異法人の夜-Foreigners night-

-Border Breaks-
第四十五話「最後の記憶」
 少女はリンクと呼ばれた。
 彼女が持つ力にちなんだ名称である。
 名づけたのはザッハークか、契約者とやらか。
 いつのまにか、機関の間ではその名が定着していた。
 遥自身も知らず、研究者たちもほとんど気づいていなかったが、彼女の力は"触れたものの内面を読み取る"というものなどではなかった。
 対象と自身とを繋げ、肉体の制約がない部分――つまり感情や心などを"共有"する。
 それが、式泉遥が唯一使える魔術……リンク・トゥ・ハートだった。
 周囲の誰もが、その『真の力』に気づかなかったのには訳がある。
 一つは、遥の力が強めに抑えられていたこと。
 そしてもう一つは、周囲に魔術に長じた者がいなかったこと。
 前者に関しては、遥にその力を与えた張本人――彼女の実父・式泉運命の仕業だろう。
 他者と精神をリンクさせ、共有する。それは他と同一になることを意味し、乱用すれば術者の自我が崩壊する。そのことを恐れ、かなり強めに封じ込めたのだと思われる。
 後者は、研究機関の性質に関係がある。
 彼らの多くは異能の力を敵視している。異法ほどではないが、魔術といった要素も彼らからすれば敵であった。
 もっとも、敵の力だからというだけで彼らが魔術を無視していたわけではない。有効利用する方法を探す者たちもいたが、多くは失敗に終わった。
 大概の研究者は魔術という毒々しい印象のある要素に、恐れを抱いていた。そうした内面の事情もあって、積極的に研究は行われていなかった。
 遥を長年捕らえていた研究所もその類である。
 彼らは遥に施された魔術を、あくまで自分たちの分野で理解しようとした。そのため、さほど技術の進歩もないまま時が流れた。
 その点、牧島――フリークたちの研究所は、他の施設とは異質だった。
 彼らは魔術をも積極的に研究に取り入れ、一つの試作品を生み出した。それがフリークである。
 ザッハークという、魔術に造詣が深い者の協力を得られたことも大きかった。
 そうした特異性を持つが故に、彼らは遥の力を理解した。
 だが、特にこれといった利用法は思い浮かばなかった。思考の段階で、ザッハークによって壊滅させられたのだ。
「確かに、現時点では役に立っている」
 フリークは社長室で、一人呟いた。
 遥もザッハークもいない。完全に一人きりである。
 現在、遥は多くの強化人間たちと意識を共有している。
 そうすることで、全く無駄のない集団行動を強化人間たちに取らせている。
 局地的な戦闘の指揮官として見るなら、彼女以上の存在はなかなかいないだろう。
「しかし、それだけではないはずだ」
 ザッハークとその背後にいる契約者は、彼女を使って更に何かをするつもりのようだった。
 ならば、このリンクという力には、まだまだ活用法があるということだろう。
 フリークは遥に特別な感情を抱いていた。
 決して情愛などではない。強いて言うなら、親近感という言葉が一番近い。
 元々人の身でありながら、科学と魔術を身に宿し、どちらからも外れた狂気の産物。
 生まれつき魔術を身に宿し、そのせいで人として生きることを許されなかった少女。
 似ている点、そうではない点はいくつもある。フリークが彼女に親近感を抱くのは、その立ち位置によるところが大きい。
 人とも異能とも言い難い、ちょうど両者の中間を彷徨っているかのようなポジション。そこに二人はいた。
「我々は……」
 どこへ行くのだろう、とフリークは呟いた。
 彼はそれを知りたい。
 狂気によって生まれた自分は、この世界においてどんな居場所を得るのか。
 それが、フリークにとっては命題のようなものになっていた。
