異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第四十三話「一夜明けて」
 幸町診療所には、沈痛な空気が漂っていた。
 ベッドに寝かされた梢と涼子は、依然目を覚ます気配がない。
 あれから幸町が全力で治療に当たったが、このままずっと目覚めない可能性もあるらしい。
 美緒は榊原家から移されて、診療所で二人を見守っていた。
 梢と涼子の側から決して離れようとせず、虚ろな表情のまま一日中二人の様子を見ている。
 その様が、普段の彼女を知っている者にはひどく痛々しく映る。
 ほとんど口を開かず、頷くか頭を振るかで意志を伝えるだけ。
 食事にもほとんど手をつけず、たまに口にしたものはすぐに戻してしまう有様だった。
 零次と亨は行方が分からない。
 ザッハークかその関係者に囚われたのか、あるいは殺されたのか。
 現時点では何とも判断することが出来ない。
 刃があちこちを探し回っているが、手掛かりは掴めないままだった。
 そして、霧島は――――。
「……いいのか直人。吉崎君の葬儀に出なくても」
「俺に出る資格なんてねぇよ」
 待合室の椅子に腰掛けながら、霧島は沈んだ声で答えた。
 今頃は榊原邸で吉崎の葬儀が執り行われているはずだった。
 吉崎は両親と別れ、この町で一人暮らしをしていた。
 知人や友人の多いこの町で葬儀を、と榊原が両親に持ちかけ、合意を得て榊原家が式場となったのである。
 霧島も榊原から出ないかと言われていたが、とてもそんな気にはなれなかった。
「なぁ、孝也……俺は無力だな」
 最初は優香を取り戻そうとしただけだった。
 結果、待っていたのは優香の死という結末。
 そして、遥を助け出すという新たな道。
 しかし、その先に待っていたのは――――更なる家族の死だった。
「優香も吉崎も、嬢ちゃんも美緒、梢や零次たちも……何にも守れてない。これじゃ、俺は道化だ」
「無力ではない。お前にはまだ抗う意志があるだろう」
 ややきつい口調で幸町が応えた。
「それさえも失くしたなら、お前は本当に無力だろうさ。これまでやってきたこと、優香さんや吉崎君の死も全てが無駄になる」
「……」
「無駄にしたくないなら足掻き続けろ。奪われたのなら尚更引き返すわけにはいかないはずだ。意地でも彼女を救い出すんだ」
 幸町の言葉に、霧島は頭を落とした。
 分かってはいるが、そう簡単に割り切ることは出来ない。
 霧島にとって、吉崎は家族同然の存在だった。
 それがもう、今ではどこにもいない。
 ついこの間まで生きていたのに。
 七年振りに再会して、昔と同じように軽口を叩き合っていたのに。
 ――――そんな機会は、もう二度と訪れない。
 霧島は両手を合わせながら、全身を震わせた。
 ちくしょうと、心の中で何度も叫ぶ。
 そのとき、診療所のドアが開かれた。
 ここに至るまでの道は、魔術によって人の死角の連続となっている。
 予め道を知っている者か魔術などの使い手でなければ、ここまで到達することは出来ない。
 二人は警戒した。
 この中で今戦えるのは霧島しかいない。
 おまけに梢と涼子は絶対安静の状態だった。
 ここで戦いになるのは極力避けたいところである。
 が、中に入ってきたのは榊原だった。
 それを確認して、二人は警戒を解く。
「師匠か。……どうしたんだよ、葬儀は」
「今は吉崎の両親に任せている。俺は客を連れて来た」
 榊原は言いながら診療所に入ってきた。
 その後に二人の少年の姿が見える。
 梢たちと同年齢。朝月学園の制服を着ている。
 一人は短髪で頑丈そうな身体つきをしており、もう一人は眼鏡をかけた落ち着きのある少年だった。
 榊原がこんなところにまで連れて来るぐらいなのだから、梢たちと親しい人間なのだろう。
 少年たちの顔には、涙の跡があった。
 霧島たちの方を窺いながら、二人は榊原に案内されて梢たちのいる部屋へ向かった。
 念のために霧島と幸町もついて行く。
「……君ら二人は、吉崎の友達か?」
 霧島が尋ねると、二人のうち眼鏡をした方の少年が答えた。
「はい。僕は斎藤恭一、こっちは藤田四郎です」
「そうか。……俺は霧島、こっちは幸町。吉崎の……昔馴染みだ」
「霧島さん、倉凪は大丈夫なんですか?」
 と、藤田が尋ねて来た。
 彼らがここを訪れたのは、やはり梢の見舞いが目的らしい。
 梢たちは表向き、榊原家に侵入した強盗に襲われたことになっている。
 吉崎は強盗に殺され、梢と涼子は意識不明の重態とだけ伝えられた。
「……直接、見た方が早い」
 霧島は言葉を濁した。
 説明するまでもなく、梢たちが眠る部屋はもうすぐそこだった。
 部屋の入り口で榊原がノックし、少ししてから扉を開ける。
 室内に踏み込んだ藤田たちは、まず美緒を見て痛ましげな表情を浮かべた。
