異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第四十二話「吉崎和弥」
 最初に感じたのは熱だった。
 全身が焼けるように熱い。
 皮膚がぼろぼろと剥がれ落ちていくような感覚。
 この感覚は、懐かしい痛みだった。
『――――この化け物! 役に立ちもしないくせに、厄介ごとばかり増やして!』
 ヒステリックな叔母の声が聞こえる。
 もしかしたら伯母だったかもしれない。
 もっと遠い親戚の人だったかもしれない。
 あるいは、そうした人々全員の声だったかもしれない。
 梢にとって、その声の主が誰であるかはどうでもいいことだった。
 ただ、焼けた痛みに伴う思い出の蜃気楼。
 その残響が、久々に脳裏に浮かび上がったまでのこと。
 痛いのは慣れていた。
 平気ではない。痛みをなくした訳ではない。
 ただ――我慢すれば良かった。
 倉凪梢にとって、痛みとは我慢すべきものだった。
 耐えられるだけの身体があるのだから、そうするのが当然と思っていた。
 耐えられないであろう妹を、その痛みから守ること。
 それだけが、幼い日の梢の全てだった。
 痛みの原因を相手に求めたりはしなかった。
 相手がなぜ梢を痛めつけるのか。
 熱いフライパンで殴ったり、煙草を押し付けたり、物を投げつけたりするのか。
 それは梢のことが恐いからだと、梢は幼いながらに理解していた。
 だから相手を憎んではいけない。
 憎めばより相手は自分を恐れる。
 より行為がエスカレートする。
 それに対し自分は耐えられるが、妹は耐えられない。
 だから憎しみを捨て、ただ耐えた。
 妹を守るために。
 いつしか、守りたい相手が増えた。
 家族として自分たちを扱ってくれた榊原。
 自分の力を知っても、変わらず付き合ってくれた吉崎や涼子。
 学校で共に馬鹿をやる、藤田や斎藤を始めとする多くの友人たち。
 そして――――誰からも助けられる理由を持たぬ、一人の少女。
 多くを守るには、ただ耐えるだけでは駄目だった。
 だから彼は力を振るうと決めた。
 誰かを助けるために。
 少しでも困っている人たちを助けるために。
 例え恐れられたとしても、周囲の人々を助けるために。
 だからだろうか、咄嗟に身体が動いた。
 右腕に食い込んだ大剣が抜けないと判断した瞬間、次の行動を身体が勝手に決めた。
 何かを考えてのことではない。
 本当に、無意識に身体が動いていた。
 後になってから思考が追いつく。
 最初に思ったのは、皆が無事かどうかということ。
 何でそんなことを心配するんだ、と考えたとき、ようやく大剣が爆発したことを理解した。
 ……あれ、右腕……どうなったんだ?
 よく分からない。
 感覚はあるが、なんだか物足りない。
 まるで右腕の感覚だけが、嘘のように思えた。
 と、そこで彼は、自分の名を呼ぶ声に気づいた。
 涙交じりの声で、必死にこちらに呼びかけている。
 聞き覚えのある声だった。
 昔から守ると誓っていた家族と。
 こんな自分によく付き合ってくれた、お人好しの親友。
 彼らの呼びかけには答えなければならない。
 起きなければ、と思った。

 覚醒した瞬間、先ほどまでとは比べ物にならない程の痛みが襲いかかってきた。
 かなり辛い。再び意識を失ってしまいそうなくらい、鋭い痛さだった。
「お兄ちゃん……!」
 涼子を抱きかかえた美緒が、涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
 そんな顔をされては、痛がっている場合ではない。