「異能を忌み嫌う者たちによって、私は生まれた。しかし、その私とて異能であることに変わりはない。矛盾しているが――奇形の名を冠する私にとっては、似合いと言えなくもない。だが……あのリンクはどうなのだろうか」
 そのとき。
 フリークの意識が、かすかな異状を察知した。

 気づいたら、雪の上で倒れていた。
「――あれ?」
 ぼんやりとした意識のまま、緩慢な動作で身を起こす。
 その場でぼーっとしているうちに、ようやく涼子は最初の違和感に気づいた。
「……変なの。全然寒くない」
 試しに素手で足元の雪をすくってみたが、冷たさはまるで感じなかった。
 涼子の服装は、寝るときに着る簡素なものだった。動きやすいが、薄着である。
 それでも寒さを感じないということは、どういうことなのだろう。
「っていうか、なんでこんなところで寝てたのかしら」
 前後の記憶が曖昧だった。
 無理に頭を働かせようとすると、頭痛が走る。
 ……考えるよりも、動いた方がいいか。
 痛んだ頭をさすりながら、周囲に視線を回す。
 そこに、優香が立っていた。
「え……!?」
 ありえない現実を目の前にして、涼子は驚愕した。
 そんな彼女を前にしながら、優香は無表情のまま踵を返す。
「あっ、待って!」
 慌てて後を追いかけようとすると、優香は顔だけを涼子の方に向けて立ち止まった。
 無表情なせいで何を考えているか今ひとつ分からないが、待ってくれているらしい。
 涼子はその顔をじっと見ながら、優香に並んだ。
 そこで気づく。
 ……違う。
 優香ではなかった。
 そこに立っていたのは、遥だった。
 遥は混乱している涼子をじっと見つめてから、やがて歩き出した。
 ついて来い、ということらしい。
 歩きながら、何度も涼子の方を振り返った。
 遥の後を追ううちに、涼子はようやくこれが『夢』なのだと気づいた。
 しかし、ただの夢ではないような気がする。
 いつも見ているものよりはっきりしているし、目の前の遥からは『他者の意思』というものを感じる。
 周囲の景色は見慣れないものだった。
 どこかの山道らしい。
 秋風市にも山はいくつかあるから、そのどこかなのかもしれない。
 夢の中だからか、山を歩いても疲れることはなかった。
 二人で、無言のまま道を進んでいく。
 涼子は遥に声をかけなかった。
 今そうしても、返事はないような気がしたのである。
 それに、何を話せばいいのかも分からない。
 やがて二人は、山中の森の奥深くに辿り着いた。
 そこには、数人の男女がいた。
 うち二人の顔を見た瞬間、涼子ははっと息を呑んだ。
 涼子の両親――冬塚夫妻がいたのである。
 ただし、彼女の記憶にある彼らよりは、いくらか若い。
「お父様、お母様、大丈夫かな……」
 中心にいた、まだ幼い少女が泣きそうな声をあげた。
 少女の近くにいた涼子の母・水穂が、優しく彼女の頭を撫でた。
「大丈夫よ優香ちゃん。運命様も奥方様もきっと無事だわ」
「うん……」
 少女は鼻をすすりながら、涙をごしごしと拭い取った。
 どうやらこの少女は、幼き日の優香らしい。
 目つきの悪い、どこか子供っぽい雰囲気の男が優香を抱きかかえた。
「大丈ー夫。奥方様にゃ陰綱の野郎が、旦那様にゃ盟友<双一者>がついてます。そして、お嬢さん方には俺らがついてますから!」
 がはは、と馬鹿笑いをする男。
 無理して笑っているのが丸分かりだった。
 が、それでも優香は安堵したらしい。
 男の胸に顔を埋めながら、こくりと小さく頷いた。
「八島と奥さんは優香ちゃんを頼む」
 涼子の父・雪夫が、遠方を鋭い眼差しで見つめながら言った。
 八島と呼ばれた男は力強く頷いた。
「オッケー、任せとけ」