 そして、恐る恐る梢たちの元へ向かい、そこで絶句した。
 梢の右腕が欠けているのを見たのだろう。
 顔が真っ青になっていた。
 普通では有り得ないような惨状。
 自分の友人の、現実離れした有様。
 平然としていられる方が、おかしい。
 梢は時折苦しげに呻き声をあげていた。
 多量の出血もそうだが、それ以上に炎銃ヴィリを使ったのがまずかったらしい。
 梢は草の使い手。幻想のみを焼き尽くすものとはいえ、炎との相性は最悪だった。
 四十度を越える熱は一向に下がる気配がない。
 加えて、意識を失う寸前に見たのは吉崎の臨終の瞬間だった。
 精神的にも、休まる暇はないはずである。
 呻きは、はっきりとした声にはならない。
 それでも、しばしば誰かの名前を呼んでいるように聞こえる。
 美緒、吉崎、遥――――。
「榊原さん。犯人は、まだ捕まってないんですよね」
 梢たちが眠るベッドの脇に立ちながら、二人の少年は榊原の方を振り返った。
 榊原は黙ったまま頷いた。
 藤田が一歩前に出て、泣き腫らした眼で榊原を見据える。
「俺たち、何でも協力します。犯人を捕まえるためなら何だってします。だから――――手伝わせてください」
 本気の眼だった。
 一時の感情に身を任せている訳ではない。
 本当に、何があっても構わない。
 何が何でも犯人を捕まえてやると、本気で思っている眼だった。
 斎藤も藤田に続く。
 藤田と比べると静かな、しかし異論を許さぬ険しさを秘めた声で告げる。
「僕らは本気です。吉崎を殺されて、倉凪や冬塚をこんな目に合わされて。……自分の友人を、仲間を傷つけられて黙っていられるはずがない」
「吉崎のことを学校で聞いてから、ずっと二人で話し合って決めたんです。そりゃ、俺たちはただのガキに過ぎないかもしれない。でも何も出来ないって諦めるのは……悔しすぎるじゃないですか」
 止まっていた涙が再び溢れたのか、藤田は腕で目をごしごしとこすった。
 その姿を見て、霧島は昔の自分を思い出す。
 七年前。
 優香を守れなかったときの、自分のことを。
 己の無力を責めたり、あのときああしていればと"もしも"を思い描いては後悔したりした。
 何をやっても、気持ちが晴れなかった。
 自分のしていることの善悪さえ見失っていた。
 なぜ自分が動いているのか、何が自分を突き動かしているのか。
 それさえも、見えなくなっていた。
 同じだった。
 身近な人を守れなかった少年たちは、七年前……そして今の霧島となんら変わらない。
「俺たちは犯人を絶対許しません。必ず捕まえてやります。……俺たちだけじゃない、クラスの連中だって同じ気持ちです」
 榊原は、そんな二人に対して頷いてみせた。
「……俺としても、その心遣いは嬉しく思う。何かお前たちに頼めることがあれば、遠慮なく言うことにしよう。だが、それまでは下手に動くな。相手は危険な奴だ。お前たちまで巻き込む訳にはいかない」
 許容と拒否を混ぜ合わせながら、榊原は言葉を濁した。
 藤田も斎藤も、普段とはまるで様子が違っている。
 下手なことを言えば、本当に巻き込みかねない。
 だが、この返答に二人は不満顔だった。
「榊原さん。聞かせてください」
「……何をだ?」
「遥ちゃん、いませんよね」
 藤田の問いかけに、榊原は渋面を浮かべた。
「葬儀にも出てなかったし、ここにもいない。彼女、今どこにいるんですか?」
「なぜそんなことを聞く。今は関係ない」
「そんなはずありません。遥ちゃんが、彼女が無関係だなんてないはずです」
 強い口調で断定する藤田から、榊原は珍しく視線を逸らした。
 斎藤が藤田の前に進み出て、話を続けた。
「彼女が榊原家に世話になり始めてから、倉凪は度々怪我をするようになりました。彼女が訳ありで、倉凪の怪我が関係しているかもしれないということは、随分前から予測していました」
「……だったら何だ。それが今回の事件に何の関係がある」
「倉凪の怪我を見て僕の推測は確信に変わりました。……これはどう考えても普通じゃあない」
 欠けた右腕。
 強盗に襲われたにしては、あまりに行き過ぎた怪我だった。
「これは強盗の仕業なんかじゃないですよ。ここまでの惨状、明らかに"殺すつもり"だったに違いありません。そして、急に現れて急にいなくなった遥さんは……絶対に何かあります」
 斎藤はやや躊躇いがちに言った。
「……彼女がこの惨状を引き起こして逃げた。あるいは犯人の目的は彼女で、倉凪たちはその過程で邪魔だったから……その、どちらかだと僕は考えています」
「遥は犯人じゃない」
 霧島は即座に弁護した。
 当然の推測とは言え、彼女が吉崎殺しの犯人扱いされるのは我慢出来なかった。
「俺もそのとき現場にいた。犯人は別の野郎だ」
「……では、それは何者ですか」
 斎藤は初対面の相手にも物怖じせず、堂々とした態度である。
 妥協するつもりは一切ないらしい。