「っ……おいおい、泣くな。俺は大丈夫だ」
 そう言って彼女の頭を、いつものようにポンポンとしてやろうとした。
 しかし、いつまで経っても自分の手は彼女の頭に届かない。
 おかしいな、と視線を向けると――――そこには何もなかった。
 ……ああ、やっちまった。
 格好悪いことこのうえない。
 勢いよく助けに飛び込んできたかと思えば、あっさりこの体たらく。
 おまけに右腕を丸ごと失うはめになるなど、不様極まりない。
 今まで多くの敵を打ち倒し、恐れられてきた右腕。
 その最後は、実にあっさりとしていた。
 駆けつけたときには涼子が既に倒れていたし、散々だ。
 誰も守れていない。
 こんな力を持っているくせに、何も出来ずにいる。
 そのことが、悔しかった。
「無茶しやがって……」
 吉崎も顔を真っ青にしている。
 そんなことを言っている彼自身、あちこち傷を負っているようだった。
「無茶したのは、てめぇも一緒だろうが」
 吐き捨てながら上体を起こす。
 幸い左腕は残っていたので、それを支えにした。
「今、どうなってる?」
「兄貴が奴と戦ってる」
「そうか……」
 梢は美緒の方に身体を向けた。
 その腕に抱かれている涼子は、見たところ呼吸をしていない。
 胸には、残酷にも黒きナイフが突き刺さっていた。
 梢は顔をしかめながらも、そのナイフを一気に引き抜く。
 途端、血が一気に流れ出た。
 ひっ、と美緒が声を上げる。
 度重なる異常事態に、すっかり参ってしまっているようだった。
 ……慰めてやりたいが、その前に。
 梢は涼子の胸元に左手を押し付けた。
 心臓マッサージをするかのように、力を込めて小さな胸を圧す。
「グラ、ス……クリエイ、ショ……ン」
 残存した魔力を総動員させ、涼子の傷口を塞ぐ。
 貫かれた内臓部分も、植物を擬態化させることで応急処置を取った。
 そのうえで数回胸を圧迫する。
 すると、涼子の呼吸が微かに戻った。
 そのことに気づいた美緒が顔を綻ばせる。
「お兄ちゃん、涼子ちゃんが……!」
「安心するのは……まだ、早い」
 梢は小さく頭を振った。
 その動作一つにしても、ひどく弱々しい。
「俺が取ったのは……あくまで、応急処置だ。俺が少しでも意識を逸らせば、また駄目になる」
「それじゃあ!?」
「幸町の先生んとこに。……連れて行けば、まだ間に合う」
 左手で頭を抑えながら、梢は立ち上がった。
 吉崎がぎょっとして、その顔を見上げる。
「おまっ……何する気だ!?」
「決まってる、だろ。……あいつを倒さなきゃ、帰れない」
 微かに見えるザッハークの姿を視線で追いながら、梢は左手を振り上げた。
 身体を動かすために最低限必要な魔力を残し、後の全てを左腕に集中させる。
 だが、重傷を負っているせいか、あるいは利き腕ではないからか。
 いかに意識を集中させても、左腕に集めた魔力が形になることはなかった。
「くそ……最悪だ」
「無理するなよ、お前はここでじっとしてろって」
「馬鹿野郎、そんな悠長なこと言ってられねぇんだよ!」
 いきなり大声を上げた梢に、二人は押し黙った。
「吉崎。お前ヴィリ使えるんだったら、あいつの魔力見えるようになったか?」
 吉崎は魔力を見るための先天的な資質を持っていない。
 見るために必要な訓練もしていない。
 ヴィリを扱う際の魔力調整は慣れてきたが、それ以外の点では普通の人間と同じである。
 魔力はそれ相応の訓練をするか、梢たちのように先天的な力を持っていないと視認出来ない。
 もっとも、あまりに強力過ぎる魔力は一般人にも見える。
 ザッハークのそれが、良い例だった。