「秋河夫妻は遥ちゃんを頼む」
「ああ。ってことは、三手に分かれるんだな」
「その方がいい。あまり大人数で動くと怪しまれる。この機会に乗じて我らを狙う輩も出てくるだろう。ただの家族に扮し、市井に紛れ込むんだ」
 よく見てみると、父の背中にまだ赤子の涼子が背負われていた。
 大人たちの状況など露知らず、呑気にすやすやと眠っている。
 同じように、秋河と呼ばれた男性が小さな子を背負っていた。こちらは涼子よりもやや大きい。
 おそらくこれが、幼き日の遥なのだろう。
 大人たちの表情には悲壮感が溢れ出ていた。
 格好も薄汚れている。何があったのか気になったが、それを知る術は今の涼子にはない。
「……絶対生きて、また会おう」
 大人たち六人は、それぞれ手を重ねて誓い合っていた。
 現実味のない光景だが、彼らは真剣そのものの引き締まった表情をしていた。
 これは実際にあったことなのだ。
 そう思うと、涼子の胸がぎしりと痛んだ。
「……絶対、また会おうね」
 大人たちの輪が解けた後、優香は二人の妹に語りかけていた。
 まだ言葉もろくに分からない二人には、優香の言っていることなど分かりはしないだろう。
 それでも、優香は懸命話しかけ続けた。
「遥も、涼子も、お姉ちゃんのこと忘れたらめー、だからね」
 優香は、妹たちの小さな手を握り締める。
「また会うんだからね。絶対……また、会うんだからね」
 少し、肩が震えていた。
 泣きそうになっているのを、必死に堪えているのだ。
「お父様とお母様と、遥と涼子と……私。また皆で、一緒に、お母様の作ったご飯、食べようね……!」
 しかし、限界だったのだろう。
 優香はその場でうずくまり、小さな嗚咽を上げた。
 そんな彼女を、八島が抱きかかえた。
「会えますよ」
 泣きじゃくる優香を抱きしめながら、八島は粗野な顔立ちには似合わないくらい優しく言った。
「家族ってのは一緒にいるもんだ。一緒にいて、支えあうもんだ。だから……きっと、また会えますって」
 八島はそのまま、冬塚夫妻、そして秋河夫妻に向かって頷いた。
 彼らは頷き返すと、そのまま散り散りになって駆け出していく。
 八島も、優香を抱きかかえながら奥さんと一緒にどこかへと行ってしまった。
 ――――残されたのは、涼子と遥の二人だけ。
「……姉さん」
 優香の願いは、叶えられることはなかった。
 家族、皆でまた一緒に。
 その願いは――優香亡き今、決して叶えられることはない。
 寂しさが、胸の底から湧き上がってきた。
 そんな涼子を、ふわりと風が包み込む。
「あ……!?」
 気づけば、周囲の風景ががらりと変わっていた。
 そこは見慣れた場所。
 秋風市の、商店街だった。

 賑わう商店街。先ほどと同じく、あちこちに雪が積もっていた。
 通り過ぎていく人々は、しかし誰も涼子には気づいていないようだった。
 既に遥の姿も消えてしまっていた。
 どこへ行けばいいのか分からず、涼子はその場で立ち尽くしていた。
 そこに、
「ほらぁ、こっちこっちー!」
 涼子の脇を、元気よく駆け抜けていく少女。
 それは、過去の涼子の姿だった。
 そして――――彼女に続くようにして駆けて来た少年がいた。
 特に何を言うわけでもなく、ただ穏やかな笑みを浮かべている。
 それが誰なのか、涼子にはなんとなく分かった。
 少女と少年は連れ立って、商店街の各地を歩き回っていた。
 立ち読みしたり、ゲームをしたり、百円でカードだの玩具だのを買ったり。
 良い物が出なかったと少女が不服を垂れると、少年は苦笑して自分の物をあげたりしていた。
 今の涼子は、ただ静かに二人の後を追っている。
 無論、二人がそれに気づく様子はない。
 ……これは、七年前の私たち?
