異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第四十話「抗う悪魔」
 久坂零次は異法隊のエースである。
 日本支部に限ったことではない。
 世界中にある異法隊各支部のどこへ行っても、彼はエースの名をほしいままにしてきた。
 それだけ、彼の力は強大だった。
 なにしろ欠点がない。
 他の異法隊員のような突出した長所はないが、それゆえに彼らが併せ持つ短所が存在しない。
 たった一つ、制御が難しいという点を除けば。
 その唯一にして最大の欠点が、零次の人生を一変させた。
 制御が利かないため、その姿を衆人にさらけ出した。
 結果、家族を不幸にしてしまった。
 世界で唯一の友達を救おうとし、逆に傷つけてしまった。
 そう。
 あの日、零次はこの力で涼子を守ろうと、ザッハークと戦った。
 真っ赤に燃え盛る、あの家で。
 零次が知る七年前の真実はそれだけである。
 ただ、いつものように一緒に遊ぼうとして、中々彼女が来ないのを心配して。
 話に聞いただけで実際に行ったことのない、彼女の家を探し当てた。
 そこで異常を感じ取り、中に入ったら――――涼子を殺そうとしている男がいた。
 後先など考えなかった。
 零次は男に挑みかかった。
 しかし、零次の力を持ってしても男は倒せなかった。
 追い詰められた零次は、ただ夢中で涼子を助けたいと思った。
 そう強く願い、気づけば意識が飛んでいた。
 何も覚えていない訳ではない。
 自分が何をしたかは分かっている。
 ただ、思考が完全に止まっていた。
 本能の赴くままに暴れまわった。
 その巻き添えを喰らったのが、彼女だった。。
 自らの過ちに気付いたときの絶望感は、七年経った今でも鮮明に記憶している。
 力を振るうことで誰かを救えたことなどない。
 むしろ、振るうたびに誰かを傷つけてしまう。
 だから零次は、この力を心底嫌っていた。
 それでも、今頼れるのはそんな"災厄"の力だった。
 最厄たる蛇に対抗できるのは、災厄たる悪魔のみ。
 力を振るうことは恐い。
 きっとまた後悔する。
 もしかしたら、より深い罪を背負うことになるかもしれない。
 それでも、出来ることがあるのなら。
『他の全てが嫌で、それしか残らなかった。なら、唯一残ったその選択は……きっと、最良だ』
 ――――何もやらずにいるよりは、ずっといい……!
「いくぞザッハーク――――厄介者同士の殺し合いだッ!」
 刹那、零次は全てを解放した。
 己の内に眠る、果てなき絶望。
 名もなき漆黒の悪魔が、久坂零次という存在を侵食し尽した。

 亨はその光景を、榊原家の屋根から見ていた。
 久々に見る、全てを解放した零次の姿。
 それは部分的に悪魔を解放しているときとは、桁違いの存在感を漂わせている。
 盛り上がった鋼の身体、それは戦車の装甲よりも遥かに分厚い鎧となる。
 長く伸びた爪は名刀を凌駕する切れ味を持ち、巨大な拳は巨象でさえ押し潰す。
 一層大きくなった翼は、大規模な竜巻を起こすほどの力を秘めていた。
 そして、その双眸は世界全てに歯向かう反逆者のものだった。
「オオオオォォォォォォ――――――――ッ!」
 零次の内に押さえつけられていた悪魔が、世界に現れて咆哮する。
 まるで産声をあげる赤子のようだった。
 声によって発せられる衝撃には多大な魔力が込められていた。
 この悪魔にかかれば、ただの咆哮でさえ周囲を叩き潰す衝撃波となる。
 屋根の上にいる亨の元にも衝撃は届いた。
 傷口に響いて痛みが走る。
 ザッハークが創り上げていた大蛇も、一瞬にして消し飛んだ。
 平均的な魔術師が十人がかりで創れるか創れないか、という代物をである。
 あっさりと創ったザッハークも異常だが、あっさりと打ち壊した零次もそれ以上に常識を逸脱していた。
 全解放。
 それは、零次の内に潜む悪魔の力を最大限に解放するということである。
 しかし、悪魔を全て解放してしまう以上、もはやその存在は久坂零次とは言えないのかもしれない。
 零次という存在の枠を、強力無比な悪魔に明け渡すようなものだった。
 ゆえに、腕力耐久力素早さその他諸々全てが飛躍的に向上する代わり、思考が消えてなくなる。
 その欠点のために、零次はかつて涼子を傷つけてしまった。
 だがこの場に涼子はいない。
 眼前にいるのは、敵であるザッハークのみ。
 悪魔は破壊衝動によって動く。
 今、その対象はザッハークに絞られた。
 そんな化け物を前にしながら、ザッハーク自身は微塵も恐れを感じていないようだった。
 微動だにせず、両手をポケットに突っ込んだまま零次を見据えている。
「理性なき輩に言葉をぶつけるは阿呆のすることだな。……参ろうか」
 そんなことを言いながら、一気に零次の元へと飛び込んでいく。
 ……速い!