「見えるっちゃ見えるけど……」
「どんぐらいに見えた。奴の周りをちょっと薄気味悪いもんが覆ってるって程度か?」
「あ、ああ……」
「それ以外は見えないんだな。……俺の眼には、あの廃屋全体が奴の魔力で覆われてるように見えるぞ」
 実際のところ、ザッハークの魔力はもっと広範囲に漂っているのだろう。
 ここまで駆けつけてくるとき、梢は凄まじい臭気のようなものを感じた。
 毒々しいまでの濃密さを誇る魔力を、否応なく感じ取ってしまったのである。
 結界や魔獣などのように何か形にすれば、一般人でも魔力を視認することが可能である。
 だが、それは相当濃い魔力でなければ無理な話だった。
 梢で言えば、全力を出せる状態で翠玉の篭手を創り出す際、一瞬だけ緑の光が見える程度である。
 それを常時身体全体に漂わせている時点で、ザッハークの魔力は桁が違う。
 ここに来るまでに霧島から話は聞いたが、これほどまでに強弱の差があるとは思わなかった。
「俺の翠玉の篭手も、ただの薙ぎ払いであっさり砕かれた。野郎、無茶苦茶だ。……兄貴だけで勝てるとは思えない」
 霧島は今、高速で動き回りながらザッハークとぶつかり合っている。
 激突の際に、火花が散るように魔力が弾けたりしていた。
 今のところは良い勝負をしているようだが、どう転ぶかは分からない。
「だから俺も加勢する。止めるなよ」
「止めるに決まってんだろ! 今のお前を行かせるぐらいなら、俺が行った方がマシだ!」
「手はある」
 そう言って、梢は吉崎の左手に視線を向けた。
 そこには強く握られたヴィリがある。
「ヴィリを貸せ。――――そいつの固有能力は、あいつの能力を打破するのにうってつけだ」
「何?」
 吉崎は怪訝そうな顔で、ヴィリを顔の前まで持ち上げた。
 紅の銃を細目で見ながら、
「なんでお前がそんなこと知ってるんだよ」
「それ、元々は師匠の知り合いの魔法使いだか魔術師だかが使ってた代物らしい。昔、少し話に聞いたことがあるんだよ」
 炎銃ヴィリ。
 水銃ヴェーと共に、北欧神話におけるオーディンの兄弟の名を持つ魔銃である。
 その力は文字通り炎の力。
 ただし、燃やすのは魔力である。
 全ての魔力を燃やし、蒸発させる。
 それがヴィリの固有能力。
  幻想焼却(マジック・ヴェイパー) と呼ばれる神秘。
 欠点を挙げるならば、魔力やそれによって構成されたものは蒸発させられるが、魔力によって引き起こされた現象までは消せないという点。
 だが、ザッハーク相手ならば問題はない。
「兄貴から聞いた話だと、奴の力は魔力の形、性質を好き勝手に変えることらしい。言い換えれば、魔力によって現象を引き起こすんじゃなく、魔力そのもので攻撃防御その他諸々をやってるってことだ」
 それならば、炎銃ヴィリにとっては好都合。
 いかに膨大であろうと、それが"魔力"というものなら確実に燃やし尽くす。
 ただし、それだけ強力な力。
 そう容易く扱えるはずもない。
「その力を使うには溜めがいる。先に言っとくが、お前じゃ撃てない。俺にも出来るかどうか分からん」
「な、なんでだよ」
「相手の魔力を燃やすんだぞ。正確に奴の魔力を把握出来てないお前じゃ、どうしようもないだろ」
 だから貸せ、と梢は左手を出した。
 吉崎は心配そうに梢とヴィリを交互に見ていたが、すぐ近くで火花が散る音を聞いて顔色を変えた。
 呑気に話し込んでいる場合ではない。
 今も霧島がザッハークと戦っている。
 周囲は魔獣に囲まれている。
 早く病院に運ばなければ、涼子の命が危ない。
「……分かった。無理はすんなよ」
「分かってる」