 封じられた記憶の中の光景を目にして、涼子は妙な焦燥感を抱いた。
 仲良くしている二人の姿を見ていると、なにやら不安になってくる。
 少しぼんやりとしていた。
 二人はずっと先へと進んでしまっている。
 後を追いかけようと涼子が一歩踏み出した瞬間、目の前に霧島が現れた。
「子供は元気だなぁ、おい」
 霧島は涼子の方に話しかけてきた。
 否――正確には、涼子の後ろにいた女性に。
「元気なのは、なによりだわ」
 そこにいたのは、成長した優香だった。
 今度は遥ではない。
 見えなくなった少女の方に視線を向けながら、寂しげな笑みを浮かべている。
 そんな優香を気遣うように、霧島は彼女の肩を叩いた。
「子供に限らず、人ってのは慣れない環境には戸惑うもんだ。お前があの子を理解してやろうと頑張り続けてくなら、いつか分かってもらえるさ」
「そうだといいんだけど……」
 優香は空へと視線を向けた。
 ここにはいない誰かのことを想うような顔だった。
「……遥のことか」
「うん。……少し前、あの子の夢を見たの」
「お前の『夢』か。何かあったのか?」
「――楽しいことと、哀しいことが」
 優香は重い溜息をついた。
「せめて……涼子ちゃんには、何事もなく、ただ平穏に過ごして欲しいわね」
「大丈夫だ」
 霧島は自信満々に言った。
「お前も、あの子も俺が守ってやる。遥だって俺が助け出してやるし、お前の両親も見つけ出してやるさ」
「……あらあら」
 霧島の言葉に、優香はくすりと笑った。
 物憂い表情ではなく、幸せを精一杯噛み締めているような顔だった。
「それ、全部直人がやってくれるの?」
「無理だと思うか?」
「うん。……ああでも、直人ならやってくれそうかな。五分五分ね」
「言ったな。絶対やってやる」
 優香の頭をごしごしと乱暴に撫でながら、霧島は満面の笑みで、しかし真面目な声音で宣言した。
「惚れた弱みだ。お前を傷つけるもの、悲しませるものは全部俺が取っ払ってやる。……それは絶対に絶対だ」
 頼もしい誓いだった。
 おそらく、霧島は全力を持ってそれを果たすつもりなのだろう。
 口にしたこの瞬間も、そして優香亡き現在も――。
 しかし。
 心がどうあっても、現実は思うようにはいかない。
 再び、景色が変化した。

 公園のベンチで、幼き日の涼子と零次が揃って座っている。
 今の涼子はその後ろに立ち、二人の後姿を見つめていた。
 どうも、真面目な話をしているようだった。
「それで、お姉さんとは仲直り出来たの?」
「……まだ」
 真摯な様子で尋ねる零次に対し、涼子は膨れっ面だった。
「でも、別にお姉さんは何かをしたわけじゃないんだろ?」
「うん」
「だったら、なんでそんなに嫌ってるの?」
「嫌いなわけじゃないもん」
「――――だったら簡単じゃないか」
 零次は真っ直ぐに涼子を見て、不器用に微笑んでみせた。
「一度、話してみればいいんだよ。ちゃんとしてなくても、ほんの一言二言でいい。そうすれば、きっと大丈夫だ」
「……零次君だったら、どんな話をする?」
 幼き涼子の問いかけに、零次は口をつぐんだ。
「俺は、出来ないよ」
「なんで?」
「死んじゃったんだ。少し前に」
 その言葉に、過去と現在の涼子が驚きを示す。
 尋ねた涼子は、即座に頭を下げる。
「ご、ごめん」
「謝らないでくれ。今は……まだ、あんまり意識したくないんだ」
 でも、と零次は言った。
「もう俺に家族はいないから……だから言えるんだ。よほどの事情がないのなら、やっぱり家族は仲良くしなきゃ。……大事にしなきゃいけないんだ」
 小学生が言うにしては、重すぎる言葉。
 だが零次は気取って言っているわけではなかった。
 家族を亡くした今の涼子には、その重みが充分理解出来る。
 小学生だった涼子も、神妙に頷いた。
「うん……」
 そして、俯いたまま零次の手をぎゅっと握った。
「涼子?」
「私は零次君の家族じゃないけど……」
 照れ臭いのか、零次の方は見ないまま、涼子はか細い声で言った。
「でも、同じくらい仲良く出来ると思う。だから、そんな寂しそうな顔しないで」
「……寂しそうだった?」
「うん。見てるこっちが寂しくなってくるくらい」
「そっか。ごめん」
 零次が謝った瞬間、周囲が光に包まれた。
 また景色が変わるかと思ったが、さして違いはなかった。
 相変わらず冬の公園。