 客観的立場で見ることで、亨は改めてザッハークの能力を知った。
 踏み込みの力も凄まじいし、低姿勢から一気に伸びるため、より一層速く感じる。
 あれを前にしては、実際以上の速さがあると錯覚してしまう。
 ザッハークはポケットから両手を出し、腰の後ろまで腕を伸ばす。
 その手には大振りのナイフが握られている。薄紫の魔力を変形させて作ったものだろう。
 両腕が後ろに伸びきった瞬間、ザッハークは勢いをつけてそれを前に振るう。
 反動によって、凄まじい速度でナイフは零次の元へ放たれた。
 下方向から、切り上げる双撃。
 零次の脇を狙った一撃は、しかし弾き飛ばされた。
 硬い。
 いくら異法人でも、刃物による攻撃を受けるのは危険である。
 なまくらならばまだしも、鋭い切れ味を持つ武器は危ない。
 相応の使い手が持てば、銃よりも恐ろしい獲物になる。
 ザッハークは一流の使い手であり、彼が魔力を変形させて作り上げたナイフも、尋常ならざる切れ味を誇るはずだった。
 現に、先ほど槍の攻撃を喰らった際、亨の身体は恐ろしいほど綺麗に切られた。
 だが、それも零次には利かない。
 鍛えられた人間の身体と鋼は違う。
 今の零次の肉体は、どちらかと言えば後者に近い。
「――――――!」
 声にならない叫びを発しながら、零次は正面の敵を叩き潰しにかかる。
 攻撃方法はシンプルである。
 その大木を連想させる巨腕を、力任せに振り下ろすだけ。
 それだけで、並の相手なら文字通り潰されることだろう。
 だが、ザッハークは並の相手ではない。
 そのような単純な一撃、そもそも喰らうはずがなかった。
 大地を穿つ腕をひらりと流しながら、手の先から魔弾を放つ。
 それも、零次の顔面目掛けてである。
「零次ッ!」
 亨が思わず声をあげると同時、魔弾は零次に着弾した。
 一発や二発ではない。
 ザッハークは攻撃の手を緩めることなく、マシンガンのように連撃を放つ。
 さらに零次が怯んだと見るや、今度は魔力を圧縮させた極大の魔弾を作り上げる。
「消え失せよ」
 刹那、零次の腹に大砲の如き魔弾が放たれた。
 あんなものを喰らったら、いかに異法人であろうと粉々になってしまう。
 それほどの攻撃を、しかし零次は受けきった。
 顔面に放たれた無数の魔弾も、まるで効いていない。
 完全に無傷だった。
「ほう……七年前よりも頑丈になったな」
 そう告げるザッハークの表情には、まだ余裕がある。
「オオオオオオオオオオオォォォォォォォッ!」
 吼え猛る零次には、相手を打ち倒す意志がある。
 そして、二人には他者の追従を許さない、圧倒的な力がある。
 亨は今更ながらに気づいた。
 この戦いが、いかに常識外れたものであるかを。

 轟音が夜の町を駆け抜ける。
 吉崎が駆る違法のバイクが、郊外の道路を疾走する。
 閃光が走る。
 バイクから後方目掛けて、幾度となく光が放たれた。
「くっ……しつこい!」
 バイクの最後部に乗る涼子は、身体を後ろに向けながら魔銃ヴェーを構えていた。
 狙いは追跡者たちに定めている。
 夜の闇に紛れて追ってくる、無数の魔獣たちである。
「そう簡単には逃がしちゃくれねぇってか……!?」
 吉崎は姿勢を低くしながら、よりバイクを加速させた。
 違法改造を施したこのバイクは、その気になれば時速二百km.を叩き出す。
 パワーも凄まじい。三人乗りだろうと、坂道を楽々駆け抜けることが出来る。
 このバイクに限って言えば、吉崎は誰にも負けない自信があった。