 吉崎から銃を受け取ると、梢はすぐさま屋根の上に飛び移った。
 身体のあちこちから声にならない悲鳴が上がるが、そんなものはどうでもいい。
 月をバックに、周囲へ感覚の網を伸ばす。
 ダメージを負っているせいか、いつもより精度は低い。
 それでも、霧島とザッハークがどの位置で戦っているかは把握出来た。
 両者の動きは速い。
 梢が万全の状態であっても、決して追いつけないだろう。
 ここに至って、梢は霧島が自分との戦いで手加減をしていたことを知る。
 霧島が今と同じくらいの力で来ていたら、梢など瞬殺されていたかもしれない。
 二人の攻防はそれほど凄まじかった。
 ザッハーク本人を狙うのであれば、これほど厄介な標的もなかっただろう。
 幸い、狙うべきはザッハーク本体ではない。
 この辺り一帯に漂っている、異常なまでの魔力である。
 霧島やザッハークの位置を把握しておこうと思ったのは、途中でザッハークに襲撃されないよう用心するため。
 そのくせ屋根の上などという目立つ場所へ飛び移ったのは、ザッハークの意識を吉崎たちから引き離すためだった。
 涼子の方にやっている魔力だけを残し、他は全て銃身へ詰め込む。
 残り少ない魔力でどれだけのことが出来るかは分からないが、やれるだけやってみるしかない。
「起動せよ」
 以前、榊原から聞かされた言葉を紡ぐ。
「神秘を焼き尽くせ、幻想を打ち砕け、夢は夢へ還せ」
 紡ぐたびに、銃身が熱くなっていく。
 焼け焦げた手の感覚はとうになく、ただ引き金を降ろせればそれだけで良い。
「顕現せよ、人に創られし偽りの神。その名を晒せ――――業火の魔銃……!」
 刹那。
 ヴィリの銃口から、まるで竜のような炎が飛び出した。

 夜闇が炎に払われていく。
 しかし、その炎は赤でも青でもなかった。
 白き炎。
 神秘の光を身に纏いし、竜の炎。
 それが、周囲一帯に広がっていく。
 ザッハークが漂わせていた毒々しい魔力が、少しずつ霧散していく。
 身体を決して止めることなく、意識を全く逸らすことなく、しかし霧島は確かに理解した。
 ……梢め、何かやりやがったな!
 限界ギリギリの移動速度。
 これ以上速く動けば身体の方が壊れる、というような極限の高速空間。
 そこで、霧島はザッハークの顔が苦々しげに歪むのを見た。
「なんだ、あれは」
 霧島が振り下ろしたナイフを避けながら、ザッハークは凍てつく双眸で白き炎を凝視する。
「我が力を焼くつもりか……!」
 これまで余裕を持ち続けていたザッハークの態度が、微かに揺れた。
 ザッハークは全てにおいて優れた力を持つ異法人である。
 だが、その土台となっているのは膨大なまでの魔力。
 それを失うことは、ザッハークとしても絶対に避けたいところのはずである。
 霧島の視界からザッハークの姿が消える。
 しかし、そんなことは大した問題ではなかった。
 いちいち視線で追っていては、この高速戦にはついていけない。
 気配で相手を感じ取れれば、それでいい。
 ……下!
 宙で素早く一回転しながら、霧島はザッハークに蹴りを放つ。
 ザッハークはなんなくガードしたが、その表情には苛立ちが見えた。
「行かせねえよ、糞蛇野郎」
「貴様……」
 ザッハークは周囲に散りばめていた魔力を、一斉に自分の元へと引き寄せ始めた。
 拡散させておいては被害が増えると判断したのだろう。
 魔獣たちも分解し、自分の手元に引き戻した。
 その後を追って、炎がザッハークに迫り来る。
 警戒したのか、ザッハークはそれを弾き返したりせずに避けた。
 炎はそのまま通り過ぎ――――やがて消滅した。
 ……効果切れか!?