 犯人を捕まえるため、得られる情報は全て得る。
 口先だけの覚悟ではなく、本当に全力を賭して。
「現場にいたというのなら教えてください。犯人は誰ですか。僕らから、掛け替えのない友人を奪ったのは誰ですか。大切な友人たちを傷つけたのは誰ですか」
 藤田と斎藤は全く同じタイミングで、
「お願いします。――――教えてください」
 霧島は押し黙った。
 榊原や幸町の方に視線を向ける。
 彼らは知らない。
 自分たちがいかなる扉を開こうとしているのかを知らない。
 知らない方が絶対にいいであろう領域に、足を踏み込もうとしている。
 本来ならそれを止めるべきだった。
 だが、今は違う。
 迂闊に隠しごとをすれば、二人は独自に動き出しかねない。
 万一ザッハークたちが目障りに思えば、消される可能性がある。
 それでも。
 霧島は、二人の頼みを断われない理由があった。
 理由、というのは適切ではないかもしれない。
 ただ、断わるべきではないと思った。
 大切なものを失ったとき、彼はまず何よりも知らないということに絶望した。
 優香を奪った相手が何者なのか、彼女がどこに連れて行かれたのか。
 何も分からず、そのせいで多くのものを犠牲にしてしまった。
 もしあのとき、優香が連れ去られた場所だけでも知っていれば。
 彼女の命は助けられたかもしれないのだ。
「……師匠。この子たちに話してやってくれないか」
 霧島は榊原に視線を向ける。
 本当のことを話す以上、梢たちのことにも触れる必要がある。
 霧島が勝手に話していいことではない。
 七年間放っておいた挙句、家族を死なせてしまった男が簡単に言っていいことではない。
 それを告げられるのはただ一人。
 ずっと彼らを見守ってきた、不器用な"父親"だけ。
 榊原はここ数日ですっかりやつれていた。
 吉崎の死を知らされて以降、ほとんど不眠不休で動いている。
 刑事としての仕事をこなし、吉崎の両親に連絡を入れ、葬儀の準備を行ってきた。
 後悔で沈みそうになる心を少しでも紛らわすために。
 それでも彼は泣いたりしなかった。弱音を吐いたりもしなかった。
 その眼に宿る光は、まだ死んでいなかった。
 青ざめた顔の中、一際強い意志を感じさせる双眸。
 それが霧島を見返してきた。
「分かった。お前はどうする」
「俺は、また足掻きに行く」
 藤田と斎藤を見て思い出した。
 榊原の視線に背中を押された気がした。
「沈んでる場合じゃない。むしろ、引き下がれない理由が増した。絶対諦めない。……もう悲劇は沢山だ」
 そう言って踵を返す。
 部屋を出ると、そこには幸町が立っていた。
「お前の身体はもうボロボロだ。代替品を多用して、無理矢理生き長らえさせているに過ぎない」
 霧島は自分の胸に手を当てた。
 肌は冷たく、その内にある鼓動は確かめることが出来ない。
 痛覚もここ数年ですっかり衰えたし、何を食べても同じ味しかしない。
 生きている実感が少しずつ薄れていくことに、最初は恐怖を抱いていた。
 その恐怖さえも、最近はなくなりつつある。
「もう死ぬなとは言わん。戻って来いとも言わんよ。お前に残された時間は――――そう多くない」
「ああ、分かってる」
 腕や足。
 他にも、様々な部分が欠けた。
 自らの存在を全力で敵にぶつけ続け、その度に削れていった。
 身体だけではなく、己が生命さえも。
「次に死ぬのは……この俺だ」
 そのことに恐怖は感じない。
 むしろ、霧島はこの言葉にある決意を込めていた。
「俺が死ぬまでは、もう誰も死なせない」
 それは絶対だった。
 出来る、出来ないの問題ではない。
 自分が決めた。
 霧島直人が決めた、その誓いだけは――――何人たりとも、覆させはしない。
 幸町は窓の外を見ながら、
「なら行って来い。その命、出し惜しみするな。そして無駄に使うな。後悔しないやり方で……完全にやり遂げて来い」
「承知した。……じゃあな、孝也」
 霧島は何気ない動作で幸町に一万円札を渡すと、そのまま診療所を出て行った。
 その後姿を見送りながら、幸町は手渡された紙幣を握り締める。
「馬鹿野郎。……こんなときだけ、律儀に返しやがって」

 陽が昇り、既に人の時間が始まっている。
 秋風市の都市部を行き交うスーツ姿の人々。
 その光景を見下ろしながら、中年の男が薄く笑う。
「今日も変わりない日常で何よりだ」
「貴様の隠蔽工作が功を成したということだな」
 部屋には中年の男しかいないように見える。
 しかし眼を凝らせば、影に溶け込むようにして部屋の片隅にもう一人いることが分かる。
 ザッハークだった。
「誰も社長が入れ替わったことに気づいていない。外面だけでなく、中身も瓜二つに化けられるらしいな」
「内面に関してはリンクの助力がなければ難しかったですがね」
 そう言ってフリークは笑った。