 梢でさえ、このバイクほど速く走ることは出来ない。
 それでも、追跡者を完全に撒くことは出来そうにない。
 数が多いし小回りが利く。さらに、何にでも形を変えてくるから厄介極まりない。
「美緒ちゃん、倉凪と連絡は!?」
「取れない! 電源切ってる訳じゃないみたいだけど……」
「くそっ、向こうでも何かあったか……!」
 最悪の敵であるザッハークがこちらに来たからと言って、向こうが安全である保障などない。
 吉崎たちとてそうである。
 ザッハーク本人からは逃げられたが、いつのまにか相手が放った魔獣たちに追われるようになっていた。
 幾度目かの光。
 涼子は息を荒げながら、闇に潜む敵の姿を探す。
 ヴィリとヴェーは、所有者の視認した相手を自動で狙う機能が付いている。
 普段は非常に便利だが、こういった闇での戦闘になるとその長所はほとんど失われる。
 おまけに弾丸の素になるのは、所有者の魔力――即ち活力である。
 撃てば撃つほど力が失われていき、最後には満足に動くことも出来なくなってしまう。
 追われている状況であまり撃ちすぎると、かえってまずいことになりかねない。
「冬塚ちゃん、撃退は中止だ! 体力……じゃねぇか。魔力取っとけ!」
「まだいけます」
「無茶すんな! 使えるもんはな、最後の最後まで取っておくべきなんだよ!」
 有無を言わさず、吉崎はさらに加速した。
 現在既に二百km.を軽くオーバーしている。バイクの限界ギリギリの速度に近い。
 万一転倒でもしようものなら、三人とも無事では済まない。
 直接運転している吉崎以外は、いつ振り落とされるか分かったものではなかった。
「ほら、しっかり掴まれ!」
 吉崎が言うまでもない。
 ちょうど真ん中にいる美緒が、片手で吉崎にしがみつき、片手で涼子を抱えていた。
 思わぬ加速に、涼子も身体を沈めて車体にしがみつく。
 涼子は式泉の血筋を引いているが、魔力はさほどないらしい。
 魔弾の威力は吉崎以下だし、力の使い方もあまり上手くはない。
 そう多くの弾を撃った訳ではないが、既に肩で息をするような有様だった。
 普段冷静な涼子が、なぜこんなに焦燥感に駆られているのか。
 その理由は、吉崎にもなんとなく分かる。
「大丈夫だと思うよ、冬塚ちゃん」
「な、何が……ですかっ」
「深呼吸して落ち着きなよ。そうしなきゃ、この先きついぜぇ」
「そうじゃなくて……!」
「久坂零次のことさ。俺はあんま知らんけど……心配なんだろ?」
 図星を突かれたらしい。
 涼子は何とも言えないような呻き声をあげた。
「……私も覚えてないんです、零次さんのことは。良い人なのか悪い人なのか分からなくて……でも、さっきは助けに来てくれた」
「だったらシンプルに考えな。あいつは冬塚ちゃんの敵じゃねぇ」
「でも、それは」
「ま、無責任な発言かもしれないけどね。でもさ、悪い関係じゃなかったんだと思うよ。でなけりゃ、助けに来たりしない」
 それは絶対だと、吉崎は確信している。
 吉崎と零次は全く立場が違う。
 それでも、零次の胸中がなんとなく分かるような気がした。
 ……よく似た奴をずっと見てきたからな。
 吉崎は、梢がずっと虐待されていたことを知っている。
 刃を始めとする異法隊の面々も、似たような境遇だと聞いた。
 中でも零次が特に酷い環境にあったと、刃や亨は言っていた。
 出会ったばかりの頃、梢は警戒心の塊だった。
 自分を捨ててまで誰かを守ろうという気質は変わっていなかったが、その対象は妹だけだった。