 まだザッハークの力は相当残っている。
 この程度減らしただけでは、到底打ち滅ぼすことは出来ない。
「梢ッ!」
 叫びながら、視線を屋根の上に動かす。
 そこには、うつ伏せに倒れている梢の姿があった。

 梢の力は、もはやほぼ尽きようとしていた。
 身体の自由は利かず、まともに立っていることさえ出来ない。
 血、そして魔力があまりに不足していた。
 ……まだだ、こんなもんじゃ全然足りねえ。
 身体が熱い。
 ……もっと、もっと燃やさないと。
 焼ける臭いがした。
 ……あいつを倒せない。
 心が焦げつく。
 ……誰のことも、守れない。
 脳は動けと信号を発する。
 身体はそれに応えるだけ。
 それで何かが出来るなら、しない理由はない。
『こんな物騒な力! やっぱりあんたは化け物だよ!』
 化け物かもしれない。
 それでも、良い化け物でいたかった。
 そうしなければ、 世界(ここ) にはいられないから。
『あんたみたいな化け物なんかね、どこにも居場所なんかありはしないんだよ!』
 そうすれば、ここにいられるから。
『お前がどんな変な力持ってようが、俺からみたら小生意気なガキに過ぎん』
『別に悪いことに使わなきゃ、どんな力持ってようがいいと思うわけだよ』
『力を持つことが罪なんじゃねえぞ、梢。力に使われることが間違いなんだ』
 力を正しく振るえば大丈夫。
 そうすることで、ずっと生きてきた。
 周囲の人々を守ってきたし、これからもそうしていく。
 そのために、こんなところで立ち止まるわけにはいかない。
「……無茶するなって、言ったろ」
 すぐ側で、声が聞こえた。
 感覚が薄れていてよく分からないが、誰かが肩を貸してくれたらしい。
 自分はどうにか立っている。
 肩を貸してくれているのは見慣れた顔。
 知っているが、脳がまともに動かないせいか名前が出てこない。
 ただ、その誰かにはこんな危険な場所には来て欲しくなかった。
「なんで、ここに」
「お前がぶっ倒れたから、慌ててよじ登って来たんだよ。ったく、無理ばっかしやがって」
 声は聞こえるが、顔がよく見えない。
 全ての風景に白い靄がかかっているようだった。
「一人で無茶ばっかしねえで、たまには俺を頼れ。相棒だろうが」
 確かに彼は相棒だった。
 自分のような力は持っていなかったが、対等の関係だった。
 危ない橋も一緒に渡った。
「魔力が足りないんだろ? だったら俺のをもれなくお裾分けだ。存分に使えよ――――倉凪梢!」
 その言葉で、一気に意識がクリアになった。
「……ちっ、うるせえ子守唄だな。おちおち寝てられねぇ」
 へっ、と笑みがこぼれた。
 それは向こうも同じらしい。
 銃身に直に触れながら、その相棒も笑ってみせた。
「弾丸装填は俺がやる。お前は引き金を降ろせ」
「ああ、任せたぞ――――吉崎和弥!」
 吉崎の手から直接、ヴィリ目掛けて魔力が流し込まれる。
 弾切れ問題は解決。
 後は標的を定め、上手く発射するだけである。
 それは自分の役目。
「起動せよ」
 再度告げる。
「神秘を焼き尽くせ、幻想を打ち砕け、夢は夢へ還せ」
 全身が焦げ付きそうな気がした。
 それは吉崎も同じらしい。
 ヴィリを掴んだ部分から、焼け焦げる臭いがした。
 それでも、彼らはヴィリを手放そうとはしない。
 顔を見合わせ、二人同時に叫ぶ。
「顕現せよ、人に創られし偽りの神。その名を晒せ――――業火の魔銃!」
 轟音が響く。
 大地が揺れる。
 夜が白に染まる。
 白き炎竜が、再び姿を現した。

 炎竜は恐ろしい鳴き声を上げながら、一直線にザッハークへと飛翔する。
 霧島の攻撃から逃れ、ザッハークは正面から炎竜に向き合う。
 魔力の形を変え、巨大な蛇を創り上げる。
 それも、八つの頭を持つ巨蛇。
「食い尽くせえぇい、ヤマタアァッ!」
 八頭の蛇が炎竜に向かっていく。
 衝突までは一秒もかからなかった。
 本来なら百の人間を一秒で喰らうであろう八頭の蛇。