 外見や仕草はカンパニーの社長、脇坂宗光そのものである。
 しかし、本物の脇坂は既にこの世の人間ではない。
「そのリンクだが、どこへやった?」
「地下に軟禁しておきました。必要なとき以外は外に出さない方が無難でしょうからね」
「うむ、奴は今不安定だ。暴走されでもしたら困る」
「……まだ聞いてませんでしたけど。彼女に、何をしたんです?」
 フリークは興味深そうに尋ねた。
「記憶封印に対し抗うは精神。ならばそれを磨耗させればいいだけのこと。今もあの娘は、無限の悪夢を見ていることだろう」
「なるほど、幻覚の類ですか」
「なるべく現実感のある悪夢の方が、心を傷つけるには向いている。その点リンクはその材料に困らなかった。生まれてこの方モノとしてしか扱われなかったのだからな」
 実験材料として過ごした日々。
 人であることを誰からも認められなかった娘。
 彼女はずっと、狂気の科学者たちの犠牲者として生きてきた。
 否、犠牲者と感じることさえ許されない環境だった。
 常人ならば見ただけで吐いてしまうようなおぞましい実験が、彼女の日常だった。
 人としての心を得た今、彼女にとってそういった過去は悪夢以外の何物でもない。
「道具のままでいれば、自らの苦しみを自覚することもなかっただろうに。愚かな娘だ」
「ふむ、ふむ。そうですね。僕のように正気を捨てれば楽だというのに」
 狂気の集大成、フリーク。
 自分の父親によって怪物にさせられた男。
 異能の者に全てを奪われた者たちの研究の果て。
 彼ら研究者の狂気を一身に引き受けた存在である。
 その点、境遇だけを見れば遥と似ていなくもない。
「ところでザッハーク、そろそろ教えて欲しいのですが」
「何だ」
「――――本当のスポンサー、貴方の言葉でいう"契約者"とは、一体どこの誰なのでしょう」
 ザッハークは、その問いかけにすぐには答えなかった。
 フリークは目を細めてこの協力者を見る。
「赤間カンパニーの依頼として、異法隊討伐の命が降りた。だから私たちは討伐の方法を研究した。私も我が力の研究を進めた。結果的に、異法隊は追い払うことが出来た」
 討伐、とまではいかなかった。
 あの晩フリークと多数の強化人間で挑んだ結果、全体の四分の一を失いながらも柿澤源次郎らを撃退することに成功した。
 ただし討ち果たすことは出来なかった。
 柿澤は藤村を脇に抱えたまま、夜の闇へと姿を消したのである。
「ですがねぇ。貴方と別行動を取って、脇坂氏を殺害したとき。殺す前に、リンクを使って彼の内面を覗かせてもらいました。結果――――彼は異法隊討伐という依頼など知らないことが判明しています」
 フリークはザッハークの元へゆっくりと歩み寄る。
「会長や重役たちも探ってみましたが、誰一人として異法隊討伐のことを知らない。それどころか、我々への援助をしていた形跡がどこにもない。……つまり、カンパニーはスポンサーではなかった」
 ザッハークの正面に立ち、わざとらしく小首を傾げてみせた。
「では、我々に資金援助をしていたのは。異法隊討伐を依頼したのは、誰なのでしょう。私はそのことを考えたとき、貴方が以前"我が契約者"という言葉を口にしていたのを思い出しました。本当のスポンサーとして考えられるのはその御方ぐらいだと思うのですが……」
 にやりと、挑発するような笑みを浮かべる。
「……さて、いかがでしょう?」
 ザッハークは、鼻を鳴らした。
「油断も隙もないわ。私が留守の間に、そのようなことをしていたのか」
「ふふ、私も道化はごめんですからね。これまでは貴方の不可解な行動にも眼を瞑っていましたが、そろそろ気になってきまして」
 なぜ突然機関の者たちを殺したのか。
 研究材料として、それなりに価値があるであろう冬塚涼子をなぜ殺害しに行ったのか。
 そもそも、異法人の身でありながら、なぜ研究機関に協力していたのか。
 ザッハークが異常だから、という言葉では片付けられない。
 何か目的があってそうしていると考えるべきだった。
「……良かろう。貴様にも少しは教えてやる。今後の信頼関係のためにもな」
 まるで似合わないことを言いながら、ザッハークは口を開いた。
「我が契約者が目的は"世界の変革"。その目的と研究機関の思想は相容れないものであるゆえ、邪魔者として今のうちに処分した。この町に各地の機関を集結させ、用済みになったら皆殺しにする。それは我が契約者の計画に必要なことだった」
「……ならば私が生かされたのはなぜです?」
「私の独断だ。貴様は見込みがある」
 言われて、フリークは複雑そうな表情を浮かべた。
 この男から褒められても、あまり良い気分はしない。
「すぐに始末しなかったのはなぜです? 機関のアジトを把握していた貴方なら、造作もなくそれが出来たはずですが」
「この町には異法隊がいた。私が動けば連中も反応する。……それだけならば問題ないが、奴らを通して"世界"が動き始めるとまずいことになる。私は"世界の敵"だからな」