 他の全てが敵に思えたことがあったと、梢も言っていた。
 おそらく、久坂零次にしても似たようなものだったに違いない。
 そんな境遇にあった男が、涼子のことを命懸けで守ろうとした。
 違う立場だからこそ断言出来る。
 世界に見捨てられた者が、他の誰かを助けようとする。
 そのことに、どれだけの思いが秘められているかを。
 長年、そうした男を見ていた吉崎だからこそ、確信を持って言える。
「自信を持て、冬塚ちゃん。……そしてあらゆる方法を使って生き延びるんだ。遠い昔に出会った、悪くない出会いをした奴と、本当の再会を果たすためにも」
「……はい!」
 高速の中、力強い返答が飛んできた。
 吉崎はそのことに満足しながら、進行方向を微かに変える。
 刹那、バイクのすぐ横に巨大な足が踏み降ろされた。
 巨象の形をした魔獣が、バイクを踏み潰そうとしたのである。
「それで吉崎さん……どこに行くの?」
 不安そうな声で美緒が尋ねる。
 と言われても、吉崎にも思案がある訳ではない。
 そんなことを考えていられるほど、余裕などなかった。
「――――!」
 甲高い鳴き声をあげながら、今度は虎のような形の獣が食いついてきた。
 吉崎は車体を傾けてそれを避ける。
 背後の二人が悲鳴を上げた。
 迫り来る魔獣への恐怖と、落下に対する恐怖のせいである。
 吉崎も焦っていた。
 逃げ場が分からないのが、なにより辛い。
「とりあえず朝月町からは出よう……倉凪たちと合流することを目指さなきゃな」
 そう言った瞬間、不意に目の前の闇が動いたような気がした。
「――伏せろッ!」
 吉崎は叫びながら身を伏せた。
 背後を振り返る余裕などない。
 刹那、バイクの上空を怪鳥が駆け抜けた。
 大きい。
 普通の鳥ではない。
 まるでプテラノドンのようだった。
「スケールでけぇなぁ……」
「感心してる場合じゃないよっ!」
「分かってるって美緒ちゃん。しかし、空飛ぶ奴まで出てくるとやべぇな」
 空を制されると、先回りされる可能性が増えてくる。
 今のように奇襲を仕掛けてくることもあるだろう。
「しかも誘導しようとしてるっぽいぜ、連中」
「そうなんですか?」
「ああ。人気のない方へと段々追いやってきてる。誘導されてるのは分かってるんだが……くそ、連中数が多すぎて好きな方に進ませてくれねぇ」
 山道に入ると、バイクの速度が一気に下がる。
 対する魔獣たちは、道なき道こそ得意とするところだろう。
 山中に追い詰められたら、逃げ切ることは絶対に出来ない。
 ……ちと危険だが、やるしかねぇか……!
 吉崎は両腕に力を込めた。
 暴れ馬の如きバイクを片手で駆りながら、右手を腰にぶら下げた魔銃ヴィリへと向ける。
「二人とも。目ぇ閉じてしがみつけ! 絶対に離されないように気をつけな!」
 二人が反応するのも待たずに、吉崎はバイクを一気にUターンさせた。
 旋回運動によって振り落とされそうになる。
 その中で、吉崎は前方目掛けて照準を合わせた。
 大分夜の闇にも慣れてきたせいか、こちらへ殺到してくる魔獣の群れがよく見える。
 その大群目掛けて、吉崎は一気に突っ込んだ。
 ……焦るな。
 振り落とされることを恐れてはいけない。
 意識はただ、前方の敵へと向けるだけ。
 迫る。
 こちらが迫り、向こうも迫る。
 先ほどまでの倍以上の速さで、敵の群れが迫り来る。
 ……三、二、一……!
 緊張が極限まで高まる数瞬。
 それを吉崎は、梢と共に築き上げた度胸で待ち続けた。
 ……零ッ!