 それがあっさりと、炎竜によって霧散して消えていく。
 ただ一頭。
 八頭のうち、ただ一頭だけが炎竜の破壊から逃れた。
 それが梢と吉崎の元へ飛翔する。
 大口を開けて、二人を丸呑みにせんと迫り来る。
 ……どうすっかな。
 吉崎は、不思議と落ち着いていた。
 与えられる魔力はほとんどヴィリに送り込んだ。
 この状況で、自分には何が出来るだろうか。
 身体はかろうじて動く。
 意識もある。
 全身が異様に重いが、何も出来ないわけではない。
 視線を動かす。
 ザッハークに攻撃を仕掛けたせいで、霧島は宙に浮いていた。
 こちらに迫る蛇には気づいているようだが、あれではさすがに間に合わない。
 美緒を見る。
 目を見開いて、こちらを見上げている。
 その腕には、死んだように眠る涼子の姿があった。
 梢を見る。
 限界以上に酷使された身体はもう動かないだろう。
 瞼が半ば以上閉じつつあった。
 どうしようもねぇなぁ、と胸中で嘆息する。
 無茶ばかりする相棒を持つと、気苦労が耐えない。
 誰かのために平気で全てを投げ出すような奴だったら、尚更だった。
 なぜ、梢がそこまでするのか。
 吉崎には、なんとなく見当がついていた。
 梢たちは世界から嫌われた存在である。
 にも関わらず、梢はずっと世界にしがみついてきた。
 世界に嫌われまいと、足掻いてきた。
 誰かのために力を振るえば、そこに居続けることが出来ると信じて。
 まるで罪を償おうとする罪人のように、ひたすら誰かのために生きてきた。
 そんな梢だから、放っておけなかった。
 ……無理しなくても、お前はもう認められているってのに。世界なんかじゃなく、皆にさ。
 それを伝えたかった。
 だが、梢はそんなことを聞き入れるような性格ではなかった。
 そのことが無性に腹立たしいと思ったこともある。
 吉崎にとって、梢は対等の親友であり、相棒だった。
 それなのに、毎回自分ばかりが助けられている。
 吉崎や周囲の人々を守るたび、梢は傷ついていく。
 そのくせ平気な顔をするのだ。
 当然だから、と。
 ……何が当然なものか。
 異常な力を持っているからと言って。
 それが、梢が傷ついていいという理由になるはずがない。
 助けたいと思った。
 いつか対等な立場にある者として、無茶ばかりする相棒を助けてやろうと思った。
 だから――――吉崎は、梢を突き飛ばした。
「……あ?」
 一瞬、呆然とした梢の顔が見えた。
 何が起きたのか、吉崎が何をしたのか、理解出来なかったのだろう。
 そんな梢に向かって、吉崎は叫んだ。
「行け」
 先へ行け。
 救いたい人がいるなら救って来い。
 お前にはそれが出来る。
 そうすることでお前が幸せになるなら、それでもいいだろう。
 けれど、無茶はするな。
 誰かのために犠牲にはなるな。
 行け。
 生けるところまで行け。
 人のために犠牲になるのではなく、ただひたすらに足掻きながら生き進め。
「生けよ、相棒――――!」
 刹那。
 吉崎の身体は、飛来した大蛇に貫かれた。

 炎銃ヴィリの炎は、魔力を燃やす。
 魔力以外は、一切燃やさない。
 梢と吉崎が創り出した炎竜に呑まれたザッハークは、燃やされていなかった。
 しかし、その強さの源である魔力は大分減った。
 そんなザッハークの前に、霧島直人が降り立つ。
 不利な状況にも関わらず、ザッハークは笑っている。
 有利な状況にも関わらず、霧島直人は苦々しい顔つきである。
「あの男、吉崎和弥とか言ったか」
 ザッハークは、吉崎たちがいた屋根の方を見ながら呟いた。
「なかなかであった。その名、しかと刻む」
「……貴様」
 霧島は怒りと共に、不気味さを感じていた。
 吉崎がしたことは、ザッハークにとって憎むべきことのはず。
 それを、どこか認めるかのような発言。
 好敵手に敬意を表する、ということでは断じてない。
 ザッハークにそのような精神はない。
 異常なのだ。