 昔の涼子と零次が、並んで座っている。
 ただし服装が違っていた。公園の様子も、細部が微妙に異なっている。
「明日ね、うちでクリスマス・パーティがあるんだ」
 両足をぶらぶらさせながら、昔の涼子が上機嫌そうに告げる。
 どうやら数日経った後――――そして、あの事件の前日の光景らしい。
 翌日に降りかかる災厄を知る由もなく、昔の涼子はとても嬉しそうだった。
 零次はむっつりとした顔でそれを大人しく聞いている。
「クリスマスか……そういえば、今日はイヴだったっけ」
「うん。それでね。零次君も来ていいって、お母さんが言ってたの」
「……俺が?」
「そう。……駄目かな?」
「いや、駄目じゃないけど……いいの? 家族水入らずのところをお邪魔しても」
 子供のくせに、そんな気配りをする零次。
 つくづくずれている。ただ、それは彼が責められるべきところではない。
 涼子は慌てた様子で首を振り回した。
「いいのいいの! お姉ちゃんだって恋人連れて来るんだし!」
 それと零次を連れて行くこととどう関係があるのか、現在の涼子は胸中で苦笑した。
 なにやらこそばゆい。昔の自分を見ていると、どうにも居心地の悪さも感じる。
 零次はあまり深く探りを入れず、ただ黙って空を見上げていた。
「……本当に、いいのかな」
 どこか寂しそうに呟く。
 そんな彼の手を、昔の涼子は顔を真っ赤にしながら掴んだ。
「いいの」
 有無を言わさぬ口調だった。
 これぐらいしないと零次は来ない。
 そう思っていたのだろう。
 やがて零次は――彼にしてみれば珍しく――どこかはにかんだ様子で頷いた。
 ちょっと仲の良い男の子と女の子の微笑ましい光景だった。
 ……そっか。私と零次さん、こういう感じだったんだ。
 光景を見ると、その後を追うように涼子の中で鮮やかに記憶が浮かび上がっていく。
 雪ダルマをきっかけに零次と出会ったこと。
 町中で彼と一緒に駆け回ったこと。
 いろいろな悩みを打ち明けたり、その借りを返そうと背伸びして励ましてみたり。
 そんな、いろんなことを思い出してきた。
 その度に、懐かしさと寂しさ、そして苦しさが増していった。
 この思い出を失くしていたことが、本当に申し訳なかった。
 失くしたのは決して涼子の責任ではない。
 しかし、それでも辛かった。
 記憶を失くした涼子と再会して、零次は一体どんな気持ちだったのか。
 そのことを考えると、心苦しくてならない。
 けれど。
 そんな涼子の気持ちを無視し、光景は次の段階へと進んでいく。
 それは、おそらくこの『夢』の最終到達点。
 即ち、一九九六年十二月二十五日。
 涼子が家族と記憶を失った――――運命の日へと。

 既に、眼前で家が燃えていた。
 それを冷静に眺めている自分に気づき、涼子はむしろそのことに驚いた。
 家の前には、遥が立っていた。
 涼子が家に入るのを促すように視線を動かしている。
 この先へ進むのは、恐い。
 家族が殺される瞬間が。
 姉が連れ去られる瞬間が。
 力を暴走させた零次に殺されかける自分の姿が、待っているかもしれない。
 あるいは――心は失われていても、身体は覚えているのかもしれない。
 ここであった、惨劇の正体を。
 それでも、進まなければと思った。
 取り戻すために動いてきたのだ。
 七年前の真実を突き詰めたいと、涼子は本気で思っていた。
 本気である以上――挫けてなどいられない。
 既に開け放されているドアから中に入る。
 すると、どこからか小さな声が聞こえてきた。
 そちらへ向かおうと、涼子はリビングに入り込んでいく。
「……っ!」
 そこには、冬塚夫妻が死骸となって転がっていた。
 見る影もない。面影もない。かろうじて、着ていた服から夫妻だと判断できる程度だった。
 まるで巨大なハンマーで叩き潰されたゴキブリのような有様だった。
 自分の両親だと分かっていても、こんなものを見せ付けられては、気持ち悪いとしか思えない。
 そのことが、たまらなく辛かった。
「お父さん……お母さん……っ!」
 七年のときを経て、涼子は両親の死に直面したことになる。
 あまりに生々しくて衝撃的なその事実から、涼子は目を背けた。
 代わりに、二人をこんな姿にした"敵"に対する怒りが湧き上がってきた。
 おそらく、かすかに聞こえる声の主が犯人に違いない。
 いろいろなものを誤魔化し、振り切る。