 胸中のカウントと共に、全身の力を吸い上げて巨大な魔弾が放たれる。
 否、それは弾丸と呼べるような規模ではなかった。
 極太のレーザー砲が、吉崎たちの元に迫っていた魔獣たちを殲滅する。
 無論、脇にいた魔獣たちはまだ大勢いる。
 だが、これで進路は確保出来た。
「よっしゃ、行くぜぇぇぇっ!」
 留まることなく、三人を乗せたバイクは魔獣の間を駆け抜けていった。

 駆け抜けていたのは吉崎たちだけではない。
 梢たちも動いていた。
 ただし、こちらも追われている。
 魔力のみで構成された魔獣ではなく、魔力によって突き動かされた屍の欠片たちに。
「まともに戦ってたらキリねぇな……!」
 梢は毒づきながら、自分の進行方向に無数の蔦を具現化させる。
 具現化する瞬間にそこを駆け抜ける。
 梢の後を追っていた欠片たちは、突如現れた蔦の壁に激突した。
 それでも、次々と後続が迫り来る。
 その場しのぎの壁は突き破られ、再び大群が押し寄せてきた。
 敵は小さく、数が多い。
 攻撃が当たりにくく、仮に当てられたとしても頑丈なため、一撃で倒すことは難しい。
 なにより、一個一個を倒したところで、圧倒的な数で攻めてくる相手にとっては痛くも痒くもない。
「例えるなら虫の大群に襲われてるようだな、こいつぁまいった!」
「んなこと言ってる場合か、クソ兄貴! 何か対策ねぇのかよ!?」
「あるぜ。俺が何も考えずに動いていると思ったのか?」
 梢と刃を振り返りながら、霧島はにやりと不敵な笑みを浮かべた。
 梢たちは先を行く霧島の後を追うのがやっとで、どうすればいいかを考えている余裕などない。
 今は暗闇の間から抜け出て、長い螺旋を走っているところだった。
 全速力で走っているため、さほど時間もかからずに地上へと出られるはずである。
「早く行かないと……皆が危ないんだ、やるならさっさとやらねぇと!」
「分かってる。そのためには連中を引きつけて一網打尽にするのが一番手っ取り早い」
「それにはどうすりゃいいんだよ」
「入り口んとこに戻る。あそこは狭いから連中を防ぎやすい。俺とお前が囮役だ」
「……俺はどうする」
「刃は上からここいら一帯を叩き潰すような、特大の一撃を頼む。それで連中をまとめて押し潰す」
「心得た」
 言葉で言うのは簡単だが、実行するのは難しい。
 梢と霧島であの大群を出口付近で押さえつける。
 もし一体でも外に出してしまえばアウトである。
 それに、いくら刃にしても、ここら一帯をまとめて沈めるような一撃は簡単には出せまい。
 しかし、それでもやるしかない。
 一分一秒でも早く皆の元に駆けつけなければ、彼らの命が危ない。
 ……ちっ、難しいもんだな。
 ただ一緒にいたいだけだった。
 榊原の家で、家族と、友人と共に穏やかな日々を過ごしたいだけだった。
 自分や遥にこんな力がなければ、と思わなくもない。
 しかし、この力がなければ守るべきものを守ることも出来ない。
 厄介ものだが、切っても切れない関係。
 それならば――――せいぜい利用させてもらおうではないか。
「……出口だ!」
 室内の明るさとは打って変わった、しかし今度は天然の闇が見えてきた。
 梢と霧島は一気にスピードを落とし、迫り来る屍たちと相対する。
 そんな二人の横を、刃が駆け抜けて行く。
「任せろ」
「こっちもな」
 互いを信じることを明確にし、三者は二つに分かれた。
 残った梢と霧島は並び立ち、敵の大群を見据える。
「さっさと片付けて早く行かないとな」
「先行した零次に期待するしかないな」
「ふん、あんな野郎信じられるかよ」
「信じられるね」
 霧島がやけに強く断言するので、梢は不快感を抱いた。
 遥の件に関して、零次はもっとも早い段階から敵対してきた相手である。
 遥がさらわれた一因でもあるし、性格的にもそりが合わないのか、どうにも好きになれない。
「刃とかならまだしもよ……あんな野郎じゃ期待するだけ無駄だ」
「同じだよ」
「何が」
「刃も零次も、俺もお前も。皆世界に嫌われたはみ出し者だ。それでも世界にしがみつこうとした反逆者でもある」
「……」
「その辛さはお前にも分かるだろう。お前だからこそ分かる面もあるはずだ。零次だって同じだ。見てる方向が違うだけで、根っこは変わらない。遥に関しちゃ確かに微妙だが、冬塚の嬢ちゃんに関する限り、あいつ以上に信じられる奴はいない」