 自分を追い詰める敵を褒め称え、自分を殺す相手を愛する。
 窮地に陥ることを喜びとし、安全なる勝利を嫌悪する。
 ザッハークにとっての当たり前は、普通の人のそれとは完全に逆なのである。
「これ以上の戦力減退は避けたいところ。ゆえに、名残惜しいが今宵はここで去るとしよう」
「逃がすと思っているのか……?」
「貴様に私を追っている余裕などあるまい」
「っ……」
 確かにそんな余裕はない。
 霧島自身今の攻防で少なからず傷を負っているし、涼子と梢は早急に手当てをしなければ命に関わる。
 吉崎は生死の確認も出来てない。
 この状況で精神的に大打撃を受けた美緒も、とてもではないが放っておけない。
 零次と亨の生死も不明、今頃異法隊がどうなっているかも分からない。
 そして――――遥も、結局助けられなかった。
 対する相手は、ザッハークが魔力を失ったのみ。
 結果から見れば、こちら側の大敗だった。
「この七年で、今宵はもっとも私が死に近づいた夜であったやもしれん」
 ふと、ザッハークがそんなことを言い出した。
 いつのまにか笑みも消えており、冷たい表情になっている。
「喜悦の時であった。おそらくは、次が最後の夜となろう」
「……この七年に、決着をつけると?」
「そうだ、貴様とてそれを望んでおろう。……楽しみにしている、死に物狂いというものを見せてみよ」
 ザッハークはそう言って、あっという間に闇夜へと消えていった。
 散々暴れまわっておきながら、見事すぎる撤退だった。
 だが、そんなことに構ってはいられない。
「……吉崎」
 霧島はすぐさま、梢と吉崎がいた屋根に飛び移る。
 既にそこには誰もいなかった。
 重傷でまともに動けないはずの梢さえいない。
 二人はすぐに見つかった。
 廃屋の向こう側にある道路。
 そこに、血塗れになった吉崎が倒れていた。
 すぐ近くに梢と美緒がいる。
 霧島は屋根から飛び降り、真っ先に吉崎を抱え起こした。
「しっかりしろ、吉崎!」
「……兄貴、か?」
「そうだ。よし、喋るなよ。すぐに病院連れて行ってやる」
 吉崎の怪我の具合は酷い。
 腹部が食い破られたように避けており、内臓もいくつかやられてしまったらしい。
 息も絶え絶えで、生きているのが不思議なくらいだった。
 が、霧島は気づいた。
 自分一人で抱えていくには、重傷者の数が多すぎる。
 吉崎も酷いが、涼子と梢も早急な措置を取らなければ死んでしまう。
 だが重傷人だけに、手荒に扱うことは出来ない。
 三人を抱えて走ることは出来ない。
 美緒に手伝わせるにしても、彼女の足では病院まで時間がかかり過ぎる。
 舌打ちして、携帯で幸町に電話をかける。
 用件もそこそこに現在位置だけを大雑把に告げ、さっさと来るように指示して切った。
 一分一秒が長く感じられる。
 霧島は泣きそうな表情で四人を見ていた。
 梢、美緒、吉崎、そして涼子。
 縁の形は多少違えど、誰もが霧島にとて家族同然の相手だった。
 失いたくないと、強く願う。
 ……また俺は守れないのか?
 優香を失い、七年間を駆け抜けた。
 その果てに待つのが、家族の更なる死だとすれば、あまりに惨い。
 幸町がなかなか来ないことに苛立ちを感じ、霧島はとうとう吉崎と涼子を運ぶことにした。
 吉崎を腕に抱え、涼子を背負う。
 梢は異法人としてのしぶとさに期待するしかない。
「美緒、梢を頼む。……俺は二人を連れて病院に行って来る」
 美緒は虚ろな表情で小さく頷いた。
 ところがいざ駆け出そうとしたとき、吉崎が霧島を止めた。
「兄貴、良い」
 もはやほとんど聞き取れないほどのか細い声だった。
 それだけに、霧島は無視出来なかった。
「何が良いだ、簡単に諦めるんじゃねぇ!」
「……倉凪を、頼む」
 吉崎は小さく笑って、倒れている梢を見た。
「あいつは、いつもそん、して、っから。そんなん、だめだ」
「……お前は喋るな、黙ってろ」
「はは、おこられ、た」
 声はどんどん小さくなる。
 もう霧島にもよく聞き取れない。