 急に抽象的なことを言われて、フリークは少し顔をしかめた。
 どことなくはぐらかされたような気がしたのである。
 が、言わんとすることは分かる。
 ザッハークは強力なカードだが、有名過ぎるせいで敵が多い。
 迂闊に使っては後々面倒なことになる、ということなのだろう。
「故に今もあまり状況は良くない。私が動いた以上、余計な者共が動き出す恐れがある。そうなる前に、計画を遂行する必要が出てきた」
「なるほど。……では、なぜあのときは協力してくれたのです?」
 遥を榊原家から奪ったとき。
 ザッハークの協力がなければ、あの計画は成功しなかっただろう。
 しかし、あのとき動いたからこそ、ザッハークは表に出ざるを得なくなった。
 契約者やザッハークからすれば、あまり良い話ではない。
「無論、契約者の計画にあの娘が必要だったからだ。あの娘を手に入れることは、我が契約者にとって必要事項だったのだよ」
「なるほど。倉凪梢らから機関、そして契約者の元へ。……そういう流れですか。やれやれ、上手く利用されたものですね」
「私が単独でやっても良かったのだが、先ほど言った事情から私はあまり表に出ない方が都合が良くてな。故に、貴様らの影として協力させてもらうことにした」
 フリークは成る程、と頷いた。
「"世界の変革"……興味深い。実に興味深い。是非とも契約者の方と、一度御会いしたいものです」
「無理だろう。我が契約者は簡単には自らの正体を明かさぬ。それに貴様からすれば、契約者は仇ではないか?」
 フリークは研究機関に所属していた。
 その機関を利用し、用済みになれば皆殺しにする。
 それを指示した契約者とやらは、確かに研究機関の敵としか言いようがない。
 だが、フリークは笑った。
「機関の者たちが生きようと死のうと関係はありません。彼らの意思はここにある。私がいれば"機関"は滅びたことになどならない」
 そう言って、自らの頭を叩く。
「我が名はフリーク。狂気が歪んだその果てです。狂った連中の望みなど、どうでもいい。私が望むのは――――この力が、どこまで行き着くのか知りたいということだけです」
 異能に対する復讐心から生まれた怪物。
 起点が滅びようと、既に動き出した彼には関係がない。
 始まりの者たちが何を望んだかも、彼には関係がない。
 狂気が更に歪んだ存在、それがフリーク。
 彼にとって興味があるのは、ただ異常であることのみ。
 奇形の果てに、自らの果てに何があるのか知りたいだけ。
 ザッハークが彼に「見込みあり」としたのは、そういった部分があったからであろう。
「……ククク、成る程。契約者には貴様のこと、伝えておいてやろう。せいぜい計画実行のときまで生き長らえることだ」
「ふふ、そうですね。面白いものが見れることを期待していますよ」
 二人の異形が笑い合う。
 いかに陽が昇ろうと、この二人には光が届かないように見えた。

 ぼんやりとする意識の中、誰かに呼び起こされたような気がした。
 自分を呼ぶ声には聞き覚えがある。
 しかし、誰の声かはいまいち分からない。
 そもそも自分が生きているのか死んでいるのか、それさえも曖昧だった。
 ここは天国か地獄か、あるいは現世なのか。
「……じ……」
 声は一向に治まらない。
 徐々に大きくなっていく。
「れ……じ!」
 そう言えば、彼女はどうなったのだろう。
 無事ならばいいのだが、と心底願う。
「――――零次!」
 しつこい声に、ようやく意識がはっきりしてきた。
 瞼をゆっくりと開くと、そこには彼女の姿があった。
「……冬塚!」
 あちこち痛む身体を無理矢理起こし、眼前の相手を抱きしめる。
 恥ずかしさなどまるでなかった。
 ただ、生きていてくれたことが素直に嬉しかった。
「良かった……無事だったんだな」
「え、あの、零次?」
「冬塚……俺は、俺は……」
「ちょっ、間違えてますって! 僕ですよ僕!」
 と、そこでようやく零次は何かおかしいことに気づいた。
 抱きしめた身体は細いが、割と頑丈そうである。
 彼女の特徴だったポニーテールも見えない。
 何より、声が違う。
 夢から一気に覚め、零次は抱きしめていた相手を引き離した。
 その顔を見て、心底がっかりしたように溜息をつく。
「……亨か」
「勝手に抱きついてきて勝手にがっかりしないでくださいよっ!?」
「やれやれ。冬塚に後で謝らねばならんな」
「失礼ですよねぇ僕に対して!? こっちだってびびりましたよ、零次そっちの気でもあるのかと!」
 失礼千万な相手は、とりあえず殴り倒しておいた。
 自分の周囲を確認する。
 見覚えのある部屋だった。
「ここは……カンパニーの地下か?」
「そ、そうみたいですね……」
 頭をさすりながら亨が答えた。