「そこまで信じられる奴かね」
「零次を信じてるんじゃねぇ。あいつと嬢ちゃんの絆を信じてるんだ」
 敵はもう目前だった。
 これ以上言葉を交わしてる暇はない。
 ただ、最後に。
「……それってよ。俺で言うところの、美緒や吉崎みたいなもんってことかよ」
「そんなもんだ」
「ちっ……だったら、少しは信じてやるか」
 どこか不服げに、それでも微かな笑みを浮かべて。
 梢は右腕を武装させ、迫り来る大群目掛けて飛び込んだ。

 その戦いは、豪華絢爛と称するに足るものだった。
 少なくとも、亨はこれほどの戦いをかつて見たことがない。
 零次がこれほどまでに、本気になったことを見たことがない。
「オオオオオオオオオオオオオォォォッ!」
 咆哮と共に巻き起こる巨大な風の渦。
 それに対し、ザッハークは再び結界を張った。
 周囲の人間がこの戦いに気づかないよう、戦場を隔離したのである。
 そのうえで、ザッハークは休むことなく攻撃を続けていた。
 太刀らしきもので零次の片翼を切断する。
 すると零次は即座にそれを再生させ、ザッハークの身体を鷲掴みにして叩き落す。
 しかし叩き落されたはずのザッハークは、いつのまにか零次の頭上を舞っていた。
 空中から零次の頭部目掛け、魔槍を振り下ろす。
 禍々しい槍である。
 直撃を受ければ、零次は股下まで一気に貫かれて絶命するだろう。
 それを零次は、首を回転させ、矛先に噛み付くことで防いだ。
 だが、ザッハークはその程度では動じない。
「伸びよ、魔槍……!」
 言葉と共に、槍の矛先が一気に伸長した。
 一瞬で伸びた刃は、零次の口内を貫通した。
「零次ッ……!?」
 形ある物質ではなく、形なき魔力によって構成された槍。
 それは、あの魔獣たちと同じく、ザッハークの意志一つで変幻自在に形を変える。
 無形の獲物。
 ザッハークを前にしたら、間合いなどというものはまるで意味をなさない。
 亨はさすがに駄目だと思った。
 しかし、
「――――!」
 それでも零次は死ななかった。
 無形の槍を掴み、力任せに引き抜いてザッハークごと投げ飛ばす。
 貫かれた傷は、瞬時に再生していた。
 ここまで来ると、もはやデタラメとしか言いようがない。
「ふむ。正攻法で倒すのはちと難しいか」
 そんなデタラメ振りを前にしてなお冷静でいるザッハークも――異常としか言いようがない。
 戦闘技術、魔力量、そして固有能力である異法。
 異法人同士の戦いで重要なのはこの三点だが、この戦いは戦闘技術を除けば、世界レベルの域に達している。
 戦闘技術だけは、零次の理性が失われているため、あまり良いとは言えない。
 だが、ザッハークの方は、動き一つ一つを取っても無駄がほとんどない。
 戦い慣れていることが一目で分かる。
 ……まずいですね。
 亨は舌打ちした。
 どういった理屈かは知らないが、ザッハークの魔力量はデタラメもいいところである。
 実戦で亨が一分かけて使う魔力量の数倍を、一秒足らずで消費している。
 おまけに、いくら使っても減っている気配がない。
 対する零次は、まともな思考が働いていないだけに魔力を惜しげもなく使っている。
 消費量はザッハークとほとんど同じだが、元々の貯蔵量が違いすぎる。
 このままいけば、零次は後数分もしないうちに魔力を使い果たしてしまう。
 ……そうなれば、まともに動くことさえ出来ない。まず殺されるのがオチです。
 それは、最初から薄々分かっていたことである。
 だからこそ亨は残っていた。
 零次が力尽きた瞬間、命懸けで彼を助け出し、この場を撤退するために。
 だが、ザッハークの方が想像以上だった。
 なぜ魔力が減らないのか。そもそも、個人が所有するには巨大すぎる魔力は、一体どこからきたのか。
 その辺りに、ザッハークが伝説とまで言われる秘密がありそうな気がした。
 ……しかし、零次はある程度覚悟していたんでしょうかね。
 零次とザッハークの会話から察するに、二人は七年前の事件で対峙したことがあるらしい。
 それならば、零次はザッハークのデタラメな強さを知っていたはずである。
 それでもこの場に残り、忌み嫌う姿を晒してまで戦っている。
 全ては涼子を助けるため。
 彼女を逃がすための、時間稼ぎに過ぎないのかもしれない。
 ……何があったかは知りませんけどね。そんな覚悟してる仲間を見殺しに出来るほど、僕は腐っちゃいませんよ……!
