め尽くされたその場所に、一人の少年が立っていた。
 今にも泣き出しそうな表情で、じっとこちらを見ている。
『……俺は、ここにいちゃいけないんだね』
 寂しそうに、少年がそんなことを言った気がした。
 ……零次さん?
 面影はある。
 線が細く、今にも崩れ落ちそうな弱々しさだったが、少年は零次によく似ていた。
 涼子はそっと、彼に手を伸ばそうとして――――
「――涼子ちゃん!」
 気づけば、美緒が必死の形相でこちらを揺さぶっている。
 突然風景が切り替わったことに動揺しながらも、涼子はどうにか口を開いた。
「美緒ちゃん、どうしたの?」
「外……外、見て!」
 美緒の指差す先に視線を向けて、涼子は絶句した。
 窓の向こう側。
 そこに薄紫の光が発している。
 見るだけでも背筋が凍るような光だった。
「な、なに……?」
 二人が揃って口を閉ざしていると、吉崎が荒々しく駆け込んできた。
「二人とも、早く逃げる準備してくれ」
「どうしたの、吉崎さん!?」
「来たんだよ――――ザッハークってのが!」
 薄紫の光が、一層強く光りだした。

 連絡を受けて、零次は顔面蒼白になった。
「ザッハークが……くそっ!」
 今、彼らは普段人が使わないような抜け道を走っている。
 狭くて動きづらい。
 一刻も早くここから出たいのに、壁が邪魔をして走りにくかった。
「ケッ、まさか入れ違いになったとはな! どうすんだ、久坂!?」
「五月蝿い、黙ってろ!」
 いちいち赤根に答えている余裕などない。
 ザッハークが冬塚涼子か異法隊を狙っている。
 それなら自分はどちらに向かうか。
 さすがに、零次はそんなことでは迷わなかった。
「貴様は赤間カンパニーへ行け、隊長たちの様子を見て来い!」
「ケッ、てめぇに命令されるなんざむかついて仕方ないが……付き合ってやる。隊長たちのことは任せろ」
 赤根はシニカルに笑い飛ばした。
 彼も異法隊にいた頃、零次が七年前に何かをやらかしたのは聞き知っている。
 零次と涼子の間にあるものを、彼は彼なりに察したのだろう。
 二人はようやく入ってきた場所へと躍り出た。
 眼前にあるのは道なき道。
 そこでも立ち止まることなく、零次たちは漆黒の夜を駆け抜ける。
 ……くそ。
 焦燥感で胸がいっぱいだった。
 七年前に傷つけて。
 それからずっと遠ざけて。
 ここ最近は誤魔化す対象になってしまった少女。
 彼女のことを考えて、悩みもした。苦しみもした。後悔もした。
 今でもそうだった。
 久坂零次は、冬塚涼子に苦手意識を持っている。
 だが、それでも心は単純だった。
 ……間に合え。
 彼女が元気に成長しているのを見て、ほっとした。
 七年前、彼女が生きていたことに安堵した。
 失いたくない。
 絶対に死なせたくない。
 なぜなら、彼女は。
 冬塚涼子は、久坂零次にとって。
「始めてだったんだ……」
 全速力で走りながら零次が呟いた。
 並走している赤根に向けた言葉ではない。
 胸の内に溜まっていた言葉が、とうとう溢れ出して来たのだ。
「彼女は、俺の……」
 森が終わる。
 公道が見える。
 町までもうすぐだった。
「俺の――――始めての友達だったんだ!」