「おかしいな。俺はザッハークと戦って、それで敗れたはず。……誰かが回収してくれたのか?」
「それはないと思いますよ。だって結界張られてて、この階層から出られないようになってましたから。閉じ込められたんですよ、僕ら」
 亨は零次よりも早くに目を覚ましたらしく、現状を調べてみたらしい。
「ここはおそらく異法隊本拠地でしょうね。ですが結界のせいで階段とエレベーター付近に近づけません。地下深くにありますし、助けを求めることも難しい。携帯も見事に壊されてました。つまり、事実上脱出不可能ってことです」
「この場所に、俺たちを閉じ込めたか」
 とすると、異法隊はザッハークたちに敗れたということになる。
「……隊長たちは無事だろうか。いや、それよりも冬塚は……」
「確認する手段はありません。僕も色々と探してみたんですが……」
 亨は首を振る。その表情には疲労の色が濃い。
 よく見ると、亨は怪我の治療もしていないようだった。
 零次は魔力の消耗が激しく目覚めるのに時間がかかったが、身体の方は割と無事である。
 逆に亨は、身体の方にいくらか傷を負っている。
「亨、休んでおけ。今度は俺が何かないか探してみる」
「分かりました。僕ら以外には誰もいないみたいでしたが、一応気をつけてください」
「承知した」
 零次は力強く頷いて、部屋を出た。
 異法隊の本拠地と言っても、いくつかの階層に分かれている。
 一つ一つの階層でもかなりの広さがあり、見て回るにはそれなりに時間がかかる。
 元々異法隊は人員が少なく、この建物は殺風景なものだった。
 今は人の気配が微塵もないため、一層寂しい風景となっている。
 零次は歩きながら考える。
 果たして涼子が無事なのかどうかを。
 ……確かめることが出来ないのが、こんなに辛いことだとは。
 外に出たい。
 一刻も早く、涼子や仲間たちの無事を確認したい。
 そのためにも、ここから脱出する方法を探さねばならない。
 零次は階段があるところにやって来た。
 脇にある壁には「地下十二階」と書かれたプレートがある。
 地上へと繋がるエレベーターや階段は、地下十階にしかなかった。
 ここから直接地上に向かうのは難しい。
 零次はそっと、階段の方に手を伸ばしてみる。
 すると、途中で鋭い音を立てて火花が飛び散った。
 慌てて手を引っ込めると、微かに火傷の痕が出来ていた。
 壁としての役割を果たす結界らしい。
 もっとも単純なタイプである。
 結界を起動させるためのものであろう紋様が、外側の壁に描かれていた。
 それを消せればいいのだろうが、そこまで手を伸ばすには結界を突破しなければならない。
 つまり、その方法は不可能ということになる。
「――――arm」
 小さく呟いて、悪魔の右腕を解放する。
 結界というのはいくつか破る方法があるらしいが、零次はそう多くの方法を知らない。
 今零次がやろうとしているのは、結界を構成している魔力を上回る力で強引に叩き潰すという方法である。
 あのとき榊原家を覆っていた結界も、この方法で打ち破った。
 零次は渾身の力を込め、右腕を振り抜く。
 拳と結界が衝突し、凄まじい衝撃が零次の全身に走った。
「ぐ、ぬ、おおぉぉ……!」
 結界は想像以上に強力なものだった。
 強引に打ち破ろうとしても、びくともしない。
「――――っ!」
 右腕にかかる負担を恐れ、零次は手を引っ込めた。
 結界は全く変わらぬ姿でそこにあり、零次の右腕からはブスブスと煙が生じている。
「正攻法では、駄目か……」
 零次たちの身体を特に拘束していなかったことから考えても、敵方はこの結界に相当の自信があるのだろう。
「くそ、厄介な」
 零次は毒づきながら、エレベーターの方にも行ってみた。
 直接地上とは繋がっていないが、地下十階までなら行くことが出来るものである。
 しかし、そこにも結界が張られていた。
 エレベーターの扉に触れようとするだけで、手が焼け焦げてしまいそうな有様である。
 止むを得ず、零次は亨のところに戻った。
「どうでしたか?」
「やはり駄目だ。上に行く道は閉ざされている」
「困りましたね……」
 言いながら、二人であちこちに視線を動かす。
 脱出に使えそうな喚起孔、なんて都合の良い物は見当たらない。
 秘密の抜け道なんてものもなければ、助けに来てくれた仲間などもいない。
 完全に閉じ込められた。
「天井を無理矢理ぶち抜くという手もあるが……」
「それは最後の手段にしときましょうよ。ここ地下ですし、下手なことして崩落したらどうにもなりません」
「それに、俺たちを監禁した奴らに気づかれるか」
 ザッハークがやって来たら、脱出どころの話ではない。
 なぜ自分たちを生かしているのかは謎だが、余計な真似をすれば今度こそ殺される恐れがある。
 死ぬのはさほど恐くないが、無意味に死ぬのは御免だった。
「……結界の外にあった紋様。あれを消せればいいのだが」