 ただ、最後に。
「なぁ、くらなぎ」
 梢は微かに顔を動かし、吉崎の方を見た。
「吉、崎……」
 搾り出すような声。
 夜の闇に吸い込まれてしまいそうなほど弱い声。
 それでも、吉崎は満足したようだった。
「おれさ」
 結局、自分自身も無茶をしてしまった男は。
 倉凪梢の相棒だった男は。
 彼と対等であることを望んだ男は、
「――――たのしかった、ぜ」
 改めて確かめるように、そう言った。
 そう、言い残した。
「……吉崎ぃ」
 腕の中に感じる温かさが消えていくのを感じながら、霧島は呻いた。
 とうに枯れ果てたと思っていた涙を流しながら。
「なぁ、吉崎。返事しろよ、吉崎。……俺ぁ嫌だぜ、もうこれ以上……誰も失くしたくないんだ。だからよぉ、起きろよ。冗談だって言えよ。昔みたいに……軽いノリでさあ」
 涙交じりの言葉を紡ぐ。
 それに応えたのは、同じ涙声。
 この日。
 町の片隅で、慟哭が響いた。
 家族を失くした者たちの、果てることのない慟哭が響き渡った。

 赤間カンパニーの周辺を取り囲む、異形の怪物たち。
 秋風市各地に潜んでいた研究機関の総戦力である。
 カンパニーの入り口から、二人の男が現れる。
 藤村亮介を従えた、柿澤源次郎だった。
「……これは、何の真似ですかな」
 無表情に、しかし威圧をかけるように声をかける。
 応えるために歩み出たのは、怪物たちの中にいた二人の人間。
 一人は、赤間カンパニーの社長――――脇坂宗光。
「ご覧の通り。我々は彼らと契約することになった。……君たちには早々に立ち退いてもらいたい」
「承服出来ぬ、と言えばどうなります」
「力ずくということになる」
 そう言って、脇坂は傍らに控える少女の肩に手をやった。
 少女はぴくりとも反応しない。
 虚ろな表情のまま、人形のようにじっとしている。
「隊長、彼女は……」
 藤村が少女を見て声をあげる。
 柿澤は頷き、険しい視線で脇坂を睨みつけた。
「大した自信ですが、その根拠は彼女ですか。……我らの同胞に何をしたか、お聞かせ願いたい」
「"リンク"としての力を有効活用するために、少々壊れてもらった。……時間が足りず、手荒なやり方になったがね」
 脇坂の手が少女の頬に触れる。
 執拗に撫で回されても、彼女は眉一つ動かさない。
「恐ろしいものだな、貴様たちは心まで壊すのか」
「壊れてなんぼのものだと、私は思うがね」
「それは貴様が狂気の結晶だからだろう、化け物よ」
 柿澤の周囲の空気が変わる。
 ひどく重々しい、威圧感を漂わせる空気である。
「茶番はいらぬ。正体を見せよ化け物。貴様からは……人間以外の臭いがする」
 柿澤に断言され、脇坂の顔が歪んだ。
 表情が変わったのではなく、顔全体が歪んで、粘土のように形を変えていく。
 やがてそれは顔だけでなく、身体全体、衣服にまで行き渡る。
 そして新たに作り直されたその怪物は、白衣姿になっていた。
 二十代頃の若者らしき外見。
 胸につけたプレートには『牧島』と書かれている。
 遥を連れ去った、あの牧島だった。
「牧島裕一。先ほどザッハークによって壊滅させられた研究所所長、牧島幸光の子。というのが、かつての名です」
 優雅な仕草でお辞儀をしながら、その化け物は改めて名乗り上げる。
「――――そして今は" 奇形(フリーク) "と名乗っています。以後、お見知り置きを」
 フリークとは、存在としての名であり、能力名でもある。
 文字通りそれは奇形だった。
 自在に形を変える化け物。
 それは人としての形を根こそぎ捨てた、異法人とは全く別の異常性を持つ怪物。
 牧島――――フリークはさっと片手を挙げた。
「では始めましょうか異法隊の隊長様。フリークとリンクによる、異法隊討伐劇。最後までお見逃しなきよう……」
 フリークに合わせるように、リンク――遥が手を挙げる。
 すると、それまで全く動かなかった強化人間たちが一斉に動き始めた。
「……存分にお楽しみくださいませ」