 始めて会ったときから、無愛想な男だとは思っていた。
 日本に戻ってきてから、ようやく少しは話せるようになった。
 それでも無愛想という印象は変わらない。
 話してて特別楽しいと思える相手でもない。
 しかし、仲間だ。
 同じような辛さを体験してきたはずの、仲間である。
 亨は刃に守られ続けていたから、零次の何分の一ほどの苦労もしてないかもしれない。
 それでも、全く分からない訳ではない。
 ……不器用なだけなんですよね。結局。
 自分自身もそうかもしれない、とは思わないことにした。
「オオオオオオオオオオオォォォォッ!」
 数度目かの突撃を零次が試みる。
 駄目だと胸中で叫んだ。
 そんな稚拙な攻撃では、あの蛇の魔王には届かない。
 亨の予想通り、ザッハークはその大振りの一撃を難なく避けた。
 今までと違うのは、避けることに専念したことだろう。
 これまでの攻防でザッハークは、零次の攻撃に対して即座に反撃を試みていた。
 しかし、今度はそれをしなかった。
 何か、危険な予感がする。
 よく見ると、ザッハークは小声で何かをぶつぶつと呟いていた。
 亨の位置からは遠すぎて、何を言っているのかよく分からない。
 その間、零次は幾度も攻撃を続けた。
 ザッハークはそれらを避け続けながら、次第に笑みを浮かべ始める。
 それは、勝利を確信した笑みだった。
 一分ほど、そんな状態が続く。
 唐突にザッハークが宙に浮かんだ。
 零次は翼で風を巻き起こし、それを追おうとした。
 しかし、それよりも早くザッハークが両腕を指揮者のように振るう。
「我が能力は魔力を好きなように変換することにある。太刀や槍のように形を成して武器とするも良し。性質そのものを変換し、結界を張るも良し。――――即ち、私は全世界の魔力を支配しているも同じ」
 周囲の空気がザッハークに向かって流れ始める。
 亨は背筋が凍えるのを感じた。
 何かが、自分の中から抜き取られている。
 ……これは!?
「例えばだ。魔力というのは個々がそれぞれ有する魔力泉という機関によって精製される。ゆえにそれぞれの魔力には個人差があり、他人がそれをそのまま使うことは出来ない。所有権というやつが存在するのだ」
 雄弁者となった魔王が語る。
 確定した勝利を、相手に叩きつけるかのように。
「だから魔力を略奪する、ということは簡単には出来ない。所有権を書き換えるなど、色々と手間がかかるのだ。……本来ならばな」
 そこまで言われて、亨は薄々感づき始めた。
 自分の中から何が抜き取られているのか。
 矢崎亨のものである"それ"が、なぜ奪われるのか。
「だが……私の能力はそれを容易に可能とする」
 それは魔力だった。
 亨のものであるはずの魔力が、『ザッハークの魔力』に変換されてしまっている。
 零次も同様だった。息苦しそうに呻いている。
 力を奪われ、もがき苦しむ悪魔を見下ろし、蛇の魔王は残酷な宣告を下した。
「――――――捧げよ、全てを我に」

 朦朧とする意識の中、零次は微かに理性を取り戻していた。
 見えてはいるし、聞こえてもいる。ただ、それを考えることが出来なかっただけ。
 理性を取り戻した今、ザッハークが語った内容もすぐに理解出来た。
 ……道理でデタラメなはずだ。
 こうして略奪し続けてきたなら、膨大な魔力量にも頷けるものがある。
 ザッハークが言うとおり、彼は世界中の魔力を支配下に置いていると言っても過言ではない。
 必要さえあれば、少しの手間で周囲から回収することが可能なのだから。
 身体は動かない。
 魔力を根こそぎ取られてしまっては、もはや身体などまともに動かせるはずもない。
 ……殺される、かもな。
 そう思いつつ、不思議と後悔はなかった。
 最後まで守りきることは出来なかったが、彼女が逃げるための時間稼ぎは出来た。
 今まで一度も役に立ったことのない自分の力が、ようやく誰かを助けるために振るえた。
 それは、これまで絶望だらけだった人生の中で――――悪くないことのように思える。
 ただ、真実を伝えると言っておきながら、それが出来そうにないのが寂しかった。
 こんな状況下になって、ようやく思う。
 謝ることが出来ないのが残念だった、と。
 ……後のことは、霧島や刃……それに、気に食わないが倉凪梢に任せよう。
 個人的な好き嫌いを除けば、いずれも頼るに足る相手だった。
 仲間と言うのも悪くない。
 何かを託す相手がいるというのは、きっと幸せなことで。
 託せるものがあるというのも、きっと良いことなのだろう。
 だから零次は――――微かに笑って、意識を失った。