 そう口にした瞬間、零次はあることを思いついた。
「亨。お前の力で結界を作っているであろう紋様、消すことは出来ないか?」
 亨の力は金属操作である。
 自在に形を変えさせたり、遠隔操作で動かしたりすることが出来る。
 零次や亨本人は結界に阻まれて進むことが出来ないが、亨の操る金属だけならどうだろうか。
 もし突破出来るのであれば、それを使って紋様を消すことが出来るかもしれない。
 しかし、亨は溜息と共に首を振る。
「僕の能力も知られてしまいましたからね。手元にあった金属は全て奪われたみたいです」
 梢の植物と違い、亨の金属は彼の魔力で創られたものではない。
 本物の金属を自由自在に操るのが亨の力なのである。
 その分梢よりも魔力の消費が少ないというメリットがあるが、代わりに金属そのものがないとどうにもならないという欠点も持つ。
「だが、この中にもお前が操れる金属があるかもしれないだろう」
「……そうですね。駄目元で探してみますか」
 亨が操れるのは、五金と呼ばれる五つの金属に限定される。
 即ち金・銀・銅・鉄・錫である。
 日常生活においても身近なものが多いため、もし金属を失くしても、代えは見つけやすい。
 二人は手分けしてそれらしきものを探し回った。
 この地下十二階フロアは必要最低限のものしか置かれていないため、思った以上に見つけにくい。
 それでも数時間経つと、二人はそれなりの数の金属を集めることが出来た。
「では、やってみます」
 亨は集めた金属に魔力を込める。
 ふわりと金属が浮かび上がり、いくつかの球体へと形を変える。
 持ち運びやすいという理由で、亨は普段金属をこの形にして持ち歩いているのである。
 球体はそのまま結界の方へ飛んでいく。
 亨が慎重になっているせいか、飛行速度はかなり遅い。
 やがて球体が結界に達すると、先ほどまでと同じように火花が飛び散った。
「う、く、く……!」
 亨が歯を食い縛りながら、強引な突破を試みようとする。
 しかし、結果は同じだった。
 球体は弾き飛ばされ、結界は変わらぬ姿でそこにある。
「駄目ですね。これはあれですよ、多分指定したもの以外を一切通さないタイプの結界だと思います」
「その上相当強い魔力で構成されている……か。どうやって突破すればいいんだ」
 零次は眉間に指を押し当てながら考える。
 必ず脱出は出来る、という前提条件を自分に与え、そこから思考を働かせる。
「空気は一応通ってるんですよね、この結界」
「空気か。……待てよ?」
 空気なら、この結界を越えることが出来る。
 ならば、アレも越えられるのではないか。
「……零次、何か思いついたんですか?」
 亨が期待半分、諦め半分の視線を向けてくる。
 零次は苦々しげな顔つきで頷いた。
 あまり使いたくない力だが、ここで立ち往生するよりはマシである。
「一つ思いついた。亨、少し危ないから離れていてくれ」
「分かりました」
 亨は素直に従い、零次から距離を取る。
 そのことを確認すると、零次は悪魔の力を呼び起こした。
「――――wing」
 忌避の念を込めた言葉と共に、黒き翼が零次の背中に現れる。
 零次は出現した翼を広げ、少しずつ風を発生させ始めた。
 最初は零次を中心にしてそよ風が吹く程度。
 しかし、それはすぐに明確な方向性を持った力へと変わっていく。
 零次の翼は、風を生み出す。
 その力で自在に空を飛ぶことも出来たし、風の刃を作り出すことも出来た。
 空気が結界を越えられるなら、風の刃はどうなのか。
「……はああぁぁぁッ!」
 自らの周囲に集まりつつあった風を、一気に紋様目掛けて解き放つ。
 無数の刃はあっさりと結界を越え、壁に描かれた紋様をズタズタにした。
 結界が薄れたのを確認すると、零次はとどめとばかりに黒き右腕を振るう。
 そうしてようやく、結界は崩れ去った。
「やりましたね、零次」
 亨が笑いながら駆け寄ってきた。
 零次はげっそりとした顔で「ああ」と頷く。
 "翼"を使うことは、零次にとってもっとも忌避すべきことである。
 使い終えた後は、健康状態に関わらず気分が悪くなるのだった。
「……今ので気づかれたかもしれない。さっさと上に向かおう」
 もたもたしていては、脱出がより難しくなる。
 迅速に動かなければならない。
 何より、早く外に出て皆の無事が知りたかった。
 二人は階段を駆け上がる。
 地下十一階にはすぐに辿り着いた。
 そこに広がる異様な光景に、二人は思わず足を止めた。
「強化人間だらけだな」
 階段を昇りきるのと同時に、零次がそんなコメントを漏らした。
 実際、この階層は強化人間によって埋め尽くされていた。
 おそらくこの戦力で異法隊本拠地を襲撃し、そのままここを乗っ取ったのだろう。
 強化人間たちは皆同じ姿勢で、死んだようにじっとしている。ぴくりとも動かない。