 涼子はがむしゃらな心持ちで、あまり広くない家の中を駆けた。
 そして――"敵"はすぐに見つかった。
 現在とさほど変わらぬ姿をしているザッハーク。
 そしてその横に、もう一人。
 ……こいつが、契約者。
 スポンサーに扮し、研究機関を裏で操り、ザッハークと手を結んで、涼子の家族をずたずたに引き裂いた元凶。
 触れることは出来ないと分かりつつも、涼子は殴りたくなる衝動を抑えるのがやっとだった。
 契約者と、ザッハークは呼んでいた。
 そいつは目深にフードをかぶっているため、素顔は見えない。
 ただ、体格からしてほぼ間違いなく男だった。
 それぐらい、がっしりとしている。
 そして、二人の前には……涼子を守るように抱きかかえた、優香の姿があった。
「観念しろ、女」
 権高にザッハークが告げる。
 優香は完全に追い詰められていた。
 ザッハークと、それと同等の実力者と思われる契約者。
 そんな二人に、魔術の家の出であるだけの優香が適うはずがない。
 ましてや、胸の中に足手まといを抱えているのだ。
 優香は二人の敵を前にしながらも、気丈に相手を睨みつけていた。
「私のお父さんとお母さんを殺したのも、貴方たちね?」
「だとしたらどうするというのだ、女」
「……」
 そのことをなんとも思っていないようなザッハークの物言いに、優香の瞳は鋭さを増していく。
 が、それがザッハークに届くことはなかった。
「もう一度言う、大人しくついて来い。拒否権はないが……万一そうした場合、その小娘も殺すぞ」
 ザッハークの言葉に、優香に抱かれていた涼子がびくりと震えた。
 優香は歯を食い縛りながら、どうすればいいのか悩んでいるようだった。
 そのとき。
「……我々に協力してくれるのであれば、その少女の命は保証しよう」
 初めて、契約者が喋った。
 そのことも驚きだったが、涼子の驚きはもっと別のところにあった。
 ……今の声って。
 契約者が発した声を、"つい最近聴いた覚えがある"。
「私は目的のためなら非常にもなる。外道にもなる。だが……」
 契約者は、ゆっくりとフードを外した。
 その素顔が明らかになるにつれて、涼子の心音が速まっていく。
 そして、完全に素顔を晒した契約者は、真摯な眼差しを優香に向けて、
「誓いは破らぬ。我が素顔をここに晒し、我が真名をここに告げることを誓いの証とする」
 契約者の横では、ザッハークが驚愕に目を見開いていた。
 彼にとっても、契約者の行動は想定外だったらしい。
 しかしそれ以上に驚いていたのは涼子だった。
 ……柿澤、源次郎!?
 契約者が明かした素顔は、どう見ても異法隊隊長のそれだった。
 しかし。
 直後、更なる衝撃を彼女は受ける。
「我が現名は柿澤源次郎。そして、その真名は――――」

 ――――そして全てを見届け、涼子は目を覚ました。
「……涼子ちゃん!」
 目を開けるなり、耳元で歓声が沸き起こった。
 首だけをそちらに動かすと、そこには親友である少女の姿があった。
 疲れきった様子で、涙目になりながら抱きついてきた。
 その温もりが、これが夢ではないなによりの証拠だった。
 見ると、すぐ側には藤田と斎藤、それに榊原も控えている。
 藤田と斎藤はすぐさま部屋の外へと駆け出していった。誰かを呼びに行ったらしい。
 全身が重くて、身体が上手く動かせない。
 声を出すのも億劫だったが、どうにか美緒の手を握って尋ねた。
「私……行かなきゃ」
 全てを見届けて。
 七年前とこの事件の裏側にあるものを知って。
 涼子はなによりも、この事件を終わらせたかった。

 同時刻、秋風市内にある某地下駐車場。
 そこの一角に停めてある車の中で、柿澤源次郎は指先にかすかな違和感を抱いた。
「藤村」
「はい」
 運転席でじっとしていた藤村は、すぐさま返事をした。
 彼らはずっと待っていたのである。
 "わざとフリークたちにやられた振りをして、身を隠す"。
 それからずっと、自分たちが動き出すべきときを待っていたのだ。
 しかし、それは望まぬ形で、しかも少々早めに訪れてしまった。
「どうやら……封印が解けたようだ」
「冬塚さんの、ですか」
「そうだ。お前には、全て話しておいたな」
「……はい」
 神妙に頷く藤村に、柿澤は静かに言った。
「――――彼女と話がしたい。それが我々の最終公演における、プロローグとなるだろう」