 零次たちにも全く反応する気配がない。
「どうします?」
「迂闊なことをして敵対行動を取られたら面倒だ。このまま放置しておこう」
 ここにいる強化人間は、あまりに数が多すぎた。
 全部を相手にしていては時間がかかる。
 零次たちも本調子ではないから、下手をするとやられる可能性もあった。
「時間が惜しい。行くぞ」
「了解」
 そう言って二人が階段を駆け上がろうとしたときだった。
「……ギ」
 小さくか細い声が、あちこちから聞こえてきた。
 零次は一瞬、足を止めて強化人間たちを見る。
 その瞬間、驚くべきことに、強化人間たちが"一斉に"目を見開いた。
「何……!?」
 全く同じタイミングで、無数の強化人間たちが起き上がる。
 寸分の狂いもないほどに統率された動き。
 よほど優れた軍隊でも、ここまでぴったりとした動きは出来ないだろう。
 何か機械的な印象を与える、不気味な動作だった。
「亨、早く昇るぞ! こいつら、何かおかしい――――」
 そう言いながら零次が振り返る。
 亨は零次よりも数段上に昇ったところで硬直していた。
 その視線の先。
 地下十階からの階段にも、全く同じようにして強化人間の群れがいた。
 以前、スナック狐火の地下を襲撃した際に、強化人間の精神を操る術が開発されたのを知った。
 元々強化人間は、人間の能力を無理矢理引き伸ばして造られている。
 その代償として正気が奪われ、野生の獣を操る獰猛さが宿る。
 狐火の地下にいた研究者が開発したのは、そんな強化人間たちに言うことを聞かせる、というものだった。
 だがこれは、言うことを聞かせる、などというレベルで済むものではない。
 動作の一つ一つが不気味なくらいまとまっている。
 まるで、一つの意思でいくつもの身体を動かしているようだった。
 強化人間たちに挟まれ、零次と亨は背中を合わせた。
「どういうことだ、これは」
「分かりません。ザッハークが操ってるんでしょうか……」
 亨が不安げな声をあげる。
 そのとき、ぺた、と上の方から音が聞こえた。
 ぺた、ぺた、と何度か続く。誰かが階段を降りてきているようだった。
 零次は下の方に注意を向けつつ、その音の主へと視線を向けた。
 やがて階段の折り返し地点に、一人の少女が現れる。
 ボロボロの布切れでかろうじて白い素肌を隠しており、靴などは一切身に着けていない。
 艶やかな黒髪は腰元まで伸びており、その顔は可愛らしいとも綺麗とも言えそうなほど端整なものだった。
 しかし、そこに感情が一切見えない。
 その顔を、零次は知っていた。
 一度だけだが、見たことがある。
 自分たちが追っていた少女。
 倉凪梢が守ろうとした少女。
 そして、冬塚涼子の姉。
「――――遥!?」
 零次の言葉に、亨がぎょっとした。
 彼は直接彼女を見たことがないから、分からなかったのだろう。
「あ、あの人がですか?」
「そのはずだ。……だが、様子がおかしい」
 遥は両腕と両足を鉄枷で拘束されていた。
 おまけに首輪まで取り付けられている。
 それぞれの鉄枷と首輪は鎖で繋がれていた。
 普通に立ち歩くことも難しそうな格好である。
 しかし、彼女は強化人間たちの間を悠然とした足取りで歩いてきた。
 囚われの身としか思えない姿だというのに、その振る舞いは別の何かを連想させる。
 亨はそんなことにはお構いなしに、遥の元へ駆け寄る。
「貴方が遥さんなんですね!? 早くこっちに。僕らと一緒に脱出しましょう!」
 そう言って彼女に手を差し伸べる。
 零次は本能的に叫んだ。
「よせ亨、彼女に近づくな!」
 零次の制止とほぼ同時、亨は遥の背後から飛び出してきた強化人間に弾き飛ばされた。
「っ、ぇ……!?」
 驚愕を露わに、亨は零次の真横に転がり落ちてきた。
 すぐさま起き上がり、困惑の表情で遥を見上げる。
 咄嗟にガードをしたのか、ダメージは大して受けていないようである。
 だが、そんなことよりも。
「……どういう、ことですか?」
 亨が誰にともなく呟く。
 今のは、一体どういうことなのかと。
 亨を弾き飛ばした強化人間は遥の前に立っていた。
 まるで、亨から遥を守ろうとしているかのようである。
 戸惑う零次たちに向かって、遥はゆっくりと口を開いた。
「久坂零次。矢崎亨。地下十二階以外への出入りは禁止されています。ただちに戻ってください」
 あまりに淡々とした声。
 それは人間の言葉と言うよりも、機会が発する音と言った方が相応しそうだった。
「万一逆らうのであれば――――」
 遥は両腕をゆっくりと上げる。
 それに合わせて、周囲を埋め尽くすほどの強化人間が一斉に動いた。
 零次たちの方に身体を向け、腰を落とす。
 いつでも飛びかかれるような体勢だった。
「――――排除します」
 冷たく宣告する遥に、榊原家にいた頃の面影はどこにもなかった。